花骸のこどもたち
11 大人はやさしい嘘をつく
結局、トバリが自宅の裏門を潜ったのは七時近くだった。
尤も裏門の前でウロウロしていたヒルゼンがトバリたちの姿を見咎めるやアスマと口論になったのを加味すると、六時半には家に着いていたと思う。どの道、門限破りには違いない。
ひたすらに息子を詰る――まあ、アスマも勝気に言い返してはいたが――ヒルゼンに、トバリは「自分が時間配分を考えず足を伸ばしたのが悪いのだ」と割って入ろうとした。
トバリが二人に向かって一歩足を踏み出した途端、紅に肩を掴んで引き留められた。
『三代目が怒ってるのは、あなたのせいでも、私のせいでもないから』
その台詞の意図するところは分からなかったが、確かにヒルゼンの叱責はアスマの性格や生活習慣に関するものだった。トバリの帰宅が遅くなったことは愚か、アスマが依頼人と揉め事を起こしたことに言及することさえなく、トバリはヒルゼンが何故怒っているのか分からなかった。始めは依頼人と揉めたことを知らないのかと思ったが、それならアスマの姿を見て驚くはずだ。
小首を傾げたまま親子喧嘩のリスナーに徹するトバリに、紅が耳打ちする。
『三代目はね、アスマが自分の評価をまるで考えずに他人を庇うから心配なの』
嫣然と笑う紅はまだ十代前半にも関わらず美しかったが、トバリの疑問は解決しなかった。
アスマが自分の評価を度外視で他人のために動くのは、分かる。
しかし、何故このタイミングで怒るのだろう?
他人の感情の動きを追うのは難しい。
トバリは悶々としながらも二人のやり取りに耳を澄ましていたが、やはり分からなかった。
聴衆の理解など置き去りに親子喧嘩はヒートアップし、いつも通り喧嘩別れになるかと思われた。ところが、アスマが「つか、結局トバリのことだってオレが正しかったろーが」と呟いた途端に旗色が変わった。アスマの台詞にヒルゼンは思い切り顔をしかめて何事か言い返そうとしていたが、そこにアスマが何事か耳打ちし――何を言ったのか、それでヒルゼンの怒りは一気に溶けてしまった。平和的解決に持ち込めるカードがあるなら、最初から使えば良かったのに。
釈然としないままアスマは紅と消えて、トバリもヒルゼンに連れられて裏門を潜った。
門をくぐると、家政婦は愚かセンテイも疾うにいなかった。
真っ暗な家に縁側から上がりこむと、一足先に台所に入ったヒルゼンが慣れた風に急須と湯呑を二つ用意した。明かりもないなか、テキパキとお茶を淹れる。
トバリは水屋箪笥に寄り掛かりながら、ヒルゼンの所作を眺めていた。ヒルゼンが流し台に置かれた蝿帳を指したが、トバリは頭を振った。夜目にもヒルゼンが訝し気に眉を寄せたのが分かって、トバリは「あとでたべる」と告げる。一応は、それで納得してくれたようだった。
トバリはどれ程体を動かしても、空腹を覚えることが無かった。
定時に食事を与えられるからだろうと、トバリは思っていた。食欲が何かはよく分からないものの、とりあえず毎日三食出されたものを食べている限り、大人たちは食欲の有無を気にしない。
台所を出るヒルゼンのあとについて、トバリも歩き出した。
部屋を横切る傍ら、ヒルゼンはパチ、パチと白熱灯の紐を引っ張った。台所から居間までの、都合二部屋に白々とした光が満ちる。トバリは座卓を挟んでヒルゼンの前に腰を下ろした。
「さるとびせんせい。おそくなって、ごめんなさい」
開口一番、トバリは謝った。
「いや……うむ。そうじゃな。うん。こんな遅くまで帰ってこなかったのは……まあ今回はアスマのせいでもある……何事もなかったなら、まあ、これについては後々ゆっくり、それで」
身を乗り出す勢いでちゃぶ台に手を付いたヒルゼンに、トバリはバインダーを差し出した。
「アンケート結果です」
「は? アンケート?」
なんだそれと言わんばかりのヒルゼンが、慌てて口元を押さえた。顔を背けて、背を丸める。
「ゴホッ喉が……痰が詰まった。ゲホッ、そうアンケート! ご苦労じゃった! はー、助かる! これで、また一段とアカデミーの経営方針が固めやすくなる!!」
投げやりっぽい言い方に、トバリは小首を傾げた。
「それでトバリ、誰と何の話をしてて遅くなったのかのう」
なるほど、トバリはヒルゼンの言わんとすることを理解した。
あれだけ一般常識を教えておいて――いや、だからこそなのか、トバリの振る舞いが信頼出来ないのだろう。騒ぎを起こさなかったからといって、失言をしなかったと決まったわけじゃない。
「……さん、さるとびせんせいの話は誰にもしていない」
もしヒルゼンが自分に重要機密を零していたとしても、それを外部の人間に漏らしてはいない。そう意思表示すると、ヒルゼンは「は?」と言わんばかりの呆れ顔をした。
「いや……トバリ、わしは何か咎めるとかでなく、わしの話でもアスマの話でも、何を話しても構わん。そんなことより、アスマの話では修行熱心な子と友達になったと言うが」
ヒルゼンはついにちゃぶ台に身を乗り出した。
「……クナイさばきがすごい子だった」
「そうか、そうか! 友達が出来たなら良かった」
うんうんと頷いていたヒルゼンが、突然表情を引き締める。トバリも居ずまいを正した。
「しかしのう、幾ら友達と喋るのがたのしくて」ヒルゼンの口元が綻んだ途端、きゅっと不自然なまでにきつく結ばれる。「……いかん、外にはどんな人間がいるか分からん。分かるな?」
いまいち分からなかったので、トバリは頭を振った。
「うむ。要するに、里の中といはいえ、いつ何時危ない目に合うか分からん。今度から門限はしっかり守り、人気のない場所にはいかないように。約束出来るな?」
「イタチは、南賀ノ神社の外れでしゅぎょうしている。あのあたりも、ひとがいない」
「うん? そうじゃな」
「また会いに行くとやくそくしてしまった。行かないほうがいい?」
「どんどんお行き」
さっきから、言うことが全部矛盾している。トバリは思った。
門限を破ったのに叱られないし、人気のないところに行ってはいけないというのに、大して理由も聞かずに人気のない場所へ行く許可を出す。やはりコハルの言う通り、ヒルゼンの教育法は温いのだろう。それとも、トバリの自主性を育てようとしているのかもしれない。
ニコニコと相好を崩すヒルゼンに、トバリはじっと息を潜めた。
「うん、いやまさか、なるほど。また遊ぶ約束をのう、それは良かった」
「……おそくなってごめんなさい」
トバリは恐る恐る、もう一度謝罪を口にした。
「良い、良い。何事もなく、友達まで作って帰って来たのじゃしな。アンケートも真面目にやってくれた。危ない目に合わなかったなら良かった。修行ということは、忍一族の子かの」
「うちは一族の子ども。うちはイタチと言う。うちはが家名、名はイタチ」
イタチの姓を耳にした途端、ヒルゼンが僅かに目を見開いた。何か気に掛かることでもあったのかと思ったが、ヒルゼンは顔を曇らせるでもなく、満足げな笑みを浮かべる。
「そうか、ふむ。うちは一族の……そうか」
この人は、何が嬉しいのだろう。
トバリは不思議そうに、ニコニコ顔のヒルゼンを見上げた。
その疑問を見透かしてか、ヒルゼンは困ったように眉を寄せて苦笑する。
「イタチはおまえの良い友になるじゃろう。初代……柱間様の親友も、うちは一族の男だった」
「お前は柱間様によく似ておる」ヒルゼンが、くしゃりとトバリの頭を撫でた。「しかし、性格は扉間様似かのう。不器用ではあるが、優しい子じゃ」
独り言めいた響きを耳にして、トバリはふと打算染みた言葉を口にした。
「……父さまには似ていない?」
トバリを撫でていた指が、ピクリと跳ねた。困惑混じりの視線が降ってくる。
「母屋にある、父さまのへやに行ってみたい。日記か何か、父さまの文があるでしょう」
ヒルゼンはマジマジとトバリの顔を見つめた。トバリも、ヒルゼンの瞳を見つめた。
この人はトバリが人の胎で産まれたものではないと、知っているのだろうか?
ヒルゼンがトバリに望むものと、父親が――ヒルゼンにとっての親友がトバリに望むものはかけ離れているのだと、理解しているのだろうか? 残念ながら、トバリの洞察力ではヒルゼンの心中に何かしらの動揺があったこと以外、如何いう感情の動きがあったのかは分からなかった。
短い沈黙を置いて、ヒルゼンが破顔する。その笑みは“火影”としての、善良なものだった。
「なかった」乾いた響きが、唇から漏れる。トバリの頭をひと撫ですると、湯呑に手を伸ばした。加齢で細い首に浮いた喉仏が嚥下する。「死んで直ぐ遺品整理するために母屋に立ち入ったが、大したものは残っとらんかった。そもそも、里を留守にしているほうが長かったしの」
決まり悪さを誤魔化すように、ヒルゼンが悪戯っぽい笑みを作る。
「お前は、カンヌキとはまるで似ておらんよ」
言い諭すような声音を耳にして、トバリはこっくり頷いた。
花骸のこどもたち