七年語り – IF / PARODY
修羅場にて
全く以て何故こんなことになっているのだろうと、ダリルは己に影を落とす男を睨みつけた。
「トム、退いて」
犬でも叱るような口調で命令してみるが、ヴォルデモートは「嫌だ」とにっこり笑みを深くするばかりで、一向にダリルの上から退こうとしない。
そもそもヴォルデモートが彼女の命令にちょっとでも従おうと思うのなら、まず校内でアニメーガス呪文を解くはずがないだろう。ホグワーツへ連れて行く代わり、絶対にアニメーガス呪文を解かないことと命じてから、まだ一週間も経っていなかった。
ダリルはヴォルデモートの胸を押しかえる手を休めて、痛む額を押さえる。
「……校内でアニメーガスを解くんだったら家へ送り返すわよ」
「ああ、間違いなくルシウスが僕をホグワーツへ送り戻してくれるだろうね」
ルシウスはヴォルデモートの言いなりだ。現在のヴォルデモートとは繋がっていないと言っても、下僕根性というか、そういったものが抜けないらしくヴォルデモートから良い様に使われていた。実際過ごした歳月や魔法の腕、知識においてルシウスより勝っているので、仕方ないのかもしれない。しかし年頃の娘の傍にこういう物体を置いておいて何の躊躇いもないというのは、親として如何なのだろうか。尤もダリルだってヴォルデモート相手に貞操の危機など抱いたことはないが、他人にばれれば面倒な事になるのは間違いないに決まっている。
額を強く押さえながら、ダリルは海よりも深いため息をついた。
「人に見られたら如何するの? 間違いなく生徒には見えないし、父兄だって言っても――」
例えヴォルデモートが制服を着ていようが、芝生の上で男に押し倒されているところを人に見られては結局困ることになる。笑顔で「じゃあ今度から制服姿で具現化しようか」などと言われる可能性を見越して、ダリルは口を噤んだ。ヴォルデモートはあからさまに詰まらなそうな顔をする。
「兎に角、今日はもうじゃれ合いは止めにして帰ります。貴方も蛇の姿になって頂戴」
あたりは薄暗く、時間的に人気がないのは有り難いが、消灯時間が近い。急いで談話室に戻らなければ処罰の対象になってしまうだろう。否何よりは夕食の席にいない自分のことを探しにこの温室裏までやってきたらと思えば、このまま気絶してしまいたい。
人に見つかるとか、消灯時間を過ぎているとか、また今度二人でお喋りしましょうとか散々喚けば、やっとヴォルデモートが上半身を起こしてくれた。まだ腰の上に跨られている状態だが、これなら何とか自力で脱出できる。芝生に手をついてもぞもぞと後退し始めるダリルを、赤い瞳が捉えた。
「折角胸の呪いを消してあげようと思ったのに」
ダリルの動きが止まる。
「ほ、本当……?」
引っかかった。とはおくびにも出さず、ヴォルデモートはさぞ反省しているような表情を浮かべ、浅いため息を吐いた。
「本当だよ。流石に悪かったかなって反省したんだ」
嘘だ。間違いなく反省してない。そうとは分かっているのに、振り払うことが出来ない。この呪いが解ければハーマイオニーやジニーに抱き着き放題だし、セドリックともいちゃつき放題で、キスだって毎日のように出来るし、手だって繋げる。ひょっとすると憧れの恋人繋ぎも出来るかもしれない。ダリルの胸の内に煩悩が満ちた。ヴォルデモートは口元に三日月を浮かべて、「ほら、横になりなよ」と促してくる。
散々悩んだが、結局ダリルは体を倒した。煩悩には勝てない。
ヴォルデモートはダリルの頭を撫でると、ダリルの両手を頭上で一纏めにして、片手で押さえた。
「その、なんで両手を押さえるの?」
「痛みに騒がないようにと思って」
後ろめたさの全くない声音で適当な事を言いながら、ダリルの制服のネクタイを解いて、セーターを捲る。
「あの、なんで服を脱がすの?」
「魔法陣を見ないと解けないだろう。ほら、杖貸して」ヴォルデモートが手首の拘束を緩めた。そろそろと片手を引き抜いて、ローブのポケットから杖を取り出す。やっとダリルの尊厳を認め、こちらの人格を無視した振る舞いを止める気になったのだろうかと思ったのもつかの間、ヴォルデモートは杖を受け取るや否やまたダリルの人格を感じた。両手が自由にならないというのは、薄ら怖い。
シャツのボタンを外す指があまりに手馴れているとダリルは思ったが、まあ七年間ホグワーツの制服を着ていたのだものねと自分を誤魔化す。やましいことは何一つない。呪いを解いて貰うだけで、これだけ大きな印は胸か背中にしか刻めないから、だったら背中に刻んで貰えば良かった。悶々と考え続けるダリルとは反対に、ヴォルデモートは淡々とダリルの服を肌蹴させて、闇の印とその周囲に纏わりつく呪印とを露わにする。
「そろそろ下着つけたほうが良いんじゃない?」かと思えば、こんなことを言って人をからかうのだ。「まあ脱がせやすくて良いけどね」
ダリルはわずかに赤くなった顔を横に逸らし、唇を噛む。
「人の着るものに口を出さないで頂戴。大体、さっさと終わらせて! 私、早く寮に戻らないと……」
呪いを解いてもらえばこんなセクハラともおさらばだ。罰則とセクハラを天秤に掛けたが、罰則はあまりに軽すぎる。
「はいはい」
ダリルの文句を適当にあしらうと、ヴォルデモートがダリルの胸に杖先を当てた。ビクリと肩が跳ね、その顔が歪む。胸部の皮膚はただでさえ手足のそれより薄いものだが、印の刻まれているところは一層皮膚が薄く、敏感になっているのだろう。杖先に圧迫され、浅い痛みが胸に染みていく。痛みよりも何よりも、目の前にいる男が幾人も殺しているのを僅かでも思い出せば、シリアルキラーにナイフを突きつけられているような緊張と恐怖が湧いてきた。それらに耐えているダリルを見てヴォルデモートが楽しげに笑ったが、脇へ視線を滑らせると不快そうに眉を寄せた。
「今日は止めにしよう」
杖先が胸元から離れ、ダリルの腕を留めていた手が乱暴にセーターを下ろす。ダリルが上半身を起こして、首を傾げた。
「え? なん、」ヴォルデモートの突然の行動の理由を探る問いは衝撃音にかき消された。赤い閃光が目の前で散っていく。闇に慣れていた目に強い明かりは眩しすぎて、ダリルは両手で視界を塞いだ。全く現状を理解していないダリルと違い、ヴォルデモートは好戦的な笑みを浮かべながら薄らいだ光の向こう側にいる人影を見つめている。相手はまだ杖を掲げていたが、ヴォルデモートは防護壁を解いた。
不意打ちの一発を呆気なく防がれたのだ。実力差を理解しても尚突っ込んでくるような向こう見ずではないだろう。
「人に覗かれながらする趣味はないんでね」ヴォルデモートは恐る恐るあたりを伺うダリルにだけ聞こえるように呟いて、彼女の上から退いた。
ダリルの思考回路が様々な理由により停止する。一番の理由はヴォルデモートが誰を見ているのか、分かってしまったからだ。
杖腕を下ろして戦意のないことを示すと、ヴォルデモートは己を睨みつける青年に近づいた。
「やあ、初めましてセドリック・ディゴリー」
ヴォルデモートは詐欺師らしいにこやかな声で、今のいままでダリルを押し倒していたとは思わせないほどに爽やかな挨拶を口にする。セドリックはまだ非・友好的な顔をしていたが、ヴォルデモートが手を差し出したのに杖腕を下すと、不承不承といった感じで手を握った。
ヴォルデモートと相対していても、灰の視線はダリルを向いている。ダリルは消え失せかける意識をやっとのことで繋ぎ止めた。乱れた衣服を直したら負けな気がして、ネクタイもシャツも正さないまま、セーターだけ整えて立ち上がった。このままグリフィンドール寮まで逃げていきたい衝動と戦いながら、二人に近づく。逃げれば余計面倒な事になる。これ以上面倒な事が何かは分からないが、ここで逃げたら全てが終わってしまう。
茫然としているダリルを尻目にヴォルデモートは言い訳を連ねる。
「僕はダリルの従兄でね。癒師をしている」
よくもまあペラペラと嘘がつけるものだ。しかし今はヴォルデモートの、その特性が頼もしい。何とか誤魔化しきって頂きたい。
色々と考えこんでいたからかノロノロと歩いていたダリルが石を踏んでよろけた。グラリと体が傾くのにセドリックの手が動いたが、ヴォルデモートがダリルを抱き留めるほうが早かった。ヴォルデモートはふんとセドリックを鼻で笑って、言葉を続ける。
「まあ、ダリルの主治癒兼世話係みたいなものかな」
この場で思考停止していないのはヴォルデモートだけなので、彼だけが沈黙を乱していた。
「ダリルがここ最近胸の具合が悪いと言うからホグワーツまで見に来たんだけど、年頃なのか如何も診せるのを嫌がってね。それで診せる診せないの押し問答を続けている内に、ほら、もうこんな時間だろう? だから無理にでも診ようと思ったんだが――万一誤解を与えたようなら謝るよ」
「いえ、誤解なんて、僕はただ」セドリックが手を振って、もごもごとヴォルデモートの台詞を否定する。
セドリックは気難しい顔を作ったまま、彼には珍しく挑発的な台詞を口にした。
「恋人が暴漢にでも襲われているのだと思って、つい攻撃魔法を放ってしまいました。本当に申し訳ありません」全く申し訳なくなさそうな声で謝る。
「へえ、恋人?」
ヴォルデモートの腕の中で、ダリルはパクと口を開けて、何も言わないまま閉じた。
実際ヴォルデモートはダリルがセドリックと付き合っていることを知っているから良いが、「恋人が暴漢にでも襲われているのだと思って」などと言って、相手が本当に従兄であれば二人の交際がルシウスに知られかねない。聡いセドリックなら当然分かるだろうことを、そこまで怒らせてしまったのだろうかとダリルは顔色を青くさせた。もうルシウスにバレても良いと思うほど、破局しても如何でも良いと思うほど愛想を尽かされてしまったのか。尤も愛想を尽かされたとて仕方のないことだ。自分はセドリックに女の子と一緒にいないでなどと嫉妬深いことを言っているのに、自分はヴォルデモートとキスしてるし、押し倒されてるし、もしも立場が逆だったら耐えられないだろう。セドリックが年上の女性に押し倒されてたら、死んでしまう。
半分魂の抜けたようになっているダリルを挟んで、セドリックとヴォルデモートは話を進めていた。
「……兎に角もうこんな時間ですし、僕が彼女を寮まで送り届けるので帰って頂いて結構です」
「こんな夜遅くに、どこの馬の骨とも知れない輩に従妹を預けるのは心配だから、自分で送って行くよ」
「僕とダリルとは前年度末から真剣に付き合ってます。それに、少なくとも消灯時間ギリギリまで彼女を引き留めたりはしません」
「昼だからと言って馬の骨の出自が知れることがあるとは驚きだね」
「それは単に貴方の観察能力が低いだけでは?」
「そうだね。君ほど図太ければトロールに棍棒で殴られてても観察を続けられるに違いない。尊敬に値する鈍さだ。僕の従妹は僕が言うのもなんだが繊細な質でね。君みたいに素晴らしく図太い男との付き合いなんて、保護者として認められない」
「僕が付き合っているのは貴方ではなくダリルなので、特別貴方の許しが必要だとも思いません」
「ダリルとは長い付き合いだけど、恋人がいるなんて聞かされたのは初めてだよ」
「僕の名前を知っているので、てっきりダリルから僕のことを聞いているのだと思いましたが、その程度の仲ということですか」
「ああ、そういう名前の男子に付きまとわれて困るというような話を聞いた気がしたんだけど、」ダリルがヴォルデモートの頬を抓って、引っ張った。
「そ、そんな話したことないわよ! 勝手なことを言わないで!」
あんまりにヴォルデモートが好き放題言うので、流石のダリルも気力を振り絞って二人の会話に割り込んだ。きいきいと喚いて、ヴォルデモートに不平不満を訴えかける。ヴォルデモートは適当に相槌を打ちながら、チラッとセドリックを見て口の端を吊り上げた。セドリックの表情が凍る。
セドリックの不満を理解しきっているヴォルデモートはダリルに常よりも優しい言葉を投げかけて、年下の従妹に甘えられている従兄を演じ切っていた。ダリルはと言えば、混乱状態が続いていて、今はヴォルデモートを叱責すること以外に意識が向かない。
ダリルがもう二歳ほど年を取っていれば、二人のやり取りは恋人同士のじゃれ合いと言ってなんら違和感のないものだった。
オロオロとヴォルデモートを叱るダリルにセドリックが笑みを浮かべた。「ダリル」と優しく呼べば、ダリルの心肺機能が殆ど停止する。ダリルは恐々視線を滑らせて、自分へ笑いかけているセドリックを見上げる。爽やかな笑顔が、今日は怖い。
「ダリル、この人を紹介して貰える?」
「あの、その、さっきもトムが言ってたけど――母方の従兄で、トム・リドルと言うの」
魔法界家系図を見れば嘘とバレてしまうかもしれないが、ベラトリックス・レストレンジの隠し子云々言えば何とかなるだろう。隣に立っている男の未来が作り出した騒動・混沌のおかげで、丁度ダリルの世代は精確さが失せている。そもそもセドリックは魔法界家系図など読んだこともないのか、疑う素振りも見せない。それが逆にダリルの胸を締めつけた。嘘に嘘を重ねているという罪悪感が重い。
セドリックは再び黙してしまったダリルを心配そうに一瞥してから、再びヴォルデモートを睨みつけた。
「……普段からああした診療を?」
“ああ”というのは、押し倒して胸を肌蹴させるという意味だ。それを悟ってもヴォルデモートは動じない。赤い瞳がにこやかに笑った。
「ダリルは昔から体が弱くてね。倒れる度に僕が“ああ”やって面倒みてあげてるんだよ。ね、ダリル」揺さぶって、返事を急かす。
「え、あ、はい」ぼーっと考え事をしていたダリルが咄嗟に適当な相槌を打った。
ダリルは理解していなかったが、その相槌は「寝込む度ヴォルデモートに半裸晒してるよ!」と言ったも同然のことだった。まあ事実半裸どころか全裸を晒す事も珍しくなく、更に言うと一年生の時はお風呂もご飯も寝るのも一緒だったりするので、期せずして真実を言ったことになる。勿論それに対してセドリックが「そうですか!」などと爽やかに返せるはずもない。仏頂面で、ダリルを抱きしめるヴォルデモートを忌々しげに睨んだ。
その視界に、ヴォルデモートの指がダリルの首に触れているのが映る。セドリックの顔から不快感が拭われ、きょとんと不思議そうな顔をした。
「……何故ダリルに触れられるんですか」
厄介ごとに巻き込まれて、他人に触れられると痛いのとは前年度末にダリルから説明されている。実際ジニーに抱き着かれたダリルが痛みに悶絶して医務室に運ばれた一部始終も見ているので、それが嘘ではないともセドリックは知っていた。そうでなければ付き合ったばかりでハグもキスも手を繋ぐことさえ出来ないという状況に耐えられるわけがない。セドリックはこの数か月間十秒以上ダリルに触れていなかった。
「それは、その」
セドリックの指摘にダリルが狼狽しきった声を出す。今からでも遅くないから手を離せと念じたが、しかしヴォルデモートはダリルを抱く腕をきつくすると、背を屈めてダリルの額に軽く口づけた。ダリルは色々なことを放棄して、ジニーやハーマイオニーとの可愛い会話を思い出すことにした。
「僕がそうしたんだから、触れられるに決まってるだろ」
己の台詞を理解出来ずにぽかんとするセドリックをヴォルデモートがせせら笑う。
「僕の目が届かないホグワーツで可愛い従妹に変な虫が付いたら困ると思って、ね」
素数よ。素数を数えるんだわ。ダリルはヴォルデモートの台詞や、不愉快そうにヴォルデモートを睨むセドリックの顔などから意識を逸らすよう努力して、素数に集中するよう心がけた。ヴォルデモートの台詞とセドリックの世にも不愉快そうな顔とガールズトークと素数が脳内で入り乱れる。やはりヴォルデモートから解放された時点でグリフィンドール寮目指して逃げておくべきだったのかもしれない。
温室裏で三人、黙り込んだまま数分は経っただろうか。消灯時間五分前を告げるチャイムがしじまを切り裂いた。ヴォルデモートもそろそろ引き際だと思ったのだろう。ヴォルデモートはダリルを抱く腕を緩めるとその手をとり、手の甲にキスを落とした。
「それじゃあダリル、具合が悪くなったらまた呼ぶんだよ」
優しい従兄の仮面をつけたまま、くしゃりとダリルの頭を撫でる。勝ち誇った笑みを浮かべたまま遠ざかる背に、ダリルは深いため息を零した。
「……貴方といるほうが具合が悪くなるわ」
何はともあれ面倒は終わった。そう思いたかった。
「ダリル」
にこやかな声が背後から聞こえてくるのに、普段なら振り向くばかりか抱き着きたいとさえ思うのに、今は逃げ出したい。逃げても、多分すぐ追いつかれる。もう消灯時間過ぎているし、いつまでもこうしていられはしない。ダリルは覚悟を決めて、そーっと振り向いた。
セドリックがその口元に穏やかな笑みを湛えている。
「あの人と如何いう関係で今までどういうやり取りをしてきたのか、聞いても構わないよね?」
目が、笑ってなかった。
七年語り – IF / PARODY