七年語りLULL BEFORE THE STORM
16 マイフェアレディ

 

 賑わっていた漏れ鍋と相反して、通りを歩く人は然程多くはなかった。
 通りへ沿うように並ぶ飲食店のテラス席も漏れ鍋と同じく混んでいる。昨年訪れたときは散々揉みくちゃにされたと身構えたものの随分と歩きやすかった。一歩先を歩くルシウスの背へ「今日はそう人出がありませんのね」と言えば、「最繁期はもう少し先だ。夏期は無論平時より混むが、一番混むのはホグワーツ生がこぞって買い物に訪れる七月半ばからのひと月だろうな」などと返ってきた。
 やっとウィーズリー氏への罵倒を口にしなくなったと、ダリルは今度こそ胸を撫で下ろした。

 閑散とした通りへ人が戻ってくるまでにはまだ時間がある。少し速足でルシウスに並ぶと、二人でウィンドー・ショッピングを始めた。あのローブが可愛いと言えば「派手すぎる」と返され、あの天秤はとても綺麗と言えば「メッキだな」と返され、仕舞いには「ウィンドー・ショッピングは好かん」とまで言い出したが、父子二人であれこれ言いあうのは素敵に楽しい。ルシウスはダリルがショーウィンドーに並ぶ商品へ言及する度に店へ入って行こうとしたものの、「お父様と他愛もない話をするのが楽しいのです」と引き留めれば渋々付き合ってくれるようになった。それでオリバンダーの杖の店までの道のりを亀の歩みで――しかし順調に進んでいた。ところが見覚えのある看板を見つけたダリルはピタリと立ち止まってしまった。「この夏も流行! 妙齢の魔女の色気を増させるレディースウェア!」今年も立てかけられていることから鑑みるに、昨年の七十センチ幅の布は大分売れたようだ。ダリルは訝しげに己を待つルシウスの隣ではなく、ショーウィンドーのなかでポーズをとるマネキンの前へ小走りで駆けて行った。昨年よりけばけばしい布を巻きつけたマネキンがウインクをくれる。
「私の意識がハッキリしている内は、こんな服――布を身につけることは許さんぞ」
 隣から聞こえてきた地を這うな響きに顔をあげる。これ以上ないぐらいに眉を顰めたルシウスがダリルを見下ろしていた。
「私だって、こんな破廉恥な服買おうとは思いませんわ」
 ダリルは肩を竦めると、そう言い切った。「それにこの布を身に付けさせてくれそうな凹凸もありませんし」とは、思ったけど言わなかった。マネキンの背後に見える店内には二十代後半だろう魔女が布を手に持ち、連れの魔女と何事か話し合っている。彼女らには相応のでっぱりがあった。きっと歩いてる途中で布が落ちてくるようなハプニングはないだろう。ほんの少し羨ましい。
 ルシウスはダリルの台詞へ満足そうに頷いた。「私とナルシッサを見て育ったお前やドラコがこんな物に価値を見出すようになったら私は舌を噛んで死ぬぞ」ダリルの頭の中に住んでいるフレッドが「ダリル、この服買ってやろうか。それ着りゃ、ちったあ見れる格好になるかもしれないぞ」と茶目っ気たっぷりに言った。ダリルは腹筋を制御するのに苦労しながら、何とか曖昧な笑みを浮かべるのみに留めた。ジョージまで出てきたら耐えられなかっただろう。ダリルはルシウスの語ったウィーズリー氏への罵倒を脳裏に過ぎらせた。
 ダリルの笑みが引きつっているのにも気づかないルシウスは六十センチ幅の布へじくじくと文句を零している。どうも近頃の若者が帽子もローブもつけず、マグルのような恰好でうろついているのを非難しているらしかった。自分だって帽子を付けるのは滅多にない癖にと思ったが、ルシウスがつけないおかげで強制されていないのを思えばそれは口に出すべきではなかった。

 今日のダリルはサマーコートの上に、きちんとローブを羽織っている。通りを歩く同世代の子らを見れば、ローブも帽子もなしで歩いている子が二割ほどいた。ダリルもホグワーツの中にいる時は時々ローブも着ずに過ごしている。そのままドラコに会ったりすると、ルシウスの言いつけをきちんと守るドラコから「父上がいる時だけ着ければ良いってものじゃないんだぞ」などとどやされる。
 服がルシウスの趣味に左右される分、ローブを着るか着ないかぐらいはグリフィンドールの皆と同じが良かった。ドラコの小言へ適当な相槌を返すダリルは「お父様とドラコのいる時だけ着ておけば良いってことね」とこっそり舌を出す。何しろダリルの私服はジニーから「ちょっと気取ってる」と明確な否定を受け、お洒落なアンジェリーナからは「一世代古いかもね」と苦笑され、アリシアには「父親の趣味だっけ? なーる」と納得されてしまうデザインだった。一方大人ウケは良く――勿論ローブの無着用を注意されてからだけれど、マクゴナガル教授やフリットウィック教授とすれ違った時など稀に褒められることがある。嬉しさはあるが、友の台詞を裏付けられるような気分になった。不幸中の幸いと言えばセドリックがあまり服に拘らないことだろうか。何を着ても可愛いねで済まされるのは何だかなと思ったりもするものの、まあドラコのように「色の合わせ方が可笑しい」だの「お前はレースの海に溺死するつもりなのか」だの口うるさいよりはずっと良い。例えローブに造花を貼りつけられていても「可愛いね」とにっこり笑うだけだとしても、多分。

 百戦錬磨のダリルと違ってマネキンはルシウスの演説へ酷く鬱陶しそうな顔をしている。そろそろ移動を促すかとポケットのなかの懐中時計を探っているダリルの脇の扉が開いた。先ほど中で何事か話し合っていた魔女達が静々と出てきた。チラとルシウスを見るなり小走りで何処かへ走って行ってしまう。その手に紙包みはなかった。ルシウスはまだ厭わしげにマネキンを睨んでいる。
 合点がいったダリルはクスと笑ったが、視界の隅で恨めしそうな顔をする店主を見つけたので、まだまだ講釈を垂れたそうにしているルシウスを無理に引きずって行った。「お父様、流石にそんな顔でショーウィンドーに貼りついているのは、営業妨害ですわ」
「店主や店のなかへ聞こえるほどの大声で言った訳ではない」
 ルシウスはそうしれっと返し、再び若者の服装について嘆きだす。お父様ほどカッコイイ人が、買おうか悩んでいる服の前で顰め面をしてたら普通客は逃げる――そう言おうか悩んだものの、ダリルは魔女二人の顔を思い出してクスクス笑ってしまった。
 ダリルは楽しげに語り続けているルシウスのローブの裾を引き、小首を傾げた。「ねえ、お父様」微笑の絡んだ呼びかけに応えて、ルシウスが歩みを止める。振り向いた先で娘がクスクス楽しげに笑っていた。無邪気な様子に舌の上の批難が溶ける。
「先の店にいた方、お父様を見て頬を染めてらしたわね」
 娘であるダリルの目から見てもルシウスは十全に魅力的だ。容貌は言うまでもないが、立ち居振る舞いが洗練されていて僅かな仕草でさえ人目を惹く。例え口から零れるのが殆ど批難や罵倒で、その麗しい眉間に深いしわが刻まれていようとルシウスの魅力は損なわれない。「素敵なお父様と並んで歩けて、私とっても嬉しい」にこにこ笑いながら言えば、ルシウスが浅いため息を零した。
 口端を微かに丸めて笑う。ルシウスはよくダリルのことを子猫の様だと言うが、そうやって笑うルシウスこそ猫に似ている。たっぷりの美しい毛を纏って、不足という言葉をついぞ知ることのない猫の王様のようだ。
 自分とルシウスがちょっとでも似ているのが嬉しくなって、ダリルはルシウスの腕にじゃれついた。
「あれだけ指図しておいて、それだけか」
「私の感性を焦らせないで下さいな。そういうのはドラコの得意ですもの」
 からかうような響きの催促へダリルもおどけた声音を紡ぐ。絡めた腕を解いて、ローブを翻しながらくるりと回る。「ドラコの模写、見ました? 本当に見事でしたわ」夏休みが始まった頃、ドラコはルシウスが美術商から貰ったという踊るミューズの絵をスケッチしてナルシッサにプレゼントした。十三歳にしてはかなりのものだとナルシッサがはしゃいでいたのを思い出す。

 ドラコは美的センスがあるほうだ。自分に対しては駄目な点しか告げないものの、ナルシッサの選んだものに対しては上手い具合に誉めたり、オブラートに包んだ感想をくれる。「お父様なんか、何を着ても似合うとしか言わないのよ」とはナルシッサの言だ。
 別にナルシッサだってセンスが良いほうだから、ルシウスやドラコに正して貰わずとも構いはしないのだが、褒めてもらいたい――それもなるべくなら言葉を尽くしてと思ってしまうのは女の常だ。ルシウスは適当に誉めておくということが出来ない。「結婚したばかりの頃、お父様へ如何? と聞いたら『あれが良い』だの『これにしろ』だの言われて、お母様は結婚相手を間違えたかと思ったものです」ナルシッサはフンと鼻を鳴らす。夫婦の危機以来、ルシウスはナルシッサの着るものへ口を挟まなくなった。代わりに何を着ても「よく似合う」としか言わなくなったのだけれど、ナルシッサはもう夫に言葉を求めない。父母の被害を被るのは子と、いつだって決まっている。ナルシッサへ口出ししなくなったルシウスの的となったはダリルで、ここ最近は好きに選ばせてくれるとはいえ「如何ですか?」と聞こうものならたちまちペチコートから靴下まで全とっかえを命じられてしまう。不服だとナルシッサへ漏らせば、「貴女もルシウスそっくりですよ」と冷ややかに返された。ドラコも肩を竦めるだけで、反論してくれない。「まあ、あれこれ口出ししてくるのは父上に似てるかもしれないな」ドラコが言葉を濁すのは勿論ダリルへの思いやりからではなく、ルシウスへの尊敬の念からだ。

 「こっちのほうが良いんじゃないかしら」と後輩の髪を弄れば喜ばれるし、まるきりセンスがないわけではないのだと思うが、どうもドラコもナルシッサもダリルに助言を求めてはくれない。まあ髪を弄るのと服を選ぶのとでは全然別かもしれないが。ダリルはくると長い髪の先を指先で弄んだ。髪弄りもすっかり上手くなった。今日は編み込んでもいないし、結いあげているわけでもないが、それでもサイドをリボンで結んである。ホグワーツに入学する前はいつだって梳かすだけだったのにね。そう言えばそんなダリルに「ホグワーツへ入学したら髪を結ってあげる」と言ってくれたのはパンジーだった。まあ、適当な口約束なのだろうけれど……考え込んでいたのを、ルシウスのため息で我に返る。「ドラコに出来てお前に出来ぬことと、お前に出来てドラコに出来ぬこととを比べたくなってくる」
「子供に優劣をつけるなんて、お父様ったら酷いわ」
 ダリルが声を立てて笑った。笑みをそのままにルシウスの胸へ指を突きつけると、挑戦的な視線でアイスブルーを射抜いた。
「ドラコは私よりずっと優秀ですけど、でもお父様とデートは出来ないでしょう?」
 無言を肯定と決めつけたダリルはもう一度くるりとローブをひらめかせ、歩き出す。ちらと流し目でルシウスが歩き出したのを確認すると、ダリルがにこり微笑んだ。その笑みは相変わらず可愛らしいし、ルシウスの愛情を信じて疑わない傲慢さえ見受けられた。
「本当に女の子で良かった。男の子に産まれてこうも馬鹿だったらなんて思うと、ぞっとするわ」
「私はいっそ男子であったらなどと思ったりもするがな」
尺の差故に急がずとも追いつく。己と並ぶや歩調を落とすルシウスへダリルは有り難がるでも喜ぶでもなく、当然のものとして飄々としている。別に有り難がって欲しいわけでも、喜んでほしいなどと押し付けがましいことを思うでもないが、己の愛情を当然のものとしている姿を見ると改めて己が如何ほど娘を愛しているか自覚させられる。そして、もう少し厳しく育てれば良かったなどと思うのだった。

 例え同じに十三まで魔法が使えぬままであろうと、息子であれば「己の言葉に傷つくかも」と甘やかすこともなく純血思想を埋め込めただろう。何よりもドラコよりもダリルのほうが肝が座っており、ヴォルデモートから目を掛けて貰いやすい性格をしている。

 ヴォルデモートがいつ蘇るかは知れぬが、よもや数代後ということはないはずだとルシウスは思っている。恐らくドラコがマルフォイの家名を継ぐか継がぬかという時期に当たるのに違いない。ドラコは多少軽はずみなところがあるとはいえ、それなりに優秀だ。ルシウスの息子はドラコ一人だが、跡継ぎとして考えた時のドラコに文句があるわけではなかった。ドラコはそれなりだ。これから歳を重ねていけば立派な魔法使いになるだろう。しかしヴォルデモートと付き合っていく上で――死喰い人として考えた時、ドラコは少し頼りなく感じた。我が強いダリルに振り回されて育ったからか、ドラコはどこか押しが弱い。幼い頃から躊躇いに立ち止まるドラコの手を引くのはダリルだった。四年も離れていたのだから、すっかりダリル離れしていたとて良いのではなかろうか。三つ子の魂百までと言うが、ルシウスの願い空しくドラコはまたダリルに振り回された。長子がそんな調子で如何するとやきもきしようが、今更如何にもならない。いっそドラコも死喰い人にするのは諦めるかと思ったものの、どちらも死喰い人にしませんというのは体面が悪い。何よりもヴォルデモートの機嫌を損ねることになるに決まっている。忠誠を証明するために、どちらかは必ず差し出さなければならない。ダリルを死喰い人に出来ない以上はドラコに頑張ってもらう他なかった。そんなことを考えては、「もしもダリルが男であったら」などと夢見事を抱いてしまう。
 ダリルが男であったならドラコは死喰い人にせず、家名を保つことだけに集中させられる。ダリルはヴォルデモートに寵を受け、闇の陣営で地位を上げてくれれば良い。ああ、女でなければ……女でさえなければ不祥事をもみ消すことも、迷惑を掛けられても尚可愛いと思ったりもせずにすんだのだろうに、不運な事に女であるから要らん面倒に巻き込まれる。

 迷惑をかけられても、面倒に巻き込まれても、それでも娘は可愛い。まさに目の中にいれても、とやらだ。

『私がヴォルデモートの傍にいることを選んだら、お父様は不幸?』
 ルシウスはダリルが己の好まざる輩と連絡を取り合っていることも、昨日何処かへ出掛けていたことも知っている。相変わらず己を欺けると思っている浅慮は苛立たしかったが、このままグリフィンドールで楽しくやっていけるのならそれでいいのかもと少し思うようになった。愛娘が小汚い馬鹿者の集まりへ溶け込んでいるのは無論苛立たしい。それでも奴らはダリルに痛みや死を求めたりはしないだろう。
 そう思うのはダリルとヴォルデモートが関係を結んでいるかもしれず、己がその背を押してしまったかもしれないという――むっつりと口を噤んだまま思索に耽るルシウスの耳朶をダリルの軽やかな笑みが擽っていった。
「まあ、お父様ったらソッチの趣味が?」
 ダリルは口元へ手を当てて楽しげに笑っていた。暗い邸を明るくする笑み、胸の内を晴らす、ルシウスの愛しい笑い声。
 ルシウスは咳払いを零すと咎めるような声音を作った。
「ダリル。ソッチがどっちかは知らないし聞く気もないが、ナルシッサの書棚から本を借りるのだけは止めておけ」途中からは本気の響き。
「この間、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に耽美小説のコーナーが出来たんですって」
「帰りしな書店に寄らねばなるまいな。妻に本を売るなと」
「『そりゃ貴方はときめきが欲しいと思ったら気ままに漁れるかもしれませんけど、」
「如何してそうも、お前の記憶能力は局所的なんだ」
「好きな事だけ覚えてますの」
「両親仲睦まじいのがお前達の幸せだろう」
「ええ。でも、普段立派なお父様が愛妻たるお母様のまえでたじたじになってるのを見るのも好きなんです」
「一体お前の悪趣味はどこから来たんだ」
「お母様でしたら、」
「分かった。もう良い、この話題は終わりにしよう」
「はい、お父様」
 コロコロと笑みの残滓を喉で転がすダリルへ、ルシウスは一つだけため息を零し、先の考え事は忘れることにした。
 たかが十三の小娘、如何してヴォルデモートが関心を持つだろう。“あれ”はたかが記憶体に過ぎず、ヴォルデモート本人とはもう何の縁もないものだ――と、全てを忘れることにした。

 この娘を心から要しているのも、デートの相手に駆り出されるのも、まだ自分だけで良い。
 

マイフェアレディ

 
 


七年語りLULL BEFORE THE STORM