七年語りCHAMBER OF SECRETS
13 二日目の午前

 

 新学期二日めにして新学期最初の授業がある朝、ダリルは一人でいた。

 そりゃそうだ。仲の良い五人は全員上級生だし、同室のジニーも下級生で、昨日仲良くなったハーマイオニーはハリー達とあっさり和解してしまった。ハーマイオニーが自分を手招きしているのは分かったが、ダリルは口パクで「ノート、約束ね」と笑うだけで近づかなかった。ハーマイオニーは新しい友人を――しかも彼女にとっては初めての同性の友人を――ハリー達へ紹介したがっているようだったが、ダリルは暫く応えることは出来ないなと思った。仲良くなりたいし、三人のことは勿論好きだ。それにルシウスはダリルの自由にすれば良いとさえ言ってくれている。もうダリルを縛るものはなく、したいように振る舞えるはずだった。けれど積極的に関わることを思うと躊躇われる。

 去年一年で一人で過ごすことになれたのかもしれないとダリルは思った。授業さえ終わってしまえば五人とまたふざけあったり出来るし、部屋へ戻ればジニーともお喋り出来るだろう。だからかダリルは自分を孤独だとは思っていなかった。

 きゃあきゃあと夏季休暇の名残を引きずって姦しい人ごみに紛れながら、ダリルは温室への道のりを辿っていた。
 温室の前で待っていると、スプラウト先生が暴れ柳のほうからやってくるのが見えた。相変わらず、その小さな体に似つかわしくない大きな歩幅でぐんぐん近づいてくる。その脇で何かがちょろちょろと飛び回っているのが見えた。ギルデロイ・ロックハートだ。
 ロックハートは何事かスプラウト先生へ熱心に語っている様子だったが、自分のほうを見ている生徒達の存在に気付くと満面の笑みと共にウインクを送ってくれた。ちょっと遠くにいるロンが吐く真似をしているのと、ハーマイオニーが頬を染めている様子が目に入る。ダリルはロンの反応があんまりにジョージのものと似ていたので、クスリと笑ってしまった。
「いや、何。ちょっとスプラウト先生に暴れ柳の正しい治療法をお教えしていましてね……いやいや!」全く否とは言いたくなさそうな声音だ。「勿論私のほうがスプラウト先生より薬草学に長けていると思うのは大きな誤解ですとも」そう言うとロックハートは歯を輝かせて笑った。ハーマイオニーは蕩けそうな顔をしている。ロンの思考回路も怒りで溶けそうだなとダリルは思った。
 不意にハリーがこちらを向いた。途端にダリルは真っ赤になって、ハリーから顔を逸らしてしまった。
「偶然私は旅の途中で暴れ柳の群生地に迷い込んでしまったことがありましてね――」
「みんな、今日は三号温室へ! 早く!」ロックハートが活き活きと身振り手振りで語り出したのを遮るようにスプラウト先生が唸った。
 生徒達はスプラウト先生の不機嫌になど気付いていない様子で、ヒソヒソ囁き合っている。今までずっと授業は一号温室で行われてきており、スプラウト先生は他の温室にどんなものが植わっているか詳しく語ることはなかったものの、生徒達は「三号温室には一号温室とは比べ物にならないほど危ない植物がぎゅうぎゅうだぞ!」等と上級生から散々脅かされていた。

 スプラウト先生が扉を開けた瞬間に、むっと強い芳香が熱を持って溢れだしてくる。ダリルは鼻を手のひらで覆って、温室の中を覗きこんだ。入ってすぐの天井から傘ほどの大きさもある花がぶら下がっている。最初に感じた匂いはその花から放たれているようだった。奥には何があるのだろうとダリルはつま先立ちして遠くを見ようとしたが、人垣に阻まれて見えない。花の匂いが風に運ばれていくと、温室の奥から雨の日の匂いが立ち込めてきた。湿った土と、草の匂いだ。温室の中へ吸い込まれていく人ごみの後ろへついていくと原色の花が入り口の脇に咲いているのが見えた。花弁を揺らして儚い響きで歌っている。その歌へ聴き惚れていると頭の上に何かが落ちてきた。上を向くと先ほどから見えていた巨大な花が迫ってきている。傍らで戸を押さえていたスプラウト先生がその花をバシンと叩けば元の位置へ戻って行った。「食人花です。出入りには注意するように」スプラウト先生が生徒達が中へ入りきるのを待っているのは、そういうことらしい。ずっと一号温室で授業を受けていたかったなと思いながら、ダリルは頭に手をやってみた。べとつく。
 くいっとローブの袖を引かれる。
(凄い! それ、魅惑万能薬の材料の一つよ! 後でちょっと頂戴ね)
 茶の瞳を輝かせたハーマイオニーが宝石でも見るかのようにダリルの頭頂部を見つめていた。使いたい相手がいるのだろうか。ダリルはコクコクと二度頷いた。(ね、彼の好きな匂いって何だと思う?)ハーマイオニーの視線を辿ると入り口の脇でロックハートにがっちり抱きしめられているハリーがいた。ドラコに話しかけられた時だってあんな顔はしないだろう。ダリルはぷっと吹き出した。
(堆肥かなんかじゃないの。薬草学がお好きなようだし……)
 やれやれと言いたげにウンザリした顔でロンがボソっと呟いた。あんまりにも自然に会話へ交じってきたので、ダリルは目を丸くしてロンを見つめてしまう。ロンはちょっとばつの悪そうな顔で(君がハーマイオニーほど馬鹿じゃないって知ったらフレッドとジョージが喜ぶだろうな)と言ったのに、ダリルははにかんで見せた。ロンが自分への警戒を解いてくれたのは嬉しかったが、長々と話す暇はなかった。
「さっさと進みなさい!」
 いたく不機嫌なスプラウト先生の言葉に背を押され、三人は皆が並んでいるところへ早足で向かった。

 外から見て、半透明のガラスで出来た温室の中には植物がぎゅうぎゅうに詰まっているものだと思ったが、やはり温室としての機能より教室としての機能のほうへ重きを置いているらしく、然程多くの植物が植わっているわけではなかった。特に温室の中央には何も生えておらず、湿った土がむき出しの状態となっている。中央の平地の上座には何かの苗が入った箱と、イヤーマフの乗った台が置いてある。スプラウト先生はその二つの台の後ろへ回り、生徒達と向き合う。

 ダリルはハーマイオニーの隣へ立った。ハーマイオニーはダリルと喋りたそうにこちらを向いていたが、厳しい顔で生徒達を眺めるスプラウト先生を前にして話しかける勇気はないようだ。いつもは穏やかなスプラウト先生が何故こんなに怒っているのだろうとダリルは思った。そしてそう思ったのは他の生徒達も同様らしい。喋りたそうにしているのは、何もハーマイオニーだけではなかった。
 そういう気詰まりな沈黙が一分は場を満たしただろうか。ハリーが扉を開いてこちらへ駆け寄る。食人花はぱくっと花弁を開いたものの、捕食するにはハリーはすばしっこ過ぎた。ハリーが大急ぎでハーマイオニーとロンの間に滑り込むと、スプラウト先生が口を開いた。
「今日はマンドレイクの植え替えをやります。マンドレイクの特徴がわかる人は――」スプラウト先生が質問を口にし終えるより前にハーマイオニーの手がピーンと挙げられた。
「マンドレイク、別名マンドラゴラは強力な回復薬です」
 いつも思う事だが、ハーマイオニーの回答は実にシンプルだ。教科書を丸のみにしたから簡潔な返答をするのではなく、膨大な知識を得た結果相手の問いへ如何答えるのが最も的確であるか知り尽くしているから、教科書と似た印象になる。中途半端に勉強の出来るダリルはそこへ至るのがどんなに大変か理解している。冗長に説明した方が傍目には賢く見えるが、こうして短く答えるためには全ての知識を飲み込むだけではなく、咀嚼して、完全に自分の知識としていなければならない。
 ダリルはうっとりとハーマイオニーの横顔を見詰めた。

 ハーマイオニーに二十点の加点をするとスプラウト先生の機嫌は大分良くなったようだ。にっこりと、いつもの穏やかな笑みで「たいへんよろしい」とハーマイオニーを誉めると、スプラウト先生は自分の前にマンドレイクの苗をさっと指した。
「さて、ここにあるマンドレイクは非常に若いです。若いので――ええと」
 そう言ってから、ちょっと指を唇に当てて思案顔をする。「実際にやってみたほうが早いでしょうね。一人ひとつずつ耳あてを取って」途端に生徒達が大挙して耳あてに群がった。理由は、二十ほどある耳あてのなかで一つだけ悪目立ちしている耳あてにあるだろう。ダリルも、十二歳にもなってまで、あんな少女趣味のものはなと思った。ピンクのフェイクファーで彩られたマフは温かそうだったが、まだ熱気さえ感じる初秋に選ぶ必要性はない。ダリルは灰色のイヤーマフを取って、元の場所へ戻った。
「私が合図したら耳あてをつけて下さい。取る時も私が合図しますから、それまで勝手に外さないように」
 若いマンドレイクであれば死にはしないだろうが、暫く寝込むような醜態をさらすのは嫌だなとダリルは思った。特にハーマイオニーの前で失敗するのは、嫌だ。ダリルはスプラウト先生の話へ真剣に耳を傾けた。ハーマイオニーはダリルの十倍ほど真剣な表情だった。
「それでは――耳あて、つけ!」
 皆が耳あてを付けるパチンという音に、ハーマイオニーの横顔に見惚れている場合ではなかったと我に返る。ダリルは皆より一拍遅れて耳あてを装着した。スプラウト先生が呆れたようにダリルを見ているのが分かった。ダリルは顔を赤くして縮こまる。
 ハキハキしたスプラウト先生のことだ。もしも皆が耳あてをつけていなかったら、ダリルを例に出して、もっと真面目に実技を受けるようにと皆へ言っていただろう。尤もダリル以上に不真面目な生徒がダリルの隣にいた。ディーンが土のなかから拾い上げたミミズをシェーマスの肩に乗っけていた。大仰な動きで肩からミミズを叩き落とすシェーマスにダリルは笑ってしまう。スプラウト先生が三人を睨んだ。
 ハーマイオニーがマクゴナガル教授のような厳格な表情でダリルを見ていたので、ダリルはすっかり落ち込んでしまった。そんなダリルを見て、今度はシェーマスとディーンが笑っていたが、ダリルはそれどころではなかった。

 全員の耳にイヤーマフが付いているのを確認するとスプラウト先生もイヤーマフを付けた。あの、“余り”のイヤーマフだ。勿論ダリルよりもずっと年上で、ずっと賢い魔女なのだが、スプラウト先生があの少女趣味なイヤーマフを付けると不思議に似合う。背が小さいのも相まって、自分と同じ年頃なのではないかと思うほどにあどけない。勿論フリットウィック先生よりかはずっと背が高いけれど。
 スプラウト先生は何事か話しながら袖を捲り、目の前に並ぶ苗の真ん中、自分の真ん前にあるマンドレイクの葉を握る。
 ダリルはぎゅっとイヤーマフを押さえた。ハーマイオニーにこれ以上の醜態は見せられない。スプラウト先生がマンドレイクの根を引っこ抜いて、台の下から取り出した鉢へ植え替えていくのをダリルはじっと眺めた。
 作業は簡単なように見えるが、実際に自分でやるとなると勿論スプラウト先生のように上手くは行かないだろう。堆肥の中へ埋まりきる直前に、マンドレイクの根が不服そうに眉(実際に眉かどうかはさておき)を顰めたのをダリルは見ていた。一筋縄では行かなそうだ。
 手から泥を落とすと、スプラウト先生が“合図”を出した。皆が耳あてを取る。耳がだるいような気がした。
「このマンドレイクはまだ苗ですから、泣き声も命取りではありません」そう言うと、スプラウト先生はぐるりと生徒達の顔を見渡して、重々しい口ぶりで続けた「しかし苗でも、皆さんを数時間気絶させるだけのことは出来ます。授業初日を休めば後で大変ですよ……私の合図にきちんと従い、耳当てを勝手に外したりしないこと。分かりましたね?」分からない人はいないようだった。

 嫌だなとは思ったが、教師の指示に従わないわけにはいかない。ダリルは左隣にいたシェーマス、ディーン、ネビルと組んで作業することになった。ダリルとシェーマスとが植え替えるための鉢と四人分の苗や堆肥を持って帰ってくると、ディーンがネビルに何事か言い含めていた。「良いか、絶対に耳当てを取るなよ。お前はこう言う時ぜーったいに気絶する奴だ」ネビルはおっかなびっくりイヤーマフのサイズを調整している。「いっつもああなんだ」シェーマスが肩を竦めて、ダリルに呟いた。
「仲が良い……のね?」
 見ようによっては、自分に自信のないネビルをディーンが追い詰めているようにも見え、ダリルは台詞の終わりに疑問符を足した。
「そんな感じ」シェーマスが笑う。「出会ってから一年だけど、腐れ縁みたいな感じかな。毎日一緒に寝起きしてるからああなるのかも」
 実際ネビルへあれやこれやと口を出すディーンは友達というよりも兄か、母親のようだった。
 堆肥の量が少ないだとか、ぎゅうぎゅうに押し込みすぎたとか、姑よりも口うるさくネビルへ指図するディーンへネビルは懸命に応えようとしていた。案外自分のように優しく曖昧に振舞うより、キッパリ駄目なところは駄目と言ってしまったほうが彼にとって良いのかもしれない。もしも自分がディーンにああやって指図されたなら泣きだしてしまいそうな気がしたが、ネビルは決してめげなかった。
 作業をしながら二人のやり取りをじっと見るダリルへシェーマスが話しかける。
「君も変わったよね」
 その台詞が如何言う意味なのか知りたいと思ったが、シェーマスがそうにっこり笑った瞬間に“合図”が出た。
 ダリルは未練を断ち切りながらイヤーマフを耳に付けて、マンドレイクの苗の植え替え作業に集中することにした。というよりも嫌でも集中しなければならなくなった――ダリルのマンドレイクはダリルの体つきを確認するとフンと笑った。全くもってマンドレイクはたかが植物とは思えないほど人間味のある思考回路でダリルを「恐れるに足らない」と判断したらしい。ダリルが隙を見せた瞬間思い切りダリルの指を噛んだ。偶然一部始終を見ていたシェーマスが思い切り顔を顰めた。事実ものすごく痛かったし、血もダクダク出ていたが、ハーマイオニーと一緒の授業でこれ以上失敗をするわけにはいかないという思いがマンドレイクの拘束を解かせなかった。ダリルはマンドレイクの拘束をきつくすると、そのままずぼっと土の中へ突っ込む。マンドレイクは唖然としたまま土のなかへ消えていった。
 シェーマスがぽかんと口を開けてダリルを見ている。ダリルはにっこり微笑んだ。
 噛まれた親指をハンカチで止血しようとポケットを漁ると、セドリックから返してもらった灰色のハンカチしかなかった。一瞬それで止血をしようかとも思ったのだが、大した怪我ではないし、一度血が付けば中々落ちはしない。それにこのハンカチはセドリック専用だ。
 ダリルは一度ぺろっと傷口を舐めるだけで放っておくことにした。
 数分も経つと血は止まり、痛みも薄れた。作業も終わり、怪我も軽くなった。余裕が出てくると今度は汗のにおいが気になる。くんと手に鼻を近づけると、堆肥の匂いがした。スプラウト先生は皆が何を思っているか悟ったらしく、二十分も早く授業を切り上げてくれた。

 疲労困憊と言った調子で城を目指す群れに交じって、朝辿った道を遡る。城へ入ると皆早足で寮へ向かい、ダリルも自室へ飛び込むと濡れタオルでざっと汚れを落とし、制服を替え、血で汚れても構わないハンカチをポケットに押し込んだ。
 変身術の教室がある塔までは走って五分。遅れれば減点は免れないだろう。しかし汗だらけの体で授業に出続けるよりは、少し焦ってでも身繕い出来た方が良い。男子学生の中にはそのまま変身術の教室へ向かう猛者もいたが、女学生は全員寮へ戻ってきていた。

 平日の真昼、誰もいない談話室を二年生達は駆け足で横切って行く。
 

二日目の午前

 
 


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