七年語り – IF / PARODY
愛し君
「トム、大好きよ」
浅い愛を語る面差しからあどけなさが失せる度、リドルの胸を塗りつぶす黒は深いものとなっていく。
ダリルが重度のブラザー・コンプレックスに犯されていることを知らぬものはここ、ホグワーツにはいなかった。リドルがハンサムで、ダリルが無神経であったから、彼女のブラコンを巡っては多くの騒動があった。しかし六年もベタベタし続けていれば、もう双子であるからと殆どリドルを独り占めするダリルへ異議申し立てをする女子もいなくなる。リドル自身も“それなり”にシスター・コンプレックスに犯されているらしいことが明るみになってきたし、それに美男美女で麗しい兄妹愛を築いているというのを邪魔するは忍びない。故に今となっては「またリドルと一緒にいるの?」ではなく、「リドルと一緒じゃないの?」と問われることのほうが多くなっていた。至る所で浴びせられる問いや口さがない噂話へ、ダリルは思い切り顔を顰める。そして己の美貌を冷たくして、相手を非難するのだった。
「――如何して私がトムと一緒でなけりゃいけないの?」
そりゃ、だって、この六年間毎日朝も昼も夜もリドルに引っ付いていたじゃないか。それに自分と過ごす時間が減るからとリドルへ「クィディッチ選手になるんだったら、私、学校中の箒を燃やすわ……」と散々喚いたのは誰だ。リドルが他の少女と過ごしているのを見る度に「男兄弟なんてほーんと詰まらない。良いわ。そうやって女の子をとっかえひっかえして一時間ごとにデートでも楽しんでれば良いのよ。その代わり結婚式のスピーチで私が投下する爆弾の規模を憂えておくべきだわ」なんて人目も気にせず罵ったのは、そうまでしてリドルを独り占めしていたのはダリルではないのだろうか。しかし切なげに唇を噛み、怒りへ吊り上げた瞳を潤ませるダリルへ苦言を呈することの出来るような……そんな徒労を求める人間はホグワーツにはいなかった。それで数か月もする内誰も何も言わなくなった。
沈黙の数か月――当人たちへ面と向かって何も言わなくなった代わりに、噂や憶測はヒートアップしていく。
“あの”ブラコン娘が一体何の故に兄へ付きまとわなくなったのだろうと、スリザリン生達は首を傾げた。もう一人の当事者であるリドルもダリルほどとまでは言わないが、この件に関して語りたがらなかった。それでもしつこく追求すれば「ダリルも、もう思春期だしね。兄へベタベタするのは恥ずかしいと思うようになったんだろう」と苦笑を浮かべた。リドルに恋人が出来たこともあり、季節が冬に入る頃には皆の関心事は「ダリルがどうやってブラコンという病を治したのか」から「クリスマス休暇をどこで、どうやって過ごすか」に移り変わってしまった。元々リドルは人気者だが、ダリルはそうでもない。ダリルの心境の変化を不思議がるよりも、リドルが半ばフリーとなったのを喜ばしく思うのに忙しくなってしまったのだろう。
妹が嫁に行って良かったなとからかわれたり、妹の世話をしなくて良いんだからと遊びの誘いが増えたり、皆に任せておけばリドルのクリスマス休暇は魔法省大臣並の超過密スケジュールになってしまうに違いなかった。誰に対しても笑みを崩さないリドルは今年もホグワーツで過ごすことに決めた。
いつも通りの毎日、退屈な授業、姦しい放課後――それらの全てをダリルは今まで双子の兄と過ごしていた。
リドルがいれば友達なんて要らないを公言していたダリルは六年生になっても友達の一人さえいなかった。リドルに引っ付いていたせいでスリザリンの女学生の一部から嫌われていたし、更に諸事情からグリフィンドール寮生の八割とは異常なまでに仲が悪かった。一方のリドルが男女・寮を問わずの人気者であることを引き合いに出され、何故この娘はこんなにも欠点が多いのだろうと、教師からも頭を捻られていた。美点を挙げ連ねるよりも欠点を挙げ連ねるほうが容易で、尚且つ挙げ連ねている内に一生が終わってしまうかもしれないとまで危惧されるダリルはリドルから離れれば当然独りぼっちになるものと思われた。しかし、そうはならなかった。リドルに引っ付くのを止めたダリルへ引っ付きだしたのはアブラクサス・マルフォイだった。
年齢が違うので授業中は流石に離れていたが、それ以外の時間は二人で過ごしていた。時折アブラクサスの友人を交えてお喋りをしたりして、アブラクサスの管理下にてダリルは着々と友人を増やしていた。それと同時にダリルの株も上昇してきた。
リドルにはレイブンクロー寮生の可愛い――そして彼に釣り合うほど賢くて運動神経も人望も抜群な――彼女が出来、ダリルには出来過ぎた彼氏である――まあ容貌が優れていて性格に若干の難があるのはよく似ている――アブラクサスがいる。
ダリルの我儘もなりを潜め、学業に関しては生真面目なアブラクサスが叱りまくるおかげで成績も上がってきた。
良かった良かった、落ち着くところに落ち着いたと、ハッピーエンドを綴ったのは周囲だけだった。
クリスマス休暇が始まると校内は途端にガランとする。去年まではこの寂れた感じが逆にロマンチックだとリドルに絡んだものだ。しかし今年はその寂しさが――如何足掻こうとリドルと二人きりになってしまう状況がまるで嬉しくない。
何の因果か……恐らくは去年の襲撃事件への恐怖が尾を引いているのだろうが、今年のクリスマス休暇に残ったスリザリン寮生はダリルとリドルだけだった。頼りの綱は「男の家に泊まるということの意味をお前が理解出来るなら招いてやって良いぞ」と微笑ったが、ダリルは耳まで赤くするとアブラクサスへ絶縁を申し渡してしまった。しかしこの気まずさを思うに処女の一つ二つ犠牲にして良かったかもしれない。常にダリルの視界の端には困った風なリドルがいた。
リドルには勿論他寮の友達もいるが、ダリルが一人になってしまうという気遣いからか、それともそろそろ仲直りをしたいという思いからか――多分にどっちもなのだろう――クリスマス休暇が始まるなり、ダリルへよく話しかけてくるようになった。勿論ダリルはすぐに会話を打ち切っては、リドルのいない場所へ移動してしまう。単なる友達であればそこで諦めてしまうのかもしれないが、腐っても肉親だ。どんなにダリルが追い払おうとしても、逃げても、怒っても、仕舞いには引っぱたいても、健気なリドルは妹へ話しかけた。
ディペット校長から「大人が口を挟む問題じゃなかろうが、二人きりの家族なのだからそんな態度は良くないぞ」と注意されて、やっとダリルは問答無用でリドルを追いやったり、八つ当たりするのを止めた。それに他寮生の視線も痛くなってきた。流石に日常会話ぐらいは交わさないと、そろそろ袋叩きにされそう。リドルはダリルを責める生徒へ「多分僕が何かしちゃったんだよ」なんてフォローを入れていたが、その台詞のせいで一層己が悪者になると言う事をダリルは知っている。
クリスマスディナーが終わる頃にはダリルは「今からでも遅くはないから煙突飛行でマルフォイ邸へ行けないかな」と真剣に考えるようになった。最早自分の貞操よりも兄とエンカウントしないことのほうが重要だ。処女であることなど何の役にも立たない。ダリルは三人の女学生と部屋を同じくしているが、その内の二人がもう体験済みだと言うではないか。三人の名前はさっぱり覚えない癖に、そんな話だけはしっかり覚えていた。彼女の頭はとても関心のあることしか残らない仕組みになっているのだろう。
クランペットやマシュマロを炭に変える作業へ勤しみながらダリルは深くため息をついた。去年は襲撃事件の真っ最中だと言うのに、如何して自分たち以外に三人も残っているんだと、散々不平不満を零したものだ。今になって如何してこうなってしまったのだろう。
尤も理由など痛いほど理解している。知っているから、だからリドルを避けているのだ。ダリルはもう一つため息を零すと、袋から取り出したクランペットを火のなかへ投げ込んだ。誰からのプレゼントかは知らないが、無記名で贈られてきた食物を食べるほど馬鹿ではない。
それもこれもリドルが女子に人気があるから……アブラクサスがモテるから……自分は何も悪くないのに、女子の嫉妬を一身に受けている。しかも何をした覚えもないのにグリフィンドール寮の生徒からは落とし穴にはめられそうになったり、飴を投げつけられたりする。実行犯共は「ちょっとしたジョーク」と肩を竦めるが、五メートルも上から降ってきた飴がどれだけ痛いか試してから言えとダリルは思った。それでまた「ユーモアの欠片もない」とか「氷のように冷たい女」だの「高慢ちき」なんてヒソヒソやられるのだ。本当に誰が誰を好きでいようと構わないから、自分を巻き込まないで欲しいとダリルは心の底から思った。自分の想い人がダリルを好きだから何だと言うのだ。
クランペットと同じく無記名のサンタから贈られた可愛らしい籠に手を突っ込んで、マシュマロを暖炉に放り投げる。火が黒くなった。
「ダリル」
暖炉の火を見つめながら呪詛を紡ぐダリルの背を、慣れた響きが呼ぶ。声の主が誰かなど振り向かずとも分かる。リドルだ。
どこぞへ逃げようかと思ったが、ここで逃げたら夕食の時にまた一席打たれそうな気がする。ダリルだって何も好きで憎まれてるわけじゃない。おでき薬入りマシュマロや毒入り(仮定)クランペットを貰って嬉しい人間がこの世にいるだろうか。グリフィンドールの馬鹿共なら喜ぶかもしれないが、少なくとも一般的な感性を持っていれば鏡に映る己を見て泣くに決まっていた。
ダリルはクランペットの山に手を突っ込んだまま悶々と考え込む。逃げるか逃げざるか迷っていたが、リドルが隣に腰を下ろしたのに逃亡を諦めた。「……食べる?」仕方がないとクランペットを勧めるダリルへ、リドルは微かに笑った。「それ、肥満薬が入ってると思う」リドルのすらりとした指がダリルの手の中にあるクランペットを示す。憮然とするダリルへリドルが続ける「異臭がないから気づきにくいけど、食物と混ぜると微かに表層が脂っぽくなるんだ」ご丁寧に教えてくれたので、ダリルは袋ごと暖炉へ押しやった。火が消える。
アブラクサスなら苦しくなるほど笑い、五分は腹筋を鍛えるはめになっただろう。しかしそこは兄妹だ。もう十六年も――もう少しで十七年だ――共に過ごしてきて、リドルはダリルの失敗やトンデモには慣れっこになってしまっている。ほんの少し瞳を和ますと、リドルは杖を振った。業火が一瞬で袋を燃し尽くし、あとはもう元通り穏やかに照らす火が揺らめいている。
「二人きりになるの、久しぶりだね」
そう言うリドルは少し他人行儀で、ダリルの知らない人のようだった。無言で頷く。リドルはダリルの素っ気なさへ文句を漏らしはしなかった。寂しそうに微笑んで、もう一度杖を振った。リドルとダリルの間に置かれていたマシュマロの籠が消え失せる。ダリルにはリドルが何の呪文を使ったのか分からない。己に不釣り合いな片割れはダリルの知らない呪文を山と知っていて、一つ話を振るだけで千の知識を返してくるし、籠のなかのマシュマロは毒入りなのだとダリルに聞く前から分かっている。
「……そうね」
あの籠は貰っておいても良かったななんて思いながら、茫洋とした相槌を落とした。
暖炉の火へ集中しようとしてもリドルの横顔は消えない。困ったような、悲しそうな、寂しそうな顔だった。
「僕は何か、してしまったのかな?」
短い沈黙を破り、リドルがダリルのほうへ視線を滑らせた。「まあ、怒りを買ったらしいことは分かるんだけど……理由がさっぱりで」額へ手をやって、くしゃりと前髪をかきあげる。こんな無神経だから嫌われたのかなと、リドルが苦笑した。ダリルは浅く俯いた。自分の足とリドルの足が見えたから、そっと瞼を落とす。「トムは、何も悪くないわ」頭を振った。
「何にも、何にも悪くないの」目を瞑っても暖炉の火が明るい。「だから……別に気にしないで、なんでもないから」
上手い誤魔化しを口に出来なかったことは自覚していた。本当はあることないことでっち上げて罪を擦り付けてしまえば楽だと分かっている。そうしたらリドルはダリルへ平謝りして、怒りが解けるまで距離を置くことを了承してくれるだろう。例えその怒りが解ける見込みがなくとも、今はとりあえず頷いて、引いてくれる。でも、悲しそうに笑う片割れをこれ以上なじることは出来なかった。
リドルは床に手をつくと、ダリルのほうへ向き直る。「じゃあ、前みたいに……ってほどでなくとも良いから仲良くしようよ」リドルが僅かに言い淀んだのにダリルの胸がざわめいた。ぎゅっと手を握る。爪が掌へ食い込むほど、動揺を忘れられるほど強く握る。
自分は我儘で、出来の悪い妹だ。だからリドルが己の世話から解放されたいと望むのは仕方のないことで、自分もいい加減リドルに迷惑を掛けるのを止めなければならない。ダリルは自分へそう言い聞かせた。だって、だって――だって、私達は、
リドルがダリルの手を、石のように堅くなっている拳へ己のものを重ねる。ダリルが顔をあげて、泣きそうな顔でリドルを見返した。リドルが泣きそうなダリルへ苦笑する。その表情はあまりにも今のダリルへ優しすぎた。
「僕ら、二人きりの家族じゃないか」
ダリルの心中の台詞を引き取って、リドルが温かな言葉を口にする。ダリルはリドルの手を振り払った。
急な拒絶へリドルが黒い瞳を見開いて、驚きを露わにする。ダリルはリドルへ背を向けた。「――家族って、」罵るための声が震えた。
「わたしたち、本当に家族なの?」
両手で顔を覆い、暖炉から顔を背けてしまえば闇がある。ダリルは自分の四肢へ泥がへばりついているような不快感を抱いた。気持ちが悪い。醜い。汚い。あらん限りの罵倒がダリルの肺を満たす。視界には誰もいない。だから泥が唇から零れてしまった。
「髪の色も目の色も全然違うし……!」ダリルの肩が小刻みに震える。「私はリドルみたいに頭良くないし、運動も出来ないし、箒も全然で、それに、それに友達もいないもの! 家族なんかじゃないわよ! 何でこんなに違うの、なんで、なんで……なんで、」
「ダリル?」リドルは恐る恐るダリルの肩に触れた。ダリルが身を捩って慣れ過ぎた温度から逃げる。
じりじりと遠ざかり、二人の間には一メートルの距離が出来た。誰もいない、その空白を暖炉が温める。暖炉の前に敷かれたカーペットからはみ出たダリルの体がゆっくり冷えていく。温めたいとは思わなかった。ダリルは駄々っ子のように頭を振る。
「なんで、家族なの……なんで兄妹なの……」ダリルがしくしくと泣きだした。
己より少し低い体温、長い指、骨ばった手、すらりと伸びる四肢、自分の倍はある肩幅、似ても似つかない黒髪、黒い瞳――全く同じところのない双子の兄。現に初対面で二人が兄妹であると理解出来る者など、今まで誰もいなかった。自分達へ入学許可証を届けに来たというダンブルドアだって、ダリルがリドルの妹なのだと知って驚いていたではないか。似ているところなど一つもない。
泣き出したダリルへ、立ち上がったリドルが歩み寄る。傍らに膝をつくと、慰めるように肩を抱いた。「そんな、ダリル」一等触れたくない温もりがダリルを温める。「アブラクサスのおかげで成績上がってきたじゃないか」そういうことじゃないと言おうと思ったが、ゆるゆると戻ってきた理性が頷かせた。はらはら零れる涙を懸命に拭いながら、ダリルは二度三度頷く。それを見たリドルが微笑む。
「それに運動は出来ないけど、ダリルは歌が上手だし」気休めだとダリルは思った。
「……リドルのほうがずっと上手いわよ。私は、音程がずれてるって、アブラクサスに言われたし、全然駄目だわ」
というかアブラクサスは本格志向すぎるのだ。初めて聞いた時にちょっと褒められたが、以来歌を強請られる度「息継ぎが可笑しい」だの「ビブラートが弱い」だの叱られるようになった。仕舞いには「楽譜に直してきたから、これを見て歌え」なんて分厚い紙束を渡された。
極めつけはクリスマス休暇前の週末だっただろうか。音楽室を借りたから一緒に過ごそうとアブラクサスから誘われたのだが、五分遅刻しただけで「ダリル、遊びじゃないんだぞ」などと一時間ほども説教されてしまった。デート気分でいたダリルは酷く動揺した。
好き勝手にピアノを弾くリドルの隣で適当に歌ってる時はあんなに楽しかったのに、ダリルはすっかり楽譜もピアノも嫌いになった。あとアブラクサスにも若干冷めた。あれこれ指図してくるし、宿題の提出状況まで把握してるし、野菜も食べるようにと栄養学の本までひっぱり出して説教するし、姿勢にまでいちゃもんをつけられる。正直言ってアブラクサスの家へ行くのを躊躇ったのは処女が惜しいとかではなく、二十四時間ずっと怒られるのが嫌だったからだ。ホグワーツにいる時はどんなに怒られても食事や授業や消灯で一旦終了となる。アブラクサスの家にはチャイムがない。抱かれた翌朝に肌の手入れへ難癖つけられたら、しかもクリスマス休暇中ずっと言われたら如何したら良いのだろう。アブラクサスと“そういう”仲になったことでダリルは恋愛指南書を読むようになったが、彼氏から説教された時の対処法に纏わる本や項目を見つけたことは未だかつてなかった。恋人同士というか、主従関係のような気さえする。
アブラクサスに関するA to Zを振り返ったダリルはついでにクリスマス休暇中に読んでおけと言われた本の存在を思いだしてしまった。ダリルは再びしくしく泣き出す。あと一週間ちょっとで「生粋の貴族-魔法界家系図」を暗記するなんて、絶対に無理だ。でも覚えておかなければまた怒られるだろうし、趣味である花の手入れも禁止される。少なくとも「生粋の貴族-魔法界家系図」をすっかり覚えるまでは、花壇にも温室にも近づかせてくれないに違いなかった。飴だけで育ったダリルだから、アブラクサスの鞭が痛いし怖い。
周囲から「ちょっと性格に難がある」と過小評価されるアブラクサスの“難”にダリルは涙した。収まったはずの涙をまた流しだす妹へ困惑しつつも、リドルはダリルの背を撫でさする。「アブラクサスに苛められてるのかい? そりゃ彼は変なところで几帳面だけど、」
流石双子の兄は察しが良い。ダリルは泣きながら頷いた。変なところというか常時几帳面すぎるのだと言う余裕はなかった。何だかもう何もかもがままならない無常に涙しか出てこない。如何してこうなってしまったのだという疑問が頭の中でグルグル回る。
明らかにアブラクサスと上手く行っていない様子の妹へ、リドルはため息を零す。
「彼は“ちょっと”変わってるし、僕よりも厳しいけど」優しい声。「でも……君を愛してるよ」優しすぎる、兄の声。
ダリルが物心ついた時にはもう己へ怒ることなどなく、優しすぎて引っ込み思案だった兄。いつも隣にいた。手を伸ばせばいつだって指先がこの体温へ触れた。何を望んでも笑ってくれた。叶えられる全てを叶えてくれた。でも、もう無理だ。そう分かっているのに――分かっているから、止めたのに、二度と触れることも近づくことも笑いかけてもらうことも、凡そ彼の自由を奪いかねない願望を全て捨てようとこんなにも努力してきたのに――なのに、声が漏れる。ダリルは顔を上げると、涙に濡れた瞳でリドルの黒を見つめた。「トムは?」音にならない台詞を紡ごうと唇が震える。ダリルは切なげに眉を寄せた。「トムは、私のこと、」肺が痛い。呼吸が出来ない。音がない。リドルがきょとんとダリルを見返している。その薄い唇が動きかけたのにダリルがリドルを突き飛ばした。
「なんでもな、」後ずさりして、壁に寄りかかりながら立ち上がる。笑みを浮かべようと顔を引きつらせ、否定を連ねた。段差によろけて、壁に肩をぶつける。鈍痛が滲んだ。「何でもないの……何でもないのよ、トムが、私達ずっと一緒だったから、なのにトムが、私、」
リドルは何も言わない。ダリルを見上げて、見たこともないほどに感情の抜け落ちた怖い顔をしている。こんな顔を見たくなかったから近づかなかったのに、結局見ることになってしまった。傷つけたほうがずっと良かった。こんな、軽蔑されるぐらいなら、嫌われたほうがずっと。ダリルが顔を歪める。足の力が抜けていく。壁のくぼみを掴んで、ダリルはカタカタ震える体を佇ませた。「私、わたし……わ、わたし」瞳から涙が、幾筋も痕の残る頬を滑って行く。ダリルは両手で顔を覆い、体が壁伝いに床へ崩れ落ちて行った。「私、トムが、」
長いプラチナブロンドが薄暗い室の僅かな光を吸って、鈍く輝く。ダリルが嗚咽混じりに声を紡いだ。
「トムが、好き」
その台詞を聞いた時のリドルの気持ちは如何ばかりだろうか。
ダリルは俯き、泣きながら己の胸に溜まっていた泥を零し続けている。「他の女の子と一緒にいないで、他の子に触らないで、話しかけないで、キスしないで、嫌、私、もう、駄目」血の繋がった兄へ家族愛以外のものを抱くという汚らわしさは思春期の少女にとっては耐えきれないものだった。しかも二人きりの家族だと言うのに、己を妹と可愛がってくれる兄が自分の気持ちを知ったらどんなに軽蔑するだろう。優しくて、優秀で、いつでもダリルに優しい片割れ。昔はダリルのほうが出来ることが多くて、いつだって自分が手を引かないと何も出来なかったのに、ホグワーツに来て二人の関係はまるきり変わってしまった。自分がいなくてもリドルは如何とでもやっていけるし、寧ろ自分がいると迷惑が掛かると気づいてしまった。何かリドルより秀でたところがあれば良かったものを、勉強も運動も人間関係も上手く行かない。顔だけは良いじゃないと言われるから恋人を作ってみたは良いものの、それも上手く行かない。彼氏からは叱られっぱなしで、一緒にいてもリドルのことばかりが気になる。リドルの邪魔するのは止めようと思ったのに、リドルが傍にいない事へ慣れない。眠っているリドルにキスしようかと何度も悩んだ。結局出来なかったけど、アブラクサスとキスした時閉じた瞼の向こうに想像したのはリドルだった。駄目だと思った。「もう、話しかけないで」ダリルは拒絶の台詞をしゃくりあげる。
「気持ち悪い、私、可笑しい、もうそばにこないで、もう近づかないから」
「……ダリル」
リドルは立ち上がると可哀想なぐらいに狼狽するダリルへ近づいた。「ダリル、嘘ついてる」突き飛ばそうとするダリルをきつく抱きしめる。己の腕の中で身じろぎするダリルへ囁いた。「本当にもう僕と話さなくていいの?」ダリルは嗚咽しか洩らさなかった。「僕に近づかないで、それでやってけるのかい」コクコクと何度も頷く。無理をしていることも、強情を張っているということもリドルには分かっていた。
誰がダリルに恋しているか、誰がダリルを疎んでいるか、誰がダリルにどんな嫌がらせをしているか、アブラクサスからどういう風に扱われているかも、凡そダリルのことでリドルの知らぬことはなかった。ただ一つ、彼女の気持ちを除いては。
「君は僕の――僕の、半身だ」リドルはダリルの拒絶を無視して言葉を続けた。
「ダリルが望むなら僕は君以外の誰にも触れないよ」ビクリとダリルの肩が跳ねる。「僕はダリルだけいれば良い」リドルは微笑った。
「君の我儘は僕が全部叶えてあげるから、ずっと僕の隣にいればいい」
ダリルがそっとリドルの背に手を回した。華奢な力でリドルを締める。懇願がリドルの耳朶を揺らした。「抱きしめて、」リドルは束縛を強くする。「名前を、呼んで、」か細い音で片割れの名を口遊む。柔らかな髪がリドルの頬を撫ぜた。己より少し高い体温、細い指、小さな手、柔らかな四肢、自分のよりも遥かに狭い肩幅、月光よりも淡く光る美しいプラチナ・ブロンド、青灰の瞳――全く同じところのない双子の妹。にこりと笑うだけで自分の気持ちを明るくしてくれる妹。眠っている己にキスすることさえ出来ない純情なダリル。
やっと君が手に入った。
リドルはダリルに見えないよう、彼女の背後の壁だけが見えるよう昏い笑みで口端を歪めた。愛しいまでに愚かなダリルがふるりと体を震わせると、リドルが望んで止まなかった台詞を口にする。「――キスして」リドルは少し束縛を緩めると目を瞑るダリルへ幾度目かの口付けを落とした。触れるだけの優しいものを二度繰り返す。そうしてまたきつく抱きしめた。「僕も、君が好きだよ」
胸元からはまた嗚咽が聞こえてくる。可愛いダリル。可哀想なダリル。想いを口にする今日まで、どれだけ己を恋しがっていただろう。それを想像するとリドルの胸に歓喜が湧いた。今のこの気持ちを何と言い表せば良いのかリドルには分からない。手を伸ばし続けていたものが手に入った充足感、物心ついてからずっと望み続けていた少女が自分を求めているという幸福とがぐちゃぐちゃに入り混じる。
この六年間、ダリルが己から離れていくかもしれないと思わぬ日はなかった。己よりも信頼出来る友を作ったら? いつか自分ではない男を好きになったら? そうでなくとも自分の気持ちを知って、軽蔑するかもしれない……。ダリルには友など要らないし、得意なものなどなくていい。自分がいないと生きていけないほどにか弱い生き物になってくれるようリドルは尽力してきたつもりだ。今その全てが実った。
穢れとも昏さとも無縁に微笑むダリルがこんなにも苦しげに切なげに己の愛を乞うている。リドルが望んでいたのはこれだった。
六年も前から彼が求めていたのはダリルの兄であることではなく、その恋人になることだった。
リドルはダリルが泣き疲れて眠りにつくまで彼女をあやし続けた。涙の痕を残したまま夢を見るダリルへリドルは口付けを落とす。額へ、頬へ、唇へ、瞼へ、手へ、首へ――名実共に自分のものとなった少女へ所有印を刻む。「誰にも渡さない」誰もいない談話室へひたと影に似た昏い声が響いた。「逃がさない」リドルの腕の中でダリルが眉を寄せ、小さく唸る。「もう、離さない」優しく微笑んだ。
「ダリル、目が覚めたらもう一度僕に縋って……」
幼い頃と同じ台詞を、頬を染めて、恥ずかしそうに小さな声で繰り返して欲しい。トム、大好きよ。可憐な告白が、躊躇いがちに伸ばされる指がリドルを求めるだろう。これからはもうそれに応えるだけで良い。同意を口にするだけで肺に満ちる泥はダリルを汚してくれる。
常ならぬ幸福感に酔いしれていたリドルはダリルを抱え直すと立ち上がった。ダリルを横抱きにして己の寝室を目指す。ダリルが風邪を引いては困るし、それにアブラクサスへ労いの手紙を送らねばならない。幾ら神経質だからと言っても、あることないこと叱りまくるのは大分骨が折れただろう。流石に可哀想じゃないかと顔を歪めるアブラクサスの声を思いだし、リドルはクスクス笑った。今となっては何もかも笑い話だ。ただ一つを除いては、許してやって構わない。「……釘も刺しておかないと」石造りの階段を上りながらリドルはぼやく。
「ダリルは最初から最後まで僕のものだってことを少し忘れてるみたいだし、ね」
付き合うことやキスをすることは許可を出しているが、クリスマス休暇に家へ招いて良いとまでは言っていない。クリスマス休暇中に何とかするからと、自分たち以外が残らぬようリドルが手回ししていたことをアブラクサスは知っていたはずだ。それを知りながらダリルを誑かし、自分の計画をおじゃんにしかねない誘いを口にするのは宜しくない。アブラクサスはリドルの恐ろしさを軽んじているか、もしくはダリルへの執着を甘く見ているのだろう。リドルは眉間にしわを寄せた。しかしその不愉快はダリルがリドルの名を食んだのへ解けてしまう。リドルは甘い声で己を呼ぶダリルをそっと自分の寝台へ下ろした。その脇へ腰を下ろして、指で髪を梳く。
「おやすみ、ダリル」
愚かなダリル、君を手に入れるためなら僕は幾らでも嘘をつこう。リドルが秘密の部屋を開いたことも、実父を殺したことも、その罪を伯父へ擦り付けたことも、ヴォルデモート卿と呼ばれつつあることも、己の思想のため動く配下を募っていることも、アブラクサスがその一人であることも、ダリルは何も知らなくて良い。優しい茶番のなかでダリルは永遠にリドルへ愛を囁き続けるだろう。
優しい兄が愛を紡ぐ唇で幾人を殺しているか、この愚かな妹は永遠に気づくことはない。尤も気づいて欲しいとも思わなかった。もし気付けば、この純粋で真白い妹は己の無知を嘆いて、リドルの手の届かない場所へ逝ってしまうに違いない。だから何も知らないで良い。その瞳も唇も指先も、透き通った肌も、リドルのことだけを知っていれば良い。リドルが与えるものだけを知っていれば良い。
「……君がすきだよ」
きみだけがすきだよ。リドルは身を屈めて、指先に絡む光へ口づけた。
僕の半身、この厭わしく悍ましい世界できみの存在だけが僕を安らがせる。だから僕を軽蔑しないで、嫌わないで、離れていかないで、傍にいて――僕以外の人間が君の瞳に映るぐらいなら、抉りとってしまいたい。ダリル。良い子だから、いつまでも僕だけを見ているんだよ。
己の愛の重さを知ってくれとはもう思っていない。己の胸に潜むものが世間一般の“愛”と同じものなのかも分からない。
今はただ、この娘が己のためだけに生きることだけを願っていた。
七年語り – IF / PARODY