七年語り – IF / PARODY
夢かもしれない
普段ダリルは眠りのなかでヴォルデモートとの時間を過ごしている。意識を保ったまま彼の精神世界(今となってはダリルの精神世界と言ったほうが良いのかもしれない)で存在しているが、肉体のほうはきちんと休めているらしく疲労は感じたことがない。しかし感覚としては二十四時間ずっと起きているようなものなので、精神的に疲れるということは度々ある。眠りは体を休めるためのものであると同時に気持ちを静めるためのものでもあるのかもしれない。プツンと時間が途切れ、黒の内へ意識を沈める眠りも人には必要だ。というか毎日毎日ヴォルデモートに会って小難しい話をされて、あれこれ本を読むよう言いつけられるというのにウンザリしたダリルは週に一度程度の割合でヴォルデモートとの逢瀬を休んでいる。週の半分ぐらい休みたいと主張したが、それは聞き入れられなかった。不満を口にしたら「ただでさえ勉強が必要なのに何言ってるの」と叱られて、週休制度が失せそうになったため渋々引き下がった。
昨日はその“週に一度のお休み”だった。今日はヴォルデモートの鬱陶しい授業を受けずにすむと御機嫌で布団に潜り込み、目を瞑って、それで刹那の闇に落ちた後朝が訪れるはずだった。体感時間にして十分にもならないような眠りが訪れるはずだったのに、眠りの代わりに訪れたのはダリルだった。ふっと意識が消失した後、ダリルはマグルの学校のように健全な建物で意識を取り戻した。眠りに就いた時のままの姿でリノリウムの床に座り込み、辺りを見回すと訳の分からない言語で書かれたポスターが貼ってあった。
床の冷たさが布越しにじんと伝わってくる。傍らの開いた窓から流れてくる風はダリルの頬を撫ぜ、優しく髪を弄ぶ。四肢の感覚も、意識もしっかりしている。単なる夢とは思えなかった。そうなれば残る選択肢は二つで、眠っている間に連れてこられた“何処か”かヴォルデモートの悪戯で出現した“彼の記憶にある風景”のどちらかだ。眉を寄せて立ち上がったダリルは当然後者であると考えた。壁に貼られたポスターや、戸の脇に掲げられたプレートから鑑みるにこの景色は異国のものだ。現実的に考えて、マルフォイ邸に忍び入ってダリルを異国へ誘拐するような輩がいるとは思えないし、家族の誰かが連れてきたとも思えない。それよりはヴォルデモートの悪戯と考えた方が納得がゆく。今日は決して眠りを邪魔しないと約束したのにと憤慨しながら、ヴォルデモートを探して通路を進むと宙に黄色の綿が舞っていた。パフスケインかと思ったが、それにしては色が濃い。否、そもそも精神世界に生き物は存在出来ないからパフスケインなわけではない――その考えは半分正しかった。ダリルの顔に当たって、彼女が咄嗟に出した掌へ落ちたのはパフスケインではなかった。
「……鳥?」
黄色でフワフワしているので、ダリルはその物体を何かの雛鳥だと認識した。顔に近づけてみると、その雛鳥は怯える風もなくつぶらな瞳でダリルを見上げる。人馴れしているようだ。魔力のない単なる鳥らしいが、ペットにしたいぐらい可愛らしい。そうとまで考えた刹那、ダリルの顔が青くなった。「え、なんで――現実?」精神世界に生き物は存在していられない。
夢でも、精神世界でもないということは、現実に他ならないだろう。ダリルは手の上で羽根繕いまで始めた雛鳥を凝視して、何故自分がこんなところにいるのかと途方に暮れた。マルフォイ邸に賊でも入ったのか、誘拐されたのなら拘束もされずに放置されていたのは何故なのか、誰がこんなところに連れてきたのか、ここは何処の街なのか、考えても何一つ分からない。
兎に角ここで突っ立っていても仕方ない。誰か人でも探して現在地について聞こうと顔を上げた瞬間、眼前を棒が掠って行った。「え?」棒は空を切り、脇の壁にめりこむ。木端がむき出しの二の腕に当たった。呆然とするダリルの前に一人の少年が佇んでいる。
『授業中に、制服も着ないで何やってるの?』
何を言ってるか分からないが、良く思われていないらしいことは分かった。
やはりここは異国らしい。イギリスから遥か遠い場所にいるらしきことを悟って、ダリルは床の上にへたり込んだ。ダリルを睨んでいた少年がふとダリルの手の上にいる雛鳥に視線をやり、その表情を僅かに和らげる。『こんなところにいたのか』雛鳥はぱっとダリルの手のひらを蹴って、少年の肩へと飛び移った。相変わらず何を言ってるかは分からないが、この雛鳥の飼い主が少年であろうことは分かった。
「あの」通じないだろうと思っても、とりあえず抵抗する気がないのだということだけは通じてほしいと言葉を続ける。「私、その、その子に何かしようとしたわけじゃあなくて、ええと、人馴れしてたからつい……」あ、これ犯罪者の自供と同じだ。
ドツボに嵌っていると思ったダリルだが、長文を口にしたことで不運を一つ回避することが出来た。
「日本語話せないの?」
不運の一つ――意思疎通の出来ないまま、少年の手にしているトンファーでボコボコにされる運命からは逃れることが出来たらしい。
少年が自分の理解できる言葉を口にしたことへ、ダリルはぱっと顔を明るくした。
「は、はい! あの、」ここはどこでしょうか。そう口にするよりも少年がまくしたてるほうが早かった。
「日本語も話せないで日本に来るなんて、君って馬鹿なの? ああ、答えなくていい。残る一割の希望も潰しかねない返事をするだろうことは想像に容易いからね。大方あの赤ん坊の関係者か何かだろうけど、意思の疎通も出来ない子供が何をしにここに来たんだ」
切れ長の瞳に宿った黒がダリルを無感情に映している。先まで異国語を話していた、明らかに異国の少年が流暢な英語を口にするのへダリルはぽかんとしてしまった。この、何とも言い逃れの出来ない言い様がヴォルデモートによく似ている。そういえば彼も黒目黒髪だ。親戚か何かかと逃避しかけたものの、少年は明らかにアジア系の顔立ちをしていて、髪の色もヴォルデモートのものより暗く、漆器のように艶やかだった。ただ系統は違うものの、少年もヴォルデモート同様美男子であるので、美男子は皆所構わず横暴なのかもしれない。いやドラコやルシウスは然程横暴ではないし、セドリックに至ってはこれでもかと紳士的だ。なのにこの少年とヴォルデモートだけが“あんなん”なのは何故なのだろう。よくわからない。よくわからないが、やはり大事なのは顔より内面なのだとダリルは思った。
「ねえ、聞いてるの?」
少年がチキとトンファーを握りなおした。トンファーをトンファーとも認識していないダリルだが、自分の身に危険が迫っていることは理解した。威圧的な態度で自分を見下ろす少年にびくりと身を竦ませてから、おずおずと口を開く。
「あ、あの、私、赤ん坊って知りません。気が付いたらここにいたんです、ここは」イギリスじゃないんですよね。そう言ったら「さっき言ったことも覚えていられないの? それとも僕の話を聞いていなかったと白状してるの?」とか何とか言われそうだ。「わ、私さっきまでイギリスの自分の家にいて、ベッドに入ったところで記憶が途切れてるんです……」
「人身売買にでも巻き込まれたんじゃない。何はともあれ、部外者なんなら校内から僕に咬み殺される前に出ていきなよ」
身も蓋もない。というか咬み殺すって如何いうことなのだろう。この国では人肉食が行われているのだろうか。
少年はふーっとため息をついて、踵を返した。「ま、まって」去ろうとする少年を引き留めようと手を伸ばしたが、すっと避けられてしまった。さも面倒くさいと言いたげな顔でダリルを見返す。
「僕は忙しい。君とは初対面だ。尚且つ君はこの学校の風紀を乱している上に並盛中の学生ですらない。僕が君を助ける義理はない」
「それは、そうかもしれませんが、」
「なら黙って校内から出て行きなよ。さもなければ咬み殺す」
この手の人間には取引しか通用しないと、ダリルはヴォルデモートとのやり取りのなかで学んでいる。しかし少年が誰かも、如何いう人間で、何を求めているのかも分からない。致命的なのはダリルへの関心がないことだ。これでは取引のしようがなかった。いやだからといって「分かりました」と引き下がってはならない。街中に出れば英語を話せる人がいるかもしれないが、外人から急に話しかけられて動揺しない人もいないだろう。それに異国の、しかもマグルの街なんかに一人放り出されるのは極力避けたかった。今目の前に意志疎通が可能な相手がいるのなら、離れたくはない。それに言動がヴォルデモートに似てて、少し安らぐような気がした。
「……貴方はこの学校で責任のある役柄についていると見受けますが」
「風紀委員長をしてるけど、それが何?」
「風紀って、日常を送る上で守るべき道徳上の規律ですよね? 貴方がきちんと風紀を守っているというのなら、異国で右も左も分からず困っている子供を放り出すはずがありません。このまま追い出すのなら『なみもり中学校の風紀委員長は名前だけで、自分の責務を果たしていない。そんな人が長になれる風紀委員会も、そんな人たちが取り締まる学校も、風紀が乱れている』と路上で叫びます」
少年が眉を顰めた。
「英語で? 精々が変な外人として警察に引っ張られていくだけだと思うよ。そこで保護して貰うと良い」
せせら笑うでもなく少年は淡々とした調子を崩さない。これ以上何を言っても無駄だ。ダリルはきゅっと唇を噛むと、立ち上がって裾についた埃を払う。この際少年の言う通り警察で匿って貰った方が良いだろう。例え英語が話せようと、所詮この少年だってマグルだ。こうなれば誰に保護して貰おうと一緒。外に出てセドリックに似た優しい人でも探したほうがずっと良い。
そうは思っても、まるで相手にしてもらえない悔しさやら一人ぼっちという心細さやらで、瞳が潤む。零れないよう拳を握りしめた。
「分かりました。警察を頼ります。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」その台詞へ、少年は今度こそダリルに背を向けて歩き出した。ダリルは彼の背に負け台詞をぶつける。「ここの町の人や英語を話せない人には分からなくても、私は一生涯『貴方は自分の責務を果たしていない不誠実で責任能力の欠けた人だ』と思うでしょうね。そして国へ戻れた暁には『なみもりという町の学校の生徒は困ってる私を助けるどころか逆に襲ってきた酷い人たちだ』と周囲に話すことでしょう。本当にお世話になりました、冷血漢さん!」
そう叫ぶように言い放って、くるりと後ろを向く。戻ることになるが、あの少年と同じ方向へ行くというのも癪だし、出入口を探して校内をうろつくことぐらい許されるはずだ。ダリルはグイと目じりを拭うと、歩き出そうとした。肩を掴んで引き留める手がある。
「……分かった。学校が終わったら一緒に交番に行くぐらいは付き合うよ」
振り向けば、呆れたようにため息を吐く少年がいた。ダリルはこの少年をヴォルデモートと被せていた。ヴォルデモートなら何を言おうとこのまま見捨てるだろうと、そう思っていたからこの少年が引き留めてくれると思わなくて、ダリルはきょとんと少年を見つめる。肩から伝わってくる温もりに緊張が緩んだのか、ぼろぼろと涙が零れた。
「なんで泣くの?」心配とか気分を害したとかではなく、心の底から不思議そうな問い方だ。
「ひ、ひきとめてくれると、思わなくて、」
「そう。とりあえずそろそろ休み時間になるし、ここは目立つ。ひとまず移動しよう」
ほら、行くよと呟いて、少年がダリルの手を取る。ダリルは彼に握られていない手で涙を拭い、ぐすぐすやりながら笑った。
「有難う」
ダリルの記憶はそこで途切れている。目が覚めると見慣れた文様が上にあり、温かな布団が身を包んでいた。夢を見たにしては生々しい感覚で、筋が通り過ぎている。それに日本語について調べるまで、ダリルは“漢字”も“ひらがな”も見たことがなかった。ポスターに書かれていた文字は間違いなく漢字とひらがなの入り混じった日本語だ。一体、あれは何だったのだろう。ダリルはつくづく不思議な気分になった。
・
・
・
「どこかの次元に紛れたのかもしれないね」
「……そんなことってあるの?」
「さあ。一般的に死ぬとか二度と目覚めないとか言われてるけど、剥離したまま戻ってこない人が如何してるかは知らないね。死後の世界がどうなってるか分からないのと一緒さ。戻ってこない人の証言が得られるはずもない」
「それはそうだけど」
「君、前学期中は連日精神飛ばしてたから、肉体から剥離しやすくなってるんじゃない?」
「それって、というか剥離しやすいのって、じゃあ、貴方のせいなんじゃない」
「でも戻ってこれたのも僕のおかげだと思うよ? 僕と交わったおかげで僕との繋がりが出来、その僕が君の肉体に留まっている故から完全に剥離しなかったんだろうし」
「その言い方を止めて頂戴」
「交わるのこと? 気にしすぎだよ。そういえばそろそろ思春期だったね」
「そういうことも止めて! 兎に角、今後二度とこういうことがないよう考えてくれなきゃ、困るわ」
「戻ってこれるなら良いじゃないか」
「怖かったのよ。それに、戻ってこれなかったら如何するの」
「じゃあ、剥離しないよう繋ぎ止めておく必要があるね」
「如何すれば良いの?」
「毎夜僕と会ってれば良いんだよ」
「何か、他に方法が……」
「それが一番手っ取り早い。それに僕と毎日会ってる頃はそんなことなかっただろう」
しれっと言い放つヴォルデモートを睨みつけていたダリルだったが、数秒も立たないうちに諦めた。確かにヴォルデモートと会っている時はあんなことなく無事に目覚められるのだし、リスクを負ってまで普通に眠りたいわけでもないし、ヴォルデモートの言う通りダリルには闇の魔術を学ばなければならない理由がある。多くを考えれば、ヴォルデモートと会っているのが一番良いのだ。
「夢の中で会った男の子、貴方と似てたけど、貴方よりずっと優しかったわ」
ダリルはため息と共にそう言い捨てた。
名前ぐらい聞けば良かったかもしれない。ヴォルデモートの言う事が確かなら、彼は何処かの次元へ確かに存在しているのだから。
七年語り – IF / PARODY