七年語りCHAMBER OF SECRETS
16 大罪

 

 週末は良いものだ。ハリーの視線を気にしなくて良いし、アンジェリーナやフレッド、ジョージ達とゆっくり朝食を取れる。
 取れる――と思っていたのだが、四年生というプレートの掛かった部屋を幾らノックしてもアンジェリーナは出てこなかった。「アンジェリーナはクィディッチの練習に引きずられてったわよ」そういえばあの六人組のなかでクィディッチ選手でないのはリーとダリルだけだ。

 仕方がないから、リーと二人でご飯を食べようかなと思ってリーを探したが見つからない。
 折角の土曜なのにダリルは一人で食事をすることになってしまった。こんなことならジニーだけでも掴まえておけば良かったのにと後悔しても始まらない。一人でトボトボ大広間の扉をくぐると、ジニーが友達とにこやかに食事しているのが目に入った。割り込もうか。否大人げないだろう。大人げないというよりもダリルにそこまでのコミュニケーション能力はない。ダリルが友達を作れるのは偏に相手が好意的に接してくれるからだ。そこまで考えると、セドリックの存在を思い出した。

 ハッフルパフ寮のテーブルに行って、一緒に朝食を取りがてら、前に聞けなかった三人の名前を教えて貰おう! 全くもってそれは素晴らしいアイデアだったし、ダリルも心からあの紳士的な先輩との親交を深めたいと感じていたのだが、それは叶わなかった。
 大広間の入り口に立ってボーっとしているダリルの肩を誰かが掴む。
「ダリル、こんな所にいたのか!」
 朝食を取りに大広間へ来ただけで、如何してそんなことを言われなければならないのか。自分はグリフィンドール寮から真っ直ぐ大広間に来た。寄り道も何もしていない。小首を傾げるダリルの肩をマーカス・フリントが掴んでいた。「探したよ!」何故探されなければならないのか。そもそもダリルが如何して土曜の朝に大広間とグリフィンドール寮以外の何処かにいると思うのか。

 決してフリントのことが嫌いなわけではないが、純粋な疑問が胸に満ちたのは遭遇してとても嬉しいという相手ではないからだ。何しろ夏季休暇中に貰った手紙にはフレッドとジョージの悪口がビッシリ書かれていた。その上、兄か父親かと言うほどにダリルにああした方が良いこうした方が良いと指図するのである。ダリルは束縛が嫌いだ。遭遇したくないと思うに十分な理由が彼の手紙にはあった。
 如何したのかしら、食事を取ってからでいい? とか、ごめんなさい今日は予定があるのとか、断わりの台詞は脳内を駆け巡っていたものの、ダリルがフリントの用を断わるのは無理だった。フリントはダリルの返事も待たずに、ダリルを引きずりだしたのである。ダリルの華奢な手首をフリントの筋肉質な手のひらがガッチリ掴んでいた。「あの、」「あんまりに君が見つからないもんだから、今度は奴ら、君をクィディッチの練習にでも引きずりこんだのかと思ったよ!」「マーカス?」「病弱な君を長時間外に放り出すなんて男のすることじゃないね」幾らダリルが話しかけようとしても、この有り様だ。玄関ホールを横切り終わったところで、丁度セドリックとはち合わせた。恐らく箒小屋にでも行っていたのだろう。手には箒クリーナーの瓶と布が握られていた。
 あと数分早く箒の手入れを終わらせてくれさえいれば……ダリルは泣きたいような気分で、フリントと真逆な性格をした先輩の姿を目で追った。セドリックはダリルの視線に気づいて肩を竦めたが、勿論窮地を救ってはくれない。

 城から出て、芝生の上を数歩歩いたあたりで、ようやっとフリントのお喋りが緩やかなものになった。ダリルは空っぽの胃を押さえながら、フリントの台詞の間へようやっと疑問を挟むことが出来た。
「ねえ、マーカス? 私達一体何処へ行くのかしら」
 ぜえぜえ。荒い息を絡めて言うと、マーカスがきょとんとした顔で瞬きした。
「ン? 言っただろう」フリントがちょっと眉を顰めて、見下すような視線をダリルへ向ける。「今からクィディッチの練習をするから、君が見たいだろうと思って。君、クィデッチ好きだったろ」
 病弱なダリルを長時間外に放り出すのは男のすることではないとか、そういう事を言っていたと思うのはダリルの記憶違いだろうか。ダリルは如何言う顔をすればいいのか分からなかった。正直言って、今はスリザリンがクィディッチの練習をしているのを見るより、大広間に戻って朝食を食べたい。一人で食事を取るのは嫌だなあと思った自分が如何に贅沢者だったか、ダリルは思い知らされていた。

 本音を言ってしまおうかとも思ったが、ダリルは何となくフリントが苦手だった。元々強気に出られると弱いというのもあるが、親しくしたいと思う相手にふっと侮蔑の表情を浮かべたりする冷酷さがスリザリン寮生らしく、取っつき難い。
 ダリルはフリントに手を引かれながら、一生懸命彼の機嫌を損ねずに断わる理由を考える。
「でも、マーカス。私が居たら邪魔だと思うわ」
「そんなことはないさ。それに前、君を箒に乗せてあげるって約束したろ?」
 そういえばそんなこともあった。ダリルはその約束が果てしない過去に交わされたような気すらした。去年の夏の話ではなかろうか。自分が碌に覚えてないのは、自分が薄情だからなのか、それとも約束自体が如何でも良かったからだろうか。
「それに私はグリフィンドールだから……きっとチームメイトの皆が嫌な思いをするんじゃないかしら」
「チームメイト! そりゃ良い……そんなことがあるわけない……」
 ダリルの台詞にフリントはゲラゲラ笑った。
「ダリル、我々の今日の練習の目的を知っても腰を抜かさないようにな」
 フリントが悪戯っぽい笑みを浮かべて、ダリルを見た。――悪い人ではないのよね。その笑みにダリルはそう思う。
 セドリックと真逆、つまり勉強は苦手だし、粗野な一面のほうが目立つが、女学生にまるで人気がないわけではない。クィディッチチームのキャプテンなのだし、寧ろスリザリン男子学生の中では人気があるほうだろう。こういう強引な青年に惹かれる少女というのはどの学年にだっているものだ。それに下級生への面倒見は悪くない。勿論「純血の」という修飾語がつくわけだが。
 つまりそういうことなのよね。ダリルは尚も考える。フリントに引きずられ、彼の話を無視しながら、考えた。結局、この人が私へ好意的にしてくれるのは私がマルフォイの娘だから、それで嫌なんだわ。自分へ着飾って大人しく微笑んでいることだけを望む種類の生き物だ。ダリルのことを馬鹿だと思ってるし、自分で考えて行動しても碌な結果を産まないと思っている。

 私、この人と結婚するのかしら。

 ダリルが想像する未来の夫像に、フリントは最も近い。フリントはダリルより三歳年上だし、年齢差は丁度良いだろう。クィディッチチームのキャプテンを務めるぐらいだから、統率力や判断力に長けている。ナルシッサやルシウスもまず否とは言わないはずだ。
 もしも結婚することになれば、恐らくダリルの卒業を待ってということになるに違いない。ホグワーツを卒業してすぐにダリルはフリントと結婚し、就職することもなく、家でフリントの帰りを待つだけになるのだろう。勿論グリフィンドール寮で出来た友達とは会う事も手紙をやり取りすることも許されず、外出する時はフリントと一緒でなければ駄目、手紙は全部フリントに開封され、フリントがいない間は彼の母親と純血思想がたっぷりのお茶会を開くことになるのか……。ダリルはベラベラと何かを捲し立てるフリントをじっと見上げる。
 まあ、それでも良いだろう。自分を時々馬鹿にして、拘束したがる男でも、あのパーティで会った少年のように自分を嫌う男と結婚するよりはマシだ。ダリルは思った。尤もこの人が、私が魔力のないスクイブだと知っても尚家柄だけで望むとしたらだけどね。

 自分がスクイブだと露呈する前に、良さそうなスリザリン寮生と付き合おうか。情が沸けば、ダリルがスクイブだと知っても捨てはしないだろう。子供でも孕めば一層良い。ダリルが結婚や夫に望むのはロマンスではない。マルフォイ家の自分が嫁いで恥ずかしくない相手、ルシウスやナルシッサに失望されないで済む相手――結婚だけは、家族に心から祝福されたい。
 魔法が使えないし、グリフィンドールに入ったけど、この子を産んで良かったと両親から思われたかった。

 ぼーっと考え込んでいるダリルを引きずってフリントは傾斜を下り、クィディッチ競技場にずんずんと近づいていく。別に病弱ではないから構わないものの、これで完全に“奴ら”にクィディッチの練習に引きずり込まれることになったようだ。
 ダリルは深いため息をつきたくなったが、競技場の入り口に屯しているグリーンのローブを着て、箒を片手に持ったクィディッチ選手達のなかに、自分と同じプラチナ・ブロンドを見つけた瞬間ぱあっと顔を綻ばせた。フリントの手を振り払って、片割れのところへ駆けていく。
 思い切り飛びついたが、ドラコはきちんとダリルを受け止めてくれた。
「ドラコ……!」ダリルはきらきらしたブルーグレイの視線を、自分と同じ色の瞳に注いだ。
 おめでとう。夏中あんなに頑張っていたものね、クィディッチ選手になれたのね? 本当におめでとう、私とっても誇らしいわ――そう続けようとしたのを、フリントが遮る。ちょっと不機嫌そうな顔で、ダリルをドラコから引っぺがした。

「今日は新人シーカーを教育するために練習するんだ」
 フリントがドラコの肩をぽんと叩く。ドラコが誇らしいような、嬉しいような、恥ずかしいような、複雑そうな顔をしていた。ダリルはドラコに抱きついて一時間でも誉め称えたかったが、フリントはその隙を与えなかった。仲間から箒を受け取ると、ここに至るまでと同じようにダリルを引きずって行く。ダリルが振り向くと、ドラコもきょとんとしていた。当然のように、少なくとも数分は双子の妹からの賛辞を受けるものだと思っていたのだ。しかしダリルと同じく、ドラコの機嫌も下降しなかった。気を取り直したように周囲の選手と話しながら付いてくる。今日は休日だ。どうせ練習が終わればダリルは好きなだけドラコを誉め称えられるし、勿論ドラコもそれを聞く事が出来る。
 ずるずるとフリントに引きずられてピッチを歩く最中、ダリルは上機嫌だった。

 赤い何かに気付いて、それがこちらに近づいてくるまでは――ダリルは今日を素晴らしい日であると信じて疑わなかった。

 否、それが近づいてきてもまだダリルは何の疑問も抱いていなかった。
 グリフィンドールがクィディッチの練習を行っているのは知っている。しかし朝食の始まるずっと前から練習していたのだ。そろそろ練習を終えて、朝食を取りにでも行くのだろう。それからスリザリンのクィディッチチームが練習を始めるに違いない。
 その考えが覆されたのは、間近に迫るウッドの顔が憤怒に塗れていたからだ。ダリルが首を傾げた瞬間、ウッドが怒鳴った。
「フリント!」
 ずんずんこちらへ近づいてくる同寮の先輩をこんなにまじまじ見たのも、こんなに怒っているのを見たのも初めてだった。ダリルは逃げ出したい衝動に駆られたが、フリントはますます強くダリルの手首を掴んでいる。ダリルの腕を、今にも逃げ出しそうな飼い犬のリードか何かと勘違いしているのだろう。逃げ出したいのは確かだが、ダリルは犬ではないし、まだ彼のものですらない。
 お邪魔みたいだから、ちょっとドラコのところへ言っているわね。そうダリルが避難しようとしたのを遮ったのはウッドだった。
「我々の練習時間だ! 少なくともあと五時間は使用許可を取っている……それとも僕らの練習風景を観察しにでも来たのか」
 ウッドがスパイでも見るようにダリルを睨んだ。ダリルはグリフィンドールのクィディッチチームについて詳しくないし、フリントに洩らせるような重要機密の一つすら知らないのだが、申し訳ない気持ちが胸に満ちた。
「ウッド、俺達全部が使えるぐらい広いだろ?」
 そう言ってフリントがにやにや笑った。

 ウッドを追いかけてきたハリー、フレッド、ジョージがダリルを見て変な顔をした。ダリルはますます深く恥じ入った。もうこれ以上は誰も来ないでくれと思ったのに、願い虚しくアンジェリーナ、アリシア、ケイティ・ベルまでやってきた。アンジェリーナとアリシアがダリルへ何事かパクパクと話しかけているようだったが、今のダリルには唇の動きから台詞を察せられるような冷静さはなかった。
 最悪なことにスタンドのほうに赤毛と栗毛が見える。ダリルは心から思った。あの二人までもがこちらへ来たら、神様、貴方を千年恨みます……。その脅しが効いたのか二人はこちらへ近づいてこない。ダリルは涙が出そうになるほど安堵した。
 純血主義のスリザリン寮生が七名、しかも――ダリルはフリントをちらっと見上げる。クィディッチの練習よりも、グリフィンドール寮に喧嘩を売りに来るのが目的だったらしい――喧嘩の理由を探している。ハーマイオニーに気づいたら如何なるか、考えるだけで恐ろしい。

「僕が予約したんだ! ほんの隅っこでも君達に使う権利はない!!」
 困惑するダリルを余所にウッドはヒートアップしていく。フレッドとジョージもそうだそうだとウッドを応援していた。友達が困っているのだから、間に入って仲裁するとか、そういう考えはないのだろうか。ダリルは泣きそうに潤んだ目でアンジェリーナとアリシアを見たが、二人も申し訳なさそうに眉尻を下げるだけだった。それもそうだろう。ウッドは顔を真っ赤にして怒っているし、フリントはそれを馬鹿にしたようににやにや笑みで眺めている。ダリルだって腕を掴まれてさえいなければ逃げ出したいし、誰かが自分と同じ目にあっていても近寄りたくない。ダリルは逃避したくなる自分を叱咤して、自分はグリフィンドール寮生ではないか! と僅かな勇気を振り絞った。
 空いている方の手で、フリントのローブを引っ張る。「ねえ、マーカス」フリントがにやにや笑みを仕舞って、ダリルのほうへ視線を落とした。ダリルがフリントを名前呼びしているのを聞いて、フレッドとジョージが思い切り顔を顰めた。幸いにしてダリルは気付かなかったが。
 ダリルは小首を傾げて、おずおずと言葉を続ける。
「マーカス、彼の言うとおりなのではない? つまり、ひょっとして――貴方が予約の日時を間違えたのかも」
「大丈夫だって、きちんとスネイプ教授の許可は取ってある」
 フリントがダリルを安心させるように、ちょっと穏やかな声を出した。安心のベクトルが違う方向へ向いている。いつかもこんなことがあった。ダリルは過去を振り返る。スネイプに出来そこないと言われて泣いていた時、フリントは素っ頓狂な慰めをくれたものだ。あの時は慰めてくれたという、それだけでホッと心が和んだが、今はちっともホッとしなかった。ダリルの顔が引きつる。
「許可を取っているなら、尚更」日付を間違えたのでは? そう言いかけたが、ウッドは冷静な判断を失っているらしい。それともクィディッチ選手としてライバル・チームの選手が変わったことが気になったのかもしれない。
「新人シーカー?」
 ウッドはピッチの使用権よりも新人シーカーのほうに興味を抱き、ダリルの隣にドラコが出てきてしまった。ダリルはこの場で倒れたいと思った。本当に自分が病弱ならば倒れられるはずだ。そう真剣に念じたが、体はピンピンしている。恨めしい。

「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか」
 フレッドがダリルの前であることを忘れて、毛虫でも見たかのように顔を歪めた。ジョージがちらっと片割れを見やったが、実際ルシウス・マルフォイもドラコ・マルフォイも好きではない。髪と目の色がドラコそっくりでなければ、未だにダリルがルシウスの娘であることも、ドラコの妹であることも信じなかっただろう。ジョージはよく言ったとばかりにフレッドの肩をポンと叩いた。
 ダリルはフレッドがドラコを馬鹿にしたとか、それどころではない。それに二人が自分の家族を嫌っているのは疾うに知っている。普段はダリルを気遣って露骨な罵倒をしないものの、こんなことになれば罵ったって仕方ないというものだ。

 フリントが口喧嘩に熱中して、自分の腕を離してくれないかなとか、何とか外れないかなとか、掴まれていない左手でフリントの指をなぞってみる。外れない。というよりも、一層掴まれている腕が痛くなった。
 外れろーとか、倒れろーとか、日射病になりたいとか、やや現実逃避をしていたダリルが我に返ったのは絶対に聞きたくない声が耳に入ったからだ。「どうしたんだい? 何で練習しないんだよ……それになんでスリザリンの連中が」ロンがドラコに気付いて言い直した。「あいつ、何しにこんなとこ来たんだ? ピッチの清掃でも言いつけられたのか」
 ダリルの隣で箒を手に、緑のクィディッチ・ローブを着こんだドラコを見て、ロンが思い切り顔を顰めた。ロンはダリルに気付いていないようだったが、ハーマイオニーはきちんと気付いたらしい。神様の事を千年恨むには如何すれば良いのだろうとダリルは思った。
「ウィーズリー、またポッターの尻を追い回してたのか」
 ドラコがロンとハーマイオニーを交互に見て、せせら笑った。ダリルはドラコのローブを引っ張ってみたが――駄目だ、衆目の前でダリルの言う事を聞くような性格ではない。ダリルはどうやったら倒れられるか、逃避しかけた。と言うより、した。でなければ「クリーンスイープ五号を慈善事業の競売に掛ければ、博物館が買いを入れるだろうよ」なんていうウィットに富んだ嫌味へ耳を塞がずにはいられなかったろう。ダリルはフレッドとジョージが自分の箒をどんなに大事にしているか知っている。彼らの両親が自分のために使うお金を切り詰めて、悪戯ばっかりでいるよりはずっとマシだからという冗談まで言って買い与えてくれたものだと、ダリルは二人から聞いた。
 いつもドラコのことが大好きなダリルだが、この時ばかりはドラコを引っ叩きたくなった。しかし引っ叩くよりも、もっとドラコの気分を害するのに効果的な方法がある。ダリルはそれに気付かなかったが、勿論ハーマイオニーは気付いていた。

 ゲラゲラ笑っているスリザリン・チームへ、ハーマイオニーが挑むように声を大きくした。
「少なくともグリフィンドールの選手は誰ひとりお金で選ばれていないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」
 こんなに勇気のある台詞を過去に誰が言えただろう。グリフィンドール・チームの選手達がそう言いたげにきらきらした目でハーマイオニーを見る。しかしダリルはハーマイオニーへ反論したくなった。勿論ドラコがフレッドとジョージの箒を笑ったのは悪い。言い訳のできない最低のことだ。だけど、そこまで言って良いのだろうか。そうダリルは悲しそうな顔をしたが、次の瞬間何もかも吹っ飛んでしまった。

「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれ損ないの穢れた血め」
 ぎゅっと拳を握りしめて、ドラコが殺意の籠った視線でハーマイオニーを射抜く。ハーマイオニーが怯んだ。グリフィンドール・チームが感情的な罵りを叫ぶ。フレッドとジョージがドラコに飛びかかろうとした瞬間ダリルはフリントの手から解放されたが、その場に立ち竦んだまま動けなかった。ヴォルデモートの再来を告げた時のルシウスの瞳に満ちたものと、同じものがドラコの瞳に満ちているのを見た。
 ダリルのことさえ罵倒しても構わない。そういう種類の感情が胸に満ちているのだ。
 アリシアの金切り声も、フレッドとジョージの怒声も、ハーマイオニーの慌てた声も、アンジェリーナの冷淡な罵りもダリルの胸には届かなかった。真っ青な顔で、瞳に映る騒動を遠い世界のように感じていた。

『まだ、あのお方の戦いは終わっていない……あの小僧如きに打ち崩されるはずがない』
 ヴォルデモートに尽くすのがダリルを守るため? 嘘だ。ルシウスは憎しみだけでヴォルデモートに従っている。確かにヴォルデモートは反抗的な魔法使いを殺すし、もしもルシウスが従順でなくなればナルシッサやドラコやダリルを害するだろう。
 それでも逃れる手は幾つでもあるはずだ。本当に家族を守りたいのなら、抗う事は幾つでも出来るはずだった。それでは何故従うのか。そこから先はダリルには理解の出来ない領域だ。人の幸福を踏みにじってまで何をしたいと言うのか。
 胸が痛い。何も聞きたくない。如何して、ダリルはドラコよりも大事なもの等ありはしないのに、何故ドラコは自分を見てくれないのだ。
 ドラコの横顔が知らない人のもののように見えた。実際ダリルは知らないのだ。自分を見てくれないドラコの姿など、自分を忘れてまで人を陥れたがる姿など、見たくなかったし、ドラコも見せたくはなかったのだろう。愛しているから――ダリルはそれが自分を愛しているからなのだと分かっている。だから今、ドラコが自分を愛することを忘れているのが辛い。苦しい。

 呆然とするダリルを無視して、皆暴れ、騒ぎ、笑い、罵っている。黙っているのは事態が理解出来ないハリーとハーマイオニーだけだ。そうと知った瞬間、ダリルはドラコがどれほど酷いことをしたのかやっと分かった。
 相手の知らない言葉で――価値観で罵ったのだ。ハーマイオニーは怒る事さえ出来ない。

 ロンが懐から折れ掛けた杖を取り出し、隙を縫ってドラコへ付きつけた。ダリルは止めようと思わなかった。殺しはしない。死にはしない――ルシウスやドラコが誰かに杖をつきつけた時のような不安は胸になかった。
「マルフォイ、思い知れ!」
 刹那大きな破裂音が競技場を震わせた。ダリルははっと我に返った。止めるべきだった。彼の杖を見れば、如何なるか分かったはずだ。「ロン!」ハーマイオニーが悲鳴をあげる。ロンの体が閃光を受けた衝撃でよろめき、芝生の上に尻もちをついた。
 ハーマイオニーが輪の外からロンのほうへ近づこうとする。「ロン、大丈夫!?」ロンは頷こうとしたが、ビクンと体が引き攣り、顔が歪んだ。「ああ!」ハーマイオニーの天を呪うような声と共に、ロンの口からナメクジがボタボタ零れてきた。
 今度競技場を震わしたのは魔法の誤射音ではなかった。スリザリン・チームがこれ以上ないほど大きな声で笑っている。グリフィンドール・チーム、ハーマイオニーはそれを咎めるどころではなかった。口からナメクジを零し続けるロンを目を丸くして眺めている。
 ヌメヌメと唾液とはまた違う粘液と共にナメクジを吐き出すロンの周りで皆途方に暮れていた。驚きもあるし、何故こうなったのかという疑問と、ほんのちょっぴりの嫌悪から身動きを取れずにいるようだ。
 ダリルは芝生の上で笑い転げているドラコを通り越し、ロンに近寄った。その背を撫ぜる。「呼吸は出来る?」吃驚した顔をしているロンの口をハンカチで拭い、膝の上にそれを広げて、それ以上服が汚れないようにした。
「マーカス、私はクィディッチを見に来たのであって、乱闘を見に来たんじゃないわ」
 背後でゲラゲラ笑っているフリントに振り向かず告げると、笑い声が減った。フリントが何とも言えない顔でダリルの背を凝視する。ドラコもダリルの背を忌々しそうに見つめた。
 ロンの背をもう一度撫ぜると、金縛りから解けたらしいハーマイオニーがロンに取りすがる。「ああ……なんて、もう……!」泣きそうな顔でそう呻くと、ハーマイオニーは自分のハンカチでロンの手を拭いたり、口周りのネバネバを拭いたりした。
「呼吸が出来ないほどナメクジが一杯ってわけじゃないみたい。辛いのはゲップが連続しているからね」
 ダリルが話しかけるとハーマイオニーがコクコク頷いた。にっこり笑いかけて、ダリルは背後にいるスリザリン・チームの選手たちに振り向く。二三人、まだ笑っている者がいたが、ダリルが振り向くとピタリと口を噤んだ。
 こんな時でもまだ家柄を気にしているのか、異様な気配に怯えているのか、どっちなのだろうとダリルはちらっと考えた。
 まあ、如何でも良いか。ふっと小さく笑う。
「そんなにハーマイオニーがマグル生まれであるのが面白いの? そんなら、きっともっと笑うわね」
 ドラコが目を見開いた。ダリルはふんわりと微笑んで、言葉を続ける。

「私はスクイブよ」

 コロコロとダリルが笑う声と、ロンが洩らすゲップ以外、全ての音が失せた。ドラコの顔から血の気が引いていく。これで全部おじゃんね。ダリルはそんなことを思って、また笑った。家族に祝福される結婚も、もう如何でも良い。ただ今はドラコを傷つけてやりたかった。さっき自分が感じた絶望をドラコにも味合わせてやりたかった。貴方達が私を愛するのを止めるのなら、私だって止める。それでも強い後悔は胸にあった。ドラコの視線に四肢が千切れるような痛みを感じる。体が震えた。
「生まれてからこれまで魔法を使ったことは一度もないわよ。今、杖を振ってあげましょうか? 一年生でも使える簡単な呪文を試してみようかしら? でも駄目ね。貴方達知らないでしょう? 魔力の無い人間ってね、呪文すら簡単に覚えられないのよ」
「ダリル!」
 自分が本当にスクイブであることを証明するために語り続けるダリルの腕をドラコが掴んだ。自分と同じ色の瞳に怯えがある。それは家名のため? お父様のため? 自分の為? ダリルは冷たい視線でドラコの表情を舐めた。口元だけが笑っている。
「お父様の面子が潰れるかしら? でも本当のことだものね。遠からずバレるわ」
「お前はスクイブじゃない! 単なる」焦るドラコへ、ダリルは大きな声で笑った。「単なる何? 去年一年魔法が使えない理由を調べてみたけど、もうマクゴナガル教授も諦めムードよ。ひょっとしてお父様がお金を積んで私をホグワーツに入れたのかもしれないわね」
 ダリルがそう言うと、ロンの背を撫でるハーマイオニーがはっとした。

 理解出来ないという顔で突っ立っているスリザリン・チームの選手たちをダリルはぐるっと見渡す。
「魔法が使える穢れた血と、貴方達の大好きな尊い血の流れたスクイブと、どっちが魔女らしいかしら?」
 彼らが持て囃してくれる美しい笑みを浮かべた。そうしてから、優しい顔でドラコのほうを向く。ビクとドラコが逃げ出したいような顔を見せた。もっと傷つけてやりたい。ダリルはそう強く思った。今までどんなに自分が彼らの怒りに怯えてきただろう。どれだけ自分を抑圧して生きてきただろう。ご機嫌を取るだけの人生は真っ平だ。皆そうやって生きている。
 何故こんなにも私が自分に引け目を感じなければならないの――?
「ドラコ可笑しくないの? 笑ったら良いじゃない。僕の双子の妹は生まれ損ないのスクイブなんですって笑ったら良いわ」
 ダリルはドラコから視線を逸らした。胸に満ちていた破壊衝動がゆっくりと引いていく、後悔と虚脱感がずんと心臓を圧迫した。

 私が、家族に愛されたいから、だから――だから嫌われるようなことをしたくなかったのだ。

 熱が冷めるのは思ったよりも早かった。疑問の答えに気付けば、あとはもう悲しみだけが残る。自分の愚かさに羞恥だけが募る。ハリーの親切を断わった時と同じだ。思慮深さよりも、感情的な愚かさが勝つ。
 こんなに怒る必要はなかった。場を鎮める方法は幾らでもあった。
「だから私はスリザリンに入らなかったのよ」ダリルは泣きそうな顔で笑った。せめて最後ぐらいは、きちんとした事を言いたかった。「魔法が使えていれば、今頃貴方達とハーマイオニーやロンを馬鹿にしていたでしょうね」自分がスクイブであることの念押しをして、ダリルは彼らだけを責めた自分を嗤う言葉を続けた。

「私、スクイブで良かったわ」
 強がりを言わなければ、この場で惨めにも泣き崩れてしまいそうな気がした。

 唖然とした顔で自分を見つめるドラコの手を振り払い、ダリルはロンのほうへ振り向く。ハーマイオニーの肩がビクと跳ねた。嫌われてしまっただろう。お金を積んでホグワーツに入ったと思われたに違いない。自分がそう言ったのだし、事実魔力のない自分がホグワーツに入れた理由など、ダリルにすら分からないのだ。マクゴナガル教授の言葉を振り返っても、今は慰めにしか聞こえなかった。
 ダリルはロンの膝に広げたハンカチを取って、その中のナメクジを捨てる。自分の羽織ってるローブを脱いで、膝の上に広げた。「止まりそう?」ダリルの台詞にロンは首を振る。ふーっとため息をついて、ダリルがハーマイオニーに問いかけた。
「ハーマイオニー、こう言う時役に立ちそうな魔法を知っていない?」
「い、いいえ……」ハーマイオニーがブンブンと首を振る。
「それじゃあ、この場にいる誰も知らないでしょうね」
 ダリルはキッパリ宣言した。
 ハーマイオニーはオロオロとロンの背を撫でている。医務室にでも連れて行こうと考えた瞬間、誰かが喋った。
「ハグリッドの小屋に連れて行こう。そこが一番近い」
 脇から誰かの腕が伸びてくる。ハリーがロンを立たせようとしていた。ハーマイオニーが慌ててハリーが掴んでいないほうの肩を抱いた。ダリルは自分のローブを手に取り、ロンの背を撫ぜた。
「ダリル、ごめん、ちょっと付き合ってくれる?」
 ハリーがダリルに聞いた。ダリルはコクコク頷いたが、ハリーは見もしなかった。しかし嫌な気分はしなかった。

 四人は競技場を突っ切り、入口を出て、森の方へ向かう。ハリーの言うとおり入り口を出ると三百メートルほど先に丸太小屋があるのが見えた。「ロン、もうすぐよ。大丈夫よ」ハーマイオニーがロンを励ましたが、そう言うハーマイオニーのほうが大丈夫そうではなかった。ぼろぼろと涙を零しながら進むハーマイオニーを、逆にロンが励ましたそうに眺めていた。勿論口から零れたのは励ましや慰めではなくナメクジだった。ダリルは三人の後ろでロンの背を撫でながら彼らについて歩いていた。
 自分が来る必要はないと思ったのだが、ハリーに求められたし、それにロンとハーマイオニーが落ち着くまで傍に居たかった。

「こっちに隠れて!」
 急に、ハグリッドの小屋を目前にして、ハリーが振り向いて囁いた。不思議がるハーマイオニーを何事か叱りつけて、ロンを脇の茂みに引きずり込む。ダリルも彼らに従った。「ど、如何したの?」一体全体何があったのかダリルには分からなかった。
 しかしハリーの返事よりも納得のほうが早く訪れる。
「やり方さえ分かっていれば簡単なことですよ!」
 溌剌とした、自信たっぷりの声音。ロックハートの声だ。ダリルは二度三度頷いた。横に居るハーマイオニーが口を尖らせてダリルを睨んでいたが、ダリルは気付かなかった。「あの人は教師よ!」まるでそれが全ての免罪符にでもなると言いたげな声音で、ハーマイオニーが憤然と囁いた。「ロックハート教授の著作に口から溢れてくるナメクジを止めた話は載ってなかったと思うわ」ダリルは何気ない風に言うとハリーとロンが吹き出した。ロンが吹き出したのは勿論ナメクジだった。
「だけど」大人の魔法使いだわ! そう反論しようとしたのをダリルが遮った。というよりもハーマイオニーが何か言いたそうにしていることに気付かなかったと言う方が正しい。「ロックハート教授、行ったみたい。さあ行きましょう。ハグリッドは少なくともハリーハリーハリーって三度呼んで、ナメクジに気付かずハリーを振り回したりしないわよね?」
 ダリルは不安そうな顔でそうハリーに問うた。ハリーが吹き出すと、ハーマイオニーが思い切り顔を顰めた。
「貴方達って――」
「ハーマイオニー。今はとりあえずロンを運んじゃおう」
 ハーマイオニーの台詞を遮ってハリーがそう言うと、ロンが頷いた。ハーマイオニーはロックハートのことを忘れ、「ロン、息苦しくない?」と元の慈悲深い少女に戻った。何らかの闇の魔法にでも掛けられているのかもしれない。ダリルは再び進みだした三人の後ろに付いて歩きながら、そんなことを考え、ハーマイオニーの身を案じた。

 ハグリッドは勿論ハリーハリーハリーとはしゃいで、ロンの口から出るナメクジに気付かないということはなかった。ハリーがノックをすると不機嫌な顔で出てきたが、相手がハリーとロンとハーマイオニーだと気付くと表情を和らげた。
 ハーマイオニーとロンがホッとした表情を見せる。「ああ、ハグリッド……! ロンが大変なの」ハーマイオニーの台詞にハグリッドは唸ったが、動じたりはしなかった。「死にゃせん。出るもんは出した方がええ……ほれ、中に入って椅子に掛けろ」
 ハグリッドは二人掛かりで支えてきたロンの肩を抱くと椅子に押し込んだ。ハーマイオニーが慌てて中に入る。ダリルは中へ行こうとしたハリーの背に話しかけた。「私は行くわ」今から色々な話をするだろうし、ハグリッドと面識のない自分が居ては邪魔だろうと思った。
 しかしハリーはそんなことを夢にも思っていなかったようで、目を見開いてダリルを見ていた。ロンとハーマイオニーもぎょっとした顔をしている。「そんな――ダリル」ハーマイオニーがもごもごと引きとめようとしたが、ダリルは苦笑を浮かべるだけだった。

「じゃあね、ロン、お大事に。それとハーマイオニー、兄がごめんなさいね。こんなこと、本当は言っちゃいけないんだけど……ドラコは夏中一生懸命練習していたのよ。才能はないかもしれないけれど、努力はしていたわ」
 そう一気に言うと、ダリルは踵を返して、城のほうへ行こうとした。汚れたローブを洗濯してもらわなければならないし、少し一人になりたかった。今はジニーも部屋にいないだろう。ベッドに突っ伏して、一人で泣きたかった。じわりとダリルの瞳に涙が滲む。
「ダリル!」
 ハリーがダリルの肩を掴んだ。
「ハリー、如何したの?」
 ダリルは振り向かない。ハリーの顔を見たら泣いてしまいそうな気がした。ハリーも無理にダリルの顔を見ようとしなかった。
「その、なんで、君、あんなこと言っちゃいけなかった」
 狼狽したような声音でハリーが言う。ダリルは可笑しくなって、ちょっと笑った。
「貴方、まだ私の事気遣ってくれるのね」
「ごめん。僕、君のこと先生達が話してるの盗み聞きしちゃったんだ。盗み聞きしたことで、君の事馬鹿にして、それで」
「良いのよ、ハリー」
 ダリルはハリーの謝罪を断わった。謝罪は夏季休暇の前に聞いている。それに、そんなところだろうとは薄々感づいていた。聞きたいのは謝罪ではない。それでは何が聞きたいのだろう。ダリルは自分の瞳に映るホグワーツ城の輪郭がぼやけていくのを、じっと見つめた。
「実際、私は魔法が使えないのよ。魔法使いとして貴方に劣っているわ。貴方がそれを謝るのなら、私も謝らなければならないわ。
 私がハーマイオニーのことを穢れた血って呼ばないのは、私が優しいからじゃないのよ? ドラコが特別嫌な奴だからってわけじゃない。そういう躾を受けてきたからよ。私も同じ教育を受けたわ。だけど魔法が使えなかったから……お父様は私のことをそう厳しく躾けなかったの。私が彼女を罵らないのは自分が魔法を使えないから、彼女が自分より優れているって認めざるを得ないから、だからハーマイオニーを立派な魔女なんだって思っているだけ。自分の劣等感を慰めるために彼女を利用しているようなものね……」
「ハーマイオニーは立派な魔女だ」
 胸の内を吐き出すダリルに、ハリーが声を荒げた。ダリルの体がビクリと震える。「ごめん」また謝った。
「ええと、ハーマイオニーは立派な魔女だ。だから君が駄目なんだって証拠にはならないと思う……その、僕は君がハーマイオニーを利用してるとか、そういう風には思わない。僕はほら、マグルのなかで育ったから、君が如何言う風に生きてきたとか、魔法を使えない魔法族ってのがどういうものか全然分からないけど――君は僕の友達のことを庇ってくれた。別に庇わなくても君は良かった。ハーマイオニーとは仲が良いかもしれないけど、ロンとは全然だろうし、あそこであんな事言ったらマルフォイとの仲が抉れるとか色々あったよね?」
 涙が零れる。ダリルはねばねばした手で顔を覆った。
「でも君は二人を庇ってくれたし、ロンをここまで連れてくるのを手伝ってくれた」
 ハリーがダリルの肩から手を離し、ぽんぽんと背を撫ぜる。嗚咽で震える体から、ゆっくり離れた。
「有り難う」そう言ってから、ちょっとの間を置き、「僕は、凄く嬉しかった」ダリルが自分へくれた感謝の言葉をもじって、続けた。

「今度、ハグリッドに紹介させてくれる?」
 ダリルは何も返さなかった。ハリーは無理に答えを求めたりしなかった。一緒に来てくれとダリルに乞うた時と同じだ。信じているから、答えを聞かなくても構わない。

 泣いているダリルからハリーが遠ざかって行く。ロンのことが気になるのだろう。ダリルも、早く一人になりたい。この一時間で何があったかよく分からなかった。粘液と涙で顔がぐしゃぐしゃ。尤も綺麗だったとしても、もう誰も自分をチヤホヤすることはない。
 それで良いのだろうか? 恥ずべき事実を己の口から言ってしまった。恐らく雷よりも素早い速度でホグワーツ中に広まるだろう。スクイブなのに、お金を積んでホグワーツに入ったダリル・マルフォイ。魔法を使えない、生まれ損ないのスクイブ。
 ダリルはシクシク泣きながら芝生の上を歩き、城の玄関ホールに入った。途端に頬を熱いものが掠めていく。
「この、馬鹿っ……!!」
 ドラコの存在に気付いた時には、もう頬を引っ叩かれていた。
「……ドラコ」
 手をあげられたのは二度目だ。最初はホグワーツに行くのだと彼へ告げた時、それで、二度目は――自分が家の恥を皆にバラしたからだろうか。ダリルの頬を涙が伝う。こんなことをしにホグワーツへ来たのではなかった。また嫌われてしまった。
 ダリルの体が震える。涙を零しながら、嗚咽が漏れないよう口元を手で覆って、出来うる限りの冷静な台詞を脳内で探った。
「ごめんなさい。すっかりお父様やドラコの面子を潰してしまったわ」
「また叩かれたいのか」
 ドラコがダリルの胸倉を掴んで引き寄せた。二人同じ色をした視線が重なる。
「僕がお前に怒ってるのは、僕が――僕がいつお前がスクイブだからって笑った! ちょっとでも笑えると、そう思ってるのか!?」
「いい、え」
 崩れ落ちそうになるダリルをドラコが抱きしめた。ダリルもドラコの胸に縋る。「いいえ、一度も思ったことはないわ。ごめんなさい。カッとなってしまったの」涙と共に嗚咽が零れた。ドラコがダリルの背を優しく撫ぜる。慰めるような手つきが一層ダリルの悲しみを煽った。
 傷つけたいと一瞬でも思った自分を恥じた。こんなに自分を案じてくれる半身の愛情を一秒でも疑った自分が憎かった。スクイブで良かったなどと、どの口が言ったのだ。自分の舌を切り取ってしまいたかった。それでドラコを裏切らずに済むなら、何も喋れなくて良い。
「ごめんなさい。魔法が使えないで、ドラコ達の意見を否定するようなことばかりして、本当にごめんなさい」ごめんなさい。幾度も繰り返す。ごめんなさい。魔法を使えない自分、家族に忠実でいれない自分、我儘で、身勝手な自分。「中途半端でごめんなさい……」

 魔法さえ使えたなら――そう思っているのに、心のどこかで、今の自分を喜ばしく思っている。グリフィンドールに入ったことを誇らしく思っている。それすら汚らわしいことのように感じた。「良い」震えながら謝罪を続けるダリルをきつく抱きしめて、ドラコが呟いた。
「良いから、泣きやめ。人が来るだろう」
「ごめんなさい」ダリルが慌てたように口にした。人が来ると言われても、相変わらず謝罪しか口にしない。ドラコはついにダリルの口を手で塞いだ。「謝罪も良い。聞きあきたし、口だけの反省なら要らない」ダリルがもごもごと口を動かす。
 一生懸命両手で涙を拭うダリルを見かねたドラコが、ポケットから出したハンカチで手伝う。このハンカチはあとで捨てよう。

「ご、あ――ごめんね」
 ドラコが手を離すと、また謝罪が出た。
「お前は……言い換えたからって良いって問題じゃあないだろう」
 呆れきった声音で言うと、ダリルがちょっと笑いだした。いつもそうだ。些細なことから泣いて、何処に笑いどころがあるのだと言うところで笑う。それでもダリルが笑うと何もかも許せる気がしたし、事実ドラコはもう怒っていなかった。

 ダリルの言った通り、いつかどうせバレるのだ。それに本当にスクイブなわけではないのだから、恥じる必要もない。お金を積めばスリザリン・チームの選手になれるかもしれないと誰かが思っていても、アルバス・ダンブルドアが金に動かされることはないと皆知っている。
 いつもの無垢な表情で笑うダリルにドラコはホッとした。同時に、この妹が愛しいのは自分達と違うからなのだと理解する。
『ドラコ可笑しくないの? 笑ったら良いじゃない。僕の双子の妹は生まれ損ないのスクイブなんですって笑ったら良いわ』
 そう言うダリルの瞳には見慣れた残忍さがあった。こんなにぞっとする瞳が出来るとは、今まで露ほどにも思っていなかった。この妹がスリザリン気質を兼ね揃えていたなどと、あの瞳を見るまでは夢にも思わなかっただろう。
 愚かで、自分の思想を裏切るのでも構わない。ただ自分のために微笑んでくれるのなら――ドラコはそれがダリルの愛情表現なのだと知っている。守ることで言葉もなく人を愛する自分達と違い、ダリルの愛情は開けっぴろげなものだ。
 違うから愛しい。それとも愛しいから、違っても構わないのだろうか。
 ちょっと考え込んだドラコに、ダリルが話しかける。
「ドラコ、シーカーおめでとう」
「ああ、まあ遅いぐらいだったな」
 我に返って、ダリルの言葉へ鷹揚に頷いた。
「私、ずっとドラコが練習してるの見てきたわ。お金を積んで入れて貰ったわけでもないの知ってる」
「お前も、父上が金を積んだからホグワーツに入れたわけじゃない」
 ドラコの咎めるような台詞にダリルの表情が強張る。ドラコはダリルの頭を撫ぜた。

「お前はスクイブじゃない。僕の妹だ」

 生まれた時から繋がっていた絆を、誰のどんな思想が損ねると言うのか。
 ダリルはぎゅっとドラコを抱きしめる。
「知ってるわ」耳元で囁いた。「知ってたわ……ちゃんと、分かってるから、もうあんなこと言わないって約束するわ」

 世界で一番大事な半身。何よりも、誰よりも等と比べることすら出来ない。ドラコに愛されないぐらいなら死んだ方が良い。魔法が使えていたなら、自分達は仲違いすることも、互いの愛情を疑うこともなかっただろう。
 叶うのならドラコと同じように純血思想に染まりたかった。組み分け帽子がスリザリンと叫ぶのを疑いもせず、ホグワーツへやって来たかった。なのに、ハリーとの出会いや、フレッドとジョージとの和解、ハーマイオニーとの触れ合い、何もかも失くしたくない自分がいる。

 欲が深い。幸福を約束する温もりのなかで、ダリルはそう思った。
 

大罪

 
 


七年語りCHAMBER OF SECRETS