七年語り – CHAMBER OF SECRETS
31 優しい悪夢
ハリーとあれきり会話をせず、そしてセドリックとも音信不通のまま学期が終わってしまった。
勿論ダリルは憂鬱な日々を過ごしていたが、それはハリーも同じだったらしい。
あの日ダリルの下を去ってから、ジャスティンと殆ど首なしニックが襲われた現場に一番乗りで辿りついてしまったハリーは、皆から遠巻きにされていた。尤もダリルはハリーのほうから遠巻きにされていたので、詳しい事は知らない。しかしジョージとフレッドがどうやってハリーをからかっているか、そしてそのからかいにジニーがどれだけ心を痛めているか、その二点に関してダリルは酷く詳しかった。要するにジニーの味方についてフレッドとジョージを叱りつけて、止めさせた。の、だが、どうもハリーは二人のからかい文句にヒーリング効果を見出していたらしく、その件でも恨みを買ってしまった。それ以来ハリーはダリルを避けるのみならず、時折睨むようになり、ダリルは緑の視線が己に突き刺さるのを感じては息苦しく感じていた。クリスマス休暇が来たからと言ってダリルの悩みが解けるわけではないが、皆の視線から解放されて明るくなったハリーと、クリスマスの訪れにはしゃぐジニーの姿は幾らかダリルの救いになった。
ちょっと良い事があれば、倍悪い事がある。クリスマス休暇が来るなりダリルは一人ぼっちになってしまった。
ハリー以外の前では社交的なジニーは、奇跡的に居残ることになった他寮の友人と遊んでる。フレッドとジョージはハリー達と仲良くやっていて、当然ハリーと仲違いしているダリルは五人に混ざれない。ハーマイオニーは異変に気付いているようだったが、ダリルが誤魔化せば、それ以上首を突っ込もうとはしなかった。――多分ハーマイオニーとロンも、ハリーから“あの”話を聞いたのだろう。二人はハリーと違い、ダリルを避けようとはしなかったものの、ダリルと話していると時折不自然に口ごもったり、気まずそうな顔をした。
フレッドとジョージはダリルが落ち込んでいるのにハリー達は無関係だと思っていて、「ちょっとでも遊ぶ気になったら、すぐ混ざれよ」とだけ幾度も言い、あとは放っておいてくれる。そんなわけで、ダリルは“落ち込んでいるのではなく、忙しいだけ”という体裁を取り繕うために、クリスマス休暇が始まってからずっと朝食と睡眠時以外は図書室に閉じこもっていた。
“トム”について調べていると、一層気分が滅入ってくる。否、文字ばかり見て、屋内に閉じこもっているからなのかもしれない。兎に角一人でいることを選びながら、ダリルは無性に寂しかった。誰かと気の置けない会話をしたい――そう思ったダリルはドラコに会いに行くことを考えた。ダリルが今年の休暇に家へ戻らないということは、つまりドラコも同じく居残っていることになる。
素晴らしい考えのように思えたが、ダリルはすぐに「会いに行くことは出来ない」と気付いた。純血だらけのスリザリン寮生におかれましては、秘密の部屋の継承者に怯えて帰宅するはずもないわけで、他三寮とは違い例年通り十数人の生徒が残っている。
よってスリザリン寮生と不仲なダリルがドラコを訪ねて行くのは無理だ。ダリルが学校に残ると知ったパンジー達は、実に一年ぶりにダリルへ話しかけてきた。「あーら貴女、学校に残るんですってね……」ダリルを囲むスリザリン女学生達のクスクス笑いが大きくなる。「折角仲良くなれたのに、これで永遠のお別れになるかもって思うととっても寂しいわ」そう殊勝な声を作るパンジーの顔にはデカデカと「とっとと化け物に襲われて死ね」と書いてあった。ダリルは一体いつ彼女の不興を買ったのだろう。分からない。
セドリックは多分に例年通り帰省しただけに違いない。朝食の時に調べてみたが、“例の”女の子もいない。ひょっとすると休暇中にデートのひとつやふたつしてるかもしれない――なんて考えてしまうから、ダリルは一層鬱々と落ち込んでいく。
気が滅入るのは、こんなところにいるからだともダリルは思った。クリスマス休暇が始まって以来、ダリルは魔法史の棚脇にある机に掛け続けている。いつもセドリックとの逢瀬に使っていた場所だ。ここで待っていたら、いつもみたいにセドリックが後ろから声を掛けてくれるかもしれないという願望もあったし、どうせ来なくても、クリスマス休暇だから仕方ないのだと自分を慰める事が出来る。
本当は手紙で呼びだせば、ドラコと会うことも出来る。ハリーと仲違いしたのだと打ち明ければ、ジョージやフレッドが自分と一緒にいてくれることも分かっていた。ハーマイオニーとロンにハリーとの仲を仲裁してくれと頼めば仲直りも出来るだろうし、実際ハーマイオニーはダリルへ「まだ文通続いているんでしょう? お願い、ミス・レターは自分だって打ち明けて!」とこっそりアドバイスしてくれもした。
ダリルが今一緒にいたいのも、仲直りしたいのも、会いたいのもセドリックだけだ。
さて、ダリルが一緒にいたくも、仲良くしたくも、会いたくもないのに、そうしなければならない相手が居る。尤も仲は良くないだろう。
すっかり落ち込んでいるダリルと反比例して、ヴォルデモートの機嫌は上々らしかった。
ハリーと仲違いしてからというもの、ヴォルデモートはダリルへよく触れるようになった。ダリルから触れられるのは未だに拒絶しているが、そもそも今のダリルはヴォルデモートへ触れたいと全く思わない。寧ろ触れたくないし、触れられたくもないぐらいだ。しかし「おいで」と自分を呼び寄せるヴォルデモートに抗う元気もなかった。それで――否如何言う訳か、ここ数日ダリルの指定席はヴォルデモートの膝の上となっている。ヴォルデモートはダリルの膝の上に置いた本を、ダリルの背後から読み、二人の間に会話は殆どない。というよりダリルが無気力状態なため、ヴォルデモートから話しかけられてもまともに返せないというだけだ。ご機嫌なヴォルデモートはダリルに話しかける事が多々あったが、ダリルが応えなくても気にしなかった。ダリルはヴォルデモートが何を読んでいるかにも無関心で、眠りに落ちてから目覚めるまでヴォルデモートの膝の上にただ座り続けるだけの日が続いている。
傍から二人を見れば、マリオネットとその持ち主にしか見えないだろうとは、ダリルも自覚はしていた。何を言われても無反応なこととか、ヴォルデモートの望むとおり動いていることとか、自分が望んでいる方向と逆の行動を取っているのは百も承知だ。
布越しに伝わってくるヴォルデモートの体温は氷よりも冷たく、ダリルに触れる指は人を害するために杖を振り、ダリルを呼ぶ唇は幾千の邪悪な呪文を紡いできた。クィレルを死に追いやった男で、ハリーの両親や多くを損ねてきた男だ。
それでも今のダリルは自分の行動の全てを掌握されていることに安らぎを覚えていた。自分は悪くない。仕方のないことなのだ。ダリルの落ち込みを理解しているヴォルデモートは甘言を囁く。心のこもったものは何一つなかったが、ダリルはよく分からなかった。自分を必要としてくれるのなら、もう誰でも良いような気がした。どうせダリルはルシウスの娘で、ヴォルデモートが蘇れば彼に仕えることになるのだ。それなら抗うのは無意味だし、自分の傍にいてくれるなら、それで良いように思った。
クィレルも、ハリーも、セドリックも、ダリルの傍にいてくれないじゃないか。ダリルが家族と友達の間で頑張ったとして、その結果がこの孤独なのだ。一度人の温もりを知ったダリルにとっては、一年時の孤独な生活へ戻ることになるのが何より恐ろしかった。
ヴォルデモートはダリルの耳朶に優しく囁く。「君がずっと慕って来たのに、ハリーはどうだ?」クスクス笑って、ダリルの返事も待たず、己の出した問いに答える。「本当の事を言っただけの君を、まるで親の敵でも見るように見たじゃないか」
ダリルのブルーグレイの瞳から涙が零れる。
「君を信じてなかった。君が僕の手下なのだと勘違いして、君を切り捨てた」
愉悦の絡んだ言葉は的確にダリルの心を抉った。緑の瞳が己を睨んだ時のことを思い出し、胸が痛む。息が苦しくなる。ダリルの怯えをヴォルデモートは見逃さない。「僕は君を見捨てたりしない」震える体を抱きしめて、優しい響きで続けた。「君は単なる被害者だよ。ちっぽけな子供が、如何して何かを害することが出来る。ちょっと考えればすぐに分かりそうなことだ」
「いつだって君は奴らの味方だった。ドラコが連中を悪く言うのを諌め、ルシウスとアーサー・ウィーズリーの喧嘩を静め、ネビル・ロングボトムがスリザリン生にからかわれているのを仲裁し、ハーマイオニー・グレンジャーを庇い、ロナルド・ウィーズリーを労わり、それに一年も前からずっと落ち込むハリーを慰めたり、励ましたりする優しい手紙を出して……それで君は何を得た? スリザリン生には魔法が使えないとばれて、家族からはグリフィンドール贔屓と叱られて、当のグリフィンドール寮生は君をスリザリン寮のスパイ扱い」
アンジェリーナやアリシア、フレッド、ジョージ、リー達は違う。そう言いたくても、口が動かない。頭も動かない。ぽろぽろと涙だけが零れる。ヴォルデモートがダリルの涙を指で拭った。「可愛そうなダリル」同情的な言葉を紡ぐ、その顔が笑っている。
「連中は酷く傲慢でね。爪の先ほどの昏さも許さない性質なんだ。君が悪いんじゃあない」
「わたしは、そんな」自分が悪くないとは思っていない。きちんと伝えようとしないで、黙っているから悪いのだ。
ダリルが反論を試みようとした瞬間、ヴォルデモートと同じ方向を向いて座っていたダリルの体が九十度回される。俯いている顔がヴォルデモートの指に捉えられ、上を向かされる。「君は僕が知りうる限りで最も無垢だよ」赤い目に射竦められ、ダリルは沈黙した。
「真っ白で、綺麗なダリル」クツクツと喉の奥で笑みを響かせながら、指でダリルの顔の輪郭をなぞる。「――でも奴らは、君がマルフォイ家に産まれたというそれだけで受け入れられないんだ」
「や、」嫌だ。言葉にならない拒絶で胸を圧迫させ、ダリルはフルフルと頭を振った。
「君はこちら側の人間だよ。少なくとも、こちら側に産まれた人間が向こうへ行くには多くの代価を要するのさ」
ヴォルデモートはダリルの微かな抵抗をせせら笑いながら、残酷な台詞を紡ぎ続ける。「例えばマリウス・ブラックは命を失い、アンドロメダ・ブラックは家族から見捨てられ、そしてシリウス・ブラックは友と未来を奪われた――君は如何する?」
ダリルの首へ指を滑らせた。ビクリとダリルの肩が跳ねる。最初の時ほど強くはないが、しかし首を絞められたことは幾度もあった。それこそ指が首筋を撫ぜるだけで恐怖に体を強張らせる程度には、痛みも与えられている。
ヴォルデモートを映す瞳には怯えが満ちていた。
「飽く迄も君があの、君を顧みない馬鹿共に肩入れをするなら、まず命を、次に家族を、最後に君が肩入れをする馬鹿共を奪う」
ふっとヴォルデモートが表情を緩めて、ダリルに微笑みかけた。「するなら、ね」腕のなかの体から緊張が引いたと見るや、優しい言葉を畳みかける。「君が僕のところで良い子にしてるなら、君の大事な片割れを死喰い人にしたりしない」
「僕は何も嫌がる者を無理に死喰い人にしているわけじゃない――まあ、ルシウスは少し難しいかもしれないが考慮しよう」
赤い瞳でダリルの顔を覗きこむ。首から離した手で優しくダリルの頭を撫ぜて、キラキラとランプの明かりを映す髪を手櫛で梳いた。
ダリルの瞳には安らぎが存在している。ヴォルデモートは彼女が自分の膝の上で可愛がられる度にルシウスに愛でられていた幸福な過去を思い出すことも、己の選択を僅かに悔いることも知っていた。スリザリン寮へ行けば、寮監であるスネイプに相談して早くに魔力も戻ったろうし、家族とも仲違いせず、どんな秘密でも打ち明けられるような友達が出来たかもしれない。
ヴォルデモートの腕のなかに安らぎを見出したダリルがハラハラと泣きだすのは、自分に気を許したことを意味していた。ヴォルデモートはダリルが悲しんでいるのだと勘違いしているふりをして、慰め続ける。ヴォルデモートの胸に体を預けて泣くダリルはヴォルデモートの顔を見ておらず、その赤い目に宿る残忍さにも、口元に浮かぶ酷薄な笑みにも気づかなかった。
ルシウスの口にする響きを真似て、ヴォルデモートはダリルを呼ぶ。
「大丈夫だよ。“ここ”では、誰も君を傷つけたりしない」
光に縋りつこうとしている人間がそれを諦めて落ちてくるのを見るのは、ヴォルデモートにとって素晴らしい娯楽だった。しかもそれで落ちてくるのがダリルとくれば、これほどに面白いことはない。昨年のダリルの言葉から、ヴォルデモートは己がハリーに触れられぬ理由を理解している。“本体”はまだ知らぬものの、いずれ気付くだろう。ヴォルデモートは笑みを堪え、瞳を細める。
魔力の戻ったダリルがヴォルデモートを選び、足元に跪いて寵を乞う。私は貴方のものです。服従の呪文に掛かっていないダリルが心の籠った言葉を口にする。貴方の為なら腕がなくなっても、足がなくなっても、死んでも構いません――ダリルがそう誓った瞬間から僕の本体はハリーに触れられるようになり、ハリーの母親が掛けた小賢しい守りは無意味なものとなる。
後先考えずに人を乞い、愛することが出来る者はそう多くない。増してやヴォルデモートの傍にとなれば、一層少ない。己の部下がどんなに自分を慕い、崇めても、結局彼らの愛情が向かうのは別のところなのだと彼は知っていた。
ヴォルデモートはダリルの華奢な体を抱きしめた。
『それって、寂しいのではない?』
『誰からも必要ないって、誰からも必要とされないだろうって嘲笑われた子供は幸福になれるのかしら』
今はハリー達を思って涙を零す瞳がいずれヴォルデモートだけを映すようになるだろう。
ヴォルデモートはダリルが完全に己に屈するまで、揺さぶりと安寧を交互に与え続けるつもりでいた。尤もこの様子ではダリルが自分を受け入れるまで間も無い。一番の“厄介”はあれきりダリルに接触する様子がないし、寮も年も違えば、恐らく飽きたのだろう。
出来れば完全に接触を断てるようにしておきたいところだが、秘密の部屋の件でダンブルドアの目が光っている校内で動き回るのは得策ではない。ダリルの傍で様子を見守るほうが無難だし、所詮十二歳と十五歳の恋愛など気の迷いだ。
「――君が生きる場所は僕の傍だ」
ヴォルデモートは己の薄い唇で涙に塗れるダリルの頬に口づけた。ダリルは抵抗しない。静かに泣き続けている。
七年語り – CHAMBER OF SECRETS