花骸のこどもたち
秘密の行方

 

「すっげーボロボロ」
 サスケはそう言って、トバリから手渡されたゴミ――トバリ曰く“メンコ”――を放り投げる。
 時の流れですっかり白んで、元の色が分からなくなった厚紙はペロンと床に落ちた。

「元の絵もわかんないし、こんなのとっとく必要なくない?」
 丁度自分とトバリの間に落ちたメンコを膝でつっついて、遠のける。
 ちっちゃな邪魔が消えた分、サスケはジリジリと距離をつめた。五歳上の幼馴染の肩に寄り掛かって、子猫のように頭をこすりつける。「トバリ、変なのとっとくよね」可愛げのない憎まれ口、目上に対する敬意がまるで感じ取れない態度を前にしても、トバリは決して怒らない。
「うん。私も、元の色がどんな風だったかは知らないんだ」
 サスケの頭を撫でるトバリは、口元に微笑を湛えたまま穏やかに応えた。サスケの肩を抱きかかえるトバリが僅かに屈伸して、サスケが遠ざけたメンコを拾いあげる。折角遠ざけたのに。
「てか一枚じゃ遊べないし、汚いし、あたらしいの買ったほうが良いよ」じんわりとした暑さを覚えて、サスケはこしと額の汗を拭う。「時代遅れだけどさ、探せばまだ売ってるよね」
 どことなく上から目線な、マセた声音。それを咎めるでも応じるでもなく、トバリの横顔は涼やかだった。目の前にいると思うのは、本当はサスケの錯覚で、うんと遠いところにいるのではないかとさえ感じさせる涼やかさ。兄の横顔と一緒だと、サスケは思った。知らず知らず、唇を噛む。
 サスケの幼馴染は兄よりずっとサスケに甘いけれど、ふと見せる表情が兄によく似ていた。

 書庫の入口は開け放たれ、湿り気を帯びた夏の気配が階段伝いに滑り落ちてくる。
 蒸すような暑さのなかにいてさえ、トバリはその額に汗一つかかない。それが一人前の忍者というものなのだろうかと、サスケは思う。自分も、アカデミーを卒業する頃には、兄やトバリのように泰然自若とした振る舞いが身についているのだろうか――アカデミーの授業風景を思い返す限り、そうは思えない。アカデミーなんて、同級生も、上級生も、教師に至るまで馬鹿ばっかりだ。
 父母や兄、シスイさん、トバリのような、優秀で、完璧な忍者は一体どこで何を学んで育ったのだろう? 自分も早く皆みたいに、優秀で、完璧な忍者になりたいのに、なんだかままならない。焦りすぎだとは分かっていたし、兄が一際“特別”なのだとも分かっていた。でも、もしかすると自分も幼稚な同級生たちと何ら変わりない凡才の一人かもしれない――そう思う度に不安になる。
 だからこそ、トバリ相手に「チャクラコントロール教えてよ」とせがんだのだった。
 本当は父か、兄が良かったけど、二人とも忙しいし、サスケがアカデミーに入学して以来いつもピリピリしている。それに、最近の兄は予定を聞いても「どうだろうな」とか「人が足りなくなるかもしれないから、とりあえず詰め所にいないと」みたいに、曖昧な言葉で濁す。
 トバリは兄でも父でもないけど、サスケに予定を聞かれても、曖昧な言葉で濁したりしない。
 そうでなくとも、トバリに構って貰うのは簡単だった。前に貰った合鍵を使ってトバリの家で待っていれば良い。トバリは決して小さな侵入者を無碍に追い返すことはなかった。
 サスケがこの家の縁側で一人待っていると、トバリは弾むような足取りで帰ってくる。サスケにとって“一体いつ、トバリはどうやって自分が待っていることに気付くのか”は大した問題ではなかった。サスケにとって大事なのは、トバリが自分をとても好いているという事実のみ。
 誇張はぬきに、トバリはサスケのことが大好きだった。自分といるときのトバリは特別嬉しそうだし、はしゃいでいて、サスケに何かねだられると大喜びで応じようとする。兄は「ああいう生き物はお前のためにならない」と言うが、サスケはトバリのことが好きだった。便利だし。
 何より大好きな兄と親しくて、両親からもとても信頼されている。本来のサスケの門限は五時だけど、予め「今日はトバリんちに泊まる」と連絡しておけばフガクもミコトも五月蠅く言わない。
 不味い食事にさえ目を瞑れば、トバリの家は快適なシェルターだった。
 このところ家庭内の空気が悪いのもあって、今日はチャクラコントロールを教わるついでに泊めて貰う予定だった。しかし、流石のトバリも今回ばかりは安易に頷かなかった。

 兄から何か注意を受けたのかもしれない。
 兄は自分にも他人にも厳しいが、何故かトバリには人一倍厳しい。おまけに冷たい。
 二人のやり取りをみてると“よく友人関係を維持してきたな”と思わされる。多分トバリがサスケのことを好いて付き纏うのと同じに、自分が産まれる前は兄の後を付いてまわっていたのだろう。同じに優秀とはいえ、寡黙な兄と陽気なトバリが親しくなる切っ掛けは幾らも浮かばなかった。
 まあトバリが兄のことが好きなら、サスケはそれはそれで構わない。でも、いつもなら兄より自分を可愛がってくれるのにと、そんな風に思う。こんな時ばかり兄の肩を持つのは面白くない。

 書庫に降りる道々、トバリは「教育過程から剥離しすぎてはいけない」と口にした。
 そうは言っても触りぐらいは教えてくれるんじゃないかと思っていたのに、トバリが差し出したのは投擲術の指南書だけだった。いや投擲術だけではない、体術、手裏剣術……ありとあらゆるハウツー本が積まれていく。自分のオーダーに掠りもしない本の山を前に、サスケは当然不貞腐れた。何となれば、トバリが差し出した本は全部「お前ぐらいの年に読んだものだ」と言って兄がくれたものだったからだ。疾うの昔に読破して、すっかり読み飽きてる。何なら、諳んじることも出来るだろう。サスケは面白くない気持ちになった。チャクラコントロールについて教えて貰えないことが不満なのではない。いや当初はそれが不満だったのだけど、今は詰まらない疎外感に不貞腐れていた。思いがけないところで兄とトバリの睦まじさを見せつけられたようで、面白くない。
 そりゃ、トバリはサスケの幼馴染ではなく、兄の友だちなのだ。それは承知している。
 トバリの家はアカデミーの帰り道にあって、サスケにとって通いやすい。しかしサスケの家はトバリの家どころか街区を越えて、アカデミーの遥か遠方に設けられたうちは一族の居住区画内にある。トバリの家とサスケの家は、単なる“幼馴染”とは言えないぐらい離れていた。兄の存在なくして、サスケはトバリに出会わなかっただろう。だからサスケの幼馴染ではなく、兄の友だちなのである。なんだか、面白くない。露骨にへそを曲げた弟分に、トバリは幾らか困った顔をした。
 トバリはサスケに甘々なので、サスケが不貞腐れたり、気分を害すると、露骨に狼狽える。ちょっと面白い。でも、それで――サスケの機嫌を取ろうとして――「良いものを見せてあげよう」という台詞と共に、ゴミみたいなメンコを手渡すのだから、何を考えて生きているのかわからない。

「ほら、サスケ」
 メンコを引き出しに収めた指が、懲りもせずまた別のゴミをサスケに手渡す。
「ベーゴマ。青錆だらけだから、服を汚さないよう気を付けなさい」
 宣言通り、その白い指先には青々とした鉄の粒が摘ままれていた。
 トバリの指は、常日頃から凶器を繰って、人を殺しているものだとは思えないほど綺麗だ。
 その指に汚物が触れているのが嫌で、サスケは思い切り顔を顰めた。パッとベーゴマを奪い取って、固く握る。「ゴミ以下じゃん。これ、上いって捨てるから。そのほうが良いよ」子どもにでも言い聞かせるようにして、サスケは了承を取ろうとした。トバリは手を差し出したまま何も言わず、ただニコニコしている。サスケは、そういう風にされるのが苦手だった。微笑したまま何も言わないトバリを前にすると、自分の詰まらない意地や去勢が見抜かれているみたいに思える。
「……こんなの、絶対に捨てたほうがいいのに」
 ぼそっと負け惜しみを漏らしながら、拳を緩めて、あどけない掌にベーゴマを遊ばせた。
 サスケの指は、トバリの指よりずっと小さくて頼りない。その指で、ベーゴマの表面を乱暴に擦る。慌てたトバリが「手が汚れるよ」と綺麗な指でサスケの手に触れて、青い汚れを撫でた。
 白くてすらっとしていて、綺麗なトバリの指。それがサスケの掌の汚れを吸って、斑に青くなる。その青は全部自分の汚れだと思うと、さっきのように嫌な気持ちにならなかった。
 手のなかのベーゴマを、自分の汚れを拭おうとする指ごと握りしめる。サスケは全身の力を抜いて、ぐったりとトバリに持たれた。サスケが床に崩れ落ちないように、トバリが抱きとめる。

 小さい頃から、サスケはトバリに触られるのが好きだった。トバリに触れるのが好きだった。
 時々フワフワの毛布に埋もれた冬の朝のように、触れてるところから自分の体のなかに取り込めたら良いのにと思う。でもトバリの指の温度も、その感触も、他のもので喩えることが出来ない。
 トバリの触れ方はこの上なく優しい。きっと、この世界にトバリの指より優しいものはない。
 サスケは物心ついたときから、ずっと、女の子の手は全部トバリの手と同じで、とても優しいものだと思っていた。喩え手裏剣やクナイを扱っている時でも、トバリの手は決してサスケを傷つけない。トバリが手裏剣の名手であることと無関係に、サスケは女の子は“そういうものだ”と思っていたのである。しかし、それはサスケの勘違いだった。つい先日、くノ一クラスとの合同演習があった。その内の一人が明後日の方向に放った手裏剣によって怪我を負わされたのは記憶に新しい。
 やはりトバリの手に対する信頼は、そもそも彼女が優れた忍者だからなのだろう。
 ただトバリと同じく、いやそれ以上に優れた忍者であるイタチは、サスケに怪我をさせることがままある。“ままある”というか、“はしゃいだサスケが勝手に怪我を負ってしまう”と言ったほうが正しいのだが。里で一番優秀でカッコよくて優しい兄の前で、サスケは如何しても無茶をしたくなってしまう。そう考えると、トバリといる時はサスケも自然体でいられるのだろうか。
 よく分からないけど、“トバリといる時に気を使うのは決まって自分の方だ”とサスケは思った。この少女はサスケが詰まらない怪我を負っただけで「痛くないか」「大丈夫か」と騒がしいのだ。もし一緒にいる時に流血沙汰を起こしたら如何なるか分かったものではない。きっと死ぬ。
 今も、サスケの指が汚れただけで狼狽えている――自分の指だって汚れてるくせに。

「上にいって、手を洗おうか」
 トバリが自分の上着の裾を引っ張って、サスケの手を拭こうとした。
「良い」サスケは気恥ずかしさから、トバリの手を振り払った。「別に、後で良い」
 そう言って、あまり汚れてない左手でトバリの手を掴んで、開かせる。その手の中に、さっきよりかは汚れていないベーゴマを落とした。ベーゴマは白い掌に何の跡も残さず、ころんと揺れた。
「とっとくなら、少しは手入れしなよ。トバリってほんとズボラ」
 自分のことを批難するサスケに、トバリが目を細めて、眩しげに笑う。キラキラした笑み。
 その笑みを目にすると、サスケは、自分が凄く良い事をした気分になる。ミコトも、サスケがいい子にしてると、そういう風に笑ってくれる。でも母親の笑みは、キラキラというか、キラリという感じがする。落ち着いていて、優し気で、綺麗で、すごく好きだ。母親の笑みを見ると、サスケは満ち足りた気持ちになる。だからトバリの笑みを見ても、満ち足りて然るべきだと思うのに、なんだか足りない気持ちになってしまう。いい子でいるだけじゃダメなような、そんな焦燥感。
 いい子だね。やさしいね。サスケはえらいね。トバリに褒められる度に、嬉しいような、腹が立つような、そういう気持ちになる。それが何なのかは、今はまだ知らなくて良いと思う。

「サスケが時々拭いてくれる?」
 珍しく、トバリが甘える響きを口にした。
「書庫に入ってすぐの、この本棚の四段目にある置物……これをひっくり返すとスイッチがあるから、それを押したらこの引き出しが出てくる。書庫の鍵がどこにあるかは分かるよね」
 サスケが“どこにあるのか知っている”のは書庫の鍵だけではない。
 母屋の鍵も、倉庫の鍵も――冷蔵庫のなか、棚のなか、箪笥のなか――サスケはこの家のどこに何があるのか全部知っていて、家主の不在であろうと自由に出入りすることが許されていた。イタチでさえ、サスケがトバリの家の合鍵を持っていることは知らない。二人だけの秘密。

「ここは、二人の秘密だよ」
 トバリは掌にベーゴマを遊ばせながら、もう一方の手をサスケの背に回した。
 そのままサスケの小さい体を、毛布でも手繰るように抱き寄せた。サスケの旋毛に頬を寄せたトバリが目を瞑る。自分より年上で、自分よりずっと強い人が、縋るようにサスケを抱きしめる。
 サスケはこそばゆいような、苦しいような気持ちになって、きゅっと唇を噛んだ。
「母屋の郵便受けも、庭灯籠も、三つめの飛石も、この引き出しも、みんな君だけの秘密」
 囁くように、トバリが歌う。 
「全部教えてあげるから、私のみつけた秘密を大切にしてほしい」

 この邸を訪れる度に、トバリは色んなことを教えてくれた。
 母屋の郵便受けを覗くと見える、小さい鷲の落書き。庭灯籠の頭、火袋のなかにある、カラカラに干からびたドングリやビー玉の山。沓脱石から数えて三つめの飛石の下に埋められた、アカデミーの通信簿。この書庫に入ってすぐ右手にある本棚の四段目にある置物を弄ると出現する、隠し扉ならぬ隠し引き出し――そのなかに収められた、小さい鍵やベーゴマ、扉間の悪口だらけの紙片。
 みんなみんな、何もかも、全部、他人に伝えるまでもないことだった。
 ふと思い出したようにサスケを手招いて、含み笑いでサスケの手に握らせて、そんな風にして教えてくれた。大抵の場合、サスケはその“秘密”の無価値さに膨れたものだ。今日だって、そうだ。あんな御大層な仕掛けを施しておいて、その中にゴミしか入っていないとは思わなかった。
 トバリから教えられたものでなければ、一瞬で意識の外に弾き出されてしまう。トバリが教えてくれる“秘密”はそういうものだ。トバリと共有しているから、無価値なものでなくなる。この人が望むのなら、それが何であれ、大したものであるように扱おう。そう思う。

 サスケはちょっと手を伸ばして、引き出しのなかを漁った。
 最もゴミめいてボロボロの紙片を指先にひっかける。「これ、誰が書いたの?」経年劣化を差し引いても、凡そトバリの語彙に存在しなさそうな罵詈雑言が書き連ねられていた。
「私の父さまが書いたものだよ。父さまは、おじいさまと折り合いが悪くてね」
「どんな人だったの? トバリに似てる?」
「いや、私は大伯父さま――おじいさまの兄上に似てるらしいのだけど、大伯父さまとおじいさまは、なんていうか、全然似てなくてね。でも父さまはおじいさまの生き写しだったから……」
 要するに全然似ていないのだ。サスケは途端に、トバリの両親に対する興味を失った。

「本当に……本当は、あの人はどんなひとだったのだろうね」
 トバリらしくもないぼんやりとした声音を耳に、サスケは小首を傾げた。
 普段から含みのある言い回しを好むとはいえ、ごく幼い頃から任務をこなしていたトバリは私生活においてもハキハキ喋る。もたもたと要領を得ない話し方をする人間はまず大成しない。そんな有象無象の対極を行くトバリが如何してこんな、要領を得ない話し方をするのだろう。そう不思議に思ったのもつかの間、サスケはトバリが天涯孤独であることを思い出した。
 無人の家屋に何度も侵入していて今更“思い出した”も何もないのだが、“トバリにも家族がいた”という認識は新鮮だった。いっそ木の股から産まれてきたと言われても驚かないだろう。
 何せトバリは、サスケが物心ついた時にはもう今と寸分違わぬ優秀な忍だった。
 しかも(兄に劣るとはいえ)そんじょそこらの大人よりずっと強くて、頭も良い。何があろうと感情を露わにせず、落ち着いていて、大抵のことは難なくこなしてしまう。そんなトバリも、自分のように母親に駄々をこねたり、父親に甘えたりしていたのだろうか? 少なくとも、兄はそうじゃなかった。イタチがそうじゃないのだから、トバリだって、親に駄々をこねたり、甘えたりなんかしなかったに違いない。それに、トバリには血の繋がった家族なんて必要ない気さえした。
 サスケの母親とは実の母娘のように睦まじいし、気難しいことで知られる父親とも打ち解けている。何より、兄と一切血が繋がってないなんて……そっちのほうが有りえない。
 小さい頃、サスケはトバリが実姉だと信じて疑わなかった。陽が沈むと、何故かトバリだけがどこかへ消えてしまう。家から締め出される姉が可哀想で、帰ろうとするトバリに縋ってよく泣いた。今となっては黒歴史だけど、でも、やっぱりトバリの家はここじゃない気がする。よしんばトバリの家がここなのだとしても、自分たちがいるのだから、トバリに本当の家族なんか要らない。

 自分たちよりトバリに近しいものは皆なくなってしまえば良いと思った。
 トバリがこの無人の家屋で暮らす現実に安心した。

「まあ、どうも身勝手なひとだったのだろうね。家には滅多に帰ってこなかったし――」
 サスケは、トバリの声ではっと我に返った。何故だが、指先の紙片はゴミらしさを増していた。
 色々と考えるうち、知らず知らず指先に込めた力が強くなっていたらしい。正直このままぐしゃっと丸めて捨てたいのだが、トバリの手前そんなことは出来なかった。トバリが悲しむ顔は見たくない。仕方なく紙片に寄ったシワを伸ばしながら、そっとトバリの様子を窺い見る。
「……父さまの顔は、写真でしか見た覚えがないんだ。何せ、口を利いたこともなくてね」
 サスケの視線の先で、トバリは安らいだ笑みを浮かべていた。
 母親はいない。父親の顔も直接見たことはないし、喋ったこともない。トバリはそう、はっきりと口にした。今までの蒙昧な調子が嘘のように、キッパリとした声音だった。そこには深い悲しみか、もしくは失望があるのではないかと、サスケは思った。でもトバリの顔は酷く落ち着いていて、何の感情も窺い知ることが出来ない。どこまでも凪いでいて、穏やかで、かなしい。
 サスケは、トバリに家族なんて要らないと思ったことを後悔した。

『全部教えてあげるから、私のみつけた秘密を大切にしてほしい』
 誰も、トバリに自分の秘密を教えてくれなかった。
 駄々をこねる相手も、甘える相手も、最初からトバリには誰もいなかった。
 誰もいないから、トバリは自分一人で如何にかしなければならなかった。誰もいないから、大抵のことは自分で如何にか出来ないとならなかった。トバリにとっては、それだけのこと。トバリには、それが悲しいことだとも分からない。トバリは、家族が如何いうものか知らないのだ。
 自分と同い年のトバリが――自分より小さいトバリが独り、この広い屋敷のなかで家族の面影を探す。今のトバリと似ても似つかない、その頼りない後ろ姿が容易に想像出来た。
 なんだか胸が苦しくなって、サスケはごくりと唾を飲んだ。紙片を握る手には力を入れずに、ぎゅっと体を強張らせる。トバリがちょっと困った顔になって、サスケの背を擦る。
「サスケ、きみが泣くことは何にもないんだよ。寂しいことなんて何一つなかったのだから」
 ぼろぼろと頬を伝う涙を拭って、サスケは頭を振った。トバリは向きを変えて、サスケの体を両腕で抱きしめる。最早サスケの手のなかにある紙片がどうなろうと知ったこっちゃないと言わんばかりだ。事実トバリの胸に押しつぶされて、グチャグチャになってしまっていた。
「勉強しろと叱る親もいないし、どんなに散らかしても、何をしても怒られない。猿飛先生や親戚の皆もとても良くしてくれた。気ままで自由で、君が思ってるよりずっと楽しかったんだよ」
 トバリの腕の中にすっぽり収められたサスケには、彼女がどんな顔をしているか分からない。
「きみは本当にひとの痛みが分かる良い子だね。ほんとうに、やさしい子だ」
 別に、優しくなんかない。トバリの肩に顔を埋めて、サスケは思った。

 サスケが涙を流すのも、理解したいと思うのも、その“痛み”がトバリのものだからだ。

 第三次忍界大戦が終結してから大分経つとはいえ、いつまた戦争状態に突入するか分からない。些細な事で命の価値が変動する隠れ里において、天涯孤独の身の上は珍しいものではない。忍者の殆どは若くして、里の為に命を落とす。それが正しい忍者の在り様なのだと、フガクは度々口にする。仮にも忍者を志すなら、有り触れた悲しみに囚われるより、自分が為すべきことを考えなければならない。幼いなりに、サスケにも父が言わんとすることが分かっていた。
 父と兄は、他人の不幸や悲しみを憐れむことはあっても、深く同情することはない。増して、決して泣いたりしない。だからサスケもやたらと他人の悲しみに囚われないよう気を付けてきた。苦労の甲斐あって、今となっては親戚が死んだとか、親を喪った同級生が里を出てくと知っても「大変だな」と思う程度で済む。不運にもあと五年近く下忍になれないけど、自分もいよいよ忍者らしくなってきたなと思っていた。それなのに、今、如何しようもなく胸が苦しい。

「良い子だね。私の、一番の宝物。大好きだよ……だいすきだよ」
 サスケをあやす声は、どこまでもやさしい。サスケはトバリの声に慰められるのが好きだった。
 慰められることだけじゃない。触れられることも、見つめられることも、笑いかけられるのも、手招きされるのも、何もかもが好きだった。“そこ”にこの人が欲しかったものがある気がして。
 
 
 私の一番の宝物。大好きだよ。
 そう言って抱きしめて欲しかったのは、幼い頃のあなたじゃないの。幼いなりに分かっていたけど、言葉にした途端にトバリの全部が自分のものでなくなってしまう気がして黙っていた。

 それがたった一つ、幼い自分があなたに教えなかった秘密。
 

秘密の行方

 
 


花骸のこどもたち