七年語り – LULL BEFORE THE STORM
35 海辺の王国
あまり意識したことはなかったが、ダリルはクルマが好きだ。
ダリルの短い人生に“クルマ”というものが登場したのは、丁度一年前に遡る。
トルコ石と同じ色をした、フォード・アングリア種のクルマ──道具なのか、生き物なのか、今なお判別のつかない存在──とやらがハーマイオニーの憎しみの対象になった時から、ダリルはクルマに好感を持っていた。もし二人がクルマでホグワーツへ行こう!などと思わなければ、きっとハーマイオニーとの距離は縮まらなかったであろう。ハーマイオニーは毅然とした態度で「あなたにはヘドウィグがいるじゃない?」と主張し、ダリルはその意見に追従する形で彼女との友情を育んだ。無論、この“生け贄ありきの友情”ははじめハリーたちに歓迎されなかった。
『僕らには、クルマに乗るほか方法はなかった』
ハーマイオニーがクルマへの憎しみを思い出す度、ハリーとロンはダリルに弁明した。
事の子細はミス・レター宛の手紙にも記されていた。あの日、ヘドウィグは食あたりでゲーゲー吐いてて、ロンも食あたりで青くなってて、まわりはマグルが沢山で、兎に角二人をどこか休ませてあげなきゃって……僕は必死になってクルマを走らせて……でも僕にはクルマに関するちょっとした才能があったみたいで……などと、初耳の話が便箋三枚にギッチリ記されていた。
ダリルの気持ちが変わったのは、夏休みに入ってからだ。もう一人?の当事者ドビーから「ドビーめはハリー・ポッターをホグワーツへ行かせてはいけないとお思いになりました!」と聞いたのである。最初のうちはハリーに「君の家の屋敷僕妖精に殺されかけた」と詰られたのもあって「厄介事に巻き込まれたくない」と聞くのを遠慮していたが、こないだ遊びに来たときに、結局みんな聞いてしまった。よく考えたら、既にダリルは何もかもに巻き込まれているわけだし。
ドビーの話を聞いて分かったのは「ハリーの言うことが正しかった」ということだった。
ドビーはほんの少し思い込みが強く、マイペースで、そそっかしいけど、仕事は的確にこなす。
もしハリーがヘドウィグを飛ばしたらば、ドビーはヘドウィグの妨害をしたであろう。
ドビーが「ハリー・ポッターはドビーの知らないものに乗り込んでしまわれました! ドビーは、その生き物に魔法をかけたらビックリして、ハリー・ポッターとその友だちを地面に放り出すかもしれないと思われたのです!」と語ったことからも、二人の主張は正しかったのだ。
二人はクルマに乗るほか方法はなかった──しかし、ハーマイオニーが知る必要はなかろう。
ふとした時に蘇る憎しみに追従して「そうねえ、ヘドウィグに頼ってみても良かったかもしれないわねえ」と微笑むとき、ハリーの愛鳥ヘドウィグもまたダリルの肩に留まって優しく頭を毛繕いしてくれる。談話室の一角にある分厚い本の壁を崩し……その一部となってハーマイオニーに寄りかかり、暇を持て余したヘドウィグに遊ばれるのは、ダリルにとって悦楽の一つである。
その悦楽を目にしたハリーとロンが舌が焼けきれるほどの舌打ちをしようと、もう一人の当事者から聞いた証言を合わせた“真実”へたどり着こうと、ダリルの考えは変わらない。
ハーマイオニーの言うとおりヘドウィグに頼ってみても……だって、ヘドウィグはとっても賢いもの……うっとりと悦楽に身を任せ、見たこともないトルコ石色のクルマを思うだけだ。
夏期休暇に入ってからも、ダリルは折りにつけクルマのことを思い返した。
去年の夏、親戚の家で酷い目にあっていたハリーを、フレッドたちが助けに行った時も「クルマに乗ってさ」と聞いていたからだ。勿論間髪入れず「私のことも連れに来て!」と叫んだ。
しかし残念なことにクルマは暴れ柳と衝突してメチャメチャになってしまったらしい。
ハリーは「暴れ柳と衝突する直前、僕は咄嗟に瞬発力(クィディッチの成果もあるかも)でロンを抱えて運転席から飛び降り、難から逃れました」などと手紙に書いていたが、そんな瞬発力があるなら、そもそも衝突させなきゃ良かったのに……と思ったものだ。そして学期末には「クルマは野生に返ってましたが、僕への恩?みたいなものを感じて助けにきた」との手紙が届いたので、一応クルマはまだ生きている?らしい。それならそれで、捕まえに行ってみたい気がする。
尤も、ハリーからの手紙が届いた時にはもう夏期休暇に入っていたし、そもそもクルマはウィーズリー氏のものなので、捕まえたところでウィーズリー氏に返さなければならない。ウィーズリー氏は好きだが、彼のために危険を冒してまでクルマを探しに行くかと言うと、答えはNOだ。
今年の夏、ダリルは極めて多忙だった。
スネイプ教授との約束もあるし、父親との追いかけっこもしてるし、色んな秘密も抱えてるし、マルフォイ家の秘密の部屋での特訓も、母親との行儀作法教室だってある。勿論、宿題も。
何しろ全方位に隠し事をしてるから、ダリル以外には誰も“ダリルがどれだけ忙しいか”分からない。ルシウスにしろナルシッサにしろ「自分たちが学生の頃はもっと忙しかった」などと言って、平気で予定を加えていくのだ。まあでも確かに両親の若い頃は派閥抗争が激しかったから、長期休暇中でも同寮生と濃密に関わる必要があって大変だったのだろう。正直「パンジーたちを招いてパーティをしろ」と言われるよりは、両親の愚痴を聞いてるほうがずっとマシである。
そうは言っても「ドラコは同寮生と上手くやってるのに」などと言われる度、何度「クルマに乗ったフレッドたちが、私のことも連れに来てくれたらいいのに」と思ったか知れない。
ダリルだって同寮生とは上手くやっている──でも、両親の言う“同寮生”とはスリザリン寮生のことだ。そのぐらい、ダリルにも分かる。パンジーやダフネは、きっとクルマのことを聞いたら鼻で笑うだろう。あーら、スクイブの間では箒のことをクルマって呼ぶの?とか、なんとか。
ダリルは、クルマのことはあまり詳しくない。生きてるか、死んでるかさえ。
知っているのは体が鉄で出来ていて、足の代わりに四つの車輪がついていることぐらい。
ようは馬がいない馬車さ、とロンはちょっと気取った口振りで話してくれた。恐らく、普段ハーマイオニーやフレッドたちに教わるばかりの彼にとって、ダリルは唯一偉ぶれる相手なのだ。
マグルは煙突飛行が使えないから、クルマやヒコーキで移動するんだって、パパが言ってた。
ロンは全く──誰でも一度話してみれば彼が気の良い友人だと分かるはずだ。しかし一つの問いに答える度にまた一つ新たな疑問を生む癖があるので、教師には不向きと言うほかなかった。
ダリルは一旦“ヒコーキ”のことは忘れることにして、「ウィーズリー氏は一体どこでクルマを入手したのか」に質問を絞った。良い質問だったが、不運にも危機管理意識の高いロンは「知ってたとしても、そんなことを君に話したら家をおンだされるよ」と震えるだけだった。
まあでも、それだけ知ってれば十分だろう。クルマは、ロンがダリルに教えたがらず、ルシウスが持ってなくて、ウィーズリー氏が持ってるもの。つまり、ダリルの人生に要らないものだ。
ただでさえ両親はダリルの一挙手一投足にため息をつくので忙しいのだし、そこに「ドラコはクルマなんて欲しがらない」というお小言が加わる前に、忘れてしまったほうがいい。
フレッド達は何か誤解しているようだが、ダリルはただ好きなものに触れて安穏と過ごしたいだけで、その“好きなもの”のなかに両親やドラコが含まれないとはただの一度も口にしていない。
ダリルは時々、宝箱にしまいこんだタフタのリボンやガラス細工のブローチを取り出して矯めつ眇めつするように、クルマのことを考えてきた。トルコ石と同じ色の、フォード・アングリア種のクルマ。ハーマイオニーと一緒に乗った、バス種のクルマも素晴らしかった。でも……。
自室のベランダにヒューッと横付けされたトルコ石色のクルマを夢見ることはあっても、それを両親が厭うなら乗り込むことはないだろう。それが、ダリルが守ってきた“自制心”だ。
「素晴らしいわ!」
バスがバーンともの凄い音を立てる度に、ダリルの自制心は崩れていった。
ダリルはブルーグレイの瞳をキラキラと輝かせながら、運転席の後ろにしがみついている。
「ねーえ──私のベッド、ここへ括りつけてもかまやしないわよね?」
ダリルはぐちゃぐちゃに散らかった車内を見渡すと、「自分の場所」と定めたベッドの柱を運転席の背面へ括りつけた。バッグのなかから取り出したショールでベッドを固定するダリルに、スタンは肩を竦める。バスに乗る前は「とんだ別嬪さんだ」と、褒めそやしてくれていたのに。
ベッドにしがみついて唖然としてるハリーに、スタンが歯抜けの笑みを見せた。
「ネビル。おめえさん、その若さで駆け落ちかい?」
「単なる親戚だよ──ねえ、このバスの音、マグルに聞こえないの?」
「このクルマ、どこで買ったの?」
てんでばらばらに聞いてくる若い乗客に、運転手──アーニー・プラングが吹き出した。
「俺ン車じゃねえ、魔法省の持ち物さ。俺たちゃ、一応魔法運輸部の木っ端役人でね」
「魔法省に入ったら、車が買える? つまり、つまり……」
ダリルの脳内に、ウィーズリー氏の役職や、微かなマグル知識、それに纏わるいくつかの条例が浮かんでは消えていった。殆ど、聞きかじった程度の知識しかないからだ。クルマの購入を魔法省が厳しく管理しているということは、やはりマグル製品不正使用取締局が関与しているのだろうし、でもそこの局長であるウィーズリー氏がクルマを個人所有しているということは何らかの抜け道があるはずで、でも魔法省役人だけが所有出来るのかも、ハリーだって運転してた……。
運転席にしがみついたままグルグル思案するダリルを尻目に、スタンが軽く杖を振った。
「さーて、どうだか。お嬢ちゃん、ショッピングの前に法律を勉強したほうが良さそうだ」
ダリルが「まあ、私だって、でも……」とぼやいてる間にショールがほどけ、知らんぷりのアーニーがハンドルを切った途端に再びバーン!と車体が跳ねる。錨を失ったダリルがベッドの津波に呑まれ、甲高い悲鳴をあげた。その騒ぎで、殆どの乗客が目を覚ましたらしかった。
「バンシーでも轢いたのかい!」
バスの上方から飛んできたクレームに、スタンとアーニーは顔を見合わせた。
「スタン、マダム・マーシを起こしにいく手間が省けたじゃねえか。まもなくアバーガブニーだ」
ダリルはベッドの柱に抱きついて、何とか運転席のほうへ戻ろうとベッドを引っ張っていたが、アーニーがハンドルを切る度に後方へ揺り戻されるので、いい加減諦めたらしかった。
あちこち揺れ動くベッドに寝転んだダリルが、ハリーのベッドのシーツを掴んだ──何せ、車内はビリヤード台ほど広いわけではない。背後のベッドに横たわる魔法使いが「全く、引っくり返すのはココアだけにしてくれ!」とぼやくのに耐えながら、ハリーはため息をついた。
「ベッドを固定しちゃいけないなんて、最初に言ってなかったわ!」
「お嬢ちゃんがあと五歳ばかし年かさだったら、幾らでも」
ダリルはスタンの軽口に眉をひそめると、プイとそっぽを向いた。
「私はただ、ほんの少しクルマの話を聞きたいだけなのに……」
そこまで呟いてから、ダリルはようやっとハリーがウンザリしていることに気づいたらしかった。「ねえ、ハ……ビル、アガーバブビーで降りてみる?」彼女らしからぬ猫なで声で囁く。
「どうしてもってんなら、君ひとりでどうぞ」
あと“アバーガベニー”だと思うよ。そう冷淡につけたすと、ハリーは布団に潜ってしまった。
ダリルは自分に背を向けて眠り始めたハリーをじっと見つめて、幾つか機嫌を取るようなことを話しかけてみようと思っては、結局口を噤むしかなかった。何を言っても怒らせそうで……。
一緒に居るひとの気持ちより、自分の欲求を優先してしまうのはダリルの悪い癖だ。
自室のベランダにヒューッと横付けされたトルコ石色のクルマに乗り込むことはなくとも、トルコ石色のクルマを他人の家のベランダにヒューッと横付けしてみないかと誘われれば一も二もなく飛びついてしまう。ナルシッサの言うように、末娘で甘やかされたのが悪いのだろうか?
末娘と言えばジニーだって上に六人もお兄さんがいて、たった一人の女の子で、散々甘やかされて育ったはずなのに、ダリルより倍もしっかりしている。じゃあ、一体どうしてなのだろう。
こんもりと盛り上がった布団のなかでハリーが寝付くことも出来ずに悶々としているのが分からないほど鈍くはないけれど、ダリルの目蓋は重力に逆らうことが出来なかった。
か細い寝息に気づいたハリーが体を起こすと、スタンが口笛を吹いた。
「ネビル、やっぱし駆け落ちかい? ちーと子どもすぎるけど、寝てりゃア可愛いもんだ」
「そんなんじゃない」火照る耳を誤魔化すように、ハリーは顔を顰める。「何しろ手がかかるんだ、この子は。僕は『一緒に来てくれ』なんて一言も言っていやしないのに……」
布団をのけて座り込んだハリーは、ダリルの布団を直した。
スタンは意固地な態度を改めないハリーに気のない返事をすると、先ほどまで棒のように丸めて弄っていた日刊予言者新聞を広げて読み始めた。一面記事にある大きな写真に、ハリーの目が吸い寄せられる。その視線に気づいたスタンが再び顔をあげて、可笑しそうに笑った。
「こいつぁ、シリウス・ブラックだ!」
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ハリーがぼんやりと窓を見ている内に、空が白み出してきた。
日が昇る前もナイト・バスがまわりのものを蹴散らしながら進んでいるのは身をもって感じていたが、明るくなるにつれ木の茂みや電話ボックス、電柱なんかが、まるで意思でもあるかの如く道を譲るのが見えて、それなりに痛快だった。このバスに乗らなければ、アバディーンの町並みが灰色だってことも、海辺の街だってことも、死ぬまでずっと知らなかったに違いない。
ハリーは手近の窓を押し開けると、荷物を下ろす手を止めて他愛もない雑談に耽るスタンを見下ろした。常連客なのか、はたまた単に一服したいだけなのか──アーニーもトランクの一つに座り込んで煙草をふかしている。二人に挟まれた魔法使いが嬉しげなのは、きっと色んな理由があるのだろう。ハリーはまだ冷たい海の気配を吸ってから、鬱屈と共に吐き出した。
「ここで降りるの?」
間延びした声で話しかけられ、ハリーは慌てて振り返った。
ダリルは重たげな欠伸を漏らして立ち上がると、ハリーの向かいに座り直す。
「隠れ家を探すには、良さそうな場所だわ。海が近いし、色んな建物があるもの」
窓を覗き込んだダリルが視線を遠くへやったのを真似て、ハリーもあたりを見渡した。
一人で考え込んでいたのと、まだ薄暗いのとでよく分からなかったけれど、近くにサーカス小屋のような建物と、小さな観覧車……少し離れた場所に黄色い文字で「CODONA’S」という看板があった。ダリルが「小さな山や、船もある……大きな公園かしら?」と声を弾ませる。
「遊園地だよ。マグルの子どもが遊ぶところ。こういうところは、人がたくさん来るんだ」
そこまで教えてから、ハリーはふと「ハリーは行ったことがある?」と言われたらどうしようと思って胃が痛くなった。ダーズリー一家がどこか楽しいところへ行くときは、ハリーはフィッグばあさんのところへ預けられるのがお決まりだった。唯一の例外は、二年前のダドリーの誕生日に行った動物園ぐらいで、あの日「学校でも、物置でも、フィッグばあさんちの居間でもないところで一日過ごせる!」と喜んだ自分の愚かさとか、惨めさで、胸がいっぱいになる。
今のハリーには、あの日の自分が本当に行きたかったのは“ホグワーツ”だと分かる。ハリーが本当にいきたいところは、遊園地でも、動物園でも、学校でも、物置でも、フィッグばあさんちの居間でもない。そんなことさえ分からずにいたかつての自分を思って、喉が引きつった。
ハリーの嗚咽を知ってか知らずか、ダリルはちょっともハリーを見ない。
「今度はみんなで来ましょうね」
ダリルはどこからか取り出した小さな手帳に羽根ペンを走らせる。
ええと、Scotland Aberdeen CODONA’S……とスペルを確かめるように呟くダリルが真剣な顔をしているので、ハリーは少しホッとした。ダリルは“次”があると、心からそう思っている。
「ね、潮の香り」ダリルが眩しそうに目を細めて、ハリーに笑いかけた。「素敵な朝だわ」
「……僕らは一応、今、逃走中なんだけどね」
スタンたちに聞こえないよう小声で応えると、ダリルはくすぐったそうに笑った。
「だから、ここで降りるかって聞いたのよ。だって、あの船を略奪して海を渡っちゃえば治外法権じゃあない? 私、日本に行ってみたいわ。春になると、薄桃色の花がたくさん咲くんですって」
「それだけの理由で? どこの国だって、花は咲くよ」
ハリーはぷいとダリルから目を背けた。相変わらず無邪気に盛り上がるスタン達へ視線を戻して、一体いつになったらまたバスを走らすんだろうとか、一階席にはもう自分とダリルしかいないけど、他にはあと何人乗ってるんだろうとか、地に足の着いたことを考えようとする。なのに、
「どんな理由だったって良いじゃあない。ほんとは私、全部の国を見てみたいわ」
……その声があんまりに魅力的で、ハリーはついと顔をあげた。
「ハリー、どこへ行きたい?」
ぼんやりと差し込む朝日のなか、ダリル自身が光を放っているようだ──と、思った。
ダリルはきらきらと輝くプラチナブロンドを淡い海風に遊ばせながら、親しげに眇めた目でハリーを見つめている。薔薇色に上気した頬も、白くてほっそりした指も、みんなきれいだった。
ハリーはほんの一瞬だけ、自分がダリルにしてきた仕打ちを思い返して後ろめたいような気持ちになった。そんなのは気の迷いで、落ち着いて考えれば、やっぱりこの逃避行にダリルという足手まといがいるのは百害あって一利なしだし、クルマクルマうるさかったのもウンザリだけど。
「きみと一緒なら、どこでもいいよ」
この一瞬だけ、本当のことみたいに呟いた。
「お嬢ちゃん、ココアつきだったよなア?」
いつのまにか出発準備に入っていたらしく、スタンが大きな足音をたてて乗り込む。
「ええと、十三シックル?」急な質問に、ダリルが胡乱な返事を漏らした。「ネビルもよね」
ハリーにしろ幾ら払ったか覚えていなかったが、違ったら違ったで後で払えば良いと頷く。
ダリルの返事に「あいよ」と気安く応じるスタンは外で十分気分転換出来たのか、鼻歌交じりにココアを作り出した。遅れてアーニーも運転席に乗り込んだらしく、バスが走り出す。
明るくなって道路上の障害物が増えたからか、バスは夜間より落ち着いた走りを見せていた。
「ココア、お待ち~イ!」
少しマシとはいえガタガタ揺れる車内を歩いて、スタンは器用にココアを運ぶ。
両手に持ったマグの片方をややぞんざいにハリーへ押しつけた後、もう片方をそっとダリルの手に握らせた。ダリルはスタンの態度を気にする様子もなく、平然とココアを飲み始める。
「?何か、粉が入ってる。お砂糖の溶け残りかしら」
キィーリレルのココアは塩が入ってるから、ジャリジャリするのよ。でも、このココアは甘いのにジャリジャリする。沢山お砂糖が入ってるってことなのかしら。運転席のほうへ戻っていくスタンの背を眺めながら、ハリーはその全てを聞き流していた。あんまりに意味がなさすぎる。
なんだかんだと他愛のない話をしたり、ココアへの文句をつけながらも、ダリルはさっさとマグを空にしてしまった。ハリーがマグを持ったまま「喉が渇いてるのかな」なんて考えていると、ナイト・バスがお決まりの急停車をした。ハリーとダリルを除けば最後の乗客になる魔女の荷物を下ろす片手間に、スタンが床一面のココアを消し去る。ダリルが楽しげに笑った。
「手を火傷しないでよかったわ。きっと、寝てないんでしょう」
「そりゃあね……誰かさんと違って、枕が変わると寝れない性質だから」
「私も。すーごく疲れてるのに、ほんの数時間しか寝れなかった」
バスがまた走り始めると、ダリルは開け放ったままの車窓を覗いて、見知らぬ景色が飛ぶように去って行くのを楽しんでるらしかった。全く何にも考えていないような、さっぱりした顔で。
「色々考えたけど……とりあえず、どこへ行くにしろお金がいるわね」
窓の外の明るい世界を見つめたまま、ダリルが独りごちる。
「こないだ、ダイアゴン横丁で素敵なアイスクリーム・パーラーを見つけたの」
少し日が昇って暖かくなってきたし、銀行へ行ったあとで覗いてみましょうよ。
事の重大さを十分承知しているはずのダリルが事もなげに提案して、スタンに「私たち、漏れ鍋で降ります」と声を張るのを見てると、いい加減ハリーも肩を張るのが難しくなってきた。
そろそろスタンたちも退勤時間が近いのか、ナイト・バスの速度がグンとあがる。ダリルは、スタンとアーニーが大声で話し合ってるのを横目に、そっとハリーの耳に囁きかけた。
魔法省を撒いたら、きっとみんなで遊園地へ行きましょうね。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM