花骸のこどもたち
20 地中のゆりかご

 

 大陸北部――火の国上方に位置する“空区”の果て、鉄の国。
 三狼と呼ばれる三つの山からなるばかりか、一年を通して雪が降り積む寒冷地だ。一応土地が痩せているなりに、キャベツ・ホウレンソウなどの寒冷地農業に適した作物を育てているのだが、それでも食料自給率では他国に劣る。しかし農業以外にも漁業や林業、刀鍛冶をはじめとした工業面に力を入れているので、単純な国力では火の国にも引けを取らないだろう。尤も鉄の国が独立を……それも中立国を気取っていられるのは、国力に富んでいるからではない。
 侵略者的視点から値踏みすると、鉄の国は所詮“その土地固有の名産物があるわけでも、名だたる人材を輩出する一族が暮らすわけでもない、深い雪に閉ざされた不毛の地”。増して、特別攻撃的なわけでもなかった。遺恨がない代わり、富もない。そんな国と争ったところで、悪戯に疲弊するだけなのは自明の理。そういう背景故に、鉄の国は“永世中立”を声高に喧伝出来た。

 国家の様相を呈していない放棄地ではあるものの、空区も鉄の国と同様の中立地帯である。
 空区に立ち並ぶ廃墟群は、火の国・滝隠れの里・田の国による分割統治時代の名残だ。元々空区から先の北方半島は土地こそ痩せているが、水源は豊富である。そこに、第一次忍界大戦に前後して鉱山が見つかったことで周辺三国から人が集まり、あっという間に鍛刀地として成立した。鍛冶師・武器商人とその関係者たちで構成された自然村は後に“鍛の里”と名付けられる。
 火の国は滝隠れと友好関係を結んでいたし、田の国も国力差故にあからさまに不仲だったわけではない。三国による分割統治は円満で、火の国という大国を後ろ盾に鍛の里は“流通の要衝”と言われるほど発展した。雨後の竹の子に負けず劣らずの勢いで建物が増え、人口が増す。しかし際限なく膨らむ人口と違って、鉱脈は有限だ。時間を置けば増えるというものでもない。

 大陸北部は寒冷地である。夏が短く、冬は寒い。
 それも田の国程度の気候なら返って良い米が獲れるのだが、北方半島は土質もさることながら気候的にも農耕に向いていない。露地栽培はまず不可能。ビニールハウス栽培を試すほど熱意のある農家は鍛の里にやってこなかった。何故と言えば、大陸気候は温暖で、北方半島と雷の国と土の国の一部を除いて雪は降らない。大陸の人間は原則的に寒さにめっぽう弱かった。ただでさえ初期投資の回収が見込めるかどうかも危ういのに、誰が好き好んで寒い里にやってくるのか。
 殆どの食料品は輸送費が上乗せされて高い。閉山後は無論、武具の材料となる鉄鉱石を余所から仕入れなければならない。それまで原材料費だけで済んだものに、輸送費が上乗せされる。吹雪が来ようものなら平気で一月二月、物資輸送が滞る。さむい。さむい。めっちゃさむい。ヤバイ。
 極めて博打要素の高い資源を軸に繁栄した鍛の里は、たった八年で消滅した。
 鍛の里のような、泡沫的かつ実験的な都市作りが各地で横行した遠因も隠れ里システムにある。

 木ノ葉隠れの里は、千手一族とうちは一族の連盟組織に端を発する。
 千手とうちは、その二つの一族が幾ら火の国で一二を争う有力な忍一族とはいえ、互いに与えられた領地は微々たるものだった。休戦協定と連盟締結を重ねて“合併”の運びになったとはいえ、国家にしてみれば村とも呼べない小規模な組織である。しかし、そこに猿飛一族、志村一族、奈良一族……多くの忍一族が混ざることによって、急速に領土を拡大。連盟組織の共有不動産が集落・村を超えて“里”と呼ばれる規模になるまではあっという間で、昔ほど頻々でないとはいえ、“木ノ葉隠れの里”への帰化と拡大は設立から四半世紀ほど過ぎた現在も行われている。
 火の国上層部が“木ノ葉隠れの里”という忍一族の連合組織を認知した時には既に一組織として看過するのは不可能な規模であった。何も考えていない千手柱間は呑気に承認を求めたが、国家の脅威もしくは国家転覆を狙う逆賊と見做される可能性も全くないではなかった。
 結論から言うと、勿論、千手柱間の屈託ない提案は新たな火種とはならなかった。兄よりかは何か考えている千手扉間が「兄の手綱を握る必要はない」と判断した通り、大名は木ノ葉隠れの里を“地方自治体”として認め、その一切の自治を里長として定められた者に任せると公的に約束した。疾うに侍は前世紀の遺物となって久しかった当時、“忍無くして国家存続は不可能”という認識が当たり前だった。国家帰属を誓う軍事組織と争う理由も、力もなかったのである。

 一つ認めたのだから、同じ条件を満たした他を認めないわけにはいかない。
 従来の“行政区域”としての括りではなく、“一つの組織形態”としての里が多量に新設された。
 そうした新興里の最大の特徴は、里長が地方官僚の末席に組み込まれず、大名直下に置かれることである。無論国家の一員として果たすべき義務は決して少なくないものの、取引なり提言なり、国家元首相手に直接やり取り出来るのは非常に大きいメリットだろう。
 ただし里長による自由自治が認められる代わり、治安維持に即しても独力で解決することを求められる。勿論大した軍事力を有さない場合は国家行政機関に委託することも可能だが、その分里政に制限が課される仕組みになっていた。しかし、そうしたケースにおいては傭兵を雇うのが主流だ。自由自治を目的に里を興すのだから、金銭的解決を選ぶのは当然と言ってよい。
 隠れ里は一個の独立組織ではあるが、それと同時に一つの国家に帰属する軍事組織の側面をも併せ持つ。それ故、依頼時の契約書には戦争状態に陥った場合は任務を切り上げて国家の危機に備える旨が記されている。また、民間人が依頼する際は、任務達成まで半年以上掛かるだろう案件は予め断られる。そして長期任務は、喩えランクが低かろうと高い。ついでに、長期任務の際は帰里後の報告書作成だけでなく、任務中の定時連絡が義務付けられている。
 一々里内の機密情報を他里に報告する傭兵など、どこに雇う価値があるのか。傭兵として雇うなら、帰属権ごと買い取りたいと思う人間は少なくない。とかく忍者は傭兵に不向きであった。

 それではどこで“理想的な傭兵”を調達したらよいのだろう? その答えが鉄の国である。
 鉄の国の主な財源も隠れ里同様“人的資源”なのだが、隠れ里よりずっと自主性が強い。軍備を疎かにしているわけではないが、軍属の人間でない限り帰属先の選択は各自に委ねられる。
 なお独自性が高い代わりに所得税の税率も高い。金策の如何は問わないが、十八才以上の国民からは稼いだだけ税金を徴収する仕組みになっている。尤も、国が違えど経済事情はそう変わらない。火の国のみならず殆どの国では忍者は個人に掛かる所得税を免除されるが、民間人は隠れ里に住んでいようといなかろうと所得税を納めることが義務づけられている。

 殆どの財源には限りがあり、安定供給は難しい。
 鉱脈はいずれ掘り尽くされるし、農作物は天候と土壌に左右される。漁業・狩猟は無論、獲物として狙う魚や鳥獣が絶滅するほど獲ってはならない。一見安定して見える畜産にしろ、病の流行や出産率を完全にコントロール出来るわけではなかった。しかし“人的資源”はその限りではない。

 最初は、各大名とその流れを汲む者による内乱に過ぎなかった。
 自らが覇権を握るため、同じ国に産まれた者同士で潰し合う。自分より富んで、位の高い人間を殺そうを目論む。しかし貴人は決して自らの手を汚すことなく、遊戯盤の上に立とうとはしない。彼らは指先の“駒”が忍者だろうと侍だろうと、そのどちらでもなかろうと、ただ役に立つなら何でも良かったのだと思う。即物的思考と露骨な侮り。それゆえ彼らは忍者を好んで利用した。
 戦国時代末期の血で血を洗う混乱の中で、千手柱間の打ちだした“隠れ里システム”は大きなターニングポイントになった。国内の有力な忍一族がこぞって千手柱間に同調した結果、遊戯盤に乗せる駒がなくなってしまった。いや、それでも彼らの手元には自らの領地で育てた兵があり、侍を頼ることも出来た。千手とうちはの同盟によって内乱が収まったのは、大名たちが“忍術という圧倒的な力の前に、自分たちの渇望した覇権とやらは何の価値もない”と察したからだった。
 忍一族が“その気”になりさえすれば、国家転覆なぞ朝飯前だ。優れた忍者なら、たった一人でことを為すことも不可能ではない。机上の空論ではなく事実として、忍術は容易に国を亡ぼす。
 忍一族が大名以下、チャクラを使いこなせない一般人に金で雇われるのは、彼らに劣るからではない。忍一族に産まれた者はごく幼い頃から厳しい修練に励み、青春期においては先祖代々伝わる秘術の会得と発展に時間を費やし、やがては強者との命を賭したやり取りのなかで没する未来を疑いもせずに日々を生きる。無論畑を耕す暇も、魚を獲る暇も、家畜を飼う暇もない。“絶対嫌だ”というほどではないが、“出来れば修行ついでに生きる糧を得られれば良い”と思うのは極めて自然だろう。彼らは自分以外の財源に費やす手間を惜しんで、一般人に飼われることにした。
 “飼い主”は誰でも良い。可愛がってくれるひとであれば懐くし、善人でなくとも最低限こちらを尊重してくれれば従おう。しかしあまりに愚かな飼い主に飼われたくはない。
 確かに最初は、各大名とその流れを汲む者による内乱に過ぎなかった。しかし、その“最初”のずっと前から主従関係の主導権は忍一族の側にあったのだ。大名たちは自分が立っている床に引かれた直線が盤上のマス目に酷似していることに気付いて、あらゆる荒事から手を引いた。

 戦国時代末期、並み居る政敵を退けて火の国の大名となった男は傍系の産まれである。
 豊かな領地を与えられていたわけでも、機知に溢れていたわけでもない。ただ一応公家の末席に身を置く都合上“何が何でも勝たなければならない戦”があって、数度千手を雇った。その際、まだ若い千手兄弟と一言二言交わした。彼が大名の座を勝ち得た理由は、それだけである。
 忍一族は幾ら活躍したところで家臣として取り立てられることはなく、契約期間が終われば雇用主に何の義理もない。その気ままな立場を利用して、扉間は御しやすい好人物を探した。
 政敵どころか家臣たちにさえ“万が一にも大名の座にはつかないだろう”と軽んじられていた“彼”は、扉間の知る限り大名系譜に記された者のなかで最も温和な気性の男だった。
 彼にとって千手一族は立身出世の恩人であり、千手一族主導の連合組織には端から何の危機感も抱いていなかったのである。戦国時代が終わると共に大名職は本来の世襲制に落ち着いた――というか、無理やり落ち着かせたため、当代大名が木ノ葉隠れに抱く好感情は強烈かつ根強い。

 人が好いだけの傀儡は千手柱間が望むだけの権利を木ノ葉隠れの里に認めた。
 今後如何なる法統治が敷かれようと、忍者の生死、その人権については各々の属する隠れ里に委ねられ、国家は一切関与しない。各国隠れ里との外交の場に国家要人を必要としない。飽く迄“結論”は大名殿で出すものの、対隠れ里外交の最中で成立した越権行為は国家への帰属意識が見受けられる場合に限り黙認する。一応“越権行為”とは言うものの、建前に過ぎない。茶番である。隠れ里システムが成立すると同時に、世の中には“合法的治外法権”という矛盾が産まれた。
 たかが地方公共団体の長に、国家元首相当の権力とそれを上回る軍事力が集約している。どれだけ大名以下、真っ当な家臣が自分たちのみで国を回そうと四苦八苦したところで隠れ里に頼らなければ暮らしていけない。そういう社会構造が闇に包まれていた時代は戦国時代が最後となる。
 千手柱間は隠れ里システムに望みを託したが、或る意味では隠れ里が成立した時点で更なる戦火は確約されていたのかもしれない。隠れ里システムは忍界のみならず様々な方面に影響を与えた。
 
 凡そ、資源と言うべきものは八種類に分けられる。
 水資源。鉱物資源。森林資源。水産資源。海底資源。海洋資源。観光資源。エネルギー資源。
 戦国時代が終わり、同国内の忍一族の連盟からなる隠れ里システムが普及すると、それまで暗黙の了解として主軸に据えられることがなかった人的資源が大々的に利用されるようになった。
 例え資源に乏しい国であっても、優れた忍者を輩出することで外貨が稼げる。一人の力で国を豊かにすることも出来る。人々は同国内で奪い合うのを止め、他国から奪うことを覚えた。

 はじめは小さな祈りだ。
 家族を飢えさせたくないとか、ちゃんとした医師に診せたい、温かな寝床で休ませたい。愛するひとに何の苦痛もなく、幸せに笑っていてほしい。彼らが平和に年を取っていける未来が欲しい。自分が望んだ人と屈託なく過ごしたい。その何もかも微笑ましい、無垢なる祈り。
 隠れ里システムがあらゆる忍一族にとって希望だったのは言うまでもない。しかし人的資源が一番役立つ事業が“戦争”である時点で、千手柱間の夢見た未来は絶望と表裏一体の“業”だった。
 業と化した時点で罪なのか、それとも遅かれ早かれ絶望をまき散らすなら、祈った時点で罪なのか。一つの祈りが結実した暁に一つの地獄を産むのなら、その“願望”を如何するべきだろう。

 ……人々は果たして、あの渇望を如何するべきだったのだろう?

 青々とした海洋の中央に横たわる大陸は、五つの気候帯が複雑に混ざり合う広大な土地だ。
 鉄の国を最北端に頂く北方半島は人が住むのに些か不向きではあるものの、一応は春夏秋冬ぐるりと季節が巡る。冷たい大気は火の国方面へ南下するに従ってぬかるみ、湯の国・田の国が群れ固まった草原地帯へ差し掛かろうかというところで雨雲をもたらす。それは、雨隠れの苛烈な豪雨とは違う豊かな降雨だった。山脈を潤し、地中から溢れた水は山肌の上を滑って山麓へ向かう。
 異なる径路を伝って下りてきた支流は糸を縒るようにして束ねられ、やがて人々から中央大河と称される奔流を南方に走らせる。火の国を横断した後は川の国へ下り、海に放出される。

 川の国は中央大河の支流が最も多く、古くから操船技術に長けた一族を有してきた。そうした一族は運送業を営む他に漁船を操り、川は勿論、沿岸・沖合含め国内のありとあらゆる水場で漁を行う。大陸一の水産国と名を馳せる川の国は、その高度な輸送技術もあって河川沿いに多くの魚河岸・青果市場を抱えている。河川水運を軸にした運送業は各国の陸路輸送構造が発展するに従って縮小傾向にあるとはいえ、川の国が内陸輸送の覇者であることに変わりない。
 強大な軍事組織を有さない小国は、原則的に大名以下民間人に至るまで同盟関係にある国としか交流を持たない。友好国の人間でない限りまず査証が発行されないため、友好関係にない国の人間が入国するには国境警備の穴を突いて無法侵入を図るのが一般的である。尤もきな臭い昨今、無法侵入はそう珍しいことではない。各国首脳も忍者たちが己が任務のために査証なしに入国してるだろうことは織り込み済みで、事が起こらぬ限りは“知らんふり”を決め込んでいる。しかし鉄の国に劣るとはいえ“中立”寄りの川の国に限っては例え友好国の人間であっても、本人含めその三親等に軍事関係者がいる場合は査証が下りない。自国内に隠れ里を有するが故の余裕だろう。勿論川の国側から要請を受けるか、もしくは大名直々に許可が下りた場合は別だが、前例は少ない。
 ただし国籍に関係なく、飲食関係者は比較的容易に査証を得ることが出来る。特に大口の輸入業者であれば事業所単位の審査となるため、ガバガバと言っていい。勿論“信頼”が損なわれることがあれば連帯責任を取らされるものの、逆を言えば川の国にバレさえしなければ良いわけだ。
 名実ともに“流通の要衝”として賑わう川の国には、時期を問わず多くの食品業者が入れ代わり立ち代わり買い付けに訪れる。その“食品業者”のなかには川の国経由に他国へ不法侵入しようとする間諜が少なくない。カンヌキも、そうやって他国に侵入する間諜の一人だった。

 彼が他の間諜と一線を画す理由に、里外で真っ当な貿易会社を経営していることが挙げられる。
 極めてマメな彼は間諜任務用に里から貰った外部戸籍の他、任務に巻き込まれて死んだ一般人やチンピラの戸籍をも有する。後者については完全に違法行為なので公にしていないが、暗部の一部――ダンゾウはよくよく理解した上で、“根”から数人の訓練生を貸与していた。
 幾ら放浪癖があったとしても、それまで懇意にしてきた人間と一切の連絡を経つのは不自然である。そのため入念にその人物像と交友関係を洗った上で少しずつ交友関係を狭めていき、最終的に“便りがないのは良い便り”状態に持っていくわけだ。大抵の人間関係はパターン化しているので、そう難しい作業ではない。ただ、それが十数人となると流石にカンヌキ一人で如何にか出来る問題ではなくなる。そこで、ダンゾウから借りてきた人間に自分の代わりを任せるのだ。
 感情のない根の人間は忍術や体術こそ大したものだが、対人スキルが全くといってない。ダンゾウにとっても、カンヌキが自分の部下に間諜技術を仕込んでくれるのは有難い側面がある。
 彼らは一月ほどかけて一般人に溶け込む術、自分が演じる人物の人となりを学んだ後、カンヌキの“代理”を務める。なお“適性”があると見做された場合は、任務終了後もカンヌキの経営する会社の従業員として、そのまま公的な――とはいえダンゾウの独断によるところが強いが――間諜任務に回されるのが常だ。カンヌキは“根”の一員ではないが、彼の組織との癒着は深い。

 多くの手間と人材を掛けているだけあって、カンヌキは優秀な間諜だった。
 彼はありとあらゆる場所に知人がいて、彼自身も両手の指に足らぬだけの仮面を演じ分けることが出来た。大した忍才を有さない代わり、己の労苦を惜しまないカンヌキは世情に通じていた。

 隠れ里の勃興期、人々はただ千手柱間をはじめとした才能ある人間に牽引される。
 それで良かったのははじめの十数年。当時を知る忍が死に絶え、もしくは現役を退くと、後には強烈な光に焦がれた秀才――決して凡才なわけではないが、“決して千手柱間にはなりえない”――そういう種類の呪いに囚われた者たちばかりが残される。二代目火影・千手扉間の死後、いよいよその呪いは色濃くなり、勃興期にまだ幼児だったヒルゼンを度々悩ませた。
 そうした状況で、恐らく“強烈な光”に慣れたカンヌキは使い勝手が良かったのだ。中途半端に忍才があるわけでもないカンヌキは、凡才には凡才なりのやり方があることをよく知っていた。
 カンヌキはヒルゼンたちが知りたがっていた処世術をよく知っていたが、それだけだ。
 カンヌキと付き合いの長い大蛇丸には、彼の正体がよく分かっていた。カンヌキはふつうの男である。その感情の発露も、忍才も、その何もかもが成人男性の平均に沿う。他人より秀でているのは忍耐力と洞察力のみ。隠れ里においては珍しくもない“努力家”の一人だった。その凡才が、分不相応の汚濁に塗れていくのは傍で見ていて面白いところがある――と、大蛇丸はそう思っていた。
 カンヌキは別に心に誓った大望があるわけでも、特定個人への深い憎悪があるわけでもない。
 ただ、闇中を手探りで歩くのが上手かった。努力家だった。彼なりに里を愛していた。偉大な父親への対抗意識もあった。その全てが鎖となって、彼は日の下へ行くことが出来なかった。

 カンヌキにとって、自分の境遇の何もかもが不運だった。
 本来人生の導き手となってくれるはずの兄たちは年が離れていたし、早々に殉職した。優しい母は病気がちで、やはりカンヌキが幼い頃に亡くなってしまった。後に残された家族は、兄たちを見殺しにし、母が危篤の時も里政を優先させて帰ってこなかった父一人きりである。
 カンヌキは父親が嫌いだった。そして父親も、血縁関係にある凡才を愛そうとはしなかった。
 “隠れ里”で産まれたカンヌキには、父親に構って貰った記憶などない。二代目襲名以前から、父親は多忙だった。父親は常に家を空け、火影屋敷を拠点に方々を飛び回っていた。その薄情さを詰るでもなく、カンヌキ以外の家族は週に一度帰ってくるか来ないかの父親を大喜びで出迎えた。大黒柱の帰宅に賑々しい家のなかで、カンヌキだけが“父親”という名の他人を持て余す。
 皮肉なことに、カンヌキは容姿だけでなく、声も、口下手なところまで父親によく似ていた。共通の話題が一切ない他人と話が弾むわけもなく、稀に父親が話しかけてくれても碌な返事が出来なかった。それを“気まずい”と思ったのか、いつからか父親はカンヌキと直接話そうとはしなくなった。二人きりの家族になるまで、父親とカンヌキの会話は必ず家族の誰かを介して行われた。
 カンヌキと父親の父子関係は極めて希薄だった。カンヌキは父親が嫌いだったし、父親も末子を愛していなかったのだと思う。そもそも三人も子どもを作ったのは娘が欲しかったからだと、母親から冗談交じりに聞かされたこともあった。恋愛結婚で結ばれた両親は睦まじく、例え自分と同じく――そう思うことで、当時のカンヌキは平静を保っていた――無能だったとして、母親によく似た兄二人が父親に愛されるのは当然の帰結だった。カンヌキは要らない子どもだったのだ。
 半ば本気で、カンヌキは自分だけが父親に愛されていないと思っていた。
 母と兄たちに囲まれた父親が目を細めて笑う。アカデミーの視察に来た父親がカンヌキを一瞥するでもなく、教職員と語り合う。演習場や街中で、才能ある若い忍たちを率いた父親が不意に相好を崩す。カンヌキは誰より父親の気配に敏感だった。相反して、父親は誰よりカンヌキの気配に鈍感だった。父親の意識の外にいるという安堵から、カンヌキはよく父親の姿を遠巻きに眺めた。
 顔だちも声も背格好も嫌になるほど父親に似ているのに、その忍才だけが受け継がれていない。
 父親にとっても、父親以外の人々にとってもカンヌキは“出来損ない”だった。

 カンヌキは父親が嫌いだった。
 父親によく似た自分が嫌いだった。
 父親に似ているにも拘わらず忍才のない自分が許せなかった。

 エディプスコンプレックスの申し子とも言うべきカンヌキだが、彼は素直な子どもだった。
 富裕層独特のゆとりで、カンヌキはごく幼い頃から“客観的に見て父親が優れていることは事実だ”と理解していた。自分の感情を置き去りに、父親の言動を素直に出来る――そういう子どもだった。意図せずして、千手扉間の“客観的事実を重んじる性格”も受け継がれたわけだ。
 またカンヌキの母親は愛ゆえに自らの価値観を夫に合わせていた。結果、自他ともに認めるマザコンであるカンヌキは、遺伝と刷り込みによる強烈な帰属意識を有する。それもカンヌキにとって不運なことだった。父親と同じ価値観で生きるカンヌキには、心から父親を否定することが出来なかった。それに加えて、小手先の技術のみで重用される罪悪感もある。己の“義務”を全うするため、カンヌキはひたすらに自分を犠牲にした。それが正しいことだと思っていたからである。
 歪んだ承認欲求を抱えるカンヌキが自己正当化を図るには、“父と同様に里を愛する二代目火影の息子”という期待に応える他ない。その生死に関係なく、カンヌキは父親の影に縛られた。自分の時間は愚か感情さえ削ぎ取って任務に打ち込むにつれカンヌキの厭人癖は悪化していった。
 他人と関わらないということはすなわち隠密行動に適しているということだ。
 生真面目かつ卑屈なカンヌキは自己正当化に失敗すればするほど、使い勝手の良い道具になった。優れた忍者になれば父親への劣等感も消えるのではないか――そんな夢想を抱えて、父親の言うところの“理想の忍者”目指して更なる努力を重ねるからだ。無論、死者に認められることはない。カンヌキの生き様は、鼻先のニンジンを追ってひた走る馬とそう変わらない。
 自分より遥かに忍才に溢れて聡明だった父親を基準に生きるカンヌキは常に草臥れていた。

 カンヌキは自分を含め、“忍者”という生き物を心底嫌っていた。
 祈りあるところに地獄が産まれると言うなら、自己否定の塊とも言うべきカンヌキは楽園に産まれたも同然であった。自らの未熟を確信する彼に、何か祈るゆとりがあろうはずもない。
 母や兄たちのことは愛していたし、少なからず親しい友もいたが、それ以上に彼は不運だった。愛しいと思う気持ちも、快いと感じる気持ちも、全ては欺瞞でしかなかった。自分が本心からそれを愛しいと思っているのか、“そうするべきだ”という義務感から愛しいと思うよう努めているのか、区別が付かないのである。当然、喪った時のショックも微々たるものだった。泣きはするし、笑いもするが、カンヌキは空虚だった。ただ自分の命さえ如何でも良かったので、忍者として良い働きが出来た。結果が出た時の達成感だけが、カンヌキを心から安らがせた。
 これだけ我武者羅に働けば、誰かは「カンヌキもそれなりに優秀な忍者だった。里のために身を粉にして尽くし、最期は木ノ葉隠れの忍として立派な死にざまだった」と認めてくれるだろう。

 随分長いこと、父親のように里に殉じることだけがカンヌキの“祈り”だった。
 多分、いつまでもそのまま、胸の穴を埋める“何か”があると気付かないほうが幸せだったのだ。
 

 
 雨隠れの南端、川の国との国境近くに深い渓谷がある。
 雨隠れには珍しく水源・自然が豊かで土地が肥沃なことから、ほんの数年前まで渓谷を中心に農村が点在していた。しかし谷底に毒蛇の群生地があるのも関係して、水脈が涸れると人々は渇水の原因を調査するでもなく移住した。逞しい国民性と言えば聞こえがいいものの、国の助けを期待できない雨隠れの住人は移住に慣れている。連続して起こった忍界大戦の影響で、雨隠れの里は大幅に国力を削がれた。社会資本整備の手を地方に回す余地がない関係上、人々は一度“住めない”と見るやあっさり自らの住居を放棄する。そういう背景故に、単なる毒蛇の巣と化した渓谷へ立ち寄る者はなく、付近を通るのも川の国を目指す隊商のみとなった。無水にして無人の場所である。
 その谷底――毒蛇の巣である沼地のど真ん中にカンヌキの隠れ家があった。
 作り自体は雨隠れの里によくある半球体の家屋だが、入口周辺に散らばった毒蛇の死骸や、建売住宅をそのまま持ってきたかのような真新しい外観が異様な雰囲気を醸している。研究施設を地下に格納しているとはいえ、誰の目にも不審な建物として映るだろうことは明白だった。それにも拘わらず一切の偽装工作を行っていないあたり、立地に驕っている様子が露骨に伝わってくる。簡単な結界ぐらい張っておけばよいのにとは思うものの、大蛇丸はこの研究所を気に入っていた。
 カンヌキの息の掛かった隊商に紛れれば、川の国伝いに他国に侵入出来るし、山間部を突っ切ればすぐ火の国だ。谷底はそれなりに広いため、マンダの躾も行える。長年の調教にもめげず全く大蛇丸に忠誠を誓う気配のないマンダだが、ここで躾けるようになってからどちらが上か身に染みて覚えた。調教の様子を眺めていたカンヌキに「君は人徳がないだけでは飽き足らず、蛇にさえ嫌われるのか」と言われたのは腹立たしいが、大蛇丸はそれなりにここを気に入っている。
 何より、大蛇丸はこの隠れ家の地下ですくすくと育つ命に夢中だった。

 地下に格納された研究施設へ降りるには、客間のクロゼット内にある隠し階段を使う。
 一応一般人には分からないようになっているが、偽装工作を行っていないのと同じで熟練の忍者であれば見つけるのは容易である。無事に第三次忍界大戦が長引けば良いが、計画倒れに終わった場合まず間違いなく何故長期に渡って里を空けたのか不思議がられる。ヒルゼン自ら調査に乗り出せば、幾らダンゾウでも庇いきれるものではない。もしそうなったら、カンヌキは如何するつもりなのか――まあ何も考えていないのだろう。よくあることだ。上下関係故に任務中はカンヌキの作った“大穴”をペタリコペタリコと埋めることにしていたが、隠れ家内はプライベート空間である。この泥船に自分の名前が彫られているわけでもなし、大蛇丸はカンヌキの意向に口出ししないことにしていた。飽く迄大蛇丸が関心を向けるのは、カンヌキ自身ではなく、彼の研究内容だけだ。
 どれだけ幼稚な泥船だろうと、沈む時に自分が乗り合わせていなければ何の問題もない。
 階下は長方形のシェルターとなっており、元々一部屋しかないものを二つに区切って使っていた。二部屋だけとはいえ中は広々とした作りで、下りてすぐ右の壁際に人体を収めた生命維持装置五台を設置してもまだ余裕がある。左方には精密機械の他、書棚や作業台、簡易コンロまでもが並んでいた。冷凍設備やカンヌキ個人の研究成果のファイリングは奥の部屋にあるが、大蛇丸は滅多なことでは入れて貰えない。どの道冷蔵庫なら手前の部屋にもあるので、柱間細胞は好きに弄ることが出来た。まあ、柱間細胞の持ち帰り不可で、住居部に戻る前に入念なボディチェックを受けるのが残念と言えば残念だが、それ以外は取り立てて不満もない。寧ろ個人所有と考えると法外に金のかかった設備と言える。カンヌキが死ぬ時は謝礼金代わりに一部チョロまかそう。

 人の往来がない僻地の、その更に地下に位置するだけあって、シェルター内は静かである。
 シェルター内に天井照明は設置されておらず、鉱物を利用した間接照明が点在していた。作業台の上に置かれた鉱石ランプ。ブックエンド代わりに戸棚に仕舞われた方曹達石。土の国に滞在した時の“余剰在庫”と思しき蛍光鉱石群が、部屋のそこかしこに転がっていた。
 流石に臨床実験の際は電気照明の利用を許可してくれるものの、「僕は雷遁が苦手だから、使いたいなら自分で蓄電しといてね」と真に吝嗇である。「ひとには向き不向きがある」という安い言葉で隠れ家の電力供給源として定められた大蛇丸は、時々“何故こいつに自分のチャクラの使い道を指示されねばならないのだろう”と思うことがあった。相手がカンヌキでなければ即座に殺している。いや、別に殺してしまっても良いのだが、何やかやで殺すのは躊躇われた。謎だ。
 兎に角、そういう明文化し難い“何やかや”のおかげで、シェルター内は仄暗い静寂を保っていた――部屋の中央に位置する、円柱状の生命維持装置が立てる泡音を除いては。

 生命維持装置の管内は人工羊水に満たされ、薄暗い室内に黄緑色の光を放っている。
 コポコポと大気を揺らす泡音も、薄惚けた色彩で暗中に浮かび上がる色彩も幻想的だ。しかし、どれだけロマンチックに表現したところで、そのガラス幹には一匹のオッサンが張り付いてる。カンヌキだ。ここに居るのが大蛇丸だから“無事に生きてるな”程度で済むものの、何も知らない通りすがりのオッサンだったら「うわ、浮浪者だ! 家のとづまりすとこ!」ってなものである。まあ、そもそも“何も知らない通りすがりのオッサン”が入り込む余地などないのだが――それは兎も角、二週間ぶりに会うカンヌキはそのぐらい酷い風体だった。有り体に言って醜い。

 凡そ二週間ぶりに会うカンヌキは衰弱に磨きが掛かっていた。
 ついでに大蛇丸が“カンヌキ唯一の美徳である”と信ずるところの美貌は無精ひげに覆われていた。ベタついて普段のボリュームを失っている髪からは、長期に渡って風呂に入っていないことが分かる。浮浪者みたい。カンヌキはほんの少し放置しただけで、あっという間に大蛇丸の美意識に反する生命体になってしまう。まあ、どうせ、里に帰ればまたシャキッとするのだけど。
 カンヌキはこの隠れ家にいる時はまともな食事を取らないし、風呂も入らない。従って、滞在期間が延びれば伸びるほどカンヌキの風体は狂人めいたものになる。非常に見苦しい。
 今回は自分の経営する貿易会社の帳簿付けと人員整理を兼ねて長期休暇をせしめたので、かれこれ一月はここに篭りっぱなしである。勿論、その期間は自炊は愚か食糧調達もしないので、仕方なしに大蛇丸が行う。前回の訪問の最後、大蛇丸は自分がいない間のカンヌキの食料を川の国まで調達しに行った。ダンボール三つ分のイワシの缶詰をシェルターの隅に置いて「パンなり米なり、たまにはご自分で調達してくださいよ。自分の足で調達したものなら安心して食べられるでしょう」と去ってから二週間。作業台の隅に空の缶詰が詰まれていることから、自分がここを後にしてからずっとイワシの蒲焼のみで延命していたのだろうことが分かる。元々カンヌキは、里外にいる時は不特定多数に渡ることを想定して出荷された工業生産食品しか食べない。なお、里にいる時は自分の手料理しか食べない。カンヌキはそういう面倒くさいオッサンなので、その面倒くさいオッサンから全幅の信頼を撤廃されている大蛇丸には缶詰を用意する他に手の尽くしようがないのだ。
 でも“鯖の水煮も用意してやれば良かったかもしれない”とはちょっと思う。

 大蛇丸は背後の作業台に腰を乗せたまま、肩を竦めた。
「四肢欠損なし、聴覚反応有り、原始反射確認済み……一体何がご不満なんです?」
 視界を邪魔する黒髪をくしゃりと掻き揚げて、大蛇丸は膝上のバインダーに目を落とす。
 先ほど作業台の下から拾い上げたバインダーには、案の定この二週間分の“観察日記”が挟まっていた。たった二枚。それも、ファイリングの手間も惜しんでか、バインダーのクリップに挟みっぱなし。自分の生命維持も実験体の生命維持も放棄するあたり、人生を舐め腐った感じがして◎(二重丸) ダンゾウからとやかく言われないのであれば殺したい。あのオッサンは自分がこの面倒くさいオッサンの世話をしたことがないから、大蛇丸がどれだけ苦労しているか理解しないのだ。
 あてつけではなく、大蛇丸は本心からため息を漏らした。ダンゾウと言い、カンヌキと言い、いい加減年上とばかり関わるのは嫌になってきた。綱手や自来也をはじめとした同年代よりかはずっと話が通じて楽だと思ったのに、こうまで振り回されると辟易する。上忍師とまではいかなくとも、来年は誰か弟子でも取ろうか。自分の代わりにパシれそうな生真面目な奴。
 カンヌキだって真面目と言えば真面目だが、“生真面目”というほど善良な人間ではない。
 三人兄弟の末子として産まれた彼は我儘かつ自己中心的だったし、何より部下・後輩・悪友と、ありったけの腐れ縁で結ばれた相手をその存在ごと無視しているのだ。
 大蛇丸が“こいつは誠意のせの字も知らない”と思ったとしても、大した罪に問えないだろう。
 何が“長幼の序”だ。そんな余計な言葉を思いついた奴がカンヌキの世話をしたらいい。

「……よもや、“それ”にご自分の三半規管でも移植されたんです?」
 深々としたため息と共に、大蛇丸は悪態をついた。カンヌキは反応しない。
 別に、既にカンヌキには何の期待もしていない。二十年以上の付き合いがあるのだ。期待なぞ疾うに捨てた。全ての期待をドブに捨てた上で、大蛇丸は心から“こいつは人間のクズだ”と思う。人間のクズは大蛇丸がシェルターに降りてきてからずっと口を噤んでいる。理由なんてない。精神年齢が未熟だからだ。出会った時からずっとそうだ。いや、ダンゾウに「いい加減カンヌキを塒から引きずり出せ」と無責任な指示を頂いたのもあって多少パッションし過ぎた。今、ウン十年前の、まだ大蛇丸が白皙の美少年だった頃のことなぞ如何でも良い。まあカンヌキが十三歳年下の子どもに向かって「君、人格形成に失敗したって言われない? 喜怒哀楽のどれか欠けてるだろ」と言ってのけたのは多少なり関係するかもしれない。カンヌキはヒルゼンが上忍師になったと知るや、その受け持ちの生徒のなかで一番気に食わない奴をサンドバッグに定めた。御年二十三になる上忍の所業とは思えない。不運なことに、カンヌキは綱手を可愛がっていたし、自来也も彼好みの馬鹿だった。必然的にサンドバッグ役を割り当てられた大蛇丸は、何故か二十年近くもこのクズの相手をしている。殺すチャンスは幾らでもあったのだから、世のため人のため殺すべきだったのだ。今からでも遅くない、こいつを殺そう。いや勝手に殺したらダンゾウがキレる。しんどい。

 当のクズ野郎は大蛇丸の葛藤などどこ吹く風である。
 ただ中央の生命維持装置に張り付いたきり、何事かぼんやり考え込んでいた。両手を置いたガラス管に、鼻がくっつきそうなぐらい顔を近づけて、管内を漂う肉塊を眺めている。呑気なものだ。
 一見して「わあ おみず きれい」状態で、正気を失っているように見えるものの、一応大蛇丸の存在は認識している。大蛇丸がシェルター内に降り立った時、チラリと流し目をくれたからだ。日常会話を――それも、大蛇丸との意思の疎通を――億劫がるのはカンヌキの常で、別に会話が成り立たないレベルに狂っているのではない。要は、ファッションキチガイなのである。
 まあ真性メンヘラなので、あながちファッションとも言い難いが……兎に角カンヌキは“その気”さえあれば日常会話をこなすことが出来る。でも、その気がないから応じない。それが分かるから余計に苛立つ。どこまでも性質が悪いオッサンである。ほんと死ねばいいのに。
 何にせよ、大蛇丸だって別にこんなオッサンと会話する趣味があるわけではない。その風前の灯火に近い正気が未だ保たれていることさえ分かれば、今のところそれ以上の用件はなかった。
「まあ、構いませんけどね。生憎とアナタには色々慣らされてますから」
 悪態を吐いたつもりが、思いがけず我が身の不幸を思い知らされる。辛すぎか?

 大蛇丸は鬱屈とした気持ちで、重い腰をあげた。
 里抜けしてでもカンヌキを殺す決心がついたわけではない。単に、カンヌキの背を肴に呪詛をまき散らすのに飽きただけだ。生命維持装置に近づいて、カンヌキの脇から管内を覗き込む。
 カンヌキの熱い視線をモノにしている肉塊は、相変わらず人工羊水のなかで大人しい。しかし幸いにして――多分大蛇丸を困らせる癖は遺伝しなかったのだろう、そう信じたい――この“肉塊”は蝉のようにガラス幹にくっついているカンヌキよりかはずっと大蛇丸を楽しませてくれる。
 大きさは、掌から少しはみ出る程度だろうか。テニスボールよりやや小さい頭と楕円形の胴体、その下部からは触手めいて頼りない肢が二本生えている。ここ数ヶ月でぐっと人型に近づいてきた肉塊は、本来女の腹に納まっているべきもの……人間の胎児だった。
 すくすくと育っている様子を確かめると、大蛇丸はフゥンと感嘆の息を漏らす。口元に沿えた指で顎を撫でて、金色の目を眇めて見せた。大蛇丸の視線の先で、胎児はピクピクと手足を動かして、自身が生きていることを主張する。この“安定期”に至るまで、大蛇丸は酷く気を揉んだものだ。しかし、軌道に乗った今となってはこれ以上に面白い見世物はない。
 カンヌキから「君は性的倒錯が見受けられるね」と指摘されたこともある大蛇丸は今後も引き続き異性恋愛と無縁に生きていくだろうが、それでも“生命の発生”には心擽られるものがある。もし自分に“子ども”が出来たらこんな風だろうかと、この胎児が身動きする度に悦に入る。もう「フフ、見てアナタ。この子ったら今ガラス幹を蹴った」という勢いである。蹴ってないけど。
 上司こと先輩こと悪友こと人間のクズことファッションキチガイこと“アナタ”であるカンヌキは、大蛇丸が隣に来ても尚ぼうっとしている。子どものように無防備な横顔を晒して、胎児を眺めていた。珍しい魚の収まった水槽を無心に眺める、子どものような立ち姿。
 大蛇丸はカンヌキの視線を追って、彼がこの肉塊のなかに何を見出しているのか推し測ろうとした。珍しい魚でも、単なる肉塊でもない――カンヌキにとっての“命の価値”を。
 尤も、カンヌキは自分の“本心”に他人の手垢がつくのを極端に嫌う。大蛇丸の視線がその目元に及ぶ前に、カンヌキは目を瞑ってしまった。面倒くさいオッサンはデリケートなのである。

 カンヌキは大蛇丸が嫌いだ。父親のことも、ダンゾウのことも嫌いだ。
 彼が大蛇丸たちの何を嫌っているかと言えば、いつだったか「他人の思惑を自分の定規で測ろうとする、その高慢さ」と答えてくれたことがある。なるほど人並み外れて卑屈なカンヌキにとって、訳もなく上から目線で接してくる人間は癇に障るのだろう。この面倒くさいオッサンは、自分だって十分“礼儀知らず”のくせ、それが他人のこととなると途端に口煩くなる。
 思えば、幼い頃の大蛇丸は忍才の有無に関係なく無礼者だった。多忙な両親の下、殆ど放任されてきたからだ。それでも今よりずっと口数の少ない子どもだったので、他人に疎まれた覚えはない。サトリの能力でもない限り、人間は子どもに甘いものなのだ。勿論カンヌキは子どもに甘くなかったし、自分の嫌いな人種を見抜く能力についてはサトリに負けずとも劣らない。
 大蛇丸の記憶にある限り“長幼の序”でマウントを取ってきたのは、主にカンヌキだった。
 カンヌキに比べると誰もが聖人に見えるぐらい、カンヌキのイビリは酷かった。カンヌキは、自分こそトイレットペーパー以下の紙メンタルだが、嫌いな人間のメンタルをダイヤモンド並の硬度に鍛えてくれる。ダンゾウが「あれは自分のこと以外なんでもできる。殺すな。自殺しないよう、ガス抜きだけさせておけ」と言うのも頷けるというものだ。他人のことはなんでも分かるし、何でもできる。でも自分のこととなると、途端に攻撃的になって(メンタルが)死ぬ。
 カンヌキは嫌いなものに対して攻撃的なので、齢十歳の少年相手に本気でマウントを取る。ついでに執念深いので、二十数年近くも“先制攻撃”で奪取したマウントを維持してきた。故に、オッサンは、大蛇丸にマウントを取られることを死ぬほど嫌う。比喩でなく、暫く食事とか摂らなくなる。ウサギかよってぐらいメンタルが弱い。そりゃ二代目様も育成失敗を自認するわけだわ。それが失敗作ことカンヌキ当人の耳に入ってしまったあたり、様々な意味で救えない。

 カンヌキはこの上なく不愉快そうに顔を顰めて、ため息を漏らす。
 ため息つきたいのは私のほうなんですけどね。そう思ったけど、そう言ったらカンヌキがイワシの缶詰食べなくなっちゃうから言わない。この苦行から解放されるには、早くこのオッサンの利用価値がなくなりますようにと祈るしかない。それかもう、いい加減、里とか抜けちゃおうかな的な気持ちもある。何にせよ、里抜けするなら真っ先にカンヌキを殺す。大蛇丸はその胸に誓った。
 皺のこびりついた眉間をほぐしながら、カンヌキが乾いてヒビだらけの唇を震わせる。湿った大気にヒュウと軽い吐息が混ざった。ん、だ……ない、わ、な。錆び付いた舌が、重たげに発声を繰り返す。何度か試行錯誤した末、カンヌキが「……笑わないんだ」と呟くことに成功した。
 笑わない。それっぽっちの台詞で、その主語が何か分かってしまう自分が嫌になる。
 大蛇丸はふーっと長い息を吐いてから、口元に弧を描いた。ようやっと“その気”になったのに、未だファッションキチガイは継続中か。いや、ファッションでなくなる日も近いかもしれない。
「胎児ですもの。笑うほうが怖いじゃありません?」
 カンヌキが、ガラス幹から離した手を下す。小首を傾げる拍子に、横目で大蛇丸の笑みを捉えた。他人の胸中を推し測る時の癖。それは大蛇丸にとって、最も見慣れた仕草だった。
 いつもカンヌキは、誰より大蛇丸の言動に目を配っていた。その、殆ど言いがかりに近い洞察力のせいで、何かとイビられたものだ。十歳の子どもの頃から今に至るまで、ずっと。
 見慣れた仕草。その無気力さに、最早彼自身も惰性で体を動かしているのだと知れる。ただ何となく、“かつての自分ならこうしただろう”という挙動だった。カンヌキの瞳は虚ろで、大蛇丸の像が結ばれた様子はない。安物の鏡に劣る反射率で、ただこちらを映している。
 こんな風ではなかったと、大蛇丸は回顧した。

 二十三歳と十歳で出会ってから、二十年以上が過ぎていた。
 かつてのカンヌキは、父親よりずっと自分の容姿の価値を理解して魅力的だった。
 女性に人気の忍者だったし、カンヌキを妬んで「凡才のくせに」と陰口を叩く連中も、任務に対する熱心さに一目置いていたものだ。カンヌキは常に惜しみない努力と忍耐によって“それなり”の結果を出してきた。潜入任務の成功率や諜報活動における情報収集能力では、未だにカンヌキの右に出るものはいない。才能があるのではない。カンヌキほど、任務の為に全てを投げ打つ忍者がいないからだ。だからダンゾウはこの面倒くさいオッサンに首輪を付けて飼っておく。
 治世者としても忍者としても優れた父の影で、カンヌキは数限りない誹謗中傷・下馬評に晒されてきた。父を一人の人間として軽蔑すると公言して憚らないにも拘わらず、彼は決して外野を黙らす手間を惜しまなかった。寧ろ二代目火影を引き合いに出した誹謗中傷、遺伝子の優劣を面白おかしく推測する下馬評のなかにこそ、彼が“結果を出すこと”に執着し続けた理由があったに違いない。そもそもカンヌキは“共同体”に属すことを厭うていたが、千手一族はその最たるものだった。

 カンヌキは千手一族のお歴々を煽るためなら、何でもやった。
 無論、うちは一族の肩を持ったのも一度や二度ではない。じゃあうちは一族と親しいかと言えばそう言うわけでもなく、あっ千手一族を煽りたいだけなんだなと即分かる。カンヌキは本当に身内から嫌われていた。父親の威光がなければ即村八分にされたに違いない。唯一の例外は綱手ぐらいのものだ。その綱手もカンヌキの人間性に問題があることは理解している。マジでヤバイ。
 そんなヤバイ人間だったが――いやだからこそと言うべきなのか、カンヌキは魅力的だった。
 
 遠目にしか二代目火影を見た事のない大蛇丸は、カンヌキを前に随分感心したものだ。
 何というか、本当にカンヌキは“父親によく似ていた”のである。“こうあって欲しい”と思う人物像を素で演じられる……いや、当人の意志に拘わらず、カンヌキは他人に期待させる“何か”があった。ボンクラだとか身勝手だとか、カンヌキに纏わる噂を知っていようといなかろうと、その初対面では誰もが「これだけ似ているのだから、さぞかし内面も父親に似ているのだろう」と期待してしまう。そういう類の魅力である。カンヌキを前にすると、訳もなく期待させられた。
 それを七光りと言おうか、美貌のせいと言おうか――兎に角カンヌキは初対面の人間に悪しざまに扱われたことがない。火の国を離れ、見知らぬ場所を放浪してても誰かしらカンヌキに親切にしてくれる。最早“天性のヒモ”としか言いようがない。多分この不衛生な恰好で外をうろついていたとしても、誰かが面倒を見てくれるだろう。本当に恵まれたオッサンなのである。
 何せイビられまくった大蛇丸自身、出会った当時はカンヌキのことがそれなりに好きだった。ほんとに凄い。今は“死ねばいい”とか“殺してやる”とか毎分毎秒思ってるけど、十歳の頃は今よりずっと間抜けだったのだから仕方ない。彼の内面が俗物オブ俗物だと気付くまでに随分時間が掛かったし、少なくとも中忍になるまでは“忍才に恵まれた優秀なひとだ”と思っていた。
 その“忍才に恵まれた優秀なひと”がまさか不貞腐れると風呂も飯も放棄するだなんて――しかも他ならぬ自分が、そんなオッサンを二十年近く世話することになるなどとは、十歳の当時夢想だにしなかった。その件についてはオッサンも「オッサン(大蛇丸)に世話されたくない」と明言しているので、概ねダンゾウが悪い。でもオッサンは「ダンゾウよりは君のがマシだ」とか「ダンゾウの手駒では君が一番マシな容姿をしてる」とも言うので、全く責任がないではない。

 そういう諸々の事情により、カンヌキとはもう随分長い付き合いになる。
 大蛇丸にとってのカンヌキは、師であるヒルゼンとも、同期の仲間である自来也や綱手ともまた違った。任務でも悪だくみでも、一番“やりやすい相手”と考えると嫌が応に目が合ってしまう。それを何と言って表現するのが精確なのか、大蛇丸には分からない。恐らく、腐れ縁と称するのが良いだろう。大蛇丸は出来の良い忍者だったし、カンヌキも凡才なりに人を見る目はある。いつからかカンヌキが誰かと組んで仕事をするときは必ず大蛇丸を指名するようになっていた。
 暗部総隊長に命じられた時も自ら「大蛇丸を補佐役に付けてくれ」と願い出たほどだ。そして本来自分が行うべき雑務の全てを大蛇丸にブン投げる。元々乏しい好意が嫌悪に変わったのは、その頃だった。カンヌキと来たらヒルゼンから任務を預かるときばかり積極的で、各部隊に身勝手に任務を振り分けるなり、自分は最も危険な任務をこなしに消えてしまう。
 本当は、本当なら、大蛇丸だってデスクワークも人材育成も好きではないのだ。しかし取り柄といえば容姿ぐらいの上司が「君は器用な人間だし、何より優秀だからね。助かるよ」と雑な信頼を寄せてくるので仕方ない。この上司を廃したところで事態が好転するわけでないことは、大蛇丸もよく分かっていた。最善とは言い難いものの、カンヌキの下で働くのは最悪ではない。
 いや、寧ろカンヌキとの縁が長く続いたのは、長い目で見れば僥倖と言えなくもなかった。
 今でこそファッションキチガイの名を欲しいままにしているものの、かつてのカンヌキは大蛇丸の扱いを得意とし、その人となりをよくよく理解していた。知的好奇心が満たされる時にこそ生き甲斐を覚えること。特定人物に感情移入出来ないこと。個々の死生観に興味を抱いていること。喜怒哀楽のうち、哀が欠けていること。カンヌキはヒルゼンより、ダンゾウより、ずっと深く大蛇丸を理解していた――何もかも、その価値観・倫理観が平均から大きくズレていることも。

 大蛇丸に“一般常識”を教えたのは、カンヌキだ。
 師ヒルゼンは、大蛇丸ともカンヌキとも違って善良かつマトモな大人である。それ故、ヒルゼンの叱責や忠告には、大蛇丸に理解出来ないものも少なくなかった。それを、カンヌキは大蛇丸に理解できるよう噛み砕いて説明してくれた。カンヌキは何が好きって、ヒルゼンの口から大蛇丸の失態を聞くのが大好きだったのである。クソと言う他ない。ヒルゼンから仕入れた失態を背中に背負って、よくカンヌキは大蛇丸の家にやってきた。大蛇丸が暗部に入る前のことだ。
 それは恐らく、カンヌキにとってイジメの延長だったに違いない。しかし所謂“ふつうの子ども”ではなかった大蛇丸が一般的な倫理観・道徳観念を理解するために、カンヌキの存在は必要不可欠だった。十三歳年上の不法侵入者から、大蛇丸は“処世術”を学んだ。
 奇人が生きるには全てを敵に回すか、死ぬまで抑圧され続けるかのどちらかしかない。カンヌキは、よくそう言ったものだ。そして「君はどちらがいい」と問いながら、幼い大蛇丸の頬に触れた。無論、頬を抓るためである。まだ下忍だった頃、大蛇丸はカンヌキのサンドバッグだった。
 大蛇丸が頭角を現すにつれ力関係が一転したとは言っても、根本は変わらない。

 処世術を教わったし、数多の任務を共にした。私生活においても、接点は多かった。
 歴史薬学医術忍術……好奇心の赴くまま様々な分野を齧ってきた大蛇丸は、度々カンヌキの“趣味”につき合わされた。いつコネを作ったのか、火の国の高等学府で発足した、薬草や穀物の品種改良プロジェクトにもよく二人で参加した。大蛇丸は別に植物なんて何の興味もないのだが、お坊ちゃん育ちのカンヌキは大蛇丸の人権をないものとして考えている。カンヌキは何をするにも“とりあえず”大蛇丸を巻き込み、「どうせ暇だろう」とか「たまには無害な実践も必要だ」とか言って、里外へ出るための手続きを手早く済ます。逆はない。カンヌキだけが大蛇丸に「あれをしろ」「これをしろ」と五月蠅いのだ。逆らうのも面倒くさいし、若い頃は“何事もとりあえず首を突っ込んでみようか”と思っていたのもあって、流されるままカンヌキの要請に応えていた。
 まあ「何が楽しくてジャガイモの遺伝子形態を調べなければならないのか」とは思ったものの、隠れ里の外の人間と議論を交わす機会も早々なく、それなりに楽しませて貰った。
 随分長い間、カンヌキは大蛇丸の道しるべだった。

 だからこそ“こんなひとではなかった”と強く思う。
 大蛇丸の知っている“カンヌキ”は、強かで、凡才なりに自分の価値を理解しているひとだった。裏表が激しく、デリケートで、その思考を読むのは困難を極める。そう言う男だった。
 幼い日、飄々と自分を値踏みしていたひとが、こんなにみじめな姿を晒すなんて――

 我に返ると、いつの間にかカンヌキは露骨に大蛇丸を見つめていた。
 先ほどよりずっと無気力な立ち姿。大蛇丸を見据える眼は生気を失って、激しい殺意を感じてさえ動じない。牽制するわけでも、洞察するわけでもなく、増してや大蛇丸の価値を値踏みするわけでもない。ガラス幹のなかで揺れる胎児を見ていたのと同じ、ただ眺めているだけの視線だ。
 大蛇丸にも、分かってはいた。いつからか、この人は壊れてしまった。
 ファッションキチガイと馬鹿にしたところで、カンヌキは元には戻らない。大蛇丸やダンゾウが「使いものにならない」と見捨てるまで、このまま行きつく先まで流れていくだろう。
 利用価値があるゆえに、この人は生と死の間で浮き沈みを繰り返す。

 里の為に尽くすことのみを目的に生きてきたひとだった。
 指示を受ければ何でもする。それが、このクズを多少なり尊敬する理由の一つだった。
 流石の大蛇丸もイケメンというだけで誰彼構わず尊敬する気にはなれない。クズで幼稚で我儘でカスで女にだらしなくて陰険で神経質で……ありとあらゆる侮辱を一身に受けるクズの権化ではあるものの、カンヌキは里のためにありとあらゆる我欲を打ち捨ててきた。今も尚、“里のため”と言われれば重い腰を上げる。そのうつくしい帰属意識が、カンヌキの人生を惨めなものにする。

 骨髄まで里への帰属意識が染みついているからこそ、カンヌキは里外に焦がれた。
 “そんなに自由の身になりたいならとっとと里抜けしてしまえば良いのに”と思うものの、里抜けなどという発想がないのだろう。抜け忍は皆が皆罪を犯して里を追われたと、漠然とそう思っている節がある。それ故、無為に里を出ることは出来なかったのだろう。間諜にしろ、ありとあらゆる実験への協力、貿易会社の経営――その全て、彼にとっては里を出る口実に過ぎなかった。
 自分ではない誰かを演じている時、カンヌキはとても満ち足りた顔をする。ここではないどこかへ行きたいと、そう露骨に口にすることもあった。何というか、本当に生き辛いひとだったのだと思う。その裡に秘めた闇は、執拗なまでに里に拘るダンゾウとはまた違う深みがあった。
 ダンゾウの闇を“地上の些事に捉われることなく大樹を支える根”とするならば、カンヌキの闇は“水面の光を遠方より眺める他ない海底”であろうか。決して事の当事者になろうとはしない、強い諦念。身の丈に合わないものを望んだから、何かを諦めることでしか生きられないのだ。
 死んだ父親に認められたい一心で、カンヌキは全てを投げ打った。何もかも全部失ってから、さいごのさいごに失いたくなかったものに気付く。それがあんまりに惨めで馬鹿馬鹿しい。
 崩壊寸前で、それでもまだカンヌキは“里”のために生きようとする。本当は誰より里から逃れたいと思っているくせに、父親と比べられることを恐れるあまり嘘をつく。その哀れな姿に、何の信念もなく、強迫観念だけで里に尽くしてきた事実が露呈する。結局のところこの人の頭の中は空っぽで、所詮は“図体ばかり大きくなった子どもなのだ”と嫌でも理解させられた。
 死ぬまでずっと里に尻尾を振るのが正しい忍者の在り方なのだろうか? 隠れ里システムが成立するずっと昔から忍道は確立されていたのに、こんな惨めな生き方が本当に“忍者”として正しいのだろうか? その問いの正否は分からずとも、自分の気持ちは分かっている。大蛇丸は、こんな人生は嫌だ。自分にそう思わせる相手がカンヌキであることも、堪らなく嫌だった。

 それだったら、もう、この人は死んでしまったほうが良い。

「……そうだな。君の言う通りだ」
 大蛇丸の内心を知ってか知らずか、カンヌキが弱々しく頷いた。
 自分たちは何の話をしていたのだったか、すぐには思い出せない。如何でも良い話をした。いつものことだ。疾うにカンヌキの知性はさび付き、大蛇丸の関心を買う術も忘れている。
 カンヌキがふらりとよろついて、ガラス幹に手をついた。もう一方の手で額を覆って、僅かに俯いた。ただでさえ室内は薄暗く、目が暗闇に慣れているとはいえ、カンヌキの顔には手の影が落ちてぼやけている。それでも、朧ながら口元の表情を窺うことは出来た。
「疲れているらしい」
 何の毒も感じさせない台詞を呟いて、微笑する。
 大蛇丸は肩を竦めて、「ええ」と相槌を打った。こんな人だったかと、胡乱な気持ちで繰り返す。最初からこの人は、父親への劣等感に縛られた、惨めな人間だったのだ。

「娘に会って来る」
 暫く呆けた後、カンヌキは踵を返した。
 白衣の裾を遊ばせながら、奥の部屋へと危うげに足を進める。その無様な歩き方に“今度こそもう駄目かもしれない”と思うのは毎度のことだ。しかし、そんな状態でも里に帰れば壮年の忍者として堂々と振る舞えるのだから、カンヌキのコンプレックスは根深い。深すぎて引く。
 ふーっとため息をついて、大蛇丸は片手で右肩を揉み解した。カンヌキのお篭りが始まると、最低でも一日は部屋から出てこない。別に構わないのだが、一つ扉の向こうで、死んだ愛娘をまんじりともせず見守っている様子を思い浮かべると、如何でも風呂に入って欲しくなる。今さら食事を一回抜いたぐらいでは死なないだろうが、出来るだけ早急に身だしなみを整えて欲しい。
 第一あれだけ家庭に大きなトラウマを抱えているくせ、よくも子どもを作る気になったものだ。そして案の定子どものせいで更なるトラウマを抱えてるの失笑アンド爆笑でしかない。
 奥の部屋に続く扉を眺めて、大蛇丸は改めて感心した。ウッカリ出来てしまったのかもしれないが、この溺愛っぷりから鑑みるに、どの道諸手を挙げて喜んだのは間違いない。

 大蛇丸は数度会ったきりの“カンヌキの娘”について思いめぐらせた。
 腰まで伸びた艶のある黒髪に、白い肌。顔の作りはあどけなく、あまりカンヌキには似ていない。どちらかと言えば、彼の伯父である“千手柱間”を彷彿とさせる容姿だった。些か世間一般とズレた性癖を持つ大蛇丸にはピンとこないものの、“可憐な少女”と言うべきだろう。
 カンヌキだけが出入りできる奥の部屋に、彼女はいた。つめたい培養液に満たされた生命維持装置のなか、嬲り殺しにされたとは思えないほど穏やかな顔で眠っている。五年前から、ずっと。
 四肢どころか頭部にも激しい損傷があったと聞くが、大蛇丸の記憶にある限り、彼女の体にある傷は自分たちがつけたものだけだ。腹部の切開痕以外、それはもう綺麗なものである。
 カンヌキは確かに薬学にかけては博識ではあるが、医療忍術はそう得意ではなかったはずだ。そもそも、そうでなければ大蛇丸の前に愛娘を晒すはずがない。彼女について思い返す度、大蛇丸は不思議になる。人体の形を留めていない遺骸を今のうつくしいかたちに整形したと言うのなら、それは一体誰の所業なのか――ちょっとの縫合痕も残さず切断された四肢を繋げるのは、熟練の医療忍者でも困難だ。微かに指先が動くことから神経も繋がっていることが分かる。大蛇丸の知る限り、こんなことは綱手にしか……いや、綱手にだって難しいかもしれない。
 
 間違いなくカンヌキには大蛇丸以外の協力者がいたのだろう。
 自分がこの隠れ家に来る前の協力者。その協力を得られなくなったので、大蛇丸に白羽の矢が立ったのだろうことは想像に容易い。カンヌキ自身の口から何とか聞きだしたいものだが、話が核心に触れるとフイとお篭りを始めてしまう。一度心臓の止まった“死体”を、誰が生前の状態に戻したのか――いや、一体誰がカンヌキを唆したのかと疑問に思うことがあった。どれだけ打ちひしがれていたにせよ、死んだ娘を蘇らせるなどという発想がカンヌキの頭から出てくるはずがない。
 それに、千手柱間は三十年近く昔に火葬されている。確かにカンヌキは伯父の生前から彼と親交を持っていたが、尊敬する相手の細胞を何年も保管しておく人間ではない。
 カンヌキを唆し、柱間細胞の効用を教えた上で、それを多量に与えた人物がいる。
 たった五年前のことだ……ありとあらゆる手段を用いて、当時のカンヌキに接触した人間を洗ってみた。それにも拘わらず、協力者の足跡は掴めない。カンヌキが殺してしまったのではないかとも考えたものの、それならそれで、カンヌキが頑なに口を割らない理由に検討が付かなかった。

 憔悴しきったカンヌキに協力を頼まれて、ジャガイモの品種改良を手伝う要領で承諾した。
 それが大蛇丸の“はじまり”だった。五年前――第二次忍界大戦末期の頃である。

 当時のカンヌキは、彼らしくもない長期の音信不通状態にあった。
 相変わらず身勝手な上司だと、そう苛立っていたのは確かだ。しかし戦争が本格化してしまえばカンヌキと組むことは滅多にない。カンヌキは正規部隊に属していないため、戦時下でも裏方仕事に徹する。一方の大蛇丸は、その戦闘能力の高さから否でも前線に回される。元々好戦的な性格をしているので、自来也・綱手と同じ隊に配属される以外は特に不満はない。丁度正規部隊での仕事もひと段落したタイミングでの再会となったため、音信不通に対する怒りより、呆れが先に立った。“この戦時下に、また性懲りもなく趣味に精を出していたのか”という呆れである。
 久々に会ったカンヌキはヒゲも剃らず、眠ることも食べることもままならなかったのか酷く衰弱していた。目の下には濃いクマを作り、赤い瞳が爛々と不気味な光を放つ。そんなカンヌキを前にしても大蛇丸は“いつもの放浪癖か”とか“ジャガイモかネギでしょうね”と思っていた。いつものこと。よくある戯れ。その呆れが驚愕に変わったのは、彼の娘――トバリと引き合わされた時だ。
 ガラス幹のなかで眠る、傷一つない幼い少女。彼女の腹部は奇妙に膨らんでいた。
 まるで呑みこんだ獲物を消化しきれない蛇のように、その胎に何が詰まっているのか分かる。そういう膨らみ方だった。それは明らかに受胎の兆候だった。話を聞くまでもなく、彼女の身に何があったか大体のところが分かった。大蛇丸は、その“処理”に呼ばれたのだ。
 鬼気迫った表情で大蛇丸の足元に跪くと、カンヌキはひたすら懇願した。あの子のなかの異物を殺してくれ。酷く取り乱した声音で、繰り返し、何度も、そう大蛇丸に頼み込んだ。
 今も尚こうして協力関係にある以上、その後のことは言うまでもない。大蛇丸はカンヌキの願望に半分だけ応えて、取り出すだけ取り出した。単なる腫瘍にしか見えないとはいえ、見ず知らずの少女の堕胎を無為に手伝うほど人間性を腐らせた覚えはない。その処分についてはカンヌキに任せた。娘の腹が萎んだら憑き物が落ちたように落ち着いたので、自分で何とかしただろう。

 培養液のなかで眠り続けるトバリの心臓は健気に脈を打つ。
 一見してただ眠っているようしか見えず、肌に触れるとほのかに温かい。今にも淡い眠りから逸しそうなのに、彼女は決して目を覚まさなかった。目を覚まさないだけではない。彼女は食事をとることも、排せつすることも、年を取ることもなかった。不自然なまでにうつくしい脳幹と小脳によって自発呼吸をなしている。それだけの“命”だった。俗に言う植物状態だ。場合によっては回復も見込めるものの、大脳は壊死している。故意に大脳を破損させられたのでない限り、ここまで持ち直したのが奇跡だ。これ以上回復する見込みはない。一度死んだ人間は、決して蘇らない。
 しかし魂の抜け殻であるにも拘わらず、彼女の体は堕胎の後も排卵周期に忠実だった。トバリは月に一度必ず卵子を作り出す。まるで、死んだ我が子を蘇らそうとするかの如く。

 カンヌキに最後のターニング・ポイントがあったとするなら、それは五年前のあの日だった。
 愛娘の胎で育つ“命”をバケモノと決めつけて拒絶した時、カンヌキは彼の望んだ自由も、平穏も、全てをドブに捨てたのである。皮肉なことに、父親が植え付けた“里への帰属意識”という鎖を千切ったのは、娘への愛情だった。それも、娘が生きている内には気付けなかったのである。
 カンヌキは娘が死んだ現実を受け入れなかった。それでも忍の端くれとして、反魂の術を行うには手遅れであると分かっている。そして“まだ生きている娘”を穢土転生の術を用いて蘇らせることは出来ない。カンヌキは言った。もう一度トバリを育てて、首から下を挿げ替えよう。
 カンヌキは、大脳が失われていることを認めなかった。生前と全く同じ姿で呼吸をし、薄い胸を上下させる。トバリは死んでないと、カンヌキは口にした。彼は、体の調子が悪くて目を覚ますことが出来ないだけなのだと頑なに信じていた。もしくは、娘が穢された事実をなかったことにしたかったのかもしれない。カンヌキは父親としても、学者としても、論理的思考を失っていた。尤も、そうでなければ愛娘の胎から卵子を取り出せるはずがない。材料も設備も万全に揃っていた。
 彼は愛娘を目覚めさせるため、彼女の生物クローンを作ることにしたのだ。
 その穴だらけの計画も、終わりに近づいている。

 はたけサクモが死んで以来、カンヌキは精神状態は更に悪化の一途を辿っていた。
 始末が悪いことに、それが彼の認識能力が正常化している兆候だろうことが伺える。愛娘の死というショックが、愛弟子の自殺によって相殺されたのだろう。あまりに長い錯乱状態に、落ち着きが見えてきた。先ほどの「疲れているらしい」という台詞にしろ、サクモが死ぬ前は決して弱音を吐いたりしなかった。大蛇丸のことが嫌いだったからだ。カンヌキにとって、大蛇丸は心を許せる相手ではない。カンヌキにとっての大蛇丸は、父親を連想させる、いけ好かないガキに過ぎなかった。父親に優しくされた記憶のないカンヌキが、大蛇丸に優しくするはずがない。
 カンヌキは少しずつ現実が見えてきた。そうして、心が折れた。もう大蛇丸相手に虚勢を張るだけの気力も残っていない。最早大蛇丸相手でさえ、縋って、優しい言葉を掛けて貰いたいのだ。

「……案外、私はあの人が好きだったのかしら?」
 先ほどまでカンヌキが触れていた硝子に触れると、彼の体温で温くなっていた。
 自分たちは所詮利害関係でのみ結ばれた間柄だ。大蛇丸には分かっていた。それでも、自分が一番彼をよく知っていると、そう驕っていた。彼が里外に家族を持っていたと知るまで。
 カンヌキは単なる凡人だ。ただ父への反骨心と一族への敵意から孤高を気取り続けた。それをカンヌキの本性だと思ったこともあった。カンヌキは何もかもに冷めて、諦観のみで生きているのだと考えていた。闇中でもがくカンヌキに誰も手を差し伸べることは出来ないと思っていた。しかし、実際のところはそうではなかった。カンヌキは普通の父親として、娘を愛しただろう。妻と共にいる時は、気の置けない笑みを見せただろう。ヒルゼンやサクモの前で、カンヌキは失われた幼少期を取り戻そうと振る舞った。彼らに見せた“明るさ”や“優しさ”は演技などではなく、カンヌキの側面の一つだったのだ。大蛇丸が知っているカンヌキは、彼の最も醜いところだったのである。
 その“醜さ”だけがカンヌキだと、大蛇丸はずっとそう思っていた。

 人工羊水のなかでは、カンヌキに見放された子どもがプカプカと呼吸を繰り返している。
 これだって一応カンヌキの“娘”なのだが、彼は決してこれを自分の娘とは認めない。
 五年近く試行錯誤して、ようやっと人体を形成しつつある肉の塊。幾つも採取した卵子のうち、たった一つ受精したもの。植物のように遺伝子を弄られ、“命の複製”でしかない存在。
 今さら我に返ったところで、もう彼は後戻り出来ない。これが一個の命であると分かっていてさえ、カンヌキには直視出来ないだろう。増して、愛することなど出来るはずがない。この子を受け入れた時、カンヌキは己が愛娘の命どころか死さえ踏みにじったと認めざるをえないのだ。
 両親の愛をうけて産まれ、普通の町で何不自由なく育ち、聡明で優しい子どもだったというトバリ。その最期は見ず知らずの男に嬲られ、死後も狂った実父に体を切り刻まれる。
 自分自身であり母であり姉でもある少女の非業と、自分を産み出した男の絶望から成る世界。
 この子どもは年を重ねるごとに自分が呪いの下に産まれたことを知るだろう。名義上の父へ寄せる見返りのない思慕はやがて諦観にとって代わり、全ての破滅を望む。
 この子は何者でもなく、何者にもなれない。人間なら当然の自己保身で、彼女自身も何者にもなりたがらないだろう。自分は人間ではないと思うことで、存在理由の欠落と孤独から逃げおおせることが出来るからだ。家畜や物であれば、存在するのに理由などいらない。
 ただ持ち主の願いを叶えるために、殺されるのは仕事のうちで、乱暴に扱われるても仕方がない。持ち主のために消費されることこそ存在理由。自分という道具なくして持ち主の願いを叶えられない優越感。それだけが、この子の全てだ。誰もこの子の幸せを願わない。その孤独が何を意味するか、大蛇丸にもカンヌキにもよく分かっていた。一人の人間を壊すのは簡単だ。幼少期に飢餓感を与えれば良い。放置して、否定して、傷つければ良い。そうしたら、大蛇丸やカンヌキのような人間に――意図的にそう育てる分、自分たちよりずっと狂った人間になるだろう。

 全ての地獄は、はじめは小さな祈りだった。
 この世界が産む資産も時間も、何もかもが有限で、人が群れ集まれば個々の才能に応じた格差が生じる。ただ祈れば何のリスクもなしにそれが叶うわけではない。神がいないなら、自らの力で切り進むしかない。そうした現実の前に、所詮“祈り”は自らの欲を満たすための方便にしかなりえなかった。祈りなど自己正当化の一種に過ぎない。それが例え純粋な善意によって生まれたものであれ、寧ろ、その祈りがうつくしければうつくしいほど苛烈な業を産む。
 業と化した時点で罪なのか、それとも遅かれ早かれ絶望をまき散らすなら、祈った時点で罪なのか。一つの祈りが結実した暁に一つの地獄を産むのなら、その“願望”を如何するべきだろう。
 それなら、はじめからなんの祈りもない世界に産まれてきたら良いのだ。
 大蛇丸はそう思った。本心からそれが正しい結論だと思っているわけではなく、“そういう子どもがいたら如何育つだろう”という好奇心の一つに過ぎない。しかし、カンヌキは本心からそれが正しいと信じている。もしカンヌキがこの子に一片の祈りも希望も与えないというなら、それはそれでカンヌキの親心なのだろう。最初から壊れていれば、二度と壊れることはない。

 遠からずカンヌキは自死を選ぶ。
 果たしてその時、カンヌキはこの子を如何するつもりだろう。愛娘の身代わりとして里に残すのか、はたまた自分が愛娘を用いた人体実験をしていたことを悟られないよう処理するのか。多分に後者だろうことは想像に容易い。カンヌキには、これを放置したまま死ぬことは出来ない。
 身体機能に異常は見受けられないものの、この胎児のチャクラの流れは明らかに異質である。経絡系が開きっぱなしなのだ。膨大な量のチャクラがこのちっぽけな体を駆け巡り、その奔流は一点に集中する。まだ小さすぎてハキとは分からないものの、下腹部のあたりでチャクラが一つに纏まって、ごく小さい腫瘍を形成していた。その腫瘍が大きくなるにつれ、チャクラ量が増していく。
 精確なところは開腹してみないと分からないが、その腫瘍が子宮に巣食うものでないと誰に言えるだろう。寧ろ、それ以外に尤もらしい説が浮かばない。見知らぬ男の種を植え付けられたトバリと同じ、この子は生まれながらに異物を孕んでいる。大蛇丸でさえそう思うのだから、カンヌキは強烈な嫌悪と共に“これ”が普通の子どもとして産まれてこない未来を恐れている。

 大蛇丸とカンヌキは、飽く迄“普通の子ども”の生体クローンを作ろうとした。
 確かにモデルケースがジャガイモというガバガバ実験だったのは言うまでもないが、何もキメラを作ろうとしたわけではない。血筋で言えば、この子はトバリの子どもになるはずだった。トバリの腹から取った卵子だ。何かが少しでも違えば、この子は無事大人になったトバリの腹で慈しまれる未来があった。まあ死んだのでそんな未来はあり得ないのだけど、兎に角大蛇丸たちはトバリの未受精卵を使った。その中に入れる細胞核も勿論トバリのものだ。それで如何してトバリと違う生き物が産まれるのか、大蛇丸にはよく分からない。やっぱりジャガイモ感覚で人間を作ってはいけないということだろう。幸いにしてすくすく育っているので、大蛇丸にはそれを見守るしかない。

 カンヌキと違って、大蛇丸は少なからずこの子の誕生が楽しみだ。
 この子はきっと、カンヌキが死んだあとの胸の穴を埋めてくれるはずだ。
 大蛇丸は皮肉っぽく口を歪めた。人工羊水の向こうで、この胎児は聴覚を形成している。五感があるからと言って、胎内の記憶が残るとも思えないが、今カンヌキが口にしたことや大蛇丸の放った言葉は何かしらこの子の表層にしこりを産む。この子の人格を少しずつ腐食するだろう。
 “トバリ”は原始反射で、その細い腕を動かしている。ミジンコみたいでかわいい。大蛇丸は微笑した。そうしてからガラス幹に唇を寄せ、自分たち以外の誰にも聞こえないよう呟いた。

「ようこそ、地獄へ」
 あなたが全てを呪ったら、その時はちゃんと手を差し伸べてあげる。
 

地中のゆりかご

 
 


花骸のこどもたち