七年語り – CHAMBER OF SECRETS
24 駆け引き
目が覚めても掌には温もりがあって、そして何故か膝の上が重かった。身を起こすとセドリックがダリルの膝にうつ伏せになって眠っていた。ダリルは穏やかに上下運動を繰り返す背を、繋がっていないほうの手で撫ぜる。眠るまで傍にいると言っていたのに、起きるまで傍にいるというのは、ダリルはそこまでセドリックに無理を強いるつもりはなかった。
それでも久しぶりに安らいだ気持ちになったのは事実だ。ダリルはセドリックに感謝した。ダークブラウンの髪をクシャリと指でかき乱して、身を屈める。額に口づけしようとした、まさにその瞬間、マダム・ポンフリーがカーテンを引いて入ってきた。
「良いですか」マダム・ポンフリーは不服そうにダリルとセドリックを交互に睨む。ダリルは真っ赤になった。「私が異性交遊を奨励していると思うのは、大きな間違いですからね……!」マダム・ポンフリーはセドリックがすうすうと寝息を立てているのに気付き、声を潜めた。
ふんと悔しそうに鼻を鳴らすと、マダム・ポンフリーは手の中にある羊皮紙をダリルに突き出した。それを受け取って開くと、スネイプの几帳面な字で摂取可能な食材の一覧が書かれていた。これで肥らせ魔法を掛けてもらう必要もなくなるだろう。
「さあ、これで今日退院出来るでしょう。――こんなに真摯なひとも、今時珍しいですよ。大事にしなさい」
もっと小言を貰うだろうと思ったのに、マダム・ポンフリーはそれだけ言うと背を翻してカーテンに手を掛けた。
「前年度末に面会出来なかった分はこれでチャラです」
「前年度?」ダリルは声を出した。「セドリックは、前にも私を?」
ダリルの疑問に、マダム・ポンフリーが首だけで振り返った。何を突然と言いたげな、変な顔をしている。そうしてから、やっと合点が行ったという顔をした。「あの時の貴女は魂が抜けたようになってましたからね。クィレル教授が死んで……。言うと貴女がそれを思い出すと思ったのでしょう」マダム・ポンフリーがちょっと悪戯っぽい顔をした。「こんなに良い男は、私の夫ぐらいよ」
茶目っ気たっぷりなウインクを一つ零すと、今度こそマダム・ポンフリーはカーテンを閉めた。ダリルは自分の膝に顔を埋めて眠っているセドリックの後頭部を茫然と見つめる。恐る恐る撫ぜる。寝息は続いている。まだ起きていないらしい。
『変わった子がいるなとは見てたけど――それに、初めて会ったのがいつかなんて、大したことじゃないだろう』
ダリルはセドリックの頭に口づけた。
実際貴方の言うとおりだわ。ダリルは改めて思った。大事なのはいつ相手の存在に気付いたかより、いつ親しくなったかなのだ。
「本当に、貴方って天使みたい」
ブルーグレイの瞳に光を浮かべて微笑むダリルの目の下にはもうクマはなかった。
それから起きたセドリックが「ごめん、ほんとごめん」とか訳の分からないことを口走るのを聞いたり、マダム・ポンフリーに五月蠅いからと追い出されたり、とりあえず朝食を取りに行こうということで二人連れ立って歩いてる途中、セドリックの友達と遭遇して「朝帰り」と冷やかされたり(セドリックは真っ赤になって、とてもじゃないが反論なんて出来るような状態ではなかったので、代わりにダリルが言い負かしておいた)、スネイプから貰った表を見ながら朝食を選んでいる最中ハーマイオニーがぶつかってきたり(ハーマイオニー曰く心からの抱擁)、ジニーが寂しかったと甘えてくるのにキュンとしたり、フレッドとジョージにからかわれて、アンジェリーナに抱きしめられたり、アリシアに撫でられたり、リーが「我が校一の病弱娘がとうとう健康を取り戻したぞ!」と触れ回ったり――三日ぶりの騒ぎは楽しかった。
皆がダリルのことを心配してくれているのがよく分かったし、ダリルもこれまで以上に皆のことが好きになった。自分では無理をしているというつもりはなかったのだけれど、皆が口ぐちに「戻ってきてから顔が明るくなった。やっぱりマダム・ポンフリーは名医だな」と言うので、ダリルは自分がどれだけ皆に心配を掛けたか推し量り、ちょっとばかり恥じた。
こんなに皆が大事にしてくれる自分の体を気に掛けるのを躊躇うのは、皆の好意を疑うことだ。ダリルはもう少し自分を顧みようと強く思った。ダリル、僕は年上としても友達としても心配している。ダリルはセドリックの険しい顔を思いだした。
今だったら、心配かけるようなことはしないって心から言えるのにな……ダリルは己の投げやりな約束を思いだして、それも恥じた。
本当の“名医”については誰にも言えないで居た。アンジェリーナ達にもみくちゃにされている最中、隣のハッフルパフのテーブルを見るとセドリックと目が合った。灰色の瞳が微笑んで、ダリルの顔は赤くなった。多分“見た”のではなく、“探した”のだ。
あまりの恥ずかしさからダリルは数日の間セドリックとはち合わせても、まともにお喋り出来なかった。ダリルがセドリックの姿を見つけると、必ずセドリックと目があい、その度にダリルはセドリックに全部まるっと見とおされているような羞恥を味わうのだった。
じわじわと、日に日に羞恥は強くなる。ダリルはセドリックとのキスを思いだしたりして、枕に顔を埋めて、ベッドの上をころころする。そうしているとヴォルデモートにキスされたことはすっかり記憶の彼方へ消え去ってしまった。陰険な嫌がらせを覚えていられるほどダリルは暇人ではない。ダリルの今の関心はセドリックが自分の事を如何思っているかに終始していた。
目が合う度に恥ずかしいと思いはしたが、セドリックの隣に可愛い女の子がいても、ダリルはちっとも嫌な気持ちにならなかった。セドリックは自分とのキスが初めてだと言った。それに例えハンサムで賢くてスポーツ万能でも、あんなにおっとりしていれば、誰とも発展出来ないというものだ。ダリルはセドリックが女の子に囲まれているのを見るたびにご機嫌になった。
セドリックが女の子に絡まれているところを通り過ぎる際ににっこり笑いかけたら、その翌日セドリックの友人達から大量の手紙が来た。「セドが怯えている」「彼女はクィディッチチームで一緒にプレイしているだけの友人である」「どうか怒らないでほしい」等など――ダリルは、セドリックの友人に自分が如何思われているか理解した。彼らはダリルに遭遇すると、あたかもグールにでも遭遇したような顔をする。尤も嫌われているというわけではないのだと思う。ただ、ほんのちょっぴり、恐れおののいているというか……。
『一緒にいて飽きるってことがないし、君の人を振り回すところも、要領が悪いところも、無邪気なところも、僕は可愛いと思う』
よく考えたら、あれって普段アンジェリーナから言われていることとそう大差ない。
ダリルはつくづくセドリックに対する自分の気持ちに不可解なものを感じていた。まるで論理的なところがない。動物的だ。
そんな風に生活している内、ハロウィンの夜にあった事件のことを誰ともなしに耳にした。
フレッドとジョージがそれをネタにして笑いあっている会話から、アンジェリーナとアリシアがミセス・ノリスの安否を気遣う会話から、ロンとハリーとハーマイオニーが首を傾げあう会話から、ダリルはハロウィンの夜に起こった事件のあらましを聞いた。
当然夢で会ったヴォルデモートのことを思い出したが、すぐに疑惑は胸から出て行った。
あの日、ダリルの横にはセドリックがいた。ダリルが出来るはずはない。ダリルが何かを害さないよう、セドリックが傍にいてくれた。
そう安堵しきったダリルは何に怯えることもなく皆の話を聞くことが出来たし、ミセス・ノリスが石になったことで落ち込むジニーを慰めることさえ出来た。ダリルはジョージ達と過ごす時間も短くしてジニーに寄り添ったし、ジニーもダリルが傍にいると少し安心出来るようだった。「私が眠るまで一緒にいてね」とジニーが望めば、ダリルは彼女のベッドに掛けたまま彼女が寝るのを見守ったし、「その蛇を見たくないの」とジニーが拒めば、ダリルはレディの入ったケージを談話室の隅に置いてきたし、「日記を書きたくないのに、書かないといけない気がする」とジニーが震えれば、ダリルは「ジニーがしたくないなら良いのよ」と慰めた。
ダリルの献身ぶりを見たパーシーは「お前たちよりもダリルのほうがジニーの肉親みたいじゃないか」と弟たちに嫌味を言った。
実際フレッドとジョージが妹を慰めるのに用いたのは猫型糞爆弾であり(フレッドは新作さ! と胸を張った)、それはジニーを泣かせる実力を伴っていた。ダリルは二人へ「今後私の許しなくジニーに近づかないで頂戴」と言い渡した。
そんなにダリルの眉を顰めさせたいのか、二人はダリルの台詞を聞いて反省するどころか、死ぬのではと思うほど笑っていた。
ジニー曰く「いつも、あたしが落ち込んでいると笑わせてくれる楽しい」兄二人は、全く役に立たない。パーシーは勿論ジニーのことを案じてくれるものの、何分ジニー曰く「パーシーに心配をかけたくない」とのことなので、ダリルはパーシーへ「ジニーのことは同室の先輩として(ここでダリルはちょっと誇らしそうにした)全面的に責任を負う」と宣言した。
それでも出会って二ヶ月ちょっとのダリルでは心もとないのは事実である。ダリルはジニーの素敵な兄探しの旅を続けた。ジニーの兄に相応しくウィットと思いやりに富んでいて、妹のためなら死ぬことさえ厭わないというのがダリルがジニーの兄に求める条件だった。
フレッドとジョージはダリルの真剣な台詞を聞く度に笑い転げて使い物にならなかった。リーは触らぬ神に祟りなしと傍観を決め込んでいるし、アンジェリーナはダリルがジニーにかまけているので拗ねて、アリシアはケイティと恋話なんてしている。
ダリルは落ち込むジニーをぎゅっと抱きしめた。「最悪私が貴女の姉になって、貴方の兄に相応しい人と結婚するわ!」ジニーはジニーで、ダリルの真剣な台詞を聞いて笑う。フレッドとジョージが同じ反応を見せれば処罰ものだが、ジニーは許された。
「依怙贔屓だ」フレッドはダリルの頭にドーナツを投げつけながら呻いた。
「これが男女差別の実態なんだ」ジョージはダリルの避けたドーナツが地面に落ちる前に魔法で浮かせて、自分の口まで呼び寄せる。
「ジニーと貴方達二人、どっちが可愛いかなんて明白よ。それとも貴方達、私の着せ替え遊びに付き合ってくれるの?」
大人げなく喚く二人にダリルはキッパリと言ってのけた。二人は文句を言わなくなった。代わりにアンジェリーナが「付き合うよ!」と憤然と宣言したが、ダリルは聞こえなかったふりをすることにした。今のダリルが求めているのは自分の服を着てくれて、自分に髪を弄らせてくれるジニーであって、自分を弄ぶアンジェリーナではない。初めての妹分にダリルは夢中になっていた。
こんなに可愛い女の子に、素敵な兄がいないはずはない。それがダリルの良い分である。自分のような生意気な女の子にだって、ドラコという素敵な兄がいるのだから、ジニーみたいに魅力的な女の子に素敵な兄がいないはずはないのだ。
第一六人もいれば絶対に誰か一人はいるものだ――二人ほど欠けていても、大した問題ではない。ダリルはホグワーツ内におけるジニーの素敵な兄探しへ精を出している。その日のターゲットはロンだった。
「ミセス・ノリスの本性を知らないからだよ」
一番年も近く、ジニー曰く「一番の仲良し」な兄は鼻くそでも飛ばすように適当な声音で呟いた。
ロンは口の中の林檎をシャリシャリ言わせながら、快活に笑う。ジニーの顔が白くなっていった。ダリルは口を噤んだ。「とっても私のことを理解してくれる」兄が、まさか、そんな……ダリルはロンの様子をもう少し伺うことにした。
「正直言うと、あんなのいない方が清々する――いや、こんなことホグワーツでしょっちゅう起こりはしない。大丈夫だよ」
ジニーが唇を震わせた瞬間、ようやっとロンが気づいたらしい。
兄らしい台詞でジニーの不安を解こうとする心意気にダリルはホッとした。ダリルは震えが鎮まっていく背を撫でさする。
「学校があっという間にとっ捕まえて、ここからつまみ出してくれるさ!」林檎のカスを飛ばしながらロンが笑った。「ま、出来ればその前にあのフィルチの奴を石に」ダリルはロンの足をぎゅっと踏んだ。口に含んだばかりの林檎の欠けらが零れる。
「ロン、それ以上言ったら、もっぺん足を踏んでから絶交するわよ」
ダリルはロンの胸に指を突きつけて、宣言した。
隣で浮かない顔をしているジニーの頭をそっと撫でる。目の前のソファに掛けるロンは、足の爪が割れていないか確認していた。
「ジニー、元気を出して。すぐにまた元気になるわよ」真摯な声でジニーを慰めると、ダリルはロンの隣で何とも言えない顔をしているハリーに話を振った。「ダンブルドア校長は元に戻せるって仰ったんでしょう」
「うん、マンドレイク回復薬で直せるって」ハリーがぼんやり頷いた。
足の爪の無事を確認したロンがにやっとハリーの脇腹を小突く。右手には靴下をブラブラさせていた。
「しっかしロックハートがそれを何べんも作ったことがあるって言った時、面白かったよな?」
ロンの台詞を受けてハリーもにやっと笑った。
「スネイプがロックハートを黙らせることが出来るなんて吃驚だったね」そう返して、二人同時に肩を震わせる。
“その話”はダリルも三人から聞いていた。「自分がマンドレイク回復薬を作る」と主張したロックハートへ、スネイプが「魔法薬学を教えているのは誰かな?」と嫌味を言って、場を気まずい空気で満たしたらしい。ダリルへ一部始終教える時もロンはにやにや笑っていたけれど、ダリルは笑う気にはなれなかった。別に笑っちゃいけないと思った訳ではない。
「スネイプ教授って、陰険というよりも根暗なだけなんでしょうね」
『我輩が君達に教えているのは何でしたかな』
ダリルは一週間ほど前にスネイプから受けた嫌味を思い出して呟いた。ハリーとロンが嫌そうな顔をする。最近ダリルがスネイプの悪口大会に積極的ではないのだ。「魔力を戻す手伝いをしてくれるって聞いてから君、スネイプに優しくなった」ハリーが呻く。
「面と向かって、出来そこないでも馬鹿でも貴方よりはずっとマシって言ったらすっとしただけよ」
ダリルも魔法薬学準備室で起こった一部始終をすっかり三人へ話してあった。
勿論彼らがダリルに秘密を持っているのと同じで、スネイプの部屋を襲ったこととか、色々なことについては黙っているのだけれど。
「あんなんでも美人には弱いのかもしれないな。僕らが同じこと言ったら、今頃生きてないぜ」ロンが肩を竦める。
「ハーマイオニー、ロンったら酷いのよ」ダリルは自分の右隣に座って、本を読んでいるハーマイオニーに縋りついた。
「ねえハーマイオニー、聞いてハーマイオニー、凄いわハーマイオニー……」
身を乗り出してダリルの耳元へ囁くロンの足を思い切り踏んだ。裸足のほうを踏まなかったのは、せめての情けだ。
「外見サギだ」
ロンが呻くと、ジニーがちょっと笑った。それを見てロンは足の痛いのも忘れたらしく、ホッとした顔をしている。
不幸と言うべきか幸運と言うべきか、ハーマイオニーの肩を揺するダリルはそれを見ていなかったため、素敵な兄ポイントへの加点はされなかった。ダリルはホグワーツにはジニーの兄に相応しい輩がいないという旨を綴って、モリー・ウィーズリーに送った。「私が責任を持ってジニーの兄に相応しい男を見つけます」と〆られた手紙を読んでウィーズリー夫妻が吹き出したのはまた別の話である。
ダリルの悩みは何もジニーに相応しい兄が見つからないということだけではない。抱きついても、揺さぶっても、髪の毛を弄っても、ぴっとりくっついてみても、ハーマイオニーは何の反応も見せなかった。等身大の着せ替え人形が出来たと、ちょっとウキウキして服を脱がせようとした瞬間に真っ赤になったハーマイオニーに本で殴られた。ダリルはガッカリしたし、ハリーとロンは引き気味だった。
「君って同性愛者なの?」
そう聞いたのはハリーだ。
フレッドとジョージもそうだそうだとハリーの背後ではやし立てる。ダリルは三人を黙らせるのに、どんなにハーマイオニーが可愛いか語らなければならなかった。女の子は可愛いものが好きなのだ。アンジェリーナやアリシアも可愛いけど、背が大きいから、自分でも弄べそうな小ささで可愛いハーマイオニーとジニーで遊びたいのだ。ダリルがこんこんと説いている背後でアンジェリーナは「背を小さくする呪文」という本を抱え込んで、読みふけっていた。「私が一番最初の女友達だったのに」口を尖らせるアンジェリーナは可愛い。ダリルはアンジェリーナの愛で方を発見した。「アンジェリーナが一番よ」と言いたいのを堪えて、ダリルは拗ねたアンジェリーナをご機嫌で見守っていた。それを見たリーは「顔が良い奴って同性愛に走る傾向が強いって言うもんな」と零して、ダリルの怒りを買った。
脱がそうとすれば反応してくれると言っても、ハリーとロンがそんな暴挙に出れるはずもなく、二人は「ハーマイオニーが僕らのことを無視するんだ」と首を捻っていた。「脱がせれば反応するわよ」とダリルは二人に知恵を授けようとしたが、その瞬間頭にインク壺が飛んできた。「ハーマイオニーって頭も良いし、可愛いけど、ピッチング能力にも優れてるのね」とダリルは瞳を輝かせた。
そんな感じでハロウィンの事件以降、ハーマイオニーが反応を示すのはダリルの暴挙と教授達の質問だけとなっていた。
着せ替え人形にする計画はとん挫したし、反応を返してくれないのは寂しくもあったけれど、自由気ままにハーマイオニーの髪を弄れるというのはダリルを幸福にした。ジニーという可愛い妹分に、ハーマイオニーのふわふわの栗毛を梳く権利を手に入れ、ダリルはこの世の春という言葉の意味をつくづく実感していた。普段通りのハーマイオニーを渇望する二人とは違い、ダリルはこのままでも良いかななんて思っていた。しかし現実は残酷というか、いつまでもダリルの玩具にされているハーマイオニーではない。
水曜日の午前最後の授業は魔法薬学だ。
ダリルはちょっとスネイプを見直したものの、スネイプはそうではない。寧ろダリルのために己の時間を削らなければならなくなったことで、より一層ダリルを嫌いになったらしい。ハリーよりは嫌われていないと思っていたダリルだが、その日はハリーと二人でこってり絞られ、居残り掃除を命じられた。二人がペラペラ喋らないよう、ご丁寧にダリルの横に張り付いて「魔法を使えれば一瞬だろうに、スクイブというのは苦労が多いものだな。え? そうは思わないかね」とねちっこい嫌味を披露して下さった。ダリルは「先生の嫌味ってワンパターンですのね」と言ってやりたい気持ちをぐっと押さえて、ヘラで机に張り付いたフジツボをこそげる作業に集中した。
ヘラでスネイプの鉤鼻をそぎ落としてやりたい。そう思いながらやると作業が捗った。後で聞くところによるとハリーも同じことを考えながらフジツボを削っていたらしい。それを聞いてダリルは吹き出した。スネイプが嫌味を言わないので、ふっと視線をあげるとスネイプが腕を組んでハリーを眺めていたのである。「随分今日は要領よく進めているな……」と、複雑そうな声音で呟いていたのが、ハリーの暴露と共にダリルを笑わせた。ダリルからスネイプの台詞を聞いたハリーも、それから五分ほど壁に寄りかからねばならなかった。
スネイプから解放され、二人で大広間へと急ぎながらハリーがにやっと笑う。
「あれでもスネイプが陰険じゃないと思う?」笑みの残滓が伺える響きだ。
「私が間違ってたわ」
ダリルは肩を竦めて、にやっとハリーに笑いかけた。あたりを見渡してから、ハリーの耳元へ囁く。「あの人は超のつく陰険よ」
二人で笑いあいながら大広間に入り、パンを口に放り込むダリルとシチューを頬張るハリーは「嫌われ者仲間がいると心強い」と結論づけた。スネイプに怒られるような隙を見せないハーマイオニーと、要領よく立ちまわれるロンには分からない意見だろう。
遅い昼食を大急ぎでやっつけて、図書館へと二人連れ添って歩く。魔法史のレポートについて話していると、不意にハリーが向こうからやってくるハッフルパフ生に手を挙げた。「やあ」と声を掛ける。なるほど、やはり友達が多いのだなあとダリルは思った――しかし相手はハリーへにっこり笑いかけるどころか、まわれ右して遠ざかっていくではないか。ダリルは唖然としたが、ハリーはもっと吃驚していた。「僕、何か変なこと――ああ」ハリーが顔を歪めて、ため息をついた。ダリルもハリーの言わんとすることが理解出来た。
「まわれ右したい人には、させておくと良いわ」
そう言うとハリーはちょっと元気になったらしかった。その瞬間図書室の扉を潜ったのは幸いだった。二人の間に会話がないのが気まずさからくるものか、それともマダム・ピンスを恐れてのものか分からなくなってしまったから。
ロンとハーマイオニーを探して、本の茂る棚を追い越したり、戻ったり、曲がったりしていると、歴史の棚の近くにあるテーブルへロンが突っ伏していた。「ロン、眠いの?」声を掛けると、ロンが体を起こした。手には巻尺がある。レポートの長さを測っていたらしい。
「まさか」ロンが悲劇的に呻いた。「まだ二十センチも足りないなんて……」
ロンが自分の頭を抱え込んだ瞬間、羊皮紙がくるりと丸まった。その直前ダリルはロンの文字が殆ど飴玉と同じ大きさなのに気付いて、クスクス笑った。「君は何センチ?」ロンがダリルを睨んだ。「一メートル五十三センチ」隣にいたハリーがダリルから一歩後ずさった。
「私、実技は駄目なんですもの。こういうもので点を取っておかないと」
「君といい、ハーマイオニーといい、僕の周囲には素ン晴らしいガリ勉様ばっかりで嫌になっちゃうよ」ロンがプリプリした。
「ハーマイオニーは五メートル?」ダリルはロンの隣の隣に掛けた。ロンの隣にはハーマイオニーの鞄が置いてあったのだ。ロンが物欲しそうにハーマイオニーの鞄を見つめた。「一メートル四十センチだってさ、ちぇ、ほんのちょっぴり見せてくれれば良いのに」
ダリルはロンの視線の理由を悟って、また笑った。「私のでも映す?」ロンが嫌そうな顔をした。「バレるから嫌だ」ダリルの変身術のレポートを映して提出したロンはマクゴナガル教授にバッチリ叱られ、ハーマイオニーにすっかり笑われた。一般的な考えを横に縦に膨らませて行くハーマイオニーのレポートと違い、ダリルのレポートは独創的なため、書き方を変えても映したなとバレるのである。
「ハーマイオニーは?」
ハリーがテーブルに自分のレポートを広げながら聞いた。「どっか、そこらへん」ロンは適当な方向を指差した。
「ハーマイオニー、何を調べてるのかしら。私、絶対にレポートを書くために調べ物してるんだと思っていたのよ。それにしちゃ一メートル四十センチはあんまりに短いわ。何か、他の事を考えてるに違いないわ」
「僕も片手間に一メートル四十センチ書けちゃうようになりたいよ。全く、エディット卿が会議に遅刻したからって何なんだ?」
「彼が遅刻して会議を中断したせいで、今に至るまで魔法使いの定義というのは曖昧になっているのよ!」
書棚と書棚の間から顔を覗かせたハーマイオニーが低い声で叫んだ。ロンがレポートにハーマイオニーの台詞をそっくり書き写している。ハリーも同様だった。ダリルは吹き出した。ハーマイオニーはロンが指差した方向の真逆から戻ってくると、椅子の上から鞄を下ろして、ロンとダリルの間に腰掛けた。「ホグワーツの歴史が全部貸し出されてるの!」戦争のはじまりでも告げるかのように憂えた響きだ。
ダリルとロンとハリーはその本を借りられないことが、如何してどんなに彼女を嘆かせるのかサッパリだ。
「どうしてその本を?」ハリーが羊皮紙をくるくる巻きながら問うた。ロンがその手つきを恨めしそうに見ている。ハリーはさっきのハーマイオニーの台詞で一メートルピッタリになったに違いない。
「皆が借りたがってる理由と同じよ」ハーマイオニーはハリーのことをトロールでも見るように見た。「秘密の部屋の伝説を調べたいの」
ロンはレポートを書く手を止めた。「それ、なんなの?」ハリーが俄然興奮してハーマイオニーに聞く。しかしダリルは、そこまで聞いてもピンとこなかった。ミセス・ノリスの事件が起こった場所を通ったことはないし、所詮他人ごとと割り切っていたのだ。
暫しハリーとロンと話しこんでいたハーマイオニーが、はっとダリルを振り向く。
「ダリルは秘密の部屋について、何か知っていない?」
ハリーとロンもダリルに期待の眼差しを注ぐ。ダリルは何故この話を振られたのかさえ理解していなかった。ミセス・ノリスのことは可愛いと思えないし、フィルチのことだって好きじゃない。ハリーとロンとハーマイオニーが巻き込まれているのは事実だが、それだって彼らが犯人ではないのは明白で、そうとなればダリルが無関心を決め込むのも無理はなかった。何よりもダリルが手を下していないとなれば、ヴォルデモートが単独でそれだけのことを行えるとも思えず、ダリルは既に「フィルチを嫌う誰かの嫌がらせ」として決めつけている。だからダリルは何故ハーマイオニーが色々と調べようとしているのか、理解出来なかった。
「秘密の部屋?」
「……マルフォイの奴が言ってた。継承者の敵よ、気をつけろ。次はお前達の番だぞ、穢れた血めって」
きょとんとオウム返ししたダリルに、ロンが躊躇いがちにそう告げる。双子の兄の暴言を聞いたのは、これが初めてだった。きっと皆ダリルが気にしないよう、気を使っていてくれたのだろう。ダリルは深いため息をついた。
ドラコの台詞を知って、ようやっとダリルは“秘密の部屋”と“継承者”が如何言うものなのか理解した。闇のものだ。
「ドラコが言ってた秘密の部屋ってそういう……」
ダリルは無意識のうちにポツンと零した。胸元へ触れる。そこにはルシウスから渡された黒い鍵があり、ドラコが“我が家の秘密の部屋”と呼んだ部屋を訪ねるための術が揺れている。今までは単に家族の内だけで語り継がれてきたものだからと思っていたが、恐らく今回の事件で話題になっている“秘密の部屋”と掛けたものなのだろう。つまりドラコはそれの存在を知っているということで、ルシウスがそれを教えたとすれば、間違いなくその部屋はホグワーツの何処かへ存在することとなる。
「知ってるの!?」
ハーマイオニーがダリルの呟きに顔を輝かせた。反対にダリルの顔が曇る。ちょっと俯いた。
「ええと、ドラコは勿論知ってるでしょうね。お父様はホグワーツに関する事をすっかりドラコに話していたもの」ダリルは真実を答えていると三人に信じてもらえるよう、言葉を連ねた。「お父様は私がホグワーツに行くだなんて全然思ってなかったから、ホグワーツについては何も教えてくれなかったわ。例のあの人のことも、詳しく知ったのはホグワーツに来てからよ」
「嘘だろ? ルシウス・マルフォイは例のあの人の忠実な――」ロンが思わず口を挟んで、ハーマイオニーに耳を引っ張られていた。
ダリルは首を振って、苦笑する。明言する気はなかったが、ロンの言葉を否定しないと態度で示す。
「お父様はちょっと前までは決して私の前で闇の魔術の話を口にしなかったし、ドラコは未だに話そうとしないわ。それに私、この間ドラコがハーマイオニーを罵ったことで怒ったでしょう?」
三人はダリルが自らをスクイブだと宣言し、ドラコを冷たく嘲笑ったのを思いだした。
その時はまだ凄く仲が良かったというではないが、三人ともダリルがグリフィンドール気質であるのだとは十全に理解していた。穏やかで優しく、ユーモアのある少女。それがスリザリンと敵対した時に、冷たく侮蔑の籠った響きを口に出来るとは思っていなかった。
勿論自分達を庇ってくれたダリルを嫌う気は毛頭ないが、それで、三人はダリルがドラコの双子の妹であると気付いたのである。マルフォイ家らしくない性格のダリルだが、その内には間違いなくスリザリン気質の絡んだ暗い血が流れている。
人を拒絶し、畏怖させる種類のものだ。
「それが“そういうもの”なら、聞いても教えてくれないと思うわ」
ダリルが呆れたように口にした台詞に三人は納得した。
恐らく自分達がドラコ・マルフォイと同じ立場だったとしても、ダリルに闇の物を教えようとはしなかっただろう。教えれば教え込むだけ、脅威となって己に返ってくるだろうから――穏やかな顔の下の激情を思い返して、三人は口ごもった。
一方ダリルも三人の異変になど気付けないほど考え込んでいた。先ほどの無関心は全て消え去っていた――ドラコが己に隠し事をしているという事実、そしてこの事件に関わりたいような素振りを見せていること、ダリルはドラコよりも先に事件の全貌について知らなければと強く思った。しかしドラコは勿論、ルシウスに聞いたところで素直には教えてくれないだろう。
それにダリルは自分がこの事件について調べていることを誰かに知られたくないのだ。ダリルは又セドリックに「一人で突っ走って」と言われそうな思考で、様々なことを繰り返し考えていた。
『双子の兄を守るための知識を得る機会を捨てようとするとは、流石グリフィンドール寮生だね。愚かしい』
上手く情報を引き出せる? ダリルはじっと考え込んだ。嘘でも、自分がヘマをしなければ害は出ない……やる価値はある。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS