七年語りLULL BEFORE THE STORM
12 霧の向こう

 

 学校を出るなりハーマイオニーは腕時計へ視線を滑らせて「さ、バスに乗りましょう」などと言ったが、ダリルは頷かなかった。

 ルシウス達が戻ってくるのは夜なのだし、マグルの街中まで来て置いて、昼食を食べずに真っ直ぐ帰るというのは勿体な過ぎる。マグルが食べるというファストフードの店に行ってみたい。ディーン・トーマスに植え付けられた知識をフルに使って駄々を捏ねるダリルに、結局ハーマイオニーが折れた。勿論ハーマイオニー曰く「トロールとのデート以上に気乗りのしない散策」を素直に受け容れたわけではない。ハーマイオニーの出した折衷案は「私の家でママが作ったご飯を食べましょう」だった。折衷案とは言うものの、ダリルは不満に思うどころか、全く以てそれは素晴らしい提案だと思った。確かにマグルの街は魅力的だが、ダリルが何か厄介をやらかすのではないかとハラハラするハーマイオニーを連れてとなれば、ダリルだって楽しくない。マグルの家に行けて、それがハーマイオニーの家で、ハーマイオニーの母親が作った食事を食べながらマグルに聞かれるか冷や冷やしない会話が出来ると言うなら、そっちのほうがずっと楽しいに決まっている。そう言う訳でハーマイオニーはダリルを家へ招く事になった。

 ハーマイオニーの通っていた学校からハーマイオニーの家はそう離れていない。しかし一人で黙々と歩いていたからこそ“すぐ”だったものの、二人でお喋りしながらのんびり歩いていれば結構時間がかかるかもしれないとハーマイオニーは思った。それに何か物珍しいものを見る度に立ち止まるダリルを引きずらなければならない。ハーマイオニーの心配を余所に、二人は割とスムーズに進んでいた。いい加減通り過ぎざまに何十軒と家屋を見掛けていれば、マグルの使う建物と魔法族の使う建物の種類が全く異なることにも慣れるというものだ。ここにきてやっとダリルは「あれは何? これは何?」とやたらめたら疑問を口にするのに飽きたのである。
「マグルの建物は健全で、日光の入りやすい構造をしているのね」
 ダリルがそう言うと、ハーマイオニーはマルフォイ邸の構造に好奇心を擽られたらしかった。
「ダイアゴン横丁の建物は私達の使う建物とそんなに違ってないけど――ちょっと古いぐらいで。貴女の家はどういう風なの?」
「石造りで、マグルの使うような蛍火? というのがないでしょう。人がいないところは薄暗くて、じめっとしてるわ」
「蛍光灯よ」ダリルの誤った知識をハーマイオニーが訂正する。
 ハーマイオニーは蛍光灯に明かりが着く仕組みを説明しようと口を開いたが、話す前からダリルが首を傾げているので、止めることにした。「まあ、そうね。そういうのはホグワーツでも一緒ね。湖が近いからか、地下牢なんか行くとじめっとしてるし」
「私の家も湖が近いのよ」人差し指を宙に向けて、くるりと回す。「周りは森で、馬車の覗き窓から見るといつも霧に覆われているわ。きっと、マグル避けの一種ね」
 ダリルが両手の指に余るほどしか見たことのない光景を口にすると、ハーマイオニーが顰めつらをした。
「それ、きっとマグル避け呪文のなかでも悪質な奴だわ。まさかヒンキーパンクか何かその森にいるなんてことないわよね」
 ルシウスのことだから、魔法生物の保護とか何とか言って周りに住まわせている可能性は高い。何と言うべきか迷って、ダリルはちょっと眉を顰めた。今まで考えた事もなかったが、ひょっとすると自分達の邸がある森で行方不明になるマグルは多いのかもしれない。
 ハーマイオニーは曖昧な笑みを浮かべるダリルをじっとり睨んでいたが、やがて深いため息をついて、視線を和らげた。
「貴女、卒業したら家を出たほうが良いわよ」
 暗にいつまで父親の支配下にいるつもりだと言われて、ダリルがたじろぐ。今までマグルに対して無関心だった己のことを思って正直な台詞を返せなかっただけなのだが、ハーマイオニーにはダリルがルシウスを庇って黙しているように見えたらしい。実際彼らを庇う気持ちがないわけでもないから、ダリルは苦笑するほかなかった。
「家族の事を大事に思ってることは勿論知ってるけど、一緒にいて貴女が我慢しなけりゃならなかったり、黙ってなきゃいけないって言うの間違ってると思うわ。貴女自身の自立心へ圧力を掛けるのが親のすることなの? それに――」
「あっ」説教モードに入りかけたハーマイオニーを制して、ダリルは適当な家を指す。
「歩いて十五分って言ったわよね。そろそろ着いたんじゃないかしら? ハーマイオニーの家はあそこ?」
「その三つ隣よ」
 どうやらあながち見当違いというわけでもないようだ。ハーマイオニーは説教を中断して、鞄のなかを漁りだした。

 ハーマイオニーの家というのも、やはり健全な建物だった。通りに並ぶ家と殆ど同じ外見だが、庭の樹木が綺麗に整えられ、玄関先に余分な物が何一つ置いていないのがやはりハーマイオニーの家らしかった。去年の夏に僅か見た限りでは如何言う人々か分からなかったものの、恐らくハーマイオニーの親らしくきっちりしているのだろう。ダリルは彼女の両親に会うことを楽しみに思っていたが、自分で扉の鍵を開けてダリルを迎え入れるハーマイオニーは「ママもパパも仕事でいないから、気にしないで」と当然の台詞を口にした。
「お母様も働いてらっしゃるの?」
「ママもパパも歯科医よ。魔法界では母親が働くのが珍しいなんて、聞いたことないけど?」
 ダリルの無知をちくっと刺して、ハーマイオニーは手に持っていた鍵を入り口脇にある棚の上に置いた。そうして奥に歩き出そうとしたが、玄関先で固まっているダリルに気付いて振り向く。「如何したの?」
「さっきのこと気にしてるの?」ハーマイオニーがちょっと申し訳なさそうな顔をした。「貴女が物を――」知らないのは、いつものことじゃない。そう慰めようとしたのを遮って、ダリルが頬を染めた。ソワソワとスカートのしわを伸ばして、口を開く。
「お友達の家に行くのって、初めてだわ」
 何か手土産を持ってきたほうが良かったのだろうか。もうちょっとフォーマルな格好をしてきたほうが良かっただろうか。もごもごと逡巡を口にするダリルへ、ハーマイオニーが笑った。ダリルが相変わらず訳の分からないタイミングで変なことを気にするので、面白かったのだ。心配そうに佇むダリルを手招きで呼ぶ。「私も友達を招くのは初めてだから、硬くならないで頂戴」
 ハーマイオニーの台詞へダリルが嬉しそうに笑った。

「お邪魔します」
 ダリルはおずおずとした足取りで扉を潜ると、とととっと小走りでハーマイオニーの隣に並ぶ。
 キョロキョロと壁に掛かっている絵や、棚の上にある花瓶に活けられた花を見て、ハーマイオニーへ笑いかけた。
「とっても素敵ね。調度品がシンプルな内装と合っていて、とっても清潔な感じがするわ」
 ダリルがブルーグレイの瞳を輝かせながら言うと、ハーマイオニーがはにかんだ。「ママの趣味なの」
「ハーマイオニーのお母様の趣味も良いけど、マグルの家もとっても良いわね。明るくて、寂しい感じが全然しないわ」
「魔法族の家は確かに夜薄暗いかもしれないけど、ロンの家は全然寂しい感じがしないそうよ。ハリーが言ってたわ」
「ああ、やめて」ダリルが悲劇的な声を出して耳を塞いだ。「私、今、フレッド達のお誘いを断わってる最中なの!」
「招かれてるの?」
 ハーマイオニーの問いに、厳かな肯定を返す。
「去年、貴女達とグリンゴッツの前で落ち合ったでしょう? あの後にジョージが招いてくれるって言ったんだけど……」
 授業には活かされないだけで、あの二人の記憶能力は中々のものだ。ダリルなんて、フレッドとジョージからの手紙にあった「ハーマイオニー神殿第一号の建設計画が遅れてますぞ!」と言う一文を読んでやっと思い出した。勿論思い出したからと言って、「わあ楽しみ!」と軽やかな返事を出せるわけではない。ルシウスに「お父様、ウィーズリー氏の家に数泊してきますわ」などと言おうものなら、地下牢に放り込まれるだろう。断わる以外の道はない。それに文面が文面なので、向こうも半ば冗談なのだと思っていたのに「夏季休暇中に新しい悪戯を考えるぞ!」だの「リーが前にうちの屋根に穴を開けたんで、俺達友達招くの禁止されてるんだけど、ママが君なら良いって言うんだ!」だの「君を招くって言っちゃったから、来てくれないと俺達ジニーに口利いて貰えなくなる」なんて、日に日に催促文が真剣なものになって来ている。勿論行きたくないのであればバッサリ真剣に断わってしまえば良いだけの話だ。行きたいのだから困っている。フレッドと、ジョージと、ジニーと、ロンまでいるウィーズリー家に行きたくないはずがない。でも行けば面倒なことになる。
 頭を抱え込んだダリルが「ああ……」と切ない吐息を零した。ハーマイオニーが隣でにやにやしている。
「ジニーが良い解決法を授けてくれるんじゃない?」
 ダリルのブルーグレイの瞳がハーマイオニーをじろっと睨んだ。ハーマイオニーはクスクス笑っている。
「えーえ下さいましたとも!」大仰に頷いて、ハーマイオニーの胸に指を突き付ける。「ああダリル! そんなの簡っ単なことだわ! マルフォイのことなんてすっかり忘れて、うちの子になっちゃえばいいのよ! 何てこと、都合よく男が有り余ってるじゃない!!」
 ジニーの声音を真似して言うと、ハーマイオニーが声を上げて笑いだした。
「笑いごとじゃないわよ! 私本当に困ってるのよ。このままじゃ家を勘当されちゃうわ」
「本当! フレッドとジョージ、どっちを選ぶか決められなくて困っちゃうわね?」
「どっちも選ばないわよ」
 ダリルがつんとした響きを口にした。
「どうせならまだ見ぬビルとチャーリーに掛けるわ」
「あ、私、チャーリーには会ったことあるわ。一年生の時にハグリッドが……ハリーから聞いてるかしら?」
 ハーマイオニーはハリーがミス・レターにそっくり打ち明けてしまうことを、彼女の正体を知る前から知っている。
 ハリーが顔も知らない文通相手に対して、まるで母か姉でも慕うように疑いもなく秘密を吐露するのを、ハーマイオニーは最初良くは思っていなかった。当然だろう。三人だけの秘密と言うわけではないが、ハリーがミス・レターへ打ち明けた“秘密”を他人に知られて困るのはハリーだけではないのだ。ロンと一緒になって幾度か注意したこともあったものの、何を如何言っても最終的にハリーが「僕の文通相手だ」と二人の意見をはねつけてしまう。幾度かそんなことを繰り返す内に、「このこと、ミス・レターへの手紙に書いていい?」というお伺いすら立てられなくなってしまった。ハリーとミス・レターが如何言うやり取りをしているかは、ダリルから聞く他ない。
「聞いてるわ。罰則の理由になった事件でしょ?」
 ハーマイオニーの問いにダリルはすんなり頷いた。クスクスと悪戯っぽく笑う。「厄介に好かれてるのは貴方達ね」
 ダリルのからかいを受けてもハーマイオニーは笑ったりしなかった。

『ミス・レターのことは黙っていてくれると嬉しいわ』
『ハリーにミス・レターが誰か言わないで頂戴』
 ハーマイオニーにはダリルの考えていることがよく分からない。
 ダリルがハリーを特別に思っているのは明らかであり、ハリーもミス・レターのことを特別に思っていて、ダリルのことを嫌っていないのも明らかだ。なのにダリルは自分がミス・レターだと知られることを酷く恐れている。
 ハリーがミス・レターの正体を知れば喜ぶだろうことは疑いのない事実だ。ダリルは二年間ハリーの信頼に応えてきたし、ハリーを励まし慰め続けてきた。恐らくこれからもそうするつもりなのに違いない。そうしたら仮名など使う必要はないのではなかろうか。ダリル・マルフォイがハリーの信頼に応えて、ハリーを励ましたり慰めたりすれば良い。ミス・レターは不要だ。
 そう思うハーマイオニーの脳裏に先ほどの会話が過ぎった。ダリルが会話を誤魔化そうとしたのに気付かないほど鈍くはない。分かっていた。きちんと、ダリルが触れてほしくないと思っているのを悟ったから、だから追求しなかっただけで、本当は分かっていた。

 ハーマイオニーの視線に気づいたダリルが不思議そうに小首を傾げた。プラチナ・ブロンドの髪が蛍光灯を映して眩い。全てを照らし出す健全な明かりのなかでもダリルは綺麗だった。本当は隣には誰もいないのではないかと怖くなるほどに、綺麗だった。
「どうか、したの?」ダリルが苦笑して、優しい瞳でハーマイオニーを見つめる。その容貌は美しく、誰もが見惚れ、永久に見続けたいと望むだろう。ダリルは優しくて美しい少女だ。何故こんなものが存在するのかと思うほど、時々無垢な表情をする。
 てのひらから零れ落ちそうなほどに無垢な表情で微笑んで、ダリルはハーマイオニーと友の名を口にした。
「厄介の話を聞かせて。細かい事は知らないのよ」

 ダリルの優しさからも、美しさからも、喪失の匂いがする。
 意味もなく寂しくなったハーマイオニーはダリルの髪を思い切り引っ張った。ダリルはマグルの家を寂しい感じがしないと言ったが、彼女の知る建物が寂しいのはその身からじわじわと寂しさというものが滲み出ているからではないかとは、考えるのを止めた。

「何なの!? 何で急にそんなことするの」
 涙目で髪を押さえるダリルはもう綺麗じゃなくて、ハーマイオニーはほっとした。
「厄介と結婚してる人に、厄介に好かれてるなんて言われたからよ」
 理不尽なことをキッパリ口にするハーマイオニーへダリルは口を尖らせ、二人はじゃれ合いながら食堂へと向かった。
 

霧の向こう

 
 


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