七年語り – EXTRA STORY
抉れる意図
ダリルは平穏の内に暮らしていたが、机を挟んで向き合う二人の関心事は「彼女がその平穏の限りを知っているか否か」であった。
窓の外と同じ静謐が室を見たし、生徒達ばかりか教職員に至るまで寝静まった夜半時に二人の会話を盗み聞けるものは誰もいない。万一誰かが二人の側で耳を澄ましたとして衣擦れの音すら聞こえなかっただろう。魔法の故ではない。顔を突き合わしてから殆ど一時間が経つが、未だに挨拶すら交わしてはいなかった。スネイプはむっつりと無感情を装い、ダンブルドアは考え深げに、そのブルーの瞳を伏せている。
二人は幾度となく逢瀬を繰り返してきていたが、勿論毎夜というわけではない。確かにダンブルドアには異性愛者ではなかったものの、スネイプとの関係は全くのビジネスライクであるからして、二人会うにはそれなりの理由が要されるところとなる。
ダンブルドアがその夜スネイプを招いた理由は純血一族の異端児、ダリル・マルフォイに纏わる。スネイプが彼女がらみのことで呼び出されるのは、これで五度目のことだった。始めは前年度中程に「戻ってきて以来挙動の怪しいクィレルを見張りつつ、クィレルがダリルと関わるのに教師と生徒以上のものがないか探るよう」言いつけられ、今年度初めに「ダリルの魔力を取り戻す手伝いをしつつ、それとなく見張るように」命じられ、そしてつい先日「己の私情から果たすべきものを果たさなかった」と詰られ、昨日今日と碌でもない――スネイプは全く以て碌でもないと思った――時間の無駄としか言いようのないことで押し問答を繰り返している。
スネイプはダンブルドアを睨んだ。涼しい顔をしていて、相変わらず感情は読めない。尤も読みたいとも思えなかった。何となれば、この好々爺の残酷さはヴォルデモートのそれを上回るように思えたからだ。
生徒達どころか世界の前で完全な善人を演じきる名優はスネイプの前ではその本性たる非道を晒す。
ダンブルドアは「ダリルはヴォルデモートを倒すに有用である」と言い、スネイプは昨日一晩掛けてそれを否定し続けた。おかげで一睡も出来ず、その苛立ちからグリフィンドールの双子共とはしゃぎ回るダリルに罰則として角ナメクジの整理を言いつけてしまった。言いつけた瞬間「なんで私だけが、まだ何もしてないのに」と言いたげな顔をしていたが、ポケットを漁れば案の定糞爆弾があったので、ハッフルパフの男子が地下牢付近のカンテラに糞爆弾を投げて壊した罪を押しつけてやった。
自分の苦労を思えば、このぐらい向こうから「やらせてください」と申し出て然るべきだとスネイプは思った。
苦労――それはつまり、ダンブルドアの意見を否定するのがスネイプの負担になるからだ。
ダリルの胸に刻まれた闇の印、それを刻んだ男の並々ならぬ執着を示してあまりある複雑な呪い、そしてダンブルドアには伝えていないがダリル本人からヴォルデモートとの繋がりを匂わせる台詞を聞かされている。本来の目的を思えば、ダンブルドアの言うとおりダリルは有用なのだとはスネイプも思っていた。ダリルがヴォルデモートと何らかの繋がりがあり、ハリーへ悪意を持っていないのは明らかなのだ。どんなに認めたくなくとも、ダリルの立場は使い道が多すぎる。せめて暗愚な子供であれば良いものを、年の割に物わかりが良すぎた――否、結局彼女の育ちや立場に由来するのだろう。スリザリンとグリフィンドール、闇と光の対立の内で中庸を保つ者は余りに少ない。
スネイプとてそうなるまでに喪失を要したし、そもそも己が望んでのものではなかった。しかしダリルはホグワーツに来た時から“そう”だった。両者との摩擦を最小限に抑える術を体で理解している。その才が間者として如何ほど役立つだろう。しかも子供で女、闇の陣営内で高い地位を持つ男を父に持つ。取り込むことに成功すれば有用であるが故に向こうへ取り込まれてしまえば害となる。その地盤は闇に近すぎて、泳がせることも、手の内で守ることも最早出来はしないのだ。
今年一年泳がせた結果があの眠りだ。あの闇の印だ。あの呪いだ。
ダリルを手中に収めているのは誰だ。ダリルを所有する権利を握っているのはルシウス・マルフォイだ。事が起こってから動いたのでは一手も二手も遅すぎる。被害がダリルだけで済むなら兎も角、最悪ヴォルデモートがダリルを使ってハリーをおびき出す可能性もあった。
取り込んでダンブルドアの監視下に置くのが一番なのだ。それに信頼が絡んでいれば尚良い。兎に角ダリルの行動をある程度縛るか把握していなければならないとダンブルドアは考えていた。
前年度の終わりにヴォルデモートはダリルを使ってダンブルドアをおびき出した。それはひとえにあの時のヴォルデモートにとってハリーが脅威でなかったからに過ぎない。しかし今は違うだろう。ハリーが邪魔であるとはっきり認識しているはずだ。
一度己を挫いたハリーを倒すに他者の手を使うのは彼のプライドが許さないだろうが、なりふり構わなくなった末にダリルを操ってハリーをおびき出し、知人と油断しているハリーの胸にナイフを突き立てさせる――なんて策を考えぬ確証があるわけではない。
理詰めで攻めるダンブルドアと感情論でのみ協力を拒否するスネイプ。
勝敗は明らかであり、既にスネイプも反論が浮かばぬ状態だった。それでもスネイプは同意出来ずにいる。
ダリルへの私的な感情の如何とは無関係に、年端もいかぬ少女を巻き込む残酷さを許容出来なかったのだ。ここでダンブルドアの要求を呑んでしまえば、これから先己に科される命令の非道さがエスカレートするような気もしていた。
ハリーを守るため他に犠牲を出さねばならないと言うなら己が自分を殺す理由が失せる。
スネイプの懇願を、ダンブルドアは馬鹿馬鹿しいと一蹴した。
ぼそぼそと学生の頃のように自信なさげな拒否・拒絶・否定を繰り返すスネイプを冷たい青が射貫いた。
「君は一度こちら側へ来た。それにヴォルデモートは心を見通すことの出来ない君を心から信頼しきることはないじゃろう」
「その件は我輩が如何とでも出来ます」
ダンブルドアはスネイプの言葉の裏にあるものを無視して話を進める。
「利用するつもりなのか、はたまた些細な偶然からか――ヴォルデモートにとってダリルは“容易に殺すことが出来ない”らしいのう」
「よもや――勿論我輩はそこまで貴方が耄碌したなどとは思ってはおりませんが、」
スネイプはいつものように皮肉っぽく笑おうとしたが、喉が引きつってすらりと言葉を紡ぐことさえ出来なかった。
「あの馬鹿な娘を、スパイにでもするおつもりですかな」
馬鹿な子供だ。愚かな子供だ。何も出来ない子供だ。使うような価値もない子供だ。その罵倒の裏にある庇護をダンブルドアは知っていた。そうと知っていて目を瞑り、顔を背ける。ダンブルドアは顔の前で指を組んで、ゆるゆると頭を振った。
「いや、彼女は君ほど上手くはやれぬじゃろう」
しわに囲まれた湖面がスネイプを映す。
「しかし彼女は君とあちらを上手く結び付けてくれるはずじゃ」
「彼女は闇陣営の重要人物の娘でありながら光を好いておる――何よりもシリウスと違い、」ぴくりとスネイプが身じろぎした。「ダリルはグリフィンドールに入ったからと特別家族から疎まれてはおらん。寧ろルシウスは彼女を溺愛しておるようじゃの」
冷酷なほどに静かな表情へ僅かに笑みが浮かんだ。好奇心か、同情か、どの道ダリルを守ることのない感情故に頬が緩んだ。
「セブルス、これはダリルの才能じゃよ」
「ケーブル役として、ということですかな」
「さよう。君はダリルを伴って向こう側へ行くのじゃ。さすれば、ルシウスがヴォルデモートに口を利いてくれるじゃろうし、もしくはヴォルデモート自身が“己の所有物”を届けてくれた君を信頼するかもしれぬ」
ただでさえ険しいスネイプの顔が一層険しくなり、瞳に侮蔑の色が過ぎった。
「ダリルが己の意志で心からヴォルデモートへ親しみを感じているなら、あんなものを付ける必要はなかろう」
所有することが出来ないからこそ、彼女が己の下から去るやもしれぬと考えているからこその所有印だ。元から戦利品に固執する性質であるのはダンブルドアのよく知るところではあるが、数ある戦利品の内でもダリルは特別なものであるに違いない。物体にしか興味のないヴォルデモートが生き物に執着することなど、己の血筋の正当さを裏付けするバジリスクやその流れを汲むナギニぐらいだ。
ダンブルドアがあの呪いから読み取ったのは執着心より寧ろ愛情の片鱗だった。
縛ることでしか振り向かせることの出来ない幼児性、常に深層へ秘していたその本音がダリルの体へ刻まれていた。一体ダリルの何がそんなにもヴォルデモートを引きつけたのか、ダンブルドアには分からない。
それでも目の前で不快を露わにする男になら、その一端が分かるのかも知れないとダンブルドアは思った。
「……あれが行きたくないと望むのを連れていけと言うのですか」
「君は彼女の名づけ親でもある。彼女は情の深い少女じゃよ」
「懐かせて、騙すというわけですか。いやはや……趣味が宜しいようで結構ですな」
スネイプはつばでも吐き捨てるように呻いた。それを受けてダンブルドアは瞳を細める。冷ややかな声音を肺から絞り出した。
「セブルス、君が連れて行かずとも彼女が向こう側へ行くことになることを忘れてはならん」
親が死喰い人というそれだけでも危険な立場に置かれるのに、全てが終わるまでダリルが安全に過ごせる保証などどこにもありはしない。
ダリルのためにも己と繋がっていたほうが安全なのだとダンブルドアはグリフィンドール気質特有の傲慢を微かに醸した。愚かを口にしているわけではないので、どんなに傲慢を口にしようとそれは自信にしか聞こえない。スネイプが拳を握りしめた。
「ポッターと親しくしているようですが、」
光を好いてる娘を、闇へ閉じ込めるような真似をするのか。批難がましい声音へ答えを返す。
「ダリルはわしの問いへ言いたくないと答えた」
手のひらに爪が食い込む。怖いぐらいに底の見えない黒がダンブルドアを凝視していた。その闇さえ、あの男よりは浅いのだ。
「わしには予言の才はないが、それでもわかるとも。彼女は闇へ行くじゃろう」
例えば、これが逆だったらどうだろう。ダリルがウィーズリー家のようなグリフィンドール家系に生まれて、それでスリザリンへ入ったのならこれほど深刻なことにはならなかったのかもしれない。闇という沼から這い上がるのは斯くも困難だ。ルシウスは愛娘を手放しはしないだろう。己の手の届くところへ、己の守ることが出来る近い場所へ置いておきたいと望むのは親の常だ。尤もそれだけだったら、事はずっと容易だった。ダンブルドアの知る誰よりも深い沼に足を捕らえられ、家族という足場も疾うに沈みきっていて、手を伸ばすには岸が遠すぎる。それでもダリル自身がシリウスのように彼らから逃れたいともがくならまだ良い。
ダンブルドアはギイと椅子を軋ませて、背もたれに寄りかかった。
『言えません……その、私、言いたくありません』
脅されている様子はなかった。錯乱の呪いも、服従の呪いもなく、ダリルは殆ど自由だった。ヴォルデモートはダリルを信頼していないが故に失うを恐れて縛り付けているが、ダリルもその束縛に強く抗う様子がなかった。躊躇いのなかに確固とした意志が宿っていた。ヴォルデモートを裏切りたくないのだと、その求めに応じたいのだと、その響きを耳にしてダンブルドアは彼女への気遣いは無用なのだと悟った。
この娘は残酷に耐えることが出来るし、彼女自身も虚偽の庇護よりは残酷な真実を求めるだろう。
グリフィンドール特有の無謀な勇敢さは確実にダリルの内に根付いている。ダンブルドアはその根を枯らしたくはなかった。
「彼女の信頼を得て、君が聞くことの出来ない情報をそれとなく聞き出すのじゃ」
「我輩が聞くことの出来ない情報を、闇の帝王があんな小娘に漏らすとでも?」ほんの少し屈辱だと言いたげに不服そうな表情を浮かべた。
「思うとも、彼女は開心術士としての類まれなる才能を持っておる」
ブルーの瞳には怪訝な顔をするスネイプではなく、クィレルの遺言の刻まれた本を抱えて慟哭するダリルの背が映っている。
「クィレルはヴォルデモートに洗脳されており、殆ど自我のないマリオネットと化しておったな。
しかし彼女の前でだけは本来の顔を見せることがあった」
「開心術など厄介なだけです。寧ろこちらの情報がダリル経由でバレるかもしれないでしょう」
「それでもダリルの得る情報は我々に役立つ」
呟いてから、ダンブルドアが少し無表情を崩した。僅か浮かんだ人間らしい感情も逆にスネイプの心臓を冷やすだけだった。
「こちらの情報が漏れぬような策は考えておる。――セブルス、君はどの程度忘却術を使いこなせたかのう」
ダンブルドアは机に肘をついて、瞳を伏せる。
スネイプはなんと返すべきか考えるよりも先にその台詞の真意を理解するのを拒んだ。ダリルの軽やかな声がスネイプの耳元で囁く。大事な人が笑っていてくれるなら、それだけで私は報われています。ほほえんで、そしてゆっくり消えた。
「ダリルにはわし達との繋がりを意識せず、普通に暮らしてもらわねばならん。熟練の開心術士なら兎も角彼女は意図的に使っているわけではないから、閉心術を覚えさせるわけにもいかぬじゃろう。寧ろ下手に覚えさせれば精度が落ちるかもしれん」
「聞き出すだけ聞き出して、忘れさせると?」
ようやっと紡ぐことの出来た声は老人のようにしゃがれていて、スネイプは軽く咳払いした。そうして、己を見ようとしない賢者を睨む。
「何も知らせずに騙して利用しろということですか」
「彼女には無論知らせる必要がある」
ダンブルドアが少し言い訳っぽく急いた口調になった。それも当然だろう。ただでさえ忘却術は被術者に負担を掛ける魔法だ。一度きりなら兎も角、二度三度と繰り返せばその分記憶能力が不安定になり、些細なことで想定以上の記憶を失う可能性が高くなる。しかも自分でするならまだしも、その役までスネイプに押しつけようと言うのか。あんまりに――オーバーワークであるし、自分の負担になる。
呆然とするスネイプにダンブルドアは言葉を続ける。
「まず全てを説明しダリルからの協力を得たらその間の記憶を瓶に詰めて、忘却術を使って記憶を消す。
ダリルから情報を得る前に憂いの篩へ記憶を開けて、約束を思い出させるのじゃ」
忘れさせて、思い出させて、また忘れさせて、そして思い出させて、一体、それがどれほどダリルの体へ負担を掛けるのか。
ダリルの呪いについて問いただす時だって、自分は前もって説明したはずだ――真実薬はダリルに苦痛しか与えない――その痛みが、どれほどダリルを疲弊させ、怯えさせ、その精神を削っていくのか。それがいつまで続くのだろう。ヴォルデモートが倒れるその後まで、どれだけの多くをあの子供に負わせるのか。
ほんの少しヴォルデモートとの繋がりがあるというそれだけで、闇でも憎むかのようにあんな少女を利用するのか。自分をそうしてきたのと同じに、否ダリル自身は誰も殺したこともなく、ヴォルデモートのために動いたこともないのだろうから、それよりもずっと悪い。
「つまり」肺に満ちた泥が声に絡んだ。「記憶操作をしろと、我輩に、そう仰っているわけですな」
『一緒に、いていい?』
一緒にいていいの。一緒にいたい。待って、行かないで。それは全て己がかつてリリーへ――精一杯の想いを、口にしたいと望み続けて、終に伝えることのないまま行き場を失った台詞をダリルが代わりに口にする。愚かなことと思いつつ、このまま幸福に、自分の手が届かなかった未来へその指が触れ繋がるようにと望んだ。馬鹿げた代償行為。それでも、ダリルがスネイプにもしもを見せてくれる。いつこの糸が捩れたのか、どこで選択を誤ったのか、それが分かるからこの闇を解くことが出来るかもしれないと思った。思った、のに。
己のようになるな。闇に落ちて、些細な過ちから己の求めていたものを失い、光の中を歩くことの出来ない骸のような人生を歩むな。少女へそう口にした自分が彼女を闇に引きずっていくのか。ジェームズが、ヴォルデモートが自分の元からリリーを奪っていたように、自分がダリルからセドリックを奪うのか。ハリーを、フレッドを、ジョージを、ハーマイオニーを、ロンを、望んだ全てを、奪えと言うのか。
「ヴォルデモートも彼女に同じようなことをしておる」スネイプの動揺を察したダンブルドアが宥めるような声音を紡いだが、それは逆にスネイプの怒りを煽るだけだった。「だから……だから、我々もして良いと言うのですか」
「我輩が、我輩が一体どんな気持ちで今まで貴方に従ってきたか――」
人を殺めるための言葉を紡いだ口で烏滸がましいと、そう思ってもスネイプの内にある恨みめいた気持ちが静まらない。そもそも初めはリリーを助けてくれと縋り、その代わり何でもすると従うようになったのに、助かったのはハリーだけだった。あまつさえリリーの遺児なのだからとハリーを守るように言いつけられて、ジェームズへの憎悪とリリーへの愛情の内でどれほどもがいているか、過去の自分への後悔でどれほど苦しんでいるか、孤独を感じているか、それを全て自業自得と捨て置くのか。
「ダリルの幸福が害されねば君の気持ちが軽くなるとでも言うのかね。過去が清算されると言うのかね」
ダンブルドアが顎をあげて、まっすぐスネイプを見つめた。キラリとスネイプの奥底を見通すようにブルーの瞳が光った。
「セブルス、わしは君よりダリルを理解しておると思うよ」
ピシャリと宣言すれば、スネイプが口を噤んだ。
「ルシウスがダリルとヴォルデモートの繋がりに気づけば、ダリルを守るために、ヴォルデモートがダリルを重宝することを願って彼女に闇の魔術を叩きこむじゃろう」
喜んでとは行かないだろうが、嫌々であるという素振りも見せないに違いない。ルシウスは間違いなく娘をヴォルデモートに差し出すはずだ。断れば彼の大事な家名が潰されることになる。そしてダリルは殺されるか、無理にでも奪われるかのどちらかとなるだろう。殺されるよりは奪われたほうが良い。奪われるしかないのであれば、差し出したほうが良い。差し出したからにはヴォルデモートの寵を受けてほしい。
「やがて――ヴォルデモートが蘇り次第、君の通ってきた道を辿る」
ダンブルドアの声音に苛立ちが混じってきた。
「君は己が何故ここにいるか冷静に考えるべきじゃな。
我々が利用しなければ、ダリルは単なる死喰い人としてアズカバンに送られかねん。否、確実に送られることじゃろう。
魔法省の裁判機関が杜撰なのは君もよくよく知っておるじゃろうて。闇の印にマルフォイの家名、ルシウスは一度は免れたが、二度はない。父親が死喰い人であるばかりに、ダリルにはその“一度”すら与えられぬ。しかしダリルが我々に協力する意思を示せば、ヴォルデモートを倒すに貢献すれば、わしが君にしたように彼女を無罪にすることが出来る」
スネイプの言う通りダンブルドアに協力する意思を示せば、ヴォルデモートが倒れるまでダリルは辛い思いをするだろう。じゃあ協力させねば何がダリルを待っている。アズカバンだ。永遠の虜囚だ。そして拭われることのない悪名が付きまとう。
奇跡を起こすか悲劇と諦めるか、もうダリルにはその二つしかない。
闇から抜け出したいとあがく者を光のなかで暮らさせてやりたいとダンブルドアは望んだ。シリウスの時は己が急きすぎた。もっと先を見据えて、落ち着いて物事を進めていれば今頃シリウスはハリーと暮らしていたのかもしれない。ブラックというその家名が嘘ではないかと思うほどにグリフィンドール気質で、傲慢で、勇敢で、何より無謀だった。生徒で後輩でもあった男を想う。
今度こそは救いたい。あの少女を光のなかで堂々と歩かせてやりたい。それがクィレルとの接点を――彼女が闇へ捕らわれる切っ掛けを作った自分の義務だとダンブルドアは感じていた。些細な油断から、己の手のひらから零れ落ちてしまった生徒を取り戻したかった。
期待に応えたい。信頼に報いてやりたい。そのためなら我は要らないし、後悔もしない。冷酷と言われても構わない。“偉大なる魔法使い”という孤独のなかで、人々の信頼という重しを背負って、一人でも多く救えるのなら自分は賢者として残酷な選択肢を選ぶ。
「ヴォルデモート亡き後、彼女は日の中を歩くことが出来るのじゃよ」
ダンブルドアはゆっくりと瞼を閉じた。
「闇に与したくないと思いながら抗うことの出来ぬままに沼へ沈むがどれ程に屈辱か、君には分からぬじゃろう」
「……ブラックのことを言っているのなら、そんな汚らしい矜持は生涯理解したくもありませんな」
スネイプが怒りに身を震わせた。
「奴は死喰い人だった。ポッターを裏切って、リリーを死に追いやった」
静かな視線が自身の感情に振り回されるスネイプを見つめる。
ダンブルドアがスネイプのために出来ることは、ないに等しい。その性質があまりに違いすぎるのだ。ダンブルドアの感情や考え方がスネイプには理解できない。普段理性で押さえつけている感情をこうして晒しはするが、それだけだ。己という圧倒的優位な立場にある存在の前で暴走する感情は単にスネイプを傷つけるだけで、疲労と虚無感しかもたらすことはない。
『わしは宴のほうに行かねばならぬ――セブルス、きみはどうするかね』
『この状態でマダム・ポンフリーに任せられるはずもありますまい』
刹那、ダリルを映す瞳に労わりの色が浮かんだ。ダンブルドアはそれを見て、少し興味深く思った。今も同様のものを抱いている。
「我輩に言わせてもらえば、貴方はポッターに肩入れしすぎですな」
ダンブルドアがまるで動じていないのに気付いたスネイプが僅かに冷静を取り戻した。スネイプがふんと鼻を鳴らして襟元を正せば、もうそこにはダンブルドアのよく知る薬学教授しか佇んでいなかった。
「奴は英雄という称賛にのぼせるちんけで下らない子供に過ぎない」
せせら笑う響きで紡がれた台詞へ、ダンブルドアは穏やかな声を返す。
「ダリルはそうではない」
ダンブルドアはダリルに多くのものを要求しているのかもしれない。
ヴォルデモートがあの娘を要していると言うのなら、その気性が闇に生きるものを惹きつけると言うのなら、自分が決して触れることの出来ない傷に寄り添い、少しでもその痛みを癒してやって欲しい。彼らもまたダンブルドアの指から零れ落ちた生徒達だ。
光に属するだろう自分には到底救うことの彼らを、あの華奢な子供に託したいと望んでいた。
「彼女は君の良い理解者になるじゃろう」
ヴォルデモートが蘇れば必然的に二重スパイたるスネイプの任務も残酷なものが増える。
ダンブルドアはスネイプが繊細で傷つきやすいが故に強固な鎧でもって己を守っているのを知っていた。だからスネイプにダリルの面倒を見させることで、少しでもスネイプの苦痛が減ることを望んだ。
『私、怒ってないです。小指がなくても、足がなくても……服従の呪いも、もう、もう良いです……本当に、』
ダリルの悲嘆は一年経った今でも鮮やかに蘇る。
あの娘は自分の身を削って人を愛することが出来る。その愛情が闇を癒すというのなら、せめて未来のない者を愛してほしい。誰も悲しむことのない死を彼女が悲しんでほしい。そうすることで救われる魂がある。そうすることで安らかに眠ることが出来る死がある。
ダリルのためを思えばクィレルとは接触させるべきではなかった。そう思うのに、そう悔いているのに、心のどこかでこれで良かったのだと考える自分がいた。エゴだ。ダリルを傷つけることになる。それでも遺していく者があるから悔いなく逝くことが出来る者がいる。
ダンブルドアはクィレルを想って泣くダリルの残像に許せと呟いた。
ヴォルデモートさえ、ヴォルデモートが倒れたなら、その時にこそ報る。だから、自分の頼みを聞いてほしい。
ずっと黙り込んでいたスネイプが渇いた声を口にした。
「ルシウスがダリルと闇の帝王の縁に気付かなければ、」黒い瞳にダンブルドアの姿は映らない。「隠しおおせたら、この件はなしに」
「よかろう」
ダンブルドアは鷹揚に頷いた。
「ルシウスがダリルの闇の印に気付かなければ、監視するだけに留める」
ダリルにはヴォルデモートのいない未来は存在しない。光のなかで暮らす未来は訪れない。
闇を癒すために、その苦痛を和らげるために、彼を救うために、彼女がヴォルデモートの関心を得るために支払ったものは殆ど己の全てだった。もしもそうとダンブルドアが知っていたならダリルの平穏の期限は少し伸びたのかもしれない。しかし、ほんの僅かな安らぎなどあってもなくても結局一緒とダリルは笑うだろう。誰かがしなければならないことなら、私がする。
誰も手を伸ばさないのなら、私が伸ばす。
『ハリーは私に手を差し伸べてくれました。だから私も誰かを手を差し出したいんです』
少女を死へ誘ったのも結局は緑の光だった。
七年語り – EXTRA STORY