七年語り – LULL BEFORE THE STORM
13 たおやかなる食卓
ダリルが大人しいのは何も電子レンジやガスコンロに興味がないからではない。既にすっかり騒ぎたて、ハーマイオニーに足を思い切り踏まれたから大人しくしているのだ。ダリルはしょんぼりとキッチンで慌ただしく働くハーマイオニーの後ろ姿を眺める。自分も弄りたい。否ハーマイオニーのお手伝いがしたい。弄りたい。遊びたい。少しでも役に立ちたい。マグルの道具を弄り回して、その感想を書いた手紙をウィーズリー小父様に送りたい。テーブルの下、膝の上に置かれている指がモジモジ蠢く。ダリルがソワソワと一人百面相を繰り広げている間も、ハーマイオニーは手際よく昼食の準備を進めていた。以前には日中通いのお手伝いさんが来て食事の支度やらをしてくれていたが、ホグワーツへの入学が決まった夏からはハーマイオニーがお手伝いさん代わりにちょっとした家事をこなしている。手際が良いのも当たり前だ。もしもダリルにそれなりの常識(電子レンジは爆発しないとか、卵を直火であぶらないとか)が備わっていたとしてもハーマイオニー一人で準備した方が早く済んだだろう。別段急いだわけではないが、幸いにもダリルが爆発する前に食卓が整った。
ダイニングテーブルに二人分のラザニアとサラダ、バケット等が並べられる。
ガスコンロに火を付けさせてもらえなかったことをダリルはまだブツブツ言っていたが、チーズの香ばしさに不平不満が吹っ飛んだ。
「ハーマイオニーって本当に凄いのね」ダリルは神でも見つめるように熱っぽい視線をハーマイオニーへ注ぐ。
「そんなことないわ。誰にだって出来るわよ」
謙遜でも何でもなくハーマイオニーは心の底からダリルの台詞を否定した。冷蔵庫からミルクジャーを取り出しながら笑う彼女はダリルがナッツを砕くのに倉庫から棍棒を引きずり出してきたことも、それを止めようとした屋敷僕妖精と口喧嘩したことも知らない。まあ知ったところで然程驚いたりはしないだろう。同じ国に産まれながら異なる文化圏で育った箱入り娘がどんな突飛を仕出かそうと、もうハーマイオニーは動じたりしないはずだ。ハーマイオニーは勿論同世代の少女達よりも大人びていたり、出来ることが多かったり、賢かったりはするけれど、だからと言って“普通”を知らないわけではなかった。ダリルの言動に驚きはしないが、それでも時々「如何して目の前にいるのが彼女なのだろう」と思うときがある。しかし不思議に思っても、凄い凄いとはしゃぐダリルにその疑問は溶けてしまうのだった。
どっちにしろ“普通”じゃないから一緒にいるのかもしれない。
グラスにミルクを注いで、ハーマイオニーがダリルの向かいの席へ腰掛けると二人の昼食が始まった。主菜はお喋りだ。
初めてマグルの街を訪れた興奮や、異端を連れ回しているという心労が失せればいつも通りの会話が始まる。ダリルとハーマイオニーの“いつも通り”な話題と言えば勉学に纏わることしかない。どちらともなく夏季休暇中の宿題の消化状況の話になった。
「宿題終わった?」
ハーマイオニーの台詞にダリルは舌の上のバケットを飲み込んで、冷えたミルクで喉を潤す。
「うーん、それなりにね」ちょっと見栄を張った。本当は終わっているのは変身術のレポートだけなのだ。「ハーマイオニーは?」
答えの見え透いた問いだなとダリル自身思ったが、一応聞いてみた。ハーマイオニーはサラダを取り分ける手を休めてちょっと考える。「残ってるのは魔法薬学が丸々全部と、薬草学の挿絵……かしら」ダリルはフォークを赤カブに刺したまま固まった。
夏季休暇はまだ始まったばかりだ。フレッドとジョージなぞ「何が宿題かも知らない」なんて言っている。何でも授業中に「異界の砂―君の知らない粉末の世界―」とかいうご立派な本を覗き込みながらありとあらゆる爆発物をバラしていたらしい。ノートさえ取っていない彼らの青写真を覗き込めば「新学期の一週間前までにアンジェリーナかアリシアに聞く」と記されていた。彼らの凄いところは誰かに答えを写させてもらう等のズルをせずにあの膨大な課題の山を一週間でこなしてしまうところだろう。昨年の夏に散々注意警告の手紙を送っていたダリルも、今年は放っておいている。便箋も便箋として生まれたからには鼻紙として一生を終えたくないだろうから。
そういうわけでフレッドとジョージは宿題という鎖から完全に解き放たれて奔放な日々を過ごしているが、ダリルには彼らほどのバイタリティーや容量の良さが備わっていないので、極々一般的に宿題を消化して行っている。そう、“極々一般的に”だった。
ダリルはハーマイオニーの返事へちょっと不安になったが、夏休み開始から二週間弱で一科目しか終えていないというのは変ではないはずだと己を宥める。ロンはまだ計画表作っただけって言ってたし、ジニーも二科目終わらせたって自慢そうに言ってたし、ハリーもアンジェリーナもアリシアも一科目。意外にもリーが三科目終わらせてるけど、自分の宿題消化速度は遅くないはずだ。
食事をしながらの会話なので互いに沈黙は重くない。ダリルは赤カブを口にして、その瑞々しい果肉を咀嚼した。ゴクリと嚥下。
「ハーマイオニーのことだから、魔法薬学はいの一番に終わらせていると思ったわ」
ハーマイオニーが口元を押さえて二度三度頷いた。
「実験するかレポート提出だけにするか悩んでいるの。ほら、レポート提出だけのほうが評価が低くなるでしょう」
カチンと微かな高音が響く。ハーマイオニーはフォークを小皿に置くと、冷えたグラスを手に取った。結露した滴がグラスの側面を伝って、ポトンと掛布に染みを作った。顎をくっと上へ向けてグラスを傾ければ、ハーマイオニーの白い喉の下を皮膚よりも白いミルクが落ちていく。ゴクゴクとあんまり美味しそうに飲むので、ダリルもグラスへ手を伸ばした。
例の部分のためになるたけ飲むようにはしているが、実を言うとダリルはあまりミルクが好きではない。冷たくて、少し甘くて、真っ白すぎるのだ。たった四人の食卓で口にするには明るすぎるし、一人部屋で飲むには寂しすぎて、大勢のなかで飲むには濃すぎる。ダリルにとってミルクは半ば薬のような位置づけにあるのだけれど、ここで飲むのはとても良いなと思った。薄暗い内でもきちんと整えられていると知れる清潔な台所で、すぐそばにあるステンレスの流しや、仄かに胎動する冷蔵庫が窓から差し込む明かりに照らされるのを見ながら飲むミルクはとても健全な感じがして、正しい飲み物のように感じる。ダリルは心から美味しいと思った。
ミルクを飲み干したハーマイオニーはふうと息をついて、眉を寄せる。
「私も実験したいんだけど、でも、大なべを置くスペースがないのよね。……夏季休暇中は魔法も使えないし」
魔法が使えたら大鍋の下に火を起こして、周囲に燃え移らないよう防火魔法を掛けるのにと、ハーマイオニーは酷く口惜しそうだった。
マグル生まれの生徒のことを考慮して殆どの教科では調べ学習や感想文などの、教科書さえあれば如何にかなる宿題を出す。そもそも魔法の使用を禁じられているので、そういったものを出す他ないのだけれど、一つだけ「未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令」に縛られていない教科がある。魔法薬学だ。生徒達が「よりにもよって」とぼやきたくなるほどの期待へスネイプは見事に応えてくれた。去年までは大人しくレポート提出だけに留めていたスネイプは何か嫌なことでもあったのか(ダリルに厄介を掛けられたので溜まっていたうっ憤を晴らそうとしたのかもしれない)、今年に限って「レポートと合わせて作った魔法薬を提出しろ」などとほざきだした。学期末の授業でそれを知った生徒達は当然文句を言ったがまるで相手にせず、「今も昔もグリフィンドール寮生はサボることに関しては熱心だ」などと如何考えてもまるで笑いどころのない台詞で一人笑っていた。否、スリザリン寮生も笑っていたか。
スリザリン寮生にはマグル生まれの魔法使いがいないので対岸の火事ということなのだろう。勿論マグル生まれの生徒にとっては此岸の火事だ。「レポートのみの提出は評価外」とされたままでは困る。彼らが団結してマクゴナガル教授へ訴えた結果「レポートのみの提出も可」となった。勿論「ただしどんなに出来が良くても評価はC止まり」と付け加えるのも忘れなかった。わざわざグリフィンドールのテーブルまで説明しに来たスネイプがハーマイオニーを見てにやっと笑ったのはダリルの気のせいではないはずだ。
ダリルは空のグラスを小皿の脇に置いて、ぐるっと台所を見渡した。スペース的には問題ない。十分広いけれど、ここに大鍋と魔法薬調合法を持ってこようという気にはなれない。まさか外でやるわけにもいかないだろうし、リビングでやるというのも無理だろう。何より魔法薬の調合にはかなり強い火が必要となるのだ。マッチやマグルの使う“ライター”なんかでは不十分なのに違いなかった。それも成人の魔法使いのいない場所で、というのは無理だ。魔法薬を調合するに適していないところでモタモタしていれば、どんな事故が起こるか分からない。スネイプもつくづく無茶を言うものだとダリルは思った。知っていて無茶を言うのだから性質が悪い。
「マグルの家がどこもこういう風なら難しいでしょうね……」他人事ながらため息をついてしまった。
ダリルの同情へハーマイオニーが相槌を打つ。
「でも、私はまだ良い方ね。ハリーなんて、レポートをやるスペースがあるかどうかも難しいって言ってたわ」
カチン。ハーマイオニーの台詞にダリルのフォークが空ぶった。柔らかそうと狙いをつけていたベビーリーフはまるきり無傷だ。ダリルが動揺しているらしき様子でいるのに、ハーマイオニーが小首を傾げる。「ハリーから、そういう愚痴聞かされていないの?」
夏季休暇を目前に控えたハリーはロンとハーマイオニーへ家庭環境に関する愚痴をぽろっと零すことがある。やれ「ダドリーが僕を好きすぎて困る」だの、「“ま”と口にするだけでスーツケースに詰め込まれてブラジルに輸送されちゃうよ」だの、一々冗談めいてはいるがそれなりにヘビーなものだった。二人に同情されたくないからか、それとも冗談でも言わなきゃやってけないぐらい厳しい環境だからか切々とした訴えというのは聞いたことがない。しかし流石のハリーも課題の山には平静を保ちきれなかったようで、「レポートどこでしようかなあ」と、彼にしては珍しくも露骨な弱音を吐いていたのをハーマイオニーはバッチリ覚えていた。
常に対等でありたいと望んでいるだろう自分やロンにそう打ち明けるぐらいだ。甘えられる存在であるミス・レターにはもっと赤裸々で切実な愚痴をこぼしているのに違いないとハーマイオニーは思っていたが、ダリルの狼狽に余計な事を言ったと痛感する。
「ハリーは手紙では薬草学が終わったって言っていたけれど……」
躊躇いがちな響きにハーマイオニーは違和感を覚えた。
「ハリーはミス・レターへ家のことは話さないの?」
「そうね」ダリルはちょっと考え込んでから深く頷く。「ええ、そうよ。一緒に暮らしてる伯母様達の話って聞かないわ」
ハーマイオニーはパチパチと数度瞬きした。「じゃ、どんな話をするの?」
ハリーとダリルの関係というのも不思議なものだが、断片的な情報しか知ることのない故にハリーとミス・レターの関係というのは“それ”以上によくわからない。ダリルはハーマイオニーの台詞を受けて、この夏期休暇中ハリーとどんな手紙を交わしたか振り返った。
「ホグワーツにいる時はこれからすることとか、夏期休暇中は魔法界のことを聞かれるばかりよ。一通の手紙が短いのもあるけれど、そうね、互いに込み入った話ってしないわ」そこまで言って、ダリルは項垂れた。「その――私は自分のことを話さないし、そういう事はね」
よくよく考えてみれば、ハリーから愚痴らしい愚痴を聞かされたことがない。例外と言えば一年の時の減点騒動だろうが――あれだってダリルのほうから切り出したのだ。やはりハリーから愚痴を切り出されるということは一度たりともないと言って良いだろう。
ハリーを観察していると、彼の返信が滞るのは落ち込んでいる時や問題を抱えている時のようだった。そうして問題が解決してから己の怠惰を謝罪した手紙が届く。如何して返信が送れたのかとか、何故返信する気にならなかったのか説明されたことはなかった。
多分ハリーは内に閉じこもりやすいのだ。変にプライドが高いからか他人に弱みを見せるのを嫌う。己の感情を上手くセーブしたいと望んでいるらしき言動をよく取った。ダリルへ露骨な嫌味を言ったりして、それを自覚すると必ず失敗したと言いたげな顔になる。
ダリルがハリーの本心に触れるのは、いつだって彼の意思からではなかった。打ち明ける気のなかったことを感情の揺らぎから突発的に零してしまったという風で、だから“ハリーは自分の感情を御しきれるほど大人ではないのだ”と思ってしまうのかもしれない。一方でハリーが自分のことを“感情的な奴だ”と思っているだろうことも薄々感づいていた。
ダリルがミス・レターに固執するのには自分たちの相性の悪さも関係している。互いに互いを目の前にすると、如何しようもなくなってしまうのだ。相手を理解出来ないことへの苛立ちが募って、上手く取り繕うことが出来ない。引きずり出された己の本音の醜さに動揺してしまう。嘘がつけない。他人でいたいのに、距離を置いていたいのに、望んだ通りに物事が動かない。怖い。
ダリルがハリーと適切な距離を保ったままに彼へ干渉するにはミス・レターが必要だった。
“彼女”はハリーのことだけを考えていられるし、文字はハリーを動揺させることがない。ハーマイオニーは“ダリル”よりも“ミス・レター”のほうが余程ハリーと密なやり取りをしていると考えているだろうが、実際には逆だった。ハリーがダリルよりミス・レターを慕い、ダリルとギクシャクしているというのならそれは単に彼が自制心を失うことを恐れていることへの証明に他ならない。
ダリルにとってのハリーは光だった。手を差し伸べてくれた。助けてくれた。でもハリーは「止めてくれ」と言う。ヴォルデモートを倒したからではなく、あの日自分を助けてくれたから英雄なのだと言ってもハリーは同じことを言うに違いない。
『僕、自分のこと正義だとか、英雄だとか思った事ない――単なるハリーだ』
ハリーはダリルに何を望んでいるのだろうか。如何して単に仲良くしたり、離れたりということが出来ないのか、分からない。
口を噤んでしまったダリルにハーマイオニーも少し考え込む。ダリルのハリーに対する感情というのは、ハーマイオニーには少し理解しがたかった。不思議なぐらい切々としていて、なのに距離を置こうとしている。何故近寄ることを拒むのか分からなくて、理解出来ないことが寂しくて、心配になって、時々理解することさえ諦めそうになってしまう。目の前にいる友を諦めるのは、凄く悲しいことだ。
「ダリル、ラザニアが冷めるわ」ハーマイオニーは手を伸ばしてミルクジャーを手に取った。
自分のグラスに注いでから、ダリルのグラスも満たす。薄暗いうちでミルクは光でも放っているように明るかった。
ダリルはハーマイオニーの注意へ我に返ると軽く非礼をわびてから、先の沈んだ表情が嘘のように明るく昼食を楽しみだした。
昨日より親しくなったと実感しているのに髪を引いたり声を掛けねば取り戻せないというのも、悲しいかもしれない。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM