七年語り – CHAMBER OF SECRETS
20 有益な情報で不毛な会話をする、たった一つの方法
十月になっても、どの教授がダリルの問題に取り組んでくれるのかは判明しないままだった。
望んでいる呼び出しはないのに、望んでいない呼び出しは多くある。
相変わらずダリルは魔法薬学での失敗を繰り返し、スネイプはグリフィンドールから減点しまくり、嫌味を言いまくる。「どうせ人へ嫌味を言いたいだけなんだから」とハーマイオニーは慰めてくれるし、グリフィンドール寮生達は「ちょっとぐらい減点されても、スネイプだし仕方ないよ」とダリルを責めないで居てくれた。だからダリルも何を言われても気にせずいようと思っていたが、「スクイブでは、父親と違って、魔法薬学が苦手でも仕方あるまいな」と笑ったのに堪忍袋の緒が切れた。ダリルはドアを開けた瞬間にフィリバスターの長々花火へ火が付くような仕組みを考えて、図面を引き、更に油を沁み込ませた布で導火線を作り、床に置いた糞爆弾に引火するよう細工した。
ダリルの考えはこうだ。スネイプが夕食を取りに大広間へ行っている間に魔法薬学準備室に花火と糞爆弾を仕掛け、スネイプが戻ってきて、扉を開けた瞬間にパンパンと火花が散り、一拍置いてからボンと糞がそこらじゅう――主にスネイプの顔などに振りかかる。
フレッドとジョージに仕掛けを地下牢の壁と同じ色にするのを手伝って貰い、ダリルはそれを魔法薬学準備室に設置した。
腐っても成人した大人の魔法使いだし、スネイプを陥れるよりも、犯人が誰か分からなくするほうへ苦心したが、スネイプは見事に引っかかった。ダリルはフレッドとジョージの手助けは下準備だけで良いと言ったにも関わらず、二人はスネイプがダリルの仕掛けに引っ掛かるよう囮をやってくれたのである。フレッドとジョージがぶつけようとした糞爆弾を見事に避け、減点を科したスネイプは油断したらしい。ふーやれやれ、全くグリフィンドール寮生は馬鹿だなハハハとか思っていたかどうかは不明だが、兎に角スネイプは仕掛けに気付かず、次の瞬間火花が飛び、糞爆弾が破裂した。スネイプの額の血管もブチ切れた。スネイプは身繕いよりも先に犯人を捜し出したのである。
勿論事前にフレッドとジョージから悪戯されかけているのだから糞塗れになったスネイプは二人を犯人だと決めつけようとしたが、罠を仕掛けるにはスネイプが準備室を出てから戻るまでの時間内に設置せねばならない。その間フレッドとジョージ、リーが大広間で食事を取っていたのは疑いようのない事実なので、アリバイは証明されている。さてダリルは勿論その間大広間にいなかったので、糞塗れのスネイプは三人を尋問した後、ダリルを尋問に掛ける必要性に駆られた。スネイプがダリルを探して向かったのは医務室である。
ダリルは犯人が誰か分からないようにすると言ったのは嘘ではない。
スネイプの部屋に糞爆弾を仕掛けると決めた日から食事の量を減らし、実行の二日前から殆ど絶食していた。貧血気味になったダリルは医務室を訪ねて、窓に一番近いベッドに倒れ込み、休ませてもらった。このアリバイ作りに幸いだったのはスネイプが時間をキチンキチンと守ることだ。スネイプが夕飯を取りに出て行く時間が近くなると、ダリルはポケットの中の飴を数粒舐めて、服の下に隠した仕掛けと共に窓から出た。出て行く途中でマダム・ポンフリーに見つかった時の言い訳として窓の横にある枝にペンダントを引っ掛けて、その枝を掴み、フレッドとジョージに教えて貰った木上りのコツ、下り方のコツを反芻しながら、出来るだけ音を立てないようにして地面まで下りた。そこからは普通に、人に見つからないよう魔法薬学準備室まで行って、仕掛けてくるだけだ。戻る時は来る時よりも断然大変だった。木登りをしたのはもう何年ぶりかも分からないし、マダム・ポンフリーが夕食を置きに自分のベッドへ来ていたらと思うと焦った。
結果としてダリルは無事に木を上り終え、ベッドに戻った時には夕食の盆も置かれていなかった。
スネイプが憤怒の表情で医務室へ押し入ったのは、マダム・ポンフリーがダリルのベッドサイドへパン粥を運んできたのとほぼ同時だった。「セブルス! 貴方ったら……何て格好をしているの!!」ブチ切れたのはマダム・ポンフリーだった。スネイプは本当の糞じゃないとか何とか釈明しようとしたものの、マダム・ポンフリーは許さなかった。ダリルはスネイプがマダム・ポンフリーを何とか説得しようとしている間中口を押さえて俯き、「マダム・ポンフリー、スネイプ教授、ごめんなさい――その、話しているのに邪魔を……吐きそうなんです」と、なるたけ気分が悪く聞こえるように言った。これが決め手となり、スネイプは医務室から追い出された。
医務室から出た後に尋問を受けたものの、「気分が悪くて医務室にいました。ここ数日食欲がなくて……。外には出ていませんし、何故そんなことを聞かれるのか分からないのですが、何かあったのですか? あら、そんなことが? フフ、スネイプ教授って、色々なところに恨みを作っていそうですものね。勿論私はそんなこと思ってませんわよ。尊敬するお父様の御友人ですし、いつも私のことを思って叱って下さる立派な方に悪戯だなんて出来ません。全く酷い悪戯ですこと、私もそんな生徒は退学にするべきだと思います。私、お父様に手紙を送って、そうしてくれるようお願いしておきますわ。あっ、でも犯人が誰か分からないことには無理ですわね」ダリルが白を切り続け、明確な証拠がない限り、スネイプがダリルを退学させることは無理だった。スネイプはダリルの話を聞きながら、怒りすぎで死んでしまうのではないかと思うほど凄まじい形相をしていたが、ダリルは完璧に嘘をつきとおした。
勝負はスネイプがブチ切れた瞬間についている。怒りで狡猾さを忘れたスネイプと、屈辱から狡猾さを引きずりだして来たダリルとでは、勝者はダリルだった。怒っているスネイプなど微塵も恐ろしくはない。ダリルは自分の復讐が上手く言ったのに上機嫌で、怒り狂うスネイプを前にしても、自分へ厳しいスネイプを尊敬する女生徒の役を演じきることが出来た。
ハリーとロンを始めとするグリフィンドール寮生達は仕切りに「マーリン勲章の受章候補にあげるべきだな」とか言って犯人を知りたがっていたが、ダリルは五人以外の誰にも言わなかった。アンジェリーナはダリルを叱ったし、アリシアは呆れたような顔をしていたが、リーは手を打って喜び、フレッドとジョージはダリルの肩をバンバン叩いて「下働きから昇格させてやんないとな!」とはしゃいだ。
幸福な気持ちでいたダリルを落ち込ませたのは、やはりスネイプだった。
マクゴナガル教授からの伝言で、今ダリルは魔法薬学準備室に向かっている。何の呼び出しかは教えてくれなかったが、マクゴナガル教授が渋い顔をしていたのを見るにこの間の悪戯関係だろう。ただでさえ粗だらけの計画だ。ひょんなことから犯人が知れても不思議ではなかった。それに証拠がなくともスネイプはダリルが犯人だと決めつけている。
それだけ恨まれているという自覚があるなら、ちょっとは真人間になれば良いのに。重い足を引きずって石造りの階段を下りながら、ダリルそう考えていた。退学処分になるとは全く思っていない。何か盗んだとか怪我をさせたとかなら兎も角、ハリーとロンがフォード・アングリアで学校に突っ込んできても退学にならないのだから、こんなことぐらいで退学に出来るはずがないとダリルは踏んでいた。
それに、また何か難癖つけようとしたら、ちょっと突いて怒らせればいい。スネイプの攻略法を見つけたダリルは、魔法薬学準備室の扉の前に辿りつく頃にはもうクヨクヨもビクビクもしていなかった。授業中に口答えしないのはドラコの目があるからというそれだけで、授業外の場所で相対するのなら、全く怖くなどない。ダリルは扉の向こうのスネイプをせせら笑うと、猫を被ってからドアをノックした。
「……入りたまえ」
「失礼します」
石で出来た重い扉を開くと、中は薄暗く、光源はスネイプの掛けている机の上にある小さなランプひとつしかない。その隣に幾つかのランプがあり、ダリルがスネイプに近づく途中で床に置いてあるランプを壊しかけたのを思うに、普段はこんなに暗くないのだろう。
ダリルは床に散らばっている本やレポート、ランプ等を踏まないよう注意深く足を動かし、やっと机の前に辿りついた。
「何の御用でしょうか」
クィレル教授の部屋とは大違いだと頭の片隅で考えながら言うと、スネイプが嫌味ったらしい笑みを浮かべる。
「これから暫く世話になるというのに、随分凝った淑女教育を受けてきたようですな」
「勿論スネイプ教授にはお世話になっています。廊下で騒いでいた不徳な私のことをきちんと叱って、減点までして下さる親切ぶりにはいつも感謝していますわ」そう言ってから、わざとらしく微笑んだ。「でも寮監ではありませんし、私だけが特別お世話になっているということはないのでは……?」暗にこれまでもこれからも、世話になるつもりはないと匂わせば、スネイプの顔が思い切り引き攣った。
スネイプは眉間にしわを寄せ、トントンと机を叩く。
「分かりやすく言ってやろう」
ダリルはきょとんとスネイプの顔を見つめる。悪戯の話が出てこない。ダリルの予想では扉を開けるなり怒鳴られるだろうと思ったのに、部屋に入ってから一分が経っても、嫌味しか口にしていなかった。何故呼ばれたのか――考えるよりも先にスネイプが結論を口にした。
「これから、少なくとも一年は貴様の魔力云々の問題に取り組んでやろうという相手へ、全く世話にならないとでも言うのかね」
「嘘!」ダリルは反射的に叫んだ。
ダリルの拒絶を聞いても、スネイプは顔色一つ変えない。それもまたダリルの嫌悪を煽った。
『これだから出来そこないは……!』
去年の今頃、スネイプにそう言われたことをダリルはまだ忘れていなかった。ダリルのブルーグレイの瞳に怒りが浮かぶ。
「絶対に、嫌……! 貴方に世話になるぐらいだったら、魔力なんて要らないわ!!」
ダリルは猫を被るのも、敬語で話すのも忘れて叫んだ。
事あるごとに自分の劣等感をからかう教師、ダリルが今まで出会った人間の中で一番――否ヴォルデモートの次に嫌う相手だ。スネイプと仲良くするぐらいだったら、禁じられた森に行ってトロールとでも遊んでるほうがまだマシだとダリルは思った。
嫌。大嫌い。貴方の世話になるぐらいなら死んだ方が良い。罵倒を繰り返すダリルをスネイプが鼻で笑った。
「流石はグリフィンドール寮生だな。愚かしい」薄い笑みが口元に浮かんでいる。
「ええ、そうでしょうとも。何もお嫌いなグリフィンドール寮生の――それも、出来そこないの面倒なんて見ることありませんわよ!」
ダリルが涙目でスネイプのことを睨みつけると、スネイプの顔から笑みが消えた。
出来そこないと言われた時に、ダリルがどんなにか傷ついただろう。ルシウスと比べられる度に、どんなにかルシウスに対して申し訳なく、又恥ずかしく思っただろう。常にスネイプからは痛い目に合わされてきていたし、屈辱を味あわせられてきた。今こうやってスネイプの前で怒りをあらわにしているのさえ屈辱で、ダリルはちょっとでもスネイプが怯んだのを見て、良い気味だと感じていた。
そうして足元に転がっているランプを思いっきり蹴って壊すと、ローブを翻して扉に向かった。
ついでにもう一つぐらいランプ壊しておくかと足を止めた瞬間、バシャっと背後から何かをかけられた。ジャッと何かを炒めるような音と共に背中に若干の熱が走り、ローブを羽織っていた肩が軽くなる。外気が背を撫ぜた。
「何、何なの? 服……!」
背中に手をやると、皮膚がむき出しになっていた。ずるりと肩からローブだったものが落ちる。振り向くとスネイプが椅子から立ち上がって、空のビーカーを片手にダリルを睨んでいるのが見えた。ダリルが服を押さえて、顔を真っ赤にする。
「変態!!!!」
スネイプの顔が真っ赤になった。羞恥ではない、怒りだ。
「馬鹿もの!! 誰が貴様のような色気も胸も教養も礼儀もマナーも知性もない乳臭いガキを襲うか!」
「教養と礼儀とマナーと知性は今この問題に無関係だわ!!!」
「黙れ!」
パンと、ガラスの割れる音がする。スネイプが近くの床にビーカーを投げ付けたらしい。ダリルの肩がビクと跳ねた。
スネイプがブルブルと震えて、黙りこんでいる。ガタンという大きな音を立てて、また椅子に腰かけた。
ダリルは異様な空気に何も話せないでいた。一刻も早く出て行きたいと思っていたが、背後から見るとスカート一枚という状況で外に出て行くのは絶対に嫌だった。スネイプは机に肘をついて頭を抱え込み、むっつり黙っていた。
彼が動き出したのはゆうに二分ほども経ってからだった。自分の羽織っていたローブを脱いだかと思うと、ダリルのほうへ投げて寄こした。ダリルは右手で服を押さえたまま、ローブを受け取った。よくわからない薬品の匂いがする。
「着たまえ」
スネイプがダリルを睨んだ。ダリルは顔を顰めて、睨み返す。着たくない。
せめて洗濯したばかりのローブを寄越すぐらいの思いやりはないのだろうか。デリカシーがない。というか汚い。着たくない。
持つのも嫌で、ダリルはローブの裾を摘まんで指先からぶら下げる。「着ろ」スネイプが苛立たしげに命令した。スネイプの匂いが染みついたものを着るぐらいだったら肥溜めのなかで暮らした方がずっと良い。スネイプから命令されてからも、汚らわしいとでも言いたげな視線で指先のローブを見るだけだったダリルだが、諦めて羽織ることにした。前だけ残ったセーターとシャツがずり落ちてきたのだ。
ローブを羽織ると上着の残骸が床に落ちた。それらを拾い集めていると、頭にコンと何かが当たって、目の前に落ちた。ピンだった。
「醜態を晒さぬよう、それで前を留めておけ」
「貴方なんかに、ちょっとでも背中を見られたなんて思うと舌を噛んで死にたくなるわ」ダリルは吐き捨てた。
「安心しろ。そんなものを見た我輩のほうが死にたくて堪らない」
「だったら死んでください!」
服の切れ端を拾い終わって、すくっと立ちあがったダリルが叫んだ。
「お父様が如何して貴方みたいな気持ち悪い人と知り合いなのか、私全然理解出来ないわ!!」
「それは我輩の台詞だ。何故あの親からこんな出来そこないの馬鹿女が生まれる!?」
最早ちょっとでも冷静さの残った人間は、室内にいなかった。スネイプはマクゴナガルがこの場に居たら卒倒するだろう台詞をダリルに浴びせかけていたし、ダリルはダリルでありったけの罵倒を口にしていた。
相手の気分を少しでも深く害したいという願望だけがあるということしか互いに理解できないで居た。
「出来そこないでも馬鹿でも貴方よりはずっとマシ! 貴方なんか、死んだって貴方のために泣いてくれる人がいないんじゃないかってぐらい皆から嫌われているじゃない。当然だわ。教師だってのに全く平等さに欠けているもの。スリザリン寮生にだって貴方ほど嫌な人いないわよ! 死にそうになっていたとしても、誰も貴方にだけは助けを求めないでしょうよ!! 大嫌い!!」
口喧嘩を制したのはダリルだった。
マシンガントークを浴びせかけるダリルに、スネイプの語彙が尽きた。逐一ダリルを馬鹿にしてきたスネイプと違い、ダリルは今まで一度も本人を目の前にして罵倒したことはない。怒涛の勢いで自分のことを否定し、拒絶し、嘲笑うダリルを黙らせられるような台詞が浮かばない。スネイプは頭を掻き毟って、机に突っ伏した。
「クソ、やはりこんなガキの面倒など引き受けるのではなかった……魔力がなかろうがなんだろうが、どこぞで野たれ死んでしまえば良い。何故、我輩がこんなクソガキの世話など、チッ、ルシウスもスクイブだと思うのならスクイブらしく躾けておけば良いものを」
「本当にお嫌でしたら、勿論手を引いて下さって結構です」
ツンとダリルはそっぽを向いた。言いたい放題言って、流石のダリルもスッキリしたというか、スネイプ同様に罵倒のネタが尽きたのである。ダリルは背後の壁に寄りかかって、腕を組んだ。
「スネイプ教授に調べて貰っても、ロックハート教授に調べて貰っても一緒ですも」解剖用のナイフがダリルの横に当たって、床に落ちた。
ダリルはぽかんと口を開けて、スネイプのほうを眺める。
「我輩が――」ランプの明かりにチラチラ照らされるスネイプの瞳に屈辱の色が見え隠れしていた。「我輩が、あの、碌でなしと同類だとでも言いたいのかね?」あまりの怒気に、ダリルの顔から血の気が引いていった。
何がスネイプの琴線に触れたかは分からないが、ダリルの口にした罵倒のなかでそれが一番彼の心を抉ったことは明白だった。しかしナイフを投げ付けるほどのことだろうか。同僚だろうに、一体何があったのだろう。スネイプの本気の怒りを買ってしまったことによる恐怖と、刃物を投げ付けられた衝撃とで、ダリルは金縛りにあったように身じろぎひとつ出来ないでいた。
ダリルが怯えた目で自分を見ている事に気付いたスネイプが舌うちした。
「……端から当てる気などなかった」
この状況で「そっかーそうなんだー」と納得出来るものがいるなら、それこそ馬鹿というものだ。
ダリルにナイフを投げ付けたことで、スネイプの怒りも静まったらしい。
最初にビーカーを割ったことといい、ナイフを投げてきたことといい、この人はヒステリーなんだろうか。ダリルはじっとりスネイプを睨みながらそんなことを考えた。頭に血が上ると口数が多くなるダリルと対極にある。怒りを上手く言葉に出来ないから、物に当たるのだろう。「結婚したら、奥さんに家庭内暴力とか振るいそうですね」ダリルはそう言いたくて堪らなかったが、顔にナイフが刺さっても構わないという気分にはなれなかった。スネイプからはクソガキ扱いされているし、友達は美人だと言う割にチビ扱いしてくるが、一応自慢の顔だ。スクイブで性格ブスの上に顔に傷がついたなんてことになったら、救われなさすぎる。
すっかり考え込み、スネイプの存在さえ忘れかけていたものの、次の台詞にダリルはスネイプへの恨みも何もかも忘れ去ってしまった。
「我輩はお前が魔法を使えない理由を、恐らく知っている」
スネイプを見つめるダリルの瞳にはもう怒りも屈辱も怯えも、何もなかった。
「先ほどお前に掛けたものと同じ薬品だ。否、お前に掛けたものよりはずっと濃度が薄いか……。マグルの薬品で、硫酸と言う」
机の上に並べられているビーカーから一つ選ぶと、スネイプは注意深い手つきで持って、目の前に置く。
てっきりルシウスと同じかそれ以上の純血主義なのだろうと思っていたスネイプの口から、ポロリとマグルという言葉が落ちてきたのが不思議だった。それとも、自分の好奇心のためならマグルのものでも気にせず調べるタイプなのだろうか。
「リューサン……マグルの世界には器用に服だけ溶かす薬品があるんですか?」
先のことを思い出したダリルが恨みがましく零した。スネイプの眉間にしわが寄った。
「貴様の疑惑を晴らすためだけに試すのは不愉快だが、まあ良い。見ていろ」
少しだけ教師らしい声音でそう言うと、スネイプは右手でビーカーを持ち、左手の甲に僅か垂らした。滴が手の甲にふれた瞬間、フライパンの上でバターが蕩けるような音が広がり、手のひらがただれた。スネイプの眉がちょっと吊りあがる。
ダリルは床に転がっているランプが割れるのも構わず、スネイプのところへ駆け寄った。左手をとり、握る。スネイプが身を引いた。
「何て事を!! 試すなんて馬鹿なことをせず、口で言えば良かったでしょう!!」泣きそうな顔で呻いた。
「貴様のような馬鹿に分からせるには試すのが一番だろう」
スネイプはダリルの手を振り払い、引き出しから取り出した軟膏を手に塗りたくった。途端に傷が失せて行く。「仕事柄痛みには慣れている。貴様のようなガキに心配されるまでもない」オロオロとするダリルに一瞥もくれず、スネイプが言い放った。
ついさっきまで「死んで下さい」とか「貴方が死んでも誰も悲しまないわ」と悪態をついていたのが嘘のような狼狽ぶりだった。てっきり「ざまあみろ」と大笑いするだろうと思ったのに――スネイプがため息をつく。つくづく調子が狂う相手だ。
「医務室にいかずとも大丈夫なんですか?」
「我輩が君達に教えているのは何でしたかな」
嫌味っぽく言っても、ダリルが怒る気配はない。それどころか「すみません」と、しおらしいことを言うので、スネイプはダリルを部屋から追い出したい衝動に駆られた。こんな風に素直でいられるよりは、軽蔑されたり、罵られているほうがよっぽど落ち着く。
「これと同じものを貴様の頭から掛けてみたわけだが、やはりお前は、」
早く話を終わらせようと切り出したスネイプに、ダリルがはっとする。
そういえば、この危険な薬品をダリルの頭から掛けたと言っていたなと思いだした。思い出せばもうスネイプを心配する気にはなれない。ちょっと垂らすだけで人に怪我を負わせるような劇薬をダリルに掛けたという、その台詞が本当であれば、ナイフが顔に刺さるよりもずっと恐ろしい事態になっていたのではなかろうか。ダリルは一歩後ろに下がった。
「何故掛けたんです」
「分かりやすいだろうと思ったからだ」
スネイプはダリルの質問の意図が理解出来ないらしく、何でもない風に返した。「ジョークです」とでも言ってくれと願ったのだが、スネイプは全くそう言いだす気配がない。ダリルはもう一歩後ろに下がった。
「あの、その、それって……私が溶ける可能性も?」
「五分五分だ」しれっと言った。「死んだら不運な事故だったと言っておいてやろう。魔力が暴走して死んだとか何とか、それでお前もスクイブという汚名を雪いで、晴れ晴れしく死ねるというものだ」
「帰らせて頂きます」
ダリルはくるりと踵を返して、駆けだす体制を取った。ダリルの羽織っているローブの裾をスネイプが掴む。
「何故帰るのかね。魔力が欲しいと思っていたのでは?」
「こんな――こんなマッドサイエンティスト、しかも私のことを嫌っている相手に命なぞ預けられません!! 手を離して!」
振り向くなりダリルは叫んだ。しかしスネイプはダリルのローブの裾を掴んだまま、離そうとしない。
「生きているではないか」
何故ダリルが怒るのか理解できないと言いたげな顔でスネイプがダリルを見ていた。
「ええ! 幸いにも、五十パーセントの確率のおかげで!!」
その台詞でようやっと、ダリルが何に怒っているか理解出来たらしい。スネイプは顔を顰めた。
「幾ら我輩が貴様を嫌っていたとして、腐っても――腐っているという以上の下等表現が浮かばんな。腐りかけ以下の汚らわしい馬鹿ものでも、認めたくないが一応生徒だ。酔狂で頭から振りかけるものか。そもそも、手の甲へ垂らすだけのつもりで、」
「それでは何がしかのロジカルな理由があって、あのような暴挙に?」
ダリルは一旦怒るのを止めて、スネイプの言い分へ耳を傾けてみることにした。
「貴様が息をしなくなるのであれば、単なる肉塊になるも止む無し」
「明確な殺意ではありませんか」
「チッ……我輩は野蛮は好かんのだ。刃物を扱うには腕の筋力が足りん」
「私は十分に扱えていたと思います。そもそも野蛮と思うのなら刃物を使わずに、杖を使えば良いのでは?」
「馬鹿め、直前魔法を使えば我輩が貴様を殺したことなどすぐに知れる。それよりはマグル式に刃物を使った方がまだしも追求を逃れられるというものだ」
「そこまで考えているのであれば、完全殺人ですよ。つまり殺人未遂として立件することも可能です」
「事前にあれこれ策を練ったのではない。あの一瞬でそれだけ考えたというだけに過ぎん。よって立件は不可能だ。分かったか?」
スネイプがダリルに指を付きつけて説明すると、ダリルは鷹揚に頷いた。「分かりました」にっこり微笑む。「帰ります」
「待て」
もう全裸になっても構わないから早くグリフィンドール寮へ戻りたい。ダリルがそう思ったのを見とおしたのか何なのか、スネイプはダリルの腕の方も掴んできた。グイグイ引っ張って、自分の近くへ戻す。
ダリルは痛む額に手を当てた。
「落ち着いて考えましょう。スネイプ教授は私のことを嫌っています。私も嫌っています。そうしたら離れるのが互いのためです」
「先ほどからピーチクパーチクと姦しい――黙って、我輩の話を聞け!!」
怒鳴られたのに、ダリルはピタリと黙った。こんな至近距離でヒスを起こされたら、今度こそ殺されてしまう。
口を噤んだダリルへ「逃げたら、グリフィンドールから百五十点減点されると思え」と念を押し、スネイプはダリルの腕から手を離した。そんな大人げないことが許されるのだろうかとダリルは考えたが、先の狂乱ぶりを思い出して、否例えマクゴナガル教授が抗議してもやり遂げそうだと考え直した。軟弱そうな負け犬男だと思っていたが、思っていたより骨があるようだ。嫌なベクトルに。
「何処まで……ああ、普通の人間であれば高濃度の硫酸を掛けられれば皮膚が溶けるのに、貴様は忌々しくも無事であるとは話したな」
チッとスネイプが舌うちをした。忌々しくも、って、驚くほどの殺意ではないか。
スネイプはビーカーの森の横に積まれた紙の山の上部を掴むと、ダリルに渡した。口径摂取するべき薬品を経皮摂取した場合の処理方法についてと題されたレポートを捲ると、自分の詳細なデータと共に何かのリストが書き連ねられていた。ルシウスの文字と、スネイプの文字と、あと知らない誰かの文字。少なくとも三人以上がこのレポートを書くのに関わっているらしかった。
「恐らく貴様の魔力は、幼い頃に浴びた薬品に体が侵されないよう、己を守るために全て注ぎ込まれているのだろう」
スネイプが机の横に落ちていた本を拾う。表紙を叩いて、埃を掃った。古い本だ。背表紙ははがれていて、何か獣に引っかかれたような跡もある。題名は分からなかった。スネイプは、人間の絵の周りに何かの層がかかれた挿絵のあるページを開いた。
「まず薬の進行を留め」スネイプが、挿絵に描かれた人体の、胸のあたりへ指をやった。「それから体の周りへ非常に強い魔力の膜を張る」線をなぞる。「硫酸を退けたということは、魔力の籠っていないものでも――恐らく流動的な、液体状のものの内で己に害を与えそうなものを拒絶する。マグルの薬品と違って魔法薬の効果は解毒剤でリセットされるまで消えないため、皮膚の上に張られた膜の上に溜まり、又人が触れても害されないということから対象を固定する種類の……ああ、作ったものの血族にしか効果のないものがあるか」
ブツブツ一人でつぶやいていたかと思うと、スネイプが急にダリルを振り向いた。いつもどんより淀んでいるか、憤怒に燃えているかのどちらかでしかない瞳が活き活きしている。
「二ページの中ほどにあるリストを見ろ」
ダリルはルシウスの文字で書かれたリストへ目を落とした。
生ける屍の水薬、真実薬、フェリックス・フェリシス、縮み薬、魅惑万能薬、催眠豆の汁、濃縮トリカブト液、三女神の呪い薬、クリオドナの血――不穏そうなものばかりだ。知らないものが二つ、政府の管理下でしか使用してはならないものが一つ、毒薬が一つ、催眠効果のあるものが二つ、良さそうなものが二つ、あまり良くなさそうなものが一つ。
「これがルシウスが覚えている限りの、お前が浴びただろう薬品のリストだ。症状から言って一番影響を及ぼしているのは生ける屍の水薬に間違いはない。幸運だったのはフェリックス・フェリシスがあったことだろうな」
そう言って、スネイプがにやっと笑った。「これを浴びたことでお前の魔力の質が“幸運にも”変化し、死なずに済んだのだろう」
三ページ目には誰かの文字で「浴びた順番はわからないが、死に至らしめる薬を経皮摂取する前にフェリックス・フェリシスを浴びたことは間違えようのない事実だ。過去にも毒薬を含む多くの薬品を経皮摂取して死に至らなかったケースが二つあるが、原因は解明されていない。彼らは一様に魔力に欠けたものの、スクイブとは見なされず、自分が助かる為に何らかの形で魔力を使いきってしまったものと考えられてきた。しかしダリル・マルフォイが魔力を取り戻したとすれば、フェリックス・フェリシスの“幸運”の使い道がまた一つ増える。セブルス、素晴らしい発見だ。魅惑万能薬などと言った、人の生き死にに直接関与しない享楽的な薬の一種であるという考えが全否定されるだろう。フェリックス・フェリシスは使い道によっては運命すら捻じ曲げることが出来るのかもしれない」と熱っぽい意見が書かれている。
ダリルが何を呼んでいるか気付いたスネイプはさっとレポートを取り上げた。しかしダリルはその続きを――「君からの手紙が来た時はまた厄介事かと思ったけれど、捨てずにいて良かった。何せ君から送られる手紙と言えばこの十四年、碌なものがあった試しがない。それでいて、君は私の手紙には必ず返事を出すわけではないし……なのに私からの返事がないと、あるまで百通でも送ってくる。君から初めて手紙が来た時は、また“深淵”にかぶれただけの馬鹿から生意気な手紙が来たんだとウンザリしたものだが、君は素晴らしい研究者に成長してくれた――否こんなことを言うと君はまた気分を害するのだろうね。それでも老い先短い私に、ちょっとぐらい年上気分を味あわせておくれ」恐らくスネイプが見られたくなかったのだろう、親しげな文面を読んでしまっていた。
気まずい沈黙が満ちる。
「あの……」ダリルが小さな声を洩らした。「“死んだって貴方のために泣いてくれる人がいないんじゃないかってぐらい皆から嫌われているじゃない”って言ったのは、否定します。私が浅慮でした」
スネイプは眉間からしわを失くすと、フンと鼻を鳴らした。
「貴様が浅慮で愚かなことなど端から知っている」
そう言うと、ギィと椅子を軋ませて、背もたれに寄りかかった。ダリルはちょっとスネイプを見なおした。人の謝罪を聞き入れるだけの器はあるらしい。「我輩の考えが正しければ、一つ一つの解毒剤を摂取していけば早くて期末試験の頃までには魔力が戻る。戻ったとして、今まで一度たりとも自分の意思でコントロールしたことがないのだから、まともに使えるとは思えんがな」――尤もマグカップと大きさを競う程度のようだが。
「私は、如何すれば良いんですか?」
ダリルが仏頂面で問うと、スネイプはズイと巨大な紙袋を机の横から引きずりだしてきた。
「暫くベゾアール石だけを食べて暮らせ。あと体を洗う時は、この瓶のなかにあるものを交互に浴びろ。これが生ける屍の水薬の解毒薬、これが真実薬の中和剤、ああもう、面倒だ。兎に角死んだり、植物人間になりたくなければ言うとおりにしていろ」
説明を省きすぎてはいなかろうか。訝しげにスネイプを見つめるダリルを睨むと、スネイプがドスンと紙袋をダリルの腕に持たせた。あんまりに重くて、よろめく。第一ベゾアール石だけ食べてというのは、あんまりに無茶が過ぎるのではなかろうか。
言いたいことは数多存在していたが、スネイプはダリルに一言たりとも喋らせる気がないらしかった。
「分かったらとっとと出て行け」
清々したと言いたげな響きに、ダリルがカチンとした。
「言われなくても!」
よろけたついでにランプを蹴飛ばして、ダリルはズンズンと部屋を横切り、本やレポートを踏むのも構わず出て行く。
魔力が戻るかもしれないという喜びよりもスネイプから受けた屈辱のほうが強く、ダリルは呪詛を撒き散らしながら帰路を辿っていった。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS