七年語り – CHAMBER OF SECRETS
18 影を踏む
甘やかされっぱなしは良くない。
ダリルがそう主張したことにより、五人はダリルが一人で図書室へ行くのを渋々許可した。「苛められたら、すぐに戻ってくるんだよ」まるで初めてのお使いに出かける子供だ。アンジェリーナの台詞にそう感じたのはダリルだけではないらしく、フレッドが「財布は持った? ハンカチは? それと何をしに行くのか忘れてない?」と声を高くして、からかった。「何をしに行くか忘れたらボケ老人だろう」リーが真剣に呟いたので、アンジェリーナ以外の五人は吹き出した。アンジェリーナは少しハーマイオニーやマクゴナガル教授に似てきた。尤もダリルが知らなかっただけなのかもしれない。「スリザリン寮生がいたら、すぐ戻っといで」頷いたものの、多分引き返さないだろうなとダリルは思った。去年、パンジー達に馬鹿にされた時よりはずっとマシだ。ドラコはダリルのことを怒っていないし、寮に戻れば友達がいる。
一人じゃないって良いなと思いながら、ダリルは今日が返却期限の本を三冊抱えてグリフィンドール寮を出た。
出る際に五人もいつも通り、好きなことをして良いんだとダリルは言ったが、五人はダリルの帰りを談話室で待つことを宣言した。いつもフレッドやジョージやリーなんかはダリルのことをチビチビ連呼して、穴掘りとか生贄役とかを押しつけたり、酷い扱いをするので、こうやって心配されるとこそばゆい。早く穴を掘りたいなあとダリルは思った。今なら二メートルぐらい掘れそう。
道々では案の定他寮生にクスクス笑われたし、スリザリン寮生からは「立派なお父様に幾ら積んで貰ったんだ」とかからかわれたが、ダリルは気にしなかった。尤も長々と聞いていて楽しいものではない。早く戻ると格好が悪い気がしたが、ダリルは本を返したらすぐに寮へ戻ろうと思った。流石に「スクイブなんだから、精々その顔で男に媚び売れよ」と嗤われたのは、そこそこ不愉快だった。
ちょっと前まで、そのスクイブをチヤホヤしてたのは誰だ。マダム・ピンスが近くに居るのを良い事に、ダリルは後先考えず、そう言った男子生徒に舌を突き出して、あっかんべーをしてやった。青年の額に血管が浮いたのを見て、「何よ、器の小さい男ね」と思ったダリルだったが、彼が自分の腕を掴んだ瞬間「自分の手を引いて、図書室から出ればボコり放題だ」と気付いたダリルは顔を青くした。
「離して頂戴――」
「やあ、また何かやんちゃしてるの?」
手を振り払おうとするダリルと、強引にダリルを引っ張って行こうとする青年の前にセドリックが立っていた。
「セドリック」
ダリルと、ダリルに近づこうとしていた青年とを見比べて、セドリックが笑った。まさか誰かに声を掛けられると思わなかったのだろう――ダリルがホグワーツ中の嫌われ者だとでも思っていたのかもしれない。吃驚した顔でセドリックを見る青年の手を振り払い、ダリルはセドリックの腕にしがみ付いた。べーっと舌を出す。「御忠告ありがとう。でも、どうせ媚びを売るんだったら、貴方みたいな陰険な人より、セドリックみたいに紳士的な人を選ぶわ。私はスクイブだけど、虎と猫の見分けぐらいは付くのよ」
堂々と虎――セドリック――の威を借るダリルに、セドリックが苦笑した。
乱闘になったら困るなあとか、全く頼られないのはそれはそれで何か虚しいけど、ここまで思いっきり頼られるのも困るなあとか思い悩んだセドリックだが、幸いなことに青年はセドリックにまで喧嘩を売る気はないようだった。舌うち一つすると、二人から遠ざかって行った。
「僕はシーカーだからね。乱闘とかは出来ないよ。クィディッチの試合に出れなくなるような事態は、なるたけ避けたいんだ」
完全に青年が見えなくなってから、セドリックはダリルに小さな声で忠告した。
「大丈夫よ」ダリルはにっこり笑った。「貴方、体がガッシリしているもの。何の躊躇いもなく殴りかかれる人っていないと思うわ」そう言ってから、ブルーグレイの瞳がきらきら輝く。「その隙をついて、私が椅子か何かで思いっきり殴ればノックアウト出来るでしょ?」
フレッドとジョージから何がしかの悪影響を受けていると考えるべきか、それともこれがダリルの素なのか、セドリックは暫し悩んだ。
「淑女らしくないんじゃない?」
先の、人へ喧嘩を売っていた勝気な台詞へのものも含めて、セドリックはダリルをたしなめた。
しかしダリルは全くへこたれる様子がない。ぱっとセドリックの腕から手を離すと、セドリックの胸に指を付きつけた。
「騎士か王子様でも傍にいたら、きちんと猫を被るわ。貴方知らないの? 良い男は山のように居ても、良い女なんて幻でしかないのよ」
ダリルが大真面目に言うので、セドリックは吹き出してしまった。
「フレッドがそう言ってたわ。セドリックはそう思わないの? あっ、ごめんなさい。ジョージだったかも知れないわ。駄目ね、全然二人の区別がつかないの。こないだ人でなしがフレッドで、碌でなしがジョージなんじゃないかって思ったんだけど、ジョージも人でなしみたい」
セドリックは書棚に寄りかかって笑いだした。自分と親しくしてくれる相手へ、酷い言い様だ。セドリックなら絶対に、自分と仲良くしてくれる先輩のことを――例え相手が本当に人でなしで、碌でなしだったとして――そんな風には言えない。
ダリルはセドリックが何故笑うのか理解できないようで、きょとんとしていた。その、全く悪びれていないのも可笑しかった。
「貴方って変わってるわね」
セドリックの笑いに釣られたらしく、ダリルも口元を押さえて、笑みを殺している。
「学年主席で、スポーツ万能なのに落とし穴なんかに嵌ったり、ハンサムで賢くて運動も出来るのに、周囲に一杯人がいるわ。欠点ってないのかしら。フレッドやジョージでなくても、ちょっとぐらい嫌がらせをしたくなるというものよ」
「君も?」
「うーん」
セドリックの問いに、ダリルはちょっと考え込んだ。
「昨日、朝に玄関ホールで出くわしたでしょ?」セドリックは頷いた。フリントにぐいぐい引っ張られているダリルが縋るように自分を見ていたのには気付いていたが、口を挟むのもなあと、そのまま見送ったのだ。「今から朝ごはんを食べるんだろうなあって思ったら、貴方のやんちゃなお友達がウッカリ貴方の頭の上にジャムの瓶とかを落とさないかなって思ったわ」
「酷いな」セドリックの肩が震えた。笑みを押し殺しきれない。クツクツ、笑い声が漏れる。「八つ当たりだ」
ダリルがケラケラ笑った。
「そうね、八つ当たり。でも、何のハプニングもなかったようで何よりだわ」ダリルがちょこんと小首を傾げた。「こう言っておけば、八つ当たりも無かったことにしてもらえるかしら? つまり、私は思ったけど行動には移さなかったし、貴方は美味しい朝食を食べたでしょう」
セドリックが口を押さえるよりも、笑い声が零れるほうが早かった。それと同時に怒声が書棚を揺らす。
「図書室で騒ぐのは誰ですか!!」
ダリルが慌ててセドリックの手を取って、引っ張った。「逃げなきゃ!」険しい顔で囁く。
「謝れば許してくれるさ、何も――」ぽかんとするセドリックに、ダリルが真剣な声音で続けた。「この間ジョージとフレッドが貸出カウンターの中に糞爆弾を放り込んでから――勿論不発弾よ。爆発してたら今頃アズカバンにいるわ――私、ブラックリストに入れられてるの」
「君が投げたの?」呆れきった声でセドリックが問うた。
「光栄にも、マダム・ピンスの足止め役に任命されたのよ!」ダリルは憤慨した。
吹き出しかけた。穴掘りとか、ターゲットの足止めとか、確かにそんなことばかり命じられていれば、人でなしとも言いたくなるものだ。「早く!」ダリルの声を受けて、セドリックは走り出した。背後からマダム・ピンスの怒鳴り声が追ってくる。
「貴方達、騒いだ上に図書室の中で走るなんて……! 今止まったら許してあげます。さもなくば二度と図書室に入れませんよ!」
「今止まったら、貴方もフレッドとジョージの一味と思われて、二度と図書室に入れなくなるでしょうね」
「どうやって本を借りてるの?」セドリックは胸の内から沸いてくる疑問を口にする。
「マダム・ピンスって、名前覚えるの苦手なのよね」ダリルは丸得情報を教えるかのように胸を張って言った。「カウンター近くにいる親切そうな男子生徒にお願いします! って言って手続きしてもらうの」
今度こそセドリックは吹き出した。
「図書室のなかで走ったの、初めてだ」
図書室の入り口を出て、角を二度曲がったあたりでセドリックがぼやく。ダリルはまだ安心出来ないのか、尚もセドリックの手を引っ張っていた。勿論本当に嫌だと思えば歩くことも出来たが、女の子に無理やり走らされるというのも面白い。
セドリックはダリルの速度に合わせてのんびり走りながら、笑った。
「私だってフレッドとジョージのところで働かされる前は品行方正だったのよ。まさか、廊下を走るのも初めてってことはないわよね?」
ダリルがじっとりとセドリックを睨んだ。それから数十秒二人は走っていたが、ダリルがハアハア言いだしたので、セドリックは「歩かない? 急に走ったから少し疲れたよ」と全く荒れてない声音で提案し、ダリルはぜえぜえ、途切れ途切れに「そ、うね……」と同意した。
「大丈夫かい?」
柱に寄りかかって、ダリルは呼吸を整える。
「昔は、三十分でも駆けまわってて、平気だったわ」
ダリルが酷く悔しそうに唸った。どうやら、このお転婆さにフレッドとジョージは然程関与していないらしい。去年一年、凛と澄まして過ごしていたのが夢か幻のように思えた。セドリックの中にほんの僅か残っていた、薄倖の美少女というイメージがガラガラ崩れていく。
なんだか、結構逞しい。先の「良い男は山のように居ても、良い女なんて幻でしかないのよ」という発言を思い出して、セドリックも柱に寄りかかった。ぜえはあと肺を動かすダリルと違い、セドリックは肩を震わして笑っている。
「笑う事ないじゃない」
やっと呼吸を整えたダリルが、口を尖がらせた。
「その――ごめん」
思わずセドリックが謝罪すると、ダリルがクスクス笑った。「貴方、八つ当たりに一々謝っていたら、身が持たないわよ」ダリルの華奢な笑い声にセドリックは頬を掻いた。ダリルの笑い声が静まると、短い沈黙が場に満ちた。
遠くから誰かのはしゃぎ声が聞こえてくる。その音がどこか別の世界から聞こえてきているように、二人は思った。
「今学校内に流れてる噂、本当?」
口火を切ったのはセドリックだった。ダリルはコクリと頷く。
「本当よ。私、魔法が使えないの。理由はよくわからないんだけど……去年一年クィレル教授と調べてみて、駄目だったの」
「僕に出来ることがあったら何でも協力するよ」
「有り難う」セドリックの申し出について考えるよりも先に感謝が口をついて出た。
ダリルはちょっと変な顔をして、じっとセドリックを見上げる。セドリックが首を傾げた。如何したの。しかしセドリックが問うよりも早くダリルが呟いた。「貴方って不思議ね」そう言ってから、微笑んだ。柱から離れて、ゆっくり歩き出す。
数歩進んで、自分を振り向いたダリルに、セドリックも歩き出した。
「私、本当は誰かに親切にされるのって嫌いなの。捻くれてるでしょ? 親切にしてもらうとね、自分が何にも出来ない、役立たずみたいな気がしてくるのよ。実際役立たずなんだけど」
ダリルの隣にセドリックが追いつくと、ダリルは言葉を続けた。
「だけど貴方の言葉って、全然そう聞こえないんだもの。ハッフルパフに選ばれる人って、皆そうなの?」
「そうって、如何言う……まあ基本ハッフルパフは誠実な人が選ばれるとか言うけどね」
セドリックはダリルが何を言いたいのか、よく分からなかった。
理解されずとも構わないらしい。ダリルはセドリックの曖昧な返事に全く気分を害した様子もなく、ふふと微笑を零した。階段を上る。
「そしたら私ハッフルパフに入れば良かったわ」
ダリルが手すりを撫でた。それで、今にも動き出そうとしていた階段が大人しくなる。セドリックは黙ってダリルの言葉を待っていた。
「貴方って、本当に人のことを想っているのね。ずっと気遣っていれば疲れるでしょうに、全然そんな素振り見せないのって不思議」
トントンと二段飛ばしで階段を上り、六段上から、ダリルがセドリックを見下ろした。六段の差があっても、十センチそこらしか差が出来ない。平らな所に二人で立っていても十五センチほどの差だ。普段見下ろしている容貌を見上げればいつもよりハッキリ見えたし、それはダリルも同様だった。ダリルのブルーグレイの瞳が、セドリックのグレイの瞳と重なる。
「私ね、すっごく捻くれているし、普段は凄く我儘で、有り難うって言うのすらちょっと躊躇ったりするのよ。だけど貴方にならいつでも自然に感謝出来るし、私も貴方に出来うる限り親切でいたいなって思うわ」
踊り場の窓から差す光がプラチナ・ブロンドを輝かせる。
自分を見下ろすダリルは、セドリックの目に酷くグリフィンドール寮生らしく映った。傲慢そうで、我儘で、滅茶苦茶で、人を物事へ巻き込むのを恐れない。セドリックは苦笑した。こちらが躊躇うほど明け透けな台詞を口にするし、相手が如何思っているかなど気にする様子もない。可愛そうだとか、大丈夫だろうかとか、前年度に散々心配していたのが嘘のように、ダリルは逞しくなっていた。
こんなにタフだと知っていれば、セドリックはダリルに近づこうとしなかっただろう。フレッドやジョージが自分に絡んでくる割に、セドリックが二人と然程仲良くない理由と同じだ。巻き込まれてみれば面白いが、進んで巻き込まれたくはないという自制心がある。
今日も厄介だなとか、面倒事に巻き込まれるのは遠慮したいなと幾度も思ったものの、全身から好意を滲ませるダリルへ冷たく当たる事は出来なかった。それでセドリックはここまで引きずられてきたわけだが。
ダリルは相変わらずセドリックの返答など気にしない。ぽんぽんと自分が思った事を口にしていた。
「天使がいるとすれば、きっと貴方のような人なんでしょうね」
「……天使のようだなんて誉められるのは何年ぶりだろうな。少なくともホグワーツに入学して以来ないよ」
「昔は言われてたのね」
ダリルはケラケラ笑った。
「君は今でも言われるんじゃない?」
「言われるとすれば、白痴という意味が籠ってるでしょうよ」
セドリックの台詞にダリルはピタッと笑みを止めて、苦々しげな顔で言い放つ。冗談や謙遜ではなく、本気らしかった。
彼女らしくないなとセドリックは思った。ずっと、人に付け入られないよう殺気立っていたダリル。拒絶の意思を表情に満たして、誰の親切も受けようとしなかった少女。自分の弱みなど軽々しく晒さないタイプだと思っていた。たった数カ月で奥底の部分まで変わるものなのだろうか? その台詞は、ダリルの明るさよりも、笑みよりも、何よりも一番の変化のように感じた。
「君は、変わったね」
セドリックの台詞にダリルがきょとんとした。クスと微笑んで、セドリックが階段を上る。ゆっくりと差が縮まっていく。ダリルは後ろ向きのまま踊り場まで上ると、くるりと向きを変えて、セドリックと並んで進みだした。
「前はいつも険しい顔をしているか、不安そうにしているかのどっちかで、君が――笑えるなんて思った事もなかった」
自分の弱みを晒すとは思わなかったとは言わず、誤魔化した。ダリルがぱっと顔を赤くして、俯く。
「友達の作り方が分からなかったの」か細い声で呟いた。「あと、やっぱり、自分が役立たずだと思ってて……人に笑われたくない、お父様やお母様の顔に泥を塗りたくないとか、色々考えてしまって、だけど上手く行かないのよね」
ダリルはさっきよりも明確な言葉で、自分の弱さをセドリックに告げた。ダリルは恥じているらしかったが、セドリックにはそう言うダリルがどこか眩しく感じた。セドリックは、自分の劣等感や弱さを人へ言えない性質だ。
誰かと話すよりも人の話を聞いているほうが楽だし、何か打ち明けたいと思っても土壇場になって何も言えなくなってしまう。
口下手な代わりにと言っては何だが、セドリックは自分が人よりも少しだけ物事について深く考えられると自覚していた。しかし自分ひとりでそれを考えているだけで、何の発展性もないなら、無意味のように感じていた。実際はその深い思考能力が彼の精神を富ませ、人を惹きつける魅力となるのだが、自分自身でそうと気付けるはずもない。
セドリックの口数が少ないのは、結局人に言っても如何にもならないとか、打ち明ける事で人の気持ちを重くしてしまうのではないかとか、こんな風に思う自分は傲慢ではないかと、人を気遣う故だ。
しかしダリルは吃驚するほど傲慢だし、全く人を気遣わないし、人を如何にか助けようとも、セドリックの気持ちを汲もうとすらしない。これだけ破天荒であれば、少しぐらい大丈夫かな? という気持ちが、少しだけセドリックの口数を多くしていた。
相変わらずダリルはセドリックに「こんなこと言って鬱陶しいかしら」とか「私ばっかり喋ってごめんなさいね」とか言う気配がない。自分が言いたいことをベラベラ喋っている。こんなに口数が多い少女だとは、今まで全く知らなかった。
「本当、上手く行かないわ……結局お父様やお母様の期待を裏切ってグリフィンドールを選んでしまったのだし」
「組み分けの候補はグリフィンドールとスリザリンだった?」
「いいえ。何処でも良いって言われたの。自分で選べって、あの帽子結構酷いわよね?」
ダリルが何でもない風に言って、何が可笑しいのか、自分の台詞に自分でケラケラ笑っていた。
階段を上り終わり、誰もいない廊下を二人で歩く。
「じゃあ、何でグリフィンドールを?」
「セドリックは口が堅い?」そう言ってから、セドリックの返事も待たず続けた。「人の口を柔らかくするのが得意そうだものね」
自分で結論を出すのなら、聞かなくても良いのに。そんなことを思って、セドリックはまたちょっと笑った。ダリルもにっこり笑う。そうしてから、何事か考えているのか、笑みが抜け落ちた。
「本当に些細な理由で選んでしまったのよ」
ブルーグレイの眼差しが俯いた。
相変わらず二人きりの廊下を歩き続け、角を曲がる。
「さっき、中々お礼すら言えないって言ったでしょう? ホグワーツ特急に乗る時、ハリーが親切に声を掛けてくれたんだけど、私、馬鹿にされたくなくって断わったのよね。だけどハリーはジョークで笑わせてくれて、何でもない風に手助けしてくれて――」
なるほど、とセドリックは思った。人の心を開くのはグリフィンドール寮生の十八番だ。セドリックはハリーと面識こそないもの、彼が如何言う人間かはそれなりに知っている。グリフィンドールの典型のような少年だった。
最年少シーカー、生まれついての英雄、勇気に満ちたヒーロー。誰もが彼に憧れるだろうし、無論セドリックとて憎からず思っている。
ヴォルデモートの配下以外にとって彼は救世主だったし、世界中に溢れかえる光を束にしても叶わないほどの輝きを持っていた。
「ハリーに、もう一度会いたかったの……会って、お礼を言いたかった」
それは些細な理由と言っていいものなのだろうか。セドリックが思った瞬間、ダリルが歩を止めた。数メートル先に、闇の魔術に対する防衛術の準備室というプレートが下がった扉がある。ダリルはそちらを向いて、黙り込んでいた。
かつてクィレルと過ごした部屋には今ロックハートがおり、それは扉の装飾からも明らかだ。プレートからはクジャクの羽根が生えていて、何かわけのわからない音楽と共に動いていた。悪趣味だ。ダリルとセドリックは同時にそう思った。
「ねえ、セドリック。貴方との初対面って本当に、落とし穴に嵌めた時なのかしら」
てっきりクィレルのことを考えているとばかり思ったのに、ダリルが口にしたのはセドリックについてだった。
この場所は、セドリックがダリルに付いていくのを止めた場所だ。
ここへ向かう気はなかったのに、しかも自分が何処で立ち止まったかなどハッキリ覚えていなかったのに、ダリルがそう言った瞬間にここでダンブルドア校長と話したことが昨日のように感じられた。ダリルは小首を傾げて、セドリックを見上げている。
「そうだよ」
セドリックはキッパリ言いきった。そうして、にっこり笑う。久しぶりに付く嘘だった。
「変わった子がいるなとは見てたけど――それに、初めて会ったのがいつかなんて、大したことじゃないだろう」
我ながら、ちょっとつつけばボロが出そうな嘘だなとセドリックは思った。しかしダリルはそれ以上の追求はしなかった。セドリックへにっこり笑い返すと、ふいと扉の方へ視線を向ける。「そうね」静かな声音で頷いた。
「――そうね、初対面がいつかなんて如何でも良いわね。どっちみち、今の私は貴方の友達ですもの」
ダリルがあんまりに自然に言うものだから、セドリックは何と返せば良いのか分からなくなった。友達――なのだろうか。話すのはダリルの記憶にある限り三度目なのだろうに、結構ホイホイ人を友達扱いするのだなあとセドリックは思った。不意にダリルが顔を真っ赤にして、セドリックのほうを振り向く。パクパクと、二度三度口を開いて、何も言わないままブンブン手を振っていた。
「あ、やだ、私ったら……最近人に馴れ馴れしすぎて、勝手に友達だなんて、せめて頼りになる先輩って言うべきだったわ!! 本当にごめんなさい! セドリックは大体誰にでもこんな風に親切だものね! やだ、私、本当に……」
そうしていれば誤魔化せるかのようにブンブン手を振っていたが、やがて「もう……」と言うと両手で顔を覆ってしまった。
さっきまで自分の反応などまるで気にしていなかったくせに、急に気にし出したダリルへ、セドリックが笑い声をあげた。クツクツ笑っていると、ダリルが指の隙間から恨めしそうな視線をくれる。「そう。自分の好意を勘違いした後輩が面白いってわけね」膨れたダリルの頭を、ポンポン叩く。「叩いても伸びないわよ」ダリルが、何かを思い出したのか不愉快そうに言った。「たんこぶは身長に含まれないもの」
「僕がグリフィンドール寮外での、初めての友達になるのかな?」
笑みを押し殺しながらセドリックが言うと、ダリルがぱっと顔を明るくした。さっきまでの恥じらいは何処へやら、思い切りセドリックの腕に抱きつく。「勿論よ。貴方にとって私は何番目なのかしら」ブルーグレイの瞳がキラキラ輝き、微笑みが口元に浮かんだ。
「さあ……」ダリルが膨れたのに、セドリックは慌てて付け足した。「でも、年下のグリフィンドール寮生の友達はまだいないはずだ」
「それじゃあ光栄ですって言わないといけないわね」
ダリルは大まじめに言った。
「初めて会ったのはいつかってのが大した問題でなくとも、一番最初の友達って大した問題だもの」
ほんの一秒前まで真剣な顔をしていたのに、もう蕩けそうなぐらい甘い笑みを浮かべている。こんなにクルクル表情を変えて、疲れないのかなとセドリックは思った。セドリックはダリルと遭遇してからまだ三十分程度しか経っていないのにも関わらず「今日はよく眠れるだろうな」などと考えている。クィディッチの練習以外でこんなに疲れたのは初めてだった。
「いつになっても?」
「いつになってもよ」
念を押すようにダリルが囁いた。
「今度年下のグリフィンドール寮生と仲良くなったら、君は二番目だよってきちんと言ってね」
「じゃ、君も今度グリフィンドール寮生以外と仲良くなったらそう言うんだよ」
冗談のつもりだったが、ダリルは真剣にコクコクと何度も頷いた。本当に、つまり――自分も言わなければならないのだろうか。もしも今後年下のグリフィンドール寮生と仲良くなったとして、「君は僕の、二番目の、年下のグリフィンドール寮生の友達だよ」と大真面目に言わなくてはならないのだろうか。そもそも友達だという確認作業さえ滅多にしないセドリックは、自分がそんなことを言えるとは到底思っていなかった。でも言わなければ、ダリルがぎゃあぎゃあ言ってきそうな気がする。「言ってくれた? 言わなかったの!? 酷いわ!」ピーチクパーチク喋るダリルを想像して、セドリックは吹き出した。ダリルは変なものでも見るようにセドリックを見ている。
二人は歩き出した。ダリルはセドリックの腕にしがみ付いていて、悪趣味な扉を通り過ぎる際にビクリと反応したのが伝わってきた。一瞬だけ眼で追う。それだけで、ダリルはもう扉の方を伺ったりはしなかった。
「総計では何番目?」
自分の歩調に合わせて、ピョンピョンと飛ぶように歩くダリルに、セドリックが問うた。
「えーと、友達よね? そうなると、フレッドとジョージ、アンジェリーナ、リー、アリシア……ハーマイオニー、で、セドリック」
ダリルがしがみ付いていないほうの手で指折り数えた。「七番目ね」予想以上に少ない。
「ラッキーナンバーだね」
「貴方の総計は教えてくれなくて結構よ。二桁には突入するでしょうから」ダリルはツンとした響きで宣言した。
「三桁かもしれない」
ダリルの真剣さが可笑しくて、セドリックがからかった。
「それ以上言ったら絶交よ!」
「七十七番目ってのは?」
「アンラッキーナンバーね。少なくともこの件に関しては」
それから、些細な雑談を交わして、また階段を上り、幾つもの教室を通り過ぎて、数人の生徒とすれ違い、階段を下る。ベランダを通って、もうひとつ階段を下ると、玄関ホールに辿りついた。途端に多くの生徒と遭遇する。
ダリルのほうを見てペチャクチャやる人もいたが、ダリルは気にしなかった。
大理石の階段を上り終わって、引き戸の陰を潜り抜け、人影がなくなる。ふとセドリックがそれまでの雑談とは違うことを語り出した。
「出会いって、いつだと思う?」
唐突な話題にダリルは小首を傾げて、セドリックの横顔を見上げる。
「長く知っているのに、こんな一面があるんだなって思ったり、嫌な奴って思っていたのに、ふっと誤解だったのかな? って気付いたり……そう考えると、君の言うとおり、大事なのはいつ相手の存在に気付いたかより、いつ親しくなったかなんだろうって思うよ」
「なるほどね」ダリルが茶化す声音を紡いだ。「私の事、嫌な奴って思っていたわけ」
「さあ」
セドリックの笑みに、ダリルは頬を膨らませた。
「そこは否定しないと、また落とし穴に嵌めるわよ? そうだ、今度ハッフルパフに忍び込んで、セドリックの部屋の床に穴をあけて、ハンモックを吊るすのなんて如何かしら? 下の階で寝起きしてる後輩たちとグッと仲良くなれると思うわ」
「どうやってハッフルパフに入るつもりだい」
「貴方に入れて貰うわ」
ダリルはいけしゃあしゃあとのたまった。セドリックは吹き出す。それのどこが“忍び込んで”なのだろう。
暫く二人で笑っていたが、ダリルが笑みを仕舞って、真面目な顔をした。
「出会ってないから嫌いなのかしら」
「そうかもしれないね。不運にも一生出会うことがなく別れる相手もいるだろう」
「貴方はそれを不運と言うの?」
「不運だよ。言葉が通じているのに、ちょっとした行き違いから相手を理解出来ず、自分も理解されない」
「出会いは理解と同じこと?」
「君は如何思うんだい?」
どちらも質問だらけ、あやふやな会話だった。ダリルは黒い部屋にいるようだと、そんなことを思った。
セドリックの言葉に考え込みながら――この質問はまだ明確に返答出来るものの内だ――ダリルは階段を上る。そのまま二人して黙り込み、階段を幾つか上った。踊り場の上を歩く。
「私は……そうね、考えたことがなかったから、今は貴方の言うとおりなのかなって思うわ」
そう躊躇いがちに口にして、なんだか長い踊り場だなと感じた。ここが何処か理解したのは、太った淑女の肖像画を前にした時だった。階段を幾つも上り、隠し扉を二つ通りぬけて、また上り続けた先にある長い廊下の突き当たり、そうしてやっと辿りつくことが出来る、グリフィンドール寮の入り口だ。送ってもらうつもりも、帰るつもりもなく、ただ一緒に散歩しているぐらいの気持ちだったのだが……。
「やっぱり貴方って天使ね」
「せめて紳士的って言ってくれよ」
セドリックが恥ずかしそうに訂正した。天使だなんて修飾語は少女か子供のもので、もう十四にもなる青年へ送るものではない。言わんとすることは理解出来たが、ダリルは天使呼びを改めるつもりはなかった。
善意に満ち溢れ、思慮深く、慎みを友としているセドリックには天使という呼び名が相応しいと思った。
「私の天使さんに聞きたいわ」
ダリルはじっとセドリックの灰色の瞳を見詰めた。
『そうかもしれないね。不運にも一生出会うことがなく別れる相手もいるだろう』
彼なら――セドリックなら、ダリルの知りたいことを知っているのかもしれない。
「甘やかに人を誘うが、開けることは出来ず、越えることも出来ない。人は気がついたらこちらからそちらを見ていて、そちら側にいる貴方はこちらに進もうとしている……これって、誰のことだと思う?」
夢の中で出会ったクィレルの言葉を、ダリルは口ずさんだ。
「人?」
セドリックは怪訝そうな顔をして、頭を捻っている。
「人よ。私にこれを語った人は、“彼”はそういうものなのかもしれないと言っていたわ」
「如何言う人物かってだけでも良いの?」
「勿論よ。寧ろ、そのほうがずっと聞きたいわ」
「君は“彼”のことを知りたいの?」
冗談めかして言ったつもりだが、セドリックは酷く険しい顔をしていた。伊達に学年主席ではない。良いものと悪いものの区別を付けることは朝飯前であるし、どんなにダリルが嘯いたとしても誤魔化されはしない。勿論ハーマイオニーという優秀な魔女を知っているからして、ダリルは警戒していた。しかしセドリックは年の分、そして努力を続けてきた分、彼女よりも知恵がある。
セドリックの声音で彼を謀ることが出来ないと理解したダリルは、素直に肩を竦めた。
「甘やかに人を誘うらしいから、当てられているかもしれないわね」
そう言って、ダリルは合言葉を淑女に囁く。肖像画が持ち上がり、その後ろの壁に空いた穴から赤毛やドレッドヘアーが見えた。「今日は本当に有り難う。また会いましょうね」別れを告げて談話室へ戻ろうとするダリルの手をセドリックが掴んだ。
「人を誘うには、相応の理由があるものだ」
引きとめることさえ躊躇うような、優しい握り方だ。ちょっと振り払えばすぐに断たれてしまうだろう。セドリックの優しさを、ダリルは改めて理解した。ハンサムで、しっかりしていて、人望があって、賢く、運動も得意。完璧という言葉を擬人化したら、こうなるのではないかとダリルは思った。なのに――ダリルはセドリックの背後にクィレルの姿が見えるような気がした。
クィレルは決してハンサムではなかったし、おどおどしていて、人望もなく、賢かったかもしれないが運動は苦手そうだった。欠点をあげ連ねるのが容易な人で、全くセドリックには似ていない。セドリックが優しいから、クィレルがかつてダリルへ――例え裏があったとしても――優しくしてくれて、好意だけを向けてくれたから、だから思い出すのかもしれない。
それともセドリックがダリルの謎かけについて真剣に悩んでくれたからなのだろうか。はっきりとした理由は分からないが、セドリックと話していると、クィレルと共に居た時の気持ちを抱くことが出来る。ホッとするし、甘えやすい。
だけど、あんまりに甘えすぎるのも迷惑というものだ。
「先輩の御忠告痛み入ります」
困ったように微笑み、ダリルが冗談めかして言った。セドリックが顔を顰める。厳しい事を言わなければならないと開きかけた口にダリルが指を付きつけて、閉ざした。「多分」ダリルは考え考え呟く。「多分、それでも……知らなきゃいけない気が、するの」
セドリックを見上げるブルーグレイの瞳の奥で、不安の色が揺れていた。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS