七年語り – EXTRA STORY
ただ一人、君からの言葉を欲していた
「トムって、本当にモテたわよね」
何故この小娘は他人の頭髪事情や恋愛事情など、こう下らない話題に関心を示すのであろうか。
向かいの木箱に座るダリルの双眸がまじまじと己を見つめてくる。穴が開きそうなぐらい強烈な視線に、リドルはため息をついた。その真剣さで本を読めば勉強だってずっと捗るのにと、教師みたいなことを考えて呆れる。ダリルの膝に置かれた本のタイトルは去年から変わっていない。「勉強したからちょっとはわかるもの」と彼女は言うが、五十頁も読み進んでいないようだった。しかしそのことへ言及する気力は、今のリドルにはない。リドルだって嫌味を生産するために存在しているわけではないのだ。
「……過去形で言うのは止めてくれないか。それに記憶を漁るのは君の勝手だけど、過去の私生活について口出しするのも止めてくれ」
「漁ってないわ。貴方の顔を見ながらつくづく思っただけ」露骨に呆れの絡んだ台詞を口にすれば、ダリルがぷっと膨れた。
ダリルを適当にあしらう気でいたリドルだが、彼女が珍しくも己の容貌を褒めるので気が変わった。ナルシストの気はなくとも、褒められて悪い気はしない。リドルだって一応は人間だ。抱く感情が変化する切っ掛けは、常人とそう変わらない。
殆ど自分を悪く言うだけのダリルから褒められるのは嫌なことではないとリドルは判断した。
「ふうん。君の目も飾りじゃないようで、驚いたよ」
「それでもセドリックのほうが、やっぱりハンサムだわ」
しかし食い気味に発せられた台詞に、リドルの機嫌は一気に下降する。
ダリルは胸の前で指を組み、嬉しそうに笑っていた。人を貶しておいて、天使のような笑みを浮かべられるとは如何いうことなのだ。
「トムはカッコイイんだけど、性格の悪さが顔から滲んでいる感じがするのよね」
「同意を求めるようなことを言わないでくれる?」
顔から性格の悪さが滲んでいるなどと言われるのは、リドルにとって初めてのことだった。ダリルの評は今まで「性格は悪いけど顔は整ってる」とか「顔も性格も良い」とか、そんなような称賛しか受けたことのないリドルに深く突き刺さった。
「でも貴方、去年一年私と一緒にいてセドリックがどれだけモテるかとか見たでしょう」
「何の役にも立たないだろう下らない情報を蓄積しておく趣味はない」
「トムの最盛期には、」
「最盛期って……」
「かつてトムが一番モテていた頃でも、週に二回告白されるのがやっとだったわ!」
結局自分の記憶を漁ってるし、しかも私生活チェックしてるし、カウントまでしてるじゃないか。
この小娘が自分の魂さえ保有してなければぶちのめすのに、いやこんな小娘の馬鹿げた話を本気に取るのは大人げない。モテようがモテなかろうがリドルには如何でも良いことだ。そんなことを気にするような器の浅い男でも、色恋に執着するような性質でもなく、己の容貌にとりわけこだわっているというわけでもない。目の前にいる顔だけが取り柄の馬鹿と違い、自分はこの顔を失っても忠実なる配下や世界中から集めた闇の魔術に纏わる知識や膨大な魔力がある。気にすることはない。自分のような偉大な魔法使いがこんな小娘の言う事へ本気で怒るのは、獅子が蚤へ怒るのと同じほどにみっともないことだ。気にしない。気にならない。気にしてない。
平和に笑っているダリルから視線を逸らすと、リドルはぎこちなく口端を吊り上げた。
「そう言う君なんて、今まで一度も告白されたことがないじゃないか。それに僕と君の過ごした時代は貞操観念その物が違うんだ」
「セドリックは週に四回も告白されてるのよ」
人の話を聞け。
暗に「お前らの貞操観念が低いからあの程度の顔でポンポン告白されるんだ馬鹿」と言っても、ダリルは動じない。
自分が告白されたわけでもないのに、ダリルはふふんと自慢そうな顔をした。まあ恋人がモテるというのは普通自慢に思って然るべきことなのだろうが、リドルはその勝ち誇った表情の真意が何となく分かるので、ついに不機嫌を顔に出してしまった。
「冗談交じりのものはカウント対象外だろう」
「あ、セドリックに負けて悔しいのね?」
この小娘は自分の恋人がモテて嬉しいというよりも、今までセドリックを馬鹿にし続けていたリドルを言い負かすことが出来そうなのが嬉しいのだ。セドリックのほうが己より勝ってるところもあるとリドルへ認めさせられそうな予感に、ダリルが瞳を輝かせた。
ね? セドリックって素敵でしょ? と言いたげな顔が苛立つ。
第一リドルが誰を嫌おうとダリルには関係ないはずだ。ダリルもそう思われていると自覚しているのか、ハリーやウィーズリー一家を馬鹿にしても恨みがましい目で一瞥するだけに留まる癖、セドリックやドラコに関しては食い下がる。
貴方や貴方の未来に害を為すわけじゃないんだものとダリルは言うが、リドルが「損得抜きにして個人的に気に喰わない」という感情を抱くことがないとでも考えているのだろうか。己の役に立とうが、無害な存在であろうと、嫌いな者は嫌いだ。
リドルは膝の上の本を脇に下すと木箱から立ち上がり、短い距離を詰めた。ダリルの顔に触れた指で、その頬を摘まむ。
「そんな世にも馬鹿げた競争で負けようがちっとも悔しくはないけど、君の勝ち誇った顔は酷く苛立たしいね」
摘まんで抓れば、ダリルが眉を寄せた。
「いひゃいわ」
「痛いように抓ってるんだよ」
ぐいーっと引っ張る。
「ひろいらない」
ぱっと手を離すと、ダリルは頬を片手で押さえて小さく呻いた。
「へえ、僕に告白してきた女の子達を馬鹿にするのは酷くないんだ?」
「そんな、う、ば、ばかになんてしてないもの」
「こういうことは数の問題じゃなくて気持ちの問題だろう。二人でも四人でも冗談でも、気持ちの重さは同じだ」
借り物の台詞で、殆ど口から出まかせを言ったも同然だったが、ダリルにとってはそうでなかったらしい。ダリルは出まかせを本気にとって、その表情に影を落とす。リドルにとっては理解の範疇を越えた台詞だが、彼女は理解することが出来たのだろう。
「あの、その、私」
「人の恋心を笑うのは良くないと思うよ」
「……ごめんなさい」
「分かれば良いさ」
リドルの胸に暗いものが滲む。
ダリルで言うところの「トムの最盛期」に慣れ親しんだ暗さが、瞳に映る世界を褪せたものにさせていった。それを“暗さ”と捉えている己にも驚かされる。愚かさに毒れて、見えなかったものが見えるようになるというのは、如何いうことなのだろう。
リドル――十九歳のまま老いることはなく保存されたヴォルデモート、ダリルからレディ・ウィルトシャーと名付けられた黒蛇で、彼女にとってのトム・マールヴォロ・リドルである彼は人間ではなく記憶体だ。純粋な記憶が他人の形をとっただけの存在は見たもの全てを記憶することが出来る。何の役にも立たないだろう下らない情報を蓄積しておく趣味がなかろうが、意思と無関係に蓄積していくのだ。
見たくない光景も、聞きたくない声も、リドルには何一つ忘れることが出来ない。
『私達“出会ってる”もの』
『貴方を恋うた瞬間から、私の心は永久に貴方のものです』
リドルにはダリルの考えは永久に理解出来ないだろう。セドリックが何を考えているかも分からないし、ダリルが何故あの男の意見を素直に聞き入れるかも分からない。分かるのは自分とダリルの価値観が異なっていて、永遠に相いれることがないというそれだけだった。そしてダリルにとって魔力や魔術の知識や容貌の優劣より、己の価値観を共有出来るか否かのほうがずっと重要なのだとも理解していた。
そこまで理解しても、リドルにはダリルの望むものが分からない。
例え言葉として脳裏に浮かぼうとも、それは数式のように整然と並ぶだけで、納得出来たことは――同意や共感を抱いたことは一度としてなかった。それで良いと今まで思ってきたはずだ。そういうものなのだと、自分は輪から一歩離れた場所に立っているのが普通で、硝子越しに世界を覗き込んでいるのが当然で、その孤独はやがて孤高になり選民思想と結びついた。己の優秀さ故、物心ついた頃からその孤独は“異端”ではなく”特別”なのだと考えるようになり、やがて己が一人だと意識することもなくなるほどに周囲を見下して生きてきた。
ダリルの隣にいると慣れた暗さや孤独に気付かされた――突きつけられると言って良い鋭利さを持って、かつての友が胸を揺らがす。
「……君ってディゴリーの顔とか性格とかじゃなくて、奴が自分を叱ってくれるから、そういうのが新鮮で好きなんじゃないの」
「きゅ、急に何を、さっき気持ちの重さが同じって、恋心を笑うのは良くないって」
しょんぼりしていたダリルがパッと顔をあげて、動揺を口にする。疑惑を孕んだ視線に、リドルの動揺が静まった。
「都合の良い頭だね。僕に散々からかわれたことも忘れて、ちょっと叱ってみればすぐに反省しちゃうんだから」
「それは、そりゃ貴方が言うようなことじゃないって思ったけど、でも尤もだなってそう思ったからよ」
「まあ君が反省しようと誰かを笑いものにしようと如何でもいいけど、僕に叱られた時の君の顔は面白かったかな」
にっこりと笑みを作れば、ダリルはつんとそっぽを向いた。
「もう、トムなんて大嫌い」
「君ってたった一日の内に僕を嫌いになったり、そうでなくなったり、忙しいよね」
日に何度も己へ向けて嫌い嫌いと言うことをからかうとダリルがきゅっと眉尻を吊り上げる。
「し、知らない。嫌い。ずーっと嫌いでいるもの」
互いにダリルの台詞が本気ではないことも、嫌いというのが軽い言葉であるのも分かっている。
軽い言葉で深い意味のない言葉でもあるからこそ、時々癪に障った。
「ああ、そう。僕も嫌いだから、勝手に他人を気取っていれば良い」
リドルは腕を組むと、冷たい視線でダリルを射抜く。その剣幕にダリルがびくりと肩を震わせて、悲しそうな顔をした。首を傾げながら自分の何がリドルを怒らせたのか考えて、狼狽える。「怒ったの?」とか「何が気に障ったの?」とか、リドルの機嫌を伺う台詞が唇から零れても、リドルは黙り込んでいた。思考がもつれて、纏まらない。雑然とした考えが気持ち悪い。
結局、ダリルはリドルを信頼していないのだ。諦めていると言うほうが正しいのかもしれない。
自分とリドルの価値観は相いれることがないと思っているから、ダリルがリドルの価値観に合わせる。リドルが個人的な感情で自分を要すると思っていないから、ダリルのほうから要する。使える道具になろうとする。自分の嘘も、出まかせも、仮面も見抜けない。学生時代周囲にいた少女達とダリルは何ら変わりがなかった。“特別”でも、“異端”でもない。
簡単に騙すことが出来るし、簡単に見下すことが出来る。これまでせせら笑い突き放してきた生き物と同種のものであるのに、苦しい。
「――嘘だよ」リドルは壁に手をついて、ダリルを腕の中に閉じ込める。ダリルの視界が暗くなった。「嘘だ」
きょとんとするダリルに虚偽申告を繰り返す。今まで容易に突き放し、見下して、騙してきた生き物の前で、自分から仮面を脱いだ。
君が欲しい。君の一番になりたい。君の隣にいたい。君に笑いかけてほしい。君に触れてほしい。君の声を聞いていたい。君に触れたい。君が何なのかわからない。君に執着する理由がわからない。君といると苦しい。君が憎い。君が怖い。それでも手離したくない。
どんなに素顔を晒そうとしても、口にすることは出来ない言葉たち。リドルの“素顔”は、最初から存在しなかった。
自分に嫌われようとリドルは気にしないからと、ダリルは軽い言葉を口にする。セドリックを嫌うのも、ドラコが鬱陶しいのも、彼ら自身に問題があるのではなく、ダリルが肩入れするからなのだと理解しない。リドルの好意を理解しない。そもそも理解してほしくないと思ったのもリドルで、ダリルはそれを忠実に守っているだけで、己の気分を害さないためなのだと分かっていても、
「さっきのは嘘だった」
相手の気分を害するよりも強く、相手に好かれたいと、そう思っていないのが苦しい。
痛む胸へ、じわりと温もりが染みこんだ。小さな手がよしよしとリドルの背を撫でる。ダリルがぎゅっとリドルに抱き着いて、その胸に頬を寄せていた。「私も、」と鼻にかかった声がゆるゆるとリドルの鼓膜を振るわせる。
「私もさっきの、嘘よ」
彼女のように、欲しいのはただ一人なのだと言えるほどに明け透けだったら、あの男の位置にいるのは自分だったのかもしれない。
仮面の下にある素顔を疑わないように、そんなことを薄ら夢見る。夢よりも儚いと知っていながら、目を瞑る。
七年語り – EXTRA STORY