七年語り – IF / PARODY
何がどうしてこうなった
家に帰ると愛しい妻と可愛らしい子供達が待っている――これはルシウス・マルフォイの日常だ。
仕事と言っても自宅で書類を整理するだけで終わるのが殆どだが、稀に魔法省へ出向したり遺跡の老朽具合を確かめに現地へ足を運ぶこともある。そういう折に出くわしたり、同行したりするのは殆どが上っ面のみの付き合いで済ませているような人々であり、無論話していて楽しいことはない。社会人としては「お前と話してて楽しくない」とか露骨に言うわけにもいかないので、偶に仕事の都合で外へ出かけると散々な気分になるのが常だった。しかし家を出てから帰途に着くまでの間どんなに不愉快な気持ちで過ごそうと、馬車から降りて家の扉を開ければ、もしくはローブについた煤を払いながら暖炉から出れば、ルシウスの不愉快は溶けてしまう。ナルシッサがおかえりなさいとルシウスを労い、ルシウスが帰ってくるのを待っていたドラコとダリルが外で誰に会ったのか、どんな用だったのかと矢継ぎ早に問うてはじゃれついてくるからだ。こんなに完璧な家庭を持っている男はちょっといない。
出かけては家へ帰ってくる度にルシウスは家で過ごす時間を大切に思うのだった。
その日の出迎えはドラコとナルシッサだけだったが、元よりダリルがルシウスを出迎えるよりルシウスがダリルの部屋へ赴く方が多い。ドラコと仲直りしてからは二人一緒に出迎えてくれることが増えたとはいえ、まだまだ比率が傾くほどではなかった。出先でダリルに似合いそうな髪飾りも見つけたことだし、後で驚かせに行こう。「わあ、お父様有難う!」ぱあっと顔を明るくして喜ぶ娘の顔を想像しながら杖で鍵を解き、書斎の扉を開ける。ギイと傾いだ音が室内へ響くと共に、想定外の“お出迎え”に遭遇した。
「やあルシウス、遅かったじゃないか」
家に帰ると愛しい妻と可愛らしい子供達が待っているのはルシウスの人生においてよくあることだが、書斎に入ると自分の主人たる闇の帝王が待っているというのはルシウスの人生において滅多にないことだ。というかあってはならないと思う。
ルシウスはノブを握ったまま固まった。下僕として呼びつけられることは幾千回あろうとも、待たせたことは未だかつてない。闇の帝王を待たせようものなら即座に殺されるだろうというのがルシウス以下死喰い人達に共通する考えであった。
ヴォルデモートは書斎机に寄りかかって、自分を凝視したまま動かないルシウスを訝しげな表情で見やる。「……如何したんだい」
大好きで寛ぎの満ちているマイホームへ帰ってきて御機嫌な思考で娘に「お父様大好き、大きくなったらお父様と結婚するわ」と言われることを妄想しながら自分の部屋に入ったら息をするように人を殺すと恐れられている男が自分を待っていたなんて状況に出くわして如何かしない人間がいるのなら教えてくれ。ルシウスはそう思ったが、目の前の男が現在のヴォルデモートと切り離された存在であろうと、娘のペットみたいな存在になりつつあろうと、更に娘からしばしば犬猫のように叱られているのを目にしていようと、
「わ、我が君をお待たせしてしまうとは、申し訳ございません……」
ルシウスは畏まった表情を作って軽く頭を垂れた。
この男には従わなければならない、己が敵う相手ではないと骨の髄まで叩き込まれている。何よりもヴォルデモートのスラリとした指はダリルの杖を弄んでいた。魔法使いたる者、己の杖を他者へ触らせるものではないとルシウスは娘の杜撰さに眉を顰める。心得云々よりもこんな危険人物を邸内で野放しにするな、杖を触らせるなと言いたかった。
ようやっとルシウスの思考を察したヴォルデモートは微かに口端を持ち上げる。最近ダリルから子供かふわふわの子兎ちゃんのように扱われる日々が続いていたので俄かに忘れていたが、元はといえばこういう風に接せられるほうが当たり前なのだ。
久しぶりに自分が完全に優位に立てる相手と遭遇したヴォルデモートは活き活きした笑みを浮かべた。
「別に、僕が勝手に待ってただけだから構わないよ」
ナルシッサかダリル辺りに言われればときめくだろう台詞が恐怖しかもたらさない。
ルシウスは憮然とした顔で相槌を打つと室内に入り、後ろ手に扉を閉めた。遠くからドラコの声が聞こえたからである。ヴォルデモートが家のなかにいて喜ぶような輩は精々ダリルぐらいのものだ。妻や息子が事を知ったら聖マンゴに予約を入れねばならなくなるだろう。ルシウスだって父親の面子を守る必要さえ感じていなかったなら卒倒したに違いない。「今ねトムを飼ってるの」と言う娘に「またそこらへんの捨て犬でも拾ってきたか」と叱ってヴォルデモートの不興を買ったのは記憶に新しい。間違いなく娘の言い方が悪いのに、何故自分が睨まれたり嫌味を言われなければならなかったのか。自分の教育方針が悪かったのかまるでヴォルデモートの脅威を理解していないダリルへ、ルシウスはやっとのことで「ナルシッサやドラコには知られないよう部屋から出すんじゃない」と約束させた。
そう約束させた。「でも勝手に出ちゃうのよ」と口を尖らせるダリルに「管理できないのなら飼うことは許さない」とか思わず言って悪夢のような一週間を過ごしたりもしたけど、何とか約束させたのに、如何してここにいるんだ。問う必要がないほどに答えは明らかだ。ダリルの手に負えないからに決まっている。この男が「フワフワのフラッフィーちゃん」と可愛く呼ばれてようが、邪悪なのに変わりはない。
ルシウスはヴォルデモートの数歩手前で立ち止まって口を開いた。
「娘が何か無礼でも?」
ついにフラッフィー呼びに堪忍袋の緒が切れたか、何か無礼をやらかしてルシウスから叱るよう言いに来たか、それともイラっとしたから殺しちゃったという報告にでも来たか、何の用だろうとルシウスが伺う。しかしヴォルデモートの唇からはフワフワな言葉しか零れなかった。「いいや、部屋で寝てるよ」闇の帝王(若)とこんな普通の会話が成り立つなんて……ルシウスは感動に近い気持ちを抱いた。
案外娘には調教師の才能でもあるのかもしれない。今度鞭でも買ってやるか。
とりあえず殺されることはなさそうだと、ルシウスは少し肩の力を抜いた。
「それでは如何いう用向きでしょう」
ルシウスの台詞にヴォルデモートが赤い瞳を細める。「アルバムがあるだろう」どこそこの家を襲ってこいと言うのと同じ響きだった。
何を言われたか理解出来ず、ルシウスはぽかんと己の主の若かりし記憶を見つめる。アルバムとは何の魔術に纏わることであろう。横柄な夫が「飯」「風呂」「寝る」としか言わないのと同じで、ルシウスの知るヴォルデモートも「襲え」「持ってこい」「調べろ」としか言わない。口を開けば血なまぐさいことしか言わない男がアルバムと言ったところで、如何して家族写真など微笑ましい思い出の詰まった物体を思い浮かべるだろうか。ルシウスが「アルバム」を理解するまでに数秒掛かった。
「あ、アルバムですか?」あの写真などを張り付けておくアルバムのことですか。とまでは流石に言わなかった。
「そう。ダリルのアルバムを見せてくれ」
アルバムで当たっていたらしい。闇の帝王が娘のアルバムに関心を示すという混沌的状況だが、ルシウスは戸惑いを隠してヴォルデモートの要求へ素直に従った。傍らの書棚をスライドさせて、奥の書棚に並んでいるアルバムのラベルを確かめる。
「へえ、意外に家庭的なんだね」
ルシウスの傍らでヴォルデモートが感心したようなからかうような声を出した。ヴォルデモートにしてみれば、死喰い人として自分の命令に忠実であった男が、多くの人間の命を奪ってきた男が書棚を埋め尽くすほどのアルバムを所持しているとは思わなかったのだろう。両親のものやナルシッサが実家から持ってきたものも含まれていると言いたくなったが、どの道家族の写真を集めていることには変わりない。
ルシウスは黙々とダリルの写真が多く載っているアルバムを探し出し、ヴォルデモートの反対側へ浮かせた。五冊ほど積み重なったところでヴォルデモートのほうへ滑らせる。
「このあたりが、娘が多く載っているものだと思いますが」
「ふうん」ヴォルデモートは自分の目の前にあるアルバムの一番上を手に取ってパラパラ捲った。「ああ、ほんと」
ポイと宙に投げ出して、次のアルバムを捲り、それを幾度か繰り返してからアルバムを手に持ったままふーとため息をつく。
「詰まらないね」
だったら見るな。そう思っても、勿論言う事は出来なかった。
七歳からホグワーツに入学するまでのダリルの行動範囲など限られている。病気がちだったこともあり、殆どの写真はダリルがベッドに横たわっているだけだったり、窓辺の椅子に掛けているだけのものだ。変化と言えばダリルの髪の長さと洋服ぐらいだろう。ドラコどころか当人までもが「高度な間違いさがし」と称するアルバムを捲る者はルシウスだけだった。
「よくも撮りつづけたものだな」
ヴォルデモートは冷めた目でダリルの成長を追う。
「体が弱かったので、成長記録でもと……」
自分が撮ったこともあり、ルシウスはアルバムを見て「この写真はダリルがお父様遊んでとローブを引いて、仕事に行くのを引き留めた日に撮ったものだ」とか「この写真のダリルが不安そうにしているのは自分が咳をしたのを心配しているから」とか割と楽しむことが出来る。しかしヴォルデモートは何が楽しくてアルバムを捲るのだろうとルシウスは思った。変人でもあるから、高度な間違いさがしにでも熱中しているのかもしれないと、ルシウスは疑問を抱いてすぐに彼を理解するのを諦める。これを理解したいと望むのも、精々が娘ぐらいだ。
「やけに緑が多いね」間違いさがしに没頭していたヴォルデモートが不意に口を開いた。「服の色のことだよ」
これだけでは通じないと見たのか、言い添える。
ヴォルデモートと暮らすのを喜ぶのも、彼を理解したいと望むのも、彼を恐れず平和な会話を出来るのも、多分娘だけなのだろう。だからヴォルデモートは高度な間違いさがしを捲るのかもしれない。どんなに考えても、結局ルシウスには目の前の男は理解できない。
「……緑が似合いましたので」
「単にお前の趣味だろう」
釈然としない気持ちのまま口にした台詞をヴォルデモートがピシャリと否定する。
そりゃ娘を可愛がっているなと言われることは少なくないし、自分が娘を溺愛している自覚ぐらいはあるものの、ヴォルデモートにそれを指摘されるというのはやはり滅多にないことで、想定外のことだ。まあ、千歩譲ってそれは構わない。構いはしないけれど、
「僕は白のほうが好きだな」
……これは無視してはいけないような気がする。
「我が君」
「何だい」
「恐れながら、我が君は娘とどのような関係であらせられるのでしょうか」
下僕と言ってくれ。そんな気持ちをこめて問うた台詞にヴォルデモートがルシウスへ悪戯っぽく笑って見せる。
「何だと思う?」
「主従、でしょうか」
ヴォルデモートは少し考え込んでから口を開きかけたが、「あっ、やっぱりここにいたのね!」答えは咎めるように可憐な声にかき消されてしまう。ダリルはつかつかとヴォルデモートに近づくと、その手のなかのアルバムを奪い取った。
「私が寝てるからって、勝手しちゃ駄目よ!」
お父様ごめんなさいと一言すまなそうに謝ってからダリルはヴォルデモートを叱りはじめ、ヴォルデモートはそれを茶化し始める。僕がそばにいないとおちおち寝ていることも出来ないのかとか、君はいつから僕の保護者になったんだとか、今は私のほうが偉いんだから私の言う事を聞いて頂戴とか、ほら私まだ眠いんだから部屋に戻って午睡しましょとか、二人の会話を聞いている内に居た堪れない気持ちになったルシウスは二人を放置したまま書斎を出て、廊下の壁に寄りかかり深いため息をついたのだった。
七年語り – IF / PARODY