七年語り – IF / PARODY
張りぼての女王

 

 幼い頃から寄る辺はなかったように思う。

 母はダリルと兄とを比べては「見てごらんなさい。たった一つ差なのに、貴女と違って何でも出来ること」と言い、父は子供らの育成には無関心で、当の兄は優しかったものの、あまりに立派すぎてダリルのほうから打ち解けようとはしなかった。そうやって己を誤魔化したまま十一年を過ごしたダリルの下には(母の台詞を借りれば)当然のようにホグワーツへの入学許可証が届いた。白地に緑で綴られた文面にも心は躍らない。母の言う通り、マルフォイ家に生まれたのだからホグワーツへ行くのは当然のことなのだと無感動な気持ちを抱いて、ホグワーツで何とか母に叱られないよう暮らせるか、そのことだけを真剣に考えていた。叶うならば褒めてもらいたいと、前年度の兄の成績を褒める母を眺めながらそんなことを思ったが、その希望はすぐに打ち消された。母に褒められるということは、兄を超すということだ。生まれてからずっと先んじている兄を追い越す自信はない。

 仕方ない。何とか叱られない程度には頑張ろう。波風立たすことなくやっていこう。妥協ばかりのダリルが、組み分け帽子へスリザリンに入れてくれるよう懇願するのは当然のことと言えた。「グリフィンドールに行けば君は君の人生を送るための勇気を得るだろう。スリザリンへ行けば、君の道は潰えてしまうよ」幾ら帽子に諭されてもダリルは口ごもりはしなかった。例え耄碌したボロ帽子の判断と言えども、マルフォイ家へ産まれた自分がグリフィンドールへの適性があるとされたのがひたすらに恥ずかしく、聞いてもいない母の叱責が頭に満ちると共に帽子を被ったまま消え失せてしまいたいと思った。帽子と散々揉めたが、ダリルはスリザリンへ入ることが出来た。笑顔で自分を迎え入れてくれる兄に「随分長かったんだな」と言われて、ダリルは「どうしても、レイブンクローが向いてるって言われたの」と嘘をついた。兄は疑う様子もなくダリルの嘘を信じて、笑ってくれた。その笑みに、自分は正しい選択をしたのだと胸が安らいだのを覚えている。毎年度スリザリンに組み分けられる生徒は少ないので、その日のダリルが“彼”に気付いていても不思議はないはずだった。しかしダリルは自分を気遣う兄やその友人達と言葉を交わすのに精いっぱいで、己の怯えを隠すのに意識が向いていて、己と同じ新入生の誰の顔も覚えはしなかった。彼女が新入生と言葉を交わしたのは、割り当てられた部屋でが初めてだ。

 そういう風に社交力のない少女が、マルフォイという後ろ盾があるからと輪の中心になれるわけはない。
 勿論全学年ひっくるめてもダリルほどに家柄の良い少女はいなかったため誰かに軽んじられたり、虐められたりということはなかった。容貌の美しさも関係して、ダリルはスリザリン寮の女学生から女王のように扱われるのがしょっちゅうだった。そしてダリルがいなくなるや否や陰口を叩かれるのもしょっちゅうだった。やはり優秀で人望もある兄を引き合いに出して、やれ引っ込み思案だの、運動神経がないだの、兄――アブラクサスなら目を瞑っていても出来るだろう簡単な調合で失敗しただの、ついさっきまで自分と親しげな会話をしていた少女達からボロクソに貶される。己の悪口を聞く機会が増えるにつれ、ダリルは一層引っ込み思案になった。それでも容姿の美しさゆえに男子は構ってくれたが、女子から「男に媚を売る尻軽」と馬鹿にされ、仕舞いには尊敬する兄から「はしたない」と叱られたので、必要以上に男子を遠ざけるようになった。ダリルが誰か他人と親しげに振舞うのは母の目があるパーティでだけだ。尤も他人でなくとも、肉親であるアブラクサスとも母とも父とも素っ気ないやり取りをするのが普通だった。ホグワーツに入学したばかりの頃はダリルの成績を叱りつけるのに忙しかった母も五年生になる頃には成績表さえ見ようとしなくなったし、父は元よりダリルよりフロバーワームのほうへ関心を抱いているといって相違なく、共に過ごす時間の多いアブラクサスとてダリルに関心を払うのは彼女が異性と接触している時だけなのである。他人どころか家族さえダリルに無関心で、命令をすることは出来てもお願いが出来るような友もいなかった。

 絞められるような孤独のなかで、狂ってしまわなかったのは“彼”がいるからなのだとダリルは思う。

 その日ダリルはいつも通りの孤独で過ごす時間を一分一秒でも消化するため、通い慣れた廊下をスイスイ通り、移動パターンを覚えた階段をスルスル上って図書室を目指していた。図書室の一つ下の階を歩きながら今日は何の本を読もうか退屈な悩みに興じていると、不意に腕を掴まれた。ひゃっと高い音を零して、己に触れている手を振り払う。赤い顔で振り向けば、「酷いな」と苦笑しているリドルがいた。

「あ、ご、ごめんなさい」ダリルは赤い顔を隠そうと浅く俯いて、口元を指で隠した。
 私、驚いてしまって、呼び止められたのが嫌だったわけではないの。口にした謝罪が尻すぼみになってしまっても、リドルは嫌な顔一つしない。
「大丈夫、気にしてないよ」
 にこりと微笑むリドルへ、ダリルは強張った頬を緩めた。

 リドルはスリザリンへ組み分けられたのが不思議なほどに人の良い青年だ。アブラクサスでさえグリフィンドール寮生の悪口を言ったりするのに、リドルは彼らのことばかりか教授達についてでさえ欠片の悪意を口にしない。善良というものが如何いう風なのか知らないダリルだが、きっとリドルのような人を指して言うのだろうと思っていた。そんな優しくて成績優秀、運動神経も良く、人望があり、何より飛び切りハンサムなリドルは、如何したわけかよくダリルを構ってくれる。最初こそ兄に叱られるとリドルを避けていたダリルだが、リドルが根気よく話しかけてくれたのと、唯一兄が「彼なら一緒にいて構わない」と許可を出してくれたのもあって、今はリドルに構ってもらうのを心待ちにしていた。
 リドルは悪意とまるきり無縁な表情で笑うと、ダリルの手を取った。ビクリと微かに身じろいだものの、ダリルは顔を赤くするだけで振り払ったりはしない。男子と手を繋ぐというのは恥ずかしいことだし、女子に人気のあるリドルと一緒にいたなどと知れれば後で嫌な目を合うに決まっているが、父母とも兄とも不仲で、心許せる人が誰もいないダリルにとってはリドルに嫌われることが一等恐ろしかった。
 恐る恐るといった調子で不安げにリドルを見つめると、リドルは相変わらずの優しい笑みと共に口を開いた。
「今、暇かな。暇だったら、天気もいいし湖の辺りでも散歩しない?」
 ノーと言うはずはなく、そしてリドル自身も言われるなどとは端から思っていなかったに違いない。常に陰のあるダリルの容貌に光射すよりも早くリドルはダリルの手を引いて歩き出した。ダリルは嬉しそうに頑なな表情を崩していて、通りすがりの女子に睨まれたのにも気づかない。

 リドルは穏やかな声を紡ぎながら、心の内でダリルを嘲笑った。

 リドルがダリルという存在を認識したのは、ダリルのそれよりも大分早い入学当日のことだった。組み分けを待って並んでいた退屈な時間に、美しくなびくプラチナ・ブロンドとスリザリンのテーブルへと赴く足取りの重さが彼の意識を惹いた。それまでスリザリンに組み分けられた誰よりも盛大に祝われる様子から、彼女がスリザリンで――純血思想を持つ人々の中で――ある程度通じる後ろ盾を持っているのだろうことは明らかだ。リドルが何よりも欲しいと思っているものを得ているのに、当のダリルと言えば兄と思しき少年にべったりで、折角の後ろ盾を活かしきれていない。顔だけが取り柄の馬鹿な女。最初に抱いた感想は入学してから一年が過ぎても二年が過ぎても変わりはしなかった。寧ろ年を重ねる度にダリルの引っ込み思案に拍車がかかり、リドル以外にも彼女のことを「顔だけが取り柄の馬鹿」と考える者が増えた。アブラクサスの手前リドルは一度としてダリルの悪口を音にしたことはなかったが、まあ家柄も顔も良い女が自業自得で凋落していくのは見ていて面白いなと思ったものだ。
 そもそもリドルがダリルに構うようになった切っ掛けは、自分を好く少女達にダリルを罵らせたいがためであった。どんなに顔が良くても、なびかない女は詰まらないし、馬鹿は好みじゃない。リドルがダリルの長所を挙げるとするなら、それはただ一つその滑稽さだけだ。

 マルフォイという巨大な家名に振り回され、人の感情へ不用意に共感して些細な事で傷ついたり疲弊したりと、ダリルの孤独と劣等感が膨れ上がっていくのを見るのはリドルの愉しみの一つだった。しかし使い道はまだあるかもと思うが故に、彼女の前でボロを出さないよう努力はしたし、少女達の罵倒がヒートアップすればそれが収まるよう采配してきた。そうやって二年ほどが経っただろうか。去年のクリスマスのことだ。ダリルの使い道は思ったより早く巡ってきた。

 クリスマス休暇には希望すればホグワーツへ残ることが出来るため、孤児院出身でマグルを嫌うリドルは毎年名簿に己の名を綴ってきた。例年であれば自分の他に五六人連なる頁に、去年並んだのは二つだけだった。ダリルとアブラクサスだ。どんなに顔を顰めても、名前はそれ以上増えなかった。何の因果かと不愉快になったのは、ダリルのせいではない。アブラクサスとの不仲が理由だった。
 尤も不仲というのは聊か語弊があるかもしれない。リドルとアブラクサスの関係は良く言ってライバル、悪く言えば対立関係にあった。要するに純血一族の名家出身のお坊ちゃまは、どんなに成績が良くても顔が良くても闇の魔術に精通していても、どこの馬の骨とも知れぬ小僧と心から仲良くしたくはないというわけだ。将来のために闇の魔術に長け、己の野望を理解してくれる仲間を増やしたいと望んでいても、アブラクサスに侍る連中を引き入れることは困難を要した。彼らは成績でも魔法でもリドルに敵わない癖に、アブラクサスがリドルに屈していないというそれだけでリドルを半ば馬鹿にしている。普段は気にしていない風を装うどころか、アブラクサスとの友情を演じているが、奥底ではアブラクサスに痛い目を合わしてやりたいと常々思っていた。

 談話室にてアブラクサスが眠っているダリルに口付けているのを目撃したのはそんな折だった。

 口付けているだけならまだ言い逃れも出来ただろう。しかし上半身に纏う衣類を全て取り去って、両手をネクタイで縛って固定して、それでどんな言い逃れが出来るのか。盛りのついた猫でもここまで酷くないと、その現場に出くわしたリドルはぽかんと口を開けてしまった。

 恐らくリドルは自分を嫌っているし、二人きりという状況は向こうから避けると過信していたのだろう。それにクリスマスディナーを終わらせたリドルはレイブンクロー寮の友人達と喋っていた。図書室のほうへ消えていくのを見て暫く戻ってこないと思ったのかもしれない。リドルが寮へ戻ってきたのは友人に借りていた羽根ペンを返すためで、何も借りていなければ二三時間は戻ってこなかったに違いない。でもそれにしたって、せめて自分の部屋で事に及べば良かったのではなかろうか。リドルが色々なことを考えている内にアブラクサスは諦念に達したらしい。ダリルの衣服を整えながら、開き直ったように「何だ、戻ってきたのか」と世にも不愉快そうな声音を絞り出した。その平然とした態度があまりに癇に障るので、珍しくもリドルは露骨な台詞を口にしてしまう。
『ダリル本人へ尊敬するお兄様に犯されそうになってたよって言うのと、母君に貴女御自慢の息子さんは妹さんを異性として見てますよって手紙を書くのと、どっちが嫌?』
『ダリルも母上も、お前如きの台詞など信じるはずがない』
 アブラクサスがそうせせら笑うのも、想定の範囲内だった。リドルはにこりと笑って、余裕たっぷりに腕を組んだ。
『ダリルにとっての君が“単なる”ご立派なお兄様だと言うなら、僕がダリルと付き合って何の問題もないわけだ』
 可愛い妹が異性に興味を持たないよう、そして持たれないよう一生懸命根回ししてきていたのだろう。リドルでさえ、その時までアブラクサスがダリルへ過剰な執着を抱いているなどと悟りはしなかった。口では強がりを言っても、ダリルへ些細な好意を与えるのさえ恐れるほど、普段の冷静さをかなぐり捨ててこんな場所で事に及ぼうとしたほど、それほどまでに彼女へご執心で、嫌われることや拒絶されることを恐れているのに違いない。
 リドルは顔色を失くすアブラクサスへ畳みかけた。
『ダリルは僕と君、どっちのことを信じるだろうね?』
 過剰な好意を隠そうとするばかりに冷淡な態度を取る兄と、例え彼女で遊ぶのが目的だったとは言え優しく接する同級生。ダリルが信じるのは、心を開いているのはどちらであろう。アブラクサスはリドルより己のほうがダリルに好かれていると言い切る自信がないらしかった。

 今見たことはダリルに言わないでいてくれとアブラクサスが口にした瞬間、リドルの優位は揺るぎないものとなった。アブラクサスが屈すれば、後は簡単だった。それからひと月で、スリザリン寮生は誰もリドルに逆らわなくなり、陰口さえ叩くことはなくなった。

 形だけの女王であるダリルとは違い、リドルは実質共にスリザリンの王――支配者となったのである。
 しかし己の支配が完全なものになった切っ掛けがダリルというのも、不思議なものだ。

 あんなに馬鹿にし、滑稽だと嘲笑ってきた少女と手を繋ぎながら、リドルは嘘だけを口にし続ける。ダリルは躊躇いがちに微笑んで、リドルの話に相槌を打っていた。怯え以外のものを殆ど浮かべない容貌に、幸福そうな光が灯る。
 未だに愚かで顔しか取り柄のない女だとは思っているが、張りぼてでも女王と称される女を娶るも悪くはないと思うようになった。

 二人手を繋いで廊下を進み続ける。その歩みが玄関ホールに差し掛かると、ふと誰かの視線に貫かれた。脇を見れば自分を睨むアブラクサスがいて、彼の憎々しげな顔がダリルの笑みに気付くと切なそうに歪められる。その変容を見て、リドルはダリルに見えないよう昏い笑みを浮かべた。
 血筋を誇りとしていた男がその血筋故に愛した少女と結ばれないというのはつくづく滑稽だ。

「トム」
 ダリルの呼び声に、リドルは慌てて暗い感情を仕舞って、優しく笑いかけた。如何したんだいと問えば、ダリルがふふと可愛らしく微笑む。
「その、いつも私なんかと仲良くしてくれて、有難う」
「“なんか”なんて、そんなことはないよ」
 リドルはダリルの卑屈を珍しく心から否定した。続く本音を飲み込んで彼女の優しさを褒めるとダリルは頬を染めてはにかんだ。

 美しいダリル、君は偽善と善良の区別もつかないぐらいに優しく、僕の持ちうるなかで一等血統が良い戦利品だよ。
 

張りぼての女王

 
 


七年語り – IF / PARODY