七年語り – LULL BEFORE THE STORM
18 犬も食わない
どんなにゆっくり歩いても、少年らしく胸の薄い二人の脇を過ぎるに時間は掛からない。シェーマスとディーン、二人と目配せだけの別れを済ませれば出口は目前だった。覆いかぶさるようにそびえる建物が陽光を遮る路地は薄暗く、人気がない故に不衛生だ。ジュースやいつかの雨で湿ったままの石畳に指先が僅か冷たい。シャッターに貼られた紙の文字さえかすれた店の名残と、老魔法使いの寝台代わりとなっているカウンターが覗くショーウインドーに挟まれて、大通りは健康的に明るい。埃とも、忘却とも、衰退とも無縁そうにはしゃぐ人の群れが通りを賑わせていた。ひょっとすると、マグルにとっての漏れ鍋とはこの通りのようなものなのかもしれない……。そう思うと、賑わいのある大通りからこの路地に身を滑らせてくる少年たちに一層の親近感を抱いた。ひょっとすると、ダリルの知っている誰かの友人かもしれない。流れていく喧騒を前に歩みを止めたのは何も悪戯専門店が後ろ髪を引くからではない。勿論それも理由の一端ではあったものの、ルシウスの前では出来るだけ我を殺すよう躾けられているダリルは“そんな”理由で立ち止まったりはしない。
まだ影の落ちる位置で、半乾きの石畳の上で戸惑っているダリルへルシウスはため息をついた。「曲がればすぐだ」杖が通りを示す。
「まだ、最繁期じゃあないっておっしゃったじゃあありませんか」夕飯時のホグワーツの大広間以上の人出だ。
「確かに」ルシウスはウンザリしたように顔を顰めた。ダリルに対してか、果たして無駄に多い人ごみに対してか、多分に両方だろう。「しかしいるものはいるのだから、ずっとここで立ち止まっているわけにもいくまい」ルシウスはダリルの袖を引っ張った。陽光が眩しい。
ルシウスが手を離すと同時に、今度はダリルがルシウスのローブの端を掴んだ。はぐれそうというではない。他人を怯ませるようなオーラを放っているのか、よっぽど町往く人に嫌われているのか――己の憶測のどちらが正しいかは知らないし、またダリルは正解を知りたいとも思わなかった。何にせよ人混みを歩くにルシウスの背後は中々に快適だ。身内であるダリルが言うのもなんだがルシウスの容貌は麗しく、台詞の端々から知性が聞いてとれる。尚且つ娘に対しても最低限のレディファーストは欠かさない。通り過ぎ様に相手があまりにも寄っている場合、ダリルが相手と接触しないようさり気なく庇ってくれる。
これで罵詈雑言さえなければ完璧なのに……。ダリルは幾千回めのない物ねだりを繰り返した。
ああ、でも、お父様の罵詈雑言がなくなっても、ウィーズリー小父様に比べたらちょっと見劣りしてしまうかも。思春期の少女にとっては父親の容貌よりも物分りの良さの方がずっと大事だ。黙々と足を動かしながらダリルは考えた。髪の全くないウィーズリー氏と罵詈雑言のなくなったルシウス、父親にするならどちらが良いかななんて、全く生産性のない選択でほんの少し真剣に悩む。
十何年も共に過ごしておいて「断然お父様だわ」と言えないのは我ながら薄情な気がした。でも、だって、罵詈雑言が無くなったとしても黙している時間が増えるだけな気がするのだ。ダリルはウィーズリー氏のような――人好きのする笑みを浮かべている父を想像しようとした。にっこり笑って、笑う……そう微笑みを……お父様ったらなんて邪悪な笑みなのかしら。当の本人が黙りこくっているのを良いことに、父を侮辱するような思索を好き放題繰り広げるダリルだった。 「すぐ」と言った割りにもう数分歩き続けているし、その数分間父娘の会話はまるで無い。しかも会話の途切れる前にルシウスは眉を寄せていたわけだが、ダリルはこれっぽっちも気にしていなかった。
そりゃ、美男である分ルシウスの醸す沈黙は重い。幼い頃は父の沈黙を不愉快の徴と受け取っていたものだ。
『何も考えてないのよ』
ダリルへこう教えてくれたのはナルシッサだ。「あの人が何か考えている風な時はね、何も考えていないの」ナルシッサはしくしく泣くダリルをぽんぽんと撫でた。「何も考えてないから、急に謝られても何に対することか分からなくて、何だ何だって探ってくるでしょう? それで今回みたく芋づる式にお父様の箒を燃したことがバレるのよ」声音や労わるような表情故に長らく単なる慰めだと思っていた母の発言だが、よくよく考えれば“衆目に晒されねば悪事とはなりえない”、“疑われかねない隙を作るな”と言っているだけのことである。
セドリックへ聞かせば困惑から黙してしまいそうだ。ハーマイオニーあたりも眉を顰めるだろう。「待って……衆目っていうのは公ということなの? その衆目に晒されるってのは如何いう基準なのか教えて頂戴。その価値観がイエスかノーかは、それからね」ハーマイオニーの言いそうな台詞について悶々と考えていたため、障壁へ気づくのが遅れた。とんと鼻先が埋まるのに慌てて身を引く。鼻を押さえると同時にさっと血の気が引いたが、神経を震わせるは指先の冷たさだけだった。痛みは訪れなかったのだと肩の力を抜く。
「おひょ、」もう一歩後ろに下がって、手を下した。「お父様、如何なされたんです?」返事はない。ルシウスは再び歩き始めたが、その軌道は歪んでいた。つまり、まっすぐオリバンダーの店……恐らく店があるのだろう方向へ進んでいたルシウスは殆ど垂直に曲がった。ダリルも着いていく。通りの端、人ごみの死角たる大きな看板(ミセスグリーンのクリーンショップ! というポップな文字の横で、褪せた紅をつけた魔女が慌てて歯をむき出しにした。)を盾に会話が始まった。「お父様、靴ひもでも切れたんですか?」
「はてさて、つま先にまで口出ししてきたやかまし屋さんは何処のお嬢さんだったのか……」ルシウスは急いた口ぶりで皮肉った。言い終わらぬ内に頭を振って否定する。「いや、それは如何でも良い」苛々と杖で石畳を叩くルシウスへ、ダリルは呆れた。
「そんなら何なんです」お手洗いに行きたいのであればオリバンダーの店で借りれば良いじゃありませんか、とまでは言えない。
ルシウスはもう一度頭を振ってから深くため息を吐いた。「ダリル、」窘めるような声音にダリルはぴんと背筋を伸ばした。
「は、はい、お父様」何だ。何なのだ。ダリルはルシウスの真摯な視線を受け止めて、アイスブルーを見上げた。ルシウスの唇が揺れる。
「先に魔法文具店へ行って良いかね」
そんな程度のことでむやみやたらと緊張させるんじゃない。
訳の分からない提案へダリルは眉間にしわを作った。「……まほう、ぶんぐてん?」呟きがてら、ちらと空を見上げてみる。空の細かったあの路地と比べ、この大通りは陽光の恩恵を存分に受けていた。日は高く、夕暮れは遠そうだ。
ダイアゴン横丁の地理には疎いが、多くの憶測を考慮しても尚先に魔法文具店へ赴くメリットはないように思える。魔法文具店が一足先に閉まるのであればルシウスがそうと告げるだろうし、杖選びとて長くとも三十分程度で終わると聞いている。また店で何等かの待ち合わせをしているのであれば、世間体を気にするルシウスのことだ。約束破りは絶対にしない。
きょとんとするダリルを置いてけぼりにルシウスの顔色は悪くなる。「ダリル、念のため聞いておこう」独り言めいた呟きを口にしながら、ルシウスは踵を返した。今来た道を辿りはじめる。仕方なしにダリルも父の背を追った。「念のため、念のためだ……」
「……私とナルシッサの結婚記念日がいつか覚えているかね」
言葉の切れ端を落とし続けていたルシウスがやっと文章を紡いだ。碌でもない台詞を口にした。ダリルは肩を竦める。他人事だからだ。
「お父様、もう手遅れですわ」軽やかな響きが死刑宣告を口遊む。「ざっと一週間は過ぎてますもの」
「しかし、しかしだ……ひょっとすると覚え違いということもなくはなかろう?」ちょっとでもそんな可能性があると言うなら、何故焦る。
ルシウスは杖を小脇に抱えて、両手で何事か計算し始めた。如何いう理由で日取りを決めたのかと、そこから掘り出しにかかっているらしい。ダリルは口端を歪めて静かに笑った。ルシウスは他人との約束事は忘れない分、家族間の約束事や決まり事はすぐに無かったことにする。結婚記念日を忘れたまま気づかないのも、それでナルシッサの機嫌が悪くなるのも毎年のことだ。
「お母様の機嫌が悪いのって、それだったんだわ」ダリルは詰るような響きを漏らした。「お父様が忘れるからいけないのよ」
「たかが記念日だ……!」ルシウスは恨めし気に低音を絞り出す。「たかが……たかが、」続きを口にすることはなかった。ダリルからチクチクされずとも、承知はしているのだ。普段からツンと取り澄まし、女としての可愛げよりも淑女らしさへ重きを置くナルシッサだが、(ルシウスに言わせれば)存外乙女チックな一面がある(らしい)。といっても気品という棘に覆い隠された乙女チックな一面を知ることが出来るのも、それを可愛いと称せられるのもルシウスだけだ。ドラコなんぞは「カレンダーに大きく丸をつけて置けばいいんだ」などとウンザリしている。何かと記念日の多い六月はクリスマスシーズンに次いで夫婦間が荒れやすい時期だ。大体にしてナルシッサが不機嫌になればルシウスよりも自分達のほうがよっぽど被害を被る。散々やきもきさせておいて、気が付いたら元鞘に戻っているのも面白くない。
要するに“痴話喧嘩は犬も食わない”を地で言っており、当然二人してあんまり関わりたくないなと思っていた。思っていた、の、だが、最近のダリルは意見が変わってきた。相変わらず巻き込まれたくないという考えはあるものの、「お母様が可哀想」と母の肩を持つようになった。何となれば思春期に至って、母の気持ちが分かるようになってきたからだ。記念日が近いことへ気づいて欲しいというか、自分が意識しているのと同じに意識して欲しいというか。要するに、二人で共に祝いたいのではなく、共に覚えていたいのだ。出会った時は薔薇が綺麗な時期だったねとか、二人で一緒に雪を見たねとか、一緒に過ごせて幸せだったとか噛み締めたいのである。ひいては「また二人で薔薇を見ようね、雪を見ようね、これからもずっと一緒にいようね」と確認したいのである。嗚呼、セドリックが「良く分からないけど面倒くさそうだ」と、“とりあえず”の苦笑でなあなあに誤魔化していくのが瞼の裏に浮かぶ。男って、男って……。
ダリルは口を尖らせた。「断然お父様が悪いですからね。お母様、お父様の言葉を待っていたでしょうに、とてもお可哀想」
「何を待っていたのかね?」藁にも縋りたいと言った声音で問われる。ああ、この人は本当に駄目だ。
「夫婦なんですから、そのぐらい自分で考えて下さいな」ダリルはつんとそっぽを向いた。
そうやって背後からルシウスをチクチク責め立てていると、記憶をチクチク刺激する声に呼び止められた。勿論ルシウスと共にいるダリルを呼び止めようなどと思いつく猛者がいるはずはない。「ルシウスじゃないか!」呼び止められたのは大マルフォイのほうだった。
人垣をかき分けてやってくるのは、ルシウスよりいくつか年上だろう中年の男だ。男の顔に見覚えはなかったが、彼が誰かという疑問はあまりにも儚かった。不運なことに、男を追ってやってくる少年の顔には十分に見覚えがある。ダリルは掌をぎゅっと握った。そうしなくては思い切り顔を顰めてしまいそうだったので、一応の礼儀としてダリルは素知らぬ風を装った。しかしセオドールはスリザリン寮生らしくない振る舞いでもってダリルへ応えてくれる。目と目があった瞬間、僅かではあったもののセオドールの顔が歪んだ。
別に笑顔で握手を求めてこいとまでは望んでいない。ただ――セオドールお得意の――無表情でいろと、それを望むが我儘だと言うのか。昨年のパーティで存在を認識して以来苦手視していた相手だが、ダリルは俄然セオドールが嫌いになった。
シェーマス達に会えた時は「今日は良い日になりそうだ」と思ったのに、その十数分後に嫌っている相手と出くわしてしまうなんて、調子に乗って父親をからかっていた罰が当たったのだろうか。ほんの少し先の己を悔いかけたが、悔やむのは家へ帰ってからで良いと思い直した。自分には甘い。とりあえずはルシウスの反応から逢瀬が長引くか如何かを探ろう。ダリルはルシウスの表情を伺った。
ルシウスは杖を持ち返ると、ノット氏へ手を差し出した。「ああ――サイラス、奇遇だな」そうぼやく面持ちはまるで友好的ではない。思わぬ反応へダリルは首を傾げた。ノット氏のことを嫌っているという話を聞いたことはないし、体面を気にするルシウスが何故感情を露わにするのだろう。魔法文具店へ急いでいるというだけでは理由づけに不十分だ。ルシウスは不思議そうにしているダリルへ浅くため息を零す。ルシウスはノット氏と握手を交わし終えると、わざとらしく懐中時計を取り出した。しかしノット氏は気を悪くするどころか微かに笑っている。余裕綽々と言った反応にルシウスの眉間のしわが増えた。ダリルの憶測通りルシウスはノット氏のことを嫌ってはいない。しかし未だに先輩風を吹かせたがるのを鬱陶しく思っていたし、“スリザリンへ選ばれたにしては”人好きのする彼を苦手としていた。勿論それだけなら、ちょっと苦手な学生時代の先輩に過ぎないのであれば適当に友好を取り繕っただろう。
この一年、ルシウスはノット氏から「ダリルをセオドールの婚約者に」と仄めかされ続けてきた。まあ血筋的には問題ないし、容姿や成績も申し分ない。それどころかドラコより肝が座っているようであるし、“あの”人に対して猜疑的なドラコ自身セオドールを信頼している。ただ自分の学生時代サイラスと一悶着あったことや、セオドールとダリル、当人同士の気がまるで合わなさそうということから返事を濁し続けてきた。昨年のスクイブ騒動ですっかり諦めただろうと一時は高を括ったものだが、ノット氏はめげなかった。しつこい。こわい。
一体何がそこまでサイラスを突き動かすのだろう。幼少時からの顔見知りであるから、性癖はクリーンなはずだし、本当に分からない。
ルシウスはちらと渦中であり蚊帳の外でもある娘を見下ろした。自分を見上げているブルーグレイと視線が重なる。目があったのへ安らいだように微笑む娘は実際可愛いが、まあそれは親の欲目もあるだろうし、やはりサイラスの執着の理由は不明なままだ。
無邪気に感情を露わにするダリルを咎めるように、アイスブルーを細める。上機嫌でないのを感じ取って、ダリルが視線を逸らした。
兎に角ノット氏と別れるまで、そうやって大人しく頑なな顔をしていてくれとルシウスは望んだ。
言葉はなく、また曖昧な指示ではあったものの、二人きりの時にするような甘えた仕草を窘められているらしいことは理解した。ダリルはセオドールの無表情を真似て、ぼうと遠くの景色を見つめる。いつまで二人話しこむつもりなのだろうと、退屈を持て余した。公式の場ではないのだから――ドラコのように毅然とした態度を取っていれば――割り込んでも良さそうなものだ。幾度か欠伸に耐え兼ねて口を開いたが、セオドールがパーティの時と同じく無言でいるのに噤み直した。尤もセオドールの口数が少ないのはパーティや、親が同席している時に限らない。ホグワーツにいる時でさえ誰かと喋っているのを見かけることは多くないはずだった。ドラコが「手紙では割りに話すぞ」と言っていたのを顧みるに、ドラコでさえ彼と喋る機会は多くないらしい。実際セオドールが誰かと話しているなと思えば、大抵その話し相手は限られている。ドラコかパンジーか、あと誰か知らない男子。その数人のなかでも、ダントツでパンジーに絡まれている時が多い。パンジーから何事か叱りつけられているのは比較的よく見かける。何を話しているかまでは聞こえないものの、パンジーに話しかけられたセオドールはきちんと人間らしい反応を返す。彼らのやり取りは規模こそ違うものの、ロンとハーマイオニーのやり取りのようだった。二人のやり取りを遠目に、「やはりパンジーは相手さえ違えば嫌な奴ではないのだ」なんて思ったものだ。
そんな風なので昨年のパーティでのことも、彼が無口だからかと考えた。人見知りなだけで他意はない――そう結論付けるにはあんまりに拒絶を滲ませていたし、ドラコへの手紙には露骨な悪口が綴られている。セオドールがすっと視線を逸らしたのへ、ダリルはむっとした。何か思うところがあるのなら口で言えば良いのに、よくわからない人だとダリルは思った。パンジーの方がずっとわかりやすい。
ルシウスは杖でトントンと石畳みを叩いた。ノット氏と出会ってから二度目の多忙アピールだ。今度はどんな駆け引きをしているのか気になったが、関われば面倒なことになるだろう。疾うにガッツリ関わっていることなど知らぬダリルは他人事めいた感情を抱いた。
「なるほど、娘がいるというのは羨ましいものだな。やはり家督を継がぬ分気安く可愛いがれるだろう」
如何いう流れでその結論に至ったかは知れぬが、褒められているらしいのへ素直に喜べないのは何故だろう。やはり家族以外のスリザリン気質の人間とは合わない。ダリルは小さくため息を零した。子供の意見などまるで顧みない大人は会話を続ける。
「いいや。これに限るかもしれぬが、どうも甘えたで……行く先を思えばおちおち眠ることも出来ん」
「ルシウス、それは気にしすぎというものだ」ノット氏が笑う。「女の子は見るからに華やいでいて、こうして通りを歩くにしろ息子を連れているより断然気分が明るくなるじゃないか」ノット氏がセオドールへなあと話しかけた。セオドールは眠たそうに頷く。泣き妖怪バンシーが発光しようといなかろうと如何でも良いのに違いなかった。泣き妖怪扱いされるのに比べれば、まだフェアリーランプとして認識されているほうがマシというものだ。どうしてこの父子はダリルを人間扱いしないのだろうか。ダリルは発光する泣き妖怪バンシーを思い浮かべてクスクス笑った。ルシウスに睨まれているのにも気づけない。マルフォイ家の娘として恥ずかしくない振る舞いをしろと求められているところまでは理解していたが、ノット氏が己を息子の嫁に欲しがっていることまでは悟れなかった。スクイブ疑惑のあった娘を娶りたがる純血主義など聞いたこともない。何よりもダリルはグリフィンドール――スリザリンとは水と油な関係である寮へ所属していた。
親の心子知らずで笑い声を零し続けるダリルにルシウスは頭痛を覚える。「ダリル、往来で騒ぐものではない」楽しげに笑っている娘をピシャリ叱りつけた。ルシウスはサイラスの関心を逸らすべく彼へ話しかける。「往来で見知った顔に会った時気の利いた挨拶一つ出来ん……息子を連れているほうがずっと楽ではある」ルシウスはふんと鼻を鳴らし、不機嫌を装った。
そりゃ自分が問題児だとは重々理解しているが、ちょっと笑っただけでそうとまで言われなければならないのか。「お父様が楽しそうだったので、タイミングを逃していただけです」あんまりな言い様だとダリルは口を尖らせる。くっと顎をあげてノット氏を見つめた。
「おじさまだって、名前も覚えていないような女の子に話を邪魔されるのは楽しくないでしょう」からかうような響きが、きらきらと瞬く瞳へ華を添える。ルシウスはフロバーワームを噛み締めた。碌でもないところで愛想を振りまくのは止めてほしい。
「私が君の名前一つ覚えてないとでも?」
馬鹿な女の子を演じていてくれというルシウスの望みを、ダリルの弾んだ声が滅多打ちにしていく。「さあ、どうでしょう」ダリルは声を立てて笑った。この社交性をパーティで発揮してくれれば言う事はないのに――否今は出席することさえ出来ないのだけど。
「私の名前は何だと思います? アリス・マルフォイ? シャーロット・マルフォイ?」さあ当ててみてと微笑んだ。
ノット氏はダリルの台詞を親しみと受け止めたらしい。「ルシウス、君の意地の悪さが見事に遺伝しているらしい」充足感のこもる声音を零した。自分で自分の台詞へうんうんと相槌を打つのに、ルシウスは顔を険しくした。娘は暴走するし、友人からは意地悪呼ばわりされるし、全く面白くない。こんなことならダリルが寝坊してきた時点で出かけるのは止めにしておけば良かった。
「意地が悪いのは先輩のほうでしたな」ルシウスは反撃に出るべく、実に数年ぶりとなる嫌味ったらしい呼び方を口に食んだ。「先にエレンを好きになったのは私だったのに、まんまと掻っ攫って行った……」
エレンとはノット氏の妻であり、セオドールの母親だ。ルシウスの同級生でもあった。儚げな仕草の美しかった女で、実際体も弱かった。亡き母の名にセオドールがルシウスを見上げる。ダリルだけが知らぬ女の名へきょとんとしていた。
「あれは立派な淑女だった」ノット氏がにやっと笑う。「女のところを渡り歩くお前に、未来の夫人の苦労を予感していたんだろうさ」
ここまで語られればエレンが誰か、ダリルにも薄ら分かる。多分にノット氏の妻なのに違いない。しかし彼女が亡くなっていることまでは分からなかった。ドラコ辺りなら同級生の家族関係は殆ど暗記しているのだろうが、ダリルは誰が純血なのかさえ危うい。
暗黙の了解だらけの、スリザリン寮生達の会話はダリルにとって居づらかった。
「それにエレンを私に譲ったおかげで、こんなに可愛い娘さんが出来たじゃないか」ノット氏の視線へ笑みを返しておく。
「それも掻っ攫おうとしている方の台詞は違いますな。重みが」
常ならぬ砕けた物言いへ僅か呆気にとられたが、ルシウスの視線が掠めて行ったのへ真意を悟る。一拍置いてから父の台詞と、それを否定しないノット氏に改めて驚いた。この人、まだ私を嫁に欲しがっているの? なんて大らかなひとなのだろうとダリルは唖然とした。
「いやいや本人たち次第だよ」
ノット氏は鷹揚に笑って、セオドールへと振り向いた。
「セオドール、私とルシウスが話している間ダリルと二人で辺りを散策してきたらどうだ」
七年語り – LULL BEFORE THE STORM