七年語り – LULL BEFORE THE STORM
19 互いの無知
『セオドール、私とルシウスが話している間ダリルと二人で辺りを散策してきたらどうだ』
この人は息子が私を嫌っていることを知らないのだろうかとダリルは思ったが、それを知らないのは何もサイラスだけでなかった。
ダリルと離れることを渋るルシウスへ懸命に頼み込んだのはセオドールだった。尤もサイラスとセオドールがアイコンタクトを取っていたことから考えるに、セオドールの若年性健忘症へ胸を痛める必要はなさそうだ。スリザリンの人達って、ほーんと馬鹿げた演戯がお上手。多分この場に居る四人全員、ダリルとセオドールの仲が良好でないことを知っているはずなのだ。しかし「セオドールと散策するのなんて絶対に嫌だ」と思っているのはダリルだけだった。ルシウスも乗り気ではないとはいえ乞われて嫌な気はしないらしく、結局サイラス曰く「親の欲目もあるだろうが、中々にお似合い」な二人は行きたくもない散策をすることになった。
二人が見えなくなるや否や、ダリルはセオドールの若年性健忘症へ胸を痛めた。レディーファーストを忘れたのか、はたまたバンシーはレディーではないと思っているのか、セオドールは大股で歩きだしたのである。分かりきっていたことだけど、そんなに私が嫌いならデートなんて――そこまで考えてダリルはぶんと頭を振った。こんなのデートじゃない。セドリックといる時と全然違う。――私が嫌いなら二人きりになるのを避けるよう努力したら良かったんだわ!
ダリルは一メートルは離れている背をじーっと睨みつける。セオドールがどこを目指しているかは分からなかったが、ゴールは分かっていた。ルシウスとの待ち合わせ先であるオリバンダーの店だ。“これ”はそれまで続く強歩のようなものだとダリルは思った。デートでも散策でも何でもない。二時間という長い時間でダイアゴン横丁を巡りきるためのウォーキングなのだ。ダリルは確かに体力に乏しい。セドリックから耳にタコが出来そうなほどに指摘されたおかげで、自覚が芽生えるに至った。自分は体力がないと、ダリルは反芻する。しかし嫌いな人と二時間ずっと歩き続けて構わないと思うほど体力に困窮しているわけではなかった。
この茶番を早々に終わらせて、個人行動を取りたい。運が良ければシェーマス達に会えるかもしれないし、素晴らしい二時間を過ごせるだろう。そう考えれば、逆にチャンスなのだ。大マルフォイを連れずに好き勝手歩くことが出来ればどんなに良いか――尤もそのためにはセオドールと口裏を合わせる必要がある。自分を嫌っているのなら応じてくれる可能性が高いとはいえ、まず意思の疎通が可能か確かめなければならない。ダリルは小走りでセオドールに近づいた。「ねえ」反応がない。むっとして、大声を出す。「セオドール!」
名前を呼ぶと、やっとセオドールが反応した。軽く振り向き、一瞥くれただけで首の向きを戻してしまった。緩慢な仕草で頭を振った後、何か聞こえた。「嫌いなんだ」セオドールの声は雑踏に紛れ、ダリルの耳に入らなかった。
「なあに?」ダリルは速度を緩めないセオドールへ苛立ちながら聞き返す。「男なら、もっと、はっきり喋りなさいよ」
「君が、嫌いなんだ」ダリルの忠告を受けてか、セオドールははっきりと口にした。「その、女の癖にぎゃあぎゃあ姦しいとことかね」
不穏な台詞が耳に入ったのか、通りすがりの男がちらと二人を掠めていく。測らずも周囲の注目を集めてしまったことと、皮肉られたのにダリルの眉が吊り上った。父親の言う通りにしか動けない人形みたいなものだと思っていただけに、さり気ない毒が痛かった。
「私も、あなたのこと、嫌い」ダリルは仕返しとばかりに“人に聞こえる程度”の声ではっきりと宣言した。「理由、聞きたい?」
聞きたいと言ったら、通りを行く人に聞こえるよう、あることないことでっち上げてやろうと思ったが、セオドールはイエスともノーとも言わなかった。ダリルをちくっと刺せたのに満足したのか、それともやり返したらもう如何でも良くなったのか、再び黙し始めた。
ダリルははーっとため息をつくと、早足でもってセオドールの横へ並んだ。
「そうやって黙ってれば良いわ。私、勝手に話すから」
セオドールがぽかんとした顔でダリルを見やった。ブルーグレイの視線に気づくと慌てて嘲笑おうとしたが、すぐに毒の抜けた顔に戻ってしまう。どこにでもいるような男の子の顔をして、肩を竦めた。「嫌いな奴とお喋りしたがるなんて、変わってる」
それは恐らくセオドールなりの譲歩だったのだろうが、ダリルはむっとした。別にセオドールとお喋りをしたいわけではなかった。話したいってのは口裏合わせについてだ。セオドールがサイラスの言い成りで、はっきり「僕はダリルが嫌いだから嫌だ」と言わないから、ダリルが自分達にとって一番良いこと……つまり一緒にいないですむ方法を“考えてあげている”んじゃないか。
「へーえ」ダリルは顎をくっとあげて、ツンとした。「キミの国、嫌いな人と喋っちゃいけない法律があるんだ」
己の友人たるドラコの声音をもじってからかわれたのにセオドールは顔を歪めた。ダリルから冷めた視線で貫かれたのに「何かしら彼女の気に障ったらしい」とは気づいたが、セオドールには彼女の不機嫌を宥める義務はない。
セオドールから睨み返されると、ダリルはそっぽを向いた。「貴方のお父様のほうがずっと面白い方だったわ」あの男が死喰い人だったとは知らないダリルが――尤もそうだと知っても然程驚かないだろう――サイラスのほうがずっとマシと言い切る。
「貴方達って顔は似てるけど、性格は全然。あなたって詰まんない人ね」
「そんなら父さんと結婚すれば良い」明らかな侮辱へセオドールが唸った。「父さんはただ、病弱な女がお気に入りなだけなんだ」
低い声が耳朶を揺らすのにダリルはセオドールを振り向いた。俯いているセオドールはダリルの視線へ気づいていない。「母さんが体が弱かったから……それで嫁の貰い手に困ってたっていうから、だからお前が可哀想なだけなんだよ。自分が……」そこで我に返ったらしい。一体セオドールを我に返らせた、その台詞の続きとは何だったのだろう。セオドールはしまったと言いたげな顔をしていた。ダリルの視線に気づいて顔を背ける。額に手をやり、俯いた。その横顔は何かに怯えているようでもあり、憤っているようでもあった。
ダリルはきょとんと首を傾げる。セオドールの家庭がどんなものなのかは知らなかったし、それにセオドールだってドラコのように好きでサイラスに従っているんだろうと思っていた。傷口を傷口とも理解しない内、唇から疑問が零れる。「弱かった?」
過去形ということは、今はお元気にしてらっしゃるのだろうか。ダリルは何となくモリーを思い浮かべる。「あれでも昔はほっそりしてて、親父は自分が守ってやらないとなんて思ってたらしい」いつかに聞いたフレッドの台詞が思考をくすぐって、ダリルは反射的に笑った。その笑みにセオドールは思い切り顔を歪めて、早足になる。ぐんぐん離れていく距離に、それでもセオドールの台詞は明瞭に届いた。
「僕を産んだとき死んだんだ」
いっそ聞こえないほうが良かったのにと、ダリルはそんなことを思った。
ねえ、ちょっと。そんな風に呼びとめるつもりで開かれたダリルの口が音を失くす。如何したら良いか分からなかった。多分フレッドの台詞を思い出した時、自分は笑ってしまったのだ。憶測が脳裏に過ぎる。それを見て、セオドールはからかわれていると思ったのだろう。「ま、」呼びとめて如何するのだ。ダリルはぎゅっと拳を作る。最初からダリルは二人きりになんてなりたくなかった……互いにウマが合わないことなんて承知していたはずなのに、如何してもと言ったのはセオドールだ。ノット家は如何してもマルフォイ家と縁を持たねばならぬほど地位の低い家柄ではない。許嫁はダリルでなくとも構わないはずだった。仲よくしているパンジーとでも縁を持てば良いじゃないか……それに純血を重んじる家には女児が多い。サイラスが“木のぼりが出来るほど”病弱なダリルを望んだとて、家にプラスになるものがないと諭せば良いじゃないか。自分で考えて私を避けるぐらいしたら良いじゃない。ダリルは追うのは止めようと思った。自分は出来るだけのことをしようとした。互いに一番良い選択が出来るよう考えていた。なのにセオドールが……セオドールが……。そこまで考えてダリルはセオドールとの距離を意識した。ダリルの息は切れていない。確かに早足でもってセオドールの隣に並んだけれど、体力に乏しい自分が早足を続けていればもっと疲労していていいはずで、セオドールが歩調を合わせていなければ疾うに別れているはずだ。
セオドールの背が遠くなる。今はまだ何とか追いつけるものの、遠からず失せてしまうだろう速度で歩いていた。
このまま別れてしまっても、多分セオドールは適当に口裏を合わせてくれる。ダリルが「置いていかれた」と主張すれば不利な立場になるのはセオドールだからだ。それにセオドールは「如何して置いていったのか」とサイラスに聞かれたくないだろう……そうと気づいた途端ダリルは駆けだした。人を避けながら、小走りでセオドールの背を追う。「待って!」碌なことにならないと分かっていたのに、呼び止めてしまった。呼びとめて何を話す気かは自分でも分からなかったが、ここで別れてしまうのは卑怯だと思った。
セオドールはダリルに母親を哂われたと思っているだろう。誤解でも何でも自分が相手の気分を害したかもしれないと悟っていて、自分に不都合がないことを理由に謝りさえしないのは最低だ。少なくとも、自分のためにゆっくり歩いてくれた人へする仕打ちじゃない。
二人の距離が二メートルに縮まった辺りで、ピタリとセオドールが立ち止まった。恐らく呼び止められたのに気付いたのだろう。ダリルは振り向くことがないだろうその背へ近寄った。「その、わたし」はあ、はあ。僅かな距離を走っただけなのに鼓動が煩い。「私、」哂う気はなかった。そう言って信じて貰えるのか? フレッドの台詞を思い出して笑っただけだと言っても、言い訳と思われれば如何しようもない。大体人といる時にその場にいない人のことを、それも嫌いな人のことを考えていたというのも失礼なことだ。ダリルは浅い呼吸を繰り返しながら如何すれば良いのかと考え込んだ。喉を押さえて俯くダリルをセオドールが振り向く。「お前は良いよな」
覚えのない嫉みへダリルは咄嗟に顔を上げる。セオドールは奇妙な顔をしていた。逡巡が滲んでいると、ダリルは思った。
「お前は……良いよな」セオドールが拳を握りしめる。「好き勝手やって、何も考えないで、なのに大事にされて……」
今度黙ってしまうのはダリルのほうだった。確かにセオドールはダリルに母親の死を哂われたように感じたのかもしれない。でも何故妬まれねばならないのかまるで分からなかった。好き勝手やってるとはよく言われる。大事にされているとも思う。しかし何も考えていないわけではない。「何も考えず父親へ従っているのは貴方じゃない」と言い掛ける口を引き結ぶ。売り言葉に買い言葉だけは止めておこうと思って、でも何故セオドールがそう言うに至ったのかが分からなくて、ただただ口を噤み続ける。
困惑を表情に浮かべるダリルをセオドールがせせら笑った。
「勝手に話すんじゃないの?」セオドールが冷たい声音でダリルを小馬鹿にする。「困ったらダンマリって、都合のいい奴」
さっと顔が赤くなるのを感じたが、ダリルは僅かな理性で怒りを押し殺した。「わたし――わたし」自分が非を認めるべきだという理性は変わらず存在していたものの、口を開いたのは馬鹿にされたことへの屈辱からだった。「私、貴方のこと、知らないわ」とりあえず何か喋って、誤解があるのなら解き、誤解でないのなら謝らなければならない。ダリルはそう考えつき、己の無知を晒すことにした。
「貴方のお母様のこと、知らなかった」ダリルは頭を振った。プラチナ・ブロンドが空気を含んで膨らむ。「だから言い訳するわけじゃないけど……貴方が何で怒ってるのか分からないわ。私が悪かったなら謝るから、何故怒ってるか教えてよ」
「僕は知ってる」セオドールは子供へ言い聞かせるようにゆっくり喋った。「僕は君の家族構成も、何もかも知ってる」
それは己の台詞に対する返答としては可笑しなものだった。如何いう意味だとダリルは訝しむ。ダリルとの意思の疎通が上手くいっていないのを感じとったセオドールは片手で頭をガシガシかきむしりながら、もどかしそうな顔をした。「ドラコは僕に会った時から僕の家族構成をきちんと知っていた。母さんがいないことだって、僕を産んだときに死んでしまったことだって勿論知ってたさ。ザビニだって、パーキンソンだってそうだ。ホグワーツに入って出来た知り合いは凡そそうだった。知っていたんだ」急いた声音で畳み掛ける。
ダリルにはセオドールが何を言いたいのか分からなかった。困りきった顔で首を傾げる。「わ、私……その、分からないわ。私が貴方のお母様のことを知らないで無神経な態度を取ったから怒っているの?」ダリルなりに理解しようと努力したつもりだ。
「お前の親やドラコの優しさに付け込んで好き勝手振舞ってるところが嫌いなんだ」
答えになってない。
「それは……それはさっき聞いたわ」ダリルは躊躇いがちに応える。「その、さっきはもっと簡素な口ぶりだったけれど」
そう口にして弱々しく微笑んでみせた。ひょっとして興奮のあまり思考がループしているのではと、それとなく匂わせたかったのだ。しかしその気遣いはセオドールの更なる怒りを買ったらしい。「僕が!」唐突な大声にダリルはびくりと身を竦ませた。
己を見上げるダリルの表情に怯えを見て取ったセオドールは長いため息をついて、頭を振る。「……僕がグリフィンドールに入ったら、父さんは僕を追い出すだろうね。尤も君より成績が低いってんでチクチクやられる家なんて、居心地良くないけどさ」
ダリルはセオドールの成績を思い浮かべてみようとしたが、これも分からなかった。
ドラコの口ぶりから鑑みるに、セオドールの成績はそれなりに良いのではなかろうか。ダリルと比べられねばならぬほどに低いとは如何しても思えない。大体にして成績の殆どは期末試験の如何で決まるものだ。そりゃあ、ねちっこく授業点を割り振りするスネイプみたいな教師もいるにはいる。しかし大抵の教師はきちんと板書をしているというだけで授業点を満点にしてくれるはずだった。余談ではあるが、ダリルの魔法薬学での授業点は一点だった。無意味にサボったりしない限りは確実に貰える一点以外は削ることが可能だったらしい。魔法史の備考欄を埋め尽くし、最早「少し気になるところがあったのではみ出てしまった」という一文では如何しようもないほどぎっちり書かれた嫌味を思い出し、ダリルは憮然とした。多分セオドールのほうがずっと成績は良かっただろう。ドラコやハーマイオニーやセドリックに手伝って貰いながらレポートを書いたり宿題をしていたのを思い出すに、ダリルは心の底からそう思った。
なんならスネイプ教授の有り難い忠告を暗唱してやってもいい。いや、やっぱり嫌だ。
「前年度は試験なかったじゃない……」流石に自分の成績の悪さを披露する気になれず、客観的かつ尤もな正論を口にする。
セオドールはダリルの正論を否定した。「一年の時、君は五位だった。僕は七位だった」
苛立たしげな台詞を聞いて、ダリルは一層訳がわからなくなってしまった。確かに一年時には上位と言って差支えのない順位だったが、六位の子とは三点差だった。七位と言ったって、ダリルより一問や二問多く間違えた程度なのに違いない。彼らの嫌うマグル生まれであり、試験があったなら二年連続断主席だったろうハーマイオニーと比べられてチクチクされるならまだしも、何故自分なのだ。
セオドールはダリルから視線を外すと父親から言われ続けていたらしい嫌味を吐き捨てた。
「スクイブなのに――『お前はスクイブだって馬鹿にするけど、ダリルは魔法が使えなくってもお前より成績が良いじゃないか。それに“本当に”スクイブならホグワーツへの入学許可証が届くわけがない。そりゃ少し風変りかもしれないけど、申し分はないだろう』」
それって、セオドールが私の悪口を言ってなきゃ言われないことよね? 喉元まで迫り上げた問いをダリルは慌てて呑み込んだ。真剣な顔をしているセオドールへそんなことを言うと、また茶化してると怒られそうだったからだ。
セオドールがブツブツと怒りとも愚痴とも罵りともつかぬ台詞を口にしているのを聞き流しながら、ダリルは何か心に引っかかるものを感じていた。何かに似ている。この突飛な怒り方――自分一人で好き勝手怒るのよね――どこかで同じ風に怒られた。別にダリルが聞いたわけでもないのに、他人へ知られたくなかったのだろうことを口にして下さる人がセオドール以外にもいたと思う。墓穴の名人の顔が浮かばない。名前が、喉元あたりまで出てきているのに分からない。誰だっただろう。気になる。
ぼおーっとしているダリルへセオドールはバツの悪そうな顔をした。「……驚かせたなら悪かったよ」
あ、ハリーだ。
そう思った瞬間ダリルは声を立てて笑い始めた。多分にハリーを嫌っているだろうセオドールが、その嫌いな相手と似たところがあるというのが面白かったのだ。それにあれだけ好き放題言ってた癖に、ダリルが怯えていると勘違いして謝るのも馬鹿馬鹿しい。第一セオドールはダリルを嫉んでいるらしいが、引き合いに出されるサイラスの台詞が全てダリルの悪口を前提としているのである。息をするより自然に自分の悪口を言っているのだろうとか、光るバンシーの想像図とか、バンシー一家とか、母バンシー(光ってる)に抱かれる赤ちゃんバンシー(こっちも光ってるが、母親が眩しくて泣いている)とか、なんだかもう何もかもが馬鹿馬鹿しくて笑いが止まらない。ダリルはシャッターに寄りかかりながら笑いを鎮めようと努力したが、荒ぶる腹筋は収まらなかった。ぶはっと噴き出す。喉とお腹と頭が痛い。
シャッターへ寄りかかっていたダリルはやがてぷるぷる震えながら地面へ崩れ落ちて行った。それでも尚ケラケラと笑っている。それを脇で眺めるセオドールはボーゼンとした。怯えていると思った相手が何故か急に笑い出した時、如何振舞うべきか躾けられたことはなかった。「うふ、ふふっゴホッっふっ、ひゅっゲホ」セオドールの困惑をよそに、ダリルは口元とお腹を押さえながら路上で丸まっている。
道行く人の好奇の視線が集まって来た。ちょっとつま先で突っついたりしてみたものの、相変わらず笑う以外の反応はない。セオドールはダリルを如何するべきか考えた結果、背を撫でてやることにした。とりあえず落ち着かせた方が良いだろう。
セオドールはローブの裾で手を包むと、ダリルの背を撫でたり、とんとん叩いたりした。そりゃダリルに対しては少し冷淡な態度をとったりもしたが、根は心優しい……かどうかは分からないが、笑いの発作を起こした嫌いな奴の背を撫でてやるぐらいには優しい少年なのだ。あと嫌いな奴が魔法因子に反応して激痛を覚えるとも知っていて、とりあえずそれを避けたいと思うぐらいには。
それから数分、ようやくダリルの笑いが収まってきた。
「何が面白かったんだよ」
セオドールはコートを叩きながら立ち上がるダリルへ呆れた声音で問うた。
ダリルは先の笑いを引きずったまま口を開く。「何でもないわ」セオドールの眉がぴくっと動いたのを見て、慌てて付け足した。「貴方って私のことバンシーの亜種か何かみたいに思ってるみたいだから、そんなの妬んでるのが面白かったの」
何故バンシーなのだ。セオドールは腑に落ちないようだったが、ダリルはバンシーについて説明してやる気はなかった。腹筋が疼くし、それに話がそれてしまいそうだった。ダリルは深く息をすって吐くと、セオドールを見つめて、口を開く。
「だって貴方、グリフィンドール寮へ入りたかったの?」
「まさか」
間髪入れず返ってきた台詞へ、ダリルは肩を竦めた。「なら、小父様に追い出されるかもなんて思う必要ないんじゃない?」
「親の意に沿えるよう努力出来て、自慢の息子として扱われるのは良いわね」ダリルは浅いため息を吐く。「貴方やドラコ、パンジー……ブレーズ・ザビニのことは知らないけど、貴方達はきちんと家名――親の言いつけを守ってる。偉いと思うわ。私だってそうしたかった」
「そうすれば良いじゃないか」セオドールは訳が分からないと言いたげな顔をしていた。「出来るならね」
やっぱこいつ憎らしいし、嫌い。すかさず付け加えられた嫌味へ思わず応戦しかけたが、睨みつけるだけで堪えた。苛立ったけれど、セオドールの台詞が正論だったからだ。ルシウスの言いつけを守りたいのならそうすればいい。何もやって出来ないことではないとダリルは思うし、セオドールだってそう思うから口にしたのだろう。“それ”が可能で実現させないということは、したくないからだ。じゃあ自分は本当に“そう”したいのだろうか? ダリルは少し考えてみた。二人の沈黙を、通りを行く人々の話し声が乱していく。
「私、別に家名を守りたいわけじゃないわ」ダリルが静かに話しだした。「お父様やお母様、ドラコを不安にさせることなく、グリフィンドールの皆とも仲良くしたいの。もっと言うと、ほんとは貴方達とも仲良くしたい。ホグワーツ入学前にパンジーと少しだけ仲良くして、その時からパンジーは私のことが嫌いだったのかもしれないけど、ホグワーツへ入学したら髪を結ってくれるって約束したの嬉しかった」
家名なんて如何でも良かった。ただルシウスがそれを大事にしているから、ダリルもそれを軽んじない。
「純血とか穢れた血とか、無くなってしまえばいいのに」ダリルは泣きそうな顔で笑った。「魔法なんて使えなくて良いから、マグルに産まれたかった。そうしたら好きな人が好きな人の悪口言うことないでしょう」
ぽろっと、零れた涙が頬を濡らす。「そうしたら、好きな人の悪口言われてるのに笑ってる私だっていない」
「貴方の言う通りよ。私は“そうすること”が出来ないの。お父様やドラコの優しさに甘えているわ」
ダリルはルシウスの言いつけに逆らいたくない。尊敬している人の言いつけは守りたいものだし、良い子だと思われたかった。愛されたい。自慢に思われたい。頑張ればそれが叶うのなら一生懸命頑張る。ホグワーツへ入学したばかりの時はそう思っていた。頑張ろう。頑張ろう。ずっとそう思っていて、でも上手くいかなくて、苦しくて、一人で――ダリルは先のセオドールの台詞を脳裏へ過ぎらせた。
『お前はスクイブだって馬鹿にするけど、ダリルは魔法が使えなくってもお前より成績が良いじゃないか。それに“本当に”スクイブならホグワーツへの入学許可証が届くわけがない。そりゃ少し風変りかもしれないけど、申し分はないだろう』
ダリルがスクイブであると暴露してから、セオドールとサイラスが話す機会など幾つあっただろう。勿論、クリスマス休暇は二人祝っただろう。でもセオドールの口ぶりは去年を振り返るものではない。クリスマス休暇、イースター休暇――この夏季休暇。夏季休暇までにはもう魔法は使えるようになっていた。ルシウスはそれを吹聴しただろう。二人はダリルが魔法を使えることを知っているはずだ。
例え魔法が使えようと、純血主義者にとってのダリルは“出来そこない”なのだ。純血主義者としての常識が備わっていないというそれだけでダリルを軽んじる者がいる。生まれてからの十二年、そのほんの十数年をスクイブとして育ったからと侮辱され続ける。
ホグワーツにいる時はフレッド達がダリルを守ってくれた。それでもスリザリン生から侮辱を受けることがある。睨まれることがある。魔法が使えると判明して、彼らから手紙を貰うようになった。それでも文面の裏には侮蔑が見える。構ってやる。手紙を送ってやる。縁を持ってやっても良い。ダリルはその全てに返事を送る。馬鹿のふりをして、何にも気づいていないふりをして、親しげな演戯をして、甘えた言葉を連ねる。彼らがそれを求めていると分かっているから、馬鹿にしないでと言いたいのを堪えている。本当は返事なぞ出したくないのも我慢している。そうしなければルシウスやドラコに迷惑が掛かると分かっているから、ダリルは自分を殺す。
『いつになったら私は貴方達に引け目を感じずに済むの? いつになったら貴方達は私を厄介者扱いしなくなるの?』
彼らからの侮蔑に、侮辱に、軽視に終わりなどなかった。いつだって折れるのはダリルだ。何でもない振りをしなければならないのはダリルだった。如何しようもないじゃないかと、ダリルは叫びたい。ダリルが好きでスクイブだったわけじゃない。
ダリルがどんなに我慢したって、折れたって、我を殺したって、結局スクイブとバレれば軽んじられるのだ。馬鹿にされる。ダリルがルシウスの言いつけを守るには、自分を侮辱する人々のなかで生きて行かねばならない。出来ないことではない。頑張れば出来るかもしれない。ダリルは身を震わせた。無理だと思った。今でさえホグワーツへ戻りたくて堪らない。フレッド達に会いたくて堪らない。早く夏休みが終わってしまえと思う。スリザリンへ入っていたらなどと、そう考えるだけでぞっとする。もしもマルフォイ家でなく、もっと地位の低い家へ産まれていたら如何なっただろう。自分はギリギリのところへ立っている――もしも家族から愛されていなければ、誰の守りも期待出来なければ、スクイブとして生まれた者は逃げるしかないのだ。自分を見下す純血主義の世界から逃げ、魔法が使えない人間が暮らしていけない魔法界から逃げなければならない。しかし魔法界で育った人間がマグルの世界で暮らしていけるのだろうか。
ダリルだったら死んだ方が良いと思うだろう。何とか生き延びようとは思えないはずだ。劣等感から逃げるには死ぬしかない。そう考えればダリルは随分と幸せだ。魔法が使えるようになったし、家族が自分を守ってくれる。その幸福を噛み締め、家族へ仕えろと周囲は言いたいのだろう。“スクイブ”の癖に家族から大事にされていると、そう言いたいのだろう。
ダリルが“彼らのルール”を破っているのを詰るは、自分を侮辱する人々のなかで全てを諦めながら生きて行けと言っているに等しい。
「貴方、何でも知ってるんでしょ」ダリルは嗚咽を零しそうになる口元を手で覆った。「私がスクイブだって馬鹿にされる度、どんな気持ちになるか知ってるわよね。凄く、嫌。でも、私、慣れたわ。だって皆言うんですもの。出来損ないって。貴方、スクイブが如何いう意味の言葉か知っているでしょう。私、別に貴方達に出来損ないって呼ばれようと構わない。でも目の前で、私のこと出来損ないって言って平気な人と仲良く出来ないわ。それに、それに……それに、貴方達が嫌って馬鹿にする人たちは、私のこと頭が硬いって言うし、クイックスペルをやろうかってからかったりもするわ。だけど、それでも少しは役立つって言ってくれた」
ダリルは泣きながら微笑った。「そう言って貰ってしまったら、もう私、貴方達のために我慢出来ないわ」
セオドールはダリルを凝視したまま黙っていた。ダリルは目じりを拭って、話し続ける。
「貴方は私が如何したら『好き放題』してるって思わなくなるのかしら? スリザリンへ入れば良かった? それとも、フレッドやハーマイオニー達と縁を切れば良いの? そうね、家名やお父様の言いつけを守るためにはそうするべきだった」
そこで言葉を切ると、ダリルは眉尻を下げた。セオドールを見つめる。
「……セオドール、私は“スクイブ”なのよ」
ダリルの台詞へセオドールは俯いた。その台詞は二人の世界や価値観が異なることを示す何よりのものだった。
ルシウスの言いつけを守りたいのならそうすればいい。何もやって出来ないことではないとダリルは思うし、セオドールだってそう思うから口にしたのだろう。可能だと言うなら、それ――ルシウスの言いつけを守ること――を実現出来ないのは、したくないからだ。セオドールは、ダリルが実現可能なことを実現しようとしないから「好き勝手している」と思うのだろう。ダリルのことをルシウスが苦心しているのを顧みない親不孝者だと思い、懸命に父へ尽くす自分と比べて不公平なようにも思ったのかもしれない。
物事と言うのは白黒行かないものだ。ダリルは心から父へ尽くしたいと思う。しかし多くを堪えてまで尽くすことは出来ない。ダリルは一人の人間だ。優しくされたい。優しくしてくれる人が好きだ。大事にしてくれる人の傍にいたい。
「私は私を出来損ないと言う人のなかで生きてくの、とても嫌。貴方は平気なの?」
ダリルは頭を振ってから、済まなそうな顔をした。「ごめんなさい。平気も何も、純血の魔法使いたる貴方には、想像も出来ないことだったわね」苦笑と共に謝れば、セオドールがさっと赤くなる。何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わなかった。
手袋の厚みを確認すると、ダリルはセオドールの頭をぽんぽんと撫でた。泣きそうだと思ったから。「……責めてるわけじゃないわ」
「私のこと羨ましいっていうから、私も貴方が羨ましいって言っただけよ。私は貴方やドラコみたく生きることは出来ないから羨ましかった。その理由を話しただけだわ」あやすように連ねているとセオドールがダリルの手を払いのけた。手ではなく、袖に覆われた腕で。
「別に……」良いとも分かってるとも言い難かったのだろう。セオドールは再び黙り込んでしまった。くるりと後ろを向いて、歩き出す。
ゆるやかに遠ざかって行く背を追ってダリルも歩き出した。駆けずとも追いつく隣でダリルは独り言めいた言葉を落とす。
「私は貴方が嫌い。貴方も私が嫌い。だから、お互いあまり関わらないようにしましょう」
もしヴォルデモートと出会うことがなければ自分はやがて家族を裏切ることになっただろう。セドリックと結ばれることを夢見ただろうし、どの道純血主義者と結婚する未来を受け入れられるとは思えない。出来損ない扱いされるコミュニティへ暮らす事は出来なかった。
ヴォルデモートと共に絶えることになって、良かったこともある。未来に希望がない分、夢を見ることがない分、家族を裏切らずに済む。
自分がいつ死ぬのか、ヴォルデモートがいつ倒れるのかは分からない。しかしダリルはそれがなるたけ近い未来の出来事になるよう尽力するつもりだった。婚約者と結婚することになろうと、その結婚生活は何十年と続かないだろう。
「……万一結婚することになったら、私なるたけ貴方の恥ずかしくないように頑張るわ」セオドールはダリルを見やった。
ダリルはブルーグレイの視線を虚空に漂わせて、感情の抜け落ちた顔をしている。丁度一年前に会ったときと同じだとセオドールは思った。人形みたく無機質な表情で自分に微笑みかけた。化け物――セオドールはダリルの台詞を思い出した。確かにその表現は的を得ている――バンシーか何かのように不気味に感じた。それまでドラコの妹のことなど気に掛けたことはなかったが、バンシーが普段如何いう風に暮らしているのか気になって目で追うになった。そうしたらバンシーは普通の女の子のように過ごしていた。到底“まともじゃない”考えの奴らの隣で笑って、穢れた血“なんか”の話を聞きながらこの上なく幸福そうな顔をする。ドラコといる時でさえどこか気後れしている風なのに、なんであんな奴らと? 気が狂っているんじゃないかと思ったし、スクイブだと知った時も納得したぐらいだ。
『純血とか穢れた血とか、無くなってしまえばいいのに。魔法なんて使えなくて良いから、マグルに産まれたかった』
変な奴だとセオドールは思った。現存する純血一族の内で最も古くから続く血を持って生まれたのに、何故マグル“なんか”に産まれたがるのかセオドールにはまるで分からない。気が狂っていれば納得できるのに、穢れた血やマグルを好むところ以外はまともだった。
『私がスクイブだって馬鹿にされる度、どんな気持ちになるか知ってるわよね』
ダリルをスクイブと呼ぶのは何もセオドールだけではない。スクイブと呼ぶのに何の抵抗も感じないぐらい当たり前のことなのだ。流石にドラコの前では皆控えているようだが、ダリルの前で躊躇う様子はない。寧ろダリルが近くにいればいるほど声は大きくなり、にやにや笑いながらダリルの反応を伺うのだった。誰かグリフィンドール寮での友人が傍にいればダリルを庇い、彼らを睨みつけてくれる。しかしダリルが彼らを睨んでいるのは、見たことがない。反応すれば面白がるだけと知っているのかくっと顎をあげて、そのまま歩き去るのだった。歩調を早めるでもなく緩めるでもなく、変わらぬ速度で遠ざかって行く。気にしてないんだとセオドールは思った。ホグワーツへの入学許可証が彼女宛に届いたのだとすれば、本当にスクイブであるはずはないだろう。セオドールだけじゃない。皆心の底では「スクイブに入学許可証が届くはずはない」と分かっていたはずだ。虚偽と知っていてからかう奴も、身から出た錆でからかわれているダリルも馬鹿馬鹿しいと思ったが、セオドールも周囲に流されるように彼女をスクイブと呼ぶようになった。
彼女が穢れた血や血を裏切る者達と親しくする理由が“出来損ない”であること以外に見つからなかったから、そう呼ぶようになった。
『……セオドール、私は“スクイブ”なのよ』
……セオドール、私は出来損ないなのよ。
出来損ないである私がスリザリン寮へ入ったとて、誰が仲良くしてくれるの。私が侮辱された時、誰が私を庇ってくれるの。私を見下す人々のなかで暮らしたくないと言うのは我儘なの? それを拒んで、お父様の言いつけや家名を守れない私はそんなに罪だと言うの? セオドールはずっと、彼女が何も気にしていないのだと思った。ひょっとすると感性が違うのかもしれないとさえ思った。でもセオドールだって、自分を見下してくる奴らと付き合い続けるのは嫌だ。父から出来損ないと言われることなど、想像することも出来ない。
「貴方のことは嫌いだけど、お父様やお母様、貴方のお父様を困らせるほどじゃないもの。貴方も出来そこないを嫁にするの嫌でしょうけど、纏まったら恥を掻かせないでね」セオドールと並んで歩きながら、ダリルはぽつぽつと語っている。
セオドールはダリルの横顔を見つめた。面食いのザビニが褒めるだけあって、整っている。ホグワーツへ入学する前、まだダリルがスクイブとも、グリフィンドールへ組み分けられるとも知れる前、皆ダリルをちやほやしたものだ。特に上級生などは競ってダリルと話そうとしたし、関心を引こうとした。その時のセオドールはダリルについて「あれがドラコの妹か」程度の認識しかなかったが、「今はおどおどしているけれど、あれだけちやほやされればすぐに高慢に振舞うようになるだろうな」とも思ったものだ。セオドールは元々偉そうな奴は嫌いだけれど、なかんずく顔だけで中身のない女が一番嫌いだ。それでダリルと関わらぬよう努めることを決めた。グリフィンドール寮へ入ったと言うのは意外ではあったものの、それでもあれだけ顔が良ければ誰か甘やかすだろうと、彼女を避け続けていた。
――なのに今隣にいるダリルは諦めきった声音で、下から話しかけている。
出来損ないと言われ続けた人はこういう話し方をするようになるのかもしれないと、セオドールはそんなことを思った。見下されることに慣れた話し方だと思ったし、それに彼女自身慣れたと繰り返している。構わない。気にしない。責めたいんじゃない。
「私のことは幾らでも馬鹿にして良いし、恥を掻かせたって良いけど、“マルフォイ”に恥を掻かせるなら、私、許さないから」
家名を守りたくはないと言ったのはお前じゃないか。セオドールは眉を寄せた。さっきから、穢れた血やグリフィンドールの馬鹿達といる時は到底浮かべることのない表情ばかり浮かべている。あいつらといる時は、強張った顔で目を伏せたりなんかしない。
セオドールはダリルの髪をひと房掴んで軽く引っ張った。きょとんとしたダリルと目が合う。
「君、ディゴリーと付き合ってるんだろ」
ダリルの歩みが止まり、セオドールの手にある髪は二人の間でぴんと張った。セオドールも立ち止まる。傷まないようにと緩めた掌からキラキラ光るプラチナ・ブロンドが零れていった。その光に、セオドールは気恥ずかしそうに微笑っていたダリルの顔を思い出す。
セドリックの無骨な指はセオドールがするよりずっと丁寧にダリルの髪へ触れたし、ダリルの頬も色を失くして等いなかった。ダリルは上気した頬ではにかみ、彼女を膝に抱くセドリックも笑っていた。如何にも恋人然とした二人は幸福そうに寄り添っていた。
セオドールの台詞にダリルの頬は白から赤へと変貌を遂げていたが、やはりセドリックやフレッド達といる時のものとは違う。
ダリルは唐突な脅しを――脅しだと思った。ドラコやルシウスにチクられたり、ホグワーツで吹聴されればダリルは困った立場になる――受けて、如何反応するべきか、誤魔化しきれるのか、諦めてセオドールのご機嫌取りに励むべきか逡巡した。しかし誤魔化すにしろ諦めるにしろ兎に角もっと判断材料が必要だ。セオドールったら如何してそんな風に思ったの? 一体いつそんな誤解を植え付けたのか私ちっともわからないわ。よし、これだ。こう言えば詳細を聞くと同時に誤解かもと思わすことが出来る。「ど、な、いつ」あっもうこれ駄目だ。覚悟を決めて口を開いたが、ダリルの口からはどもりしか出なかった。セオドールの冷ややかな視線が胸に突き刺さる。
セオドールはため息をついてから追い打ちをかけた。「十一月頃、魔法史のコーナーの出窓のあるところでキスしてた」
その頃は付き合ってないと、言ってしまおうか。ダリルは悩んだ。実際付き合いだしたのは五月中盤ぐらいからだ。嘘じゃない。付き合ってなかったけどキスはしてた。駄目だ。もっと面倒な事になりそうな気がする。大体キスしてたって、どんな感じだったんだろう。目に睫毛が入ってたと言って誤魔化せる可能性があるかもしれない。ダリルは両手で顔を覆い、身もだえした。なんか割と結構大胆なスキンシップをとっていた気がする。十一月頃って、なんか、調子に乗っていた気がする。
ダリルの羞恥などどこ吹く風でセオドールは言葉を続けた。
「君目立つし、ディゴリーだって目立つからさ。まあ、ドラコはディゴリーの顔も覚えてないみたいだけど、あいつは鈍だからな」
片割れがさらっと侮辱された気もするが、それは当人たちの間で如何にかして貰おう。それにぶっちゃけダリルもドラコって鈍臭いところあるわよねって思う。こんな状況でなかったら「そうねえ、お坊ちゃま育ちだし……」ぐらい言ったはずだ。
ダリルは手から顔を上げるとセオドールを見やった。セオドールはダリルのよく知る、無関心そうな顔をしていた。変な人。怪訝な顔で見ているのに気付かれたらしく、セオドールもちょっと眉間にしわを寄せた。両手をズボンのポケットに仕舞って、俯く。
「で、付き合ってるの?」
「え――ええと、まあ、その……ね?」ダリルはもごもごと言い淀んだ。「まあ、多分、つ、っき合ってる……」また少し頬が赤くなる。
そう言えば人へセドリックとの付き合いを口にするは初めてのことだ。ジョン達はセドリックから聞いたらしく、ダリルが言うまでもなく知っていたし、他の人には内緒で、誰にも「セドリックは私の恋人なの」などと言った事がない。
ダリルはちらっとセオドールの無関心さを確認してから嬉しそうに弾んだ声を出した。「私の、彼氏なの」己の台詞が鼓膜を震わすのさえ恥ずかしくて、気恥ずかしさから笑う。セオドールは俯いたまま視線だけを上げた。セドリックといる時のように幸福そうなダリルが瞳に映る。目の前にいて、手を伸ばせば届く距離で、それなのに自分の隣には誰もいないように感じた。
「……ディゴリーと付き合ってるなら、婚約なんて本当は嫌なんだろう。纏まったって、お前が逃げるんじゃ僕が恥ずかしいじゃないか」
「に、逃げないわよ」死に別れることが分かっていて結婚するのは逃げるにあたるのか如何か悩んで即答出来なかった。後ろめたさを誤魔化すように言い訳を連ねる。「出来るかもって言ってあるし……その……今付き合ってたって、どうせ来年までには別れちゃう」
セドリックみたいなハンサムで大人な人と私が続くわけないじゃないと、ダリルはセオドールへ笑いかけた。
「子供の頃の恋愛なんて、」ダリルは渇いた笑みを口元へ湛えたまま項垂れる。「――どうせ、どうせ皆そんなものでしょ」
今までダリルは自分が死ぬまでセドリックの気持ちが自分にあるとばかり考えていた。だから自分が死んだらセドリックが悲しむかもしれないと思ったのだ。自分の声を覚えていてくれるだろう。影を探すだろう。そう思っていた。
ダリルが死ぬまであと何年あるだろうか。数年じゃないはずだ。どんなに早くても、ハリーが学校を卒業して一人前の魔法使いになるまで――ヴォルデモートを倒せるようになるまで七年は掛かるに違いない。その七年でダリルとセドリックが別れないほうが不自然だ。ひょっとするとセドリックはダリルが死んだことさえ知らぬに生きていくのかもしれなかった。
良いことだと、ダリルは思った。七年もセドリックを好き勝手振り回した挙句自分の勝手で死ぬより、ずっと良い。ダリルはセドリックとの付き合いへ“きちんとしたもの”を望んできたものだ。だから普通の恋みたく、心が離れたからと別れられるならそれが一番良い。
一番良いじゃない。ねえ、だって、セドリックに私を探させたいの? あの優しい人の夢で、私は出会わなければ良かったわねって言いたいの? 散々振り回しておいて、最後にはそんなことを言うの……? そんなのは嫌だと、何故か納得出来なかった。
「ふうん」セオドールの投げやりな相槌でダリルは我に返る。「まあ如何でも良いけど」本当に如何でも良さそうだなとダリルは思った。
「……その、誰かに言った?」
如何してセドリックとのことなんて私へ聞いたの。如何して確認したかったの。そう言いたいのを堪えて、違う事を問うた。
首を傾げて伺うダリルへセオドールが手を伸ばす。ダリルの髪へ触れて、一束摘まんだ。くんっと軽く引っ張る。「……忘れた」素っ気なく呟いた。重なっていた視線が逸らされる。「如何でも良い奴の交友関係覚えておくほど暇じゃないんだ」
プラチナ・ブロンドが宙に漂う。セオドールはダリルを置いて歩き出した。
「何、君は誰かと付き合ってるの? 奇特な男もいるもんだね」
一歩遅れたから、セオドールがどんな顔でそんなことを言ったのかは分からなかった。しかし急いた声音は言い慣れないジョークを恥ずかしがるようで、セオドールの隣でダリルはくすりと微笑した。ダリルの笑みを見咎めたセオドールが顰め面をする。
「君と結婚したがる奴なんて、スリザリン寮生のなかにはいないだろうな」
そうダリルを小馬鹿にするとセオドールはショーウインドーへ視線を滑らせた。所々に入ったひびと埃のおかげで曇った硝子の向こうには年代物のクッションだけが鎮座している。ここも閉店したのかななんてダリルが考えていると、セオドールは立ち止まった。ダリルを見つめながら、掠れた金文字飾りのある扉に手を掛ける。「僕、君が嫌いだ」ぎっと、蝶番が鳴った。
文字は殆ど剥がれかかっていたが、「オリバンダーの店」という表記はハッキリ読み取れる。開いた扉からはむっとするような黴と埃の臭いがして、飛び交う埃で少し霞んだ店内には細長い箱が一杯に積み重ねられていた。
「――私のこと放って、おいていってしまっても良かったのよ」
「それで君が迷子になりでもしたら、責められるのは誰だと思う? なか入りなよ」
セオドールは脇に退いた。促された通りに彼を通り過ぎ、店内へ入る。ダリルはくるっと振り向いた。「あの、」謝りたいと思ったけれど、今更何に謝れば良いのだろう。「……詰まらない人って言って、ごめんなさい」悩んだ結果、それについて謝ることにした。
「別にお喋りじゃないのは分かってるから、如何でも良い」セオドールはむっつりとそう零した。「君だけじゃないさ、皆そう言う」
確かにセオドールが楽しそうにペラペラしているところはあまり見ないし、ドラコも「筆談のがずっと捗るんだ」なんて肩を竦めていた。セオドールがダリルのことを人間だと認識したか如何かは分からないが、ダリルはセオドールを面白い子だと思った。いけ好かないところはあるが、何も考えてないわけじゃないらしいし、それにセドリックのことを黙っていてくれた。
「有難う」お礼を言いたいと思ったし、理由は幾つもあるような気がした。ぽかんとするセオドールへダリルははにかんだ。「……ここまで送ってくれたわ。それに私のこと嫌いなのに、私に触らないよう気を遣ってくれたもの。ありがとう、嬉しかったわ」
ダリルがにっこり笑うとセオドールはきまり悪そうにした。面倒な事になりそうだったからだと言いたかったが、にこにこ笑うダリルを前にすると何も言えなかった。馬鹿みたいに笑っているダリルから顔を背けてノブから手を離す。
ダリルは足を一歩前に出して、閉まりかけた扉を手で押さえた。「ホグワーツで、会いましょうね」
「……嫌いな奴とお喋りしたがるなんて、変わってる」セオドールはやれやれと頭を振った。
「あら、汝の敵を愛せよという言葉を知らないの? 一体どこの国の方かしら」
「言っておくけど、聖書を読む習慣があるのはブラック家近辺だけだからな。知らなくったって恥じゃない」
「知ってるんじゃない」ダリルが笑うと、セオドールが苦笑した。
そうして笑みを浮かべたまま、複雑そうな声を出す。「母さんが読書好きだったらしい。母さんの書斎はちょっとした図書館なんだ」
ダリルは今日セオドールへ「スクイブの私の辛さなんて分からない」と語った。それと同じで、親のことを伝聞で知る他ない辛さや憶測でしか語れない辛さはダリルにも分からない。セオドールは試すような瞳でダリルを見ていた。ダリルは微笑んだまま話しかける。
「私のお母様も本を読むのがお好きなの。きっと仲が良かったでしょうね。……家へ帰ったら、私、貴方のお母様のこと聞いてみるわ」
「あっそう」セオドールは一歩後退すると、俯いた。素っ気なさ過ぎるんじゃないか。そう詰ろうとしたのをセオドールの声が遮った。「怒鳴ってごめん。ディゴリーとのこと教えてくれて有難う。ホグワーツで会おう」そう畳み掛けるや否やぱっと走りだす。その頬は少し赤かった。「セオドール!」ダリルの声に、セオドールが顔だけで振り向いた。「ホグワーツで会いましょうね、きっとよ」
聞こえたのか聞こえなかったのか、セオドールは僅かな間の後で口端を吊り上げる。バーカ。ダリルもちょっと微笑ってからバーカと真似る。馬鹿って言われたのは少しむっとしたけれど、馬鹿と言い返せばスッキリした。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM