花骸のこどもたち
21 ものがたりの出で来はじめ
かくこの国にはあまたの年を経ぬるになむありける。かの国の母のことも覚えず。
ここにはかく久しく遊び聞こえて慣らひ奉り。いみじからむ心地もせむ、悲しくのみある。
されど、己が心ならずまかりなむとする。
それは女の声だった。ぽつぽつと、降り初む雨滴のような声音。
うっそりとした認識力が“自意識の浮上”を感じ取る。トバリの体が惰性で身じろいだ。あさだ。いや、朝かどうかはさておき、たしか……確か、なにか、あれを……何と言うのだったろう。グチャグチャに絡まった思考回路を解きほぐしながら考える。とにかく“止めなければならないもの”がある。まあるくて、うるさい――目覚まし時計を止めないと! はっとトバリは我に返った。
大抵の場合、トバリの覚醒はアラームと共に訪れる。
入眠前のカウントダウン同様、朝六時に設定された目覚まし時計はトバリの“睡眠”に必要不可欠だった。目を覚ましたら、まずアラームを止めて、アラーム機能をオフにする。アラーム機能をオフにしない限り、午前午後の区別なく六時から七時の間ずっと鳴り続けるからだ。
センテイのお古だけあって、旧式の目覚まし時計は幾分不便なところが多かった。
塗りが剥げていることも手伝って、フサエからは度々買い替えるように言われている。トバリの年頃なら、もっと可愛い時計――例えば、ウサギの頭部に文字盤を埋め込んだような――のほうが似合いだと思っているのだ。フサエの持ってきたチラシを見て、トバリは「ウサギの顔はどこへいってしまうのかな」と一人思案した。要するに“トバリの年頃に似合いの可愛い時計”とやらは欲しくないのだが、トバリはコミュニケーション能力がない。困ってしまう。当たり障りのない言葉で自分の意思を伝えるより、アラーム機能をオフにし忘れることのほうがずっと容易いのだ。もし、あらぬ時間に鳴り出したなら、フサエはすぐにでも新しい目覚まし時計を用意するに違いない。
トバリはもう一度、身じろぎした。己の自意識が浮上したことにも、もう少ししたら四肢の感覚が戻ってくるだろうことも分かっている。今日は少しばかり覚醒に手間取っているが、それも大したことではないように思った。何にせよ、早くアラーム機能をオフにしなければならない。
アラーム機能をオフにし忘れたことはないが、用心にこしたことはない。一刻も早くアラーム機能をオフにして、寝床を片さなければ。それでなくとも耳障りだから、早く止めよう。
四肢は未だに弛緩しているけれど、そこに通う神経は目覚め始めている。少し無理をするだけで動くはずだ。寧ろ、それが“覚醒”の呼び水になるかもしれない。トバリは重たい腕に指示を出して、枕元に収まっている目覚まし時計へ手を伸ばそうとした。しかしトバリの意に反して、指先に固いものが触れる感覚はない。確かに“動け”と命じたはずの腕は重力の虜になったまま、ピクリともしない。どれだけトバリが焦ったところで、ようやっと指先が微動するだけだった。
指や腕だけではない――全身が、何とも形容しがたい倦怠感に支配されていた。
少しずつ五感の精度が増しているにも拘わらず、アラームどころか鳥の囀り一つ聞こえない。
目に映るものも、四肢に触れるものもない。何もかもから断絶された闇のなかで、ぽっかりとトバリの“自意識”だけが目覚めつつある。非現実的な状況だと、トバリには分かっていた。現実……目が覚めているのであれば、例え実際に全身が拘束されているにしろ、トバリには自分の置かれている状況を即座に理解することが出来る。それなのに、今のトバリには自分が起きているのか否かさえ分からない。目の前に落ちているスプーンを“スプーン”と認識出来ないのと同じだ。要するに夢を見ているのだろう。そうキッパリ結論づけてしまえば良いのに、“夢”と断言するには自意識と思考回路が系統だって存在している。自分の感情が、あまりに生々しく記憶される。
何が可笑しい。トバリは思った。可笑しくないのだとしても、何か考えていたかった。
指は少し動く。足も腕も動かない。目蓋を開けているのか閉じているのか分からない。
トバリは息を吸った。空気が鼻先を冷やし、咽頭を冷やしながら肺へ流れていく。物質的な生理現象。普段なら無意識下で行っている呼吸を繰り返す。まるで、空気中で溺れているようだった。いつもなら自分の知覚の外にあるはずの“自重”が、体中にへばりついている。
何を考えても輪郭がはっきりせず、自分が理解できる言語に纏める前に溶けてしまう。
四肢をうまく動かすことが出来ない焦燥感もさることながら、頭蓋の奥に靄が立ち込めているようで気分が悪い。思考を試みる度に途中まで浮かんだ言葉が霧散して、靄の濃度が増した。
失血による眩暈や立ちくらみとはまた違う、温い靄だ。ふわふわとした、奇妙な心地よさがある。懐疑も、恐怖も、何もかも一緒に包んで溶かしこんでしまうのではないかと思わせる“心地よさ”。ほんの爪先だけ触れただけのトバリにも、それが“心地よい”という感覚だとは分かった。
尤も“それ”が“眠気”だとまでは理解出来ず――分かったところで嫌悪感は変わらなかったろうが――トバリはただ不快になった。トバリにとって自らの意志を奪う“心地よさ”は嫌悪対象でしかない。気持ちが悪い。何故こんなことになっているのか。考えろ。思考を回せ。そうした苛立ちのなかで、トバリはふと自らの感情を顧みた。記憶を覆い隠す靄の奥で、何か見えた気がした。
ややあってから、ぼんやりと大蛇丸の不健康そうな面立ちが浮かぶ。手に注射器を持った、見慣れた立ち姿。そうだ、この感覚は麻酔を打たれた時の感覚に似ているのだ。五体の地に足のつかない不安感から、トバリは懸命に思考を働かせた。辛うじて掴んだ理性を手繰り寄せるように、自分が何故麻酔について知っているのか思い返す。以前、麻酔を打たれた。大蛇丸に。
大蛇丸に麻酔を打たれた。
実に一昨日――大蛇丸が“ブルーシートで簡単隠ぺい術!”を覚えた日から、一週間後のことである。あまりに頻繁にトバリがダウンするので、それを見かねた大蛇丸が打ってくれたのだ。
別に「痛がってて可哀想(汗)!」ということではない。一切関係ないとも言いかねるが、多少なり仏心のある男はそもそも幼児の胸部を開きにしようなどと試みないだろう。絶対しない。
大蛇丸という男は、どこまでもアクティブな好奇心を持っている。ここ数日はトバリの認識外にある派閥を取り込むのに成功したと見えて随分良い気になっているが、それの何が嬉しいのかトバリにはまるで分からない。裸にひんむいた幼児の開胸作業に精を出す様を注視されることの何が楽しいのだろうか。間違いなく自分の評判を落とす行為である。トバリだったら、そんな、自分の人間性を疑われるような事態に陥るのは何を引き換えにしてでも回避したい――まあ、大蛇丸当人は最早人間性を疑われるとか疑われたくないとか、そんな境地にないのだろう。逞しい男だ。
ありとあらゆる面でタフな大蛇丸は、幼女が激痛に耐えていようと何とも思わない。
死ななきゃ安いを地で行く人間なので、トバリが心停止しても気にしない。
トバリ自身も大蛇丸の冷淡さそのものに関心はなかった。どの道、慮って貰ったところで何かが好転するわけでもないのだ。ただ、幾らトバリに再生能力があるとはいえ、疲労は蓄積するし、精神的に摩耗する。何より、繰り返し致死性の毒を与えられたり、致命傷を負わされると、体より先に脳がダウンしてしまう。それ故“慮れ”とも“慮ってほしい”とも思わないが、“少なからず限界がある実験生物をまるで慮らないのは馬鹿だ”とは思っていた。大蛇丸はそういう男だ。
要するにトバリは大蛇丸のことを幾らか舐めていた。自分という“幼児”の退路を断つだけでウキウキするし、床板を踏み抜くし、女言葉を使うし、根本的に力技で何とかしようとする。世間一般には三忍の一角を担う存在として尊敬されているらしいが、ヒルゼンより、センテイより……そしてカンヌキよりずっと若い。どことなくアスマ寄りだなと、トバリは思っていた。
尤も、アスマはトバリの内臓を取り出そうと頑張ったりしない。そしてトバリの目にも、忍者としてのアスマが大蛇丸の足元にも及ばないのは明らかだった。もし面と向かって「アスマと大蛇丸様はどこか似ている」などと言おうものなら、どちらからも怒られそうだ。
きっと“似ている”と言われても喜ばないだろうし、二人をよく知るヒルゼンが同意してくれるとも思えなかった。そうと分かっていてさえトバリは二人に共通する気安さが不思議だった。
大蛇丸は気安くトバリの胸を開き、血を吸い取り、皮膚を裂く。大蛇丸はそういう男だ。
トバリは、大蛇丸が自分を慮ろうとしないことを気に留めたことはなかった。
大蛇丸が人体実験に勤しむのは、子犬が兄弟犬とじゃれ合うのと大差ない“自然の摂理”だ――しかし大蛇丸当人は目の前の幼児に子犬扱いされることに辟易したらしかった。
当然だ。年齢は疾うにお肌の曲がり角を越え、犬を思わす外見的特徴もなく、体積からして子犬とかけ離れているオッサンである。オネエ言葉を巧みに駆使するものの、日々の鍛錬で磨き上げられた体は誤魔化せない。光り輝かんばかりのインナーマッスルを誇るオッサンだ。そんなオッサンが子犬扱いされる理由は、オツムを揶揄される時以外発生しない。大蛇丸は他人の心の機微に聡かった。ついでに心も狭かった。大蛇丸には分かっていた。自分こそ子犬程度の大きさしかない子どもに“子犬並のバカ”と思われている。自分の腰ほども背丈のない、ちまちまっとした生き物に“落ち着きを欠いた幼稚なオッサン”だと馬鹿にされているのだ。とてもムカつく。
少なからず限界がある実験生物をまるで慮らないのは馬鹿――結局のところ、非効率的だ。
大蛇丸にだって、四歳の子どもに分かることが分からないわけではない。生かさず殺さず、効率よく熱量をむしり取る術を知らないわけでもない。ただ、面倒くさかったのである。
哺乳類であろうと細菌であろうと、“生命”の括りで縛られるものを維持するのには手間がかかる。大蛇丸の関心が生命そのものに向いている以上、常に面倒ごとはついて回るのだった。
トバリを雑に扱うのは、大蛇丸が人並み外れて面倒くさがりなわけではない。人並み以上に面倒事を抱え込んでいるから、省けそうな手間は一つでも多く省きたいのだ。それ故、大蛇丸はトバリを慮らなかった。折角再生能力が高く、多少雑に管理しても良い個体なのだ。自分の気持ちが赴くまま、雑に扱っても良いじゃないか。幸いにして口数も少ないし、今のところは利害も一致している。そう思っていた。そう思っていた結果として、無事トバリに舐められた。
ムカついたならサクッと殺してしまえば話は早いのだが、殺すと更なる面倒事を背負う羽目になるし、そもそも殺せないのだから如何しようもない。つくづく根気強い対処を強いる生き物だ。
まあ、殺さず、簡単に相手の見解を改めさせたいなら、“潜脳操砂”という忍術もある。しかし、大蛇丸は腐っても三忍と呼び称される上忍オブ上忍である。子ども相手にガチ忍術はあまりに馬鹿らしい。それに、カンヌキと二人でチャクラ量や印の結び方を再現してから随分経っていた。やって出来ないことはないものの、脳に直接関与する術をぶっつけ本番で試す気にはならない。
物理的解決(殺害・恐喝・脅迫・潜脳)が望めない以上、相手との交流の中で解決する他ない。
大蛇丸はウン十年ぶりに自分の行いを改める気になったらしかった。自分の“面倒くさがり病”を悔い改め、トバリという限りのある資源を大切に、効率的に扱うことにした。そう、“いっちょヤクでも一発試してみるか”と思ったのである。結局、いつもの適当な思い付きだ。本草学に一切の造詣を持たず、卓越した医療技術をも持たない大蛇丸が、麻酔キットを持ってきた。
昆虫採集キットでも持ってきたかのような気軽さで、大蛇丸が言う。五回ぐらい打てば持続時間も伸びるでしょ。最早シリンジに刻まれた目盛りを確かめることさえなくなった大蛇丸に、トバリは思った――きっと、この人はカブトムシと人間の区別もつかないに違いない。
原則的にトバリの体は心臓、下腹部、上体、四肢、脳の順で再生する。
重要度で言えば心臓の次ぐらいに高そうな脳機能が最も後回しにされるのは、どこか不思議な感じがする。大蛇丸から「自分の体なんだから、チャクラコントロールのごり押しで如何にかなるんじゃないの」とも言われたが、トバリの意志ではどうにもならなかった。チャクラによる筋力強化さえ不得手なトバリである。大蛇丸の提案を検討することはついぞ出来なかった。
なお自己治癒力を向上させるのと、他人の自己治癒力を向上させるのとでは天と地ほどに難度が変わる。後者は医療忍術の範疇であり、他人の経絡系をコントロールする段になると個人の向き不向きが顕著に出る。要するに医療忍術を不得手とする大蛇丸にも、自分の説を検討することが出来なかった。ほんの短い付き合いでも分かるぐらいプライドの高い大蛇丸が「綱手が居れば幾らでも手の打ちようはあるのよね」と心底口惜しそうに言うあたり、はとこの有能さが知れる。
結局、誰にも如何にもできない都合上、相変わらずトバリの体は非効率的な順番で再生する。
心停止状態に陥っても、破損部位が少なければすぐ意識が回復するのだが、そうでない場合はかなり再生に手間取る。致死状態が長く続くと、問答無用で脳細胞の壊死が始まる。一度脳細胞が壊死すると、例え身体の生命活動が再開されていようと、壊死した箇所の修復が終わるまで目を覚まさない。幾度となく死亡体験のあるトバリではあるが、脳細胞の壊死――ブラックアウトは三度しかない。その三度の体験を踏まえて、一応四時間ほどで回復することが確認されていた。
大蛇丸からは「流石に待ち疲れるわ」と言われたが、普通の人間であれば四十年待っても復活しない点を考慮して我慢して頂きたい。大体にして、大蛇丸は注文が多いのだ。「気合で痛覚を鈍らせるぐらい出来るでしょう」とか「累計で言えば百リットル近く増血してるんだから、いい加減増血速度が向上しても良い頃じゃない?」とか、真顔で言ってのける。
兎に角、いつもどおり雑な方法で物事を発展させようとする大蛇丸に麻酔を打たれた。
一応は「ブラックアウト対策になるか試してみよう」という尤もらしい口上があるにせよ、勿論、そこにトバリの意志は一切存在しない。蛇毒を打ったり、指を切り落とした時と同じである。いつもの“何となく試してみよう”精神の発露によって打たれた。一昨日のことだ。
結果は散々なものだった。痛みが失せる代わりに腰が抜けて立てなくなるし、上手く喋れずに舌を噛むわ、頭がフワフワとして気持ち悪い。その上「最初から、小一時間で効果が切れる量に調整してあるわよ」と言い訳したくせに、三十分もすると四肢の感覚は戻ってきた。
結局のところ「余計に暴れるだけで、何の足しにも立たない」という理由で継続投与には至らなかったが、その“たった一度”がトバリにとって忘れがたいものとなったのは言うまでもない。
トバリにとって、自分の自意識を保つことが出来ないのが何より不快で、恐ろしく、耐えがたい。五感が自分の支配下から逸脱する恐怖に比べれば、まだ痛みのほうが耐えられる。
自分が今どこで何をしているのか――それを知覚し、外界に干渉することこそがトバリの本能的欲求だった。自然と、トバリは思考した。未だ狂ったままの五感の全てを用いて思案する。
いざ、姫。穢き所にいかでか久しくおはしむ。
女の声は、まだ何事か囁いていた。
五感は少しずつトバリの体に通いはじめ、この奇妙な空間の質量を生々しく伝えてくれる。
それでも、女が何を言っているのかはわからなかった。聴覚の問題ではない。言語の問題だ。女の言葉は古めかしいばかりか、訛りも酷かった。大陸言語が広く使われるようになってから何百年も経つ今のご時世、これだけ古めかしい言葉には中々出会えない。トバリ自身祖父の時代は今よりずっとポピュラーな存在だったから知識として――祖父の「何を言ってるかわからん」という悪態を――“方言”の存在を記憶しているだけで、実際に耳にするのは初めてのことだった。トバリは女の言葉を理解しようと耳を澄ましたが、ふと、自分の腹部に触れるものがあることに気付いた。
女の手だった。それまで朦朧としていた視界が突然開けて、声の主のものだろう手が目に入る。まるでその手に気付くことが何らかの“条件”であったかのように。
トバリはマジマジと、自分に触れる手を見つめた。
それは白々とした皮膚に覆われた、しなやかな手だった。特筆すべきは、その指先の爪が異様に長いことだろう。黒く、長い爪。恐らくマニキュアを塗っているのだろうが、濃色特有のはっきりとした光沢はなかった。家政婦が爪の補強に透明マニキュアを用いているので、トバリはマニキュアを塗った爪が如何いう風に光を受けるか知っていた。しかし女の爪は爪の繊維に沿って、縦にぼんやりとした光を映すのみである。生爪と同じ光の受け方だと、トバリはぼんやり思った。
そもそも、光源は何処であろう。トバリは顔を上げて、あたりの様子を窺おうと試みた。
確かに瞬き一つなしに見据えたはずなのに、トバリの瞳には何も映らない。“一寸先は闇”という慣用句があるが、一切の比喩表現と無縁にその通りであった。確かに自分たちの姿は目に映るのに、それ以外は何も見えない。夜の帳より遥かに濃密な闇のなかにポッカリと、自分たちだけが浮かんでいた。あまりに常軌を逸した光景を知覚した途端、トバリはぽかんとした。
今や、トバリは自分が女の膝に乗っていることを理解していた。女が誰かは分からないし、少なくとも“街区で見かけた”程度の繋がりもなさそうだ。視界の端に、女のものだろう、白い、長い髪が映りこむ。こんな異様な風体の女が、街区の喧噪に紛れるとも思えない。
トバリは考えた――何故、見知らぬ女の膝に座っているのかと一人思案する。わからない。
随分回復した記憶野を頼って、トバリは自分の一等新しい“記憶”を探すことにした。
すると、“大蛇丸せんせいの楽しい臨床実験ごっこ”以降のものが存在しないことに気付く。
大蛇丸せんせいが新しく調合したとかいう蛇毒を幾つか、肺機能の再生順を見る為に肋骨を数本。その後、腹部を刺されてからの記憶がない。脳機能が停止したのだろう。いつものことだ。
いや、いい加減“いつものこと”じゃ困るのだけれど、トバリには如何しようもない。この小さな体で、あの物理攻撃力の高いマッドサイエンティストをどうやって止めろと言うのか。なお、この場合の“物理攻撃力”は忍術・体術・剣術全般と無関係の“比喩表現”だ。一切の代替案や補正案を用意せずに事にあたる、あまりに豪胆な探求心に由来する。それだけ大雑把に生きてるくせ、何が肝要かは理解し、要領よく振る舞えるのだから羨ましい限りだ。見習いたいとさえ思う。
大蛇丸への不平不満がスルスル出てくるあたり、思考回路に異常は見られない。トバリは顔の前に上げた手を動かした。全身の倦怠感も薄れ、自分の意志で体を動かすことも出来る。
殆ど正常と言って良い――ただ、自分の置かれている状況を除いては。
相も変わらず女は何事か喋りつづけているし、執拗にトバリの腹を撫でていた。
やさしい手つきで、トバリの体を労わるような丁重さで、女はトバリの腹を撫でさする。
女の爪はいっそクナイの刀身ほどもあろうかというほど長かったが、トバリの腹に食い込むことはなかった。器用な女だ。何故なのか、そう思うと同時にトバリは猫について想起した。
トバリにとって“猫”と言えば、それは彼女の家の床下に居を構えた、野良猫一家のことである。
トバリは訓練や修学の合間合間に床下を覗き込んで、彼らを観察した。
妊娠・出産が生きる上での大仕事なのは、人も猫も変わるまい。ただでさえ飼い猫より断然過酷な環境に置かれているにも拘わらず、母猫は健気だった。身重の体でありながら、彼女はちゃんと自分と子どもたちの落ち着ける場所を探し出し、ひとり孤独に五匹の子どもを産んだ。
まだ幼い子猫にお乳を吸わせながら、母猫は子どもたちの毛づくろいに耽る。もぞもぞと動く子猫を押さえつけて、懸命に顔を舐め、背を舐め、泥を落とす。自分こそ毛づくろいしてくれる誰かが必要だろうに、やせ細った母猫は、それは丁寧に子どもたちを舐め清めるのだった。
猫は、子を産み育てる術を誰に教わるのだろう? 子どもの命を繋ごうと試みる、種としての本能――そう言い切ってしまうには、母猫の育児はあまりに手間が掛かっていた。
猫を馬鹿にするわけではないが、脳の体積から言ってトバリより物識りだとは思えない。でも、猫より賢いはずのトバリは子どもの育て方を知らないのである。トバリは不思議に思った。
“妊娠”とは、自分の下腹部に自分と別個の生命体を飼って、排出すること。
自分の熱量を貪るだけ貪って何の役にも立たない生き物の何が可愛いのだろう? 種の保存を本能付けられているから、そこに存在するだけで無条件に“可愛い”と感じるのかもしれない。
種としての義務を果たした高揚を、子孫への情と勘違いしているのだ。それが“知性に反する愚かな行い”なのか、もしくは“本能に即した正しい行い”なのか、トバリには分からなかった。
いつ覗いても、母猫は床下に――剥き出しの土が広がるだけの荒れ地にいた。朝も昼も夜も。
母猫がいつどこで、自分が生きるための熱量を補給しているのか、トバリには一切の見当がつかなかった。お産で体力を失いすぎたのではないかと、そう不安になるほど母猫は動かなかった。
トバリの心配を余所に、子猫は平然と母猫の熱量を搾取する。日に日に丸くなっていく子猫を眺めて、トバリは悩んだ。同居人として幾らかの情をかけるべきか、はたまた飼うつもりもないのに手を出すのも無責任だろうか。そうやって悩んでるうちに子猫は自分の食い扶持を稼げるようになり、母猫もふくふくと脂肪を蓄え始めた。猫というのはよくわからん生き物だ。結局“野良猫一家”は一匹の餓死者も出さず、母猫もたっぷりとした尾を揺らしながら去っていった。
最近になって分かったことなのだが、あの母猫は、トバリの家の近くにパトロンを囲っていたらしい。つい最近も、望まぬ修行の帰路で見覚えのある猫影を見かけた。やけに脂の乗ったマグロをカッカッと貪る“元・母猫”は、自分の上に影を作るトバリに一瞥もくれなかった。
別に、トバリのことを恨んでいるわけではないのだろう。ある程度人慣れしているから、害意のなさそうな人間が近づいても逃げない。そして一度たりとも餌付けしたことのない人間だから、媚びを売らない。利用できるものを利用するだけで、無暗とひとに媚びない。
それが正しい野性の在り方だ。しかし、トバリによって延命した子猫はそうではなかった。
兄弟猫と母猫がトバリの家を去った後も、子猫はトバリの家の床下に住み続けた。
元々“野良猫一家”の内訳に含まれないところがあったから、ひとりぼっちになろうと如何でも良かったのだろう。置き去りにされる形となったが、別段クヨクヨしている風もなかった。
母猫から狩りの仕方を教わることもあったし、兄弟猫たちと屈託なくじゃれあうこともあった。でも、母猫にとって“可愛い我が子”の一匹ではなかったのに違いない。トバリの知る限り、強かな彼女が“五匹目”の毛並みを整えてやったことはなかった。それも、自然の摂理だ。
弱者は淘汰されることが当たり前の、人間よりずっと単純で原始的な世界。トバリは自分のエゴでそこに介入して、自分の尺度による“救済”を図ったのである――助けを求めていると感じて。
トバリは分かっていたはずだ。もしくは、もっと真摯に考えればすぐ思いついただろう。一度でも手垢がついてしまえば、元いた野生には戻れない。トバリに出来る、たった一つの“救済”はあの子猫を所有することだけだった。それなのに――愚かにも、トバリは所有権を放棄した。
二度と野生へ戻れない子猫を野生へ返そうとした。トバリは生物淘汰から掬い上げた子猫を、また別の地獄へ追いやったのだ。それを“救済”と言い張るのは、あんまりに惨い。
女の手に撫でさすられながら、トバリは自分の浅慮で死んだ猫について思い返した。
手のなかの生温かい命。給餌もしたし、蒸しタオルで毛並みを整えもした。床下でいつまでも五月蠅く鳴いていたからだ。可愛いと思ったわけでも、生物淘汰の憂き目に合う命を哀れに思ったわけでもない。ただ自分の五感の及ぶ範囲で助けを求めていたから、それに応じた。それだけだ。
何故――言葉も通じぬ畜生が“助けを求めている”などと思ったのだろう。
「詮なきこととはいえ、やはり未熟なお前を俗世に紛れさせるのは愚策だった」
不意に、トバリにも理解できる言語が振ってきた。
理解できる……とは言っても、今度は話の内容が分からない。突然“未熟者”扱いされるのは兎も角、俗世とは何のことだろう。トバリは思索を中断して、女の声に意識を向ける。
「詰まらぬ小細工で幾分と苛立たされたものの、却って良かったのかもしれぬ。自律思考が発達すると、より上質な養分を生む。経絡系の流れも安定して、理想的な用土に育ったものだ」
幾らか情報を得ることが出来るのではないかと思ったが、支離滅裂で全く分からない。
いい加減、トバリは嫌になってきた。秒針一つない緩慢な時の流れ。発展性のない会話。これなら、まだ大蛇丸か猫のほうが意思の疎通が成り立つ。何故、トバリはこんなところにいるのだろう? 考え飽きた問いに焦点を戻しても、やはり何も分からなかった。当然だ。先ほどからずっと女の膝に抱かれているだけで、女の台詞以外に何の変化もないのだから。
夢を見ているのだろうか。意志の疎通を試みようともしないで、トバリは考えた。
その全貌を見るまでもなく、奇妙な風体をしているのが分かる女。光源もないのに開けた視界、果てのない闇。如何考えても、これは現実ではない。トバリは、そう結論付けた。
確かに身体機能は正常ではあるものの、常識的に考えて、こんな非現実的な空間が地上に存在するとは思えない。勿論時空間忍術を用いれば話は別だろうが、医療忍術より難度の高い時空間忍術の使い手は希有である。そんな優秀な忍者に幼児誘拐を任せる無能がどこにいるのか。幾らトバリが二代目火影の近親とはいえ、他里の人間相手に「へえ、そうなんだ」以上の反応は望めない。三代目火影に対するけん制や見せしめだと言うのなら、アスマを狙ったほうが余程効果的だ。
歌うように物語る声を聞き流して、トバリは困惑する。多分、これは“夢”なのだ。
夢――イタチやアスマにとっての“夢”と同じ、荒唐無稽な妄想。
大蛇丸の“好き放題”のせいで、脳に負荷が掛かりすぎたに違いない。背後の女が誰か分からないのも、それにも拘わらず懐かしく感じるのも、“夢だからだ”という言葉で決着がつく。
そう考えてみると、「自分は世間一般で言うところの“夢”なぞ見ない」なんてのはトバリの勘違いだったのかもしれない。単にそう思い込んでしまっただけで、以前に見たカンヌキの夢だって、幾らか虚飾混じりだったに違いない。きっと、そうだ。何故、それが事実だと思い込んでしまったのだろう? トバリは父親の顔なぞ知らない。ヒルゼンもアスマも、みんな、カンヌキはただの一度もトバリに会いにこなかったと言っている。センテイだって、ボケる前からずっと言っていたーー“産まれついてカンヌキには放浪癖があって、根っから無責任なひとだった”と。
扶養義務以外の全てを投げ出して、父親は繰り返し里を後にする。綱手と同じように、そして珍しい植物をセンテイに任せる時と同じに。父親は、どこまでもトバリに無関心だった。
温室のなかには、トバリの父親が火の国のみならず各国から集めてきた植物が青々と茂っている。しかしその何れも、温室内へ植えて水をやり、花を咲かせたのはセンテイだった。
誰もが言う。カンヌキは無責任で、我が子を育てるどころか、里に留まることさえ稀だった。
何故大多数の客観的意見よりも、自分が夢にみた妄想のほうが正しいと思ったのだろう。
夢と言うにはあまりに生々しい知覚、質量を伴った空間。
これが荒唐無稽な妄想の一種だと思うなら、父の夢もこれと同じ“虚構”に過ぎない。
見知らぬ女の膝上で、トバリは自分が出した仮定に動揺した。
父の夢もこれと同じ“虚構”に過ぎない――いざ言葉にしてみると、それは尤もらしい響きでもってトバリの胸を揺さぶる。それと同時に何か不穏な等式が浮かんだ気がしたけれど、父親への恐怖心に紛れてしまった。その程度のことだった。トバリはそう軽視することにした。今はただ、自分の仮定が如何に正しいか、その証拠を集めたかった。トバリは急いて思考を展開させる。
何もかもが自分の考えすぎで、気のせいだった。そう考えると、強い安堵感が後から後から湧いてくる。“そうであって欲しい”とトバリが望んでいるのは明らかだ。そして改めて物事を俯瞰視してみれば「たかが夢を真に受ける自分がそもそも愚かしいのだ」とも思う。
外へ出たストレスで神経が休まらず、いつも通り熟睡出来なかった。それだけのことに過ぎない。如何考えても、そう考えるのが一番筋が通っている。ヒルゼンもアスマも、同意してくれるはずだ。それなのに、何故自分は、あれが現実に起こったことだと確信してしまったのだろう。
つくづく一月以上も、随分馬鹿げたことで思い詰めていたものだ。
フサエに心配をかけたし、随分と修行も怠けてしまった。目が覚めたら、全部終わりにしよう。もう大蛇丸と一緒になって、自分の体を傷めつける必要もない。潜在的にチャクラ量の多い人間は治癒力も高い。トバリも、ただチャクラ量が多いだけなのだ。トバリが可笑しいのではない。所詮は師であるヒルゼンからも訝しまれている男だ。大蛇丸が本当のことを言っている証拠などありはしない。何もかも最初からトバリの気のせいで、本当はイタチのように普通に男女の間に産み落とされたのではなかろうか。そうでなければ、こんなふざけた夢を見るはずがない。
自分はふつうの子どもだった。父母がいなくとも、それさえ確かなら如何でも良い。
もう良い――繰り返し、トバリは思った――もう、如何でも良い。
父親は死んだ。じきにセンテイも死ぬ。誰にもトバリの真実を明かすことは出来ない。
トバリ自身も何が嘘で何が真実か分からない以上、大多数の客観的意見を“正”とするのがそんなにいけないことなのだろうか。トバリはそうは思わない。間違っていたのはトバリだった。
トバリを苦しめたあの夢の全てが虚構で、現実に起こっていない妄想だった。それが真実だ。
病的に白い腕、加齢に従って弛んだ手。父親が自分の体を布団から引きずり出して、剥き出しの畳の上に投げ出す。どすんと腹に乗った膝と、首に掛けられた手が生々しい閉塞感を与える。記憶の錯乱と、胸中で抑圧された感情の現れ。あれは、トバリの果てのない寂寞と不安、孤独が産んだ幻だった。女の体温を背に感じながら、平らな腹を労わられながら、トバリは脱力した。
全部ウソだった。自分を見下ろす瞳。自分を縊る男。爛々と光る赤い瞳。自分の上に乗る男が興奮状態にあることを示す瞳孔。畳の上に散らばる私の四肢。嗅ぎ慣れた血の匂い。
追想のなかで、ぎゅうと、父親の手が首を絞める。今となっては儚い幻。ただ夢のなかで、夢と気付くことが出来なかったから酸素を求めた。肺が収縮を繰り返す。おまえがどうして。
無抵抗のトバリに、カンヌキが呪詛を吐く。おまえが死ぬはずだったのに、何故のうのうとトバリと同じ顔で、トバリのいるべき場所で生きているんだ。それも、げんじつではない。
ミシと骨が軋む。ポタポタと、カンヌキの涙が降ってくる。温い雨。頬に落ちた涙滴は見る間に熱を喪って、トバリの輪郭をなぞった。何度も、何度も繰り返し。冷たく乾いた皮膚が、涙の痕で引きつる。もし彫像に五感があればこんな風に感じるのだろうかと、頭の片隅で考えた。
表皮に違和感を覚えても、自分で拭うことは出来ない。拭ってくれる人もいない。それが当然で、塗りが剥げても何ら気に留めることもない。無論、それは嘘だ。夢の中でそういう風に思ったというだけの錯覚。トバリは父親の顔を知らない。父親は無責任な人で、育児には不向きだった。それ以上でもそれ以下でもない。トバリはずっと、そう聞いて育ってきた。
父親が死んだときも哀しいとは思わなかった。父親がトバリを顧みなかったように、トバリにとっても父親の存在は軽いものだった。 の痴呆が始まった時のほうが、ずっとショックだった。それだって、別に、トバリは誰も、誰にも何か、ただいつも――全部、気のせいだ。
何もかも気のせいだった。
一体幾度その“逃避”に縋っただろう。
目を閉じて、耳を塞いで、全てを拒んで独りになれば、トバリは何にも傷つかない。
自分で選んだ孤独のくせに、それが辛くなったからといってまた逃げるのか。それはあまりに無責任で、馬鹿げた振る舞いだ。何十年も何百年も同じ過ちを繰り返して、まだ懲りない。
自分の気持ちに蓋をしたら、それで何もかもなかったことに出来るとでも思っているの。
カンヌキが会いに来てくれるのが、うれしかった。
わたしを好いてくれなくとも、愛娘に寄生したバケモノとしてしか見られていないのだとしても、うれしかった。わたしを処分しない限り、カンヌキは必ずわたしの傍を離れない。
必ずあなたはわたしのところへ帰ってくる。そうやって、何百年、何千年の時が過ぎたら何もかも忘れてくれるかもしれない。最初から、わたしが“トバリ”だったと、そう思ってくれる。
わたしの意志と関係なく、折れた脊椎骨が再生する。
破裂した血管が、散らばった血液が、わたしの喉に収まっていく。悍ましいものでも見るようなカンヌキの目に晒されながら、カンヌキの怒りで破損した部位が元に戻る。でも、カンヌキが求めたものは二度と元に戻らない。重たい肉体。痛みだけを正確に伝える五感。腹部を中から圧迫する鈍痛。引いては打ち寄せる波のように、ぼやけた自我を、記憶と五感を頼りに引き留める。
わたしでは駄目なのだろうか。何度も思った。わたしは、あなたの愛したものと同じ見目をしている。声も、寸分たがわぬものであるはずだ。あなたが望むのであれば、話し方も、立ち居振る舞いも、全て変える。目を閉じて、耳を塞ぐ。あなたの意に沿わないことは、決して行わない。
あなたの望みに応えれば、わたしがトバリになれると思った。
トバリ。わたしの名前。わたしの意志。わたしの未来。わたしの感情。わたしという人格。
わたしはここにいたい。過去のことは全て忘れる。ここを追い出されたら、わたしという自我は単なる“瑕疵”になってしまう。嫌だ。わたしは、何のために存在するの。その問いに対する答えが、希望に満ちたものであることを望んだ。それがそんなに罪だと言うのだろうか。
誰もが皆当たり前のように未来を夢見る世界で、わたしだけがこの世界に存在することを許されない。わたしだけが、この世界に発生した時から他の犠牲となることを義務付けられ、その人格に幾許の価値もないと決めつけられ、ただ“この世界をより深く憎みますように”と願われる。
産まれついてわたしの胎に根を張るものを育てる為に、ただ全てを呪えと、お前の自我は単なる熱量で、未来の選択肢は一つもないのだと言い含められる。あなたに捨てられれば、“トバリ”になれなければ、わたしは元居た場所へ戻るしかない。地中と同じ、暗くて静かな“無”の世界。
ここはトバリの居場所ではない。でもトバリはここに自分の居場所が欲しかった。ここに自分の居場所があるかもしれない、とも思った。その浅はかな思い込みが、トバリの全てだった。
いつか、おじいさまのような立派で優れた忍者になって、おじいさまの愛した里をあなたも愛し、守りなさい。祈るように、 が夢を見る。トバリも、同じ夢を見たかった。
この里は、祖父の夢のつづき。そこに、わたしの光が暮らしている。
それなのに、“何もかも気のせいだった”と、その言葉で逃げるのか。何も知らない人々のやさしさに付け込んで、自分一人傷つかなければそれで良いのか。何故学ばない。
ここに居場所が欲しいと思うのなら、自分の力で抗え。忘却を理由に逃避をするな。自分の身に何があったか思い出せ。何故誰にも自分の真実を明かすことが出来ないのか、その理由を探せ。
誰も、トバリという人間の未来を望みはしない――たった一人の例外を除いて。
やめてください。ひびわれて硬い手がトバリを庇う。
この子に何の罪があります。“お嬢様”が死んだのは、もうずっと昔のこと。喩え人間でないにしろ、この子に何の罪があります。坊ちゃん、やめてください……やめてください。
すすりなく声が部屋に木霊する。カンヌキは荒く息を吐きながら、振り上げた拳を下した。眼窩の奥の、赤々とした闇がトバリを見つめている。憎しみと哀しみが綯い交ぜになった瞳だった。
トバリの視線を疎んでか、カンヌキは両手で顔を覆い、すぐ脇の壁に寄り掛かった。何の罪がある? チャクラで保護しようともせず、無防備に壁を殴る。それを聞いたのは僕だ。
カンヌキが握った拳を壁にこすりつけると、緋が散った。
これは僕の馬鹿げた逃避と独りよがりから産まれたものだ。如何して何の罪がないと思う。
柔らかい皮下組織を、ざらざらした壁で削り続ける。暫くの間そうやって、カンヌキは壁に血色の絵を描いていた。桃と緋の隙間から黄ばんだ脂肪が覗く。硬い音を立てて、また、壁が鳴った。
きっと些細なことで逆上しそうになる自分を、痛みで紛らわそうとしたのだろう。
肉体の痛みが心の痛みを凌駕することを祈って、カンヌキは血を流し続ける。ありったけの誠実さを示そうと、カンヌキは、自分のなかの激情に抗っていた。トバリが自分の意志で木ノ葉隠れの里へやってきたわけではない。カンヌキにも責任がある。トバリは加害者ではないが、被害者でもない。カンヌキの示そうとした“誠実さ”は彼の痛みなくして成立しえなかった。
随分長い間、カンヌキは努力していた――彼の尊厳に懸けて。でも、とうとう痛みに耐えることは出来なかった。当然だ。トバリだって、同じように、いや彼よりずっと愚かな逃避を繰り返してきた。カンヌキが私憤を捨てきれなかったといって、非難出来るはずがない。
幾らかの平静を得ると、カンヌキは危うげな足取りで踵を返した。無言の背中が去っていく。
カンヌキが消えるまで……消えてからも、センテイはずっとトバリを抱えて泣いていた。
トバリは老いさらばえた体躯で必死に自分を守ろうとする老爺に、頬を寄せた。それは、トバリにとって慰めのつもりだった。鬱屈のまにまに、愚かな子猫が膝に上がりこむ。にゃあんと媚びた声で、トバリの腹に頭をこすりつけてくれた。毛が付くと思いつつ、晴れやかな気持ちになったものだ。それなのに、センテイの胸中は曇天のままらしい。嗚咽がより激しくなる。
センテイは泣き、カンヌキは怒った。トバリにはその理由が分かっていた。トバリのせいだ。
トバリの失言のせいで、二人の胸中は酷く乱されてしまった。でも、その失言の内容が何かまでは思い出せない。カンヌキに向けて放ったものではなかった。たまたま、カンヌキに聞こえてしまった。そういう失言。間が悪かったと言うべきなのだろうか? いや、そうじゃない。最初からそっくり話すべきだった“失言”を、トバリは黙していた。自分の意志で誰にも話さないでいた。
最初からカンヌキに伝える気はなかった。センテイにも、それは同様だった。
トバリはどうにかセンテイの腕の中から抜け出すと、その顔に手を伸ばした。
涙の道が敷かれた頬に触れると、日に灼けて乾いた肌はパサパサしていた。華奢な指先に、しわの凹凸が伝わってくる。しわに埋もれた目元からは、まだ滝のような涙が流れていた。
子猫の死骸を目にした時も、いや、それよりずっと酷い泣き顔だった。
なんと言っていいのか考えあぐねて、トバリはセンテイの涙を拭った。涙を拭われながら、センテイがトバリに手を伸ばす。その指先が怯えた風に震えていた。気味が悪いのだろうか。センテイは傷一つないトバリの胸に――ついさっき、確かにクナイで切り裂かれたはずの胸に触れて、ひびのいった唇を噛んだ。ぐっと、喉が低く鳴る。かわいそうなセンテイ。温い雨のなかで、トバリは思った。傷がある間は勿論負傷者の体調に関心を寄せるのが一般的だが、治ってまで気に病むのは無駄なことだ。それが当然だと思うのに、センテイは“痛み”や“傷”にいつまでも囚われてしまう。
わたしは何のもんだいもない。いつものことだ。何も、お前が泣くことはない。
そう口にするトバリの体は傷一つなく、極めて健康体だ。その一方で、センテイの体にはいくつかの痣が残っていた。黄ばんだ肌の下が青くうっ血している。治るまで一週間近くかかるだろう。トバリのせいだ。トバリの浅慮から、いつもこの老爺は傷ついてしまう――心も、体も。
この世に産まれる前からトバリには一つの望みがあった。
誰かのために、自分はここに存在するのだと思いたかった。他者に求められ、その役に立つことだけがトバリの願いだった。自分の存在を確かめるために、トバリは奉仕を望んだ。
トバリの五感の及ぶ範囲で助けを求めるなら、それに応じてやりたい。トバリの行動次第で運命が左右出来るなら、良い方向へ行けるよう手助けしてやりたい。生きることが苦しいのなら、その気持ちを紛らわしてあげたい。今が幸福なら、その環境を守ってあげたい。その何もかも全て、トバリが望んだものだった。馬鹿馬鹿しいことに、誰かに守ってほしかったのはトバリ自身だった。
助けてほしいなんて思わなかった。
そう口にしたところで、トバリの手を引いてくれる人は誰もいない。
一人にしないでほしいなんて、望まなかった。
縋ったところで、侮蔑と共に振り払われるのが目に見えている。
失望するぐらいなら何も期待しないほうがいい。手に入らないなら望まないほうがいい。幸せになれないのなら、何も感じないほうがいい。誰も傍にいてくれないなら、最初から――そんな懊悩を永遠に繰り返す。理性に学ぶこともなく、生物としての本能で番を探し続ける。
誰でもいい。わたしと共に生きて、わたしを愛して。
トバリは自分と同種の生き物がいない場所で飼われ続けた。
時の流れも分からぬ闇のなか、時折母の腕と声だけがトバリの孤独に触れる。如何しようもない寂しさから、トバリは母に縋った。自分の頭では何も考えず、自分に触れるもの全てに縋った。“自分のそばにいてくれ”と縋って、何度も突き放され、次第に“縋っても無駄だ”と学んだ。
その“人恋しさ”はこの世に産まれ落ちてからも変わらない。ただただトバリは寂しかった。何でも良いから、傍にいてほしかった。誰でも良かった。誰もが受け入れてくれるわけではないと知った。受け入れて貰えない苦しさを知ると、拒絶と孤独のどちらが辛いか分からなくなった。
拒絶と孤独。トバリにはその二つの選択肢しかない。番を得るより、自我を失うほうがずっと容易い絶望。自分という殻のなかで、トバリは自分の孤独を忘れ、自分を顧みなかったもの全てを呪うことが出来る。その結論が見えてきた頃、トバリは自分が何のために存在するのか知った。
今もまだトバリは番を得ることを諦めきれない。寂しい。ここにいたい。居場所が欲しい。自分と誰かがすっぽり収まることのできる、居心地のよい巣。家族。トバリのための命。その祈りが破綻した時、トバリは全てを呪うだろう。その呪いを吸って、胎のなかの神樹の種が発芽する。
数百年に渡る孤独も、不自由も、不自然な形での転生も、今生の境遇が数多の犠牲の上に成り立つのも、全部、最初から――何もかも、トバリという肉畑で神樹を育てるためだった。
一番忘れてはいけなかったことを、何故忘れた。
「ワラワのかわいい盆養。そのまま、すくすくと胎の子を育てるが良い」
トバリの背後で、母が満足げに微笑する。思い返すと、実に一年ぶりの再会だった。
気高くもうつくしい、お可哀想なお母さま。色んな事を忘れ、呑気に暮らしていたトバリを詰ることもなく、優しく撫でてくれる。こうしておけば満足なのだろうとでも言いたげに、優しい。
母の手が撫で、母の声が労わるのは、トバリではない。確かに、トバリは“嬉しい”と感じた。“懐かしい”とも思った。自分を養分としか思っていない女に触れられて、それでも嬉しいと感じる、浅ましい本性。それがトバリだ。カンヌキが殺すことに失敗した、醜い生き物。
トバリは口を開いた。何か言ったところで相手にしてくれるひとではない。そうと分かっていても、トバリは何か言いたかった。何を言いたいのか分からない。何でも良いから、喋りたい。
自分のなかの感情が音になるより早く、母の冷たい唇が耳朶に触れる。
「お前も、よもやこの母を裏切るまいな?」
嘲笑交じりに母が囁く。“お前にそんなことが出来るはずもない”と、そう決めつける声音で。
・
・
・
遠くで、鶏を絞める音がした。ギャアギャアと消失を恐れる悲鳴。
仕方のない本能的恐怖だと知っていてさえ、死がそんなに恐ろしいのかと不思議になる。死ねば、そこで終わりだ。少なくとも、終わることが出来る。終わるということは、もう二度と苦しまずに済むということだ。ずっと他人の意志で飼われ続けるより、屠られたほうがどれだけ楽か。
牛も豚も鶏も、トバリよりずっと良い。ひとの役に立つし、なるたけ苦痛のない方法で屠られる。トバリも家畜だったら良かった。そうしたら、同種の生き物と共に生きていけたのに。
朝の冷たい空気のなかで、トバリは体をくの字に折った。朝だった。朝で、そこは見慣れた自室だった。ブルーシートも、奇妙な闇もない。枕元の目覚まし時計が朝六時を知らせるアラームを鳴らし続け、トバリの口からはそれを掻き消す声量の悲鳴があがっている。トバリは両手で口を塞いだ。音を発し続けているのは目覚まし時計だけで、鶏どころか雀の鳴き声さえしない。
よく考えてみれば自宅近辺に商店街などない。鶏の断末魔なんて、聞いたこともなかった。
トバリはガタガタ震える体で深呼吸を繰り返した。幾らか気持ちが収まってから、口元からそっと右手を剥がし、アラームを止める。しんと、静寂があたりを支配した。
静かで、明るくて、爽やかな初夏の早朝だった。
意識が飛んだことを除けば――いや、それだって四度も経験すれば十分“いつもどおり”である。いつもの朝だった。起きた後にすることは、寝ないで迎える朝と大差ない。
朝が来る度トバリはアラームを止めて、一応敷くだけ敷いた布団を仕舞う。その後で、朝風呂に入るのが毎朝のお決まりだった。体を清めるのが好きなのだ。トバリは夜も朝も風呂に入る。浴槽に水が張るのを待つ間、顔を洗って歯を磨き、着るものを準備する。そうこうしているうち、八時ちょっと前に家政婦がやってきて、朝食を作り始める――トバリに必要ないものを。
トバリは目覚まし時計に乗せた手をスライドさせて、その脇にあるポーチをまさぐった。冷たく硬い鉄塊を手繰り寄せて、そのまま自分の腹に打ち付ける。腹を抉りたかった。ジャガイモの眼をえぐり取るように、そうしたら何もかも今まで通り暮らしていける気がした。躊躇なく腹に打ち付けられるクナイが皮膚を破り、赤々と血を流す臓腑に埋まる。大蛇丸が着せていってくれたのだろう寝間着が破れ、緋色に染まる。突き刺したままのクナイが何かの力で押し返される。
トバリは痛みに喘いだ。抉られた肉は熱を持ち、貧血状態の体は鉛のように重い。
血を流し過ぎたのだ――トバリには分かっていた。脳に酸素が回らず、みるみる体温が下がっていく。灼けるような痛みを冷え冷えとした虚脱感が覆い隠していた。血を作り出さなければならない。そう思っているにも関わらず、トバリの意志と無関係に腹部の修復が始まる。
下腹部で、何かが蠢いていた。緋色の肉は空気中に晒されたまま、体の奥から癒えていく。少しずつ、ゆっくり、這うように……それは未だかつて体験したことのない感覚だった。しかし、ぼうっと靄の掛かった頭は、それを“悍ましいものだ”と理解することさえ出来ない。
腹部がその内側から丁寧に修繕されると、トバリの体は幾らか落ち着いた。
最初から、思い出す前からわかっていたことだ。腕の傷より、頭部の傷よりも早く、胎の傷が快癒する。トバリは血まみれのクナイを見て、荒い息を吐いた。焦燥感が、腹に残っていた。
これを如何にかしなければ、あの女が来る。死ね。死ななくては。早く、急いで死なないと。今、この自由が許されている内に死ね。そうでなければ、お前は元の化け物に逆戻りだ。理性もなく、五指もなく、口も利けず、水の中で息を潜める。管を通して送られてくるチャクラに耐えることも出来ず、末梢部位が破裂する。痛み以外の何も感じない世界。二度と戻りたくない場所。そこに連れていかれる。誰も助けてくれない。死ぬことも出来ない。ずっと痛みだけがある。
怒りも焦燥も目覚めた時のまま変わらないのに、クナイを持つ手は動かない。“どうせ何の意味もない”と知ってて動かさないのではない。そう割り切れるなら、どんなにか良かっただろう。
恐ろしいのだ。
皮膚が破れる痛みが、肉を穿つ熱が、臓腑に触れる空気が、緋色に溢れ続ける血が――それだけの痛みを伴って抗ったにも拘わらず、全てが無意味だと思い知らされる。
抗わなければ痛みを覚えることはなかった。胎の裡を這いずるものにも気づかなかっただろう。
「う、ぐ」
トバリは布団の上に頽れた。緋で染まったシーツに手をつく。
片さないと。頭の片隅で、冷静な声がした。昨夜食べた粥が喉からこぼれ落ちる。
胃が痛かった。胎も痛かった。体のなかで、何かが憤っているのが分かる。自分一人では如何しようもならないことも分かっていた。トバリに出来るのは、平静を装うことぐらいだ。布団を片し、クナイを洗って、血で染まった衣類と寝具を庭に埋める。それ以外に、自分に何が出来るのか。母の嘲りを思い返して、トバリは吐いた。胃が空になって、消化液が尽きるまで吐いた。粥の白と血の赤で紅白に染まった腕が、ガクガク震えている。目先の恐怖に囚われて身動きすることが出来ない自分に対する羞恥心。そんな自分を見透かして馬鹿にする母に対する憤怒。恐怖と羞恥と怒りとが混ざり合い、一体何が理由で精神の均衡を失っているのか分からなかった。
ただもう、如何しようもないほど惨めだった。
“いつもどおり”とまでは行かずとも、血が止まって暫くすると気持ちの面でも落ち着いてきた。
吐しゃ物まみれの腕をそっと布団から剥がす。トバリは呆然と自分の作り出した惨状を確認した。馬鹿げた衝動に突き動かされて、また色んなものを無駄にしてしまった。
家政婦が折角作ってくれた食事を吐き、ヒルゼンの買ってくれた掛け布団を血で汚し、これからまた家政婦の朝食を無駄にしなければならない。何故いつまでもトバリは学習しないのだろう。
何も無駄にするなとまでは思わないが、自分の体の造りを踏まえて暮らすべきだ。裂傷如きで死ぬ体ではない。自分の胎を抉ってみて、それが何になる。わかっていたはずだ。トバリはクナイを手離した。もう捨てる他ないシーツに、クナイがぼとっと血の痕をつける。敷布団も駄目かもしれない。なんて言い訳をしよう。いっそオネショでもしたことにするか。それが良い。
訥々とトバリは思案した。自分の頭で何か考えることが、何よりトバリを落ち着かせてくれた。
『経絡系の流れも安定して、理想的な用土に育った』
原則的にトバリの体は心臓、下腹部、上体、四肢、脳の順で再生する。
それは何ら非効率的な順ではない。トバリの胎に巣食う神樹の種が、自身の“寝床”を維持するために重要な部位から再生させるのだ。まず胎内の温度を下げないための心臓、子宮の位置する下腹部。頭が一番最後なのは、要するに“そういうこと”だ。トバリの存在理由は、トバリの自我の一切を必要としない。多分、この体は一定の年齢に達した時点で成長を止めるだろう。神樹にとって一番居心地のよい形で固定される。単純に考えれば、思春期が終わった頃……成人手前。
年を取らなくなれば、トバリが何もかもを黙っていても、例え母が何の手だしもしなくても、じきにトバリは人里で暮らせなくなる。傷が治るのは何とか誤魔化せる。医療忍術を学べばいい。でも年齢は、いや、綱手のような例もある。あの人は外見よりずっと年嵩だ。誤魔化せるかもしれない。どうやって誤魔化す。綱手がどうやって若さを保っているか知るより早く、成長が止まったら如何なる。例え知っても、トバリの手に負える忍術ではないかもしれない。綱手は優秀なくノ一だ。その可能性は十分ある。じゃあ、トバリは如何したら良い。トバリはグルグルと考えた。落ち着いたとはいっても不安は根強く、些細な切っ掛けひとつでトバリの胸中をかき乱す。
この里を出る? ここを出て、どこへ行く? 隠れ里よりずっと警備の甘い普通の市街か、もしくは無人の山奥で暮らしたところで、兄が迎えに来るだけだ。自分よりもずっと物識りで、母を愛している兄。母と同じにトバリの自我を軽んじている兄。十年前に一度トバリを絞り殺した兄。
またアレと暮らさなければならない――そう気付くと、あまりの恐怖に総毛立った。
枯草のなかには、自分と同じ顔をした少女が倒れている。
やせ細ってはいたけれど、傷一つない体。愛らしい容姿。器用そうな指。自分の意志で動くことが出来る、逞しい四肢もある。その子の胎を開いた兄が、死体の上に自分を掲げ持つ。小さい体は兄の手の中でブッと音を立て、いとも容易く握りつぶされた。兄の拳のなかから、白濁色の液体がしたたり落ちる。それは体液というより、樹液か果汁に近かった。交雑種のチャクラの実は外気に弱く、低温に弱い。チャクラなしで育たぬくせに、直接チャクラを注ぎ込まれると表皮が破裂する。数少ない生物学的長所として、繁殖力が強い。その一方で、チャクラの実の果汁も果肉も、種も、殆どの人間にとって――千手柱間と同じ遺伝子配列を持つ人間以外にとって有害だった。
近い血統が必要だった。隠れ里の外にいる子どもは恰好の標的だった。体を作り替える必要があった。種子がその子宮に定着するよう、彼女の体を神樹に近づける必要があった。
本当なら消えるはずの前世の記憶を有したまま、トバリは産まれた。前世の自分が育てることの出来なかった“子ども”と共に。一人の少女の命を踏みにじって、彼女の名前と顔で生きている。
それがトバリの記憶していることで、この一年というもの忘れていたことの一つだった。
次から次へと、記憶の扉が開かれる。
自分を縊る兄の手のなかで、トバリは自分を撫でる手を思い出した。
しわで弛み、乾いた掌。たった一度トバリに触れただけの手。母の嘲りを理解することさえできず、痛みだけがあった頃のことだ。たった一度でも、忘れがたかった。冷たい石の上に、老爺が座っている。兄から受け取ったトバリを膝上に乗せて、つついていた。トバリには、その老爺が兄と何を話していたのかは分からないし、何故自分を廃棄しないのかもよく分からなかった。老爺はトバリの触手を引っ張り、頭部を撫でる。その気まぐれに、トバリはよくわからないまま一つきりの目蓋を開けたり閉じたりしていた。やがて戻ってきた兄が、トバリを摘まんで、老爺から遠ざける。そのままトバリは戻らなかった――あの暗い水底にも、無にも、老爺のいた広間にも。
老爺はひとりぼっちだった。その時限りのことか、トバリ同様ずっとそうだったのか、はっきりとしたことは分からないけれど、トバリは自分以外の孤独を知らない。自分と同じだと思った。自分が母へ縋るのと同じように、トバリをつついたのだろうか。母や兄のように、口があって、耳があれば、その真意がわかるのに。そう思った時、漠然と“人間になりたい”と望んだ。
枯草を倒し、荒野に伏す亡骸。それを見て、何より先に“この体が欲しい”と思った。その姿で帰りたいと思った。戻りたくないと思っていたのに、かえりたいと、強く願った。
傷一つない体。愛らしい容姿。器用そうな指。自分の意志で動くことが出来る、逞しい四肢。自分がこの生き物と同じ容姿だったら、例え同種の生き物でなくとも、何か、誰かが番ってくれるかもしれない。浅ましい考え。人間になりたかった。如何しても人間になりたかった。
人間になりたい。でも、他人の居場所を奪うために人間になりたかったわけではなかった。
トバリはただ一人が嫌なだけだった。番ってくれるかもしれないと思ったものが人型をしていたから、人間が良いと思った。浅ましく、卑しい願いではあったけれど、それだけのことだった。誓って、トバリは彼女を踏みにじりたかったわけでも、カンヌキを傷つけたかったわけでもない。
あの荒野で、眼下の少女にどんな人生があったか知っていれば、トバリは何も望まず無に還った。そこがトバリの生まれた場所で、誰も傷つけることなく収まることが出来る居場所だった。
カンヌキはその事実を知った。それが、トバリの“失言”だった。
何故、こんなことになってしまったのだろう。
繰り返しトバリは考えた。前はこんな風に感じることはなかった。何もかも仕方がないと思っていた。夜毎夢の中で、母を名乗る女がトバリの存在意義を言い含める。何も考えなくて良い。情を移す必要はない。次第にそれが疎ましくなり、眠らなくなった。起きている限り、トバリの生活は普通だった。痛みを感じない日々は喜ばしく、カンヌキが稀に会いに来るのが嬉しかった。声を出せるのが嬉しかった。自分の手足が動くのが嬉しかった。他人の声を聴けるのが嬉しかった。書物を読みふけった。トバリにとって、この邸内の暮らしは決して孤独ではなかった。
前世の不遇を思えば、トバリという子どもの役を演じる日々は何もかもが楽しかった。いつからか、ここで死にたいと思うようになった。センテイより早く死にたい。そう願うようになった。
胎のなかに神樹の種がある限り、母も兄もトバリを放っておいてくれない。
そう遠くない未来に、またトバリはあの地中に連れ戻されるだろう。花も木も望めない、薄暗い洞窟。前と違うことは、トバリの胎で神樹の種がすくすく育っていること。母は、トバリの胎を大事にしてくれた。恐らく、あれきり会っていない兄もトバリを丁重に扱ってくれる。
幾たびの試行錯誤と失敗を経て、ようやっと受胎した体。母も兄も、定めし大切にするはずだ。肉体的な痛みは、もう二度と与えられないと考えてよい。寧ろ、大蛇丸せんせいの好奇心に付き合うほうがずっと痛いに違いなかった。そういう憶測を立てても、トバリは母と兄を選ぶ気になれなかった。大蛇丸に体を切り刻まれ、妙な薬を試されているほうが幾分マシだ。
母と兄に比べて、大蛇丸はトバリを一つの命として扱ってくれる。リサイクル可能だから手荒に扱うだけで、馬鹿にしてるわけではない。ちゃんと会話が成り立つし、寝間着も着せてくれる。
“トバリ”の死から、十年が過ぎているとも知った。
かつて自分を構ってくれた老爺も、疾うに死んだだろう。生きていたところで、トバリはもうあの老爺の顔さえ覚えていない。ヒルゼンやアスマ、センテイの優しさを知ってしまえば、それらを捨てて戻るほどの魅力は感じなかった。戻りたくない。戻りたくないと、祈った。
一年前にも、同じ祈りを胸に抱いた。あの場所に戻りたくない。もう二度と兄に会いたくない。今更、何の役にも立たない神樹なぞ育てたくない。母の望みを台無しにしてやりたい。
母と兄がトバリに味わわせた苦痛の全てを、あの二人に味わわせたい。
尤も祈ったところで神などいない。トバリは自分で如何にかする他なかった。
幸いにして、四肢があって、器用な指があって、忍術を覚え、幾らかの思考能力も備わっている。抗うことを放棄するだけの絶望は、まだ訪れていない。一年前、トバリは自分の存在を如何にかする算段を立てたはずだった。それが完璧な策であるかは別問題として、確かにトバリは一応の青写真を引いていた。実行可能だと思ったから、トバリは協力者を求めた。
一年前の時のトバリにとって、協力者になりえる人間はセンテイしかいなかった。
『詰まらぬ小細工で幾分と苛立たされた』
……何故トバリは、自分の出生に纏わることを忘れたのだろう。
母の口ぶりから鑑みるに、故意であることは疑いようもない。記憶を消したのは、無論母でも兄でもない。それでは誰だとあまりに狭い交友関係を振り返っても、犯人は分からなかった。
ヒルゼンとアスマであればトバリに何の説明もしないというのは有りえない。歴代の家政婦たちは皆一般人だった。カンヌキはトバリを憎んでいたし、記憶を消すぐらいなら生きたまま埋めると思う。そしてセンテイには記憶操作などの高等忍術は使えない。わからん。考えるのはやめよう。
トバリは寝床を出ると、掛布団をどかして、敷布団から血みどろのシーツを剥いだ。トバリの危惧した通り、敷布団も案の定血で汚れている。ただ、乾かしてから、新しいシーツを被せれば数日はごまかせるだろう。一夜にして掛布団も敷布団も駄目にしました……では、変に思われる。
掛布団の汚れていない面を下にして、その上に血で汚れた衣類を脱ぎ捨てた。さっさと埋めてしまいたい一心で、トバリは水浴びより証拠隠滅を優先させる。どうせ誰も見ていない。家政婦もまだ来ない。服を着る手間を惜しんで、トバリは汚れものの回収に勤しんだ。
片づけの最中、トバリはふと顔をあげた。上体を捻って、あたりを見渡す。
何かが、微細に空気を震わしていた。気配の主を探してみると、丁度指先ほどの小さな蝶が窓の隙間から出ていくのが見えた。大蛇丸の言によれば、トバリには何者かの監視がついているらしい。それだろう。トバリは眉を寄せた。つまり先ほどの愚行の一部始終を見られていたのだ。
俄かに面倒くさい気持ちになったものの、すぐ吹っ切れた。幾ら監視をつけたところで、夢の内容までは把握しきれない。何も知らない人間には「魘された後に自傷行為を始めた」程度にしか理解されないだろう。夜毎大蛇丸せんせいに弄りまわされているのだから、自傷の一つ二つ見られたところで何ら気にすることはない。現状において最も優先すべき事柄は、愚行の証拠隠滅だ。
すっかり落ち着きを取り戻した指先が、器用に掛布団を折り畳む。
土遁は得意だし、ただでさえ荒れている庭を掘ろうと埋めようと家政婦には分かるまい。
かつてセンテイにそうしたように、大蛇丸に全てを打ち明ける気にはならなかった。
大蛇丸だけではない。ヒルゼンにもアスマにも、もう二度と誰にも相談したくなかった。どうせ誰も信じてはくれないだろうし、話したところで誰の助けも期待出来ない。
喜ばしいことに、少しずつトバリの記憶は戻っている。センテイの記憶をあてにしなくとも、いずれ自分が如何するつもりだったのか思い出すだろう。思い出したら、大蛇丸を上手く利用すればよい。大蛇丸のことは好きでも嫌いでもないが、話は通じやすい。丸め込むなり、ぼかして協力を求めるなり、やりようは幾らでもある。それだけの対価は払っているはずだ。
胸中の安堵感と裏腹に、トバリの顔はいつもの無表情だった。
錯乱してさえ、涙一つ零れない。当然の報いだ。邪な気持ちで“人間”を真似るだけの生き物が、人間と同じになれるはずがない。歪みが生ずるのは想定内で、それ故に人間社会に打ち解けることが出来なかろうが自業自得だ。それが“正しいことなのだ”とトバリは思った。自分の胸奥に漂う欲を振り切るように、トバリは立ち上がった。そのまま引き戸を開けて、縁側に出る。
兎に角、詰まらん思索に時間を取られている暇はない。さっさと証拠隠滅しなければ。トバリは急いて沓脱石の上に降り立った。沓脱石の上のサンダルを無視して、裸足で駆けだす。上半身に何も纏っていないのに加え、素足で庭をうろつこうとしているなど、家政婦に知られたら説教は免れないだろう。尤も“上半身裸+素足+血だらけ”なので、もしここに家政婦がいたら説教以前に失神してしまうかもしれない。どの道ここに家政婦はいないのだから、無駄な心配だけれど。
素足で土を踏みしめながら、トバリは“自分のするべきこと”を脳内で指折り数えた。
後始末をして浴槽に水を貯めて顔を洗って歯を磨き着るものを準備して……案外忙しい。面倒くさいことに、今日は“いつもどおり”に加えてイタチ一家との食事会も予定されている。
昨晩ヒルゼンが「フガクたちに渡しなさい」と言って、菓子折りを置いて行ったから、その汚れ対策についても考えねばなるまい。“イタチせんせいの楽しい手裏剣講座”から直行することを考えると、ビニル袋か何かで包んでおいた方が良いだろう。さっさとこれを埋めて、荷造りに励まなくては。様々に思案しながら、トバリは庭を横切った。朝は青く清浄で、トバリのことなぞ素知らぬ顔で済ましきっている。いつもどおりの朝。ツンと立ち上る、血と吐しゃ物の匂いさえなければ、何もかもがトバリの妄想であるような気さえする。馬鹿げた逃避だ。トバリはため息を吐いた。
汚れきった手の中には、誰にも見せられない“トバリの現実”がある。あまりに汚らしい現実が。
用心に用心を重ね、誰も掘り返さない場所に埋めよう。トバリは思った。
……誰も掘り返さないところへ。
『庭隅にしましょう。誰も掘り返さないし、春になりゃあツツジが咲いて、賑やかだ』
トバリは、センテイの作った子猫の墓の前で立ち止まった。
祖父が選び、父の気に入りだったというツツジは、下部の枝に僅かに葉が茂るだけで、殆ど骨だけになっていた。その脇に、かまぼこの板で作った墓標がある。センテイが上部をまあるく削り、そのど真ん中にトバリが“ねこ”とだけ雑に記した墓標。トバリが生かそうとした命。
『無暗と生かしておいても何にもなりませんでしょう』
あの子猫を殺したのはトバリだ。当時の家政婦が悪いわけではない。トバリが愚かだった。
一度手を付けたのなら、トバリはちゃんとあの子猫を全てから守ってやるべきだった。毒からも、人間からも、カラスからも、生物淘汰からも……それなのに、トバリは独りよがりの“手助け”で子猫を苦しめた。言葉も通じぬ畜生が“助けを求めている”と思って、手を伸ばした。
何の価値もない命でも、それが淘汰されるべき劣等種でも、それでもトバリは生きたかった――立派に育って、生きていけると思いたかった。母猫から見捨てられた子猫に自分を重ねて、手を伸ばした。そして、トバリの願いも果敢無く子猫は死んだ。不思議と落胆はなかった。
薄々、そうなるような気がしていた。自分の膝に乗って、屈託なくじゃれてくる愛らしい姿。あれこそが幻だったのだと諦めた。そうやって諦めれば、傷つくことなく忘れてしまえるから。
給餌もしたし、蒸しタオルで毛並みを整えもした。トバリの茶碗を覚えて、餌が欲しい時は空の茶碗をたしたし叩いた。毛並みが汚れると、母猫の毛づくろいを待つ兄弟猫を置き去りに沓脱石まで来た。トバリの勉強を邪魔した。トバリの服に沢山毛をつけた。そのぐらい傍にいた。兄弟猫と一緒に狩りの練習をしているのが誇らしかった。母猫が去っても、この屋敷に残った。
自らの意志で、子猫はトバリのそばに残った。その事実が却って怖かった。
名前をつけたら、喪った時に忘れられなくなる。わざと名前はつけなかった。
もしもこの子猫が死ぬことがあれば、ただちに忘れてしまいたいと思った。自分は“忘れられたくない”と望み続けたくせに、自分が傷つかないために“忘れたい”と思った。その傲慢さを察していながら、センテイは一言も咎めなかった。ただ、子猫を悼んで泣いた。墓を作った。
今センテイのいない庭で、トバリはその墓の前に立っている。自分のエゴがそのまま記された墓標を前に、自分の保身のために“地中に埋めて隠したもの”を思い返していた。
家政婦は悪くない。そう思ったのは事実だ。でも内心同じ目に合ったら良いとも思った。母と兄に対してそう思ったように、苦しめばよいと思った。そう思う自分が浅ましくて、醜くて、目を背ける。逃避。逃避。逃避。傷つきたくなかった。そう思うのと同じぐらい、一緒にいたかった。
千手の家紋を書いておけば、怪我をしても誰かが届けてくれる。
どこへ行っても、帰ることが出来なくなっても、きっとここに戻ってきますように。
小さくて柔らかい肢体。くったりとトバリに身を委ねて、甘え切っていた子猫。それが何の価値もない命でも、それが淘汰されるべき劣等種でも、それでもトバリは一緒に生きたかった。
子猫の墓から少し離れた地面を“土遁・地動核”で凹ませ、汚れた寝具・衣類を放り込む。
側面の土で埋め立てるように印を組みながら、トバリは回顧した。
何も知らない人々のやさしさに付け込んで、自分一人傷つかなければそれで良い。
ほんの一年前、トバリはそう思っていた。幾ら耳障りの良い言葉で同情を誘おうと、自己保身が大事だったのは疑う余地もない。そう思っていたからこそ、子猫のことを記憶の隅に追いやった。
今も多分、本質は変わらないだろう。トバリは何より“自分が傷つきたくない”と思っている。何十年も何百年もそう思っていたのが、たった一年で変わるはずもない。自己保身癖は相変わらずだ。でも、また同じことを繰り返せば、今度地中に埋まるのはちいちゃな子猫よりずっと“大物”になるだろうことは想像がつく。ヒルゼンに、センテイ、アスマ、家政婦たち――そしてイタチ。
彼らの死体を前にしてもまだ“一緒に生きたかった”の一言で済ますつもりなのだろうか。
十年前、兄は何の躊躇もなくトバリを踏みにじった。トバリの体を傷つけることが出来なければ、兄は如何する? 考えるのも馬鹿馬鹿しい。トバリを傷つけられないなら、他の命を使って追い詰めるだけのこと。寧ろそのためだけに人里に放牧してると考えたほうが良い。
私は絶対に、母さまを喜ばせるようなことはしない。
母さまは私を踏みにじり、“トバリ”を殺し、カンヌキを唆して、センテイを苦しめた。
私はあなたのもとへ帰らないし、後生大事に無価値なものを育てるつもりもない。胎のなかの神樹の種ごと消えてやる。あなたが私にかけた手間は全て無駄だったと思い知れば良い。
私は私がここに存在したことの報いを受ける。だから、あなただって自分の罪を知るべきだ。
朝の清浄な空気が、少しずつ陽光に温む。
いつも通りの朝。穏やかで、平和で、本格的な夏が訪れる前の活気に満ちた町並み。当たり前に存在する日常。うつくしい陽光。トバリもここで暮らす限り、その平穏の一部だった。
この里にいたいから、大蛇丸との、半ば拷問に近い臨床実験のあとでも平静を装う。碌でもない悪夢にうなされても、何もなかった風を気取る。その“嘘”は、母が嘲るように、トバリが無力で何も出来ないからではない。トバリがこの里に溶け込みたいから、取り繕っているだけのこと。他人から“異物”として扱われようと、トバリは出来得る限り“普通”に暮らすよう努めた。この一年は装ってる自覚もなく、芯から自分は人間だと信じていた。いつか普通の子どもになれると信じた。
トバリは来たときと同じに庭を突っ切って、離れに戻った。
流石にこのまま上がるのは不味いなと、縁側に座り込む。簡単に足の裏の土を払った。
朝っぱらから疲れた。乾いた血が皮膚に纏わりついて気持ち悪い。後回しにせず、先に拭くだけ拭いてしまえばよかったかな。でも、濡れタオルで拭いたらタオルも捨てなければならなかった。シャワーで洗い流せばタオルは汚れない。もっと良いやり方があった気がして、俄かに考え込む。そうしている間にも時は過ぎるのに、如何してこう自分はグズグズするのが得意なんだろう。
ぼうっとするな。トバリは己を叱咤した。立ち上がって、砂粒の残る足で洗面所に向かった。
浴槽に水を貯めて顔を洗って歯を磨き着るものを準備して廊下を掃いて荷造りして……そうやって“いつもどおり”を維持する。誰もトバリの秘密に気付かないように。トバリのために誰も傷つかないように、憐れみから自分を苦しめないように。いつもどおり、トバリは平静を装う。
その“いつもどおり”が少しだけ難しいのは、他人のための嘘だからだ。
花骸のこどもたち