七年語りLULL BEFORE THE STORM
25 双子の杖

 

 余程の理由がない限りは、どんな家庭であろうと家族で囲み捲るためのアルバムを所持しているはずだ。

 両親との関係が良好な人は昔話でもしながら親子の時間を楽しむだろうし、そうでなくとも厚紙に貼られたパズルピースから一人過去を振り返るだろう。アルバムとはそういったものなのだ。ふっと思い出に後ろ髪引かれた時に眺めるためのものであり、集団旅行で写真の焼き増しを申し込むように事務的な手続きをしてまで求めるものではない。少なくともダリルはそう思っていた。それ故ダリルのなかでアルバムの存在感は薄い。ダリルが過去へ浸るためにはルシウスにアルバムを見たい旨を申し出て、忌避すべき説教部屋へ足を踏み入れねばならなかった。書斎机で書き物をしているからといって、父が自分を叱るための口実を思い出さぬ確証などない。勿論叱られるからには大なり小なり理由が存在しているのだけど、何がルシウスの気に触れるのかが不確かであるからしてダリルにとって己の失態は“父のストレス発散の口実”に過ぎなかった。また偶に家族でアルバムを囲む機会があったとしてもナルシッサの独壇場と化すのが通例であった。アルバムを囲んでの母子の会話は心躍るラブストーリーでも、美しいウェディングドレスへの称賛でもなく、会ったこともない親類の話に終始するのであった。両親の結婚式に招かれた親類の名前の暗唱大会を行うために地雷原へ特攻する馬鹿がいるのなら是非お目に掛かりたい。幸いにしてダリルにはその手の分別があったため、自分の心中の興味関心の欄から早々に“アルバム”を切り捨てた。

 さて年若い少女の価値観は往々にしてハンサムな異性に支配されるものだが、ホグワーツ一の美男子からアルバムを貰ったダリルもまたアルバムの上に積もる“無関心”という埃を綺麗に拭ってしまった。セドリックはとてもハンサムだったし、何よりもダリルがアルバムを覗きこむ横で「この趣味の悪い狐皮のマフを付けているのがアニー。屋敷僕妖精を鞭打つのが得意なんだ」なんて言い出さないだろうから。
 ダリルは皆から貰った写真で賑やかになったアルバムを眺めながら、「嫌みや悪口混じりの紹介をされないならお母様とアルバムを覗くのだって楽しいでしょうに」と思ったものだ。趣味の悪いしわくちゃのおばあさんの写真を見るのだって、セドリックとなら楽しめるだろう。ナルシッサのことは十全に尊敬しているが、ダリルの望む気安い思い出話や雑談の相手としては不十分だった。

 隣にいる相手さえ違えてしまえばどんな思い出だって笑い飛ばせるのに違いない。しかし、焼けたページのなかで不自然に白い場所、人為的に破かれた写真を前に、ダリルは自分の考えが甘かったことを思い知らされていた。もし隣にフレッドとジョージがいたら「焚書しちまうべきだ」と言ってくれただろうし、ハーマイオニーだったって「家族の歴史を遡るのってとっても良いことだわ。でも人には向き不向きがあると思うの……その、とりあえず、それは閉じましょう」とアルバムを仕舞うよう促すはずだ。屋敷僕妖精の首を手にポーズを取る女の写真は右半分が失せていたが、どうせ捨てるなら一々切り取ったりせず丸ごと捨ててしまえば良かったのではなかろうか。
 ダリルは抱え込んでいたアルバムを閉じると一人なのを良いことに大きなため息をついた。

 部屋の主たるルシウスは“毛糸”に夢中になっているのか、夕食の席にも現れなかった。おかげでダリルはデザートのタルトをドラコに横取りされてしまった。ダリルが同じことをすれば行儀が悪いと叱るナルシッサもドラコの不作法は――特にそれがダリルに対してのものだと「男の子だから」で済ましてしまう。食堂から帰る道々食べ物の恨みの根深さを説いたのをドラコに「父上にじっくりと慰めてもらえば良いじゃないか」とあしらわれてからも大分経つが、依然として帰ってくる気配がない。ダリルは着々と日付変更線に近づく短針を見上げ、零時までに帰って来なければ流石に部屋へ戻ろうと決めた。痛む膝をそう慰め、写真で着膨れしたアルバムを隙間に宛がう。「んっ、もっ」ダリルは小さく呻いた。全体重でもって押し込む。「伸縮魔法でもっつかって、るんじゃなっでしょうね……!」
 スライド式の棚の奥へズラリと並ぶラベルを思うに収納魔法の一つや二つ使っていても可笑しくはなかったが、限界値を超えるほどではなかったらしく元の場所へ収めるのに成功した。「ほんと、魔法みたい」ダリルは疲労と安堵から手前の棚へ寄り掛かった。
 自分に遮られて薄暗い視界で、目の前にある背表紙の年代を心中読み上げる。千九七十年と記されたそのアルバムにはナルシッサの少女時代が映っていた。勿論不自然に焼けたページも、破損した写真もあった。ナルシッサにとって汚点と見なされただろう人の写真は何一つ残っていない。サンルームで誰かと隣り合って座るナルシッサの写真。ホグワーツ特急を背に、僅かに屈んだナルシッサが誰かの肩越しに映っている写真。ベラトリックスとナルシッサとが映る写真は真ん中に立つ少女だけが黒く塗りつぶされていた。ご丁寧に表示のほうも修正されていた。あのインクの染みのどれか、もしくは空白のどこかにはシリウス・ブラックが映っていたのだろう。
 ダリルの指先が背表紙に被る埃を拭った。指先が白く汚れる。

 幼いころから不思議に思ったことはなかったし、知りすぎてウンザリするぐらいだとさえ思っていたけれど、ダリルは自分の親類がどんな人なのか知らない。両親が過去にどんな子供で、どういう風に過ごしてきたのかさえ碌に知らない。当たり前と言えば当たり前なのだけれどダリルの物心ついた時にはもう母親や父親として存在していて、自分と同じようにホグワーツの女学生用制服を着て歩くナルシッサや、ドラコのように友人とクィディッチを観戦しに行くルシウスというのは違和感がある。勿論生まれた時から今の姿でないことぐらい分かるが、これから大人になっていく自分が想像出来ないのと同じに、大人でない両親というのも想像出来ない気がした。
 この棚を埋め尽くす膨大な数のアルバムの、一ページ一ページにぎゅうぎゅうに貼られただけの人生があるのだと思えば胸が痛むと同時に薄ら温かいものを感じる。しかしその温もりもおなかのあたりに差し掛かった頃には後ろめたさに変わってしまった。ダリルは一歩後ろに下がって手前の書棚をズルズル動かす。結局求めていたものは見つからなかったし、今は難しいことを考えたくないから。

 ダリルが棚を戻し終えた丁度その時、金属の掠れる音が響いた。ダリルはパンパンと両手を叩くと、体全体で振り向いた。果たして開いた扉の向こうにいたのは部屋の主たるトミー・ティルドラムことルシウス・マルフォイその人だった。何故か胸に分厚い封筒を抱えている。

「お父様、お帰りなさいませ」
 この上なく殊勝な台詞に出迎えられて、何を不満に思うことがあるだろう。ダリルは憮然とした表情で自分を見返すルシウスを訝しんだ。許可なく部屋へ入ることは禁じられているが、ルシウスからの呼び出しがあった際はその限りではない。書棚を弄るに許可は要らない。この部屋へ入ってからというものルール違反はちょっとも侵していない。一体何がルシウスの気に障ったのだと薄ら考えたものの、小言や叱責を放つでもなく単にノブを握ったまま固まっているのを鑑みるにダリルを呼びつけたのを忘れていたのかもしれない。
 約束事を忘れるなど几帳面なルシウスらしくもないが、まあ前例がないではなかった。ルシウスのなかで家族間の約束事の優先順位は低い。増してあのような戯れ染みたやり取り、暇つぶし程度の軽い気持ちでいたのだろう。ダリルだって事態を重く見ていたわけではないし、シリウス・ブラックの写真を探そうとさえ思っていなければ疾うに退去していたに違いない。それでも長々待たされたのは事実なのだから、忘れていたなら忘れていたで咄嗟に取り繕うぐらいしてもらいたかった。三つは向こうの部屋で夜を過ごす妻子のためにそっと扉を閉めることが出来て、何故目の前のダリルに対する労いを惜しむのだ。ダリルは扉の前に立つルシウスから視線を逸らし、拗ねた声音で父の不義理を詰った。「とっても楽しい一日でしたのね、娘を叱ろうと思っていたのも忘れてしまうぐらいに」
「まだ起きていたのか」謝罪の一つや二つあるだろうと思っていたのに、ルシウスがくれたのは他人事染みた感想一つだった。右の掌で軽く肩を押さえ、コキと鳴らす。「もう寝た頃だろうと思っていたが――夜更かし癖のつかぬよう気をつけなさい」ふーと長いため息。

 見当はずれな忠告にダリルの口端がひくついた。ついでに膝も微笑した。一体この人は、夕食が終わってから何時間経つと思っているのだろう。ダリルは不満を露わに父を睨みつけたが、当のルシウスは娘の機嫌などお構いなしで「今日は散々な日だった」とか「ほんの数時間で一月分働けるのは私ぐらいのものだろう」なんてぼやいている。ルシウスが重たげに頭を振るたび背後で一つに結わえられたプラチナ・ブロンドが揺れる。ダリルの前を過ぎていく横顔には疲労の色が見えた。社交好きであり、尚且つ他人を突っつきまわすのをライフワークとしているルシウスが娘の駄々の相手さえ拒むほどに草臥れるなど滅多にないことだ。
 ちょっと前まで「まさか紳士たるお父様に待たされることになるとは思いませんでしたわ」とでも言ってやるつもりだったが、こう弱っているのでは可哀想になってくる。「何かお嫌なことでもありましたの?」ダリルは書斎机の前、定位置へ移動すると同情的な響きで唇を湿らせた。「お食事のほうはきちんと済ませましたか。軽いものしか食べていないようでしたら、スープでも運ばせましょうか?」
ルシウスは机の端にそびえる書類の塔へ封筒を置き、身軽になった手を振って返した。「いや、良い。食事は外で済ませてきた」
 引いた椅子へどすんと腰を下ろすと、机上で肘をつく。組んだ手に顔を埋めた。「魔法省へ寄ったところでファッジに掴まってな」

「……魔法省大臣に?」昼間話題になったばかりのビッグ・ネームにダリルが目を瞬かせた。
 ダリルが罰を受けていた間ドラコはルシウスから色々聞いていたのだろうが、結局紙面にあるもの以上を教えてくれはしなかった。キィーリレルの買ってきた雑誌類にも粗方目を通したものの、やはりファッジの動向については日刊予言者新聞以上のものはない。忙しいはずの彼の人が何故ルシウスに声を掛けたのだろう。「大臣と何がしかお話するような用でもありましたの?」
「ああ、」説明の手間ぐらい省かなくたっていいだろうに、ルシウスは短い相槌を返すだけで済ませてしまった。ルシウスはダリルがすっかり聞いたものと思っているらしい。「昼食中に、それ、ノーフォークにあるストーンヘンジが崩れたとの知らせが入ってな。前に話しただろう、元闇祓いの老いぼれがあのあたりに住んでいる……いつかやらかすだろうとは思っていたよ。忌々しいキチガイめが」ルシウスの眉がキリリと釣り上がった。「ボケ始めた頭に不釣り合いな魔力で魔法を乱発したらしい。木をなぎ倒した挙句マグル避けに反射して遺跡に直撃だと? あの遺跡群はマグルの村三つ分は価値があるというのに――腐れマグル保護法のせいでまた破片集めからだ」
「そ、」ダリルは「それは如何でも良いです」と言いかけたのを無理に飲み込んだ。眼光鋭く睨まれたのを思うに最後まで口にしていたなら途方もない破片集めに参加させられていただろう。「そうではなく、あの、大臣はブラックへの対応に追われていらっしゃるのでは?」
 ダリルが恐る恐る促せばルシウスは面倒臭そうにアイスブルーの目を細めた。
「そちらはもう粗方片付いた――どの道ファッジに出来ることなどたかが知れている。マスコミの相手と判子を押すことぐらいだ」僅かに見える口端が歪んでいた。「馬鹿を扇動するのが得意なのはダンブルドア譲りと見える」
 底意地が悪いというか、ルシウスやドラコに共通の“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”精神はどこから来るのだろうと思うことがある。嫌いなら嫌いで関わろうとしなければ良いのに、関わる他ないとしたって意識に留めなければ然程不快な思いをしないで良いものを一々思い起こしてムシャクシャしているのだから手に負えない。「見るからに味の濃そうな田舎料理、執務室を兼ねた食堂に流れるのはダンブルドアの口うるささをテーマにしたエレジー」しかしまあ今回はルシウスのほうから突っ込んで行ったのではないようだ。ドラコの言うとおりにファッジが魔法省大臣職につけた奇跡をイギリス魔法史に刻んでやるべきか否か、ダリルはちょっと考えた。
「気の置けない相手とゆっくり食事をしたいとのことだったが、愚痴る相手が欲しかっただけだろう」
 気の置けないとはいっても、それはファッジだけだ。流石のルシウスも魔法省大臣相手に好き放題出来るはずもない。ルシウスは基本的に目上の人間を嫌っているが、それを表に出しはしない。性格の悪さに定評がある分、誰よりも身の程を弁えている。些細な情報一つに如何ほどの価値があるか理解している故に口も堅い。それを見抜いてガス抜きに使っているのであれば、やはり人を見る目はあるのだろう。ドラコの言うとおり煽られやすいのは致命的だが、イギリス魔法史に刻むのは一先ずお預けと言ったところか。
 ダリルは話がダンブルドアやら、その出身寮たるグリフィンドールへ及ぶ前に話題を変えることにした。そうは言っても食事も仕事場で取らねばならぬほどにお忙しいのでしょう。大変ですわね。それでお父様、会食のほうは如何でしたの。これだ。「そうは言っても食事も仕事場で取らねばならぬほどにお忙しい、」ルシウスは顔を上げると頭を振ってダリルの台詞を遮った。唇が弧を描いている。
「細君が出て行ったらしい。いつものことだ」さらりと告げられたゴシップにダリルの微笑が凍った。
 ルシウスとしては自分を裏切ることのない――か如何かは分からないとしても、自分の失態を吹聴することのない娘相手に愚痴を零すので癒されるのだろうが、ホグワーツへ入学して以来愚痴の内容が過激さを増しているような気がしないでもない。まあドラコなんかはそれ以前から見聞きしていたのだろう。ドラコが時折捻くれた物の見方をするのはルシウスの影響によるところが多いに違いなかった。

 もし記者がこの場にいたら「魔法省大臣の“下”界統治」とでも題打って一記事書かずにはいられないようなゴシップを口にし続けるルシウス。流石に直接的な表現は避けているものの、ダリルはまだ十三歳だ。この間初めて恋人が出来たばかりだし、ルシウスなどは未だ恋の一つさえ知らぬ少女として認識しているはずだ。どこから嗅ぎつけてきたのか不純異性交遊について執拗に問い詰められたとはいえ、結局否定することに成功した。だから初恋もまだのおぼこ娘へファッジ夫妻が家庭内別居状態であるとか、大臣が外に女を作っているとか、そういう話は止して頂きたい。「お父様も大臣も随分と災難でしたのね」知人の娘に己の痴情を知られるのは十分同情に値すると思ったが、ルシウスは異議を唱えたそうな顔をしていた。「ファッジ夫妻を反面教師になさるんでしたら、どうぞお母様とお話になって」低俗に過ぎる愚痴は止めろと匂わせたのを悟ったのだろう。ルシウスもそれ以上連ねようとはしなかった。

 ダリルは浅いため息を落とすと今度こそ話題を変えた。「毛糸屋は如何でした? 仲良くなれそうな方はいまして?」
「行ってみて思い知らされたよ。やはり私は編み物は好かん」
 こちらはこちらで地雷だったらしい。この人は何かを快く思うことはあるのだろうかと、ダリルは父の人格を危ぶんだ。あまりに嫌いなものが多すぎる。好きなものでさえケチを付けずにはいられないのだから、相当に生き辛そうだ。勿論たまたま今日虫の居所が悪いだけだとは知っている。“そういう”日であるだけで、いつだって何もかもが気に食わないというわけではない。しかし心から友と呼べる相手はいなさそうだ。ルシウスの愚痴を聞き流しながら、ダリルは無礼を思い浮かべる。ドラコは「父上はグリーングラスのとこの父親と仲が良いだろう」というのだけど、ダリルはその証言を事実として受け止めていなかった。何せグリーングラスからの手紙と分かるや否や暖炉にくべてしまうのだ。ちょっとでも好きな人からの手紙を読みもせず燃やす人がいるだろうか。何故ドラコやナルシッサが平然と「照れ隠し」などと言うのか理解できない。本当に友人だと思っているのなら「あの雑草男はまだ生きてるのか。細君あたりが除草剤でも撒いたと思ったがね」なんて言わないと思う。少なくともダリルは言わない。ルシウスに限った話ではないが、スリザリン気質の人々の価値観はどこか理解し難い。
「……今日お会いになった方はお父様と同じに純血生まれだったのでは?」
 純血且つ思想を同じくした人とお喋り出来たなら良いじゃないか。言外にさぞや気があったのではと問えば、ルシウスが渋い顔をした。
「純血主義者は三人いた内一人だけだがな」ルシウスは外套の胸ポケットから黒地に銀箔で飾られた名刺入れを取りだした。差し出された名刺はごちゃごちゃと見難かった。「知り合いは多いに越したことはない――お前へそう言わねばならん程度の男だったよ」
 ダリルは名刺へ焦点を合わせた。その眉が寄せられたのは無駄に凝った装飾や、記された情報の多さの咎ではない。「……イウェイン?」名前だろうスペルをダリルは噛みしめるように呟いた。名刺を整理していたルシウスが顔を上げる。
「イーヴァインだ」律儀にも不出来な娘の発音を訂正してくださった。「お前のペンパルはドイツ人だったろう」
 ダリルの勉強不足を責めたそうにしていたが、勉強不足はルシウスのほうだ。「それはドラコです。私の文通相手はフランスの人ですわ」お父様の記憶違いですとキッパリ訂正したが、ルシウスはまるで気にしなかった。「ああ、そうかね」これだけである。
 ダリルは理不尽を抱きつつ、名前さえ認識することの出来ぬ名刺を返した。ルシウスは手を伸ばす代わりに杖を一振りした。机の上に並んでいた名刺が空中で再度三組に分けられ、書斎机の引き出し・背後の棚・ゴミ箱へと消えて行った。
 キープしておいて損はないと言った癖、件の名刺はゴミ箱の底へ落ち着いてしまった。

「ドイツ人と文通し始めるように何度か指示を出しただろう。あのずぼらさはフランス特有のものだ」
 忌々しそうに非難するルシウスへダリルは小首を傾げた。「でもお父様、とっても面白い方でしたわ」
 届くのだから良いじゃないかと横着して宛名も差出人も書こうとしなかったし、文通と言う割に返事は不定期で、ダリルが四通送ってやっと一通返ってくるか否かという調子だった。それに加え向こうが引っ越して以来手紙を寄越さないものだから、こちらから手紙を送れなくなってしまった。たった半年きりの関係だったし、もう何年もやり取りがない以上は過去形で呼ぶべき相手なのだろう。それでもダリルはあの奔放な少女が好きだった。宛名のない手紙が届くと嬉しくなったし、未だに僅か期待してしまう。
 彼女とダリルの年の差はそうなかったはずだから、今頃はボーバトン魔法アカデミーへ通っていることだろう。名前と所属校さえ分かれば探すのにそう手間取りはしないはずだ。何とか連絡をつけて、また不定期のやり取りを再開したいものだ。
 ダリルがこうも文通相手を気に入っているのとは逆に、ルシウスは二人がやり取りしていた当時から娘がフランス女の気まぐれに付き合わされていると良く思っていなかった。何度か文通相手を変えるよう言われたのは記憶しているが、なるほど完全に変えさせたと思いこんでいたらしい。「お前の好みは分からん」お父様ほどではありませんわとは勿論言わなかった。友達を馬鹿にされるのは楽しくない。
 尤もルシウスとしては過去のフランス女よりも今日会ったドイツ男のほうが重要事項であるらしく、「まあしかし応用力のおの字もない頭でっかちの相手をするならまだしもルーズなだけで害のない奴らのほうがマシかもしれん」と毒づいた。
「そうですわね」ダリルもそれにおもねることにした。「それに彼女は、少なくともご両親とも魔法族のようでしたし……」
 ぽつんと付け足す。

 でも純血だから、そうでなくともご両親共魔法族だから――ここのところよく耳にする付け足しを聞いて、ルシウスは難しい顔をした。
「……お前は分かっていないようだから言っておくが、純血であれば私の気に入るというではないぞ」
 ダリルが付き合うには純血でなくてはまずダメで、尚且つ自分の気に入る人物でなければならんなどと無茶を言って、ルシウスは娘に友達や恋人を作らせてやろうと思っていないのに違いない。ダリルは父親を非難しかけたが、幸いにもルシウスの台詞に遮られた。
「持って生まれた家柄にしがみ付くだけの愚か者より、マグル生まれという圧倒的苦境から純血思想を望む者のほうがまだしも面白い」“くそ”詰まらなそうに間延びした響きで言いきられても説得力に欠ける。「そうそう、セブルスも半純血だったな」
 ルシウスは額にかかった前髪を耳へ掛けると、右手を後ろにやった。しゅると衣擦れ、後ろで纏められていた髪が肩に広がる。リボンの絡まる指が机の上に戻ってきた。沈黙。じっとりと口を噤むダリルをルシウスが見上げる。「スネイプという家名は魔法界にはない」
「母方の……プリンスと言ったか、そちらはそこそこ遡れたはずだ」ルシウスが身を起こし、背もたれに寄り掛かった。「意外かね」
 自分の無知を見透かして悪戯っぽく微笑う父親にダリルは口を尖らせる。「その、ええと――はい」ダリルは慎重に手を伸ばして、深緑のリボンを取り上げた。「純血か、それでなくてもご両親は魔法族の方なのだと思ってました」
 ドラコのように根っからの純血一族に生まれ、それでマグルのことは蛇蝎のように嫌っているのだと思っていた。ダリルはリボンを両手に持って、ぴんと伸ばした。マグルの薬品についても知っているし、父親がマグルだったとして可笑しくはないのかもしれない。でも、そうしたら何故マグル生まれの生徒に厳しいのだろうか。否如何してスリザリンの寮監などしているのだろう。ドラコはスネイプ教授の出自を知っているのだろうか? ハーマイオニーのことを穢れた血と呼ぶドラコが? 頭の中がごちゃごちゃしてよく分からない。それもそのはずで、ダリルはマグルの家に生まれて純血思想を望む者がいるなどと思ったことさえなかった。家族を馬鹿にされて、もしくは自分が馬鹿にすることを強要されることを如何して甘受出来るだろう。ダリルだったら絶対に許せない。
 ダリルがハーマイオニーやフレッド・ジョージ達と仲良くしているのは勿論彼らが面白かったり優しかったり、一緒にいて楽しいからだけれど、“ルシウス達がやらかさない限り”ダリルの家族を悪しざまに言わないからでもある。もしルシウスやドラコのことを脈絡もなく罵倒するような人たちであれば、どんなに好きでも一緒にいることは出来ない。誰だってそう思うのが自然ではなかろうか。家族を否定されること悲しいことはないし、家族以上に大事なものもないに決まっている。
 それは勿論スネイプのようにマグルの元へ生まれながら純血思想を望む者がいたとて何ら不思議はない。ないのだけど、何かもやもやする。眠いし、何だか知ってはいけないことを知ってしまったような気さえして、頭の中がぐるぐる回る。

 リボンを伸ばしたり縮めたりしながら思索を続けるダリルへルシウスは瞳を和ませた。ダリルの諍いに愚かなところが愛らしいのだ。
 ルシウスは手を伸ばして深緑を取り上げた。「私の気に入りの後輩だからそう思ったのだろうが、お前はいい加減魔法界家系図を読んだほうが良い」端を重ねて二つに畳む。もう一度折ってから指で伸ばし、脇の引き出しへ仕舞った。「分かるな? 暗記しろということだ」
 ルシウスの台詞へダリルは露骨に嫌な顔をした。
 誰が純血かもあやふやなどというのは、この家ではダリルだけだろう。否“純血一族に生まれた者で”と言い換えても良いに決まっていた。
 ドラコからは「魔法史が出来て如何して伯母上の夫君が分からないんだ」と不思議がられるが、歴史に名を残すほどの変人と親族でしかない退屈な男を比べるのは無礼というものだ。家系図を前にしても「こうして系譜に名を連ねている以上全員純血なんでしょう」という投げやりな気持ちになってしまう。ルシウスやドラコの友達は全員純血。マルフォイ家と付き合いのある家は全部純血。ルシウス達が嫌な顔をする相手は半純血かマグル生まれか血を裏切る者。自分が覚えずとも家族の反応を見るだけで十分じゃないかと、今までそうやってきた。しかしルシウスが半純血とでも平気で付き合えるのを思えば、また“もしかすると”マグル生まれとも親交を結ぶことが物理的に可能であることが判明した以上は魔法界家系図を暗記する他ないのかもしれない。それにセオドールにだって無神経みたいに言われたし、これからスリザリンの人々と付き合っていかねばならないのだから、いい加減腹を決めるべきだ。
 でも、如何しても、こう、「もう面倒臭い人たちね! 誰が純血で半純血だろうと如何だって良いじゃない!!」と思ってしまう。
「あの……善処します」ダリルは日和見な態度でやり過ごすことにした。

 一度苦手意識を持つと如何宥めすかしても応じることのない頑固娘にルシウスがため息をついた。「お前は私の娘なのだから、何事もやって出来んということはない」その割に眉間のしわは深い。ルシウスが流し眼をくれた。「私が何故こんな話をするか分かるかね?」
 そもそも何の話をしているのかさえ分からないのに、如何答えろと言うのだ。眠気と足の痛みで何もかもが面倒になったダリルは素直に小首を傾げた。「お父様を小馬鹿にしているから?」それで呼び出されたのだろう。実際にルシウスが帰宅してからは愚痴と雑談だろうか。どちらにせよ何らかの意図は見受けられない。スネイプ教授の出自には驚いたが、魔法界家系図を暗記しているか否か確かめるためのように思える。ルシウスにとっては大した情報ではないのに決まっていた。良く分からない。そこまで考えてから、不意に沈黙へ気づいた。
「……まさか本気で私を小馬鹿にしていたわけでもあるまい」予想外過ぎる返事だったのか、ルシウスがぽかんとしていた。
「ち、違います。その、」
 ダリルは胸のあたりでもじもじと指を弄った。
「フローを連れてきてから色々ありましたから、叱られるとばかり――」

 ルシウスは呆れた風な視線を寄越すと、頭を振った。「如何にもお前は冗談が通ずるのか否か判別しかねる」そう言いながらパチンと指を鳴らす。「椅子を」背後に現れた屋敷僕妖精へ背を向けたまま指示を出した。ルシウス付きの屋敷僕妖精はキィーリレルのような頓珍漢をやらかすことなく、きちんと椅子を持ってきてくれた。屋敷僕妖精の老いた腕が、自分の三倍はあるだろう椅子をダリルの隣へ置く。
「座りなさい」ダリルは軽く頷いて、反射で礼を零しかけた口を押さえながら椅子に掛けた。
 自重から解放された途端にじくじく痛みだした膝をそっと撫でていると、ルシウスが渋い声で呻いた。
「馬鹿正直に四時間も待っていると知っていたならもう少し早く切り上げたものを」
 素直に「待たせて悪かった」ぐらい言ったとて罰は当たらないのではなかろうか。ダリルがぷっと膨れた途端ルシウスが大きく咳払いした。「お前の、変なところで融通の利かないところはナルシッサ似だな」
 都合が悪いとすぐお母様に擦り付けるんだから。自分を正当化させるためにダリルの短所を上げ連ね始めたので、ダリルも舟を漕ぐことにした。足の気だるさが程良く気持ち良い。慣れた声が聞きあきた叱責を繰り返すのをやり過ごしながらダリルは背もたれに身を預けた。

「さて、本題に入ろう」
 やれお前は突飛なことばかり仕出かすだの、笑いどころが分からないだの、地道に女らしくないだのと重箱の隅へ穴を掘っていたルシウスだが、とうとう自分の探しているのがタイムカプセルでないことを思い出したらしい。パンジーの手にフロバーワームを乗せて大泣きさせた時のことを熱心に語っていたルシウスが椅子へ深く座りなおした。ぽーっとしているダリルへ背筋を伸ばすよう告げる。
 ダリルはもぞもぞと座りなおり、ぴんと背筋を伸ばした。頭が半分寝ていても父の指示には従うよう叩きこまれている。 
 ルシウスは机上で指を組みなおした。「先ほど話に上ったセブルスだが、そろそろ陽光を浴びたくなったらしい。今朝方手紙が届いた」
 ダリルの漕いでいた舟が転覆する。突然冷水を浴びせられたダリルが目を見開くと、ルシウスが頷いた。
「お前を家へ招きたいそうだ。可愛い娘を独身男性の家へ一人やるは不安だが、それでお前に触れられるようになるのだから致し方ない」
「い、」一拍遅れでダリルの喉が動き出した。「いつのことです?」それだけ絞り出し、ダリルはもどかしげに視線を膝へ落とす。
「八月の七日だ。セブルスの家の住所やら馬車の御し方やらは、この――」ルシウスのかざした手が封筒に触れた。カーペットの上に散らばった書類を煩わしげに睨んでから杖を振る。「この仕事が片付いたら、纏めて教えてやろう」
 馬車で一人行くことになるのだろうか。もう一人で出かけることに不安はないし、寧ろ自由時間は喜ばしいものだ。それにヴォルデモートの呪いを抑える目途が立って嬉しくないはずがない。わあと歓声を上げたとて可笑しくはないだろうに、ダリルは何か釈然としない気持ちを持て余していた。先ほどスネイプの出自を知ってしまったからだろうか? しかし、そんなのは大したことでないはずだ。魔法界家系図を捲れば分かることだし、それでなくともドラコかルシウスが告げる可能性は十全にある。スネイプとて気にすることはないだろう。
 ダリルの反応を訝しんだルシウスが眉を寄せた。「……如何した。嬉しくないのかね」
「勿論嬉しいですわ」曖昧にほほ笑んでから拗ねた声音を作る。何故か心中にある違和感を悟られてはならないように思った。「でも、朝の時点でもう知ってらしたんでしょう。あんな意地悪をなさらなくたって、用があるから来なさいと言うだけで良かったじゃありませんか」
「少し勿体をつけただけのことにそう怒るな」ルシウスが悪戯っぽくほほ笑んだのにもやもやが消える。「それに、連中の汚らしい顔を映さねばならん私の目をお前達で慰めてやったとて罪ではなかろう」
「……お父様にしては中々に素直な台詞ですこと」ダリルはくっと顎をあげて勝気にほほ笑んだ。「許して差し上げますわ」
「今日の遅刻についても許してもらえれば有難いのだがね」
「それは頬へのキスでチャラにしてあげます」
 ルシウスのからかいに笑うと、全部終わりなのだという実感が胸に広がった。

 何もかもが終わりでなくとも一旦は終わるのだ。ヴォルデモートの呪いをどの程度抑え込めるのかは分からないが、人や魔法因子へ触れることは出来るようになるだろう。ドラコをぎゅっと出来るし、セドリックとキスも出来る。もう寂しくない。もう大丈夫。

 ダリルは口元に手を添えると目を細めてほほ笑んだ。「“厄介”が終わったらお父様に一杯可愛がってもらわなくちゃなりませんわね」
 ニコニコしている娘へ満足げな吐息を零す。「お前の望むだけ甘えさせてやろう、ダリル」ルシウスが手招きするので、ダリルは椅子から立ち上がった。机に手をついて僅かに身を乗り出す。ルシウスの指が前髪を分けて額に触れた。
 もう少しでこの不自由からも解放されるのだと思えば胸の内でじくと動く邪悪さえダリルの笑みを崩せなかった。
「子供は体温が高いと言うが、お前の温もりが甘いはお前がそうだからなのだろう」
 痛む前に、皮膚がルシウスの温もりを認識する前に離れていく。子供か。ダリルはルシウスのからかいへ拗ねたりはしなかった。ルシウスの言うとおり自分は子供なのだから、素直に大人へ頼ろう。秘密主義は止めにして、ダンブルドアにでもきちんと頼ろう。一人で殻に閉じこもるのは止めよう。ヴォルデモートの呪いを抑えるのに成功したら皆に夏あったこと、学期末にあったこと、全部話そう。

 ダリルが一人を選んでいるだけで、一人を強いられているわけではないのだから、きっと如何にでもなる。

 親愛なるハリーへ
 誕生日当日でないのは残念ですが、八月七日に貴方へ会いに行きます。
 ハリーに迷惑が掛からないよう、挨拶だけでお暇する予定です。迷惑に思っても思わなくても返信を下さい。もし私と会ってくれるなら、貴方の家の住所と暇な時間を教えて下さい。勿論会いたくないって返したからってカードとプレゼントを渋ったりはしないわ。安心してね。
 如何か貴方が私と会ってくれますように。

 ダリルは部屋へ戻るなり書き上げた手紙を封筒に仕舞って、封蝋を押した。
 一人でマグルの町へ行くのは不安だが、公共の交通網を使わずに馬車で行くなら大丈夫だろう。場所を言うだけで良いのだし、屋敷僕妖精と違って天馬は喋らない。ダリルがスネイプと会う前にほんのちょっと寄り道したってバレないに決まっている。
 大丈夫。迷子になったりルシウスにバレる危険はない。ダリルは後は出すだけとなった手紙を前に深呼吸をして、パチンと指を鳴らした。
 途端に背後で鈍い衝撃音が響く。「フロー一言でも喋ったらダメよ!」ダリルは杖を手に、今にも吠えださんとしていたフローを叱りつけた。不服そうに口を閉じたフローの視線を辿れば、キィーリレルが斜めになっている洋箪笥と鞄掛けの間に挟まれているのが見えた。
「姿現しが苦手なら部屋まで歩いて来ても良いのよ」
 キィーリレルが窓の外に現れてそのまま落ちていったり、天蓋ベッドの上に現れて頭をぶっつけたりするのは珍しいことではない。毎度のことというわけでもないが、まあ姿現しに失敗する屋敷僕妖精がキィーリレル以外にいるとも思えなかった。
「今日のキィーリレルはお庭の掃除を頑張ってらっしゃったのです」力なく宣言するキィーリレルは確かに疲れているようだった。
 ダリルは深いため息をつくと、杖を手に持ったまま椅子から立ち上がった。「それはすまないことをしたわね」屋敷僕妖精に頭を下げることへすっかり抵抗のなくなったダリルが軽い響きで謝る。自分で抜け出そうとしたキィーリレルを手で制した。「私が如何にかするからお前は大人しく挟まれていて」矜持よりも洋箪笥とそのなかに仕舞われている服のほうがずっと大事だ。
「分かりましたでございます」キィーリレルが大真面目に頷いた。「キィーリレルは大人しくいておいでになります」
 ダリルは鞄掛けを掴むとまっすぐ立たせた。「ええ、そうしていてちょうだい」左腕に力を込めて、洋箪笥を直す。晴れて自由の身になったキィーリレルへ鞄を戻しておくよう告げるとダリルは踵を返し、机へ戻ろうとした。その背をキィーリレルのキンキン声が引きとめる。
「お嬢様!」今度は何だと振り向けば、キィーリレルが白い肩掛け鞄を持つのと反対の手で杖を手にしていた。「お嬢様の杖です!」
 ダリルは右手に持っている杖を目線の高さに掲げ、キィーリレルが持っているものと見比べる。「……お前、増殖魔法でも使ったの?」
 茫然とするダリルにキィーリレルは思い切り頭を傾げて見せた。

 黒檀に蛇を象った銀の細工。キィーリレルの手のなかにある杖は寸分の狂いもなくダリルの手にあるものと鏡映しだった。
 

双子の杖

 
 


七年語りLULL BEFORE THE STORM