七年語り – LULL BEFORE THE STORM
11 ありふれた別れ
ダリルとハーマイオニーが初めて出会ったのは、もう二年ほども前のことだ。
十一歳のダリルはホグワーツへ行きたいと強く望んだにも関わらず、ホグワーツへ向かう列車のなかで耐え難い不安故に逃げ出してしまいたいと思っていた。くぐりたいと望んだ扉を抜けた場所だったのに、じりじりと首を絞められているような苦しさが肺に満ち、家にいた頃と何ら変わりない孤独と劣等感から物事がままならない絶望を味わっていた。
一歩進んだはずなのに気がつけば元居た場所へ戻ってきている。それはあたかも深い森に迷い込んでしまったかのような混乱で、「やっぱり駄目なのかもしれない」と無気力を反芻させるに十分だった。ホグワーツへさえ行けば逃れられると思ったのに不安と絶望はしっかりとダリルに抱き付き、彼女の行く先々に付いてくる。頼るものは何一つなく、心を許せるものも何一つない。マルフォイの娘として立派に振る舞えなければ片割れに見捨てられてしまうと怯え、魔法の使えない身でホグワーツに来たことが知れたらと身を硬くして、言葉一つ紡ぐのが恐ろしかった。いつ自分がスクイブであると知れるか――幼い頃から他者よりも上であることが当然と、そう甘やかされてきた故に培われた巨大なプライドが揺るがされるのを恐れて、同時にドラコやルシウスの愛情を失うことを恐れていた。
私には価値がないから、誰かに所有して貰わなければ生きていけない。私には何もない。意思も夢も希望も、およそ人が未来へ抱くものは何も持っていない。親の引いたレールの上を、車輪をカラカラ鳴らしながら行ったり来たりするだけだ。それ以外の未来はない。
レディの正体を知らずとも、言葉で縛りつけられずとも、「私は誰かの所有物なのだ」と己の足で歩くことは出来ないと思っていた。
そういう昏いものを胸に燻らせていたダリルのもとへハーマイオニーはやってきた。
はきはきとして明るい少女、打てば響くようにポンポン言葉を続け、その聡さから相手をやり込める台詞を容易に思いつく。ハーマイオニーの堂々とした居振る舞いはダリルの劣等感を煽った。それだけでなく、ダリルを馬鹿にするように事細かに蛇の飼育について教えて下さったことから二人の出会いは険悪そのものになってしまうのだが、彼女にとってこの出会いは大きなものだった。
ハーマイオニーに出会うまで、ダリルはむき出しの嫌悪というものへ触れたことがなかった。
父母の言葉からそういうものがあるとは知っていたが、それらはダリルにとって対岸の火事に等しかったのだ。己を焼き尽くす事のない赤さはダリルにとってあまりに遠すぎた。火元とダリルの間にはルシウスという深く幅の広い河が流れているのが常だった。十一歳になるまでダリルはルシウスの庇護下にあり、殆ど寵愛されて育ったと言って良いだろう。外部と隔離されて育った四年は言うまでもなく、外部と関わって暮らしていた七年の間もダリルが会うのはルシウスの知人のみだった。今も昔も、ルシウスを恐れる彼らはダリルへ賛辞以外を口にした試しがない。唯一の例外と言えばドラコからの罵りだろうが、それとてダリルが泣くほど厳しいものになるのは稀だった。ダリルへの罵りがルシウスの耳へ入れば酷く叱られるとドラコは知っていたし、何よりも片割れに対する愛情を完全に拭い去ることが出来なかったから、丸きりの嫌悪を口にすることはなかった。ルシウスの整えた真綿の室で暮らすダリルは悪意も嫌悪も知らずに育った。
ホグワーツ特急で出会った時、ダリルがハーマイオニーをマグル生まれと知ることが出来なかったように、ハーマイオニーもダリルが如何言う風に育ってきたのか知ることはなかった。故にあの日のハーマイオニーが口にした嫌悪は全てダリルのものだったのである。
ダリルの記憶にある限り、“ルシウスを介さない会話”というのはそれが初めてだった。
あの日ハーマイオニーの前にいたのは「誰のものでもないダリル」だった。
ハーマイオニーはダリルの前では「学年一の才女、賢くて、大人びたハーマイオニー」で居られると思っているのと同じに、ダリルもハーマイオニーの前では「自由なダリル」で居られると思っていた――尤も自覚はなかったけれど。
ダリルはハーマイオニーのことをフレッドとジョージ達とは別の種類の友達だと思っていたし、ハーマイオニーもダリルはハリーとロンとは別の種類の友達だと思っていた。ハリーとロンと三人でいる時にダリルも入れて四人で過ごすというのは、何処か落ち着かなくて、ダリルがフレッド達と六人でいる時にハーマイオニーを入れて七人で過ごすというのも違和感がある。それでもハーマイオニーとダリルで二人きりというのは、そう可笑しなことではないように思えた。
例えばハリーが言ったように、何か少しでも噛み合ったならダリルはフレッド達とではなくハリー達三人と親しくしていたかもしれない。それと同じようなことで、あの日何か少しでも違っていて互いに敵意のないことが知れれば、ダリルとハーマイオニー、本を読むのが好きな者同士、一番の友達になっていたのかもしれない。二人でいると、そういう“もしもの未来”を感じることがあった。
互いに多くを抱えているからか、二人を繋いでいるのはなんとも不思議な縁だった。
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ハーマイオニーが四歳の頃から七年を過ごしたという学校はダリルの知る“学校”とは全く違うものだった。
知ると言ったってダリルの通った事があるのはホグワーツだけなのだが、ペンパルから彼女の通う学校について聞いたこともあるし、各国にある魔法学校について書いた本もよく読んでいる。学校についての知識はそれなりにあるつもりだ。“魔法”学校に、ついては。
大抵どこの国の魔法学校でも皆独特な校舎を有しており、ホグワーツのように城を利用したものもあれば、大樹を利用したものもある。様々な形態をした魔法学校の校舎達の唯一の共通点は内部構造の複雑さだ。七年を過ごしても迷ってしまうほどに滅茶苦茶な校舎のそこここに秘密が積もっている。ダリルは学校というものは皆“そう”なのだと思っていた。なのに、ハーマイオニーがかつて通っていた学校にはそれがない。平屋作りの校舎は積木のように健全な構造をしていて、秘密というものが一切存在していないように清潔だった。
廊下で騒ぐ生徒でもいれば少しは学校らしく見えたのだろうが、夏季休暇中の校舎はガランとしている。
ダリルはハーマイオニーの後について歩きながら、始終キョロキョロしていた。ハーマイオニーは学校の門を潜ってから寡黙になってしまって、ダリルの行動を咎める気にすらなれないらしい。ダリルが「あの写真を見て、動かないわ!」と歓声を上げても無反応だった。余程今から会いに行く人は嫌な奴なんだろうとダリルはハーマイオニーを心配したが、掲示板に貼られたレポートを音読し始めたら流石に反応したので、少し安心した。ダリルはハーマイオニーに踏まれた足を引きずって、大人しくハーマイオニーの背だけを見ていた。いやちょっとは周囲も見渡した。大分大胆に眺めまわしたかもしれない。壁に貼られたポスターの前で立ち止まったりもしたかもしれない。写真に写ってる女の子の顔を指で突いていると、一メートルは先にいたはずのハーマイオニーが傍らで険しい顔をしていた。
そんな風にして健全な校内を二人でぎこちなく歩いていると、急にハーマイオニーが立ち止まった。待ち合わせ場所についたのだろう。ハーマイオニーはきゅっと唇を噛み締めて、茶の瞳で扉を見つめる。扉には「Year5」と記されたプレートが下がっていた。
五年生、つまり何歳の生徒を対象としたクラスなのだろうか。ダリルがそう考えているのを見とおすようにハーマイオニーが睨んだので、ダリルは何も考えず大人しくしているよう努めなければならなかった。
トントンとノックを二回、「失礼します」とハーマイオニーの強張った声が紡ぎ、その手がノブを回した。扉が開く。
扉の向こうは廊下よりずっと明るかった。
窓辺に差す日は強く、教室内に暗い影を落としている。しかし薄暗い中でも壁の色の明るさや、雑然と並ぶ机達、掲示板に貼られた絵、棚に並べられた粘土細工などが訪れる者の胸に喧騒を感じさせた。夏季休暇に入るまでは確かに子供達がここにいたのだと、ダリルは賑わいの抜け殻を感じる。好奇心のままに教室内を見ていると、奥に黒板と教卓の間に若い女が立っているのが見えた。
年の頃は三十そこそこと言ったところだろうか。教師らしく華美なところのない衣服を纏っていて、マクゴナガル教授ほどというではないが、唇をきゅっと結び、厳しそうな面差しをしている。見たところ特別嫌な人のようには見えなかった。
二人が教室に入るなり女は顔をあげてこちらを――ハーマイオニーを見つめた。ハーマイオニーは前を向いてはいるものの背後にある扉を気にしていて、代わりにダリルが女のほうをじっと見返していた。そのまま十秒は沈黙していただろうか、不意に女がダリルの存在に気付いたらしい。頬にパッと朱が差して、取り繕うような微笑みが口元に浮かんだ。
「ごめんなさい――暗くて、すぐに明かりをつけるわね」あからさまな言い訳を口にすると、女が黒板脇に手を伸ばした。途端に教室内が明るくなる。ダリルは目を丸くして、光源が張り付いている天井を見上げた。白い棒が沢山並んでいる。目の前にマグルの女がいるということも忘れて、ダリルはハーマイオニーの袖を引いた。(なに、これ!)その瞳がキラキラしているのは白熱灯の明かりのせいだけではないだろう。ハーマイオニーは強張っていた頬を緩めると、女へ見えないようにダリルの足を踏んだ。
(門を出るまでその口を開かないで)にっこり笑っているが、響きは怖い。
ダリルのおかげで緊張がほぐれた風だったが、女の呼び声に気付くとハーマイオニーの頬はまた凍ってしまった。ゆっくり進むハーマイオニーの後を追って、ダリルもジンジン痛む両足で床を擦るようにして歩き出した。
ゆーっくり歩いていても、五六メートルの距離はあっという間だ。
教卓を挟んで向かい合う女とハーマイオニー、近くにいるはずなのに、二人の間にある教卓がそそり立つ壁のように見えた。それも当然だろう。二人ともフロバーワームでも口にしているかの如く複雑そうな顔をして、ハーマイオニーは目を伏せている。
「久しぶりね」
「お久しぶりです」
「元気にしているかしら?」
「はい」
端的に言うと「気まずい」、より詳しく言おうとしてもやはり「気まずい」以上の言葉は出てこない。
よく分からないものの明かりにより教室内は明るくなったのだが、反対に空気のほうは最初より淀んでいる風だった。
ハーマイオニーと女のどちらも緊張していて、横で見ているだけの身としてはもどかしいような気持ちになる。何よりも互いに嫌いあっていると言うなら、もっと横柄に振る舞って良いのではなかろうかとダリルは思った。ふと脳裏に少女の声が響く。
『嫌いだから嫌いと言うわ。嫌いな相手に対する言葉が辛辣になるのは仕方のないことよ』
確か、二人が初めて出会った時にハーマイオニーが口にした台詞だ。如何言う経緯で口にするに至ったかはハッキリ覚えていないにせよ、それまで家族の顔を立てるために好き嫌いをハッキリ口にすることのなかったダリルはこの台詞へ衝撃を受けたことを覚えている。
これほどまでに鮮烈で、キッパリしている台詞があるだろうか。初めて会った時のハーマイオニーは好き嫌いがハッキリしていて、相手を傷つけても己の我を通すことを譲らないという、そういう少女だった。その堂々たる言動にダリルは憧れたものだ。
なのに、今目の前にいるハーマイオニーは如何だろう。困惑して、緊張しきっていて、もじもじしている。
勿論それが変だとか、ハーマイオニーらしくないと言うのではない。ただ、二年という時間の流れによる変化が顕著に現れたのか、それともこの女に対する感情の故か、もしくは両方か、どれなのだろうと気になるだけだ。
女はハーマイオニーと会話をするべく果敢にも幾度か話を振っていたが、結果は惨敗だった。
取りつく島がないというか、緊張しきっているハーマイオニーは普段の聡さを発揮出来ないらしい。十三歳の少し内気な少女のように沈黙を持て余していた。やはり時間の流れによるものではなく、この女との間にある何かの故なのだろう。ダリルはそう結論付けて、女へ視線を滑らせた。ダリルに瞳を覗き込まれ、女は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、ゆるゆると頬を綻ばせた。笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、挨拶が遅れたわね」教卓越しに手が差しだされた。
ハーマイオニーがはっと我に返る。茶の瞳が物言いたげに見つめてきたものの、ダリルはちょっと手袋を指差してから女の手を取った。一分ぐらいなら大丈夫だ。「初めまして、ダリル・マルフォイと申します」ダリルは女に微笑みかけて、言葉を続けた。
「ハーマイオニーの友達です」
女が軽く目を見開く。ダリルのほうをチラチラ見ているハーマイオニーは気付かなかったものの、ダリルは表情の変化に気付いた。微かな戸惑い――動揺は瞬く間に静まり、元の穏やかな表情が微笑んでいる。「そう、友達」考え深げな声だった。
嫌な人のようには見えない。しかしそれにしては落ち着きのない人だとダリルは思った。
繋いでいた手が解かれる。
「私はメアリ・カークランド。以前にハーマイオニーのクラスを二年受け持っていたわ」
ダリルとマクゴナガル教授、もしくはフリットウィック教授のようなものだろうか。二年世話になった割りに二人とも余所余所しい気がしたが、スネイプ教授みたいに嫌な奴とだったら――そこまで考えて、ダリルは眉間にしわを寄せた――否、世話になったのだから、卒業後に会うことになってもこうまで余所余所しく振る舞うのは止めよう。あと四五年付き合わなければならないということには目を瞑り、ダリルはスネイプへの感謝の気持ちを心中で紡いだ。己の嫌悪感を洗脳するために紡がなければならなかった。
ちょっと見直したと思えば、すーぐ人に面倒押しつけて引きこもったり……。ダリルがスネイプへの不満を浮かべている間、メアリは再びハーマイオニーとの通信を試みた。幸いそれは先よりも上手くいったらしい。ダリルがぼーっとしているのに苛立つことで、ハーマイオニーの緊張は若干溶けていた。教卓で見えないのを良い事に、ハーマイオニーがまたダリルの足を踏む。
スネイプとの思い出巡りから現実に引き戻されたダリルはハーマイオニーを睨んだが、ハーマイオニーはダリルのことなど無視してメアリとの業務連絡を淡々と交わしていく。ハーマイオニーはメアリに差し出された筒を受け取って、鞄のなかに仕舞った。
「ごめんなさいね、わざわざ来て貰っちゃって……」メアリが申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。
「いえ、私こそ取りに来るのが遅れてすみません」ハーマイオニーはピシャっと四角四面な返事を口にした。
「大丈夫よ」あと一秒でも沈黙が長引いたなら、「じゃあこれで失礼します」と言いだしそうだ。そう思ったのはダリルだけではなかったようで、メアリが慌てて言葉を続ける。「寄宿学校なんて大変ね。ご両親と離れて暮らすのは寂しくない?」
「もう二年ですから、慣れました」
どっちが怖がっているのか、分からない。
何とかハーマイオニーと会話しようとあれこれ話しかけるメアリと、それらの全てをはねつけるハーマイオニー。二人のやり取りを見守りながら、ダリルは首を傾げてしまった。ハーマイオニーが如何言う学校生活を過ごしてきたかは分からないが、この女教師はハーマイオニーを嫌っていないように見える。寧ろハーマイオニーのほうがメアリを嫌っているのではないかとさえ思ってしまうぐらいだ。でもダリルの知っているハーマイオニーは、スネイプでさえ教師だからと庇うような人だ。それが何故この人を嫌うのだろう。
うーんと考え込んでいると、ハーマイオニーがダリルの手を引っ張った。「ぼーっとしてないで、」帰るわよ。恐らくその台詞の続きはそうなるに違いなかったが、メアリが最後の足掻きを見せる。もう帰るのかと呆気に取られるダリルの耳にメアリの声が響いた。
「そうそう!」ハーマイオニーがメアリを振り向く。「ミスタ・スチュワートが貴女に用があると言っていたの」
ハーマイオニーは何故? と言いたげな顔をしていた。それもそうだろう。ハーマイオニーの言葉が確かであれば、彼女と親しい教師はこの学校にいないはずである。何より卒業してから二年も経って呼ばれるような用が二つも重なるというのは滅多にないことだ。
「何でも貴女のレポートを発掘したんですって。全く、あの人らしいわね?」
メアリは冗談っぽく笑ったが、ハーマイオニーの頬はピクリとも緩まなかった。ダリルは笑ってやったほうが良いのかと思ったが、ミスタ・スチュワートが如何言う人物なのか分からないので、結局笑う事は出来なかった。
変だと思っても、用を言いつけられたからには無視して帰ることは出来ない。
ハーマイオニーがダリルへ視線を滑らせて「ダリル、」と口にした。多分、一緒に行くわよとか、移動するわよということだったのだと思う。ダリルはこの学校と縁がないし、ハーマイオニーの付き添いというそれ以上でも以下でもない立場なので、当然頷こうとした。
視界の隅でブルーの瞳がダリルへパチとウインクした。
「ハーマイオニー、行ってらっしゃいよ」
ダリルはハーマイオニーの台詞を遮って微笑んだ。
一歩ハーマイオニーから後退して、その顔を見ないで済むように顔を背ける。掲示板へと近づいた。
「私、こう言うところ来るの初めてだし、もうちょっと見ていたいわ」
貼られている時間割を指でなぞり、その横にある絵を見てダリルは歓声をあげるふりをして、ハーマイオニーへ首だけで振り向いた。
「凄い! この絵動か」ダリルとハーマイオニーの顔が同時に凍りついく。「凄い躍動感だわ」
学校から出たら絶交されるかもしれない。ダリルは心中冷や汗を流しながら、面白い、素敵と連呼した。メアリさえいなければハーマイオニーもダリルを叱れただろうが、メアリに怪しまれず叱る台詞が思いつかない。最後までハーマイオニーはダリルの様子を疑わしそうに見ていたが、メアリが急かすので渋々教室から出て行った。リノリウムの床に靴底が擦れる音が遠ざかっていく。
二人きりになった。
ダリルは自分を見るブルーの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「何故ハーマイオニーを追いだしたりなどしたのですか?」足音が聞こえなくなるなりダリルが問うた。
自分を連れて行ってしまえばもうハーマイオニーが戻ってくることがないからかと思ったが、引き留めるための用なら幾らでもあるし、目的もなくただ喋っていたいだけなら疾うに諦めているだろう。
「付き合ってくれて有り難う」メアリはダリルの質問に答えず、やんわり微笑んだ。
答える気がないからというよりは、直ぐに知れることになるからなのだろう。メアリはちらっと壁時計に視線を走らせると、急いたように口を開いた。ひょっとすると前もってミスタ・スチュワートとかいう男に足止めか何か頼んでおいたのかもしれない。
つまり、メアリが本当に用があったのはハーマイオニー自身ではなくその付き添いだったのでは? ダリルがそう思ったと同時、メアリが躊躇いがちに口を開いて、その瞳に動揺と狼狽を滲ませた。
「あの子は、ハーマイオニーは学校で上手くやっているかしら?」
唐突な問いにポカンとするダリルのことなど気に留める風もなく、メアリは言葉を紡ぎ続ける。
「その――友達が、貴女以外にも居て、誰とも喧嘩したりせず――普通に、過ごして、女子トイレに籠ったり、いいえ、あの」
その言葉は教師らしくもない困惑が満ちていた。何に対する困惑なのかは分からないが、己の感情に戸惑っていて、知りたいという気持ちと口にしてはいけないという自制の気持ちとが入り乱れているように感じた。
教師が生徒を案じることは何も可笑しなことではない。しかし、何故こうも狼狽した響きになるのだろう。何が後ろめたいのだろう。
ダリルが黙ったままじっと見返しているのに気付いたメアリが慌てて頭を振った。
「勿論ハーマイオニーは私の生徒だったときも素晴らしかったわ」
もしかしてと、ダリルは思った。
「彼女は勉強が一番出来たし、絵を描くのも上手いのよ。楽器も上手く扱うことが出来たし、あの子に出来ないことなんてなかった」
メアリは言い訳するようにハーマイオニーを誉める。
「あの子ほど頭の良い生徒はいなかったわ」そのブルーの瞳は眩しそうに細められていた。
学校内で孤立していた少女を案じる教師のものではない表情で、ダリルがどこかで見たことのあるもののような気がした。それでも脳裏に記憶は蘇らない。ダリルはメアリに会うのは初めてだし、そしてこれきり二度と会うことはないはずだ。マグルだからとか、魔法族だからとか、それ以前に二人の袖は触れあえるほど長くはなく、二人ともその空虚さに何の未練も覚えていなかった。
でも、きっとハーマイオニーとメアリは違う。ダリルは焦がれるような幼さを瞳へ浮かべるメアリを見つめて、尚も思索を続ける。メアリはハーマイオニーの成績がどんなに素晴らしかったか、どんなに多くのことが出来たか語っていて、青灰の視線に気づかない。
余程教職員の誰かと仲が良いとか、己が何か用があってとかなら兎も角、たかがポスター一枚で何年も来るよう言われるというのはないはずだ。ダリルは学校というものをホグワーツ以外に知らないけれど、マクゴナガル教授がホグワーツを卒業したダリルを紙きれ一枚の用事で呼び付けて、しかもそれを二年も待つというのはないように思えた。そうなれば、その“紙きれ”は単なる口実に過ぎない。
メアリがハーマイオニーに会いたくて何年も待っていたのだ。
この二人の間に何があったのかは分からないが、ハーマイオニーの台詞を顧みるに、単に余所余所しいだけの関係ではないのに違いない。ハーマイオニーは嫌いなものは嫌いとハッキリ言う少女だ。『私は本当にあの場所が嫌いだったのかしら』嫌いとは言わなかった。
ダリルはちょっと考えてから、ゆるゆると口を開く。
「ハーマイオニーはホグワーツで楽しく過ごしてますわ」
その台詞にメアリが安堵しているのがよくわかった。ブルーの瞳が和やかに滲み、頬が自然に緩む。
「学年主席なんですよ」
「そうなんだろうって思った」嬉しそうに弾む響きだった。
「それに友達も沢山います」魔法のことを匂わせないよう話すには如何言えば良いか考え考え言葉を続ける。「同室の女の子達とよくお喋りしてますし、それにハリーとロンっていう男の子二人ととっても仲が良いんです」
ハーマイオニーにレポートの面倒を見て貰っていること、双子の兄とは折り合いが悪いのだけれど(メアリの顔がちょっと険しくなった)自分とは仲良くしてくれること、上級生にからかわれても毅然と対処すること、寮監の先生に気に入られていて、ハーマイオニーもその先生に憧れていること(今度はそのブルーの瞳が少し曇った)、ハリーとロンといつも一緒にいて、性別が違うとは思えないほど三人一緒にいるのがしっくりくること、やんちゃな二人のお目付け役を頑張っていること、緩く閉めた蛇口から漏れる水滴のようなたどたどしさも、メアリには気にならなかったらしい。それとも知らない人の前でダリルが緊張しているとでも思ったのかもしれない。
「そう――そう、そうなのね」ダリルがあらかたの事を話し終えると、メアリはふーっと深いため息をついた。
それはお伽噺に夢中になっていた子供が現実へ戻るために紡ぐ呪文のようでもあり、ずっと手に取ることが出来なかった物語のあとがきを読み終えた時に満ちる切なさを吐きだしているようでもあった。どの道その相槌は終わりを意味していた。
二人の間、ゆうに三メートルはあるだろう距離を沈黙が埋める。メアリが口を開くのが酷くゆっくりに見えた。さあ物語はおしまい。本を仕舞って、帰り仕度をしなさいと口にする教師の表情で、メアリが何か紡ごうとする。
ダリルにはそれを止める理由がない。メアリとの邂逅は道端で過ぎるものと何ら変わりなく忘却へと進んで行くだろうし、ハーマイオニーから何かしてくれと頼まれたわけでもないからだ。ダリルが頼まれたのは一緒にいることだけで、本当ならハーマイオニーの学校生活についてもメアリへ口にしてはいけなかったのだと思う。頼まれてもいないことをするのは、とてもお節介だ。過ぎたるお節介は巨大な迷惑に繋がると幼い頃から知っているダリルは、進んで何かへ関わろうとはしない。今までそうやって過ごしてきて、だから今日もそうすれば良いじゃないかと思うのは当然のことだった。ハーマイオニーは何も頼んでいない。メアリの言葉を待って、二人で帰る。昨日と変わらない明日が待っているだろう――そこまで思って、ダリルは自分の臆病が可笑しくなった。
変わらない明日はない。ヴォルデモートという未来を知る自分が、何の変化を恐れるのだろう。失うことよりも恐ろしいことがあるのだろうか。例えばクィレルの話を永久に聞くことが出来ないように、レディの嫌味に憤ることが出来ないように、それらのことよりも恐ろしいことがあるなら、知りたいぐらいだ。変化と喪失は違う。今ここで“変化”を選んでも、ハーマイオニーを失うことはない。
それにダリルは失わなくても、この目の前にいる女教師はもう二度とハーマイオニーと過ごすことが出来ないのだ。今から喪失を味わうだろうメアリへ、ダリルは“いつも通り”を選ばなかった。
ダリルが急いた声音で、ハーマイオニーの名を紡ぐ。ああ、もう、本当に巨大なお節介。そう悔やんでも、舌は止まらない。
「あの、ハーマイオニー、二年前に一度だけ女子トイレに籠って泣いてました」
メアリがギクリと体を強張らせたのを見て、慌てて首を振る。
「だけどハリーとロンが」トロールをやっつけてくれたの! などと言えば、自分がハーマイオニーにやっつけられることになるだろう。「その、助けてくれたんです! ことの発端はロンだったんですけど、今はすっかり仲良しなんですよ」
ハーマイオニーには出会った当初の貴女も好きと言ったが、それは今ハーマイオニーを知っているから言えることであり、あの時ハーマイオニーを知らなかったダリルは彼女へ良い印象を抱かなかった。勿論それはハーマイオニーだって同じだ。あの時のハーマイオニーは確実にダリルを嫌っていて、今だから二人「すれ違っていた」と言えるけど、もしかしたらずっとすれ違ったままということもあっただろう。例えばダリルはパンジーと仲が悪いし、ノットとも、フリントとも、というかスリザリンの殆どとあまり仲が良くないけれど、それは多分相手が悪魔みたいに嫌な奴だからではなく、偶然歯車が噛み合わなくて、すれ違っているから互いに「嫌な奴」と思っているのだとダリルは考えていた。ハーマイオニーはこの学校にいる時そういう事が多かったかもしれない。
『私は本当にあの場所が嫌いだったのかしら』
それがハリーとロンに出会って、トロールに襲われるという吊り橋効果から始まったものにせよ、一年二年と過ごす内にハーマイオニーは驚くほどに変わった。まず威圧的に話すということが格段に減ったし、自分の賢さをひけらかさないよう気を付けているし、まあ勝気なところは変わらないが、そこは良いところに数えて支障ないはずだ。
二年間ずっとハーマイオニーを見ていたダリルが、彼女の変化にどれ程心を動かされただろうか。
根本にあるものはハリーへの憧憬と似ていたが、同性だからか、ダリルにとってハーマイオニーへの憧れはハリーに対するものよりもずっと身近なものだった。だから「私も変われるかもしれない」と仄かに思ったし、ハーマイオニーを見てると「もう少し頑張ろう」と思えた。――そうやって二年を過ごしてきたのだから、少しは変わったのかもしれないなんてドキドキしてしまう。
それでも己の変化よりもハーマイオニーの変化のほうがずっとダリルの心をときめかす。彼女が如何言う女性に育つのかと思えば、いつも胸がドキドキした。ダリルがにっこりとメアリへ微笑む。「ロンとハリーはハーマイオニーのことを凄く大事にしてるんですよ」
「それに、私もハーマイオニーが大好きです」
ダリルの言葉へ聞き入っていたメアリが口を開いた。
「貴女は魔法って信じる?」
穏やかな声音がダリルの笑みを崩す。あんまりに唐突な図星に、ダリルの背が汗ばんだ。なるたけ平静を装うとするダリルの狼狽など無視して、メアリは言葉を続ける。「ハーマイオニーは少し“不思議なところ”があるでしょう。それで遠くにある全寮制の学校へ進学したものだから、誰かが『ハーマイオニーは魔法学校へ入学したんだ』って言いだしてね……」
「勿論私、そんな冗談言う子を見る度叱ったものよ」メアリがピシャリと宣言した。
その言い草が少しハーマイオニーに似ていて、こんな時なのに可笑しくなる。しかしメアリは全く可笑しくないらしかった。「本当に馬鹿げた話ね。ハーマイオニーの通うのが魔法学校だって言うなら、貴女だって魔女ってことになっちゃうもの」ダリルへ言うというより、己へ言い聞かすような微かな声だ。ダリルの相槌へ我に返ると、その憂いを帯びた容貌に笑みを貼りつけた。
「ほんと失礼よね――貴女は魔女というより、ニンフか妖精というところですもの」
マグルにとって魔女ってどんなものなのだろう。ちょっと思ったが、ダリルはとりあえず事を否定するのが最優先だと思った。
「ええと、そうですわね」ダリルが頷く。「ハーマイオニーと私が通うのは普通の学校ですもの。魔女じゃありませんわ」
ルシウスがこの台詞を耳にしたら、卒倒してしまうかもしれない。この場にいたら慌てふためくだろう家族のことを思って、ダリルがクスリと笑った。メアリにはそれがダリルの自信の表れのように見えた。美しい精霊に例えられて何の躊躇いもなく頷くというのは、ちょっと出来ないことだ。ハーマイオニーのような見るからにしっかりしてそうな少女と、この目の前にいるぽーっとした少女が如何言う縁で親しくなったのか、メアリは少し気になった。尤もダリルだってニンフは兎も角、妖精などに例えられて良い気はしない。
そろそろ異文化交流は終わりにしないと、ボロが出る。ダリルはそう見切りをつけて、一歩後退した。
メアリがそれに気付いて、もう一度教師としての笑みを貼りつける。
「ごめんなさいね、こんな馬鹿馬鹿しいことを話てしまって」ダリルは頭を振った。「ハーマイオニーのことを教えてくれて有り難う」
「いいえ、私の方こそハーマイオニーの話が色々聞けて楽しかったです」
ハーマイオニーに知れたら八つ裂きにされそう。聞いたことが知れたら一年絶交、話したことがバレたら絶縁されるかもしれない。どうかハーマイオニーに隠し通せますようにとダリルは心の底から思って、そのまま教室を出て行こうとした。
ダリルの背後でメアリが俯く。
「そうね」か細い吐息を絞り出した。「魔女なんて、魔法使いなんているはずがない……いたら、もっと悔いなく過ごせたはずだわ」
それは一体どういう憂いに纏わるものなのだろうか。ダリルはピタリと足を止めて、振り向いた。
「魔法使いだからって悔いなく過ごせるとも限らないのでは?」
ダリルが己のつまらぬ独り言へ乗ってくれたのだと思って、メアリがはにかむ。
「何故? 何でも魔法が使えれば、やり直すことも、平和に暮らすことも容易に出来るじゃない」からかうような言葉で、実際魔法族の存在を知らないマグルにとってはナーサリーライムより真面目なものになりようがないのだろう。
多分ダリルが子供で、それでやり直したいと望むことがあるから、だからその台詞をお伽噺にすることが出来ないのだ。
『最期に君という素晴らしい生徒に出会えたことを、教師として誇りに思う』
『僕を救ってくれ』
『手を振り払ったのは我輩だ。尤も振り払わなかったからと言って、得られるはずもなかったがな……』
『……私はお前の幸せを常に考えられないだろうが、お前は自分の幸せを常に考えるよう心がけろ』
それとも魔法使いには“魔法使い”がいないから、だからお伽噺を紡げないのかもしれない。
魔法が使えても、時間は巻き戻らない。一度失ったものは二度と戻ってこない。追うことも、逃げることも、投げ出すことも、きっと幸福に繋がりはしない。あの世にも、この世の果てにも、死の向こう側にも、本当に欲しいものはないのだろう。
安らぎよりも優しさよりも、ダリルが望んだのはもう一度愛しいひととこの世界で過ごすことだ。
叶う事のない望み。だから諦めなければならないこと。人のなかに望みを見出すよりも、己のなかに見出したほうがずっとしっかり歩くことが出来る。子供の駄々を窘めて、少しずつ大人にならなければならないし、ダリルも大人になることを求めている。大好きな人達に並びたいから、もしあの世でクィレルに会うことが出来たら、胸を張って「私は良い生徒でした」と言いたいから、頑張りたい。
「魔法使いでも一番使いたい魔法を使う事は出来ないんです」己が魔女であることも、相手がマグルだということも忘れていた。それどころか、相手がずっと目上の人で、しかも初対面の相手なのだということさえ意識していなかった。
「やり直すことも、過去を塗りかえることも、己の心を誤魔化すことも出来ません。
魔法使いも、魔法使いじゃなくても、切り拓くしかないんです。自分の頭で考えて、自分の足で歩いて、進むしかないんです」
ブルーグレイの瞳を細めて、ダリルが嬉しそうに笑った。
「ね? 私達、一緒でしょう」
何故かその笑みは、初めて会った時からずっと崩れることのなかった強張った面持ちよりも綺麗と言い難いものだったが、ニンフや妖精よりも生身の女の子のほうがずっと良いものだとメアリは思った。同意を求めるダリルに、コクリと頷く。
「……ええ、貴女の言う通りね」そうして、ちょっと一人で笑ってから、扉のほうを向いた。
声を大きくする。
「私、アメリカへ渡って結婚するの」
唐突な告白――しかも扉の向こうにいる誰かに向かって告げているのに、ダリルの背筋が寒くなった。如何しよう。八つ裂きにされる。そんなダリルの怯えなど知らぬメアリはゆるゆると優しい音を口にしていた。
「もしかしたら向こうでも教職に就くかもしれないけど、多分これで終わりだわ。
元々教師に向いていなかったのね。如何しても生徒ではなく個として見てしまうから、一人の子に肩入れしてしまうことも、それを気にして厳格に振舞おうとして、結局失敗することも沢山あった」
その失敗というのが如何言うものかは分からないが、まあ、何となく分かる気がした。平等というのは難しいもので、生真面目な人ほど平等という病に蝕まれやすいのだ。スネイプ教授みたいな人とは本質が違うのよね。ダリルはスネイプ下げに余念がない。
メアリが話しかけても、扉の向こうからは物音ひとつしなかった。
「私は貴女の良い先生にはなれなかったわね」
カタンと扉が軋む。しかし、それが開く事も、その隙間からふわふわの栗毛が覗くこともなかった。
「来てくれて有り難う」メアリが扉の向こうへ微笑みかける。「貴女が楽しく過ごしていることを知れて良かったわ」
如何したものかと考えそうになって、そう言えば部外者だったと逡巡していると、肩をポンと叩かれる。
「行って」戸惑うダリルにメアリがちょっと笑って、耳を指差した。「昔から耳だけは良いの」
勿論ダリルの戸惑いはそれとは無関係だ。それでも当人がこうやって誤魔化しているのなら、これ以上はダリルの関与するものではない。ダリルは作り笑いを浮かべて、わざとらしくクスクスやった。「まるで、魔法みたい」
なんだかんだロックハートは騒動を起こすばかりで、貢献したことと言えば夏季休暇中の宿題の増量ぐらいだが、例えあの人の冒険でなかったとしても、あの人の言葉には何らかの魔法が掛かっていたのかもしれない。ダリルの脳裏で本のなかの勇敢なロックハートが歯をキラキラさせながら頷いた。「私はマジックだ」魔法を起こすのは、杖でも、魔力でもなく、人間なんだろう。
杖も、魔力も、呪文集がなくても、魔法はあちこちに転がっている。
足音を立てないよう尽力しても、結局ノブを回す音が出てしまう。何となく空気を壊してしまったような気まずさを抱きながら、そーっと扉の向こうを見れば、メアリの言った通りハーマイオニーがいた。八つ裂きにされると咄嗟に思ったものの、静かだ。そりゃダリルだって顔を見るなり「アバダ・ケダブラ!」とかされるとは思わなかったけど、ここまで大人しいと不安になる。
「ハーマイオニー?」自然に呼ぼうとしたが、つい猫なで声になってしまった。
ゴホンと咳をしても、もう一度名前を呼んでも、ハーマイオニーはピクリとも動かない。
「帰りましょうって言ったほうが良い? それとも後悔するわよって背を押したほうが良い?」
ハーマイオニーも、二年ずっと行く気でいたということは、少なからずメアリに会いたいと思う気持ちがあったのではなかろうか。アメリカがどのぐらい遠いかはダリルも知っている。少なくとも十三の小娘が行こうと思い立ってすぐ行ける場所ではない。勿論永久の別れとは行かないだろうが、それでも時が立つにつれ執着が薄くなる事とかを考えれば、殆ど同じことのように思える。
ダリルはハーマイオニーの返事を待ったが、一分経っても反応がないので、煽るのは止めにした。ホグワーツに戻ればハリーとロンがいるし、マクゴナガル教授も、フレッドもジョージもいる。無理にマグルの女教諭と仲直りする必要はないのだ。
「帰りましょうか」ダリルはハーマイオニーへ微笑みかけて、その手を取った。パンッと閃光のように軽やかで、素早い破裂音。一瞬頬を叩かれたのかと身構えたが、頬は痛くなくて、手のなかが空虚で、栗毛がわっと視界に広がっていた。
バーン! と麻痺呪文で吹き飛ばしたのかと思うほどの勢いでもって扉を開けて、ハーマイオニーが中へ駆けて行く。そのまま目を見開いているメアリに飛びついた。反動でメアリが壁に頭を擦りつける。
「ごめんなさい」メアリにしがみつく体が震えていた。正直言って何も知らないダリルも、多くを知っているメアリもハーマイオニーが謝罪せねばならないことはないと思っていたのだが、それでもハーマイオニーは引き攣った声で謝罪を口にする。
「ごめんなさい、私、せんせいに嫌われてるって、ずっと、あんなこと、わたし気持ち悪いって、そう思われてるって」
メアリが一瞬の躊躇いを見せてから、ハーマイオニーの頭を撫ぜた。
「貴女のことを嫌いだと思った事も、気持ち悪いと思った事も、一度たりともないわ」
この言葉は無論嘘だ。嫌いと思った事はないが、不気味だと思った事は幾度かある。
ハーマイオニーの周囲で起こる不可解な事件、魔法を知らないハーマイオニーがそれに対して不安を抱いたのと同じように周囲も不安を抱いていた。何故、如何して、何のために――誰にも説明の出来ない未知の事象へ恐怖を抱くのは人として当然のことだ。メアリの悔いはそれをハーマイオニーの前で露わにしてしまったことだった。それまではずっと彼女を素晴らしいと思うばかりで自覚することはなかったのだが、動揺を露わにハーマイオニーを責めるようなことを言った時、メアリはハーマイオニーの前にいるのが教師ではなく“自分”だと言う事に気付いてしまった。ハーマイオニーよりも何歳も年上の自分が、同い年の少女のように彼女の賢さに焦がれ、感心し、そして恐れている。己の自制心のなさがどんなにかハーマイオニーを傷つけただろう。
「私が教えた内で、貴女は一番誇り高い生徒だった」ハーマイオニーが唇を噛んで、嗚咽を堪える。「その誇りの高さから貴女の殻はとっても厚かったけど、お友達が、貴女が殻を破る手伝いをしてくれたのね。良い友達が出来て、本当に良かった」
「本当に良かったわ……」
やり直すことは出来ない。やり直す資格がないとかではなく、もうメアリとハーマイオニーの縁は途切れているから、繋ぐ事は無理だった。メアリにはメアリの人生があるし、ハーマイオニーにはハーマイオニーの人生がある。
生きる世界が違うのではない。会おうと思えば会うことが出来るのと同じように、その自由さでもって彼女達は別れを選んだのだ。それだけのことだ。二年間ずっと持て余していた別れと向き合っただけで、何所にでもある別れの一つに過ぎない。
ハーマイオニーが顔をあげて、片手で目じりを拭った。笑う。それは実に四年ぶりのものだった。
「――どうか、海の向こうでもお幸せに」茶色の瞳が細められた。
「有り難う」メアリは頷いて、ハーマイオニーへ触れていた指を緩ませる。ゆっくりと距離が開いて行く。
「さようなら、先生」
ハーマイオニーの瞳から涙が一粒落ちた。「さようなら」
「ええ、さようなら」
さようなら二度と会わないだろう人、それでも雑踏のなか影を見つけたら心を揺さぶるだろう人。
後ろ手に扉を閉めるハーマイオニーの表情へ、ダリルは「また、置いてかれたみたい」と、そんなことを思った。自分の足で立って、しゃんと背筋を伸ばして離れていく別離をダリルは知らない。ダリルが知っているのは、濁流に飲み込まれていくように足元が覚束ず、しゃぼんのように頼りなく消える別離だけだ。もう泣いていないハーマイオニーと、いつまでも別離を思って立ち止まる自分と、どちらが子供かは人へ聞くまでもない。早く大人になりたい。それでも、自分はきちんと何かと別れることが出来るのだろうかとダリルは思った。
失うことを許せるような、それが大人だと言うのなら、ダリルは永遠に子供のままなのかもしれない。
そして多分自分は子供のまま死ぬのだと、ダリルはハーマイオニーへ微笑みかけた。
「行きましょうか」
七年語り – LULL BEFORE THE STORM