七年語りCHAMBER OF SECRETS
10 開く理由

 

 車窓はまだ明るく、青空の下には文明社会の名残を十分に留めた街並みが広がっていた。
 キングズクロス駅を出てからそう長く経っておらず、通路にはまだ人を探す喧騒が響いている。

 流れていく景色を視線で追うダリルの横顔を、向かいの席に掛けるドラコが眺めていた。ダリルがドラコに纏わりつくのはいつもの事だったが、ジョージやフレッド――グリフィンドールの友達がいる場所で、彼らよりもドラコを望むというのは珍しい。
 ルシウスの視線から解放された後も、列車が動き出してからも、ダリルはドラコと一緒に入ったコンパートメントを後にする様子はなかった。いつか出ていくだろうと思ったのに、もう二人は三十分も共にいる。

 胸元のボタンを弄りながら、ダリルは一言も話さない。朝食に下りて来た時には既にそういう状態で、落ち込んでいるでもなく、ただぼんやりと何事か考えているようだった。レディが戻ってきたから、それが嫌なのかとも思ったけれど、そういうわけでもないらしい。ダリルの飼い蛇は夏季休暇が始まる前と同じように、主人の首元へ巻きついていた。慣れたのか、ダリルはそれを嫌がる風でもなかった。
 黙ったままのダリルに――それとも無音の空間に、何か不穏なものを感じて、ドラコは口を開いた。
「本当に、ウィーズリーの奴らと一緒に座らなくて良いのか?」
 ダリルは答えない。代わりに赤い瞳と目が合った。チロリと舌を出すレディに、ドラコは如何してダリルがこの蛇を嫌っていたか理解する。心の奥底まで覗きこまれそうな赤だ。ドラコはぎゅっと眉を寄せて、レディから視線を逸らす。
「こないだのことなら、向こうだって同罪だろう。それに取っ組み合いをしたのは親同士で、僕らとは無関係だ」
 早口にそう言うと、ダリルがようやっとドラコのほうを振り向いた。ゆるゆると笑みを浮かべて、からかうような声音を出す。
「ドラコは私と一緒に居たくないの?」
 微笑んではいるものの、その瞳は、ドラコを通り越した遥か遠くを写し込んで、焦点が定まらない。
「そういうわけじゃない」
 ドラコは吐き捨てるようにぼやいた。
「じゃあ一緒に居ましょう。どうせホグワーツに着けば、あの人達とはいつだって遊べるんですもの」
 “あの人達”という言葉で、ダリルの瞳に生気が戻る。

 ダリルはドラコが何よりなのだと言う。実際ドラコも、ダリルから求められていると強く思うし、彼女から向けられる愛情の全てに報いているはずだった。それでもダリルの悲しみや悩みを晴らすには、自分だけでは不十分だと感じていた。
 前年度の終わりに何があったのか、ダリルはドラコに語らない。またドラコも知るのが怖いとも感じていて、夏季休暇中にそれについて問いただしたりは、一度たりともしなかった。ただダリルが元通り元気になってくれたのなら、何があったのだとしても構わない。
「父上に叱られでもしたのか」ドラコはダリルの手を取った。
 ドラコは普段、人の語らないことを無理に聞き出そうとしない。好奇心は人を滅ぼすというルシウスの教え通りに育った双子の兄。ルシウスの嫌う人種や、身内を傷つける者には容赦がないが、それ以外には優しい少年だ。

『知らぬほうが幸福なこともある。騙され続けるほうが幸福なこともある』
 ルシウスの気持ちはダリルも分かる。ダリルもドラコにはこのままで居てほしい。何も教えたくない。ただでさえドラコはルシウスが死喰い人であったとは知らされている。将来はマルフォイ家を継ぐものとして、汚いものを継いでいかなければならないと知っている。

 ダリルは微笑んで見せた。
「お父様に叱られるのはいつもの事だけど、慣れないわね」自分の手を包むドラコの手を取り、握る。「何でもないの」
 胸元のボタンを――その下の黒い鍵に触れる。自分が持っていることで、ドラコが負わなければならないものを少しでも肩替り出来れば良い。自分が抱いたような絶望も、ルシウスが至った諦めも、この優しい双子の兄には知ってほしくない。
 自分の心配をしてくれるドラコへダリルは改めてそう思った。

『お前が戻ってくるのはこちら側だ』
 昨夜の会話の全てが夢であってほしいと思ったが、ルシウスから渡された鍵は目覚めてから後もきちんと手の中へあった。
 使う機会は暫くないだろうし、使いたいと思うどころかどこかへ捨ててしまいたいようにも思ったが、ルシウスの台詞通りに知りたいと望む気持ちもある。それにクィレルの台詞もダリルの好奇心を刺激していた。ヴォルデモートが何故ああいった思想を持つに至り、何故人々の内であれに加担する者があるのか、逃れる術はないのか、知りたいと思う自分がいる。
 同時に止めたほうが良いとも思っていた。この鍵の先にある知識はホグワーツで禁じられ、大人の魔法使いの内でも知らぬものが多いだろう闇の魔術だ。最初は単なる知的好奇心から闇の魔法を調べ、やがてそれを使ってみたいという衝動を抑えきれずに落ちた魔法使いがいる。クィレルだって同じようなものだろう。人は皆多かれ少なかれ闇に惹かれる素質を持っているのだ。自分が闇に溺れない確証など何処にもない。それらの知識を得る内に、寧ろヴォルデモートへ加担したいと思うようになるかもしれない。そう思えば、この鍵のことなぞ忘れて、昨夜の会話のことなど全て忘れてしまえば良いとさえ思った。所詮ダリルはマルフォイの家名を捨てて、嫁へ出される身なのだ。
 知る必要はない。手を汚す必要はない。本当に家が嫌になれば、シリウス・ブラックのように家を捨ててしまえば良い。
 ダリルはハリーを裏切らないでいることが出来る。グリフィンドール寮の生徒として生きることが出来る。光のなかで暮らせる。

 でも、ドラコは?

 大事な半身、捨てて出ていくことなど出来ない。自分が知りたくないと捨てれば、ルシウスは無論ドラコに鍵を与えるだろう。それが遠い未来であれ、ヴォルデモートが蘇ればドラコは死喰い人にならなければならない。家の為、家族を守る為、そしてドラコはそれを拒絶しないだろう。彼はスリザリンだから、他者を攻撃することで守れるのなら決して嫌だとは言うまい。
「お前は相変わらず嘘が下手だな」ドラコがぽつんと零した。自分と同じブルーグレイの瞳が痛みを湛えて、ダリルを見つめている。
「それでいつもドラコに迷惑かけてしまうわね」ダリルは腰を浮かせて、ドラコの首に腕を回す。
 自分達は共に生まれた。共に死ぬことが出来ずとも、互いの痛みや幸福を感じ取ることが出来る。だから互いを守るため必死になってしまうのかもしれない。自分の存在を確立させるために、相手を求めてしまうのかもしれない。
 ドラコがふーっとため息をついてから、ダリルの耳元に小さく囁く。「嘘を付いても、迷惑を掛けても良いから、」ダリルはその続きを遮った。「大丈夫」『ダリルよ、ヴォルデモートが戻ってこないという確証はないのじゃ』この夏幾度も繰り返した台詞が過ぎる。『闇の帝王は死んでいない。私にはそれが分かる』父の台詞が過ぎる。「大丈夫よ……」己へ言い聞かせるように囁いた。貴方にヴォルデモートの手伝いはさせない。絶対に貴方には人殺しの手伝いはさせない。貴方を置いて光のなかへ行きはしない。ダリルはきゅっと唇を噛んだ。
『しかし一度知ったなら、お前が納得いくまで知ると良い』
 ドラコをヴォルデモートに加担させぬため、そして逃れられるように、調べなければならない――闇の魔術について。

「……父上に」何を聞かされた。そう問いただしかけるのを、扉の隙間から顔を出した赤に遮られる。
「お! ダリル、こんなところに居たか!」
「大スクープだ!! ロンとハリーが今どこに居ると思う……!」
 ジョージとフレッドがダリルを見つけた興奮のまま語り出したが、ダリルが何に抱きついているか気付くと一瞬黙り込んだ。二人で顔を見合わせて、コホと咳払いをしてみせる。ダリルは勢いよく振り向いた。顔を赤くしてるドラコとは逆に呆然としているだけで、羞恥はない。
「おっとお邪魔でしたかな」
 フレッドがにやにやと揶揄をこめた笑みで笑う。ドラコはついに手で顔を覆ってしまった。妹とベタベタしているところなど人に見られて楽しいものではない。しかしダリルはそんなことを全く気にしていないのか、ケロリとしていた。ドラコの首から腕を離し、席に掛ける。
「貴方達って本当に唐突ね……。家族ですもの、貴方達だってこのぐらいするでしょう」
「お貴族様のスキンシップは皆過剰なのかい?」
 ジョージが肩を竦めて言うと、ダリルがケラケラ笑った。暗いものの何一つない、穏やかなものだ。
「今日はどっちがジョージで、どっちがフレッドなの?」
「そんなことより、こっち来いよ! すっげえ面白いことになってるぜ……外の騒ぎ聞こえないのか?」
 クスクス笑うダリルの手をフレッドが掴んで言った。ダリルはきらきらした瞳で頷きかけたが、ちょっと顔を曇らせてドラコのほうを振り向いた。ドラコはダリルから顔を背けて、窓の外を見る。文明が遠ざかり、草の青と空の青が入り混じる。
 ダリルが不安そうな顔をしているのが窓ガラスに白く映っていた。
「行けよ」
「ドラコ、ホグワーツでもお話しましょうね」
「ダリルの鞄はこっち?」ジョージが傍らにあるトランクを掴んで、一足先に出ていく。
「ええ、そうよ」
 フレッドに手を引かれて、ダリルもコンパートメントを後にした。バタバタという騒がしい足音だけを残し、やがてそれも遠ざかるとドラコは一人になった。一つため息を零すとドラコもスリザリン生のいるコンパートメントを探すために席を立つ。

 何故道が違ったのだろう、何故自分でダリルの不安を解くことが出来ないのか考えながらドラコは一人で歩きだした。
 

開く理由

 
 


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