七年語りCHAMBER OF SECRETS
22 年上の友達

 

 ベッドの下に置いてある鞄を引き寄せようと身を捩るダリルを見て、マダム・ポンフリーはため息をつく。
「本当に、貴女はよく医務室へきますね」
 ダリルがホグワーツに入学してから一年とちょっと経つわけだが、如何少なく見積もっても十二分の一は医務室で過ごしている。回数で言えば十回、怪我などを含めれば三十回は下らないだろう。今年度版の利用者名簿を捲っていたマダム・ポンフリーにダリルは眉尻を下げた。鞄を膝の上に置いて、弱々しく微笑んだ。目の下には濃いクマがあり、また一回り痩せた。
「マダム、今回倒れたのはベゾアール石なんてものを食べているからですわ」
 勿論それだけでないことは分かっている。マダム・ポンフリーはもう一度大きくため息をついた。
 今回の入院理由は睡眠不足と栄養失調だった。

 栄養失調のほうはダリルの言うとおりベゾアール石だけで暮らしているからだ。マダム・ポンフリーはこの件でスネイプを叱りつけに行かねばならなかった。自分のことも他人のことも等しく気遣えない彼は、ベゾアール石だけで暮らすことが十二歳の健康にどのような被害を及ぼすかにも気づかなかったのに違いない。マダム・ポンフリーは「解毒している最中にまた物事がややこしくなってはかなわん。だから他に何も食すなと言ったのだ」とまるで悪びれず宣言したスネイプへ、十二歳の少女が一日に必要とする栄養を纏めた表を押し付けた。
『良いですか……! 一週間以内に彼女が食べても解毒作業に差しさわりのないものを見つけなければ、今度貴方が無茶した時に学生と同じように扱いますからね!! えーえ、私は構いません。貴方を医務室に引きずってくる権利を得るほうが喜ばしいぐらいです』
 教授職について以来健康診断もサボるし、大怪我をしても「薬学教授が医務室になんぞ言ったら恥だ」とか、病気になっても「薬は自分で作る」とか、頑なに医務室へ訪れようとしないスネイプ。マダム・ポンフリーが指を突きつけて言うと、三日以内に見つけると宣言した。
 そういうわけでダリルが食せるものが見つかるまではマダム・ポンフリーが一日三回彼女へ肥らせ魔法を掛けることになった。肥らせ呪文のおかげで随分とダリルの顔色は良くなった。スネイプからの資料が届けば、すぐに体重も戻るだろう。
 問題は睡眠不足のほうだった。

 ダリルは鞄を抱え込んで、ぼーっとしている。顎がかくんと落ちると、ぱっと顔をあげて、ゴシゴシ目を擦ったり、手の甲を抓ったりするのだ。スネイプから薬品の部類は与えるなと言われているし、そもそもダリルは魔法薬が利きにくい体質だった。
 仕方なく、出来うる限り体を休めるようと言うに留めているのだが、入院してから二日が経っているのにダリルのクマは濃くなる一方だ。何か小細工をしているんだろうと思ったが、持ち物検査をしてみても、睡眠を妨げるに役立つものは出てこない。
 そうなると精神的な理由に起因するのだろう。マダム・ポンフリーの専門は身体疾患の治癒で、精神疾患は専門外にあたる。
 友人が如何にかしてくれるだろうと、入院二日目からは面会を求めるダリルの友人達とも会わせてみた。しかし何も変わらない。友達と話しているときは元気だし、こうして自分と話していても明るいのだが、相変わらず眠るのを拒んでいた。
「今日は、ハロウィンパーティでしたっけ……」
 不意にダリルが指を弄りながらぼやく。
「またハロウィンパーティに出れなかったわ」
「去年も医務室にいたの!?」マダム・ポンフリーが険しい顔で椅子から立ち上がり、カーテンをしゃっと開いて出て行った。
「そうではなく――」
 去年はクィレルと一緒にいた。口にするのは憚られ、ダリルは口を噤んで、名簿を納めた棚を漁るマダム・ポンフリーの白い背中をじっと見つめていた。眠気が脳裏を掠めて、ダリルはブンブンと頭を振った。今は傍にレディがいないけれど、眠りたくない。

 あの夢が真実だったかどうかはダリルには分からない。

 ただ首の痣はまだ残っているし、レディはまだダリルの手元にいる。以前と違って、授業時間外の時間を共に過ごすわけでもなく、ダリルが望めば大人しくケージに入ってさえいた。それが逆に恐ろしくもあった。あの黒い鱗に触れられたくないし、赤い目を見たくない。黒い部屋に行くことなぞ論外だ。常に自分の傍にヴォルデモートがいるのだと思うと、一瞬でも隙を見せられなかった。

 眠りの訪れは服従の呪文と似ている。無防備な姿を晒すこと以上に、我が身を訪れるのが他者による支配かもしれないのが怖かった。
 前学期に術へ掛けられた時は自分が繰られていることへ気付く事すらなかった。眠りよりも自然にダリルは闇の底へ落ち、目覚めた時にはもうクィレルは死んでいた。ハリーは賢者の石を守り、ダリルはその間ダンブルドアの足止めをさせられていた。一歩間違えればハリーも死んだかもしれない。今度操られたら、ダリルはハリーを殺すのかもしれない。指が震えた。ダンブルドアへ会いに行こうか考えたこともある。あの時はもう如何足掻こうとクィレルは手遅れだったのだと、彼は信頼に足る大魔法使いなのだと考えたが、そうなれば今度は単なる夢なのかもしれないと思ってしまって、会いに行く気が萎えてしまった。彼は忙しい魔法使いだ。一生徒の気のせいへ巻き込むことは出来ない。もう少しレディを手元に置いて、様子を見た方が良い。さもなくば、まだしも親しく話せるマクゴナガル教授に、それともマダム・ポンフリーへ話そうか。否、無理だ。ダリルは手のひらをぎゅっと握りしめた。もしも本当にレディがヴォルデモートだったとして、ルシウスがそれと繋がっていることが知れれば、ルシウスが不味い立場になる。ルシウスを恨んでいる者は多くいる。誰もこの機を逃しはしないに決まっていた。死喰い人だった当時に犯したと思われる罪を思い返すと、最悪アズカバン送りになるだろう。
 ダリルはルシウスが死喰い人だったと知らされた。冷静に考えれば、それが妥当なほどの悪事を行ってきているとはいえ、愛する父が囚人になるかもしれない危険を冒してまで自分の安寧を求める娘が何処にいるだろう。

 自分が隙を見せなければ良い。自分が強固な意思でもって服従の呪文を退ければ良い。自分が気をしっかり持っていれば良い。
 そうしなければならない。ダリルは強くそう思った。鞄のなかから「さあ森に行ってみよう!」というタイトルの本を取り出して、ベッドの下に鞄を下ろす。本を膝に置いた。幾度も開いたページが自然に広がる。
『騙してすまない』クィレルの面影が残る文字を指でなぞった。
 ダリルへ服従呪文を掛けたのはクィレルではなかった。あの悪夢の時間で唯一ダリルを救った事実だが、それすらクィレルの文字を見ると悲しくなった。やってもいない咎で己を悔いたまま死んだろう。己を呪ったまま死んだだろう――ダリルが彼と同じ道を辿らない保証が何処にあるのか。例え服従の呪文に掛けられたからと言って、誰がダリルの無実を信じるだろう。
 そして例え自分の意思でなかったと言え、人を傷つけた己を許せはしないだろう。ダリルは顔を歪めた。

『下僕だよ。僕の手足となって動く部下だ。道具と言っても良いね。僕のものだ』
 幾度も記憶のなかのヴォルデモートの言葉がダリルの耳朶を撫ぜる。思いだす度に体が強張った。
 ユニコーンを呼び寄せるのに使われた己の声。ダンブルドアに怪我を負わせただろう己の手、指。
『心配せずとも、無論君もそうだよ』
 死んだ方がずっと良い――あれの所有物になるぐらいなら、道具として使われるぐらいなら、死んだ方がずっと良い。ダリルは体を震わせた。今まで殺さなかっただけで、ひょっとして今から誰かを殺すのかもしれなかった。今となってはルシウスが誰かを殺すことより、自分が誰かを害するかもしれないことのほうが恐ろしく、不気味で、おぞましく、汚らわしい。だから眠っちゃ駄目だ。
 いつレディが自分を見ているか分からない。眠ってはいけない。この靄が服従の呪文によるものではないという確証は何処にもないのだから、誰かを傷つけたくなかったら……! 朦朧とした意識を醒ますために左手の甲へ伸ばした手を、誰かが掴んだ。
「やあ」灰色の瞳がダリルを見て微笑んでいる。「今日は何の理由で入院してるの?」
 セドリックが、ダリルの腕をきつく掴んで、呆れたような声音で笑っていた。そうしてから厳しい目でダリルの左手を一瞥し、ダリルを叱りつけるような響きで「寝たくないんだったら、僕が話し相手にでもなるよ」と口にする。

「……夕飯のメニューを聞くような気軽さで、入院の理由を聞くものじゃないわ」
 冗談めかして言ってはみたものの、何の効力も持たないだろうことは分かっていた。セドリックはまだ険しい顔をしているし、ダリルの入院理由も疾うにマダム・ポンフリーから聞いたのだろう。それにダリルも彼を咎める気などないのだから。
「なんだ、思ったより元気そうだね」
 微かに表情を緩めて、セドリックが傍らの椅子に掛けた。肩に掛けていた鞄と手に持っていた紙袋をその脇に下ろす。「その本、読んでないなら鞄に仕舞っておこうか?」ダリルの膝の上の本を見て、セドリックが首を傾げた。「本を読んでると眠くなるよ」
「誰かさんと一緒にしないで下さる」
 ダリルは頬を膨らませながら、本を閉じて、セドリックに渡す。
「誰かさんって、誰の事?」
 にやっと笑いながらセドリックが本を受け取った。そう言えば、結構おっとりした性格だから忘れがちだったものの、目の前にいる青年は学年主席なのだ。ダリルは渋々「知らないの? ダリル・マルフォイって言う勉強嫌いの子よ」と言う他なかった。
「君だって、学年五位だったじゃないか」セドリックが穏やかな笑い声を絡ませながら、ため息をつく。
「一年のテストでね。きっと今年は二十位以内にも入らないわ」
 天文学を一緒に学ぶレイブンクロー生達の聡明さを思い出し、ダリルは眉を顰めた。天文塔から帰る途中でキャアキャア何を話しているのかと思えば「私、昨日早く寝ちゃったでしょう? 先輩に惑星の運動における規則性に関すること聞かれたらどうしよう! きっとメアリ先輩、私にがっかりするわ……」「じゃあ私が今度ユーリーに出す手紙書くの手伝ってくれるなら、映させてあげる。アクロマンチュラの毒の主成分なんて、どの本を見れば分かるのか全然だわ」なんて話題で盛り上がっているのである。ダリルはぎょっとした。

 そこにハーマイオニーが混ざってさあ大変というのは今の回想に無関係なので置いておくが、「あら! 貴女達まだ実践魔法薬を読んでないの? アクロマンチュラは魔法生物系の本を調べても、生態系しか分からないわよ」と口を出したハーマイオニーの首根っこを引きずっていくロンの顔はほんのり赤かった。急に話に割り込まれたレイブンクロー生達はダリルよりもぎょっとしていたが、やがて喧嘩を始めた。今通りすがりのグリフィンドール生が教えてくれたから、もう手紙を書くのを手伝ってくれる必要はないと宣言した少女へ、もう一人の少女が「自分が先輩に呆れられたら貴女のせいだ」とかなんとか喧嘩を売ったのである。日常生活に学問が根付いているのって大変だなあとダリルは思った。少女達は近代魔法史の主な出来事に関してどれだけ覚えているかで喧嘩の決着を付けることにしたらしく、背後を歩いているダリルはうっかり口を挟みそうになってしまった。ニュート・スキャマンダー氏が成立させたのは“危険生物の実験飼育禁止令”ではなく、単なる“実験的飼育禁止令”だ。しかしダリルが口を挟む隙はなかった。「千九六五年、実験的飼育禁止令よ!」ハーマイオニーが遠くから声を張り上げて訂正するのを聞いて、今度こそレイブンクロー生達は喧嘩を止めた。
 ダリルにはあそこまで、勉強に対する情熱はない。ハーマイオニーと比べても、レイブンクロー生達と比べても、足元にも及ばない。
「僕は一年生の時、二十三位だった。二年の時は十位だった。コツコツやっていけば大丈夫さ」
 セドリックの台詞にダリルは変な顔をした。
「貴方だもの」
「身に付けた知識は裏切らないよ」
 ダリルの反論に、セドリックは不思議そうな顔をして、そう言ってのけた。
「努力が出来るのも一種の才能だと貴方に言っても分からないのでしょうね」
 そう言いながらダリルは「恐らく今年もセドリックが学年主席を取るのだろうな」と脳の片隅で考えていた。不意にセドリックがダリルの腕を指でなぞる。「痩せた? 栄養失調だって言うけど、何かあったのかい」少し穏やかになった顔がまた歪められていた。
 ダリルはぱっと両手を布団のなかに仕舞ってしまう。
「絶食しているわけじゃないのよ? ただ、その、三日ぐらい石しか食べてないから……」ぽろっと言わなきゃ良いのにという台詞が落ちたことを悔やんだが、気付いた時にはもう手遅れだった。

「石?」
 断固として、全部聞くまでは機嫌を直さないという顔だ。ダリルは肩を竦めて「冬になったら見世物小屋に売られるらしいの。石喰い少女だ! ってね」と言ってみたが、これは完全なる逆効果だった。セドリックの眉間にしわが寄れる等とは、考えて見たこともなかった。
「自分を心配する友達を冗談で誤魔化そうってのがグリフィンドールの流儀?」
 マクゴナガル教授そっくりの威圧的な声で嫌味を言うセドリックに、ダリルはすっかり話してしまうほかなかった。スネイプの部屋に糞爆弾を仕掛けたこと、スネイプと大喧嘩したこと、自分の魔力が戻るかもしれないこと、そしてそのためには暫くベゾアール石だけ食べて生活しなければならないこと、ただ、他の食物を食べる許可が出なかったために、空腹で倒れて医務室に運ばれたこと。
 セドリックは全然聞き上手ではなかった。ダリルが何を話しても彫刻のように黙りこくって、身じろぎひとつしない。しかし唯一顔には、語り出しと語り終わりと比べてみて、大きな差異があった。ダリルが全部語り終えた時には、セドリックの顔色は真っ青になっていた。
「セドリック?」ダリルが小首を傾げると、セドリックははーっと深いため息をついた。
「ちょっと、待ってくれ」片手で額を押さえる。「年上として君を叱るべきなのか、友達として言ってくれりゃ協力したのにと言うべきか、スネイプを嫌う一生徒としてよくやったと誉めるべきか、悩んでいるんだ」
 ダリルはちょっと笑った。すると灰色の瞳がいつになく鋭くダリルを睨んだ。「こほん」ダリルは咳をする振りで誤魔化してみたが、セドリックは誤魔化されなかった。「君は、一体、一週間でもじっと普通の学校生活を送るってことは出来ないの?」
「仕方ないわ。スクイブだもの」
 栄養失調で倒れたのはダリルの責任ではない。口を尖らせると、セドリックがまたため息をついた。
「スクイブじゃあなかったじゃないか。それに、そっちじゃない」
「じゃあ、どっちなの?」
「悪戯のほう。スネイプをあそこまで怒らせるのは不味かったな。君のこと、取って食うんじゃないかってぐらい怒ってた。正直言って見ててヒヤヒヤしたし、実情を聞いてもっと冷や冷やしたよ。それに一番は絶食だなんて馬鹿なことをやったこと、そんな状態で木から下りようとしたこと――君は前にも“昔はもっと走れた”とか、“前はもっと体力があった”とか言っているけど、女の子なんだから、駄目だ!」
「あら、女の子でもクィディッチ選手になったりする人はいるわ」ダリルは眉を寄せて、果敢にも反論した。
「絶食して試合に出るような選手はいないよ」セドリックは正論でダリルの反論をねじ伏せた。

 ダリルだって馬鹿じゃない。セドリックにそう言われれば、それが尤もだとは理解出来た。それでもまだ納得はしていなかった。スネイプはダリルのことを馬鹿にしたし、とっちめて「我輩ぎゃふんである」とか言わせたかったのだ。
 セドリックは不満そうにしているダリルの顔を覗きこんだ。
「何も、僕はするなとか、そう言いたいんじゃない。危ないから言ってるんだ。もうちょっと色々考えられただろ? 人に相談しないで突っ走ろうとするんだから、フレッドとジョージが手伝ってくれたのに本当に感謝するんだぞ。そうでなきゃ、ああ、もう」
 ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき混ぜて、セドリックが呻いた。
「滅茶苦茶だ」

「ハリーとロンとハーマイオニーは私よりも滅茶苦茶よ」
 セドリックの台詞へダリルが弾んだ響きを出す。セドリックが三人と仲良くなったら、どんなにか面白いだろう。否、三人と仲良くなるより先にフレッドとジョージの二人と仲良くなっておいた方が良いだろう。ダリルは全く素晴らしい考えだと思った。尤もセドリックはダリルと全く違う考え事をしているらしく、素晴らしいとは到底言いにくい表情をしていた。
「君がその三人の分身だったとは初めて知ったね」
 ダリルは悲しそうに眉尻を下げて、ねえとセドリックの腕を掴んで揺らす。
「年上としての説教はいつ終わるの?」
「ダリル、僕は年上としても友達としても心配している。説教じゃな――」
「わかったわ。もう、なるたけしないって約束する」
 セドリックの言葉を遮って、ダリルがセドリックの心配を煙たがる台詞を口にした。ご丁寧に、まるで当てにならない口約束と共に。ダリルの投げやりな態度にセドリックの眉がつり上がる。しかし次の瞬間、怒りも心配もダリルがコロコロ笑いだしたのに萎れてしまった。
「スネイプ教授に滅茶苦茶浴びせかけてきたしね」
 滅茶苦茶浴びせかけた時の反応を思い出し、ダリルは苦しくなるほど笑った。既にスネイプの怒りを買って恐ろしい思いをしたことなど忘れている。セドリックにも、ナイフを投げ付けられたことは話し忘れていた。
「……まあ、あの人だから仕方ない」
「嫌味を言うのはお上手なのに、口喧嘩って苦手なんでしょうね。ぽんぽん出てこないみたい。きっと生徒達に嫌味を言う前にも三分ぐらい掛けて、何て言おうか考えてるんだと思うわ。そう思うと可愛いわよね? フフ、几帳面な根暗って大変そう」
 一気にそう口にすると、身を捩ってケラケラ笑う。華奢な笑い声が耳朶を掠めて行くのに、気がつけばセドリックも笑みを浮かべていた。部屋に糞爆弾を仕掛けるぐらい嫌いな相手の意外な一面で笑うダリルが可笑しかった。馬鹿にするとか、嘲笑うとかではなく、純粋に面白がっている笑みだから、釣られてしまうのかもしれない。「スネイプ教授って、きっと根が真面目なんでしょうね」急に笑いを仕舞ったダリルがぽつんと零した。「あれでもう少し明るかったら、きっとハッフルパフあたりに組み分けされたと思うわ」
「君、如何言う基準で組み分けされると思ってるんだい?」
 ハッフルパフにだって暗い生徒はいるし、多分スリザリン生のなかにも明るい生徒はいるはずだ。

「でも本当に几帳面よ。私が浴びただろう薬品のリストまであったわ。お父様に連絡をとったみたいね」
 ダリルがベッドの下に手を伸ばそうとしていたので、セドリックはダリルの鞄を取って渡してやった。「ありがとう」にっこり微笑みながら、鞄の中から一枚の紙を取り出した。セドリックにそれを渡すと、灰色の瞳が文字をなぞる。
 生ける屍の水薬、真実薬、フェリックス・フェリシス、縮み薬、魅惑万能薬、催眠豆の汁、濃縮トリカブト液、三女神の呪い薬、クリオドナの血――ひとつばかりか複数個見過ごしてはならない単語が目に飛び込んできたが、セドリックは見なかったことにしようと決めた。マルフォイ家が純血名家であり、ルシウス・マルフォイが例のあの人に忠実だったことは魔法族であれば誰でも知っていることだ。
 長いプラチナ・ブロンドがさらと揺れる。明かりを映して、キラキラ光っているのがふと目に入った。ブルーグレイの瞳がセドリックを見つめている。目が合うと、ダリルが微笑んだ。不意打ちの笑みに少し頬が赤くなる。慌てて視線を落とした。
「うーん。効果が出ているなあと実感するのは縮み薬くらいだな」
 赤面を誤魔化すように呟くと、ダリルがセドリックの肩をぺんと叩いた。
「特別小さかないわ!」用紙をセドリックの手から奪い取って、鞄に仕舞う。
 セドリックのからかいにダリルは本気で憤慨していた。自分の知り合いにクィディッチ選手が多いばっかりに、如何してこんなにからかわれなければならないのだろう。ダリルはハーマイオニーと殆ど同じ身長だ、胸のサイズは全く違うけれど。そこまで考えてダリルはずーんと落ち込んでしまった。そんなダリルを励ますように、セドリックが笑う。「あと魅惑万能薬も出てるんじゃない? 君、モテるし」
 ダリルは涙目でセドリックを睨んだ。

「私、モグラ娘ってあだ名がついたわよ。穴を掘りまくっているし、今までずっと家から出たことがなかったから――モグラがモテる女の象徴だとはついぞ知らなかったわ。それじゃあ私のことをモグラだって冷やかす人は皆私に恋してるのね! ああ、モテモテで嬉しい!」
 セドリックが吹き出した。その笑みにダリルがハっとする。「そうよ。大体私、貴方と絶縁してたんだわ!」そう叫んで、ツンとそっぽを向いた。「まだ覚えてたの?」何事かと頭を悩ませていたセドリックがやっと“絶縁”について思い出した。
 初めての手紙で絶縁を申し渡されたものの、あれからもダリルはセドリックにペラペラ話しかけたし、セドリックが話しかけても無視したりしなかった。なのに今更それを持ち出されるとは思っておらず、セドリックはダリルの気まぐれに呆れる。
 ダリルはセドリックから顔を背けているので、セドリックがどんな顔をしているか分からないでいた。尤も分かったからと言って怒りの理由がまた一つ増えるだけだ。
「私が本当に魅惑万能薬にお世話になってるっていうなら、私の周りの男達はトロールかマンドレイクばっかりよ」ダリルが呻いた。
「マンドレイク?」勿論新学期二日目に起こったダリルとマンドレイクの対決など見ていないセドリックには、訳が分からない。
「人間に似てても所詮植物ってこと! 淡泊だわ!」
 ぐるっとセドリックのほうを向いて、言い放った。あんまりに怒っているので、セドリックは何を言うべきか悩み、結局無言でダリルの怒りを見守ることにする。触らぬ神に何とやらだ。言いたい放題言ったら落ち着くだろう。

「顔が綺麗なんだから良いじゃないかってロンは言うけど、そんなこと言って、あの人が気にしてるのはハーマイオニーなんですからね。やっぱり顔だけ良くたって無駄なんだわ。ハーマイオニーを見てごらんなさいよ。すっかり魅力的な性格をしている上に、飛び切り可愛いわ。アンジェリーナだってアリシアだってジニーだってそう。第一本当にモテる人って三人みたいに男女の友達が多いのよ。私の友達の数はやっと九人ってとこだわ。綺麗ねって言ってたって、皆、私が自分の掘った穴に落ちたのを知って離れて行くのよ」
 ダリルの台詞にセドリックはにやりと笑った。それでダリルも怒るのを止めて、口を尖らせるだけに落ち着かせる。それにもう然程怒ってはいなかった。セドリックがクツクツ喉を鳴らして笑うのに、ダリルがちょっと誇らしそうにする。人を笑わせることに成功すると、自分がフレッドとジョージの正当な“友達”で、立派な“悪戯仲間”なのだと心から思えた。
「二人増えたんだ?」誉めて誉めてと全身で主張するダリルの頭に手を伸ばすと、ダリルが子猫のように目を細めた。
 しかしセドリックの手の動きがダリルの台詞に止まる。
「ハリーと、ロンよ」
 あっけらかんとダリルがハリーの名を口にした。セドリックはその名を口にした瞬間、ダリルの瞳がきらきら輝いたように思った。

「……良かったじゃないか。ハリーは、君のことをなんて?」適当にダリルを撫でながら、ようようセドリックが言葉を吐きだす。
「ハーマイオニーが貴女の取り柄って顔だけなのよ! って叫んだ瞬間壁をバンバン叩いてくださったわ。素晴らしい返事よね?」
 セドリックの予想に反しすぎる返事だった。セドリックはぽかんとダリルを見つめる。それを同情と取ったらしく、ダリルは「酷いわよね」と同意を求めた。「ロンが健気にも取り繕うとしている間中ずっと笑ってた。もっと強く足を踏んでやるんだったわ……」
 心の底から忌々しそうな声音である。セドリックは、今ダリルとハリーが如何言う関係でいるのかサッパリ理解出来ないでいた。ここ最近ハリーと仲良くしているのは無論知っている。だから花を綻ばせるような笑みで「私達凄く仲が良いの」とでも言うと思っていたのだ。
「ハリーと、その……仲良くなれて良かったじゃないか」
 ダリルがハリーに纏わる愚痴しか言わないので、痺れを切らしたセドリックがズバリ聞いてみた。
「何故? あんな人だなんて知ってたら、断然ハッフルパフを選んだわ」
「君、だって――ハリーに会いたくて」既にセドリックはダリルの頭から手を離していた。身ぶり手ぶり図書室で出会ってからの会話を説明する。するとダリルが「ああ!」と頷いた。ここまで詳しく説明しなければ思いださないとは、一体どういう事なのだろう。
『ハリーに、もう一度会いたかったの……会って、お礼を言いたかった』
 とろけるような響きでそう口にしていたと思ったのは、セドリックの記憶違いなのだろうか。否そんなはずはない。そんなはずが――と思ったにも関わらず、ダリルはサバサバした口調で「義理は済んだわ」と言いきった。
「ぎ、ぎり?」
「ハリーにお礼は言ったわ」そう言ってから、ダリルはセドリックを睨んだ。「まさか貴方まで私がハリーに恋してるとか、」ダリルはちょっと頬を染めた。「――言い出すんじゃないでしょうね。私は貴方にハリーハリーハリーって言ったことないわよ」
「いや、ま、そうだけど」
 セドリックが頬を掻きながら呟いた。

 実際セドリックに言った事はないが、フレッド達には「ハリーハリーハリー」と言った事がある。ミス・レターとしての文通もまだ細々続けている。ハーマイオニーはダリルがジニーに遠慮しているのだと思い込んでいるし、ジニーもそうだ。そりゃ、いつだって助けて貰うとドキドキしたし、ハリーのことを尊敬する気持ちは存分にある。そうでなければ仲良くなったことで、文通も止めてしまっただろう。だから何が変わったということはないのだ。ダリルはハリーのことが好きだし、仲良くなってもっと好きになった。

『お前はスクイブじゃない。僕の妹だ』
『如何してもっと早く言ってくれなかったの!』
『馬っ鹿だなー! 俺達に先に言っとけば、こんなことにならなかったろ』
 だけどダリルを引きとめたのはドラコだった。受け止めてくれたのはアンジェリーナだった。フレッドだった。ジョージだった。アリシアだった。リーだった。それで分かってしまったのだ。上手く噛みあえなかったのだと――ハグリッドの小屋から去ることを選んだから、夏季休暇の前に自分がミス・レターであることを言えなかったから、恐らくハリーの言うとおりにもっと早く和解することは幾らでも出来た。
 ダリルはもうドラコよりもハリーを優先することは出来ないだろう。
 ジニーがとか、いずれ婚約者が出来るからとか、そういうことを無関係にもうハリーを異性として見ることは出来ない。ドラコよりも優先順位が低い相手と家族から煙たがられるような恋愛をするには、ダリルは家族を愛しすぎている。

「勿論ハリーは素晴らしい人よ。恐らく、これまでもこれからも彼ほど勇敢な人には会う事ないと思うわ」
 裏切りたくない光の象徴。手を伸ばした先。望んだものは彼の隣ではなく、彼のような勇敢な人になることだった。彼のように、体中から光を放つような人になりたかった。完全無欠の正義のヒーロー。ダリルが望んだのは己がそうあることだ。
 ダリルにとってハリーはドラコと真逆に存在していた。同じに同一であることを望むものだが、全く違う。ドラコと同一でなければダリルは生きて行けず、ハリーと同一であることを望まなければ今の生活はない。どちらを失くしても今のダリルは存在しえない。
 あの日ハリーに出会わなければダリルはグリフィンドールを望まなかっただろう。スリザリンへ行き、ルシウスとドラコの機嫌を伺うだけの人生を歩んだはずだ。フレッドとジョージとも仲良くなれなかったに違いない。全てはハリーとの出会いから始まっている。

 ハリーは特別だった。そしてこれからも特別な存在で居続けるだろう、千九九一年の九月一日に出会ってしまったから。

「だけど、だけど……隣にいたからって、私が勇敢になれるわけじゃない」ダリルは遠くを見つめながら、微かな声音で紡いだ。
『もしもヴォルデモートが戻ってきても、私はグリフィンドール寮生でいられる? 彼の隣にいることが出来れば、』
『これって恋じゃないわね』
 恋ではなかった。少なくとも全てを失っても構わないと思える恋情では、なかった。

 隣に立つことが出来て初めて分かった。ハーマイオニーと一緒に居てもダリルは賢くなれないし、ロンと仲良くなってもダリルは人への気配りが出来ないままだったし、ハリーの隣で歩いても、ハリーが自分を見てくれても、ハリーが友達へと望んでくれても。
「私は、私のままで、何一つ変われなかった」
「……勇敢になりたいの?」
 セドリックが意外そうな顔をしていた。その響きでダリルは我に返る。
 腕を伸ばして、人差し指でちょんとセドリックの頬を突いた。
「無謀で破天荒なだけの女の子と友達になってくれるようなお人よしって、私以上の破天荒を除いたら、貴方ぐらいよ」
 暗に変わりたいと思うのは当然じゃないかと、冗談めかして言ったものの、セドリックはクスリとも笑わなかった。ダリルが不服そうな顔をする。セドリック一人笑わせることが出来なければ、二人の悪戯仲間として名折れだ。
「ハーマイオニーと仲良くなったのに、ちょっとも魅力的になってないって酷いわよね!」なんとおどければセドリックが笑ってくれるか考えながら、ダリルが言葉を続けた。「スネイプ教授の部屋から魅惑万能薬盗んでこようかしら。そしたら私が階段から落ちているのを見ても皆、なんて綺麗なんだって褒めそやしてくれるでしょうね。その内、本当にモグラがモテる女の象徴になるかも……」
「君は十分魅力的だよ」
 セドリックの指がダリルの頬に触れた。大事なものにでも扱うように、優しく撫ぜる。
 からかう風でも、おどけているわけでも、ダリルの間違いを正そうとするわけでもなく、穏やかな声音がダリルの鼓膜を揺らす。

「一緒にいて飽きるってことがないし、君の人を振り回すところも、要領が悪いところも、無邪気なところも、僕は可愛いと思う」
 ダリルは耳まで真っ赤になってしまった。
 誉められるのにも、愛を囁かれるのにも慣れているから、台詞一つでこんなにうろたえるとは彼女自身思っていなかった。ダリルはぎゅっと手を握りしめて、俯いた。セドリックが首を傾げている。自分の台詞にダリルが照れるなどとはまるで思っていないらしい。
「ダリル?」
 心配そうな声音と共にセドリックが顔を覗きこもうとするので、ダリルは慌てて話を逸らした。「そ、それなあに」セドリックが掛けている椅子の脇に鞄と共に置いてある紙袋を指差して、興味津津だったという風を取りつくろう。
「さっきからずっと気になっていたの」
 本当はたった今気付いたのだ。
 

年上の友達

 
 


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