七年語り – LULL BEFORE THE STORM
15 二度目の町並み
ダリルの“厄介”故に煙突飛行での移動は却下され、二人を乗せた馬車が漏れ鍋の前へ着いたは丁度昼時だった。
馬車の振動に身を任せるダリルの胸には一つの不安が渦巻いていた。漏れ鍋で誰かから「やあ、昨日も会ったね」などと話しかけられたら如何しよう。ハーマイオニーと出かけるのに漏れ鍋を経由した際にちょっとした騒ぎを起こしてしまったことを、ダリルは馬車に乗り込むまですっかり忘れていた。漏れ鍋へ一日何人の客が訪れるかは知らないが、バーテンか誰かに「昨日会ったね」と言われる可能性はゼロではないとだろう。ダリルはルシウスの話へ上の空な相槌を返しながら、頭のなかの石橋を叩きまくっていた。ああ言われたら、こう言われたら、多くを想定しては如何振舞えば一番マシな結果になるのか思案する。足りない頭で一時間考え込んで、分かったことと言えば石橋に幾つひびが入っているかだけだった。最悪ダンブルドアに頼んでホグワーツで働かせててもらおう。馬車が漏れ鍋の前に付けられる頃にはダリルはすっかり腹を括っていたが、その悩みはパブのなかにひしめく人々と、棚引く湯気の前に消え去った。これだけ人がいて、忙しいんじゃあ私のことなんて構っていられないわ。バーテンは小男の注文をメモに書きつけながら、その隣の鬼婆へ酷い顰め面をしてみせた。鬼婆はバーテンの顔を見てケラケラ笑っている。
昼時だからか、これまで三度漏れ鍋に訪れた内で一番混んでいるようだった。ルシウスは「だから早くに来たかったんだ」とご機嫌斜めな様子だったが、ダリルは逆に寝坊して良かったのかもしれないと思った。カウンターの端には見覚えのあるナイトキャップがある。
ルシウスの体に隠れるようにしながら暫しそちらを伺うに、老魔法使いは目の前にあるフレンチトーストへ夢中になっているようだった。自分の顔の高さほどもある分厚いフレンチトーストを前にしていてはナイトキャップしか見えないわけだ。
変わった人、それに男の人なのに甘い物が好きというのは可愛らしい。ダリルは口元だけで微かに微笑んだ。
店内は慌ただしく、昨日やり合った老魔法使いもいるものの、こちらに気付いていない。
とりあえずの危機は回避したとダリルは肺に満ちる吐息を絞り出した。
フレンチトーストの山から視線を逸らしたダリルは安らかな心持でルシウスの話に耳を傾けた。ルシウス御自慢の、空を切り裂いて良く通るテノールが店中に響いている。「全く、いつ来ても小汚い店だ……何故ダイアゴン横丁への通り道をこの店に繋いだままにしておくのか甚だ疑問ではある」ルシウスの台詞を台詞として認識した瞬間、ダリルの表情が凍った。ルシウスは一瞬でもダリルを安心させたくないらしい。家族揃ってダイアゴン横丁を訪ねる機会もなく、己一人の時は姿現しを用いるルシウスにとって殆ど一年ぶりの漏れ鍋だ。だから、それで漏れ鍋の年季の入り様が目につくというのは仕方のないことなのだと思う。しかしそれをこの場で――それも全く悪びれずに言い放つ必要はあったのだろうか。あったのだろう。自分が言いたかったのだという、ご立派な理由があるのに違いない。
ダリルは己に突き刺さる視線へ身を縮ませた。当の本人は素知らぬ顔でスイスイ歩いている。このスイスイというのも、混雑した店内では異質なことだ。それまで老魔法使いの挙動へ集中していて、ルシウスの歩みに気を留めたことはなかったが、ぎゅうぎゅうに密集した人ごみのなかでルシウスは一度も立ち止まったことがない。俯いていた顔を少し上げて伺えば、誰ともなしにルシウスの前だけはすっと道が開いた。ダリルは店内に親切な人が多いのだと思う事にして、自我を保ち続けるのへ成功した。
ダリルの心労など知ろうともしないルシウスは意気揚々とウィーズリー氏へ行ってきた嫌がらせについて語り続けている。
「それで私は言ったんだ。マグル製品取締局をもっと縮小――アーサー・ウィーズリーだけにしても良いのでは? とな」
この場にロンやフレッド達がいれば大惨事だが、幸いにしてダリルの視界には見慣れた赤毛は一本たりとも見つからなかった。ダリルは一つだけため息を零すと、再び全自動相槌マシーンに徹することにした。どうせ五分もすれば終わるだろう。ダリルは左右の鼓膜を繋げ、「まあ、お父様」「それで、如何なさいましたの」の二語を適当に繰り返す。ハリーかハーマイオニーあたりがこの場にいたら、「臭い物に蓋的態度だ」と非難されたかもしれないが、そうすることでしかルシウスの傍にいることは出来ないのだ。
ルシウスもドラコもダリルのために語ることが出来る。ドラコはダリルのために黙することが出来るが、ルシウスにはそれが出来ない。そしてドラコもルシウスも、ダリルのために考えを変えることまでは出来ない。ダリルはそれで構わないと思う。ダリルだって家族のために黙することや語ることは出来ても、考えを変えることは出来ない。グリフィンドールが好きだ。ハーマイオニーが好きだ。
多分、ダリルの友人らはそれを「正しいことだ」と言うだろう。「誰に引け目を持つことではない」と背を叩くだろう。
家族の意見は時にダリルを傷つけるし、受け入れがたくもある。それをフレッドやジョージ、グリフィンドール寮の友人達は「ダリルが可哀想」だと言う。家族なのに、そんな考えを押し付けてくるなんて酷いと言う。でもルシウスが口にするウィーズリー氏への罵倒や、ドラコが口にする「穢れた血」という蔑視と同じように、己の望むものもまた彼らを傷つけることを知っている。グリフィンドールやハーマイオニーを好きだという台詞は、彼らにとって裏切りに等しいことを知っていた。裏切られれば無論傷つくのだ。
正しいと言い切ることで彼らの傷を否定せねばならないのなら、誰から卑怯と謗られようと黙したままでいるほうがずっと良い。
家族から傷つけられるし、自分が傷つけもする。この家族関係が健全なものかは分からないが、少なくとも家族にとって己が異物であることは理解していた。そして異物である自分が異物のままいられるのも、家族と繋がっていられるのも、彼らの愛情故であると分かっているつもりだ。だから筋を通すことを諦める。ここに父の話で傷つく人がいないのであれば、そっと耳を塞いで微笑う。ウィーズリー氏がルシウスから嫌がらせを受けていることから目を逸らし、父が楽しそうにしているのへ相槌を打つ。殆ど屁理屈で、いつ破たんするかもわからないほどに中途半端な態度だ。それでもいずれ報いを受けることになるならその時に文句は言わぬつもりでいた。
『知られることも、見られることも、語られることも、求められることも、許せない。でも無関心でいられることも、無視されることも、口の端に上らない事も、見捨てられることも許せない』
ルシウスへ上の空な相槌を打ちながら、かつての己がヴォルデモートへ語った言葉を思い返す。
知られることを拒むのは自分も同じかもしれなかった。ハリーに知られたくないことが幾つあるだろう。セドリックに知られたくないことが幾つあるだろう。ドラコに知られたくないことが幾つあるだろう。そこまで鬱々と考えている内に中庭へ着いていたらしい。
体半分だけでダリルを振り返ったルシウスが「如何した」と、試すように瞳を細めていた。ダリルは微笑む。
「人が多かったので、ほんの少し疲れてしまっただけです」
「まだ来たばかりだぞ」ルシウスの瞳の奥にある氷が和らいだ。「お前はいつでも上の空だな」
「あら、ちゃんと聞いていました」
ダリルは口を尖らせてみせると、「お父様がどれ程ウィーズリー小父様をからかうのがお好きか、ちゃーんと聞きましたわ」
途端にフロバーワームを頬張るルシウスへダリルは軽やかに笑みを零してから、己の杖でさっさとゴミ箱上の煉瓦を叩いてしまった。
ゴトゴトと重たげな音を立てながら、煉瓦はアーチ状に組み直される。通路の向こうには一年ぶりに訪れる町並みが並んでいた。霞んでしまいそうなほどに広い景色の内で、相変わらず真っ白に輝くグリンゴッツ銀行が眩しい――去年にフレッド・ジョージと落ち合わせた場所だ。ダリルは目頭に手を翳すと目を凝らして、赤毛の二人がいないものかと探してしまった。
「二度目でも、慣れませんわね」
分かりきった諦めと共に微笑むダリルへ一つ頷いてからルシウスは歩き出した。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM