七年語り – LULL BEFORE THE STORM
02 新しい友達
マルフォイ家には闇の魔術に纏わるものを置いた隠し部屋が幾つかあり、そして捜査の手が入った時のためのダミーが複数ある。
ダリルが今いる応接室の下にもダミーが一つあり、夏期休暇直前に抜き打ち調査が入ったと言う。
おかげで始末書を一束書かされることになったとルシウスは不機嫌だったが、それが然程でもないのはアーサー・ウィーズリーに一杯食わせてやることが出来たからだろう。アーサーはロンの助言を参考に――勿論なかったとしても遠からず押し入っていただろうが――抜き打ち調査をしにやってきたものの、それで押収出来たのが義眼と仮面を一つずつと本を十冊だ。その時の話を聞かされたダリルは、ルシウスの笑みから察するにアーサーは随分不快な気分を抱いたに違いないと彼の人へ申し訳なく思った。しかしアーサーにマルフォイ家の秘密の部屋を見つけられては困るのはダリルも一緒だ。否、ルシウス以上に困るかもしれない。
口元へ薄い笑みを浮かべると、ダリルは右手の手袋を外して、片手に持った。その、手袋を持っているほうの手でポケットの中にあるナイフを取り出し、人差し指の先を切る。じわりと血の滲む指を、暖炉の上に飾られた蛇の彫像の内へ入れると、堅く冷たい舌がダリルの指を舐めた。石膏の瞳に意識が宿り、視線がダリルを捉える。ダリルの唇がルシウスに教えられた通りの台詞を紡いだ。
「私はルシウス・マルフォイが娘、貴方がたの純粋な血をこの身に宿すものです」
蛇の瞳がダリルから遠ざかる。
ダリルがパス・ワードを言い終えると同時に暖炉を形作っていた石が動き出し、廊下と応接室を隔てた扉のほうから鍵の閉まる音が聞こえてきた。石が組み変わり、熾火と奥の壁が地に呑まれ、黒い扉が露出する。ダリルは襟ぐりから手を入れると、長いチェーンを鳴らしながら黒い鍵を取り出して、扉の中央に彫られたウロボロスのレリーフの真ん中にある穴へそれを差し込んだ。扉が開く。
ダリルは扉の色よりも暗い隙間へ滑り込むと、後ろ手に扉を閉めて「ルーモス」を唱えた。杖先に明かりを灯す。
その朧な明かりだけを頼りにダリルは冥府の浅瀬へ続く階段を下りていった。ダリルの足音が遠ざかるにつれ、扉を覆い隠すように壁がせり上がり、地中にあった熾火が顔を覗かせる。最後に石が暖炉としての形を整えれば応接室はいつも通りとなった。カチリと鍵が開いたが、廊下には応接室の扉を開けかねない人影はなく、室内には石よりも固い静謐だけが息をひそめていた。
普通、未成年の魔法使いは魔法学校へ入学すると同時に魔法省へ魔法使いとして登録されることになっており、無論ホグワーツ魔法魔術学校へ籍を置くダリルも例に洩れず年齢から生まれに至るまできちんと登録されている。登録されていて、十七歳未満である以上「未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令」を守る義務があった。学期末になると決まってフレッドとジョージを苦しませにやってくる“お触れ”も、この法令に纏わるものだし、去年の夏期休暇中に魔法省が「再び魔法を使えば退学処分」とハリーに通告したのも、この法令故である。つまりダリルも夏季休暇中は魔法を使えないし、使えば勧告を受けることとなるだろう――しかしダリルの手のなかにある杖の先には光が宿っていて、誰の目にも彼女が魔法を使っていることは明らかだった。そして事実魔法を使っているにも関わらず、ダリルの下へ勧告が届く様子はなかった。明日も、明後日も、その翌日になっても届かないだろうとダリルは知っている。何故なら昨日も、一昨日も、その前日にも同じ魔法を使ったのに、魔法省からの梟はルシウスの下しか訪れないからだ。
未成年の魔法使いが魔法を使ったことが何故魔法省に知れるのか、そのメカニズムについては明らかにされていない。故にダリルも自分の下へ魔法省の梟がやってこない理由を説明出来ないのだが、マルフォイ家の秘密の部屋は魔法省の“目”を誤魔化す魔法が多く掛けられていて、魔法を使っても感知されないらしかった。ルシウスは「存在しない場所で魔法を使ったからといって罪になるはずもあるまい? 存在しない場所にお前がいるはずがなく、誰もいないのであれば魔法が発動するはずもない」とダリルに説明した。
何にせよ、この部屋を訪れた初日に蝋燭の炎で髪を焦がした身としては有り難い。それに魔法の練習も出来るしと、ダリルは指先の血をペロっと舐めて「エピスキー、癒えよ」と唱えた。同時に明かりが消えて、段を踏み外す。ダリルは石段で腰を強かに打ち、暫く暗闇のなかでしゃがみ込んだまま痛みに震えた。魔法を使い慣れず、呪文が継続している内に次の呪文を唱えてしまうことはしょっちゅうだ。
ダリルは目じりの涙を拭って己の油断を低い声で呻いた。それからまず治癒呪文で指を治して、明かりを灯しなおす。照らされた足元にある段が果てしなく続いていた。最下層についたらしい。ダリルはじんじん痛む腰を押さえながら立ち上がると、杖先と共に視線を動かしてランプを探した。ランプは階段脇にある、訳の分からない魔法陣の刻まれたテーブルの隅に置かれていた。それに「インセンディ、」途中まで唱えて、我に返る。ランプを手に持ち、杖先を振って明かりを消した。
「インセンディオ、燃えよ」
炎が火芯を掠め、絡み付く。油を吸って大きくなった明かりを掲げて、ダリルは己の進路を照らし出した。
“秘密の部屋”は殆ど地下牢と変らない閉塞感と湿気に満ちており、然程広くはない石造りの部屋が二つ連なっている。
今ダリルがいる手前の部屋には闇の魔術に関する道具が置かれていて、奥の部屋にはヴォルデモートの部屋にあったような本が壁を覆い尽くす書棚一杯に並べられていた。開いた瞬間叫びだす本や、一文字目を読んだ途端人を気絶させるような本など、まず間違いなくホグワーツの図書館には置くことさえ禁じられるような代物だらけだ。ダリルはルシウスの「殺傷性の高い本は、もっと奥まった場所に隠してある」という台詞を信じて書棚を漁り続けたものの、参考になりそうな本と巡り合うまでに四日を要した。
勿論、何も四日間ずーっと吃驚させられたり、たんこぶを作り続けていたわけではない。ダリルが手に取った本の内五割はきちんとした本だった。しかし理解出来なかったのだ。ダリルは「一年生から始める闇の魔術について」とか「人を呪う魔法abc」とかがないかなと逃避しかけたものの、結局途中で妥協した。その、ダリルが手に取ったなかで一番易しそうな本でも辞書や、学校の教科書などを引かなければ理解できなかった。ダリルの魔法の知識も、思考回路も、言語力もこれらの本の記述を理解するに至っていない。魔法論に関してはそれなりの知識を有しているものの、ダリルはまだ十二歳だ。闇の魔術とは“魔法”の他――他国で発達してきた魔術を無理に英国風に曲げて、無理に繋げたもののことを指す。そもそもの基本が備わっていないダリルが容易に理解できるはずがなかった。しかし、それだけならまだ良い。今はまだ未熟でも、努力を怠らなければいずれは理解できるようになるだろう。
ダリルは共感呪術の応用についてメモを取りながら、頭を抱え込んだ。
一番の問題は、こうして闇の魔術について調べていると、ヴォルデモートの知識がダリルの思考を蝕むことだ。
視界から入る情報に吸い寄せられた、ダリルに理解出来ない羅列が忘却の彼方から這いずり出る。闇の魔術についての耐性がないダリルには“それ”が理解出来ず、ただ一見して分かる邪悪さだけが気分を害した。
普通開心術などで読んだ記憶は己の記憶の一部として完全に御しきることが出来るはずだったが、ヴォルデモートの魂の一部とでも結びついたのか、それとも深層まで入り込みすぎたのか、ダリルの内に流れ込んだヴォルデモートの記憶は全く宿主に従順ではなかった。理解できないのに、忘れることも出来ない。ダリルの意志とは無関係に思考を埋め尽くし、意識を飲み込んでいく。
手で口元を押さえて俯く青白い頬をランプの赤が照らした。気分が悪くなる度ホークラックスについて調べるための――もしくはヴォルデモートの知識を理解するための知識を蓄えなければならないと焦る。なのに急いた気持ちとは逆に、“勉強”はまるで進んでいなかった。恐らく夏中ここにこもっていたとしても、ダリルには呪術の触りを理解するだけで精いっぱいだろう。
それでいいじゃないかと己を納得させることが出来ずに、感情的になっていく。
闇の魔術に纏わる記述を読もうとすればするほどに胸に満ちる不快感が思考回路を歪ませ、冷静さがヴォルデモートの知識に呑まれていった。“今後”のために行うべきことが霧散して、過去の感情がせり上がってくる。暗い部屋のなかで、ランプの明かりが消えてしまったらという恐怖、夢が現か分からなくなっていく感覚、周囲に誰もいない孤独感がダリルを脅かした。誰もいない。何も出来なかった。目が覚めれば、そこには喪失があり、己の無力さが証明されている。己の手では開けられない扉がそびえていて、ダリルはそこから出ることが出来ない。ひとりだ。誰もいない。ダリルが出来そこないだったから、スクイブだったから、愚かだったから、無知だったから――、
ドラコ。ダリルの喉がひくと動いた。フレッド、ジョージ、セドリック、ジニー、ハーマイオニー、ロン、ハリー、己がここで一人でいるという事実がダリルには耐え切れない。二度と皆に会えないのではないかと、そんな馬鹿げた不安が胸を締めつける。分かってはいるのだ。ダリルは自由に何処かへ行くことが出来る。嫌ならここから出て行ってしまえば良い。もうダリルは二年前とは違う。外の世界に頼る相手は幾らでもいた。望むなら、手を伸ばせば、誰かがきっとダリルを助けてくれる。ここは夢のなかではない。一人ではない。
この陰気な部屋に留まるのは不快だったが、それでもダリルは椅子から立ち上がろうとはしなかった。この孤独感も、恐怖も、虚無も、かつてヴォルデモートの過ごした場所に敵うものではない。自責の念にも似た気持ちで、ダリルは「ここにいなければならない」「手を伸ばしてはいけない」「現へ戻ってはいけない」「明かりを灯してはいけない」と感じていた。
古びたページの上へぽたっと涙を一粒零すと、ダリルは拳で目じりを拭い、横の椅子へ置いてあったランプへ手を伸ばそうとした。途端に、キィーンと高音が鼓膜を揺らす。何か呪いの道具か、本かを発動させる条件を満たしてしまったかと慌てたダリルだったが、ぱっとあげた視線の先にあったのは邪悪でも暗闇でも無音でもなく、ビー玉とボロ布巾だった。否、ビー玉とボロ布巾と思ったのは目と耳らしい。
ダリルはきょとんと目の前にいる何かを見つめた。
「お嬢様!」ダリルの動揺など知ろうともしないドビーが、高音で叫んだ。
ページを捲りかけているダリルの手を取って、振り回す。ビッと紙が破ける音がしたのに気付いたのはダリルだけだった。
「ド、ドビー?」
本が破れただろうと叱るべきか、それとも何故ここにいるのかと聞くべきか――悩んだところで、ダリルは改めて何故ここにいるのだろうと思った。ドビーは追い出したとルシウスから聞かされて、ガッカリしたのはもう二週間ほども前になる。
なんでもハリーに何かしてやられたんだとかで、ルシウスはこれまで以上にハリーを嫌うようになってしまった。
ハリーとドビーがいつ関わりを持ったかは分からないが、ハリーからの手紙に「君の家の屋敷僕妖精に殺されかけた」と書かれていたのを見て、ダリルは深く追及するのはよそうと思った。何か知らなくて良いことを知ってしまいそうな気がする。
兎に角マルフォイ家付きの屋敷僕妖精でなくなったドビーが、しかも厳重に守護魔法を掛けられているはずの秘密の部屋に何故いるのかと、ダリルは目を見開いた。勿論どんなに見開いても、ドビーの半眼ほどの大きさにもならなかったけれど。
「……お前、一体如何してここへ?」
ぼそっと問いかければ、ベラベラとハリーの賛美を続けていたドビーが口ごもって、伺うような視線でダリルの顔を覗き込んだ。
「ドビーめは、お嬢様へ暇乞いをしにいらっしゃったのです」
「ええ、知ってるわ。ハリーが“何か”やらかしてくれたんですってね」ダリルがクスと微笑めば、ドビーのボロ布巾改め耳がパタパタと動いた。瞳はキラキラして、一層ビー玉めいている。「その通りです!」ドビーはハリーへの尊敬をこめて、深く大仰に頷いた。
「ハリー・ポッターは“やらかして”下さいました!」
「なるほどね。これから如何するの?」
尚もハリーについて語り足りないらしいドビーと“会話”をするために、ダリルは急いた口調で畳みかけた。
「新しいお屋敷を見つけます!」
「そう――そうね」
言ってみれば愚かな問いだった。屋敷僕妖精として生まれたドビーにとって、“これから”は限られている。どこぞの魔法族の家庭に仕えて、屋敷で働き、追い出されたら、また違う家庭に仕える。それの繰り返しだけがドビーにとっての未来だ。
浅いため息をつくと、ダリルは自分を見上げるドビーの顔を見つめた。
「屋敷僕妖精は、人間に縛られていなければ己の魔力をコントロール出来ないのだったわね」
ダリルは自分の手を握ったままのドビーの手を、もう片方の手で離し、しおり代わりに使っていた杖に触れる。離れたところに置いてある水差しと二つのグラスへ杖先を向けた。「アクシオ、水差しとグラス!」グラスだけが浮いて、落ちた。パリーンという音と共にガラスの破片が床に散らばる。ダリルは顔を顰めた。それをちらっと見たドビーがパチンと指を鳴らし、グラスを修復する。もう一度鳴らして、手元に呼び寄せた。ドビーがダリルにグラスを差し出す。「どうぞ、お嬢様」ダリルは礼も言わずにグラスを受け取った。インク壺の横に置く。
ドビーが続けて水差しも呼び寄せようとするのを制して、ダリルは口を開いた。水差しの横にもう一つ残っているグラスを指さす。
「ドビー、『アクシオ、グラス』と言ってみてくれる? 杖を……」ダリルは本の上にある己の杖を見た。「とりあえず言うだけで良いわ」
ダリルの台詞を受けてキョトンとしていたドビーだが、促されるとおずおずとグラスを見た。反射的に鳴らしそうになる手をダリルが抑える。「さあ、言ってごらん」ドビーが怯えたような視線でダリルを見て、口のなかでダリルの台詞を繰り返す。
まず、呪文を理解することは出来るらしい。ダリルはドビーをじっと見つめた。
「ええと……その……アクシオ、グラス?」ドビーが呟いた途端、ダリルとドビーの間を物凄い速さの何かが通り抜けて行った。軌跡を追って視線を動かすと同時に、パーンと硝子の砕ける音が響く。ドビーが「ひっ」と低く叫んで、耳で目を覆った。
グラスがダリルとドビーを追い越して、壁にぶつかったらしい。ダリルは傍らにある羽根ペンを掴むと、ページに「杖なし:加速、一般よりも強い?」と走り書いた。ドビーがそれを覗き込んで、目を見開けるだけ見開く。眼球の八割露出しているのではないかと考えながら、ダリルはドビーに微笑んだ。黒檀に艶めかしい光沢のたる杖には持ち手に銀の蛇が絡み付き、如何にもスリザリンらしい。この二年持っていて、殆ど使うことはなく、また使っても扱いづらいだけの杖を――ルシウスの祖父のものだったという由緒正しい杖をドビーに差し出した。恐らく家族の誰かか、もしくは一般的な感性を持つ魔法使いがこの場に居たら卒倒しただろう。「で、できません」ドビーは恐れおののいて、首をぶんぶん横に振った。ブルブルと震えるドビーへ、ダリルは尚も杖を差し出す。
「出来ないではなく、するのよ。例え杖が爆発したとしても私が責任を取るわ」爆発という言葉に、ドビーが悲鳴をあげた。
「それは、魔法使いのものです! ドビーはお使いになれません!!」
「単なる道具よ」ダリルは面倒になって、キイキイ喚くドビーの手へ無理に杖を握らせる。一瞬躊躇したが――今日は分厚い手袋を嵌めているし大丈夫だろう――ぎゅっとドビーの手を掴んで、杖先を水差しへ向けた。
ドビーは泣きそうな顔で首を振っている。「どうか……」未だに懇願は続いていたが、ダリルはそれを無視した。
「さっきの台詞の最後、グラスを水差しに変えて頂戴」
「お嬢様、ドビーは……」
ドビーはもごもごと言葉を紡いでいたものの、ブルーグレイの瞳に凄まれて黙り込んだ。それから暫し逡巡していたものの、意を決したように水差しのほうを見やる。「ア――アクシオ、水差し」ドビーの台詞に合わせて、ダリルが杖を振った。
ふよ。水差しが浮いて、宙でピタリと動きを止めた。そのまま落ちるかと思われたが、水差しはゆるゆると、のんびりしたスピードでドビーのほうへ寄ってくる。吃驚しているドビーを肘でつつくと、目の前まで来た水差しを慌てて受け取った。
ダリルはドビーへにっこり笑いかけると、先ほど書いた文章の下に「杖あり:成功」と書き込んだ。
「面白いものを見せてもらったわ。ありがとう」
ドビーの手のなかにある杖を取ると、羽根ペンと一緒にインク壺へ差し込んだ。あっと思ったものの面倒になり、ダリルは杖をインクに浸したままにしておく。黒檀だし、そう目立たないだろう。ダリルは微塵の動揺も顔に浮かべず、グラスを手に取る。
ダリルが水差しの取っ手を握ると、ドビーが水差しから腕を離した。
「もうちょっと私の酔狂に付き合ってね」
ダリルは空のグラスをドビーの前にかざした。
「人間という器はこのグラスと一緒。空っぽで生まれてきて、その肉体には魔法特性は全くない。つまりマグルと魔法族の肉体は同じ構造で出来ているのよ――勿論、体に流れる血も同じだわ」ブルーグレイの瞳がすいっと細められる。
ダリルの胸にある魔法陣を見てスネイプが語った通り、人間そのものには微々たる魔力しかない。それこそ誤差程度のものしか満ちておらず、稀に強い魔力を有して生まれてくるものもいるが、特定の一族か、半人外でない限り精神を病むのが普通だ。
一方屋敷僕妖精などといった人外の生き物、主に魔法生物と呼ばれる種類の生き物の体には強い魔力が宿っている。
彼らはその身に宿った魔力を使って暮らす。魔法使いの魔力と違って、彼らの魔力は定まった使い方しか出来ない。主に己を身を守るためか、もしくは己の存在意義のため、生きるためにしか使う事は出来ない。つまり、どんなに魔力があっても他人にタップダンスを躍らせることは出来ないわけだ。魔法使いはそれが出来る。何故なら魔力が生きることと密接に絡みついていないからで――魔力を持たずに生まれてくるからだろう。それでは普段自分たちが使う魔力はどこから来るのかという疑問が出てくるが、今はそれに目を瞑る。
大事なのは自分たちの体に魔力がなく、魔法使い達はどこからか調達してきた魔力を要して魔法を発動させるということだ。
ダリルはグラス一杯に水を注いで、それから膝の上の本を閉じて床に下した。
「貴方達のような魔法生物は、この状態で生まれてくる」ドビーがグラスを見て、頭を傾げる。「魔力が最初から体に満ちていて、これ以上注ぐと零れてしまう。己の能力値を上回る力は己を害し、精神を狂わせる……」
水差しを傾けると、グラスに入りきらない水がダリルの膝に零れた。
「普通魔法生物は生まれ持った魔力以上のものを得る機会はないわ。しかし、屋敷僕妖精はなんらかの理由で――魔法生物でありながら長年人と共生してきたからか、それとも共生ために自然と体を適応させようとしたのか、魔法使いが魔力を得るのと同じように、日々のなかで魔力を得るようになってしまった。グラスに水を注ぐ、能力値を上回る魔力が脅かす、それを人間と契約することで昇華させる」
ダリルは水の満ちたグラスをじっと見つめる。
「稀に、ひょっとすると、人間のように――体に魔力を全く宿さず生まれてくる屋敷僕妖精もいるのかもしれないわね」
彼らは脅かされることがないから、己を誤魔化してまで人に仕える必要がない。魔法使いと同じように、限りなく自由に魔法を使うことが出来る。一般の屋敷僕妖精とまるで違う考え方をする。ダリルはグラスからドビーへ視線を移した。
ドビーやキィーリレルが多くの屋敷僕妖精から異端とされ、嫌われるのは、そういう理由があるのかもしれない。
研究すれば面白いだろう。クィレルあたりは、きっと――そこまで考えて、ダリルは深いため息をついた。もうこの世界のどこにも居ないと分かっている人を、あたかも少し旅に出ているかのように処理してしまう自分がいることへのため息だった。
クィレルもレディもいない。分かりきったことで、きちんとけじめをつけたはずのことだった。
ダリルは顔に困惑を刻んでいるドビーへ、疲れた笑みを浮かべる。
「お前が、」そこまで言って、ダリルは言いなおした。「貴方が、魔法使い寄りの屋敷僕妖精かもってことよ」
ドビーはダリルが何故言い直したのか理解せず、それどころか言い直したことにも気づかないようで、先ほどからずっと傾げたままの頭をやっと元に戻した。それでも、不思議そうにダリルを見上げたままで、ダリルは眉を寄せて苦笑する。
「折角だから、そういう風に扱ってくれる屋敷を探したら如何」
異端もやがては大筋になることがあるだろう。ダリルは屋敷僕妖精という生き物にどんな可能性があるのか、見たくなった。それともハリーと関わっても尚彼を英雄だと言い続けるドビーへ、己を被せているのかもしれない。人は愚かな生き物だ。少しの類似点だけで、すぐに肩入れし、己の幸福が相手にとっても幸福なのだと思い込む。ダリルはドビーに定型の生き方をしてほしくなかった。
「そう……」
「貴方と話す時に椅子へ掛けるよう勧めてくれるような主を探して御覧なさいな」
やっとドビーはダリルの言っていることが理解出来たらしく、ぴょんっと飛び上がってから、「なんて恐れ多い!」と目を真ん丸にした。それでも思ったほど大騒ぎしなかったのは、誰か心当たりがあるからなのだろう。その“心当たり”の顔を思い浮かべて、ダリルはにっこり笑った。ダリルの笑みを見て、ドビーも耳をパタパタ動かし、ぎこちなく笑う。
目を潤ませて、口を開いた。
「ドビーめが誰にお仕えするようになっても、お嬢様はドビーのお嬢様です」
「友達でしょう」ダリルはドビーの台詞を訂正した。「一年前の約束を、忘れたとは言わせないわ」
『もしも本当にお前が自由になって――それで約束を覚えていたなら、その時は私達、友達になりましょう』
今のドビーは自由だ。少なくともダリルの屋敷僕妖精ではない。それで、ドビーがダリルのために何かしたいと思ってくれるのであれば、それは主従ではない。それを言い表すに、ダリルの知るうちで、一番近い言葉は“友情”のはずだった。
目を剥いてダリルをまじまじと見つめるドビーへ、ダリルは言葉を続ける。
「貴方が誰の下で働くことになっても、私達友達ね?」
案の定ドビーはおんおん泣き出した。ダリルはため息をついて、ドビーの涙が落ち着くのを待つ。「お嬢様――お嬢様が!! ドビーめを、」ひっくひっく嗚咽を絡ませて、ドビーが華奢な体を震わせる。懐から取り出した白いもので、チーンと鼻をかんだ。
ハンカチを持っているとは意外だった。ダリルがそう思った瞬間、鼻水まみれの文字が見える。「親愛なるダリルへ」見慣れた文字だ。
「ドビー、何で顔を拭いているの」
「あっ」
ドビーが鼻水だらけの手紙――ハーマイオニーからの手紙をダリルに渡してくれた。恐らく、つい癖で、ここに来る途中にでも受け取ってしまったのだろう。ダリルは「屋敷僕妖精の鼻水の主成分はヒトと一緒なんだろうか」とぼんやり考えた。
暗闇のなかだったが、もう孤独感はなかった。クィレルやレディがいなくとも、ダリルには新しい友達がいる。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM