七年語り – PHILOSOPHER’S STONE
05 姫君の条件
『わたし、お茶もお菓子も如何でもいいわ。そんなものより、庭には林檎がたわわに実っているわよ』
キラキラと肩までの柔らかなプラチナ・ブロンドを風になびかせながら笑う彼女の瞳には確かな侮蔑が籠っていた。
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「気にすることないわ。年の近い男兄弟なんて、こんなものよ」
ドラコの背をぼんやり見つめるダリルを慰めるようにパンジーが明るく言った。そうかしらと上の空でぼやく彼女の膝へぐったり添えられている手をぎゅっと握る。勿論よと、そう力強く言ってやれば弱々しいながらも微笑みを返してくれた。
「ありがとうパンジー、あなたってとても優しいのね」
ドラコの態度に打ちのめされたダリルは縋るように囁いた。その眼差しにも声音にもかつての堂々とした自信は宿っていない。
皆一様にホグワーツの制服を着せられ、そのお披露目として今日の席があるはずだったが、間違いなく今日の主役はダリルだった。それは主催が彼女の父親だからだとか、彼女が数年ぶりに表へ出てくるからということだけでないとパンジーは思っていた。
同じ意匠を纏っているからこそダリルの美しい容貌が際立って輝いていた。数年前少女であることを誰より馬鹿にしていたはずなのに、ダリルは誰よりも少女らしい佇まいでパンジーを迎えてくれた。黒いローブに覆い隠されていても四肢がスラリと伸びているのが悟れた。パンジーの瞳に映るダリルの姿は蕾が咲き誇るのを惜しむように、華奢な茎が内でつかえているように中性の美しさで満たされている。
あれほど自分たちを嘲笑っていたダリルが――自分たちの中で誰よりも器用に蛹からの脱皮をやり遂げていた苛立ち。しかし、戸惑う皆を鎮めたのはパンジーだった。屈服したのは彼女のほうよ。林檎を食べれなくなったおバカさんに茶器と席を分けるぐらいしてあげましょう。
ただ美しいだけの馬鹿なら好きに甚振って構わなかったが、ダリルの背後にはマルフォイ家が控えている。甚振るよりもっと有効的に使える価値が彼女にはあった。そうよ上手く使えば良いのよ、パンジー。彼女はそう言い聞かすことで苛立ちを堪えていた。
この場に招かれることはパンジーの家柄がそれなりであることを裏付けていたが、パンジーは――というより彼女の両親はそれで満足していない。行く行くはブラック家に並ぶ名家となるように、家格をあげるよう努力なさいとパンジーはその両親から厳しく躾けられた。
そう容姿も良くないのだから、その分話術でカバーするのよ。幼いパンジーに冷たい言葉を掛けたのは彼女の母だった。母親はいつもカリカリとしており、ヒステリックで、娘であるパンジーからしてみても何ら魅力的なところはないように思えた。そもそも自分の容姿を馬鹿にするのだって、自分がその姉と比べられて育ったことに対する八つ当たりのようなものなのだ。
私はこんな風にならないわ。そう肝に銘じて、それでも両親の願いを自分のものとして、話し相手を退屈させないよう周囲に目を配るようになって――中途半端に鎖に繋がれて育った。自分が家を愛しているのかは分からないが、両親に誉められたいと思ったし、両親の愛情を得るためには家を大事にするしかないと思った。皆そんなものなのだと思った。だから努力してきた。ずっと。
『わたし、お茶もお菓子も如何でもいいわ。そんなものより、庭には林檎がたわわに実っているわよ』
そんなパンジーの目に、奔放に振舞っているのに両親からも双子の兄からも愛されるダリルは妬ましく映った。嘲笑うような台詞を発するダリルがどれ程自分のことを知っているのかと思った。私だってお茶もお菓子も如何でも良い。林檎の木になぞ登れば叱られるからお茶とお菓子を共に座っているしか出来なくて、そこにいる少女たちの全てが自分と同じなのだとパンジーは知っていた。
マルフォイ夫妻は娘のお転婆へ不平不満を洩らしつつも咎めようとはせず、彼らより家柄が劣れば皆表だってダリルを嘲笑えず、パンジーの両親も「明るく無邪気だ」などとダリルを誉めたたえていた。自分が同じことをしたなら烈火の如く怒る癖にと、パンジーは思ったものだ。結局どんなに努力しても、生まれつき幸福な人間には叶わないのか。自分の努力は無駄なのかもしれない。
ダリルには分からないだろう。あの些細な台詞が如何に残酷であったか、如何に自分の自尊心を傷つけたかは、永久に理解出来ない。
……だから今度は私が傷つけてやるわ。あの勝ち誇った笑みを私が浮かべるわ。誰に何も言わせない家柄を手にするの。
今日一日、ドラコの手を取りながら、ダリルに優しく微笑み掛けながらパンジーが思っていたのはそれだった。
ドラコと結婚すれば自分の望みは全て叶う気がした。そのためには今ダリルを甚振るのは得策ではない。ドラコとは既に仲違いしているようだったが、ルシウスは未だに末娘を溺愛している。ルシウスの機嫌を損ねるのは馬鹿な人間のすることだ。
奈落に突き落とすのは後で良い。スリザリンの神輿として、自分の友人として、義妹として散々利用してからでもそれは出来る。
「あなたの髪、とても綺麗だわ」
ダリルがきょとんとパンジーを見つめる。
少女なら誰もが焦がれるだろうお伽話のなかに住まうお姫様、ダリルはパンジーが出会ったなかで誰よりそれに近かった。
愛されて、大事に何の不足もなしに育てられた美しいダリル・マルフォイは、悲しげにしていても、憂鬱そうにしていても、こうして間の抜けた顔をしていても様になる。憎らしい女。自分の欲しい全てを兼ねそろえて、如何してそうも沈んだ顔をしているのか。
自分が彼女だったら、場の空気をせかせかと気にかけることもしないだろう。彼女のように鷹揚に笑みを浮かべているだけで皆が自分の機嫌を取ったに違いない。それでどんな悩みがあると言うのか。何が不満だと言うのか。
ありがとう。誉められ慣れているのがよく分かる簡素な礼と、自分の容姿への自信に満ちた美しい笑み。
「ドラコと同じ色だけど、長いでしょう? こうするとキラキラ輝いて、とってもステキ」
「くすぐったいわ」
パンジーに髪を弄ばれ、ダリルは子猫のように目を細める。さらさらと柔らかな癖に素直に伸びた髪も子猫の毛並みに似ていた。
「パンジーに褒められると、とても嬉しいわ」
今も昔もパンジーが何を考えているかなんて無頓着に表面しか見ない、善意を信じきった優しい声音。
「私なんて伸ばし放題伸ばすままで――本当はドラコみたいに短くしてしまいたいの」
不意を突かれてパンジーがぽかんと間の抜けた顔をさらけ出してしまう。
にっこりと笑うダリルが何を言っているのか瞬時に理解出来た人間は誰もいなかった。
ドラコの髪は男の子と比べてもそう長いわけでもなく、少女が憧れるには随分と素っ気ないもののように思えた。それもこんなに美しく手入れされ、少なからず自分の髪に思い入れがあるだろうダリルがそんなものへ憧れるなどとは想像も出来なかった。
「ダリルったら……」
いち早くダリルの台詞の意味を表面上だけでも理解したパンジーが乾いた声を出す。
「その――折角の綺麗なプラチナ・ブロンドじゃない、どうして切ってしまいたいなんて思うの?」
ドラコのようなベリーショートにしてしまったダリルの姿が浮かばない。
とうの本人は皆の動揺も理解できぬようで、ちょんと小首を傾げていた。
「勉強するのに邪魔になるのではない?」
それで何故髪を切ろうと思うのか謎である。
「なら、私が髪の結い方を教えてあげるわ」
「まあ。でも不器用な私に出来るかしら」
「出来るようになるまで、私が手伝うから大丈夫よ」
「嬉しい。パンジーみたいに可愛い髪型に出来たらって、さっきから少し嫉妬してしまっていたの」
そう微笑むダリルは信頼しきった眼差しでパンジーを見つめている。
お伽噺のお姫様のようなダリル・マルフォイ。私の気持ちも知らずに砂糖の塊みたいな優しさを振りまいている。彼女は本当に私が自分のことを忘れてしまったと思っているのか、思っているとするなら彼女にとって自分はどれ程如何でも良い存在だったのだろう。私が嫉妬だなんて言葉を例え戯れにでも口にできないほど貴女に嫉妬していることを分からないのなら、貴女は一欠けらでさえ私のことを妬ましいだなんて思っていないに違いないわ。なのに、嘘でもそんなことを言わないで、私を惨めにさせないでよ。
パンジーはありがとうと簡素に微笑み返した。
七年語り – PHILOSOPHER’S STONE