七年語り – LULL BEFORE THE STORM
24 ものがたりがはじまる
自分の友人達がそっくり亡命してしまえば、何かと小うるさい父親も今度こそ大人しくしているだろう。
ダリルは当人に知られれば“呼び出し”必須の思考回路で、退屈と安寧の一月を迎える覚悟を殆ど決めていた。
ハリーへのカードは書き直したし、贈り物の包みも頑丈なものに変えた。さあ、あとはもう来る三十日に梟便で送るだけだ。“想定外”が振って湧いてきたのは、丁度そんな時期だった。ハリーの誕生日の五日前、そして亡命通知が届いてから二日後の七月二十六日の午前、マルフォイ邸の暖炉から顔を覗かせたのは魔法警察部隊を名乗る壮年の魔法使いだった。
「急な訪問誠に、ゴホンッ申し訳ない――魔法警察部隊の者です」
玄関ホールから聞こえてくる物音を聞いて何事かと集まった四人の視線を一身に受け、男は咳払いを繰り返す。鼻頭についた煤を拭おうともせず四人に近づく男の目は忙しげに瞬いていた。「何かで焦ってるみたいだったな」というのは、後にドラコから聞いた憶測だ。後にというのは、その時のダリルに男の挙動を観察する余裕がなかったことを示す。つい先日きな臭いことに巻き込まれたばかりのダリルは「先日の違法取引の件についてだ」としか思えなかった。やはり自分も裁判に掛けられるのだろうかとか、ホグワーツも退学しなければならないのだろうかと逡巡するダリルが落ち着いたのは勿論ドラコに足を踏まれたからではない。罪人を連行するならもう少し人数がいても良いのではと思ったからだ。そりゃ妻子がいて自宅の場所も抑えられている以上見苦しい真似は出来ないだろうが、現場の人間であれば“万一”に備えないなんて愚かは仕出かさないに決まっている。ダリルはドラコの脇腹に肘鉄を入れながらルシウスの反応を窺った。
娘の視線に気づいたルシウスが振り向く。「騒ぐのであれば食堂に戻りなさい」二人を叱りつけた唇が音もなく文官だと続ける。流石というか、ダリルが困惑していることは疾うに見通されていたらしい。きょとんとするドラコの隣でダリルは膨れつらを作った。自分が不安に思っているのに気づいていたなら、もっと早く宥めてくれたって良かったのに。ルシウスはちょっと笑うと男のほうへ向きなおった。
「梟便を飛ばす時間もなかったのかね? 知らせの一つも貰えたならサンルームでも片しておいたのだが……」
「いやいや、」男は右手を振って大げさに恐縮して見せた。「団らんをお邪魔してしまったようで本当に申し訳ない」
男は熟れたスモモのように重たげな体を揺すりながら玄関ホールを横切り、食堂のある棟に繋がる通路に立つ一家を目指す。「こちらもつい先ほど知らされたばかりでして……」ブツブツ言いながら歩く男が立ち止ったのは、ナルシッサの前だった。
「その――貴女の従弟殿について、少々伺いたいことがありまして……どうぞ、何も言わず私と共に来て頂けますね?」
ナルシッサは“従弟”という単語にピクと眉を吊り上げたが、それ以上の反応は見せなかった。ダリルと同様にナルシッサもまずルシウスの反応を伺った。ルシウスは妻の問いかけへ鷹揚に頷いて見せる。
「分かりました。羽織りものを取ってきますわ」ちょっとの動揺さえ感じさせぬ物言いは夫への信頼故だろう。
ナルシッサがルシウスの意見に依って行動するのは何も珍しいことではない。家庭内のことこそ自分の好きにするが、一歩家の外に出れば付き合う相手から話題まで夫の指示に従う。考える頭がないのではなく、ナルシッサ自身が夫の負担となることを避けることを望んでのことなのだけれど、その信頼とも依存とも言い難い愛情はダリルに「ひょっとしてお父様がいなかったらお母様の思考回路は止まってしまうんじゃないかしら」とさえ思わせた。かつてルシウスはダリルに与えられる情報を殆どコントロールしていたが、それでダリルに不都合ないと判断したのはナルシッサの存在に依るところが大きい。夫と実姉が死喰い人でありながら当のナルシッサ自身は闇の魔術に殆ど無関心で、純血思想についても特別意見があるわけではないらしかった。良くも悪くも両親の教えとルシウスの意見が全てなのだ。ナルシッサのために誂えられた鳥かごで暮らしていたダリルは母を心配する。父親がアズカバンにでも放り込まれたら、母親はどうやって暮らしていくのだろう。
尤もダリルだって母のことを如何こう言えるほど精神的に自立しているわけではない。魔法警察部隊の突然の訪問へ焦っていなかったのはルシウスだけだったし、ドラコだって男の挙動を観察することが出来たのにダリルはパニックを起こしてしまった。
何だかんだ言ってルシウスという後ろ盾を失うのが怖いのだろう。ダリルがルシウスに勝るところなんて一つもない。せめてハーマイオニー並に賢かったら良いのになんて、擦り切れた無いもの強請りをしている内にナルシッサは炎に消えた。
魔法因子をたっぷり含んだ緑の炎が消えるなり、ルシウスは「しつこい汚れがやっと落ちたか」と酷薄な笑みを浮かべた。
「思えばしぶとい男だった。尤もそれがブラックのお家芸かも分からんな。“あれ”も元気でやっているようだ」妻がいないのを良いことに、ルシウスは好き放題口にする。「どっちの訃報だろうと私は構わん。まあ、年数から言ってシリウス・ブラックだろう……」
残念だとばかりにため息をひとつ。そりが合わないのか、はたまたヴォルデモートの寵でも取り合っていたのか、ルシウスは義姉を嫌っている。普段はナルシッサに気を遣って黙っているものの、子供の前では素直だ。「さっさと厄介払いを済ませたいものだな」
ルシウスはドラコ相手にシリウス・ブラックとベラトリックス・レストレンジを罵る。食堂に戻る素振りも見せぬ二人を背に、ダリルは通路を引き返して行った。ダリルはもうスクイブではなかったがグリフィンドール寮生であるのは如何しようもないし、如何かしたいとも思わなかった。マリウス・ブラックも、シリウス・ブラックも、結局は顔を合わせることなく死んでしまったのだから、他人に過ぎない。それでも死んだのならお気の毒様。ダリルやルシウス達と無関係な場所で自業自得に死んだのなら、少しは同情してやっても良い。まあ可哀想ねと淑女らしく口元を押さえて、悲しげに眉尻を下げて、自分が彼らと無関係であることを世界に吹聴して回っても良い――そんな薄情を抱いていたダリルだったが、ナルシッサが持ち帰ってきたのはしめやかな訃報ではなく歴史的大スクープだった。そもそもナルシッサの歩き方からして通夜っぽくはなかった。乱暴な足音が近づいてくるのに二人顔を見合わせた瞬間、ダリルとドラコがいる部屋の扉がバーンと開いた。蝶つがいがはじけ飛んだのにドラコが小さくヒッと言ったし、ダリルも長持ちへ入れるつもりだったクァッフルを窓枠にインしてしまった。幸いにしてガラスの割れる高音を気にとめる者は誰もいなかった。ナルシッサが鬼のように怒り狂っていたからである。
「あの――あの、あの愚かな、出来損ない……!」ナルシッサは美しい顔を激昂に歪め、ベッドの上で茫然としてる二人に近づく。怖い。よっぽど逃げてやろうかと思ったが、唯一の出入り口はナルシッサの背後だ。ダリルとドラコは母を宥める他なかった。
「お母様、その……とってもお疲れみたいですけど、如何致しましたの?」ドラコに脇腹を突っつかれたダリルが仕方なく問いかけた瞬間、ナルシッサが手にしていたハンドバッグを床に叩きつけた。「ブラックの血を引いているとは到底思えないあの大馬鹿者がアズカバンを脱獄したのよ!! あの男は、一体っ、どれだけ私達に恥を掻かせれば気が済むって言うの!」
二人の知る限り誰よりも淑女らしく気取った母親が、荒れに荒れている。ダリルの頭の中でアズカバンとシリウス・ブラックと脱獄とハンドバッグとが優雅に泳ぎまわった。何が何だか分からない。シリウス・ブラックの死体の処分方法について話しに行ったのではなかっただろうか。それが何故脱獄という話になるのだろう。三人の内でいち早く冷静さを取り戻したのはドラコだった。ドラコは神妙な顔を作ると、未だ目をぱちくりさせているダリルに囁きかけた。(如何した、嬉しくないのか? 容姿以外似てないと言われ続けること十三年、やっと血の繋がりが証明されたじゃないか……ヒステリーの起こし方がそっくりだ)思い切り噴き出したダリルは二日の自室軟禁罰を言い渡された。
怒り狂う母に唾を飛ばすのは「地下牢未満自室軟禁罰以上」の罪と見なされたらしく、「その間は屋敷僕妖精を使うことも禁じます」とエクストラ・トッピング。妹がシーツ交換に悪戦苦闘する様を見て、ドラコは腹を抱えて笑っていた。要領の良い兄が恨めしい。
魔法警察部隊の男はナルシッサ相手に「奴が脱獄しているというのは一つの可能性に過ぎないわけですが、万一そうであったとしても島外に出るなど……増してやあの弱った体で逃亡など続けられるはずがありません。なあに奴に関しては鼻の利く闇祓いが何人もいるのです。すぐ再収監となるでしょう。あーその、要するに勿論然るべき時期に会見を開く必要はありますが、今発表しても悪戯に煽るだけになる可能性が、貴女のような淑女にはお分かりいただけないかもわかりませんな? 明日には収束する騒ぎを広めても無駄……勿論管理に穴があったことは公にし、今後このようなことが起らぬよう努めていく姿勢を明確に打ち出さなければなりません。だからと言って……リータ・スキータをはじめとする羽虫に騒がれるのと声明を出すのとは別物であることは確実ですよ」などと雄弁だったらしいが、耳聡い輪転機で刷られた号外はイギリス中をくるくる回った。軟禁中の身でその恩恵を受け取れるわけもなく、いち早くシリウス・ブラック脱獄の知らせを受けたと言うのに、ダリルの情報源はドラコだけだった。要するに何の情報も得られないのと同じだ。
ダリルは時計の針が零時を指すや否やキィーリレルを呼び出して、「新聞を片っ端買ってきて」と命令した。
二日ぶりの再会にキィーリレルはダリルをすっかり水浸しにする必要性を感じたらしい。キィーリレルはびーっとダリルのネグリジェで鼻をかんでから、「キィーリレルにお任せ致して下さい!」と、昆虫のように華奢な胸を張った。
ダリルは「お前に任せる他ないものね」と沈みきった台詞でキィーリレルを見送った。
それから九時間後、果たしてダリルの予想通りキィーリレルはニューススタンドや本屋の店頭に並んでいた雑誌・新聞の類を買い占めてきてくれた。どうせ雑誌と新聞の区別もつかないだろうとは分かっていたのだ。ダリルは紙の山を前に自慢げなキィーリレルを褒めた。灰色の紙束は少なからず混じっていたし、それに殆どの記者はスリル満点の事件を日夜求めている。どの雑誌・新聞でも競うように、シリウス・ブラック脱獄について特集を組んでいた。若者向けファッション誌でさえ、「今夏大流行の兆し! セクシー囚人服コーデで気になる彼の魂を吸っちゃうかも★?」なんてふざけた煽りを表紙に刻んでいる。恐らく、来月号が出版されることはないだろう。
ダリルは日刊預言者新聞を見つけ出すと、キィーリレルに残りの山を書棚へ仕舞うよう命じた。彼女が“誤作動”をしでかさないか暫く見張ってから、背を向ける。ベッド脇の籐椅子へ深く腰掛けて、二つ折りにされた新聞を両手で広げた。
「お嬢様!」キィーリレルがキンキン声を張り上げた。「キィーリレルが頑張りましたでございます!」作業終了の知らせに、ダリルは首だけで振り向いた。隙間という隙間に雑誌が詰まっているのが見える。ダリルはちょっと眉を顰めてから頷いた。
「お疲れ様、厨房へ戻っていいわ――“詰める”のではなく“並べて”貰えるともっと助かるから、覚えておいて貰えるかしら?」
キィーリレルはキャッとはしゃいだ声を出してから消えた。ドビーの時は細かく指図してやるだけで良かったが、キィーリレルの場合は一つ一つ丁寧に教え込む必要がある。彼女を使うようになってからダリルの書棚には啓蒙書が増えた。ルシウスは十三の子供が何でこんなものを読む必要があると怪訝な顔をするが、キィーリレルを調教するための参考書ですなどとは言えない。
ドビーと言いキィーリレルと言い命令通り動かすのは面倒だが、ルシウスに忠実でないところと考える頭があるところはとても良い。他の屋敷僕妖精たちと来たら、「旦那様の御意向を伺わなければ」「奥様から命令されてございません」だの五月蠅い。そもそもダリルが話しかけても「ヒャッ」と姿を消してしまうことが殆どだ。ダリルは改めて本棚の惨状を確認してから紙面へ視線を戻した。
ブラックいまだ逃亡中――読む人の不安を煽るようにキッパリした見出しが一面を飾っている。その周りには魔法省の対応に関する寸評や過去にあった類似の事件を参考にした対処法、煙突飛行ネットワークへの違法登録者に対する警告文が収められていた。夏季休暇のように退屈な記事だとダリルは思った。見出しを「魔法省の保身と責任の押し付け合いについて」に変えるべきだろう。魔法省はブラック脱獄の事実を誤魔化すことは出来なかったが、ブラックが脱獄したことを受け入れようとせず、内部で責任の押し付け合いをしていたことは誤魔化せたらしい。魔法法執行部刑務局副部長の怠慢を槍玉にあげ、魔法省は今度からアズカバンに魔法使いの看守を置くことを検討しているとの話で記事は〆られていた。端から面白い読み物を期待していたわけではないけれど、ブラックが学生時代どんな生徒だったのかとか、何を理由に闇の陣営へ組みしたのかとか、彼の人となりについてちょっとは触れているんじゃないかと思っていた。
数十ガリオンと引き換えに得た紙の山のなかで、唯一の収穫はブラックの顔写真だった。ダリルは慣れ親しんだ名を持つ男の見知らぬ顔をじっと見つめる。色を失くしていても、彼の瞳がギョロリと明確な意識を宿しているのが見て取れた。
頬は痩せこけ、黒く長い髪がブラックの容貌を粗野に見せている。殺人鬼と言うに相応しい、強面の男だ。当たり前にダリルがかつて夢に見た姿とは似ても似つかない……尤も夢の中でどんな姿をしていたのかだって思い出せないのだけど、既視感の無さが不思議だった。
ヴォルデモートの記憶はダリルの内で微睡んでいる。この欠片が己の所有物へ格別の反応を示すわけではなかったが、しかし紙面に真実が記されているのならこの男が死喰い人であったことは間違いようのないことだ。きっと気に入りの部下だったろう男の写真を前に、ダリルは離人感さえ覚えていた。これがシリウス・ブラック――ダリルが常に気にしていた男、グリフィンドール寮生だったのに闇の陣営へ戻ってきた男、自分の未来かもしれないと思った男――だとは如何しても思えなかった。知らない人。自分とは関係のない人。
ダリルは糸のように細く長い息を吐きだすと、新聞を膝の上に置いた。
『例えばマリウス・ブラックは命を失い、アンドロメダ・ブラックは家族から見捨てられ、そしてシリウス・ブラックは友と未来を奪われた』
この人はグリフィンドールに組み分けられたことを如何思っただろう。友達はどんな人だったのだろう。今はダリルが過ごしている談話室で友との未来を夢見ただろうか。薄ら思い馳せてから、ダリルはふっと微笑った。父母があの男を嫌っていることやヴォルデモートの台詞から、本当は勘づいているのだ。ルシウスが収監を免れたのと同じに、その逆の例があったとて可笑しくはない。それでも他人だ。私には関係がないと、ダリルは心中で呟いた。どんな“魔法”を使って脱獄したかは気になるものの、腕利きの闇払い達に追われている以上じきに再収監となるだろう。そう結論づけると、ダリルは上体を捻って振り向いた。「ドラコ、ノックを置き忘れて来たんじゃない?」
ダリルは椅子の座面に膝を乗せて、背もたれに寄りかかる。「したさ」妹からの非難にドラコは澄まし顔で返した。「部屋を出たとき思い出したから、忘れないよう先に叩いておいた」バタンと乱暴に扉を閉めて、大股で近づいてくる。
「ああ、お兄様ったらなんて賢いの」ダリルは称賛を吐き捨てた。「今度は私達の部屋の距離についても思い出せると良いわね」
二人の部屋は玄関ホールに繋がる階段を挟んで真逆の場所に位置している。例えドラコの言う事が嘘でなかろうと、ダリルをからかっているのに変わりはなかった。ダリルがプリプリと怒るのにドラコは笑っていたが、その手の中にある新聞へ気づくと顰め面になった。
「勝手に新聞を取り寄せたりして、父上にバレたら叱られるぞ」
「そうね。お父様は童話と教科書を読むだけで魔法省大臣になれると思っているんだわ。椅子を出させる?」
ドラコは人差し指を立てて左右に振った。「良い。あいつのことだ、僕をジョッキの上へ座らせようとするぞ」どすんとベッドに、ダリルの掛けている籐椅子の向いへ腰掛ける。ダリルも膝を下ろして座りなおした。新聞を畳んで、膝の上に戻す。
「そんなことないわ。貴方の使い方が悪いだけで、面倒くさがらずにきちんと命令すれば、厄介なんて起こさないのよ」
「そうだな。お前がどうやって新聞や手紙を手に入れてるか説明したら、きっと父上もキィーリレルを馬鹿にしなくなるだろう」
「別に、お父様だって薄々気づいているでしょうよ――その、キィーリレルの有能さには」ダリルは意地悪く笑うドラコを睨んだ。
地下牢の軟禁房――ダリルやドラコが入れられるために他の牢よりマシな作りになっている――には「自由自在に屋敷僕妖精を呼びだせたのでは罰にならない」との理由から屋敷僕妖精除け魔法が掛けられている。ダリルが“地下室での素敵なバカンス”を謳歌しているからといって機転を利かせるキィーリレルではないし、藁にも縋る思いでドビーを呼んでみるも反応があるはずもなく、ダリルの運命は勉強机の上に晒され続けた。刑期を終えるなり部屋に飛び込んだダリルを待っていたのは手紙の束を見せびらかすドラコだった。
両親に見つかるよりはずっとマシだったが、それでもドラコに何もかもを知られてしまったのは大痛手だ。嫌味っぽく差出人を読み上げるドラコからは「夏季休暇の間だけでも僕の機嫌を損ねずにやっていくことは出来ないのか」と呆れられてしまったし、それ以来ダリルが机に向かっていたり、手紙を読んでいるだけで顰め面を作ってくださる。でも、ハーマイオニーと一緒にマグルの街へ行ったのさえ許してくれたじゃないか。ハリーとのやり取りが続いているのだって知っている。そうしたらフレッド達と手紙をやり取りしているのだって見当はつくだろう。夫の不貞を見つけた妻のような顔で口を噤むドラコを見るにつけ、ダリルは片割れが何に不貞腐れているのか分からなくなる。
まさかセドリックからの手紙でも見られたのではと青くなったり赤くなったりしたが、ドラコから渡された束のなかにセドリックからの手紙はなかった。毎日送ってくれてたのに、浮気だろうか。ドラコとの間にある気まずさもそっちのけでセドリックのことを考えだした翌日「イタリアの親戚のところへ行ってきた」と珊瑚つきの手紙が届いた。ドラコに交際がバレたわけでも、セドリックが浮気をしたわけでもないようだとダリルは平らな胸を撫で下ろした。念のためイタリアへはどの程度逗留していたのか問い詰めてみたら「これが束縛かあ」と返ってきたので、ダリルは尋問を中断し、自分が如何に心の広い少女であるか熱心に説明しなければならなかった。
大体ダリルの異性交遊を知って、シスコン(とダリルは思っている。実際ウィーズリー家のサバサバした兄妹仲を鑑みるに客観的事実だろう)を患っているドラコが騒ぎ立てないのは可笑しい。ダリルがドラコ宛ての恋文を見つけた日には差出人の元へ行ってドラコに対する想いの強さ等を確かめるだろうし、自分のお眼鏡に適わなければ全身全霊で引き裂いてやる。ドラコと相手が両想いでも知ったことではない。勿論ドラコを独り占めしたいからなどという俗な理由ではない。自分の妨害工作に屈する程度の軟弱な気持ちでは、ナルシッサ似で気の弱いところのあるドラコを支えることなど到底無理なのだから、早々にダメになっておいたほうが良い。
「有能ねえ」
ダリルの恐ろしさの半分も理解していないドラコはいつものようにペラペラと無駄に滑りの良い舌で妹を小馬鹿にしている。
「キィーリレルが有能かという哲学的命題は脇に置いておくとしても、キィーリレルがお前に似て学習能力がないのは明らかだ。そんなお前が何を読もうと、魔法省大臣になんかなれっこないんだ」両手を広げて肩を竦める。無意味に人を苛立たせることに掛けてはプロフェッショナルのドラコだが、耐性のあるダリルはドラコの体調確認にまあ使えるかな程度にしか受け止めていない。
いつもは「はいはい」とやり過ごすか乗っかってくるダリルが無言で見詰めてくるので、ドラコはきょとんと小首を傾げた。
「如何した。……まさか本気で魔法省大臣になろうってんじゃないだろう?」訝るドラコへ否定を返そうとした瞬間、ダリルの足元をびゅっと白い線が掠めて行った。ドラコがくぐもった声を絞り出して、視界から消えた。ブンブンと目の前で回る尻尾。
「フロー、止めなさい!」
静止の言葉とは裏腹に、ダリルは籐椅子ごと後ろに下がった。
「お前に乗っかられたらドラコが潰れるでしょう!」
汚れたスニッチを咥えたフローの下から、ドラコが顔を覗かせる。「お前は僕をなんだと思ってるんだ!」自分の体をシーツに縫い止めようとじゃれてくるフローを押しのけて、無理に上体を起こした。しかしフェンリールと共に山野を掛けていただろうフローに温室育ちのドラコが勝てるはずもない。ドラコの努力はフローの前足一本で水泡に帰した。
「いいか、モップ」押し倒されても尚偉そうなのはドラコらしい。
「モップ、今日はクィディッチはなしだ――おい、唾液だらけじゃないか」ドラコは胸に落としたスニッチを払いのけた。またキィーリレルを呼びだしてシーツ交換をさせなければならないのかとダリルは眉を吊り上げた。魔法が使えたら、あのスニッチを消してやるのに。
「モップじゃないわ」ダリルはベッドサイドに置いてあった杖を手にとってフローを示した。「フローだって、何度も言っているでしょう」
「モップ止めろ!」ドラコがはしゃいだ声を出した。「後で構ってやる! だから、大人しくしていろ」ハッハッベロンベロン。潔癖なはずのドラコが、顔をなめ回されているのにブチ切れない。ダリルがなめ回したら絶対に怒る癖に、犬の分際で生意気な。ダリルは唇を噛んだ。
不意にフローが顔を上げて、新聞にしわを作る作業に勤しむ主人(仮)を見つめた。ダリルと目があった瞬間ふんと鼻を鳴らす。フローと共に暮らすようになってから薄々気づいていたものの、嫌われているようだ。フローは器用にダリルを小馬鹿にしてからドラコの首元に鼻づらを埋めた。「おい、やめろ、くすぐったいだろう」ダリルの頭の中でプツンと何かが弾ける音がした。雄の癖に、性別どころか種族さえ違うくせに、血縁でもない癖に――ダリルは新聞を引きちぎりかけたが、僅かな理性に引き留められた。否フローの側頭部に杖を突きつけたのを思うに残っていたのは理性でなく損得勘定だったらしい。フローの下にいるドラコが顔を引きつらせた。
「フロー、退きなさい」ダリルは冷えた声で威嚇した。「“それ”は私ので、貴方は私のペットよ。さっさとドラコの上から退きなさい」
小娘の脅し如きに動じるフローではないが、杖の威力は思い知っている。フローは黒い瞳を細めて僅かに逡巡させると素直にベッドから降りた。「ハウス」ようやっと己に従ったフローへダリルは右方を指して見せた。「聞こえなかったの? ケージへ戻りなさい」
「お前、自分で拾ってきたんだろう」
フローが衝立の影へ消えると、ようやっとドラコが口を開いた。「そんな横柄な態度だから、いつまでもモップが懐かないんじゃないか」
違うわ。フローは大好きなご主人様を馬鹿にする私を嫌っているだけなのよ――と本当のことを言ってやるわけにはいかない。ドラコやナルシッサには、フローはダイアゴン横丁で行き倒れていたのだと説明してある。ルシウスの言うとおり真実を知られたとて何の問題もないのだが、やはりドラコの前ではグリフィンドール寮生らしい……暗いものを許容出来ぬ我が儘な妹でいたかった。
ダリルは困ったように微笑する。「そりが合わないみたいね」
「合わせる努力をしろ」ドラコがぴしゃりと正論を口にした。「それに、僕はお前のものじゃないぞ」
「ええ、勿論ですとも。でもフローよりかは権利も可能性もあると思わない?」
まるで悪びれる様子もなく問いかけると、ダリルは椅子を元の位置に戻した。ぼすんと乱暴に腰を下ろす。
ドラコも乱れた衣服を直し始めた。妹の無礼な物言いへ一々突っ掛っていたら、世界が滅んでもまだ余りあるほどの時間を要さねばならないだろう。「ドラコ、聞いているの?」可愛らしく口を尖らせて見せても、傲慢さは誤魔化せない。ドラコはため息を零した。
「ちょっと黙っていてくれ。今、馬鹿に刃物という言葉の意味を考えているんだ」
ダリルの頬に赤みが差した。「私……私、そんな振り回したりなんかしてないわよ」もごもごと舌の上で言い訳を転がしながら、ダリルはポケットに杖を仕舞った。手持無沙汰になった右手も使って、左手へ収納されていた新聞を広げる。しわの入った紙面をパンと引っ張った。「……あら嫌だ。ドラコ、スリンクハード氏が死亡ですって」ダリルはくしゃくしゃの新聞の一面を捲った――否正確には捲ろうとした。
「ブラックいまだ逃亡中……」ドラコの落ち着いた声音が見出しを読み上げる。ダリルは空になった手でドラコの手を抓ろうとしたが、すんでの所で避けられた。「馬鹿の上に鳥頭だなんて、そんなに欲張って如何する。フロバーワームにでもなりたいのか?」
ダリルは聞こえないふりでやり過ごすことにした。「私、まだ読んでたのよ」
「後で読んだらいい」ダリルの抗議を適当に流すと、ドラコは草臥れた紙面から目元を覗かせた。自分と同じ色をした瞳が悪戯っぽく輝く。「魔法省はせめてマグルを二三人殺すまで、奴を放っといてやるべきだな」ゆるやかに弧を描く口元が見えるようだった。
「言っておきますけど、国際魔法戦士連盟は何もブラックがマグルを突っついてくれるのを期待してるわけじゃないのよ」
省内の責任の所在が定まったら、今度は国際機密保持法を理由に騒ぐ人々を静めるための会見を開く開かないで揉めているのだから如何しようもない。上層部がこんな調子では闇祓いが如何に優秀だとしてもブラックが捕まるまでにかなり掛かるのではなかろうか。今はそうでもないが、かつては魔法省大臣になるためには十代遡れることが絶対条件であった。純血一族の者だけが役職についていた時代もあった。魔法省の内部事情を聞いて育てば彼らが有事の際如何動くのかは大体の予想がつく。それはドラコも一緒だ。
「分かってるさ。でも国際魔法戦士連盟を突っついてる人のなかにはそう言う人がいるだろう……父上の他にも」
チェスを指す側の人間で、一刻も早くブラックを捕まえなければならないと思っているのが一握りもいないだろうこと――この騒ぎに乗じて己の欲を通そうとする者がどれだけいるか、その筆頭を父に持つダリルは額を押さえた。きっとダリルが自室軟禁罰を命じられていた間に色々と聞かされたのだろうドラコが楽しげに微笑った。ダリルはドラコのつむじへため息を吐いた。
ダリルに純血主義者とマグル擁護者のどちらがより罪深いか議論する趣味はない。ドラコがハーマイオニーについて言及し始める前に話題を変えてしまおう。ダリルはドラコが抱え込んでいる新聞に人差し指を掛けて引っ張った。「正直、大臣はちょっと素直すぎるわ」
脈絡のない台詞から妹の意図するところを読み取ったドラコは皮肉っぽく笑う。「お前に言われるなら大したもんだ。さっきの台詞は訂正しよう、」お前でも魔法省大臣になれるかもしれないなと続けるはずだったが、ダリルに睨まれたので中断させた。ドラコはわざとらしい咳払いをしてからちょっとも乱れていない襟を正す振りをした。「まあ、僕もそう思わないではないな。一言多いんだ、ほら」
ドラコはダリルにも見えるよう新聞を差し出した。『まあ、はっきり言ってこうする他なかった――賢明な方々であれば当然お分かり頂けるものと思ったのですがね』挑発的な台詞をドラコの爪がトンと叩いた。「典型的なレイブンクロー気質だよ。冷静さが足りない」
「それにダンブルドアの言い成りだ。マグルの首相へ伝えたのだって、あいつが提案したんだろ」
「大臣がお父様にそう仰ったの?」自分の知らない情報をちらつかされたのにダリルが食いついた。しかしドラコは頭を振って否定した。
「否、父上は反ダンブルドアだ。幾ら何でも父上の不興を買いかねないことまでベラベラ言いはしないだろう。そんな機転も利かないんじゃ、奴が大臣職につけた奇跡をイギリス魔法史に刻んでやるべきだな」
ドラコは薄い唇を歪めてコーネリウス・ファッジのダンブルドア・コンプレックスを嘲った。
「どうせならオシメまで変えてやれば良いのに、中途半端なアドヴァイスだけで放り出すなんて無責任じゃないか?」
ダンブルドアシンパを知人に多く持つダリルとしては返答の難しい問いだ。ダリルは肩を竦めた。
「……大臣って仕事はある意味中間管理職ですもの」ドラコから投げ渡された新聞を畳んでポケットにしまう。「今回はマグルの首相へ伝えたかどで責められてるけど、教えなかったらもっと酷いバッシングを受けたでしょうね。何だかんだ言っても、混血の人達は多いわ」
「ああ。非差別主義者共は小うるさいからな」ドラコは立てた膝を抱えて顎を乗せた。「父上が“個人的に”誰かと仲良くするのさえ気に食わないらしい」拗ねたようにぼやくドラコにダリルは今朝のルシウスの台詞を思い出して苦笑した。
『明日の日刊予言者新聞を楽しみにしていると良い。親しくもない国際魔法戦士連盟理事数人と楽しげに会食する私が見れるぞ』
ブラック脱獄とは無関係な一記事として掲載されるのだろうが、ルシウスを悪人として認識している人は多い。理事数人がルシウスと通じているというだけで国際魔法戦士連盟の主張の正当性を疑う者は増えるだろう。大方魔法省側が議席か何かと引き替えに、連盟へ折れてくれるよう持ちかけたのに違いない。イギリス魔法省では他国のそれに比べて新しい法律が可決されることが少なく、また近年では混血・マグルにメリットのない法律はウィゼンガモット最高裁事務局に提出した時点で突っ返される。国際魔法戦士連盟に純血主義者が多いわけではないが、混血やマグル生まれにもマグル優位の現状を不満に思う者は少なくない。要するに自分の欲を通すためにマグルなんかの機嫌を伺うのは嫌だと思っている人は割りにいる。たまたま国際魔法戦士連盟理事にその内の一人がいるに過ぎない。
不当な言い掛かりをつけられた魔法大臣は有権者からの同情を得られるし、国際魔法戦士連盟は「我々が浅慮でした」と言わずに済む。ルシウスはまあ……今のところ欲しいものもないだろうから、両方に借りを作れると言ったところだろうか。
「まあお父様のお友達が増えるらしいことは脇に置いても、人の上に立つのって面倒なことだわ」
「他人を悪役に仕立て上げることで好きに同情票を集められるんだ。良いじゃないか」
仕立て上げるも何もお父様は産まれた時から悪役じゃあないの。幾らダリルでも心からルシウスを尊敬しているドラコ相手にそう笑い飛ばすほど無神経ではない。「お父様はそういうお役目が好きなのよ」ダリルは膝の上で指を組むと曖昧に微笑んだ。
「ウィーズリーの小父様がいなくって苛々してたとこですもの。逆に国際魔法戦士連盟を突っついて遊ぶ機会が出来て良かったじゃない」
そういう問題じゃないだろうとか、お前は父上を何だと思っているんだとか返ってくるものとばかり思っていたので、奇妙な間が生まれたのにダリルは目をぱちくりさせた。ねえドラコ如何したのと問おうと口を開いたが、その台詞は背後から聞こえてきた声に遮られた。
「お前達は自分の父親を猫か何か、ふわふわの悪戯っこのように思っているらしい」
ダリルがピシリと固まった。ギギギと錆びた首を無理に動かすと案の定、冷やかに自分を見つめる父親と目があった。お父様いつから聞いていましたの。新聞を持っているところは見ていませんわよね。部屋にいらっしゃるならノックをして下されば良いのに。ダリルはパクパクと金魚のように口を開け閉めした。娘の動揺を見て、ルシウスが低く喉を鳴らして笑う。悪趣味だとダリルは思った。
「お前達は寄ると触ると親を小馬鹿にし始める」
「僕はそんなことしませんよ」ドラコがキッパリ断言した。「父上の悪口が趣味なのはダリルだけです」
妹を、売るなんて。ダリルが否定の声を上げるより先にルシウスが頷いた。「その程度のことは知っている。ナルシッサがお前達の区別がつかんと言う時期があったが、私に掛かっては容易いことだった。うっかりやらかすほうがドラコで、面白半分で“仕出かす”ほうがダリルだった。そうでなければ私の櫛の歯をそっくり松葉に変えようなどと思い付くはずもない」ダリルは耳まで真っ赤になった。
「でもお父様」ドラコが噴き出すのを背に感じながら、ダリルは果敢にも反論に出た。「松脂は毛髪に良いと聞きますわ」
「なるほど。それを四歳の頃既に知っていだのだとすれば、お前の魔法薬学の成績についてセブルスを問い詰めねばならん」
「面白半分です」
「よろしい」ルシウスは杖をトンと突いて満足そうに頷いた。
背後からバフバフ聞こえてくることから察するにドラコが笑い転げているのだろう。ルシウスが出ていったら即ドラコの部屋に掛け込んで、先月の誕生日に貰ったビクトール・クラムの模型を松脂だらけにしてやる。大体今日は帰りが遅くなると明言していた癖に、なんで家にいるんだ。ダリルが壁の掛け時計に視線を滑らせると、まだ昼前だった。「お父様、お出かけになるんじゃあありませんの」
「今から出るところだ」
「ノックは」
「したとも」ルシウスが澄まして言う。「書斎を出たところで思い出したから、その場で済ませておいた」
よっぽど「如何したの、嬉しくないのかしら? 容姿以外似てないと言われ続けること十三年、やっと血の繋がりが証明されたじゃあない……屁理屈のごね方がお父様そっくりだわ」と言ってやりたかったが、生憎ドラコはベッドの上でゴロゴロしている。
何故いつもこうなのだ。ルシウスは「面白半分で仕出かすほうがダリル」などと言うが、正確には「面白半分で仕出かしてもバレないのがドラコ」と言うべきだろう。確かに松葉はダリルが発案者だ、それは認める。しかしルシウスの育毛剤を糊に変えたのはドラコである。あとルシウスの鏡に「ひたいのひろさはかしこさのあかし」と落書きを仕出かしたのもドラコだ。ダリルはドラコの罪を引っ被ってやったに過ぎない。ルシウスとナルシッサはドラコのことを手のかからない良い子と思っているらしいが、単に足のつきそうなことを仕出かさないだけだ。「ダリル」悶々と過去の悪行を振り返っては要領の良い兄を呪っていると、ルシウスから呼ばれた。
聞こえないふりをしたいと切に思ったが、やはり父は怖い。ダリルは粛々と返事をした。
「夕食後に書斎へ来なさい。お前が私を何科の生き物と思っているのか確かめねばならん」
「では、また後でな。毛糸屋へ顔を出してくる」
そんなの後回しにしなくたって今ここで聞けばよろしいじゃありませんか――ダリルが言い返すより先にルシウスはぱっと姿現しで消えてしまった。言い逃げだ。扉を閉めるべく仏頂面で立ちあがったダリルだったが、「今日の父上は随分機嫌が良いな」という呑気な台詞に自分に課せられた使命を思い出した。ビクトール・クラムに何の恨みもないが、彼の箒を松葉製に変えてやらねばならない。
七年語り – LULL BEFORE THE STORM