七年語り – EXTRA STORY
無音の祈り

 

 幾つになっても他人への贈り物には頭を悩まされる――草臥れた父の声にドラコは顔を上げた。
 長椅子に並んで座る両親を振り向くと、ブルーグレイの視線の先で、ナルシッサが夫の膝の上にある分厚いカタログを覗き込んでいた。表紙には緑のベルベット地が張られ、赤のクロッシェレースと金の縁飾りで飾られたその本が何かはドラコも知っている。両親の贔屓にしている店が季節ごとに製本して家々に配る内の一冊だ。今両親の話題の中心に置かれている号にはクリスマスの特集が組まれていた。

 クリスマスの特集――庭の木々は辛うじて装っているし、ルシウスの「家屋内進入禁止令」が解けたのだってほんの二日前のことだ。その禁止令の発令者がナルシッサであることは言うまでもないだろうし、その原因についても改めて取り上げる必要はないだろう。

 ナルシッサは「おじいさまの容体が悪化したので、そのお見舞いに行ってらっしゃるの」と繰り返していたが、母親の不機嫌を怪しんだダリルが屋敷僕妖精にスパイさせた結果、父親が滞在しているのがワイト島でなく、ロンドンはダイアゴン横丁であることが判明した。「こんなことだろうとは思っていたの」とは、ダリルの言である。ドラコの知る同年代の誰より手先が不器用であり、根気と精確さに欠ける……を通り越して抉れているのではないかと思わせるほど無神経な妹ではあるが、何故なのか父母の不仲に関しては聡い。また両親の監視下から外れることも好きなので、両親に秘密を作るのを至上の喜びとしているし、二人が子供に隠そうとしていることを探り当てるのを生きがいとしている。本人は否定しているものの、ドラコにはそうとしか思えない。ダリルは双子の兄から掛けられた疑惑に頬を膨らませた。「別に、お父様とお母様がけんかしてるのを楽しんでるわけじゃあないわ。だって、絶対になにか変だと思ったの。お母様、いつもだったらお父様にしつこくしてはいけませんって言うのに、ハロウィンのおねだりをしなさいってうるさかったでしょう。お父様がよそでハロウィンパーティをするのが気に食わなかったのよ」報告し終えた屋敷僕妖精が二人の――一方的な――口論に狼狽えているのに気付くと、ダリルはひらと手を振って退去させた。二人きりの部屋に沈黙が満ちる。妹の推理にドラコは返事を選びかねていた。納得出来るものではあったが、しかし同意すれば自分達に秘しておきたがった母を裏切ることとなる。サイドテーブルに寄りかかったまま逡巡していると、無言でベッドを軋ませていたダリルが口を開いた。「何にせよ、お父様はお母様のお怒りが解けるまで帰ってこないってことだわ」実のところダリルが自分と同じかそれ以上に父親を好いていることをドラコは知っていた。ドラコは半べそで父親を詰る妹を抱きしめた。「お父様ったら、私達とハロウィンしてくれなかった上、一週間も帰ってこられないなんて酷いわ」ドラコの肩を濡らしながら、ダリルがぐずる。「それに私達にはベッドのなかで飲食しちゃいけないって怒るのに、自分は綺麗なひととベッドの上でパーティを楽しむなんてずるいわよね」ドラコは妹の非難に頷いた。「どうせ叱る父上もいないんだし、母上に内緒で、今日の午後のお茶はベッドの上でとろう」
 二人が「ベッドの上のハロウィンパーティ」の意味を理解するのは、数年後の話である。

 “ベッドの上のパーティ”で駄目にしたベッドカバーがドビーの手により見事カーテンとして生まれ変わったのを二人で確認し、ルシウスが五度目の「二度とよそに女は作らない」を口にし、またナルシッサがルシウスの浮気相手に話をつけに行ってから二日である。
 屋敷僕妖精達がやっとクリスマスプディングの材料を買い集めて来たか否かという時期であるにも関わらず、ドラコはカタログを挟んで話し合う両親を不思議に思う事はなかった。冒頭の父親の愚痴に関しても思い当たる節はあった。幾つになっても他人への贈り物には頭を悩まされる――暖炉脇のソファで温まっていたドラコは両親の難儀する声を背に受けながら一人頷く。
「ドラコ、それ読めるの?」
 不意に向かいのソファでルシウスの土産を可愛がっていたダリルが口を開いた。“それ”と、指でなく顎で指すのは、お椀型に丸めた掌のなかにフエルト製のカナリアを四羽飼っているからだ。両親に子供が二羽の、カナリア一家だそうだ。少女趣味の贈り物を喜ばないダリルだが、こと父親のそれに限っては――それに、小鳥や子猫を模したものは別だ。ルシウスは娘の好物をよくよく理解している。
「読めるさ」ドラコはぴんと背筋を伸ばして座り直し、ルシウスに聞こえるよう少し語気を強めた。
 しかし相変わらずルシウスの話は昨年のクリスマスの思い出話に終始しており、父親の無関心にドラコは拗ねた風に口を尖らせた。
「何の役にも立たない鳥で遊んでたお前と違って僕は毎日べんがくにはげんでいるんだ――」
「でも、その本を抱えたままそこで寝ちゃったのはつい昨日のことよ」
 ダリルはきょとんと小首を傾げた。今朝、屋敷僕妖精の運搬魔法が下手なせいで首を捻ったとか何とかぼやいていたじゃない。妹の鋭い指摘にドラコは本を閉じた。「純血種の優性魔力について」という厳めしいタイトルを、幼い指でなぞる。
「父上が僕に買ってきて下さったんだ。そのうち読めるようになるさ」
「私の部屋にもあるから、読めるようになったら本のあらすじを教えてね」
 ダリルはカナリア一家を膝に下ろすと、両手で口を覆って欠伸した。
 日頃からドラコと同じのじゃないと嫌だ嫌だとごねる癖、片割れが勉学に勤しんでいるのは真似ようとしない。ドラコが辞書を引き引き系図学の本を読んでいる隣で詩集や下らない冒険小説なんて読んでいる。それでいてルシウスから「もう二章までは読み終わったのだろうな?」と問い詰められることも、「お前もドラコと同じ本を読め」と叱られることもないのだからとドラコは不満に思う。
 勉学に勤しまないなら勤しまないで「お父様に期待を掛けられているのね」とか何とか励ましてくれたって良いのに、「お父様、その本が書店にあるのを見かける度買わないではいられないみたいね」等と軽口を叩くのだからまるで可愛げがない。
 ダリルは片割れの嫉妬など何処吹く風といったふうに欠伸を繰り返した。重たげに瞳を細めた横顔が熾火で赤く照らされる。ダリルは火照った頬を緩ませると、細い指で小さい二羽を撫でた。チルチル喉を鳴らす小鳥へにっこり笑いかける。
 ダリルがドラコの髪型と服装を真似るせいで殆どの他人は二人の区別がつかないと言うし、マルフォイ家の子供は男の双子なのだと思っている者は決して少なくない。母親であるナルシッサだって、ダリルがからかうと途端に狼狽してしまう。しかしどれ程ドラコを真似ようと、こんな風に微笑むのはダリルだけだし、引いた手へ甘えるように指を絡ませるのもダリルだけだ。ドラコの口調をそっくりコピーしていたって、よく観察していればどちらがダリルかなんてすぐ分かるだろう。ドラコは悪戯っぽいウインクなど飛ばさない。

 性別だって、趣向だって、口調だって、僕らの違うところは沢山あるのに、如何して皆、僕らの区別が出来ないんだろう?

 どうでもいいのよと、出窓へ腰掛けたダリルが素っ気なく答える。その台詞は最近のものではないが、そう遠いものでもなかった。
 屋敷僕妖精が庭の木を刈り込むのを眺めながら、ダリルは続けて口にした。私が女か男か、ドラコと似ているか似ていないかなんて皆どうでもいいの。この家を継ぐのはドラコで、私はそうじゃないからよ。そう語るダリルの表情はドラコの瞳に映らない。ドビーの失敗談を聞いていた時と変わらずぼんやりしているのか、それとも唇を噛んでいるのかさえ分からなかった。ただ昨年口にした台詞――僕が家長になったらダリルを次の跡継ぎにしてやるよ――はもう繰り返せないとだけ承知していた。ルシウスの跡継ぎはドラコだ。そしてその次はドラコの子供が、自分と同じようにして継いでいく。あと十数年の内にダリルのファミリーネームはマルフォイでなくなってしまう。口を噤んだままのドラコへ、ダリルが「でも良いのよ」とこぼす。「ドラコだけが私を分かってくれれば、私はそれで良いの」
 自分と同じ色の視線がこちらに向けられる。試すような目つきにドラコはダリルの手を握った。ダリルが強く握り返す。分かるでしょう? 私達産まれたときからずっと一緒にいるわ。死ぬまでずっと一緒よ。皆が一人で生きて、誰からもりかいされずに死んでいくなかで私達だけはそうじゃないの。だから私、他人に見分けられなかったところで如何だって良いわ。
 ドラコはダリルの台詞へ被せるように誓った。ダリルから問われるより先に応じる。「僕も――僕も如何でも良い」他人がダリルを認識出来なくても、「ダリルには僕がいるから……」皆がお前のことを如何でも良く思ってたって良いんだ。
 声が掠れて最後まで伝えられなかったものの、ダリルは嬉しそうだった。だいすきよと、青空を背景に微笑するダリル。片割れからの告白に満足感や嬉しさ、愛しさは勿論あった。いつからかなのか、それらの影に“安堵”が存在し始めた。

 両親から期待を掛けられず甘やかされるだけのダリルが“可哀想”だと思ったのはいつのことだろう。祖父がドラコとお喋りしている傍らで困ったように相槌を打っているだけのダリルが――人々から然したる関心も向けられず、さりとて同じ境遇の少女達に溶け込むことも出来ないダリルが――自分の真似をしてくるダリルが――満たされていない、自分を妬んでいるのだと理解したのはいつだったろう。
 ドラコだけいれば良い。ドラコ以外の何も確かなものはないから、ドラコしかいない。ダリルの台詞が懇願であり依存であることはごく幼い頃から知っていた。ダリルは今この瞬間の安寧を求めていたし、ドラコは保険としての安寧を求めていた。
 ダリルは強く求めることでドラコの心中の不安を和らげてくれ、ドラコが求めに応じることでダリルの不安も和らげられる。一見して対等な関係のようだが、二人の会話からも選択権・主導権の諸々をダリルが握っているのが見て取れる。

 ダリルはいつだって確信に満ちた物言いをするけれど、ドラコは妹の台詞が“正しくない”ことに薄々勘付いてた。

 双子が同日同時刻に死ぬなんてことはどの本にも書いてないし、一人で生まれてくる者が殆どの世界でダリルの言い分はあんまりに乱暴すぎた。双子でも三つ子でも四つ子でも、それらは単に同日に産まれるというだけで、産まれてからは別個の人生を歩まねばならない。そういうものだ。理由なき運命なんてこの世界には存在しない。ダリルの台詞は馬鹿げた感情論で、一等大事な理由に乏しい――そうと分かっていてもドラコは妹を信じていたかった。何もかもが駄目になっても自分には絶対のものがあるのだと、その思い込みは随分長い間ドラコの慰めてくれた。自分にはダリルがいると思えば、父母の関心の薄さが気にならなくなった。父親の期待に応えられなかったことで落ち込むこともない。寂しければダリルがいるし、肯定されたければダリルがいる。皆から己の存在を認識されなくなってもダリルがいるから怖くない。そして殆どの人々はドラコとダリルの胸にある安寧を味わうことなく孤独に死んでいくのだ。

 膝に本を乗せたままうつらうつら舟を漕いでいたドラコは、肩の重さにはっと目を覚ました。チチチ……と囀る音が耳元に木霊する。瞬きを繰り返しながら重い瞼を擦るドラコの向かいと、カナリア一家を膝に乗せたダリルがクスクス笑っていた。一匹欠けている。
「怒っちゃったの? それとも眠くなったの?」
 からかう台詞に口笛を続ける。ピイと呼ぶダリルの声に応えて、ドラコの肩で休んでいたカナリアが戻って行った。怒ってるから黙ってたんだ――と、そう言いたいのは山々だったが、実際うたた寝していたので何も言えない。尤も眠気がなかったところで、ダリルの軽口をやりこめる気にはなれなかっただろう。ダリルに己の怒りを主張する行為は、ドラコを酷く疲れさせる。自分の機嫌を損ねたと知ればダリルは焦ったり、悲しげな顔で取りすがってくるだろうし、それを目にするドラコだって傷つくのだ。
「部屋に戻る」
 ドラコはじっとりとした口調でぼやくと、ソファ脇のテーブルに本を乗せた。ダリルも手を伸ばして、テーブルから木製の箱を取り上げる。カナリアたちを一匹一匹擽りながら仕舞う傍ら、ダリルはソファに沈んだままのドラコを見やった。
「私も一緒に戻る――昨日ベッドが凄く冷たかったし、今日は風が凄いわ。ねえ、ドラコと一緒に寝ていい?」
 普段は勝手にベッドに入ってくるダリルの問いかけへ頷くと、二人は揃ってソファから立ち上がった。部屋の隅、屋敷僕妖精がカーテンを閉め忘れたのか、黒々とした景色がむき出しになっている窓辺からは柔らかな風が静かに梢をゆすっているのが見える。
 夜の帳に包まれて、何もかもが静かだった。
 

無音の祈り

 
 


七年語り – EXTRA STORY