七年語りCHAMBER OF SECRETS
04 幸福論

 

 ……ちょっとお母様に似てきたわね。クドクドと倫理観を説くドラコを無視しながらダリルはそんなことを思った。

 流石のダリルだって心の底から結婚が如何でも良いなんて思っていない。一応女の子だ。結婚への憧れがないわけではなかった。それでも何故か結婚とか夫という言葉は友達以上の魅力がないとダリルは思った。何故なのだろうと考えようとしても分からない。ドラコはぎゃあぎゃあ怒っているし、疑問への好奇心もなかった。それでダリルは全て忘れることにしたのだった。

 ドラコはダリルを散々叱りつけると、宣言通りルシウスの書斎へ向かった。
 どうせ上手く行かないと高を括り、ダリルは「生粋の貴族-魔法界家系図」からナルシッサのお気に召しそうな相手を探すことにした。分厚い本を膝に置いたまでは良かったものの、ダリルはすぐに誰ならお気に召されるのか全く分からなくなってしまった。何せマルフォイ家より長くから続いている純血一族と来たらすっかり没落しているか、ブラック家のように直系の子孫が絶えているかだ。それに「ダリルに釣り合うような年の独身男子」という条件をつけ足せば、お気に召さないような者ばかりが残る。
 いっそ二十ぐらい年上でも構わないと大胆に年齢線を釣り上げてみたが、それでも結果は変わらなかった。
 家柄“だけ”で言えばナルシッサが一番お気に召す独身男子はシリウス・ブラックなのに違いない。勿論獄中のシリウス・ブラックと婚約するとか言い出せば、ホグワーツに戻るどころかアズカバン送りになってしまうだろう。
 散々ドラコの案を穴だらけとか、お父様が話を聞いてくれると思うのとかからかったけれど――なるほど、こちらの案はもっと穴だらけだ。もしもドラコがそれを知ったら「だからお前は考えなしなんだ。倫理観がない上に馬鹿だなんて救いようがない」とかなんとか、一週間は叱られる羽目になりそうだ。ダリルは怯えたが、しかし自分の案に穴があったことをドラコに知られることはなかった。ドラコは見事にルシウスに取り成してくれ、ダリルをホグワーツに戻しても構わないという約束を取り付けてきたのである。

「凄いわドラコ! やっぱりドラコは私の王子様ね。素敵、私本当に嬉しい!! ああ、なんて頼りになる双子の兄を持ったのかしら……」
 ダリルは「生粋の貴族-魔法界家系図」を、ドラコの目に入らないよう手紙の山に埋めながらドラコを誉め称えた。
 一仕事やり終えて自慢げなドラコはまだ“ナルシッサのお気に召すような結婚相手が見つかるはずもない”と気付いていないようだ。一昨日の朝食時にナルシッサが純血一族の凋落ぶりを嘆いていたことなど全く覚えていないに違いない。尤もダリルだってついさっきまで忘れていたのだが、あれだけ熱心に頷いておいて忘れているのは如何いったことなのだろう。
 まあ兎に角これ以上ドラコに罵られないで済みそうなのは幸いだった。
 それにもしダリルを叱るための理由を幾つか見つけたとしても、そんな体力は残っていなかったに違いない。ルシウスの書斎から戻ってきたドラコはすっかり草臥れていて、机の前の椅子に掛けるダリルのほうへ来ず、ダリルのベッドへ倒れ込んだ。
 実際に二人で話してたのは十分ほどだったものの、やはり父親に意見を言うというのは大仕事だったのだろう。ダリルは椅子から立つとベッドのほうへ歩み寄った。端に掛けて、寝転んでいるドラコの頭をよしよしと撫でる。
「馬鹿な妹がいると、疲れる」
 ドラコの台詞にダリルはちょっと笑って、ドラコの頬にキスした。
「私、馬鹿で良かったわ」
 ダリルがあんまりにキラキラした瞳で微笑むので、ドラコはすっかりダリルが自分の嫌いなハリー・ポッターに会いたいがためにホグワーツへ行くのを熱望していると忘れてしまった。ついでに一週間前に『僕は本当に、なんっにも手伝わない』と念を押した事も。

 さてルシウスはダリルにホグワーツへ戻る許可を与えてくれたわけだが、無論何の条件もなくというわけではない。
『七月三十一日のパーティで人前に出して恥ずかしくないと自分が思ったら許可する』
 ルシウスがそういう条件をつけるだろうとは薄々予感していた。パーティは嫌いだったが、それに出さえすればホグワーツに戻してくれるのなら百回だって行ったって構わない。しかし問題はルシウスに如何“人前に出して恥ずかしくない”と思わせるかだ。
「如何したら良いのかしら」
 ダリルは自分のベッドに横たわるドラコの袖を引っ張って問うた。
「知らない」ドラコはベッドの上でゴロゴロしながら、ダリルの質問へまともに答えてくれない。
「それって無責任じゃない。あの案だったら絶対」ダリルはちらっと視線を宙へ浮かせた。「……八割は成功していたのに」
 ナルシッサのお気に召す男子が一人も見つからなかったとしても、スリザリン寮生の誰かと婚約すればちょっとは機嫌も良くなるというものだ。少なくともマルフォイ家の体面を保つのに、そう悪いことではないだろう。
「わかった」
 ダリルの嘘に気付かないままドラコが渋々口を開いた。
「徹底的に男に媚びを売れ。出来れば大人の魔女のほうにもだ。他は構うな」
 それの何処が倫理観に満ちているのだろう。ダリルは思った。ナルシッサの「淑女たれ」という教育理念の丸きり逆を行く案だ。レディというのは男にベタベタするものではない。そんなはしたない娘に育ってほしくありませんと口うるさいナルシッサが今の発言を聞いたら如何思っただろう。きっと倒れちゃうわね。ダリルはそんなことを思って、クスクス笑った。
「なんだかそれって、女スパイみたいね」
 うっとりとダリルが夢見る瞳で言葉を返す。
 ドラコとしては男に媚びを売れと言われて何を夢見るのか分からないが、ダリルが普段読んでいる本について思い馳せれば理解することが出来た。ダリルはハーマイオニーほど読書が好きなわけではない。彼女が読むのは学術書の類ばかりで、目的は読書ではなく己の好奇心を満たすためだと言って憚らない。フィクションの類は読まないのだ。調べ物に関する本以外で彼女が読むとしたら、冒険物だった。

「バンパイアとのバッチリ船旅は読んだ……? ロックハートが群れからはぐれたバンパイアをルーマニアに送るまでの話なんだけど、その途中でバンパイアを滅ぼそうとしている団体から送り込まれた女スパイがあの手この手でロックハートを誘惑しようとするのね……」
「あの本はさっさと燃やせと言っただろ!」
 ダリルは一体あの本の何がドラコの怒りに触れるのかよく分からなかった。
「冒険活劇なのに表紙が自分の顔だって時点でもう馬鹿らしい。チャーミングスマイルだか何だか知らないが……あんな本を読んでたら尚馬鹿になるぞ。これ以上馬鹿になって如何するんだ」
「ドラコったら、ひょっとしてロックハートに嫉妬してるの?」
 クスと笑うダリルの表情はまさに小悪魔そのものだった。ドラコは耳まで真っ赤にして、ダリルに背を向けてしまった。
 ダリルがベッドに飛び込み、寝転んでるドラコの上に馬乗りになる。暴れるドラコを押さえつけて――勿論ドラコが本気で抵抗すれば回避出来たろうが、相手は少女で、しかもダリルだ。ダリルは無理やりドラコの顔を自分のほうに向かせると、マジマジ覗きこんだ。

 そしてにっこり笑って、「ロックハートよりドラコのほうがずっとカッコイイわ」言うに事欠いてそれか。

 如何やってルシウスの機嫌を取るかという議題は、如何したらドラコがもっと(ロックハートに引け目を感じずに済むぐらい)モテるかという議題に取って変わられ、あっという間に問題のパーティ当日――ハリーの誕生日、七月三十一日がやってきた。

 マグルの世界でもサバトがあるとされる七月三十一日、実際に魔法界でもパーティが開かれている。元々は一足早い収穫祭だったものの、今では新しい年度が始まる前にこれまでのことを振りかえろうという趣旨のものになっていた。収穫祭だった当時の“作物”が今は“仕事上の成果”に当たる。このパーティで今までの仕事ぶりを振り返り、見直し、またストレスを発散することで最後まで頑張ろうということだろう。
 会場は多くの燭台に照らされ、夏の花で飾られていた。そして壁側には余興として多くの占い師が招かれている。
 誰かが持ち回りで主催をするというわけではないので特に凝った趣向などはないが、その代わりに一年に催されるパーティのなかで最も多くの人が集まる。当然来るのは純血思想の魔法使いに留まらない、はずだ。
 しかしマグルで言う貴族のようにパーティなど開いて参加したがるプライドの高い人々に、マグル生まれや純血思想を嫌う人が多いわけもない。スリザリン寮出身者ほどとは行かずとも、少なくとも純血思想を軽んじるつもりはないという人々の来るパーティだ。
 現魔法省大臣コーネリウス・ファッジが純血思想寄りであるからか、ここ数年パーティの参加者は増える一方だった。

 会いたい人に会うことさえままならないような人の多さだったが、ダリルは人ごみに埋まったりはしなかった。
 薄水色のドレスを纏い、エメラルドと銀で飾られたダリルは美しく、これまで公式のパーティに出なかったということもあり人目を引いた。ルシウス・マルフォイの愛娘、数ある純血一族の中でも名家と呼ばれるブラック家とマルフォイ家の血を受け継ぎながらグリフィンドール寮に入った少女――ダリルは好奇心や妬み、嘲り、侮蔑から様々に噂されることが多かったが、彼女の美貌の前にはどんな噂も無価値だった。それまでダリルへ向けられる感情はルシウス・マルフォイへのもの、似た境遇であるシリウス・ブラックへのものが混じることが多かったが、実際にダリルを目にすれば全て拭いさられてしまう。彼女は――彼女の容貌や仕草、衣服、何もかもが人に「王女のように育てられ、何一つ不幸も苦労も知らぬのだ」と思わせた。ダリルが学校でどんなにか寂しい日々を送っているか、どんなにか地味に過ごしているか、自由に友達をつくる事さえ出来ないというのを知る大人は殆どいなかったし、例えそう聞かされようと信じる者は決して多くないはずだ。

 今までルシウスというフィルターを通してダリル見ていた人々は、今度はダリルというフィルターを通してルシウスを見る事になる。ダリルというフィルターを通して見たルシウスは良い父親に見えるだろう。誰が死喰い人だったという彼の過去を思い出すだろうか。
 黒い噂の絶えないルシウス・マルフォイ。無論恨みを買った回数は数しれず、いつかぎゃふんと言わしてやりたいと思っている輩も人の倍はいる。しかしルシウスの腕を取るダリルを見てまでぎゃふんと言わしてやりたいと思う人は、ここにはいないに違いない。
 ダリルの影響というのはそういうものだった。誰からも愛される美しい少女。自分の愛娘。そう世間に思わせておくことで潤滑に進むものがあるというのをルシウスは知っていた。美しさが与える影響に悪いものは滅多にない。
 ルシウスはぼんやりと視線を宙に溶かしながら自分の横を歩くダリルのほうを見やった。

 かつてはルシウスだけのものだった無垢な少女。
 ヴォルデモートのことも、死喰い人のことも何知らず育ったダリルはホグワーツに入るまでルシウスを微塵も恐れなかった。ルシウスが何をしてもダリルは無償の愛情でもってルシウスを愛してくれた。天使がいるとしたらこうなのだろうとさえ思ったものだ。
 なのにホグワーツへ入った途端何もかも変わってしまった。ダリルはルシウスを恐れるようになったし、反抗的な台詞を口にするようになり、ハリー・ポッターなんぞと文通を始めた。ルシウスにとってほんのちょっと前まで天使のようだったダリルはこの一年ですっかり世俗に染まってしまった。美しさは前と変わらないどころか益々といった調子であるのに、自分を恐れるというそれだけでルシウスはダリルを持て余していた。自分の不機嫌を溶かしてくれる無垢な笑みがないというのはルシウスを随分落ち込ませる。

 だから邸の外に出したくなかった――そう思うが、後戻りが出来ない以上利用する術を考えてしまうのがスリザリンの性というものだ。



 最初こそ家族四人で固まっていたものの、やがてドラコは見知った顔を見つけるとそちらへ逃げてしまった。
 ダリルは父親が望んでいるだろう無邪気な少女をなるたけ演じてみたが、挨拶巡りに三時間も付き合わされるとすっかり疲れてしまった。

「ああ、随分探したものだ……良い夜だな」
 ルシウスが人ごみのなかに埋まっている小男へ声を掛けた。その声の朗らかさからして大した身分のある人なのだろうと思ったが、「コーネリウス、妻と娘だ」どうやら思っていた以上に大物だったようだ。
 ナルシッサに脇を突かれたダリルは慌ててお辞儀をした。
「君がルシウスの娘か、いや話には聞いていたがこれほど美しいとは……ルシウスもさぞや気を揉むだろうね」
 現魔法省大臣、ファッジは随分と気さくな性格のようだ。人の良さが伺える柔和な容貌で、ダリルににっこり笑いかけてくれた。
「お父様がいつもお世話になっています。お父様ったら、領地内にある老魔術師の岩屋の件でマグルと揉めた時に、ファッジ小父様がいなかったら、如何なっていたかっていつも言うんです」
 ダリルの台詞にナルシッサが眉を顰めた。
「ファッジ小父様なんて失礼でしょう。親戚の伯父様じゃあないんですからね。きちんと魔法省大臣とお呼びなさいな」
「いや、いや。ナルシッサ、構わないとも。魔法省大臣だなんて堅苦しく呼ばれるよりずっと良い――それにマルフォイ家は殆どの純血一族と縁を持っている。親戚のようなものだよ。それにこんなに可愛らしい姪が出来るなら是非とも伯父になりたいね」
「コーネリウス、私に妹か姉がいなかったのは実に残念だ……」
 ルシウスが薄い笑みと共にぼやくと、ファッジが快活な笑い声をあげた。ファッジと世間話をし始めたルシウスがチラっとダリルを見る。大人の話に割り込むのはナルシッサの不興を買うに違いなかったが、ルシウスはそうしろと命じているようだった。
 話は既にダリルから離れ、魔法省の役人達の仕事ぶりなどに及んでいる。ダリルが輪に入れるような話題ではなかった。
 どう振る舞うのがルシウスのお気に召すかダリルは分からなかった。
『父上の気に入るようにするんだぞ』
 会場に向かう馬車のなかでドラコが耳打ちした台詞が蘇る。

 ダリルはぱっとファッジのドレスローブの袖を掴んで、引っ張った。視線がかちあった瞬間にふんわりと微笑む。
「その……私もお父様のように名前で、コーネリウス小父様と呼んでも構いません?」
「――勿論だとも。実際に伯父でなくとも、友人の娘だ。姪のようなものだろう」
 小言を言いたそうなナルシッサをルシウスが宥めている。子供の気まぐれだ、そう怒ってやることはないだろう。それにコーネリウスは子供の無礼を気にするような器の小さい男ではない。ルシウスが周囲に聞こえるように話した。これで無邪気な娘とその無礼を気にしない器の大きな魔法省大臣、娘が無礼をしても許してもらえるような仲であるルシウス、娘が無礼なことをしたら叱らなければと思っている常識的なその妻という構図が出来上がる。茶番ではあったが、人前での茶番とは大きな意味を持つものだ。
 自分は無邪気なのだと、ダリルはそう思いこもうとした。
「コーネリウス伯父様は我儘な姪が一緒に踊ってほしいってせがむのを許して下さるかしら」
 会場の中央には曲に合わせて踊る男女の姿がある。そちらをチラチラ見ながら微笑むダリルは、華やかなパーティに気が高ぶったのだろうと周囲の人間を和ませた。ダンスの相手を申し込まれたファッジも微笑ましいとしか思わなかった。
 ファッジはダリルへにっこり笑い返してから、ルシウスへ向き直る。
「いやはや。ルシウス、君の娘はまるで砂糖菓子のようだ。如何したらこういう娘を持つことが出来るのか、知りたいぐらいだ」
「皮肉ですかな。甘やかすだけ甘やかしたらこうなってしまいまして――何を間違えたやら」

 そうして二人は周囲の視線を集めながら会場の中央で一曲踊り、当り障りのない会話を交わした。学校は如何だ、友達は出来たか、そういうありふれた質問へダリルは「本当に伯父様から聞かれているみたい」とクスクス笑って見せる。
 ドラコに対して普段自分がどう振る舞っているか思い返し、ダリルは上手に甘えきったはずだ。おかげで踊り終わり、ファッジと別れた時にはその場で眠ってしまいたいほどに疲れていた。しかしパーティはまだまだ終わらない。

 ファッジと踊り終わると、ダリル達の傍にはそれまで以上に人が寄ってきた。

 大人達は口ぐちにダリルを誉める。誉めるが、それだけだ。ダリルのことを可愛いお人形ぐらいにしか思っていないのだろう。ダリルに強い関心を示す人はいなかった。ただ潤滑油としては上手くいっているようだった。声を掛けるにあたって「やあ、どうだ」と言うよりは「本当に綺麗な娘さんだ」と言ったほうが話が始まりやすいし、その台詞ならルシウスと大した面識がなくとも話しかけることが出来る。
 それに傍で女の子がにこにこしてて悪い気持ちになる人はいない。大人というのは、女の子は――特に顔の良い子は殊更馬鹿だと思っている節がある。ダリルに何を聞かれても理解出来っこないと思っているようで、色々な話をしていた。
 アーサー・ウィーズリーが抜き打ちの立入調査を始めたこと……マグル保護法がどんなに馬鹿げた代物であるか……ホグワーツに今年何人のマグル生まれが入学したか……ダームストラングの校風……アルバス・ダンブルドアの考えが狂ってる等々。
 そんな話を幾人としただろう。
 不意に、自分と年の頃が同じだろう少年を連れた大人の魔法使いがダリルに関する話題を振ってきた。

「そういえばルシウス、彼女の婚約者は決まったのか?」
「まだだ。まだ十二だからな。あと二三年が経ってから、本腰据えて考えようと思っている……」
 話題が自分のものになったとしても割り込む気にはならない。ルシウス達も同様に割り込ませる気はないようだった。結婚というのはそういうもので、親同士が勝手に決めてしまう。この少年が未来の夫になるのだろうかと、ダリルは相手が連れている少年をじっと見つめた。
 ドラコと楽しそうに話していたのをチラと見かけたことがある。多分ドラコの友人の一人だろう。容姿もそれなりに整っているし、ドラコと親しいということは阿呆でもないはずだ。まあまあ適当な夫婦生活を送れるに違いない。ダリルは少年へ微笑みかけた。
 少年はちょっと眉を顰めると、そっぽを向いてしまった。父親はダリルを息子の嫁にと望んでいるのに、随分と素っ気ない。
「なるほど。じゃあ、どんな家へ嫁がせたいかなどは薄ら決まっているんだろうね?」
 息子の気持ちなど微塵も知らぬのか、如何でもいいと思っているのか――恐らく後者だろう。男はどんどん話を進めていく。
「ふむ……そうだな、ダリルには古臭い考えを押し付けたくないものだ」男の問いかけに、ルシウスはダリルへ視線を落とした。「家柄の良い者より、若い頃のコーネリウスのように快活で、将来有望な青年を宛がいたいと思っている」
 ごく薄いオブラートに包んではあるものの、それはつまりダリルを魔法省大臣夫人にしたいと言ったも同然だった。
 男がハハハと笑った。その眉間が一瞬歪んだのをダリルは見逃さなかった。勿論ルシウスも見落とさなかっただろう。

「なるほど。イギリス魔法界きっての名家に生まれただけでなく、これだけの美貌だ。望むなら王様とも結婚出来るに違いない」
「大した家ではないが、王女を遇するように育ててきた娘だ。それなりの男へと望むのは親心というものだろう?」
 ルシウスはしれっと返す。
 不機嫌を隠して笑っていた男がダリルのほうへ話を振ってきた。
「君の眼から見て、息子は王様になれるような器かね」
 ダリルはちょっと首を傾げた。面倒事に巻き込まれたくはない。はいと返せば婚約させられてしまいそうな気がしたし、いいえと返せばマルフォイ家の娘は傲慢なのだと謗られるだろう。
「王女様の結婚相手は王様ですわ」
 色々と考えを巡らせた結果、ダリルが口にしたのはその台詞だった。
 ダリルにとっては大した意味はなかった。主観ではなく客観的な言葉で煙に巻いてしまおうと思ったに過ぎない。
 自分の事を王女だと言うのなら相手が誰でもそれは王様だ。物語的にそれは決まっている。だから質問を惚けた以上の意味はその台詞になかった。しかし大人達はそういう風に捉えられない。この場に置いて王女とはダリルのことであり、王様とは権力者を指す。つまりダリルの台詞は「自分と結婚したら魔法省大臣にでもなれるでしょうね」と言ったも同然のことだった。
 それをもし他の娘が言ったなら失笑が飛び交ったろうが、美しいプラチナブロンドを結いあげ、十二歳という年齢に不釣り合いな色香すら醸す美しいダリル――マルフォイ家の娘、先ほど魔法省大臣と踊っていた彼女が紡ぐと、それはちょっとも嘘のようには聞こえなかった。

 今でさえ人並み以上に美しい彼女は花に例えればまだ蕾のまま、武骨なガクに鮮やかな花弁を閉ざしたままの未熟な年齢であるはずだ。それが長じて花の頃となった暁に、どんなにか美しくなるのか誰にも想像がつかなかった。世が世なら類まれなる美姫として争いの只中に置かれていただろうし、真実どこぞの国の王妃として玉座に掛けていたかもしれない。
 こんなに幸福な少女はちょっといないものだ。改めて周囲の大人達は思った。

 しかし本当に自分が魅力的で美しく、誰からも愛されるとすれば、一体全体如何してこの少年は笑い返してくれなかったのか。
 そりゃ人よりちょっと可愛いかもしれない。でもそれだけで如何して自分が幸福である理由になるのだろう。ダリルが本当に幸福ならホグワーツに戻るためにルシウスの機嫌を伺わなくても良いし、ハリーとは疾うに仲良くなっていて、ロンやハーマイオニーとも一緒にご飯を食べれるような間柄だろう。夏季休暇にはフレッドとジョージの家へ遊びに行き、相手の家の人に嫌われてるんじゃないかとか思わず、長居して悪戯の手伝いをしたり、喋ったりする。家へ帰れば今日は友達と何をしてきたのと笑って聞いてくれるナルシッサと、あまり向こうの家に迷惑を掛けるんじゃないと自分を叱るルシウスがいて、ドラコはハリーと仲良く文通をしている……。
 好きな人達が仲良くしていて、自分も好き勝手に振舞うことが出来る。自分の幸福というのはそういうものだ。

 ダリルはなんとなく、自分が誰と結婚しても皆一緒と思う理由が分かった気がした。
 可愛い人形。何も考えないでじっとしてる人形。それの所有権が右から左に移るだけのこと。今隣にいるルシウスが別の男になる。それだけのことだ。出会った時は愛してなくとも結婚して共にいれば愛情が沸くだろう。だからダリルは如何でも良い。
 決して自分を見ようとしない少年の横顔を眺めながら、ダリルは考えた。
 このまま永遠に私は誰かの機嫌を取って、やりたいことをコソコソしなければならないのだろうか。
 未来の夫はダリルに何を強いるだろう。あれは駄目、これは駄目、それも駄目。そうしてダリルは夫の機嫌を損ねたくないと焦り、彼がハリーやフレッドやジョージと揉め事を起こさないよう祈り、夫の屋敷に閉じ込められるのだ。
 やがて皆、私という存在を忘れていく。

 あの人は今頃私の事を忘れて過ごしているんでしょうね。ダリルは誰ともなく、そんなことを思った。
 

幸福論

 
 


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