七年語り – CHAMBER OF SECRETS
26 熱
ヴォルデモートとの逢瀬は毎夜続いているが、あれから会話はない。
黒い部屋で二人は落ち合い、あの小さな部屋に移動する。
木箱に座るヴォルデモートはダリルを無視して本を読みだし、最初こそダリルは突っ立ったままヴォルデモートの挙動を見守っていたものの、二日三日と無視されれば暇になる。ダリルはヴォルデモートの向かいに腰をおろして、「この本を読んで良いですか」と伺うようになった。今は二人で黙々と読書をするだけで、黙って本を読み続けているヴォルデモートには出会った当初の雄弁さがなかった。
ダリルは何故この暴君の下に人が集うのか何となく分かった。アンバランスなのだ。偉大なる大魔法使いともなれば、知恵と同時に思慮深さも兼ね揃えているはずだが、ヴォルデモートにはそれがない。狡猾と思慮は大いに違う。恐らく才能がありすぎたのだろう。
ダリルが四苦八苦しながら、数時間(時計がないので体感だけれど)かけて、やっと三ページ読み終わるか終わらないかというタイミングで、ヴォルデモートが「僕は十三の時にその本を一日で読み終わった」と言った。傲慢な言い草だが、しかし真実なのだと、ダリルは彼の言葉を疑わなかった。彼は同い年の誰より賢かったに違いない。同じ学年の、というわけではなく、古今東西あらゆる偉大な魔法使い達でさえ、同じ十三歳の時に、これほど難解な魔術書を一日で読むことは出来なかったろう。
この傲慢には裏付けがある。思慮が必要ないと思えるほどの才能がある。
ルシウスが跪くだけの人物なのだと、ダリルは目の前で本を読み続けるヴォルデモートに思った。もしも彼がヴォルデモートなのだと知らなければ、ダリルだって心酔したかもしれない。このアンバランスな男の心の置き所になりたいと望んだかもしれない。
『甘やかに人を誘うが、開けることは出来ず、越えることも出来ない。
人は気がついたらこちらからそちらを見ていて、そちら側にいる君はこちらに進もうとしている……』
甘やかに人を誘う男だとは、ダリルにも分かる。それでは“開けることが出来ない”というのは如何言うことだろう。
分かりそうで分からない。それにスリザリンの継承者や秘密の部屋についても分からないままだ。しかしこれだけ傲慢な男がスリザリンの主たる身分を誰かへ譲るとも思えず、十中八九スリザリンの継承者はヴォルデモートなのだろうとダリルは考えていた。
ヴォルデモートが継承者だと言うなら、見張っていれば事を起こせない――否ダリルが抑止出来はしないだろうが、少なくとも犯人は分かるというものだ。そう言う訳でダリルは毎夜きちんと彼を訪ねていたし、昼でもなるたけレディと共に行動していた。
レディことヴォルデモートとの時間が増えたのとは逆に、ハリー達と過ごす時間はかなり減っていた。
彼らは彼らで又何かしらやらかすつもりなのだろう。どちらも無理に距離を置こうとしたではないが、様々な理由から、結果的に疎遠になっている。目的から言えば“上手い具合に”と言うのだろうが、仲を深めるという観点から言えば“噛み合わない”ということだ。
三人は何かコソコソと“破天荒”をやらかすつもりのようだし、ダリルはジニーに掛かりきりだったり、ここ最近放っておいた五人のご機嫌伺い等に忙しい。だからヴォルデモートにハリーの動向を知られないよう等と思うまでもなく、ダリルはハリー達と距離を置いていた。しかし孤独なわけではない。相変わらずハリー・ロンの二人とはスネイプへの愚痴を言い合うし、ハーマイオニーとは勉強の話をする。授業で組むことも多い。ただひと月余り一緒に行動していて、このぐらいの距離感が一番だと四人とも気付いたのだ。
同い年で仲が良いし、四人でいれば男女の比率もピッタリ。笑いどころも重なっていて、好きなものも嫌いなものも似ている。それでも“親友”とまでは行かない。ダリルが一緒にいて一番心安らぐのも、楽しいのも、あの五人だけだ。
尤も秘密を分かち合うのが親友だと言うなら、ダリルには誰も親友がいないのかもしれない。ダリルには秘密が多すぎた。黒い鍵のこと、レディの正体、毎夜見る夢……ダリルに必要なのは自分が秘密を持っていることを許容してくれる相手だ。ハリー達にはそれが出来ない。そう考えて、ダリルはちょっと可笑しくなる。真実を尊び、誠実に焦がれるはずの己が、誰よりも秘密が多いというのは皮肉だ。
それとも秘密と打算に塗れているから、真実と誠実に焦がれるのかもしれない。
ホグワーツには置く事さえ出来ないだろう深い闇の魔術について記された分厚い本を解読しながら、ダリルは“誠実”というものについて考えた。不意に過ぎるセドリックの容貌に、ダリルの頬がにわかに赤くなる。
『君は僕の知りうる人のなかで、一番勇敢だ。――これまでも、これからも、君より勇敢な人は僕の前に現れないだろう』
あんなに素晴らしい人は、実際マダム・ポンフリーの言うとおり二人と存在しないだろう。そんな人がダリルを勇敢だと誉めてくれて――キスのKという頭文字を浮かべた瞬間、ダリルの顔は夕日よりも赤くなった。誠実で、優しくて、賢くて、思慮深く、嘘が下手で、紳士的なセドリック。彼の短所が何かと問われれば、ダリルは「長所が多すぎるところ」としか答えられないだろう。
一方のダリルは欠点だらけである。
そうと気付いて、ダリルの顔から赤みが引いた。スネイプと相対しているときのような、不愉快そうな顔になる。自分は嘘つきで、我儘で、無知で、無謀で、嘘つきで、人への気遣いに欠ける。ダリルが男だったら、まず自分とは付き合わないだろう。友人として付き合ってくれているフレッドやジョージ、リー達でさえ随分と辛抱強いのだなあと思うぐらいだ。こんな自分と、家柄とかルシウスの身分を抜きにして、恋をするとか、結婚をするとか、そんなことを望んでくれる人はいるんだろうか。否、いない。
大体ダリルはなんというか、こう若干浮かれ気味ではあったものの、別にセドリックから告白されたというわけではない。流れというか、何となくというか、そう、ファースト・キスさえしてなかったセドリックのことだ。(ダリルはフレッドとジョージがジニーで遊んでいるのを見た時のような顔つきになった。憤懣やるかたないという顔だ。)ひょっとして、責任を取らなければと無意識下で思ったのではなかろうか。
ダリルは短所だらけだし、セドリックは長所だらけだ。もしセドリックの顔が芳しくないというのなら釣り合いが取れたかもしれないが、ハッキリ言ってハンサムなのだから救われない。まるで釣り合いが取れていないと言うほかないではないか。
悶々と百面相をするダリルをヴォルデモートがじっと見つめていた。一瞬だけ開心術を掛けて見たが、酷く不愉快そうな顔で呪文を終わらせる。惚れた腫れたとかいう話題は彼の最も嫌うものだ。そんな下らない思索によくもまあこれほど夢中になれるものだと、自分をまるで顧みないダリルを鼻で笑い、ヴォルデモートは膝の上のページに視線を戻す。呪術における生命体と物体の違いについて書かれたページだ。以前に読んだ時は読み飛ばしていたその箇所を丁寧に読み、そうして己の持つ知識へ繋げていく。
ダリルが膝の上にある本を読み終わるまで三ヶ月は掛かるだろう等と思考の隅で考えながら、ヴォルデモートは己の思索に耽った。
二人の夜はそうやって静かに過ぎて行き、ダリルが現実へ戻り、ヴォルデモートが眠りに落ちることで朝がくる。
ヴォルデモートとの件が一先ずの落ち着きを見せると、今度はまた新しい問題が降って沸いてきた。尤も降ってきたというよりは、嵐のようにがーっと有無を言わせぬ態度で過ぎて行った。ダリルの自由を許可し続けていたドラコからの、久々の命令である。
来る土曜日に寮対抗のクィディッチの試合があるわけだが、それがドラコの初試合なのだ。そして不運なことに、否幾らか予想はついていたけれども――グリフィンドールとスリザリンの試合なのである。勿論ドラコは自分の初試合に、片割れがグリフィンドール席にいることが許せない。ならダリルがスリザリン席から応援すれば良いのかと言えば、スクイブ宣言によりダリルはスリザリン寮生と険悪な関係に陥っている。押し問答はなかった。ドラコはわざわざグリフィンドール寮の入り口付近でダリルを待ちかまえ、一言こう言った。
『絶対にクィディッチ競技場へ試合を見に来るな』
その一言を口にするまでに、どれだけ悩んだだろう。しかも大嫌いなグリフィンドール寮の近くで、大嫌いなグリフィンドール寮生が自分の目の前を通り過ぎているのを堪えてまで伝えたかったのだと思えば、ダリルは頷く他なかった。
それにクィディッチ競技場に来るなと言われただけで、見るなとまでは言われていない。ダリルは前にハリー達と秘密の部屋について話した、図書室の隅にあるスペースへ行くことにした。チラっと窓から見ただけだが、「こんなところからクィディッチ競技場が見えるのか」と思ったのを思い出したのである。それで土曜日の朝、皆で朝食を取り、フレッドとジョージ、アンジェリーナ、アリシアを励まし、リーを茶化すと、ダリルは玄関ホールから出て行こうとする人ごみに逆らって、図書室を目指した。マダム・ピンスに顔を見られないよう俯いてカウンターの前をやり過ごしてから、ダリルは本の茂る棚を追い越したり、戻ったり、曲がったりして、魔法史の棚を探す。
前はロンとハーマイオニーを探していたから手間取ったが、今日はすぐに「二十世紀の魔法大事件」という無駄に豪華な背表紙を見つけられた。絶対にここは穴場――尤も校内から見ようと考える人がいないからなのだが――だと、期待に胸を膨らませながら棚を曲がると、先客がいた。しかしダリルはちっともガッカリしなかった。それどころかぱっと顔に笑みを浮かべて、出窓の外を眺める背に飛びついた。
「セドリック!」
望遠鏡を覗きこんでいるセドリックが、ぎょっとした顔で振り向く。「近くを見るのに望遠鏡は不要じゃあない?」ダリルが首を傾げると、ようやっとセドリックが望遠鏡から顔を離した。
「ダリル……何でここに?」セドリックもここが穴場であると信じ切っていたらしい。吃驚した顔でダリルに問うた。
「ドラコから見に来ないでくれって言われたの――ほら、私が行くとしたら、やっぱりグリフィンドール席からになるでしょう」
そう言うとセドリックが笑った。「なるほどね。良いお兄さんじゃないか」ドラコとの関係について詳しく説明した覚えも、今自分がスリザリン寮と如何言う関係にあるか詳しく説明した覚えもないのだが、セドリックは常にダリルのことをよく分かっている。
ダリルはちょっと口を尖らせて、セドリックの望遠鏡を奪い取った。望遠鏡を覗きこむと、ジョージがハリーの横をビュンと飛び去って行くのが見える。ダリルはセドリックの望遠鏡で試合展開を見ながら、「セドリックは如何して見に行かないの?」と聞いた。
自分の腕にしがみ付きながら夢中で望遠鏡を覗きこむダリルに苦笑を浮かべ、セドリックがダリルの頭を撫ぜる。
「見に行くと、場の空気に呑まれてしまうというか……変に緊張しちゃってね。あの歓声のなかで飛ぶんだなあと思うと、つい」
セドリックはポロリと零した台詞に我ながら気が弱いなあと呆れたり、ダリルに呆れられるのではと、ふと悔やんだ。望遠鏡から顔を離したダリルがセドリックをじっと見つめている。目が合うと、ダリルが微笑んだ。
「貴方らしいわね」
蕩けそうな笑みでクスクスと笑って、セドリックの手に望遠鏡を握らせる。「私もしなきゃいけない! って思うと凄く緊張するの。だってそういう時って大抵自分が失敗したら、自分じゃない人に迷惑がかかるのよ。だから、私、そういう時は本番になるまで忘れちゃうの」背伸びをしてセドリックの耳元に悪戯っぽく囁く。「それで、本番まで何の準備も練習もしないから失敗するのよね」
ダリルが重々しく――尚且つ全く悪びれずに言うので、セドリックは吹き出してしまった。
人を笑わせることに成功したということで、ダリルは晴ればれとした顔をしていた。誉めてほしそうにしているので、その頭を撫でる。何もダリルが子猫に似ているのはその奔放さだけではない。己を撫でる手のひらにぐーっと頭を押し付けるような、変な力の入れ方をするのが子猫を撫でた時の感覚と同じになるのだった。首が折れるのではないかと、人を不安にさせる癖だ。
首に巻いている包帯はその癖に寄るものなのかもとチラっと考えては、それに触れることが出来ないまま一週間ほどが過ぎている。しかしダリルに聞きたいのは、何も首の包帯に関することだけではない――セドリックは今度ダリルに会ったらいの一番に釈明しなくてはと思うほどに自分を悩ませた問題を思い出した。「やっぱり望遠鏡がないとよく見えないわね。でも望遠鏡があっても一点しか見えなくて、見づらいわ。やっぱり競技場が一番ね」と呑気にクィディッチ観戦をしているダリルに、セドリックがたどたどしい言い訳を始める。
「その、アレン達の送った手紙のこと……」何の話かよくわからないダリルが、きょとんとセドリックを見上げる。セドリックは狼狽しきっていて、ダリルが自分の話についてきていないのに気付いていない。「あれ、気にしないでくれる? 奴ら、ちょっと勘違いしてるんだ」
アレンというのはセドリックの友人の一人だ。他にジョンとデイビットがおり、彼らは皆一様にダリルとセドリックが付き合っているのだと思っている。セドリックは散々否定して回ったが、どの道自分がダリルを好きなのは真実であり、向こうもセドリックをその他大勢とは思っていないことが事実である以上、完全に打ち消すことは不可能だった。おかげでここ一週間、セドリックは彼らに弄ばれっぱなしだ。
しかしダリルはセドリックの狼狽もどこ吹く風で、「ああ」と淡泊な相槌と共に残酷な返事を口にした。
「気にしてないわ」
勿論付き合っていないのは事実だし、恋人ではないとハッキリ否定されてもいるが、少しは「傍から見るとそう見えるのかしら」とか「セドリックの友達って気が早いのね」とか、こちらに気を持たせるような返事を貰える関係であるとセドリックは思っていた。
ひょっとして浮かれているのは自分だけで、ダリルにとっては結局“その他大勢”なのだろうか。
セドリックがクィディッチ観戦どころではなくなっている隣で、ダリルもまたクィディッチ観戦に集中出来なくなっていた。夢の中で悶々と考えた事を脳内で繰り返す。ダリルの出した結論というのは、こうだ。自分が欠点一つない素晴らしい女性になるまで、まずセドリックとは付き合わない。勿論そうなるまでにセドリックが別の女性と付き合っていることもあるだろうが、恋愛というのは自由だ。きっと素晴らしい女性になったら、セドリックもダリルと付き合いたいとか何とか思って、恋人に別れを切り出してくれるだろう。セドリックの恋人も、勿論セドリックという素晴らしい男性と別れるのを渋るに決まっているが、素晴らしい女性(賢くて優しくて素直で人への気遣いに長けていて人望があり、更にナイスボディ)に成長したダリルを見て身を引いてくれるはずだ。勿論素晴らしい女性に成長したダリルは全ての問題を解決してしまう。ヴォルデモートはアズカバンにでも突っ込んでおけばいいだろう。本でも与えておけば大人しくしているはずだ。
完璧だとダリルは思った。これで問題はただ一つ、どうやったらそんな風に成長できるかという一点のみとなる。
唐突にウットリした視線で虚空を見つめ出すダリルに、セドリックは拗ねた響きを口にした。
「僕が他の女の子といるのも、気にしてない?」
素晴らしい女性に成長した自分の顔をハーマイオニーやジニーやアンジェリーナに当てはめていたダリルが、セドリックの言葉に慌てて我に返る。「あの、その」見上げた先でセドリックは真剣な顔をしていて、流石のダリルも自分の妄想を口にしようとは思わなかった。丸きり冗談というわけではないが、しかし逃避の一種ではあると自覚している。
「……貴方は誠実な人ですもの」
何と言えば、セドリックの誠実さに応えられるのか考えた結果、もう幾度もセドリックに繰り返した台詞が口をついて出てくる。ダリルはちょっと赤面した。今の自分の台詞が「貴方は誠実だけど自分はそうじゃない」という言い訳のように聞こえたのだ。
ダリルはふいっとセドリックから視線を逸らして、背を向ける。遥か彼方で湧いた歓声が、二人の沈黙を柔らに乱した。
「それに、ほら」もごもごと、歯切れの悪い口調。「……私、貴方の恋人ってわけじゃないでしょう?」
ダリルの背後で、セドリックは「何を今さら」と言いたげな顔をしていた。ダリルが周囲と如何言う関係を築いているかは難なく察することが出来るセドリックだが、対象が自分となると、何も分からなくなってしまう。どんな破天荒を口にしても不思議はない気がするし、他人、友達、親友――恋人、ダリルが自分との関係を如何思っていても自然なように思えた。
ただ一つ確かなことはダリルが懸命に自分へ何か伝えようとしてくれるのがこそばゆく、愛しいというそれだけだ。
「だから、ね? 貴方の行動とかを制限したいって思うのは凄く我儘だわ。第一貴方ってハンサムで、賢くて、しかもシーカーじゃない」ダリルは顔を赤くして喋り続ける。「それに凄く優しいし、誠実で、きちんとしてて、紳士的で、ハンサムで、人の事を気遣えて、凄く優しいもの」セドリックの顔も赤くなってきた。勿論誉められることには慣れているが、揶揄も妬みもない称賛というのは滅多に受けるものではない。何よりも、それを口にしているのはダリルなのだ。セドリックはダリルの顔が見たいなと思った。プラチナ・ブロンドの隙間から覗く耳が赤い。どんな顔で自分の事を口にしているのだろうと思えば、セドリックは先の落胆をすっかり忘れてしまった。
ダリルは言いたいことが上手く言えないもどかしさと、理由のわからない羞恥心とに翻弄されている。叶うなら――もう少しセドリックと一緒にいたいと思ってさえいなければ、今すぐこの場から走り去ってしまいたかった。
「皆が貴方と喋りたいって思うのは当然よ。そうしたら、ほら、そういうものよ?」
段々と泣きそうに潤んできたダリルの声を聞いて、セドリックにちょっとした悪戯心が芽生えてきた。
「そういうって、如何いうこと?」
緩む口元を手で覆って、なるたけ真剣に聞こえるよう聞き返す。
本当はダリルが何を言いたいのか、セドリックにはもう分かっていた。
ダリルは別にセドリックを“その他大勢”と思っているわけではなく、そうでないからこそ“その他大勢”だと思っているように自制していただけなのだと言いたいのだろう。その理由が、自分がセドリックに釣り合わないからなのだと言い、自分よりも素敵な女の子が沢山いるから、自分にはセドリックの行動を制限したり、表立って嫉妬する資格がないと言うのだ。
一体どんな思考回路をしていればそんなことを思うのだろう。セドリックはダリルのことを自分の知るなかで誰よりも勇敢だと言った。あれはセドリックなりの、精一杯の求愛と尊敬を込めたもので、それを受けておいて、何を不安に思う事があるのか。
「だから、もう!」ダリルが振り向き、トロールへ変身術でも教えているかのように気難しい顔でセドリックを見上げた。ただ、トロールと相対するにしては可愛らしすぎる表情だとセドリックは思った。まだ頬は赤く、瞳は涙で潤んでいる。
「例えばね!」ダリルがとんとセドリックの胸に指を付きつけた。「すっごーく可愛くて、すごーく心優しくて、頭が良くて、スポーツ万能で、一杯友達がいて、」小さく胸が大きくてと付け足したのをセドリックはきちんと聞いていた。
「そんな女の子が貴方のことを好きだって言ったら、セドリックも好きって思うのって凄く自然だわ」
ちょっと前まで怒っていたのに、そう口にし終えた時にはションボリしていた。飼い主に叱られた子犬でも、ここまで悲しそうではない。
セドリックは出窓に望遠鏡を置ろすと、ダリルを抱き上げた。そのまま出窓に腰掛けさせる。
「そうだね」
ぱちぱちと瞬くダリルの瞳が、セドリックの顔を見つめている。
ダリルは窓の高さを確認すると、セドリックの胸――セーターをぎゅっと掴んだ。「セドリック、」怖いから下りたい。そう言いたげに眉尻を下げるダリルの腰に、セドリックの腕が回される。安堵に緩んだ表情が朱に染まる。
「凄く可愛くて、凄く要領が悪くて、ちょっと我儘で、運動神経が切れてて、友達が一ケタしかいない子に好きだって言われたら」セドリックはふるふると震えだしたダリルの髪を梳いて、そのひと房に口づける。「好きって思うかもしれない」
セドリックは穏やかな灰の視線をダリルに注いだ。
「君が望んでくれるなら、僕はいつでも君に行動を制限されて構わないよ」
懸命な求愛行動だったにも関わらず、ダリルはぶんぶんと首を振った。「あの、その、ええと」狼狽しきった言い訳がポロポロと零れる。「だって」ダリルは何を言えば良いのか、もう全く分からないで居た。
そもそもダリルが望んでいたのは“きちんとした”恋愛で、兎に角雰囲気に流されてはいけないという、それだけがダリルの頭の中にあった。今の自分では“きちんとした”恋愛が出来ない。黒い鍵のことも、レディの正体も、何もセドリックには言えない。秘密のある恋愛はしたくない。セドリックは多分ダリルに嘘を吐かないし、隠し事もしないだろう。ダリルはする。今のダリルは、このままセドリックに応えようとしたら、絶対に嘘を吐くし、隠し事もする。まさかセドリックに「これがヴォルデモートです」と紹介出来るはずもない。
ダリルの思考回路はパンク寸前だった。否、パンクしていた。
「まだ、何もしてないから」
我ながら訳の分からない言い訳だとダリルは思った。自分の口が勝手に紡いだ台詞を聞きながら、如何して自分はいつも考えを纏めるのを放棄して、その断片だけをポンポン口にしてしまうのだろうと悔いる。もう自室に戻りたいと思ったが、目の前にはセドリックがいて、セドリックをどかさないと降りられない。それに「どいて」と言っても断わられるだろうし、ダリルも、降りたくなかった。
矛盾する思考に目を回しながら、ダリルはこの場を上手くやり過ごせる――どうなれば上手くやり過ごせたということになるかすら分からないのだが――台詞が出てこないか、言葉を続ける。そう、まずは自分がセドリックの行動を制限してはいけないのだとセドリックに分からせなければならない。とりあえずの目標が定まり、ダリルがキッとセドリックを睨む。睨んだものの、セドリックがにっこり笑っているので、ダリルは俯いた。「セドリックは、その、好きにしてていいの。可愛い女の子のことが好きになったら、その子とちゃんと付き合って?」人を納得させようとするにはあまりに弱々しすぎる口調だ。尤もキッパリ言いきったところでセドリックは納得しなかっただろう。
「その子がイエスって言ってくれない場合は?」
「そうじゃなくて」
セドリックがダリルをからかおうとするので、ダリルは不機嫌そうな声を出した。しかしご機嫌でないのはセドリックも一緒だ。何故好いている相手から「私以外の女の子と付き合って良いのよ!」などと浮気の許可を出されなければならないのだろう。
セドリックが好きで、付き合いたいと思っているのはダリル一人だし、ダリルにもきちんとそれを分かってもらいたい。二人の話しあいは平行線を辿ろうとしていた。ダリルは「自分には短所が多くてセドリックに釣り合わない」とセドリックに理解させたいのだし、セドリックは「その短所の多さが好きなのだ」とダリルに理解させたい。どちらかと言えば問題はダリルのほうだった。類まれなる美貌と、一度見たら愛さずにはいられないだろう笑みを浮かべて、如何して自分に釣り合わないなどと言えるのかセドリックには理解出来なかった。大体セドリックはダリルの意見を踏まえた主張をしているにも関わらず、ダリルはそれをはねつけているのだ。
参考のために読んだ恋愛小説でもセドリックほど多くの求愛はしていなかったし、女の子を落とす丸秘テクニックとかいう本に載っていた口説き文句はもう疾うに使いきっている。そもそもセドリックが色々と人から聞いたり本で読んだりした限り、恋愛というのはその場の雰囲気にズルズル流されていくもので、役所の手続きのようにきちんと出来ないのは当然なのだ。
ダリルも少しは恋愛について学ぶべきだろう。セドリックはそんなことを思いながら、嫌々を続けるダリルへ諭すような言葉を口にした。
「君は、僕が誰か知らない女の子と付き合っても全然平気?」セドリックはすっかり諦めきっていた。ダリルが恋愛をするには幼すぎるのかもしれないとか、それはつまりあと何年待てば良いのだろうとか、待っている内にダリルが適当な男と付き合いだすのではとか、いつもの奔放さで「セドリック、私、恋人が出来たの。セドリックも早く恋人作りなさいよ!」と全く悪びれずに告げるダリルの姿を想像するあまり、ダリルがセドリックの台詞へ顔を強張らせたのに気付かなかった。「君にするみたいに、触れたり、優しくしても――」
「駄目!」
ダリルが叫んだ。己の声の大きさに気付くと、慌てて口を手で塞ぐ。セドリックはぽかんとした。だめ? 何が、だめなのだろう。ダリルの拒絶の意味が理解出来ず、無言になる。ダリルはそわそわとあたりを見渡し、そうして数十秒の沈黙を確認してから、泣きそうな顔でセドリックの胸に縋りついた。「だ、だって、駄目。ね? 駄目、だめ」押し殺した声だ。
セドリックの頭が、じわりと、ダリルの熱が沁み込む速度で、拒絶の意味を理解し始めた。
口元を手で覆い隠したセドリックが、そっぽを向く。
「今までだってずーっとセドリック、ハンサムで賢くって素敵だったのに、私がするまで誰もしなかったわ。だから、駄目よ! 私が」
ダリルの顔が見れない。ダリルはそれをセドリックが怒っているのだと勘違いし、困惑と狼狽と後悔から、ブルーグレイの瞳に涙が貯まる。ぽろぽろと零れた。「ご、ごめんなさい。でも、だって」ダリルがセドリックのセーターを掴む手を一つ離して、目元をこする。
「……私が責任取るのよ。他の子じゃないわ。私が、キス、したわ」
子供の駄々のような台詞だった。全くもってそれは幼稚な求愛と言えたが、セドリックには何よりのものに聞こえた。
実際問題ダリルへ想いを寄せるのは、その年齢が幼いというだけではなく、彼女の卑屈な性格や、家庭環境からも厄介だ。ダリルのホグワーツでの生活が初め困難だったのと同じように、ダリルの家名が有益になるのはごく小さなコミュニティでだけだった。つまり例のあの人の支持者が多い、純血を崇拝する人々の間でだけなのだ。その他では寧ろダリルの家名は喜ばれない。
自分がダリルと付き合いだし、両親に紹介したとして、まず父親は嫌そうな顔をするだろう。ルシウス・マルフォイの無罪が決まった時にあれだけ嫌がっていたのだから、手を打って喜ぶとは程遠い反応をするだろうことは想像に容易い。母親とて、ダリルの伯母の手によって友人を失っている。それを考えれば、ダリルが恋愛へ慎重になるのは仕方のないことだった。
ダリルがしたわけではない。それでもダリルはそういう人々によって育てられた。悪しきものではないかと疑うのも尤もだろう。もしくは自分の大事なものが傷つけられたと一族郎党恨んでしまうのも、何ら人として可笑しなことではない。
セドリックが初めて耳にした罪人の名前はベラトリックス・レストレンジ、ダリルの母方の伯母だ。悪魔のような女なのだろうと思った彼女の姪が、どうしてこんなにも無垢なのだろうと不思議になる。そうしてすぐに大事に育てられたのだと、答えが出てきた。
ひたむきで、全身で愛して欲しいと望む少女へ誰が邪悪を教えられるだろう。彼女に一度愛されたなら、彼女を冷たくあしらえるはずなどない。そこまで考えてセドリックが赤面したのは、何もダリルが己を想っていることに気付いたからではない。
「私のだもん」ダリルがすんすん嗚咽を洩らしながら呟いた。
自分の腕のなかで、自分の所有権を主張する少女が堪らなく愛しかった。好きなのだと強く実感する。何年待つことになろうと、ダリルが自分以外の男と付き合おうと、好きでいることしか出来ないのだ。セドリックはフレッドとジョージを恨むべきか、感謝するべきか、全く分からなくなってしまった。あの日二人がセドリックを悪戯のターゲットに選んで、ダリルが自分に舌を突き出した瞬間に何もかも決まってしまった気がする。セドリックはダリルの腰に回した腕でダリルを引きよせ、きつく抱きしめた。
「セドリック」胸のなかでくぐもった声が自分を呼ぶ。
「待つよ」ダリルが自分と恋が出来ると思うまで、きちんとした恋愛が出来ると思うまで、待つだろう。「……待つのは得意だから」そう言う自分が酷く健気に聞こえて、セドリックはちょっと笑ってしまった。拘束を緩めて、ダリルの顔を見る。
「私ね、よくわからないの」
ダリルは真剣な顔でセドリックを見上げていた。
「セドリックのこと、目で追ってしまって、目が合うと、なんだか凄く恥ずかしくて、その、セドリックが私以外の女の子といると、なんだかちょっと誇らしくなって、それで、セドリックに触れられると、その、胸が熱くなるの。恥ずかしいし、頭のなかがぐちゃぐちゃになって」ダリルは眉尻を下げた。「だから、私、私……ちょっと距離をおきましょう? 私、きちんとしたいの」
ダリルは自分が今何を言ったか、きちんと理解しているのだろうか。それで「分かった、距離を置こう」などと言える男がいたら、どんな間抜けだと顔を見てみたいものだ。距離など置けるわけがない。何だかんだ言って自分に好かれている自覚はあるのだなとか、それより何より、ダリルが困った顔で「セドリックに触れられると胸が熱くなるの」と言っているのが可愛くて堪らない。それ以外頭に残らない。
「……僕はもっと君に触れたい」セドリックが口にすると、ダリルは不服そうな顔をした。それすら可愛い。
普段ツンとしているか、無邪気にしているかで、子猫のように健全な愛らしさを放つダリルが自分の前でだけ艶めかしい言葉を口にし、それに戸惑っているというのは例えようがないほどセドリックを魅了した。
「ごめん、ちょっと、さっきの聞かなかったことにしてくれる?」
何の話だときょとんとしたダリルの唇に己のものを重ねる。ぴくりとダリルの肩が跳ねた。突然の口づけを受けて、ダリルの眉が切なげに寄る。セドリックはちゅ、と音を立ててダリルの唇を吸った。ダリルは顔を真っ赤にして、ブルーグレイの瞳を閉じた。そっとダリルもセドリックの唇を舐める。『こういうものではないの?』セドリックは眉を寄せたが、ダリルは勿論気付かない。
この少女の唇へ自分より先に触れたものがいるのだとセドリックは思い返し、ダリルをきつく抱きしめた。ダリルは今自分の腕の中にいて、ダリルもそれを望んでくれている。不安になることは何もないと思ったが、ふっと自分の腕からすり抜けていってしまいそうで、セドリックの胸に焦燥感と不安とが沸いた。ダリルの唇を割り、たどたどしい舌づかいで歯列を舐めあげる。ダリルが苦しそうにしていたが、セドリックは友人から見せられたディープキスの仕方について書いた本の文章を思い出すのに必死だったし、ここまでして止めれるほど紳士ではない。セドリック。ダリルの声が舌の上でくぐもり、頭のなかに直接響く。セドリックはダリルの舌を舐めた。ダリルの体が強張ったが、背をなぜると、ゆるゆるとセドリックの舌に己の舌を絡めてくれる。セドリックもそれを拙い動きでなぞった。ちゅく、水音が頭の芯を熱くする。ふーっとダリルの息が鼻を掠めていく。華奢な体で、セドリックの求めに応えようとしていた。
『セドリックに触れられると胸が熱くなるの。恥ずかしいし、頭のなかがぐちゃぐちゃになって、だから、私、私……』
先の台詞を思い出して、セドリックの思考が熱に満たされる。背を撫でていた手で腰をなぞる。乱暴に扱ったら壊れてしまいそうだった。背から腰へ、腰から足へ、ゆっくりと手を下に滑らせていく。スカートに覆われたふとももを撫ぜていると、不意に柔らかなものに触れる。チラと視線を動かすと、普段は膝丈まであるスカートが座っていることで多少捲れているらしい。絹よりも滑らかで、手に吸い付くようにしっとりしていて、温かい。ダリルの顔が一層赤くなり、もぞりと身動ぎした。唇が離れる。
銀の糸がキラと二人を繋ぎ、じわりと途切れた。
「セドリック」ダリルが子供を叱りつけるような声で、セドリックを咎めようとした。
口づけが終わってもまだセドリックはダリルのふとももを撫ぜていた。自分と同じ皮膚とは思えないほどに手触りが良い。セドリックの無骨な指がダリルの肌をなぞるように触れている。「だ、だめ」ふるりと、ダリルの体が震えた。
「――可愛い」セドリックが微笑むとダリルがちょっと怒ったような顔をした。
「っそ、うじゃ、なくて……!」
戸惑いと羞恥をかなぐり捨てて説教を始めようとした唇へ、セドリックは啄むようなキスをする。ダリルが黙った。
「もう少し、君に触れていたいな」
ダリルの思考回路はパンクしていて使い物にならない。友達(自分とセドリックの公式な関係はそう言うべきものだとダリルは思っていた)はスカートのなかに手を入れないとか、ダリルがそれどころでないのを良い事にセドリックは話を進めていく。「大丈夫だから」セドリックが全く保証のない励ましを幾度か繰り返すと、ダリルもぽーっとしてきて、そうかなと納得してしまった。
セドリックはダリルの素肌をなぞる手を上へやり、ゆっくり撫ぜる。ダリルは何か考えているのか、恥ずかしいのか、貝のように黙り込んでいたが、セドリックの指が己の足の付け根に至ると口を開いた。「だ、め」力なく頭を振る。
駄目だと主張している割に激しい抵抗は見せようとしない。
「友達は、足とか、触らないわ」ちょっとまともに動くようになった思考回路で、ダリルが尤もなことを言う。しかしセドリックにとっては破綻した理論だ。セドリックはダリルが好きで、ダリルもそれを嫌ではないと思っているのなら、触って良いんじゃなかろうか。
「友達を止めたがってる友達は、触りたいと思ってるんだけど」
「と、もだちだから……まだ」
触れられているところから自分のものではない熱がじんと伝わってくる。それがセドリックの温度なのだと理解すれば、また思考が爆発しそうになった。否、爆発しすぎて、もう訳が分からなくなっているのかもしれない。
「ダリルは僕のこと、異性的に好き?」狼狽しきってるダリルに、このまま押したら行けるのではないかと考え、セドリックが結論を迫る。
「ふっ……ぁや、あ」ダリルが横に首をふった。「だめ」嫌々と駄々をこねるように拒絶を口遊み続ける。
「……それを聞くと、僕も頭が熱くなるんだけど」
セドリックはセドリックで、そろそろハッキリ、駄目なら駄目でピシャリと言ってほしいような気がした。生殺しに近い。
「今は、やだ。答えたくない」ダリルがセドリックを責めるような響きを紡ぐ。「待つって、言ったのに……セドリック、の、嘘つき」
ダリルは己がセドリックを誘ったなどとは微塵も考えていないらしい。セドリックはセドリックでダリルにあんなことを言われるとは思ってなかったから、不意をつかれた形となったものの、ダリルは、もう少し自分の発言に責任を持つべきだろう。
そうは思っても咎めることは出来ない。セドリックはダリルに不意をつかれるのが好きなのだ。セドリックは、賢くて優しくて素直で人への気遣いに長けていて人望があり、ナイスボディな女の子には興味がない。コロコロと表情を変えて、笑って、自分を心配させるような無謀を試みて、それで自分の手を引っ張ることを躊躇わない――そんな女の子だからセドリックはダリルに惹かれた。
自分にないものを持っているから焦がれるのだとセドリックは分かっている。
いつも自分の事を誠実だ誠実だと言って憚らないダリルが、初めて自分を嘘つきと呼んだことへ、セドリックは苦笑した。
「僕は天使じゃないからね。嘘もつくし、嫉妬もするよ。それに、君が思ってるほど優しくもない」
賢くて、優しくて、素直で、人望があって、スポーツ万能。誉められることに慣れていて、妬まれることにも慣れているセドリック。一体どこに欠点があるのだと笑う人々のなかで、それでも劣等感はあった。そして、その劣等感は絶対に知られたくないと思っている相手の前で零れおちてしまう。優しい両親、尊敬するダンブルドア校長、自分に恋してほしいと望んだダリル、いつだって自分の事を完璧なのだと思っていてほしい相手の前で、セドリックは弱い自分を自覚する。言わなくても良いのにという弱音が口をつく。
また失敗してしまったなと思って眉を潜めたセドリックの唇に柔らかなものが触れた。
ダリルがセドリックにキスをした唇でにっこり笑う。
「――うそをついても、嫉妬をしても、意地悪でも――貴方は、私の天使なのよ」
当たり前のことでも言うようにダリルはさらりと口にした。そうまで言われれば、紳士に戻るほかない。セドリックはダリルの足に触れていた手で、自分の額を押さえた。そっぽを向く。「嫌だな、もう」ダリルに触れていた時よりも顔が赤い。
ダリルはもう艶めかしさのない瞳で、きょとんとセドリックを見つめている。何故セドリックが冷めたのか分かっていないのだ。
「年下の女の子に、手玉に取られてる」セドリックが呻いた。
些細な一言でドキドキして、がっかりしたり、躊躇ったり、思考が熱に支配されたり、それはなんというか、セドリックが恋愛に望んできた姿ではない気がした。情けない。本当はもっと大人っぽく自制したり、見守ったりしたいのに、ダリルを前にすると余裕がなくなる。
「君のことが好きだよ。目が合う度にドキドキしてるし、君が僕じゃない男の隣でニコニコしてると嫌な気持ちになる。可愛いなあっていつも思ってる。触りたい。キスしたい。君と一緒の寮だったらっていつも考えてて、赤毛の女の子にまで嫉妬してた」
「私、セドリックのこと、いつも探してるわ」
セドリックの真摯な告白を受けて、ダリルもゆっくりと愛を紡ぐ。「目が合うと、自分が自分じゃないみたいで、キスも、なんだか思い出す度にふわふわした気持ちになるの。何でもない台詞なのに、セドリックから言われると、凄く、その」特別に聞こえて、嬉しくなる――そう続けることは出来なかった。セドリックの手がダリルの口を塞いだのだ。
「黙って」そう懇願するセドリックの顔は赤くて、まっすぐにダリルを見てくれない。「ちょっと、黙ってて」
ダリルがこっくり頷くと、セドリックが手を離してくれた。沈黙が広がる。ダリルは自分の熱が静まって行くのに、なんだか惜しいような気持ちになっていた。さっき、何でセドリックはダリルに触るのを止めてしまったのだろう。自分が何かセドリックの不興を買ったのだろうかとダリルは不安になった。嫌われたくないし、それに、もう少しダリルもセドリックに触られていたかった。
自分から触ろうかなとか、でもセドリックはズボンを履いているから、触るとしたら首元からかなとか、ちょっとはしたないかなとか、色々と考え込んでいると、「ダリル」セドリックの穏やかな声が降ってきた。
灰色の瞳が自分を真っ直ぐに見ていてくれて、ダリルは嬉しくなった。花が綻ぶよりも華やいだ表情で見上げて、見つめ返す。
「ハッフルパフとグリフィンドールの試合、ハッフルパフの席で見てくれる?」
互いに答えは分かっていた。ダリルは全く破天荒なところのない返事を零す。「そう、したいわ」
スリザリンとハッフルパフの試合を自分達側で見てくれとはまだ望まないし、そして応えることも出来ない。
徐々に進めて行けば良いのだと二人は思った。
「今学期中に、応えるわ」
ダリルはセドリックの瞳に映る己を見つめながら誓った。「学期末までに、何の秘密もないようにするから……」
「ゆっくりで良いよ」
セドリックはダリルをからかうように笑ったが、ダリルはセドリックに応えたくて堪らなかった。
自分はこの人が好きなのだとダリルははっきり自覚した。
セドリックのことを一番に想えれば、きっと自分は幸せになれる。セドリックが隣にいてくれれば、勘当されることになろうとも生きて行けるだろう。幸福になりたい。ダリルはセドリックの腕の中で強く思った。恋がしたい。友達が欲しい。光のなかで暮らしたい。
闇の中には戻らない。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS