七年語り – CHAMBER OF SECRETS
14 二日目の午後
昼食の席でハーマイオニーが完璧なコートのボタンを見せびらかしたがっているのに、ダリルはぼーっとテーブルに肘をついたままでいた。これは明らかなる変事だった。いつものダリルだったら我先にとハーマイオニーの偉業を讃えに行くはずだ。ダリルの前に座るアンジェリーナは首を傾げたし、フレッドとジョージはダリルに黙って食人花の涎を採取していたが、ダリルは彼らに構う余裕はなかった。
変身術の授業はダリルにとって素晴らしかった。何も魔法が使えるようになったとか、マクゴナガル教授に加点してもらったというわけではない。否ダリルにとってそれ以上に素晴らしいとさえ思えた――二人組を作るようマクゴナガル教授が言った途端にダリルの横へ来たのはハリーだった。ハリーは何でもない風に「一緒に組まない?」と言ってきて、その時点でダリルは死んでも良いと思ったが、勿論それだけでは此処まで魂を抜かれたりはしない。幾らダリルだって理性というものは兼ね揃えている。
『ずっとは無理かもしれないけど、ほら、二月ぐらいなら僕が変身術の授業で上手く魔法を使えなくたって誰も不思議に思わないと思うよ』
まだ前年のことを気にしているらしいハリーはダリルにそう言って、実際杖を振り回そうともせず、コガネムシを杖で突いているだけだった。気にしなくて良いんだとか、もう終わったことだとか、夏季休暇の前に謝ってくれたじゃないとか、色々言いたいことはあったが、ダリルは変身術の授業中ずっと顔を真っ赤にして黙っているだけだった。何も言えなかったのである。
ハリーは「女の子って理解出来ない」と言いたげな顔をして『君、フレッドやジョージと話してる時は普通なのに、僕と一緒だとよくわからなくなるよね。ジニーもだけど……君は』キングズクロスでは普通に話してくれたのに。そう言いかけたが、ダリルが夕日よりも真っ赤な顔で俯いているのを見て、ハリーも黙り込んだ。ダリルは一生懸命挽回の言葉を考え、まともに応対出来ない自分を激しく悔やんだりもしたが、授業の終わりにハリーが『じゃあ、また次の変身術でね』と言ったので完全に魂が抜けきってしまった。
「ハリー関連か?」
フレッドがダリルの髪をぐしゃぐしゃにしながら呟いた。
「ジニーお嬢さんと言い、なんで変に猫を被ろうとするんだろな……」ジョージがため息をつく。
「ねえ貴方達、自分の前でだけ顔を赤くする女の子がいたら、如何思う?」
アリシアの疑問にリーとフレッドとジョージが顔を見合わせた。
「ズボンのチャックが開いてたかな?」
「俺の事が好きなのかな?」
「赤面症かな?」
上からジョージ、フレッド、リーの台詞である。アンジェリーナが呆れた顔でぼやいた。「君達はハリーより酷いよ」
「男ってやーね。子供で」
アリシアがそう零して、熱い紅茶をゴクリと飲んだ。
「ちょっと待った。俺はきちんと女心を理解してるだろ?」フレッドが不満そうにダリルの髪の毛を引っ張った。ダリルはぼーっとしている。そのままガクガク振り回してもダリルは反応しない。とても幸福そうな、うっとりした顔で虚空を見つめている。
「そう思い込める根拠を教えてほしいね」
そう顰めつらするアンジェリーナの頬はちょっと朱に染まっていたが、フレッドは膨れるだけだった。
アリシアがちょっとからかいたそうにしていたものの、男三人は何にも気づかなかったようだ。アンジェリーナの突然の不機嫌に肩を竦めては、手慰みにダリルを小突きまわしている。ダリルが元に戻る様子は一向になく、アンジェリーナは三人へ「ダリルを闇の魔術に対する防衛術の教室まで送って行くのがこの一時間散々彼女で遊んだ君達の義務」だと通告した。
アンジェリーナのおかげでダリルは次の授業に遅刻したりすることはなかった。その代りに男三人はバッチリ遅刻したけれど。
ダリルが我に返ったのはネビルにテスト用紙を差し出された時だった。その時やっと自分が今闇の魔術に対する防衛術の授業を受けていて、教卓の前に立っているのがロックハートで、更にいつのまにか自分の前にロックハートの著書七冊が積み上げられていることに気付いた。ネビルが泣きそうな顔でテスト用紙を差し出している。ダリルはひったくるようにテスト用紙を受け取って、慌てて後ろのパーバティに回した。授業が終わったらネビルに謝らなければと頭の片隅で考えながら、ロックハートの合図に視線を落とした。
――1.ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?
――2.ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何?
――3.現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績のなかで、あなたは何が一番偉大だと思うか?
ドラコがこのテストを見た時の反応が知りたいなとダリルは思った。もしくはルシウスに見せるのでも良い。きっと渋い顔をするだろう。そんなことを思ってダリルはクスクス笑った。ちょっと周囲を見てみれば皆様々な反応を示している。真剣に悩むもの、馬鹿にして隣の生徒と手紙を交換しはじめるもの、呆れきった顔をして、テスト用紙の隅に落書きしているもの。
ダリルは暫くテスト用紙を眺めて如何するか思案した。正直言うとまともな小テストとは思えなかったし、ロックハートが自己紹介代わりにウィットに富んだレクリエーションをしているとしか思えなかったから、真剣に答えなくても良いだろうと思った。それに真剣に答えたとしても半分答えられるか如何か分からない。ダリルが詳しく覚えているのは「バンパイアとバッチリ船旅」の内容についてだけで、他の六冊はざっと目を通したぐらいだ。結局ダリルは大まじめに小テストを解き、答えが分からない問いもとりあえず全部埋めておいた。
五十四問目の解答を記入し終えたところで、丁度三十分が経ち、ロックハートがテスト用紙を回収した。
それから十分ほどロックハートは皆の解答への感想をひとしきり語り、ダリルは面倒が終わったと言う気分でハリーのことについて再び思いを馳せていた。夢は膨らむばかりだ。ロックハートの話のなかで唯一聞きとれたのがハーマイオニーが満点を取ったというところだけで、ダリルはハーマイオニーとハリーが結婚して子供を作ったらさぞかし素敵な子供が生まれるだろうとブルーグレイの瞳をきらきらさせた。でもジニーとハリーの子供も良いかもしれない。ダリルは羽根ペンを手にすると、羊皮紙にハリーとジニーの子供の想像図を描いてみた。豊かな赤毛と美しい緑眼の可愛らしい女の子だ。明るくてハキハキしていて、ちょっとやんちゃだけどおねだり上手。
ダリルは自分の想像にとても満足した。満足しすぎてピクシーが自分の髪を弄っているのにも気づかなかったぐらいだ。くんと誰かがダリルの制服の襟ぐりを掴んで、横に引いた。その衝撃よりも巨大なものが先まで自分がいた場所に落ちてくる。
「……君、今日ちゃんと寝てないの?」
耳元でハリーの声がした。ハーマイオニーが慌てて駆け寄ってくる。「ダリルったら、酷い髪よ!」その後ろでロンがピクシーを追っ払っていた。「髪が酷いのは最初っからさ! フレッドとジョージが滅茶苦茶にして遊んでたの見てなかったの?」
気がつけば教室内は酷い惨状だった。ダリルがさっきまで座っていた席の上にはシャンデリアが落ちてきているし、教壇の上ではシャンデリアの端にローブが引っ掛かって動けないネビルがしくしく泣いている。壁紙は剥げているし、紙吹雪が教室中舞っていた。膝の上に落ちてきた雪を見ると、誰かの文字が書いてある。天井の上あたりではピクシー達が教科書やノートをビリビリ破いて遊んでいた。机の下にいないのはダリルとハーマイオニーとロンとハリーとネビルだけで、他の生徒は皆机の下に避難している。
ピクシー達の暴れる様子を眺めながら、何故ハリー達は避難しないのだろうとダリルが考えていると、ハーマイオニーの心配そうな顔で視界が埋め尽くされた。「ダリル! 私の事分かる?」ガクガクと揺さぶられる。記憶障害があるように見えたのだろうか。ダリルはハーマイオニーの剣幕に怯えながら二度三度頷いた。はーっと背後で誰かがため息をつく。
「全然駄目。熱でもあるんじゃない?」
ハリーだ。ダリルはぼっと顔を赤くした。背中にハリーの熱が映る。ハリーの腕がダリルを抱え込んでいる。事態を察したハーマイオニーが、ダリルに呆れた顔をしてみせた。「ハリー、ダリルが全然駄目なのは貴方の傍でだけなの」
「そんなことないわ。ちょっとビックリしただけよ」
ダリルはハーマイオニーの言葉を受けて、ようやっとまともな台詞を口にしたが、チャイムのせいでハリーの耳には届かなかったようだ。尤もチャイムのせいだけとは言えないだろう。すぐ後ろにいるハリーにも聞こえないぐらい小さな声だったのだから。
「さ、帰りましょう」
ハーマイオニーの手を取って立ち上がると何だか物悲しい気持ちがした。
ちらと後ろを振り返ると、ハリーが疲れたような顔で眼鏡の位置を直している。重かったのかしらとダリルは思った。胸が真っ平らなのに、一体どこに脂肪がつくと言うのだ。ダリルは自分の胸を恨めしく睨んだ。これでハーマイオニーぐらいに豊かな胸で、ハリーが自分を抱きしめてくれた時に何か当たるものでもあれば――そこまで考えてダリルはまた赤くなった。
ダリルはハーマイオニーに引きずられながら教室の戸口へ向かう。その後ろからロンとハリーも付いてきていた。
「ジニーと言い、貴女と言い、男を見る目がなっちゃいないわ」
ハーマイオニーが毅然とした響きでダリルに囁いた瞬間、ロックハートが「さあ、その四人にお願いしよう」とウインクしてきた。背後でロンとハリーがどんな顔をしているのか、振り向かなくても分かる。ダリルはピクシーがブラッジャーのように飛び交っている教室内を他人ごとのように眺めた。これを片すのに二年生がたった四人だけでは無理というものだろう。
流石に冗談でも笑えないなあと思ったダリルだが、四人の内の誰かが文句を言うよりも早くロックハートは教室から出て行ってしまった。目の前の扉がピシャンと閉められる。鍵は掛かっていないし、放置して帰ってしまえば良いとも考えたが、知らんふりして出ていけるような薄情者は四人の中にいなかった。それにネビルはまだ教壇の上でへたばっている。
「聞いたか?」
ロンが自分の耳たぶを引きちぎろうとしているピクシーを叩きながら呻いた。
「私達に生きた体験をさせたかっただけよ。彼、冒険者だからそういうほうが良いって思い違いしていらっしゃるのね」
この対応は間違っているという考えはあるらしいが、ハーマイオニーはまだロックハートの擁護をしている。ダリルはちょっと笑った。「何が可笑しいの?」ハーマイオニーがダリルを睨みつける。ダリルは肩を竦めて、笑みを仕舞おうとした。
「ええと、その……籠を取ってくるわね?」
ダリルはハーマイオニーの追求を誤魔化すと、教壇へ向かう。案の定途中でピクシーが絡んできたが、彼らはマンドレイクよりは数百倍マシだった。ダリルがにっこり笑って「今は遊べないわ」と言うと乱暴をしてきたりはしなかった。
横に転がっている籠を拾って、教壇の上でぐったりしているネビルをつんつん突く。「ええと、生きてはいるわよね?」ダリルはネビルにポンポン触って、体つきを確かめてみた。そんなに大きくはないが、背負って医務室まで行くとなると大変そうだ。
とりあえずローブを剥がし、ダリルはもう一度ネビルを突いてみた。しくしくとくぐもった泣き声が聞こえる。
「ネビル、歩ける? 大きな怪我はない?」
「うん……」
ダリルは傍らに転がっている椅子を教壇の横に置いて、ここから下りるよう言った。そうしてハリー達のところへ戻って行く。
「貴女ってチャームか何かの魔法を常時纏っているの?」
ハーマイオニーが納得がいかないと言いたげな表情で口にした。
「食人花の涎が頭に付いたままなのは確かね。マンドレイクには効かなかったみたいだけど、ピクシーには効果あるみたい」
ダリルは自分の頭の上へ手をやって見た。ジョージとフレッドに取られて、もう殆どない。ハーマイオニーがはっとした。「私にくれるって言ったじゃない!!」手をダリルの頭の上へ伸ばすが、勿論採取出来るだけの量はない。
ピクシーの処理を頼まれた時でさえ表情を崩さなかったハーマイオニーが泣きそうな顔で口を尖らせた。
「愛の妙薬を作るより、このピクシーを見事に処理出来たほうがロックハートの気を惹けるんじゃない?」
はーっとため息を絡ませながらハリーがぼやいた。隣でロンがハリーの脇腹を突っついている。「余計なことを……」ハリーが厳しい顔をした。大親友のロンにもこんな顔をするのだと、ダリルはちょっと驚いた。
「お言葉ですが、ピクシーの処理を押しつけられること異常に余計なことなんてあるんですかね」
ハリーが嫌味っぽく言うとロンが黙った。
ハーマイオニーは飛び回るピクシーにテキパキと手際よく縛り術を掛け、床に落ちたピクシーをロンが拾って籠に押し込んでいる。流石ハーマイオニーと言うべきだろうか、彼女一人居ればこの惨状を全て片づけてしまうような気がした。
自分は魔法を使えないし、何をすればいいだろうかと少しの間立ちつくしていると、ピクシーを追い回していたハリーがダリルの傍にやってきた。「ダリル、その――ネビルを医務室に連れて行ってくれない?」
ダリルはまだ教壇の上でしくしく泣いているネビルのほうを見た。ハリーは多分、ダリルが魔法を使えないということが、ハーマイオニーとロンにバレないよう気を使ってくれているのだろう。優しさからくる発言だとは分かっていたし、ダリルも優しいハリーのことが好きだ。
しかしダリルはその眉根をぎゅっと寄せた。
「ハリー、私が去年の九月一日に貴方の手助けを一度断わったのは同情されたくないからだったのよ――何も出来ない女の子だって優しくされたくなかったから」ダリルは唖然としているハリーを睨みつけたが、ややあってから頭を振った。「ごめんなさい、八つ当たりだったわ。今の私は実際何も出来ない女の子ですものね。今日は二度も貴方に助けてもらったもの」
「僕……」ハリーはダリルの台詞に口ごもった。
前年の三月にハリーはダリルに酷い事を言ってしまったし、本当なら教職員以外が知らないダリルの恥部について知ってしまったと言う申し訳なさがハリーの胸にはあった。その気持ちはダリルへの好意が募る度に増し、ハリーはダリルを下に見るとか、そういうつもりで今日一日親切に振舞ったのではなかった。ダリルと友達になるために自分の誠実さを示したかったのだ。何故? あの日自分がクィレルとスネイプの会話を盗み聞きしていたという事実をダリルに知られたくなかったから、そういうことをする人間なのだと思われたくなかったから――そうと理解すると、今度はハリーが顔を赤くした。
ダリルは困ったように眉尻を下げると、ローブを翻して遠ざかる。数歩離れたところでピタリと立ち止まり、首だけで振り向いた。彼女は彼女で、親切にしてくれたハリーへ酷い事を言ってしまった自分を恥じていた。早くハリーの前から消えてしまいたかったとが、これだけは言っておかなければと思った。ハリーに助けて貰った時は本当に嬉しかったのだから。
「“今日は”有り難う。助けて貰って、とても嬉しかったわ」
同じ感謝の言葉だったが、キングズクロスでハリーに見せた眩い笑みはその容貌に宿っていなかった。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS