その少女は電話帳の一番初めに載っている人と同じ名前をしていたので、やはり組み分けの儀式の時も一番初めに名前を呼ばれた。
尤もドラコは“電話”などというものを知らないので、平凡な名前だなと思っただけだった。有り触れた名前で呼ばれた少女は、悠然と進み出て、スツールに腰掛けた。マクゴナガル教授から手渡された帽子をゆっくり被る。
帽子はその少女へ触れたか触れないかというところで、高らかに叫んだ。スリザリン!
他寮のそれよりも圧倒的に少ない拍手に包まれながら帽子を脱ぐ少女が、純血でないと知れるに、ひと月も掛からなかった。
ドラコの知る限り、少女に友人というものはいなかった。
スリザリン寮生達の殆どはマグル生まれが嫌いだし、そうでない僅かな生徒達も、少女の寡黙さの前には無価値だった。
増してや他寮の生徒では、彼女に相手さえしてもらえない。いつのことだったかはっきりとは覚えていないが、ドラコはハーマイオニー・お節介焼き・グレンジャーが少女へ話しかけているのに偶然出くわしたことがある。スリザリンで大変でしょうと、ハーマイオニーが言う。
ドラコは当然少女が頷くものだと思っていた。その日の朝も、パンジーやミリセントが、彼女の前で、その両親を嘲笑っているのを聞いていたからだ。彼女が頷いたからといって、責める気にはならなかった。ドラコだって、穢れた血ごときがスリザリンへ組み分けられたのは気に喰わない。しかしながら、ドラコが露骨な悪意を抱くまでもなく少女は十全に責められていた。少女自身が出しゃばりでなかったのも関係して、ドラコは彼女へ無関心に近い感情を抱いていた。スリザリン寮のホワイトシープ。ドラコは羊肉も羊毛も好きじゃあない。
嫌いだと言いきらないほどの関心を向けたまま、ドラコは二人の脇を通り過ぎようとした。
三メートル、二メートル、ハーマイオニーはドラコの存在に気付かない。
大広間はホワイトシープとブラックシープが入り乱れていて、脇を歩く羊の毛色なんて気にしてたら精神摩耗で医務室へ放り込まれてしまうだろう。ねえ、私、その、貴女と仲良くなれるかしら? ハーマイオニーがはにかんだように笑う。彼女の毛色は白だし、少女もハーマイオニーも成績が良い。前年の学期末試験では確か二人並んで主席だった。ドラコだって、彼女たちの頭の良さは認めている。将来のツテがないのだから、マグル生まれはこういうところであくせく頑張らないとならないのだろうなんて、そんな風に認めていた。
ハーマイオニーが少女へ親しみを抱いていることも、少女がその親しみへ同意を返すだろうことも想像に容易い。端からスリザリンに入らなければ良かったものを、いや、マグル生まれだから、各寮の特色を知らなかったのだろう。やはり、あのオンボロ帽子は焼却するべきだな。つらつらと下らない思考を広げながら、彼女たちとの距離がみるみる縮んでいく。
少女は思案している風だったが、丁度ドラコが隣に並んだあたりで、くんと顎をあげた。穢れた血と慣れ合う気はないの。
ソプラノはざわめきを切り裂いて、人目を集める。その視線の中心で、ハーマイオニーがぽかんとしていた。
分からないのなら言ってあげる、ハーマイオニー・グレンジャー。
私は汚らしいマグルが大嫌い。ママも、パパも、あの十一年に関わった何もかもが大嫌い。少女は感情の抜け落ちた声音で連ねた。例え魔法が使えるからといって、きちんとしてない血が一滴でもはいると、もうやり直せない。台無しよ。分かる? ハーマイオニー・グレンジャー、台無しなの。子供に教え諭すような声音を聞いて、ハーマイオニーは赤面し、俯いた。
ドラコにはハーマイオニーの醜態を面白がる余裕はなかった。見慣れた赤毛が二人目指して憤然と駆けてくるのも、ドラコの目には入らない。ハーマイオニーの前にそびえたつロンが怒りのこもる声で、少女を責める。一体全体、ハーマイオニーが君に何をしたって言うんだ! 止めて、ロン良いのと、ハーマイオニーがロンの手を押さえる。ナメクジは駄目、ナメクジは駄目よ……! ハーマイオニーの台詞に、ロンは耳を少し赤らめて、折れた杖を仕舞った。そのやり取りを、少女の真っ黒な瞳が見詰めている。
もう行って良い? 図書室で、調べものをしなければならないの。ああ、何処にでも行っちまえ! もう二度と、僕らに近づくな。おかしなことを言うのね、ロナルド・ウィーズリー。自分から突っ込んできた貴方が、私へ近づくなと言う。事実を曲げていちゃもんをつけるがグリフィンドールのやり方なの? グリフィンドールへ選ばれると、折角の純血も台無しになるのね。とっても勿体無いわ。
呆然とする大広間を置き去りに、少女は去っていった。多分図書室へ行ったのだろう。夕食を終えたドラコが覗いた時には、もういなかったけれど、彼女に図書室以外の居場所があるとも思えなかった。きっと、あの少女に友人というものはいない。
スリザリン寮のホワイトシープ。有り触れた名前を持っている癖に才媛で、純血思想を持つ、穢れた血。
そう、純血思想を持ってるとドラコは繰り返す。
ハーマイオニーと張り合うぐらい頭が良いし、呪文学や変身術の授業では毎回褒められるぐらい魔法の腕も良いし、出しゃばりじゃないし、何よりも可愛い。自分が興味を持ったからって可笑しいところは何もない。そう思わないか、ザビニ。ザビニはドラコの台詞に頭を振る。さあね、好きにしろよ。僕は、顔が十人並の子供に興味はないんだ。正確には中の上ってとこか。ザビニの審美眼は正しいが、何のことはない、奴はマザコンの上に年増好きという二重苦を抱えている。そうか、そうだな。道理でお前は女子人気が低いわけだ。
ザビニの返事に背を押されたドラコは、ミス・ホワイトシープに話しかけることにした。穢れた血にすげなくあしらわれようと、年増好きやマザコンという称号を得るほどにはプライドを傷つけない。ザビニは鉄の心を持っているのに違いない。そんなことを考えながら、中庭で一人本を読む少女へ声を掛けた。何読んでるんだ。自分でももう少し気の利いたことでも言えばいいのにと思ったが、普段自分から声を掛けることなど全くない。僅かな例外は、ハリー達への揶揄だ。目の前を少女を揶揄するための言葉は浮かばないし、共通の話題もない。そう考えると、先の台詞は叡智の塊のように思えた。無難に話しかけようと思ったら、あれがドラコの一生懸命だ。
タイトルも読めないのドラコ・マルフォイ。そういう台詞を待ったが、少女はいつまで経っても声を発しなかった。
仕方なく、ドラコは言葉を続けた。僕も、その本を読んだ。少女は黙っている。続編は読んだか、割合面白い。さっきよりは砕けた台詞をこぼしても、少女はドラコを見つめるだけで動かない。どうしたことだ。まだ、彼女に嫌われるようなことをしでかした覚えはない――そう眉を寄せたところで、彼女の死蝋みたく白い肌が、人のそれのように見えるのに気付いた。
きょとんとするドラコに、少女が苦しげに喘いだ。折角の純血が、私なんかと話しちゃ駄目。聞いたこともない優しい拒絶を口にして、彼女は俯いた。これが、先日ハーマイオニーの親しみを跳ねつけた少女の、ミス・寡黙の、どんなにからかわれても決して感情を露わにしなかった鉄仮面の声だろうか。氷の女とまで呼ばれる彼女が、ドラコの前で、普通の少女のように頬を染めている。
野良犬を懐かせたら、きっとこういう気持ちなのだろう。このまま立ち話で通り過ぎるのが惜しいと、思った。ドラコは戸惑いながらも、少女の隣に腰を下ろした。お前は馬鹿か、話したぐらいで如何かなるわけがない。それよりも何か面白い本を教えてくれ。
少女は何も言わずに、はにかんだ。黒い瞳の奥に、ちらちらと揺らめくものがあった。きっと、その色彩に惹かれたのだろう。
ドラコ、如何しちゃったのと、パンジーが言う。あの子は穢れた血よ。
パンジーは、ドラコが少女と言葉を交わすのさえ許せない。それが束縛のようで、ドラコはパンジーが鬱陶しくなった。あいつはパンジーほど口うるさくない。そう思っていたドラコは次第に“如何してパンジーはあいつみたいに大人しく出来ないんだろう”と思うようになる。
日に透かすとキラキラ輝く金髪に、夜よりも暗い瞳。比べた十人のなかでは整っている容姿。何よりも、強ばった表情が自分の前でだけ解けるのが良い。純血に焦がれる少女の、その白い肌の下は汚れている。それでも、話す分には無害だ。
次第に、土曜の午後を少女と過ごすのがドラコのお決まりになる。
図書室や中庭や、湖の畔で色々な話をする。最初は好きな本の話、でも段々と純血主義とマグルがどれだけ劣っているかの話になる。
少女は静かな口調でマグルへの侮蔑と、その一人である自分を呪う言葉を紡ぐ。マグルの子供になんて、生まれたくなかった。少女がそう言う度、ドラコは少女へ何と言っていいか分からなくなる。ねえ、ドラコだってそう思うでしょう? 悲しそうな微笑みに促されるままドラコは頷いた。促されない限り、ドラコは否定も肯定も返さなかった。でも、その内少女が済まなそうな顔をする。
ごめんなさい。穢れた血の私が、馴れ馴れしかったわね。ドラコはやはり否定も肯定も返さない。
なあ、箒に乗らないか。そうやって、不自然に話題を変える。うん、とても気分が良さそう。ぎこちない話の流れでも、少女は先のことがなかったかのように、微笑んでくれた。そうやってかわせばかわすほどに、少女は純血思想について語らなくなる。
当たり障りのない会話を積み重ねて、ドラコには少女がますます分からなくなる。自己主張の少ない性質で、純血に対しては盲目的なほどの憧れを口にする少女が如何いう生まれで、如何いう育ちなのかドラコには分からない。
自分を非難する相手ですら、純血ならば悪く言うことはなかった。何故なのか、彼女の価値観は間違いなく純血思想に寄っていた。愛読書は純血魔法族の優性遺伝子について、嫌いなものは穢れた血と躊躇いなく口にするホワイトシープ。
マグルを嫌うマグル生まれの魔女。
少女しか借りる人のいない愛読書は、ドラコが読んでも理解出来ないほど小難しい。それでも一ページに最低一度はマグルへの罵倒が刻まれていることは読み取れた。中庭の隅にあるイチイの木の下は少女の定位置。そこで少女が愛読書に抱え込まれているのも見慣れた景色。毎土曜日、クラッブやザビニ達と別れたドラコはそこへ向かう。熱心に文字を追う彼女はドラコに気付かない。
なあ、なんでそんなにマグルが嫌いなんだ? ドラコはそう口走ってから、しまったと顔を歪める。
こんなこと、聞くべきじゃない。少なくとも、陽光の眩しい土曜日の昼に聞きだすようなことではなかった。それでも少女は何ら気分を害した様子も、驚いた様子もなかった。可笑しそうにクスクス笑ってから、変なドラコとおどける。
ハリー・ポッターに錯乱の呪いでもかけられたの? 馬鹿と、ドラコが胸を撫で下ろした。ポッターなんかに呪いを掛けられるほど、とんまじゃない。そうねと、少女がすんなり頷く。図書室へ行ってから、ボートにでも乗りましょうよ。分厚い本をパンと閉じると、少女は立ち上がった。ボートに乗りたいわ。少女はドラコの手を引いて歩き出す。
地下の船着き場に寄りつく人はいない。船着き場に続く扉には錠が下りているし、アロホモラでは開錠出来なかったから。
それに大イカの家でボート遊びがしたいなんて思うのも、精々ウィーズリーの双子ぐらいだろう。でも少女は錠を解くことが出来たし、“精々”の一人だった。船着き場近くでプカプカしている分には平気よ。あと、釣り糸を垂らさなければね。
大人しくて自己主張の少ない彼女が、ドラコをボート遊ぶに誘う時は饒舌だった。時々、夜になってからボート遊びに誘う時もあった。そういう時は杖先の明かりを消して、遠くまで漕いでいく。細々とした灯りで縁どられたホグワーツ城を見ていると、初めてここに来た日のことを思いだす。もう四年も前ね。ドラコと一緒にいる時は寡黙と雄弁の間でブラブラしている彼女が、夜の湖でホグワーツ城を見ている時だけ、寡黙なミス・ホワイトシープに戻る。ああ、でも、もう四年も経った。また、あっという間に三年過ぎるんだろうな。
ドラコの台詞に少女がはにかむ。ふっと、その黒い瞳の奥に、炎が見えた。生まれ変わるなら、ドラコの子供に生まれたいな。その台詞で我に返ったが、返す言葉は浮かばない。さっきの炎は見間違えかと考えたり、この台詞は如何いう意味だろうと考えたり、頭だけが忙しい。
もしも来世があるなら、ドラコの子供に生まれて、ナマエってつけてもらうの。
ナマエ? 一体、如何して。ナマエなんて名前に、少女が憧れる要素はない。ドラコはますます彼女が分からなくなる。
少女はドラコの問いへ少し考え込んでから瞳を伏せ、そっぽを向いた。今は黒い瞳に、四年前から、百年前から、千年前から、そして二人がやがて死んだとしても変わらないだろうホグワーツ城が映る。世の中ってね、捨てるか捨てられるだけなのよ。
少女が静かな憎悪を零す。私は捨てられる側なの。ナマエは捨てる側の名前よ。私もそっちが良かった。親から礼儀作法を叩きこまれたドラコだが、孤児院育ちの穢れた血、スリザリン寮のミス・ホワイトシープを前に、こんな時如何言えば礼に適うのか分からない。
彼女は淡々と希望の皮を被った絶望を口にする。そっちが良かったわ。捨てられる側の私に、捨てる側のナマエ、捨てられる側の穢れた血、捨てる側の純血。ドラコがなんと言うか悩んでいる内に彼女は船着き場へと漕いで、寮に戻り、朝が来て、ホグワーツから消えた。
スネイプの居室を訪ねれば、彼は名簿を捲りながら訳の分からないことを呟いた。
我輩が逆立ちで校内を一周し損ねただけの話だ。マルフォイ、下らん質問をする暇があるなら寮へ戻ってアンケートを集めてこい。
世界で一番うつくしい名前をもつ化け物