七年語りLULL BEFORE THE STORM
27 知らない誰か

 

 いつか人を殺した咎を受けるのだろうかと悩んでいたのもどこへやら、万引き犯などと言う小悪党に成り下がってしまった。
 ダリルは自嘲気味にそんなことを考えた。

 ダリルは万引きを殺人よりも軽い犯罪として見ているし、実際問題弁償や返金で片のつく万引きが償い様のない殺人と比べて重いと見ることは難しい。検挙数の多さ、衝動を思い留まるに足る時間的猶予の欠如、また人命に関わらないこと等を加味した結果、行政としても処罰を軽くせざるを得ないのに違いなかった。とはいえ殺人も万引きも、人の生活へ害を及ぼす犯罪行為であるのは言うまでもなく、それを証明するのに行政の如く罪の重さを客観視する必要はないだろう。
 被害の大きさを真剣に受け止める人々により様々な対策が講じられているにも関わらず、邪心とポケット一つ有していれば誰でも行える気軽さから万引きへ手を染める者は後を絶たない。それは由々しき事態であり、軽視するに不相応な現実だった。
 倫理観に乏しいダリルもその程度は理解している。傷つく人がいるのなら、その罪に重いも軽いもない。職業に貴賤はない。いやそれは大分違う。この件とは無関係な成句だ。兎に角冷静な判断力があれば幾らダリルとはいえ罪の比重に等囚われはしないはずだった。
 要するに困惑していた。

 想定外の罪を犯してしまったという動揺からダリルは――いつか人を殺した罪に問われるだろうとは思っていたけど、その前に万引きの罪に問われることになろうとは――などと、罪の高低を決めつけていると受け取られかねぬ自嘲を心中で繰り返していた。
 いつか犯すだろうと予感していた罪よりも、突如出くわした罪のほうが余程重い。罪を客観視するつもりはなく、公になっていないだけで今までにも到底己の命でさえ償い切れぬ罪を犯してきただろうし、これからも繰り返すだろうとは覚悟していた。でもそれは“一応”ダリルのなかでは意義のあることであって、まあ被害者からすれば意義もへったくれもないだろうが、まあそれは一旦脇へ置いておこう。ルシウスの罪さえ許容し始めたダリルにとって、最早世間一般の価値観に止まり木がないことなど明白だ。故に彼女は罪の大小以前に、無意識の内に人の気持ちや生活を損ないかねない行為を仕出かしたのが大変に屈辱だと思っていた。自分の間抜けさが嫌になった。

 親であるルシウスの下にも、またヴォルデモート卿、ダンブルドアの庇護下にもダリルの望みは存在しない。ダリルが自分で考えて、自分でやっていくしかないのだ。なのにうっかり未精算の商品を持ち帰り、危険を冒してダイアゴン横丁へなど来る羽目になった我が身が恨めしい。如何してこうもスマートに出来ないのだろう。ああ、もう、もっと頑張らなければならないのに、根性も知力も体力も足りない。
 ぐーるぐると考えてるのを、鼓膜に響く低音が引き戻す。むずかしいかおをしている。ダリルはレモンクリームタルトの上に繁るレモンバームの鮮度を推し量るのをやめ、木製のテーブルを挟んで向かいに腰掛ける男へ笑いかけ――頬の筋肉を奇妙に引きつらせた。
「その、日差しが……」ダリルはこの良き日にクリームが白くない理由を思い出した。「夏陰の暗さと日差しの白さが眩しいんです」
 キングズリーは「そうか」と真っ平らな声音で頷いた。ルシウスのように語りはじめるでも、セドリックのように話を掘り下げるでもなく、結露して涼しげなグラスを手に取る。ダリルも何とはなしに頷いてから、フォークを手に取った。食欲はない。しかし出会って間もない相手との沈黙は気まずいものだ。ダリルは薄赤いクリームへフォークを入れ、タルトの先を切り取った。
 もそもそと適当に咀嚼して飲み下す。舌の上を厚ぼったく過ぎていくだけで、味がよく分からない。緊張しているのだろうか。ダリルは二口目のタルトを頬張った。ゆっくり咀嚼する。キングズリーは冷たい魔女かぼちゃジュースの入ったグラスを置いて、サンドイッチを食べ始めた。丁度昼食時だ。ダリルも何かお腹にたまるものを取ったら如何だと勧められたのだが、そもそもキングズリーと共にカフェへ入るというだけで気が重く、固形物が喉を通る気がしない。紅茶だけでと言ったのを、無理にケーキセットにされてしまった。漏れ鍋でのたうち回っていたのを「発作が」とか「貧血で」とか滅茶苦茶な言い訳で誤魔化したダリルも悪いのだろう。注文した品が運ばれてくるまで、成長期にあるのだからなるたけ栄養を取るよう諭された。ダイアゴン横丁では初対面の大人と子供がカフェでお茶をするのが珍しくないのか、はたまた雑談に夢中で周りのことなど見ていないのか、各々の話題で盛り上がっている。
 ダリルはフォークを置いて、天を仰いだ。鮮やかな赤に店名の染め抜かれたパラソルが日差しを遮り、褪せた影を落としていた。

 キングズリー・シャックルボルト――死喰い人たる父の敬遠する闇払いとエンカウントした“遠因”は、ダリルが思っていたより呆気なく片が付いた。本人に盗むつもりがなく、また弁償しに来ているので、魔法警察部隊に引き渡されるはずはなかろうが、未精算のものを持ちだして使っている以上万引きであるのに変わりはない。店主の反応が厳しくとも甘んじて受け止めねばならない。ダリルは道々キングズリーへ事の仔細を説明しながら、緊張した面持ちでオリバンダーの店の扉を潜った。しかしダリルの不安や意気込みとは正反対に、オリバンダー老人の反応は異常なほど淡泊だった。慈悲深いとかそういうのではなく、殆ど無関心だった。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店が万引き犯を殺害するか否かのラインで頑張っているのをよそに、オリバンダー老人は万引き対策の“ま”の字さえ思い浮かべたことがないのだろう。まあ杖って万引きしにくいし、生涯の内一本あれば良いのだし、万引き対策するまでもなく万引きされることもなさそうだ。
『まあ万引きにならず良かったじゃあないか。そそっかしいのは勿論褒められたことではないが、大体の場合は罪に問われない』
 慰められてるのか貶されてるのか。表情の少ない顔と起伏の少ない声音からキングズリーの感情を読み取るのは難しく、かといって嫌味を言うタイプでないだろうことは察しているため、ダリルはこの男を苦手な人リストに追加することを決めた。

 キングズリーに比べるとまだオリバンダー老人のほうが分かり易いのではないかとダリルは思った。
 ダリルが事の経緯を説明すると、オリバンダー老人は「今後一切の出入りを禁じられる」とは言わず、「その杖が売り物になる日がくるとは思わんかった」と感心したような台詞を返してきた。ダリルのうっかりを責めなくて良いのだろうか。今度から気を付けるように言わなくて良いのだろうか。まあオリバンダーの店など生涯に二度三度訪れれば良い場所であるのだし、これからダリルのうっかりで被害を受けることがない以上関心がなくて然るべきなのかもしれない。怒られないのもそれはそれで寂しいな。
 ダリルが悶々と考えている内にオリバンダー老人は二つの杖の内どちらが祖父のものか見分け、その違いを説明してくれた。
 尻尾のところに少し亀裂が入っていると、ひびの入った爪で尻尾のあたりを示されても、ダリルにはよく分からなかった。参考までにキングズリーの意見も聞こうと振り向いた途端、所用とか何とかいって店を出て行った。
 本音言うとそのまま所用に没頭して下さっても良かったのだが、キングズリーは清算の終わる頃ちゃんと戻ってきた。そう暇でもないだろうに、初対面の子供にも無駄に律儀である。別にキングズリーが嫌いなわけではない。闇祓いとお近づきになりたくないだけだ。

『箱にヒュペリオン・マルフォイの杖とでも書いておけば、暫くは間違えませんな? 少なくとも災厄が飛び出すまでは』
 悪戯っぽく笑うオリバンダー老人に、ダリルは口を尖らせた。「パンドラのほうが私よりずっと綺麗ですもの。飛び出したって、大したことはないだろうって思う事にします――今度は」と負け惜しみを零す。なんだか空回っているように思った。勿論自分で謝罪しにこなければ気が済まなかっただろうが、それでも仮眠を取ったり、ハリーの家へ行ってから来るんでも良かった気がする。そうすれば少なくとも闇祓いと顔見知りになることはなかっただろう。自分の不注意が引き起こした事だと理解しているから尚のこと苛立つ。そして眠い。
 ふらりとよろけたからか、それとも眠そうだと思ったからか、オリバンダー老人は隅にある椅子を呼び寄せてダリルへ座るよう促してくれた。万引きで謝罪しにきて気遣われる不思議。今回はとりあえず件の杖の買い取りで許して貰えたけど、今後はこういうことのないように気を付けよう。意図せずして罪を犯すのは馬鹿らしい。ルシウスは普段からアーサーやら自分の気に食わない相手への嫌がらせが酷いものの、ダリルのようなうっかりはしない。その差は“大人だから子供だから”で片付けてはいけないように思った。
 まどろみ混じりの取り留めのない思考へオリバンダー老人の声が混じってくる。杖は一つ一つ違う杖芯を用いて作られるものじゃよ。杖芯には多く魔法生物の一部が使われるが、魔力を帯びておれば何でも良い。例えば一括りにフェニックスと言うても、性質は個体ごとに違う。気性の荒いもの、大人しいもの……魔法使いと同じく、まるきり同じということはない。樹木とて育った場所によって形を変えるものじゃ。わしら杖作りは呪文を要さぬ魔法の形を知らねばならん。同じ杖芯を持つことさえ稀有なのじゃ。同じ杖など一本としてない。オリバンダー老人は色々と興味深い話をしてくれたが、うつらうつらと舟を漕ぐダリルの思考に留まるものはなかった。
 眠ったわけではないから「さて、杖を振ってもらえますかな」と言われたのに飛び起きたけれど、授業中の転寝を指摘された生徒のようなダリルの反応はオリバンダー老人に笑われるだけだった。ダリルは腕時計の針と口元とを確認すると、きまり悪そうに立ち上がった。
『さて、さて、黒檀に何かの破片、長さは三十センチ。振り応えがあり、どういう杖なのか分からんところが特徴と言えば特徴か』
 祖父の杖と全く同じように見える杖をオリバンダー老人から受け取る。オリバンダー老人に分からんと言われる杖って、一体。釈然としない気持ちのまま杖先を躍らせると、パッと火花が散り、溶けるや否や銀色の欠片がパラパラと降り注いだ。
 ダリルもよくわからないのだが、この杖がダリルの杖になったと認識して良いのだろうか――弁償とか万引きとか無関係に。
 パンパンと緩やかに手を打ち鳴らすオリバンダー老人がしみじみと口にした。「若気の至りで杖芯の切れ端を纏めて入れたこともあったが、まさか主人が見つかるとは……」どうも、ダリルの杖は何が何だかよくわからない余りものらしい。半端者の自分に相応しいと言えば相応しいが、もっとこう、他人様へキッパリと告げられるような杖芯が良かった。ドラコの杖芯はユニコーンのたてがみだ。
 若気の至り、この老人にも自分と同じころがあったのか。なにやら自分の杖が若かりし頃のやんちゃの産物らしいことから目を背け、さーて帰って寝るか! 更なる面倒が待ち受けてないと良いな! と清算してる最中にキングズリーが戻ってきた。

 オリバンダーの店を出た流れでカフェに入り、今に至る。

 忙しいはずの闇祓いが何故殆ど初対面の子供と昼食を共にしているのだろう。ダリルは紅茶についてきた角砂糖三つをすっかり溶かし終えると、温い紅茶風味の砂糖水で唇を湿らせた。今日は随分と紅茶運がないらしい。尤も不味くしているのは他ならぬダリル自身ではあるのだが、紅茶は単に美味しく飲めば良いというものではない。一緒に呑む相手とか、天候、自分の心持等が大きく関わってくる。ダリルは琥珀の水面を覗き込んだ。ちょっとの茶葉さえ沈殿していない。ティーバッグだ。隣国では良い茶葉ほどティーバッグへ回してしまうと言うが、この際紅茶の味など如何でも良い。茶葉が存在していないのが不服なのである。ダリルは自分の思考回路が睡魔に蝕まれ、幼くなっているのを自覚した。睡魔に蝕まれてなくとも直情的で幼い気がしたが、まあ現状よりはまともであるはずだ。そうであって欲しい。
 ダリルがタルトと紅茶で沈黙を紛らわしている内にキングズリーは粗方のサンドイッチをやっつけ終わっていた。ナプキンで手を拭ってい、懐から取り出した懐中時計を覗き込む。ダリルはティーカップをティーソーサーの上に戻した。
「先ほどから時間を気になさっているようですけど、何か急ぎの用でもあるんじゃあないですか?」
「うむ」キングズリーはパチンと懐中時計の蓋を閉める。「まあ、全くの暇人というわけではないだろう」考え考え言っている風だった。
 キングズリーが全くの暇人でないことぐらい、ダリルにだって分かる。ダリルはちょっと眉間を寄せた。「じゃあ、初対面の女の子と昼食を共にするぐらいには暇人なんですか?」直球過ぎるように思ったが、思考回路の殆どが休んでいるのだから仕方ない。
 キングズリーと出会ってからほんの僅かな時間しか経っていないものの、彼が独特の間を持っているのを理解するには十分過ぎた。「君は随分と明け透けらしい」キングズリーが口を開いたのは、魔女かぼちゃジュースを一口飲んでからのことだった。
 ダリルは眉間のしわを深くした。明け透けなのはどっちだ。ダリルはまだキングズリーに「お節介な人」とか何とか言ってない。これで明け透けと言われてしまうのなら、ダリルはどの程度我慢しなければならないのだ。胃に穴が開いてしまう。
「いや気分を害したならすまない。侮辱する気はなかったのだが」
 フォローを入れてくるということは自分の不機嫌など疾うに見通されているのだろう。そう思ったものの、ダリルは一応頭を振った。自分に後ろ暗いところがあるから親しみを持てないだけで、そうでなければきっとこの男の実直さを快く思ったのに違いない。
 ダリルは俯いて、湖面に映る自分の顔を見つめた。キングズリーに指摘された通り、難しい顔をしている。頑なだ。ホグワーツでフレッドやジョージ、アンジェリーナ達と遊んで、笑い合っていたのが嘘のように頬を強張らせているとダリルは思った。ホグワーツへ入学する前に戻ってしまったかのようだった。二年前の夏、入学前に開かれたパーティでも水鏡に映る自分を見ていたように記憶している。
 あの頃の自分へ戻ってしまったのだろうか? 戻ってしまったのだと思う、“一人で如何にかしなくてはならない”と思い込む自分に。

 親であるルシウスの下にも、またヴォルデモート卿、ダンブルドアの庇護下にもダリルの望みは存在しない。じゃあダリル一人で何とかやっていけるのか。たった十三歳の、ついこの間やっと魔法の使えるようになった小娘が己の我を通しきれるのかと問えば、十人中九人が首を横に振るに決まっていた。残りの一人は楽天家だ。ダリル一人でやっていくなんて、土台からして無理な話なのだ。あのハリーだって、ハーマイオニーやロンと支え合っている。彼よりずっと能力的にも、精神的にも劣るダリルが如何して一人で何とかできるだろう。
 どこかで折れなければならない。誰かに話さなければならない。妥協を覚えなくてはならない。薄々分かってはいた。家族か、友達か、もしくは何かを諦めなくてはならない。そうして誰かに属するのだ。仮初めの従属では意味がない。ダリルの私的感情は余所に、自分の望みを叶える上で信頼に足るひとを見つけて、協力を頼むべきだ。すると今度はその誰かがダリルの話を聞いてくれるかが問題になる。
 感情的な不安と理性的な疑問が入り混じる。誰が何を考えているのか、何を目的としていて、ダリルを如何捉えているのか――人間関係を整理しなければならないと、ようやっと天秤を引きずり出してきたのに、そこへまた新しく闇祓いの知人なぞ加わってみろ。考えることさえ投げ出すのがオチだ。これ以上知り合いも、好ましく思う相手も作りたいとは思わない。
 要するにいっぱいいっぱいなのである。フレッド達から博愛家などとからかわれるが、ダリルはひょっとすると自分は本当に博愛家なのかもしれないと思っていた。また結局のところ自分が可愛いだけなのだろうとも思っていた。
 この苦しみが誰かに打ち明けることで楽になるのか、それとも喪失を招くことになるのかさえ分からなかった。とりあえず選択を迫られる、ギリギリのタイミングまで黙っていたかった。何もかも黙して、現状を維持したい。
 でも、それは多分子供の駄々なのだろう。

「相対的な感想に過ぎないのだが――君の分かり易いというか、明け透けな物言いが私の後輩に似ている気がする」
 キングズリーはぽつんと呟いてから、「彼自身とはさして親しくなかったのだけれど」と注釈を入れた。
 ダリルはティーカップと共に視線を上げた。表情は相変わらずよく分からないが、どこか遠くを見ているような茶の視線は慣れたものだ。ダリルを通して、いつかの思い出を見ている瞳。誰を探しているか分かるから複雑な気持ちになった。
 すっかり冷めた紅茶を一口飲み下してから、ダリルが口を開く。「シリウス・ブラックですか?」
 声を潜めずとも喧騒に紛れて人々の耳には届かない。それにシリウス・ブラックに関心があるのは何もダリルだけではない。テラス席にいる何人かは真剣な面持ちで法の在り方について話し合っていたし、そうでなくとも彼が今どこに潜伏しているのか憶測する声もあった。罪の重さに適うようならイギリス魔法界でも死刑を復活させるべきと熱く語る魔法使い達をキングズリーの視線がちらりと掠めた。
 シリウス・ブラックとダリルは髪色から性別まで何もかも異なっている。しかし純血一族生まれでグリフィンドールへ組み分けられたというそれだけで――もしくは出来損ないという共通点から――同一視されることが少なくなかった。ダリル自身がシリウス・ブラックと会った事がないので何とも言えない。しかしダリルとは全く違うタイプの人間だったのではなかろうか。
 ダリルはドラコの隣に映っている自分が黒く塗りつぶされてまでグリフィンドールに固執したいと、そうは思えなかった。
「聞き飽きていたかな」キングズリーはちょっとも表情を崩さないで頷いた。
「いいえ、私……私、その人の顔も碌に知りません」ダリルはテーブルに下ろしたティーカップを両手で包み込んだ。キングズリーの前にある空のグラスを見つめる。「確かに私はグリフィンドール寮に組み分けられましたけど、まだ他人を殺した事はないつもりです」
「しかしブラックがグリフィンドール寮生だったことは知っている」
 ダリルとしてはちょっとしたジョークのつもりだったのに、キングズリーは笑ってくれなかった。
「親戚ですもの」
「確かに」キングズリーが真顔で頷く。「親類がどこに組み分けられたかというのを、君達はとても重んじるらしい」
 ユーモアセンスがまるでないわけでもなく、頬が大理石で出来ているわけでもないらしい。社交辞令で笑うことが――否、場の空気を読んでお愛想笑いを浮かべるということが苦手なのだろう。キングズリーに似た人を思い浮かべようとしたが、誰の名も綴られなかった。ウッドかパーシーに似ているように思ったものの、ウッドのことはそう知っているわけではない。パーシはキングズリーよりも感情の起伏が分かり易い。キングズリーとパーシーが似ているのは口にする台詞の真面目さと、その実直さぐらいだった。
 キングズリーが再び黙し始めたのにダリルはフォークを手にしたが、すぐに下ろした。キングズリーがゆるゆると口を開いたからだ。
「ブラックは私の後輩だった」
 テーブルの上で手を組み、視線を落とす。

「賑やかな男でね。気の強すぎる嫌いがあったが、明るくて人気者だった。
 当然のように親しくしている相手もいた。私はその内の一人と親しかったのだ。彼はブラックとはまた違うタイプの男だった。人を惹きつけるのはブラックと同じだったし、多少、まあ、やり過ぎなところもあった。しかし私にとっては良い後輩であり、友人でもあった。気さくで誰からも好かれるような、そういう奴だった。二人は親友のようだったし、当人たちもそう思っていただろう」
 ゆっくりと、やはり感情の乱れの緩やかな声が、ダリルが知りたいと思った生身のシリウス・ブラックを語る。
 知りたいと思っていたことだったのに、何故知りたかったのか思い出せない。知らない方が良かったとさえダリルは思った。
「……終には違えてしまったわけだけれども」キングズリーは押し殺した声で話を結んだ。
「例のあの人に恐れをなしたのでしょう。さもなくば、やっぱり古巣が良かったんだわ」
 口にすると、己の台詞の無責任さが一層際立つ。シリウス・ブラックを知る人に自分が語ることなど何もない。また第三者たる自分が無責任にその善悪を語ったり、彼を否定してはならないはずだった。それでも否定してやりたかった。
 ダリルはカップの水面に映る自分を見つめながら台詞を続けた。
「貴方が如何いうつもりで私にブラックの話を聞かせるのかは知りませんけど――貴方も、その親友とやらも裏切られたのでしょう」
 罵りたいのはシリウス・ブラックではなかった。いつかハリー達を裏切る自分を非難したかった。そして未だに裏切りを認めるのが辛いと思っている人がいるのが羨ましかった。自分がシリウス・ブラックと同じことを仕出かしたら、誰が信じ続けてくれるだろう。今までずっとシリウス・ブラックに投影されてきて、自分でも彼に似たところがあるのだと思っていた。でも今のダリルには、自分がアズカバンに入ってから後も生身の自分を語ってくれるだろう知り合いを思い浮かべることは出来なかった。
 ダリルなんかより、シリウス・ブラックのほうがずっと優れていたのだ。きっぱりと家族を切り捨てて、友を選んだのに違いない。ダリルにはそんな選択は出来ない。マグルを殺した、ヴォルデモートの狂信者。そうなのだと心から思えたら、どんなに良いだろう。
「親しかった。そうかもしれない。子供の頃は、ホグワーツに守られている頃は絆を誓うことなんて容易だわ」
 でもシリウス・ブラックは貴方達を裏切ってマグルを殺したの。そう宣言してやろうとも思ったが、すんでのところで飲みこんだ。
「お父様もお母様もあの男が嫌いよ、でもそれはあの男がヴォルデモートに組みしていないからではないわ。あの男が愚かだからよ」
 ダリルはティーカップを傾けた。甘いような渋いような液体をこくこく嚥下する。ティーカップが空になった。

「君のご両親の動向を知りたいと思ったのは事実だ」
 キングズリーが静かに打ち明けた。
「しかし君に嫌な思いをさせるつもりはなかった。勿論尋問をするつもりもない」そう言って肩を竦める。
 尋問云々はジョークのつもりだったらしいが、ちっとも笑えない。ふと少し前のことを思い出して、ダリルが微笑んだ。まだ他人を殺した事はないという台詞に対して、きっとキングズリーも今の自分と同じように感じていたのに違いない。
 ダリルが笑ったのにキングズリーがほっと表情を和らげた。ような気がしなくもない。キングズリーは深呼吸をしてから視線を上げた。
「私の部下にニンファドーラ・トンクスという魔女がいる。――聞き覚えは?」
 相変わらずよく分からない間を置いてから、唐突な話題を落とす。
 多分に「知らない」と顔に記してしまっていたのだろう。ダリルの顔を見ていたキングズリーが苦笑した。何故笑われているのだと眉を寄せたと同時、ダリルの目の前にあるレモンクリームタルトの皿の横へ銀の塊がぱっと出現した。リス……の形をしている。
≪キングズリー! ご飯……食べてるかな? 食べてるよね? 休んでるとこ悪いんだけど、やっぱり戻ってきて。今度お昼奢るから!≫
 くるくると毛づくろいをするリスが若い女性の声を伝えるのに何人かの魔法使いの視線が集まったが、すぐに離れて行った。このリスが何の魔法によるものなのか分からないダリルは小首を傾げて、目をぱちくりさせた。
 リスが霧散するとキングズリーがため息をついた。「名前より先に声を覚えることになるとはな」そうしてまた懐中時計を取り出した。
「今の声がトンクス、君の母方の従姉ということになるようだ」
「……いとこ?」
 ダリルはきょとんとした。シリウス・ブラックから何故従姉の話になるのだ。ナルシッサから親類の話を聞かされたことやら、焼け焦げた写真やらを思い出して、それ以上何か言うことは出来なかった。「あの……ええ、アズカバンにいるのとそうでないのがいるのは……そのことは知ってました」考えてみれば従姉がいたとて不思議はないのに、今まで自分と同世代の親類がいるなどと考えたことはなかった。否キングズリーの部下というのなら、どの道五歳ほどは年上なのだろう。しかし従姉というだけで近しい感じがする。
「彼女は君のことを知っている」キングズリーは懐中時計を仕舞うと、代わりにポケットから羊皮紙の切れ端と羽根ペンを取り出した。さらさらと走り書いて、ダリルに差しだす。紙面には「ダイアゴン横丁水面荘三〇七号室 ニンファドーラ・トンクス」と書かれていた。
 ダリルは不格好な文字を気恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちで見つめる。
「年下の従妹がスリザリンから脱したらしいと吹聴……というほどではないが、私が君を呼び止めてお茶をするぐらいにはな」
 従姉――溌剌とした声音が耳朶に蘇る。きっぱりとした口調から、明るい人を想像していた。どんな人なのだろうとダリルは思った。こうして住所を教えてくれるということは、梟便を出して良いということなのだろうか。そうでないなら教えてくれはしないはずだ。

「他人のお節介だが、私とよりかは気が合うだろう」
 キングズリーが伝票を手に取って、席を立つ。歩きだそうとするのを、その袖はしを掴んで引き留めた。キングズリーが面食らっているが、ダリルも己の行動にたじろいでいた。「あの、」何故自分はこうも考える前に手が出てしまうのだろう。そんな風に悔やみながら言葉を続ける。「……私、シリウス・ブラックのことは何も知りません。知らないけど、でも、」
『例えばマリウス・ブラックは命を失い、アンドロメダ・ブラックは家族から見捨てられ、そしてシリウス・ブラックは――』
 もっと聞きたかった人がいるのではないかと思った。自分が不意に聞かされ、そして無関係だと流してしまった台詞が、誰かにとって大事なものだったのではないかと薄ら思う。黙していることで他人の気持ちを嘲笑っているようだとも思ったし、また語ることで踏みにじることになるのではないかとも思った。それだったらまだ黙っているほうが良い。語るべきだったのだと判明したら、語るつもりでいたのだと言い訳出来る。そういう考えは、なんだかとてもずるいし、それでストレスが貯まるなら語ってしまったほうがマシだ。
「シリウス・ブラックは友と未来を奪われたって、そう聞きました」
 キングズリーの表情に変化はない。喜びや驚きのない代わり、子供の戯言と見下す風でもなかった。
「きちんとした証拠はないわ。貴方も、きっと信じない。私をからかうための嘘だったかもしれない。
 でも貴方がシリウス・ブラックに裏切られたって思いたくないなら、少しは、一シックルぐらいなら、期待できるの……かも」
 とんでもない世迷言を告げている自覚から声が萎んでいった。やはり闇祓いとして働く人にこんなことを言うべきではなかったのかもしれない。誰から聞いたのだとか追求されれば面倒なことになるのだし、忘れかけていたけど、胸には闇の印がある。事の次第によってはルシウスが不味い立場になるかもしれない。そろそろと袖から手を離して、中腰体勢から立ち上がる。キングズリーの顔を見ているのが居た堪れなくなって、つま先を見つめた。緊張やらで冷え切ったからだにじわじわと陽光が沁み込む。暑い。
「なるほど、君への関心は実際私個人のものだ」結局最後までキングズリーの間の取り方に慣れることはなかった。「公的機関においては子供の証言は信頼性に乏しいとされる。故に闇祓いたる私にとっても、君の話は関心を持つに値しない」

 キングズリーはぽすぽすと、ダリルの頭を優しく叩いた。ダリルが顔を上げるとキングズリーは薄ら笑っていた。
「彼らの先輩であった私にとって、君との時間は一シックル以上の値打ちがあった」
 

知らない誰か

 
 


七年語りLULL BEFORE THE STORM