七年語りLULL BEFORE THE STORM
03 悪阻

 

 どうせなら頭をよくする呪いでも掛けてくれたらよかったのに――ダリルはルシウスの書斎から持ってきた本を覗き込んで唸った。

 ダリルは広いベッドの上に仰向けになって、本を読んでいた。天蓋の裏に縫いつけられたマルフォイの家紋が、掲げ持った本のページに覆われる。影が落ちて薄暗い視界のなかで、フルーパウダーのメカニズムについてという見出しだけがハッキリ見えた。キラキラとエメラルド色に輝く文字は、煙突飛行粉を吸った炎で書かれたように美しい。しかし今のダリルにはその色が憎らしく感じた。
「やっぱり、駄目よね」
 ため息がふーっと浅いものだったのは、端から然程希望を抱いていなかったことを意味する。
 眉間にしわを寄せて、ダリルは手に持っていた本を胸に伏せた。本は胸の上から滑り落ちたりはせず、机の上に伏せられたのと殆ど同じ安定を見せている。ダリルは顔を顰めた。去年からちっとも育ってない。いや、何がって、何も、別に何も意識していないけれど、ハーマイオニーには豊かにあってダリルにはないアレである。先ほどからずっとハーマイオニーのことを脳裏に思い浮かべていたため、某所の差異についてもパッと脳裏に思い浮かんだ。ダリルは本を下にずらして、例の部分に手を当ててみた。
「やっぱり駄目ね……!」
 小さく呻く。

 フルーパウダーといい、この部分といい、本当に苛立たしい。否一番苛立たしいのはヴォルデモートだ。あんな呪いさえ刻まれていなければ、どうやって漏れ鍋に行こうか悩む必要もないのだから、ヴォルデモートが悪いに決まっている。自分の胸部は何も悪くない。ジニーに負けそうなのも、お腹を壊すぐらい飲んだ牛乳が無意味に終わってしまったのも、ヴォルデモートが悪いに決まっている。そこまで考えて、ダリルは酷く傷ついた気持ちになった。チョウ・チャンの胸、大きかったな……。セドリックの友人からの要らない情報を思いだし、ダリルは表情を暗くする。胸のサイズは大きいほうが好みかと問うた手紙の返事は、未だない。勿論その手紙の宛先はセドリックだ。彼の家はウィルトシャーに位置するマルフォイ邸からロンドンを挟んで反対方向にあるが、通常半日程度で手紙が届く。故に二日も三日も返信が届かないのは、セドリック本人に手紙を書く気がないからなのだ。胸が豊満でないのは、そんなに罪なのだろうか。
 まだダリルは十三になったばかりだし、その内育つに決まっているが、もしもということもある。その“もしも”に備えて、最後通牒前にワンクッションのつもりで送った手紙――じわじわとサブリミナル的にセドリックの好みなどを塗り替えていこうと、ない知恵を絞った結果の産物だったのだが、どうも上手く行かなかったらしい。

 付き合い初めて一ヵ月程度で、もう他の女に浮気なの……! そんなことを思って、ダリルは泣きそうな顔をした。

 夏期休暇に入るなりジョンから届いた「セドリックがチョウとデートしてたよ~」という手紙についての申し開き・謝罪・言い訳は既に終わっていたが、嫉妬が尽きるわけではない。外に出れないというだけでも苛々しているのに、それに加えて付き合い始めたばっかりの恋人が魅力的な女子と会っていたと思えば一層苛立たしい。セドリックからの釈明「スリザリンとグリフィンドールのクィディッチ・チームに押され気味のレイブンクローとハッフルパフで、夏期休暇中に合同練習をすることになったんだよ。彼女はレイブンクローのシーカーで、その場には僕らを含めて十四人がいた」を受けて、ダリルは「分かってるわ。来学期の試合が楽しみ。同じシーカー同士仲良くね」と和やかに返し、フレッドとジョージへ唐突に「暫く私達絶交しましょう」などと送って、八つ当たっていた。八つ当たったからといって気分が晴れるものではない。チョウが自分より遥かに魅力的で、セドリックとお似合いなことは確かなのだ。
 もうルシウスにバレても良いから、セドリックの彼女は自分だと言ってみようかなとかも考えた。しかしフレッドとジョージとロンから送られてくるパーシーのおちょくり日記を読むにつけ、ダリルは冷静な思考を取り戻す。幾らセドリックが好きでも、セドリックの人形を頭から生やしたくはなかった。フレッドとジョージからおちょくられ、しかもホグワーツを退学になるというのはぞっとしないことだ。

 フレッドとジョージが誕生日にくれた、ペネロピー・クリアウォーターの人形は実に精巧な作りをしている。新学期が来たらパーシーにあげようと、ダリルはその人形を洋箪笥のなかに仕舞っておいているが、パーシーは受け取ってくれないかもしれないと思っていた。何故ならダリルが弟たちと親しいことは明らかであるからして、自分が触れた途端に破裂し、大声で愛の歌を紡がない確証はないと彼は思うだろう。

 ウィーズリー一家(一部)の騒ぎようを見る度、ダリルはセドリックのことを隠し通さなければと強く思う。
 例え、そのせいで自分に不親切なセドリックの友人達にしか相談出来なかろうが、ホグワーツへ向かう列車のなかでフレッドとジョージが「おめでとうダリル! 初めての彼氏!!」とか何とか歌いながらコンパートメントの一つ一つをノックして回るよりはマシだ。絶対にそのぐらいはする。間違いなく一月はおちょくられる。
 それに何よりも「私がセドリックの彼女です」などと宣言したら、敵を増やすだけに決まっていた。仲の良い相手が沢山いるのだから、他人に何を言われても気にしなければ良いだけの話だが、それでも「セドリックに釣り合わない」と言われて、気にしない自信がない。

 チョウ・チャンから言われでもしたら、二度と立ち直れないだろう。勿論彼女がそんなことを言うとは思えないが――セドリックと話す自分を見て「仲が良いのね」とゆったり微笑まれた時のことをダリルはまだ覚えていた――余裕と自信に満ちた穏やかな表情、性格の良さを伺わせる話し方が忘れられない。何故、ああなれたら良いなと思わせる人が、よりにもよってセドリックを好いているのだろう。

 世の中、狂っている。ダリルはそう思った。普通、賢い人はあまり容姿が整っていなかったり、美しい人は性格が悪かったり、運動が出来る人は勉強が出来なかったりするんじゃなかろうか。なのにハーマイオニーといい、セドリックといい、アンジェリーナといい、チョウといい、パーシーといい、ジニーといい、フレッドといい、ジョージといい、長所を二つ三つ兼ね揃えているのは何故なのだ。自分の周囲に優れた人ばかりなのが、名門ホグワーツに通っているからだと言うなら、何故自分は“こんな”なのか。ロンは「顔が良いんだから良いじゃないか」とか言うが、可愛い女の子が石ころより無造作に転がっている状況で「そっかー!」なんて思えるはずがない。

 分厚い手袋とズボンを装備して、ドラコの監督下で箒にも乗ってみた。落ちた。
 成績発表こそなかったからハッキリとした順位は分からないものの、既にダリルは魔法薬学と薬草学のレポートをするのにドラコの手を必要といている。
 友達は基本的に相手から声を掛けてきたか、友達から紹介されたもので、己のコミュニケーション能力の賜物ではなかった。
 性格は今まで言われたことを総合すれば、「我儘で頑固で気まぐれで人の意見を聞かず無責任で優柔不断」となるらしい。

 ダリルは真剣な面持ちでマルフォイの家紋を凝視した。
 セドリックを繋ぎ止めるためには錯乱の呪文か、愛の妙薬の作り方を覚えるしかない。というか覚えよう。今後に備えておこう。ダリルはそう堅く決意して、スプリングを軋ませながら起き上った。秘密の部屋に半永久的に持続する錯乱の呪文の掛け方とかが載った本があるかもしれない。すっかり当初の目的を忘れたダリルは煙突飛行の本をほっぽり出したまま部屋を出る支度をしていた。

 さて事の発端ことセドリックであるが、ダリルが下へ降りる準備を整えているのと同刻、彼は久々に会った友人達へ「デートだなんて送って、後で僕がどんなに面倒な事になるか分からなかったのかな?」と微笑みながら、ジョンの頬を思いっきり抓っていた。

 ジョンは「めんろふせーおんな」と全く悪びれた様子もなく笑い、セドリックの笑みは冷たくなる。恋は盲目と言うが、幾ら三人にとってダリルが「動き回る悪夢」であろうと、セドリックにとっては「恋人」なのだ。恋人のことを面倒くさい女と言われて楽しい気分になる人は少ないだろう。不運な事にセドリックはその稀人ではなかった。それで三人はセドリックから説教を受けるのだった。何となれば、三人がダリルに己の情報を流しているのがついにバレたからである。
 そうやって散々皆を叱りつけたセドリックだが、最終的に「二度と情報の横流しはしません」と約束させたことで落ち着きを取り戻した。第一端から長々と怒る気はなかったのである。ダリルに頼まれて渋々だというのは分かっていたし、それにダリルと付き合いだしてから色々と意見を聞いたり、相談に乗って貰っているし、今日も三人に聞きたいことがある。
 不機嫌を静めたセドリックはダリルからの手紙の意味について、三人へ問うた。つまりダリルはまだ自分とチョウの仲を疑っていて、怒っているから胸のサイズ云々書いて送ってきたのだろうか――胸の大きいチョウがお好みなら、私じゃなくって彼女と仲良くしたら如何? という意味なのか――と深刻な顔をするセドリックに三人は吹きだして笑う。短い付き合いではあるが、ダリルが己の胸のサイズを気にしていることは明らかだったからだ。自分たちに対して傍若無人な“我儘お嬢様”がセドリックに対してしおらしい嫉妬を見せるのが笑える。何よりもセドリックが“それ”に全く気付いていないにも関わらず、ダリルの胸のサイズが豊かでないことは理解しているのも、可笑しかった。

 もしもダリルがその場に居合わせたなら怒りと羞恥で顔を赤くして、セドリックの頬を叩いただろう。そしてセドリックが今のダリルの思い付きを知ったなら、さーっと顔を青ざめさせたに違いない。知らぬは仏とはよく言ったもので、両者共に穏やかな午後を過ごしていた。

 ダリルは装備を整えると、杖とナイフをポケットに入れて部屋を出る。行き掛けにドラコの部屋をちょっと覗くと、ドラコはベッドの上で箒を磨いていた。来学期こそはドラコが試合で活躍出来ると良いななんて思いながら、そーっと部屋の前を通り過ぎた。見つかればどこへ行くのかと聞かれるのは必須だろう。別に秘密の部屋へ行くのだと言ってしまっても構わないことは構わないのだが、理由を聞かれたくなくて、黒い鍵を託されたことを隠したままにしている。それに「本来なら僕が貰うべきものじゃないか」と機嫌を損ねられても嫌だった。折角一年仲良くしてこられたのだから、なるたけ喧嘩はしたくないものだ。

 そうやって忍び足で階段のところまで行き、降りて、玄関ホールを右に曲がる。居間や食堂といった、普段一家で使う棟の反対にある棟の廊下を歩いていた。ダリルが広間の前を過ぎ、応接室の扉へ手を掛けると同時に声を掛けられる。
「秘密の部屋へか?」耳朶によく響くバリトン、振り向いたダリルの視線の先にルシウスが立っていた。「精が出るな」表情の見えない瞳へダリルを映しこむと、ルシウスは手に持った杖でトンと床を鳴らす。
「え……ええ」
 ダリルは困惑気味に頷いて、ルシウスへ向き直った。ルシウスはダリルの動揺など素知らぬ様子で「結構、結構」とぼやく。何が結構なのかは分からなかったが、ダリルにとってルシウスに遭遇するのは“結構”なことではない。いつ尋問をされるか分からないということもあるが、一番は度々ダリルに触れようとするからだ。スネイプからの説明も受けているだろうし、ダリルが「触れられると痛みます」と言っているにも関わらず、ルシウスはダリルへ手を伸ばしてくる――それも皮膚が露出しているところへ――ので、この“厄介”が終わるまでは、なるべくルシウスと二人きりになりたくなかった。
 ナルシッサがいるところでは、ルシウスはそうダリルに構ってばかりでいられないし、ドラコがいれば「父上、ダリルが嫌がっているじゃありませんか」と釘を刺してくれる。しかし二人きりとなると、ダリルはルシウスに強く出れないし、ルシウスもそれを知っているから強気に出る。嫌だ嫌だと思っていたことをルシウスに無理強いされて、流されたことが今まで幾つあっただろうか。「一家の主人たる父親へは従順に振舞いなさい」というナルシッサの教育もさることながら、ドラコと仲たがいしていた間ずっと己の寄り辺であったことが思い出されて、ダリルはルシウスの頼みや願いを出来る限り叶えてやりたいと望んでしまう。
「ふむ。今日は私も行くとしよう」
 ――なので、ダリルにはこの申し出を拒むことは出来ないのだった。
 ダリルはルシウスの台詞を受けて、従順に「はい、お父様」と定型を返す。内心では面倒なことになったなあとか、色々考えながら二人は応接室に入り、秘密の部屋へ下りていった。

 ルシウスの後について、ダリルは慣れているはずの石段をひとつひとつ慎重に下って行く。この間のように足を滑らせようものなら、ルシウスに触られてしまうに違いなかった。
 己の杖先に灯した明かりで階段を照らしていたルシウスが、不意に口を開いた。
「何を調べている? ここの書棚は随分と面白いだろう」
「そうですわね。一昨日は人の皮で作られた本も見つけましたし……」
 ダリルは前半部分を無視することにした。

 ルシウスが先に階段を降り終わり、脇でダリルを待っている。恐らく癖で差し出されたのだろう手を無視すると、ルシウスの眉間にしわが増えた。そのしわへも、“前半部分”と同じ反応を返して、ダリルも床へ降りる。ダリルが階段を降り終えてもルシウスは動かない。その場に立って、壁のほうを向いていた。ダリルもルシウスの視線を辿る。
 不気味な絵の掛かった壁を眺めていたルシウスが、杖先で額の下を叩いた。壁がゆっくりと沈み、奥から書棚がせり出してくる。
「人の皮で作られた本やら――“そう”いったものはここにある」
 本当にあるのか。適当に言っただけに、ダリルは何とも言えない気分になった。己のほうへ視線を滑らせるルシウスへ頷いて見せれば、ルシウスは杖で額を叩く。書棚が引っこみ、暗い窪みを地面からせり出してきた壁が覆った。数秒と経たない内に元通りの石壁へと戻る。
「まだ触れぬほうが良いだろうな」
 なんでもない風に言うルシウスへ、ダリルは「はい」と短く返すのがやっとだった。背表紙を見るだけで、書かれているだろう邪悪さが想像出来たからだ。否、正確には“背表紙を見ただけで、ヴォルデモートの記憶が反応した”と言うべきだろう。

 ルシウスは邪気に当てられている娘を眺め、「つくづくこういう場にそぐわぬ性質をしている」と思うのだった。それは己でも分かっているだろうに、ダリルは殆ど毎日と言って良い頻度でこの部屋を訪れる。
 嫌っていたはずの暗闇にダリルは何を求めているのだろうか。
 掌で口を覆い、華奢な肩を震わせて俯くダリルは到底闇の魔術に興味を持っているようには見えない。

 ホグワーツで何を知り、何の故にこの部屋へ下りていくことを望むようになったのか。ルシウスはそれを知りたかった。
 

悪阻

 
 


七年語りLULL BEFORE THE STORM