七年語りLULL BEFORE THE STORM
32 眠れる窓

 

 魔法使い達にとって、閑静な住宅街ほど縁遠い場所はない。何故なら、魔法使いは群れて暮らすのに向いていないからだ。

 そう言うと、必ずと言っていいほど「いや、僕らにだって魔法使いだけの村が、ホグズミード村があるじゃあないか」と屁理屈をごねる者がいる。宜しい。確かに、ホグズミード村は「イギリス唯一の、魔法使いのみが暮らす村」という謳い文句を掲げている。実際、強力なマグル避けと険しい山々に守られた村に立ち入るマグルはおらず、決して多いとは言えない村人たちは悠々自適に暮らしている。
 ホグズミード村の人口は、ひょっとするとウィーズリー家のそれに劣るかもしれない。魔法界にも山村過疎の波が広がっているのか、ただでさえ狭い敷地面積に並ぶ戸数は少なく、余った土地も畑を耕すでもなく持て余されていた。しっかりと雨戸が閉められた家屋の向こうで、メインストリートに並ぶ商店や喫茶だけが賑わっている。第三次産業によって成立している土地は“観光地”と称されるべきだ。
 ホグズミード村の営みを振り返ってみれば、やはり「原則として魔法使いは他の魔法使いと群れて暮らさない」と言わざるを得ない。

 魔法使いが群れて暮らすのに向いていない理由としては、国際機密保持法の第十三条が分かりやすい。
 魔法省は非魔法社会の者が、自分達――魔法という異端に気付く危険性のある行為を禁じている。マグルに魔法をひけらかしてはいけない。魔法なしでやってける少数はマグルに紛れて暮らすこともあるが、殆どの魔法使いにそんな器用な真似が出来るはずがない。よって魔法使い達は同じ地球上に存在するイギリスという国に暮らしていながら、自分達の行動範囲がマグルと重ならないよう苦心している。
 ダイアゴン横丁のように、次元を歪ませることで存在するはずのない土地を生み出す術もあるが、大抵の場合は“マグル避け呪文”に依存している。これは前述の方法とは反対に、実在する土地の存在を覆い隠す術だ。どちらも決して容易とは言い難いが、しかし後者のほうがまだしも馴染みやすい。少なくとも呪文を唱えて、杖を振るだけで何とかなる。成人した魔法使いの大半は“マグル避け呪文”を習得している。

 大抵の魔法使いが使える“マグル避け呪文”にしても、施術範囲が広くなればなるほど多くの魔力が必要になる。
 住宅街は無論十数戸の家屋が列をなす。広大だ。ホグズミード村へ“マグル避け”を施すのは、ホグワーツの校長の仕事の一つである。それは勿論ご近所のよしみだからというのもあるが、ホグワーツの校長職に就ける程度の手練れでなければ無理な仕事だからだ。尤も、近年では数人の魔法使いが協力することで持続力の強化、施術範囲の拡張に成功した例がある。しかし魔法事故惨事部のイキイキ棲み分け計画委員会で取り組んだもの以外の成功例はなく、やはり広範囲にマグル避けを施すのは容易な仕事とは言い難い。

 魔法使いが“マグル避け呪文”なしに暮らして、大事な第十三条を破らないでいられるわけがない。また世間一般の魔法使いの“マグル避け呪文”の施術範囲は、精々が家一軒分である。それだけなら「群れて暮らせない」になる。
 どこの魔法学校でも最低限のマグル避け呪文の習得は必須となっている。生徒諸君はポチの家をマグルから覆い隠せるようになったところで、はい今日から一人前です! と住み慣れた学び舎から追い立てられるわけだ。しかし好いた腫れたで愛の巣を作ろうとなると、犬小屋は成人男女を収めるに狭すぎる。かくして世の男性……そして夫より魔力に溢れた女性はマグル避け呪文の範囲拡大に勤しむのだった。彼らの“マグル避け呪文”の施術範囲は、丁度「このぐらいの家が欲しいわ」というところで止まる。それ以上拡大したところで良いことはないと判断して、自分達の家を建てる場所を探し始める。そういうことだ。大抵の魔法使いは、自分で自分の限界を決める。マグル避け呪文ばっかりに時間や魔力を割いても良いことがないので、自分達の家一軒分に拡大したところで打ち止めにする。そしてマグルの町どころか、友達や両親の家からも離れたところに家を建てるのだ。新婚時代というのは、そういうものである。夫婦水入らずでキスしているときに、母親のアップルパイなんて食べたくない。寝室へ行く間も惜しいとばかりにソファの上でイチャついてるときに、ドアベルは鳴って欲しくない。
 魔術の発展とその普及率は素晴らしい。今や煙突飛行粉や“姿現し術”のおかげで、会いたい誰かにすぐ会うことが出来る。だから、少しぐらい他人と距離を置きたい……と思うのはごく自然な成り行きだろう。魔法使いだって、人間である以上はプライベートな時間なしに生きていけない。そう考えると彼らは「群れて暮らせない」でも「群れて暮らさない」でもなく、「群れて暮らしたくない」のだろうか。
 どの道魔法使い達にとって、閑静な住宅街ほど縁遠い場所はないのである。

 サレー州リトル・ウィンジング、マグノリア・クレセント通り――マグルの家が連なる、立派な住宅街だ。
 八月六日の夜、魔法因子と縁の薄いはずの通りには、魔法界からの来客が詰めかけていた。
 もしバーノン・ダーズリーがハリーを探しにこの通りまで出て来たなら、卒倒していたに違いない。魔法族の子女らしくローブを羽織ったままのダリルは、見るからにダーズリー夫妻好みの“真っ当さ”からかけ離れていた。尤も彼はちっちゃな甥の家出より、おっきな妹の生死のほうが大事だと判断したらしい。幸いにも通りは相変わらず静まり返り、何物も二人の憂鬱を遮ろうとはしなかった。
 道幅の広い道路は、遠くの音までも真っ直ぐ運んでくる。
 ダリルは聞き慣れない音にあたりを見渡したが、ざわざわと騒がしいような音はそのまま消えてしまった。あの車は、この住宅街のどこかのガレージに住んでいるんだろう。エンジン音だと判別出来たハリーは、そう思った。

 視界の隅で窓辺の明かりがパチンパチンと消える。そうかと思えば、ぱっとついたり、カーテン越しに人影が浮かぶこともある。しかしその何れも人形劇のように非現実的で、自分達のいる通りへ降りてこないような……ハリーはそんな遮蔽感を覚えて、口を噤んでいた。
 何か喋ったほうが良いんだろうな――とは互いに分かっていたが、粗末な客席に並んで腰かけたまま、ハリーとダリルはそれぞれの余韻から覚めることが出来ないでいる。口を開くのが憂鬱になるほどの重たい感情に、五感さえ鈍ってしまうようだった。
 まあ実際それは比喩で、二人とも自分達のための舞台装置は把握している。座るための石垣があって、剪定もおざなりな生垣とガレージとが眼前に並びあい、傍らの街灯が明々と視界を照らし出す。この明るさのなかにある限り、ダリルは自分が今どこにいるのか決して見失うことはないだろう。魔法界には有り得ない、奇妙で、血の通っていない明るさだった。
 ハーマイオニーの通っていた学校へ行ったときも感じたことだが、マグルの生息域は生き物の気配が薄い。
 馴染みの薄さからそう否定的な印象を受けるのだろうかと思ったが、隣で沈み込むハリーの意見も聞いてみようとは思えなかった。
 ダリルはちり紙で鼻を抑えたまま、おもむろに空を見上げてみた。橙色の靄が掛かったように、星が霞んでいる。こう明るくては、上空から見下ろしても単に眩しいだけなのではなかろうか。同じ高さのものを見るにも目が疲れそうな気がする。
 ホグワーツや、自宅から見上げた空のほうが黒く透明で美しい。マグルの町も楽しいには楽しいが、ずっと居たいとは思えなかった。

 如何してこんなことになってしまったのかしら――ダリルは“現実逃避”を頭の中で転がした。

 ダリルはハリーほど抑圧された環境下で暮らしていたわけではない。日刊預言者新聞を読むことも出来たし、如何にかこうにかハーマイオニー達と手紙のやり取りをしていた。大体にして、ルシウスは三年ぶりに会う親戚ではない。十三歳なら、父親のやり口ぐらい知っておくべきだ。どんなに役立たないものでも自分の手の届かない場所にあると腹を立てることとか、子供を自分の所有物みたく思っていること――大抵の場合、ダリルのリードを外すのは柵のなかだけだとか、そういう知識は取り出しやすい場所に仕舞っておくべきだった。
 ジニーから再三警告されていたのにも関わらず、ダリルはちっとも“危険”を顧みなかった。
 如何にダリルが現実から目を逸らそうと、自分が困っている理由――天馬が飛んでった理由にはじんわりと見当がついている。不運なことに自分という厄介にエンカウントしたハリーがぎょっとしていたことで、ダリルの予感は殆ど確信に近づいていた。

 流石のダリルも天馬と梟の双方が職務放棄したとか、ちゃんと躾けられていなかった……と考えるほど阿呆ではない。
 滅多なことでは外出しないダリルは当然天馬たちとも関わらないが、梟たちには全幅の信頼を寄せている。ダリルの数倍は賢い彼らは羽音を立てず、滑るように飛んでいく。いつだってダリルの指示を、精確に全うしてくれる。彼らは察しが良い。情に流されない。ダリルとルシウスの、どちらが本当の主人か分かっている。忌々しいほどに、天馬や梟、屋敷僕妖精たちは“主家のお嬢様”に従順である。
 梟フーズを手ずから食べさせてやることもあった。梟小屋の様子を見に行くこともあった。ちょっとでも汚れていると、すぐ屋敷僕妖精を呼んできてやった。ハリーとヘドウィグの信頼関係には遠く及ばないが、ダリルはダリルなりに自分の家の梟たちを可愛がってきた。首のところにリボンも巻いてやった。巻いてから暫くは我慢していたが、翌日床で糞に塗れていた。
 可愛げのない彼らの頭には、日頃可愛がってくれるお嬢様への義理立てとか、そんなことを考えるための余地は残されていない。きっとルシウスが呼び寄せるままに空を滑り、素直に渡しただろう。それから後、ルシウスという検閲に掛かった手紙を持った彼らは彼方に消えていく。稀に消えなかったりする。んじゃあないかなと、ダリルは今更ながら気づいた。
 証拠はなにもないけど、そんな気がする。この目で見たわけじゃあないけど、そんな気がする。
 自分の手紙を盗み見るルシウスの姿が、ダリルの脳裏にくっきり浮かんだ。ルシウスは、ダリルがハリーの誕生日を祝いにいくのを面白く思わないだろう――ダリルを懲らしめる必要があると思う程度には、ムッとしたはずだ。ああ、駄目。止めよう。
 ダリルはスンと鼻を鳴らして、苛立ちを紛らわした。

 そりゃ自分よりずっと賢い魔法使いである父親を謀れるなどと思っていたわけでは、まあ、謀れると思っていた。正直言って、イケる! 隠しおおすことに成功した! と、思った。精確には、このぐらい気に留めやしないとルシウスの所有欲を甘く見ていた。
 何もハリーと一線を越えたわけでも、駆け落ちの約束をしているわけでもない。誕生祝いなんて、特別なことじゃない。普段贔屓にしてる店だってバースデーカードを送ってくる。ルシウスだって、ちょっと考えれば分かるはずだ。ダリルが父親の大嫌いなハリーの誕生日を祝いたいからって、それの何が悪い。ついこの間ハリーにしてやられたことを引きずって、ああ、絶対に引きずってるな。
 自分がルシウスが失脚する理由を作った人物(非・純血主義者)に会いに行くのが気に食わなかっただろう。しかしながら、ダリルが「お父様を失脚させてくれてありがとう、ハリー!」と口にしたなら兎も角、前年度末の一件のあるなしに関わらずダリルとハリーは面識がある。同寮で寝起きしている。同寮生の誕生日を祝っていると聞いて、驚く人間は誰もいない。
 自分の嫌いな人間のことを嫌っていないという、たったそれだけのことがルシウスには許せないのだから如何しようもない。
 基本的に、ダリルは他人を支配しないひとが好きだ。
 自立精神豊富なハーマイオニーや、適度な距離感を保ち続けるフレッドとジョージ。そして他人を尊重する姿勢が板についているセドリック。どんなに好意を抱いてようと、ルシウスのような押し付けがましい人間とはお近づきになりたくない。
 傍目からはマルフォイ家の父娘の相性はこの上なく良いように見えるが、それは偏にダリルの忍耐の賜物である。
 同じ性質を持つ者同士が顔を合わせれば、必ずどちらかが受け手に回らなければならない。ダリルは極めて幼い頃からルシウスの顔色を伺い、ルシウスの機嫌を取り、従順にルシウスの愛玩物であり続けた。その負荷は、当然と言えば当然だけれど、全てダリルに圧し掛かる。
 ホグワーツに入学するまでの数年間、ダリルは殆ど心を病みかけていた。今思えば、あの気鬱はドラコだけのせいとは言い難い。
 他人の指示通りに動いて、自分は何にも考えない……という生き方は、ダリルにとってストレス以外の何物でもなかった。ホグワーツに入学して思い出したことではあるが、ダリルは自分が思ったことは何でも口に出したいし、自分が好きな様に振舞いたい。ルシウスもそうだ。自分が思ったことは口に出したいし自分が好きなように振舞いたい。そして他人にも自分の考えを押し付けたい。
 父親の生き方を“傲慢”と言わずに何と捉えるのが最良なのか、ダリルには分からない。

 ルシウスは自分勝手である。本当に、どういった躾を受けてきたのかと問いただしたくなるぐらい理不尽である。
 何とすれば、自分が下手に出なければならない相手に遭遇するだけで気持ちが荒れる。わざとらしくため息を吐く。ナルシッサにスルーされる。ドラコとダリルに延々愚痴なんだか説教なんだか分からん話を漏らす。
 自宅でのデスクワークが主だから勿論部下はいても同僚はいない。職場での派閥争いもない。競争相手がいないから、あくせくしなくても仕事は入ってくる。また扱うものの耐久性と認知度から、仕事をサボってもサボらなくても問題ない。ダリルの知りうる限り、父親ほど悠長に暮らしている魔法使いはいない。それでも、魔法省大臣に呼び出されたり、ダンブルドアに会いに行く度に機嫌を損ねて帰ってくる。
 このような恵まれた環境で暮らしてさえ不満があるのだから、ヴォルデモートの下で働いていた時は胃弱傾向にあったのではないかと、ダリルはそう推察する。それで妻の手作り料理をはじめとする“危うい食物”を敬遠するのだろう。
 ルシウスは普段から美食を気取ってるが、何のことはない。得たいの知れぬものを食べて、腹を壊したくないだけだ。ダリルも腹痛は怖い。自分で作った食物はなるべく食べないよう心掛けている。でもナルシッサが拗ねるのは自分の腹を傷めるより怖いので食べる。

 ドラコに度々指摘されている通り、認めるのは癪だけれど、正直言ってダリルの性格は間違いなく父親のそれに似ていた。
 似た者同士のシンパシーからか、大抵の場合はじっくり考えれば第六感めいたものが父の仕業か否か教えて下さる。予知ではないからして、そのシンパシーに感謝したことはない。寧ろ同族嫌悪的な腹立ちが増すし、前もって気づかなかった自分の愚かさが浮き彫りになるので、シンパシーなど感じないほうが良い。如何して自分はルシウス似とされるのだろう。顔も性格もナルシッサ似のドラコが憎い。
 ダリルはマリアナ海溝よりちょっと深いため息を絞り出した。その隣では、ハリーがトランクの取っ手をパタパタ動かしている。ダリルもハリーも千里眼ではないので、相手の都合は分からない。それでも、まあ、良からぬ事情を抱え込んでいるとは察している。

 落ち込みが乗算されると、空元気も湧いてこない。ハリーにもダリルにも何か喋るだけの気力はなく、二人して石垣の上で小さくなっていた。否、ダリルは項垂れついでに一生分の鼻水を搾り取らんとしていた。中々鼻水が収まらないというか、出てくるわけでもないのに鼻孔がグズグズして気持ち悪い。ダリルは清浄な鼻孔に思い馳せながら、無理にビーッと鼻を鳴らした。ハリーの肩がワナワナと震える。
「顔を大事にしたらって、言ってるのに……」
 ハリーの瞳が、鼻をこするダリルの姿をチラリと映した。困ったような、呆れたような苦笑にハリーの顔がくしゃりと歪める。
「ええ、まあ……そうね」ダリルは丁寧に折りたたんだちり紙を鞄の外側のポケットにしまい込んだ。「そりゃあ、大事だわ」
 ふーんと、気のない返事をハリーがくぐもらせる。ハリーは背中を丸めると、自分の膝へ覆いかぶさるように頬杖をついた。
「さっきから、上の空だけど……」
 ハリーの指摘を受けて、ダリルはその足元にそびえるトランクを見やった。「上の空は、貴方もでしょう」
 とてもじゃないが、気晴らしの散歩とは思えない。ロンたちはエジプトで、ハーマイオニーたちはフランスだ。何より行く先があるんなら、こんな憔悴しきった横顔を見せるわけがない。何か自分以外の厄介があって、そこから逃げてきたのだろうとダリルは考えた。

「ヘドウィグはいないし……こんな時間に一人っきりだなんて、一体何があったの?」
「君だって、マルフォイなしで、こんなとこに一人でいる」
 ダリルはそれが何だと、ハリーの意図を訝しんだ。「私はドラコなしじゃ一人でトイレに行くことも出来ないってわけ?」
「一体何があったんだい」とっても心配している風には聞こえなかった。「それとも僕が知らないだけで、ルシウス・マルフォイがここら一帯を買い占めたの? そんなら悪かったよ。マグルの家じゃ、日刊預言者新聞は取らないんだ。覚えといてよ」
 うっ憤を晴らすかのように、意地の悪いからかい文句である。
 ダリルが顔を顰めると、それを見咎めたハリーは皮肉っぽく笑った。憤慨を露わに睨みつけてくるダリルを映す緑の瞳が悪戯っぽく輝く。しかし次の瞬間、ぐーっと伸びをする要領で身を起こしたハリーの面持ちは、先ほど同様憂鬱そうだった。何の罪もない――法律で罰せられることは現状行っていない――ダリルをサンドバックにしておきながら、それでも気持ちが晴れないらしい。
 はーあと、ハリーが深いため息を漏らす。「ねえ、ハリー。茶化さないで」ダリルは念を押すように、なるたけ優しく口にした。
「からかってなんかない。レディーファーストだ。如何してこんなとこいるのか、君から話してよ」
 ダリルの心配など何処吹く風で聞き流したハリーが、尋問めいた提案を口にする。
「あーら」ダリルの眉が吊り上げる。「素敵なジェントルメンのおかげで、私は自分の偉業を語り継ぐことが出来るってわけ」
 そりゃ勝手にマグルの町へ押しかけたダリルは、少なからず自業自得の面がある。諸手を挙げて心配してくれとまでは思わないけれど、全くの好意から出た問いを馬鹿げた嫌味で茶化されるとは思っていなかった。
「そうねえ、どこから話そうかしら」
 ダリルはフンと鼻を鳴らして、顎をしゃくって見せた。鞄の取っ手を掴んで、膝上に引きずりあげる。
「こいつはシェヘラザードに勝るとも劣らずの大仕事になりそうだわ。少し考えさせて頂戴」
「どうぞ、お気が済むまで」ハリーは「僕はシャフリヤールほど気が長いわけじゃないから、なるたけ急いでくれる」
「ええ。その間、ご自分の台詞の矛盾点を考えてみるのをオススメするわ」

 ダリルは膝上に乗せた鞄に手を突っ込んで漁りながら、「お母様の言う通りだわ」と思った。
 鞄のなかは、ナルシッサの小言を聞くに相応しい散らかりようだった。外見以上の容量を誇っていても、そこにゴミを詰め込んだのでは馬鹿馬鹿しいでしょうという台詞を思い出す。まあ、こういう“落ち着きたい”時には、中に入っているものを一つ一つ手さぐりで確かめる作業も悪くない。すっかりクールダウンする……とまではいかないが、兎に角ダリルはジョージの忠告を思い出す程度には落ち着いた。
『君が一人でハリーんちまで行けるとは思わないし、万一たどり着いたとしてもろくな事にはならない。この際ハッキリ言うけど、君、ハリーと相性悪いよ。ハーマイオニーなし、ロンなし、ジニーなし、そんで俺らもなしの二人きりで話してて口論しなかったことってあるか?』
 ないわ。ダリルは遥か遠く海を二つ越えた場所にいるジョージに、心中で答えた。
 ジョージの言う通り、ハリーと二人きりでいて、全く嫌な思いをしないでいたことなど、ただの一度もない。ダリルとハリーは、いつだって下らないことから口論になる。ルシウスほどではないが、ハリーだって我が強い。他人の忠告を受け入れない。ルシウスと違って、ハリーはダリルの父親ではない。折れてやる必要がないから、揉める。もう知らない! で、暫く口を利かない。

 無論ダリルはハリーが嫌いではない。ハリーだって、本当にダリルが嫌いなわけではないのだろうと思う。
 本当にダリルを嫌っていたら、向こうから挨拶をしてくるわけがない。髪を引っ張って遊んだりもしないと、そう思う。ダリルに対する好意が故のスキンシップだ。いや丸めた羊皮紙を投げてくるのは、それは嫌がらせかもしれない。でも六割がた嫌っていない気がする。最早自分を嫌っているのか、割りと好きでいてくれているのか、ダリルにはハリーの気持ちがよく分からない。ドラコの妹であることを思い出す度イラッとして、それでいびってしまうのかもしれない。兎に角ダリルとハリーの相性は決して良いとは言えなかった。
 果たして、本当に、退学の危険を冒してまで会いに来たい相手だったのだろうか。
 ダリルは激しい後悔を胸に、鞄のなかの手を働かせる。目当ての乾いた繊維か、もしくは金属の冷たさも見つからない。鞄のなかに、要らないものばかりが溢れている。この四角い箱は、スネイプへのアップルパイ。お腹が減った時に食べちゃえば良かった――スネイプにぶつけるためにせっせとこしらえた砂団子――スネイプの部屋に置いてくるための使い掛けの口紅や、お取り寄せした茶色の人工毛。まあ、あの陰険なひとに恋人がいるとは思えないが――スネイプサイズのレースの下着も用意した。
 土産品の数々に触れる度、ダリルはスネイプの家へいけなかったことが残念になる。奴の巣穴を荒らしてみたかった。
「まあ実際、語り継ぐに十分な出来事だと思うわ。一部始終を聞いたら、まずドラコは知恵熱を出して倒れるでしょうね」
 ダリルは冗談めかして呟いた。

「何か面白いこと、あったの?」
 どんな状況下であろうと、ドラコの不幸にすかさず食いつくあたりは流石である。

「いいえ、ちっとも。マグルの町の一つ二つ爆破して、夏の別荘を建てるために整地してきただけだもの」
「それじゃ、詰まんないわけだ」どこまで本気なのか、ハリーの相槌に失望が滲む。チラチラと飛ぶ蛾を避けて、ハリーの履き古したスニーカーがじゃりと砂音を立てた。「僕の住んでるとこも滅茶苦茶にしてくれりゃ良かったのに」
 ハリーが同居しているマグルの親戚と折り合いが良くない……ということは、ダリルも知っている。そうはいっても、本人から打ち明けられたわけではない。又聞きの情報を口に出来るはずもなく、ダリルはハリーの台詞に如何反応したものか考えあぐねた。下手に同情めいたことを言っても、ハリーの機嫌を逆なでするような気がする。厄介な奴だ。ダリルは素直に思った。ハリーのことは好きだけど、相手にするのはめんどくさい。大仰に肩を竦めたダリルは「鞄のなかも滅茶苦茶――何度か転んだせいだわ」と話を逸らした。
「君、世界中のありとあらゆる道で転ぶっていう目標でも掲げてるんじゃない」
 無感情なからかいを口にして、ハリーは再び黙り込んだ。

 ハリーの親戚は、どうもマグルらしい。きっと彼らは、ハリーが魔法を使えるのが気に入らないのだろうと、何となく思う。
 ダリルはハーマイオニーと過ごした一日を振り返ってみた。善良たらんとした女教師は、どうしてもハーマイオニーの異端を否定したいようだった。ハーマイオニーも、己やダリルの異端が人目に晒されるのを恐れているようだった。国際機密保持法の存在を知っていてさえ、ダリルには何故マグルの目を忍ばなければならないのかよく分からない。魔法使い達はスクイブのことを“生まれ損ない”と呼ぶことが間々ある。反対にマグルにとっての魔法使いは……何だろう。ざわざわと良からぬ予想が脳裏に過ぎる。しかし、それを言葉にすることは出来なかった。ダリルたち魔法族にとって魔力の兆しは喜ばれこそすれ、疎まれるものではない。
 生まれた時から魔法因子に取り囲まれていたダリルには、ハーマイオニーやハリーの気持ちは分からない。
 どんなに寄り添いたくても生まれが違う。それでも選んだものが同じならまだ救われるのに、ダリルは“それ”を望まないことにしたのだ。
 来るんじゃあなかったと、ダリルは改めて思った。単なる同寮生で、その内疎遠になるか、もしくは対立することになると知っている相手の誕生日を祝いにはるばる魔法界からやってくるのは、あまりにも不釣り合いだ。

 如何して自分が“こんなとこ”にいるのかは、ダリルが聞きたいぐらいだった。

 本当に、何故こんなところにいるのだろう。如何して、自分一人でマグルの街を彷徨い歩くてまで――まあ、当初の予定では小一時間で撤収するはずだったのだけれど、それだったってダリルには大した冒険だ。自分の分に合わないことを仕出かしてまでハリーの誕生日を祝いたい理由は、何だったろう。言いだしっぺの意地か。引っ込みがつかなくなったのか。つかなくなったんだろうな。ダリルは思った。
 今皆に会いに行かなかったら、一生会えないような気がした。今ハリーの誕生日を祝わなければ、一生祝えない気がした。皆に会いたかった。寂しかった。自分の大切なもののためなら命の一つや二つ見捨てられる自分に、嫌気がさした。
 親密になればなるほど、裏切りは深くなる。ハリー達と徐々に疎遠になろうと決心していながら、如何しても時間一杯“グリフィンドール寮生のダリル”でいたかった。それとも、ハリー達との時間が長くなれば、あの男を裏切れるのではないかと思ったのかもしれない。
 どうしてこんなところまで――問いかけるハリーに対して、ダリルはどこまで口に出来るだろうと考えてみた。

 ハリー、ヒュドラを殺す手伝いをしてきたわ。お父様の揉め事に巻き込まれたの。きっと、お父様は私の“厄介”が闇の魔術に関係するものだって気づいたのね。私が手伝わなければ、お父様はまた面倒くさいことに巻き込まれるわ。前年度末、貴方が行ったことは尊いことだった。ジニーを助けて、ドビーも自由の身にしてくれたわ。お父様が理事を辞めさせられたのは、正直言って身から出た錆よ。でもハリー、私は、私は、純血主義者じゃないわ。自分の付き合う人の生まれなぞ気にしない。それでもお父様の大事な家名が貶められるのは嫌なの。
 ヒュドラを殺したわ。これから、人も殺すかもしれない。私がしなければ、ドラコがするわ。
 貴方は素晴らしい魔法使い。でもドラコのことは守ってくれないし、クィレル教授のことも助けてくれなかった。何よりも危険なことに首を突っ込みすぎる。それが例え因縁からのもので、貴方がそれを望んでいなかろうと、いつか足をすくわれるわ。ダンブルドアに頼るのだって、遅すぎる。信頼出来ないのよ、ハリー。貴方のことも、お父様のことも、ドラコのことも、ダンブルドアのことも、誰も信頼できない。
 だから自分で動くわ。じきに貴方から離れる。私たちは友達にはなれないけど、貴方のことは好きよ。貴方達のことが好きよ。
 時間が勿体ないと思ったから、こんなとこまで来ちゃったわ。馬鹿みたいね。胸中に漂う言葉の何一つ語れない私は、もっと馬鹿みたい。

 例え胸に何の呪いも刻まれていなかろうと、ダリルはハリーに何も打ち明けられなかっただろう。

「あら、もう夜の十時になるわね」ダリルの瞳が、左手首に巻いた腕時計の上を滑っていく。「あと二時間で日が変わるわ」
 ハリーはちょっと身を屈めるようにして、針の位置を確かめた。鼻頭までずり落ちてきた眼鏡の位置を直す。「ああ、うん」質問をはぐらかされていることも、大して気にはならないようだった。「そうだね……もう少しで一日が終わるってのに、」
「ハッピーバースデー、ハリー」
 ゆったりと、ダリルがハリーの台詞を遮った。
 ぽかんと自分を見かえすハリーに、ダリルは慣れた風にしらばっくれた。「七日過ぎになっちまう前に言っておかなければ、こんなとこまで来た甲斐がないものね」ダリルはようやっと指先に触れた金具を引きずり出したそれを、ハリーの前に掲げた。
「お誕生日おめでとう。もうちょっとで七日になりかかってる、六日遅れだけれど……貴方の顔を見て祝うことが出来て良かったわ」

 自分とダリルの間でブラブラと揺れる物体に、ハリーは自分の目を疑った。

 チェーンの先に、クッキーを持った青い生き物がぶら下がってる。クッキーモンスターだ。ハリーの知りうる限り、セサミストリートが魔法界に浸透しているとは思えない。ルシウス・マルフォイがこの場にいたら、自分の娘ごとキーホルダーを燃やすだろう。
 一体どこでマグル製品なんて手に入れたんだろう? それも大分使い古されていて、誕生日の贈り物らしくはない。クリスマスの贈り物は、普通にお菓子の詰め合わせを贈ってくれた。それが如何いった心境の変化で、こんなものをさし出しているのだろう。分からない。尤もダリルがくれるものだし、何か凄いものなのかもしれない。このキーホルダーを鞄につけると死ぬとか、そういう類の。
「あー……うん、ありがとう」
 ハリーは釈然としない気持ちのまま、上っ面だけの感謝を口にした。差し出されたキーホルダーを素直に受け取る。
 まあとりあえず仕舞おうかと引いた手は、思わぬ抵抗をうけて止まった。ダリルの指が、キーホルダーのわっかを掴んだまま離れない。
 ばつが悪そうに眉を寄せたダリルは、キーホルダーを引っ張った。「ごめんなさい。これは違うの……マグルの子達がくれて、」
 それはそれで、如何いう事だろう。全く興味を惹かれないと言えば嘘になるが、当面はダリルとマグルのファーストコンタクトを聞きだす精神的余裕に欠けている。「あ、ああ……そっか」ハリーは頷いた。頷くしかなかった。「ウン、そうだね。あの……剥き出しだしね」
「そうね。貴方の言う通り、馬鹿な勘違いをしたわ。しっかり、袋の口をシールで留めたのだもの。可笑しいわね」
 急いた口調でまくし立てながら、ダリルは件のキーホルダーを鞄に仕舞った。

 幾ら歩き回ったからと言って、包装が解けるはずがない。やはりナルシッサの言う通り、鞄のなかは整理整頓を徹底しておくべきだ。
 ダリルは鞄のなかに突っ込んだままの手で、チュチュのように重なっている層を丁寧に確かめた。この、靄のように薄い一枚一枚が収納スペースを平べったくしたものだ。一枚ずつ手を突っ込んで、中に何があるか確かめる。ダリルは鞄の中に肩までつっこんで漁りながら、もうこの鞄は使うまいと決心した。この鞄はいつかの折にルシウスから貰ったものだが、包みを破った瞬間からもうナルシッサの表情は呆れを含んでいた。ダリルに向かって収納スペースの広大さを語る夫の隣で、娘よりかは遥かに賢明な息子へ「これが豚に真珠ということよ」と教え諭す。大抵の事柄は、ナルシッサが正しい。冒険者でもないダリルにこの鞄は広大すぎる。
 懸命の捜索活動を続けるダリルの指に、とうとう乾いたものが触れる。表裏の台形と、脇の三角形が二つ。底が四角いのを確認すると、ダリルはそれを引きずり出した。オレンジ地に赤いストライプの引かれた紙包みが、ダリルの手に収まっている。
 正真正銘、ハリーへの贈り物だ。本当にそうです。糞爆弾でも差し出されたような顔をしているハリーに、ダリルは気まずさを覚える。
「あの……これ、おめでとう」
 ダリルは疑いのまなざしで自分を見つめるハリーへ向けて、はにかんでみせた。
「ああ、うん」躊躇いがちに受け取ったハリーだったが、シールの絵柄に気づくと途端にニッコリした。「ニンバス二〇〇〇だ!」
 色がついてなくても、自分の相棒であると気づくのは流石というところか――ダリルが白黒で描かれた箒の種類を知ったのは、包みに貼っている最中だった。ハリーの笑みを見て、ダリルはほっと肩を落とした。
「有難う――今、あけてみても良い?」
「良いわよ」
 慎重にシールを?がすと、ハリーは包みの口からスニッチのキーホルダーを取り出した。実際のスニッチより一回り小さいが、翅の細かさから子供だましの品でないことが悟れる。指先からぶら下がって煌めくキーホルダーに見とれながら「ありがとう」と繰り返した。

「スニッチの頭を撫でると、中から磨き粉が出てくるのよ。新学期からまた頑張ってね、私達のシーカーさん」
 その笑みは、自分の手のなかの輝きに負けず劣らずきらきらしていた。

 靴のなかで膨らみ続ける足や、疲弊しきって疼痛の滲む四肢を脱ぎ捨ててしまったかのように晴れやかなダリルを前にして、ハリーは自分が何を失ったかすっかり思い出した。クィディッチ。お節介だったり、どこかネジの緩んだところがあるけど、一緒に空を飛ぶのにピッタリなチームメイトたち。寮の名前を背負っての試合。ロンやハーマイオニーとの気の置けない時間。十年を暮らしたあの家よりずっと居心地の良い談話室。たった一度の激昂で、自分の大切なものの殆どを失ってしまった。今隣に座っているダリルだって、そうだ。
 ダリルのことだから、ハリーが退学になったと知れば酷く同情して慰めてくれるだろう。しかしホグワーツという接点がなくなれば、じきに自分が祝いにきた誰かさんのことなんて忘れるに決まっていた。そして、それはダリルが悪いのではない。
 仕方のないことだ。半ば自分で選んだことなのだから、ダリルに八つ当たったり、同情を待って、悲観して見せるのは止めよう。
「ん、有難う」ハリーはゴムみたく固い頬の筋肉を無理に横へ引いた。ぐーっと、唇が奇妙に歪む。「もうクィディッチは出来ないかもしれないけど、それでも箒を綺麗にするのに役立ちそうだね」

「それで、ダリルは如何して、」
 こんなとこにいるんだい。まさか僕に会うためだけに、家を抜け出したきたんじゃあないだろ?
 ハリーは極めてにこやかに話を逸らそうとしたが、それは上手く行かなかった。
 へそのあたりを、夏夜の湿ってぬるい空気が撫でていく。トレーナーの裾を捲るダリルが、「可笑しいわね」と低く唸った。

「腸が出ているのかと思ったけれど……可笑しいわ。どこも抉れていない」
 出てたら、君と話してなんていられない。大体、何故ハリーがクィディッチを出来なくなったと聞いて腹部にクレーターが出来ていると思うのか、いや、ちょっと、何だこれは。ハリーは布地が伸びるのも構わず、トレーナーの裾を押さえつけた。
「ダリル」
「まだ背中を見てないわ、ハリー。背骨がどこかはみ出ているのかも」
 トレーナーを脱がそうとするダリルがどこまで本気なのか、ハリーには分からない。「ダリル!」ハリーは頭から湯気が出るのではと思った。「ダリル、」兄がいるダリルには分からないかもしれないが、女子に上半身を剥かれるというのは滅多にあることではない。尚もハリーを裸にすることを諦めないダリルに、ハリーは語気を荒げた。「僕は、君のちっちゃなドラコ坊やじゃない!」
 突然――彼女にとっては実際脈絡もなく――怒鳴りつけられたダリルは、きょとんと小首を傾げた。「そりゃ、十三歳だもの」ハリーかドラコか、どちらを指した台詞かは分からないが、ハリーを裸に剥くことに何ら罪悪感を覚えていないことだけは知れる。
「こんな道の往来で……僕がヌーディスト・ビーチに行ってみたいと、一度でも君にそんなことを打ち明けたことがある?」
「行きたいの?」
 知らなかったわ。悪びれるでもなく呟いたダリルが、ハリーの反対側にズリズリと遠ざかる。
 行きたくないし他人を半裸にして何とも思わない痴女に引かれたくないし話聞いてないし「僕の話、聞いてた?」じろりと睨みつけてやれば、ようやっとハリーが怒っていることを理解してくれたらしい。ダリルはしょんぼりと項垂れた。
「だってハリー、」いや、分かってない。「ねえ、一体どこに怪我を負ったの? ああ、ハリー。ウッドが貴方の伯母様の家を焼き討ちするわよ。その前に体を治さなけりゃならないわ。ことによったらここらへん一帯なくなっちゃうかもしれない」
 ぐるりとあたりを見回したダリルが、悲劇的なため息をつく。ダリルに反省の色がないと気づいたハリーも、同様にため息をついた。

「怪我じゃない。ほら……グリフィンドール寮のクィディッチ・チームに参加できるのはホグワーツの生徒だけだ」
 ダリルはわけがわからないと言いたげに、ムッツリ考え込んだ。大抵の場合、ダリルが考え付くことは碌でもないことが多い。きっと、ハーマイオニーみたくハッと息を飲んで「まさか、貴方、魔法を使ったんじゃあないでしょうね!?」等と察してくれはしまい。もし隣にいるのが彼女だったら、ハリーは「君は今すぐにでも探偵になれるよ、ハーマイオニー」と力なく笑うだけで済む。それでなくとも、ロン相手なら「ねえ、僕がホグワーツを退学になっても、君やフレッドたちはきっと気にしないだろうね?」と素直に縋ることが出来た。狼狽のあまり言葉を失ったロンが「勿論――でもハリー、僕信じられない。ダンブルドアが君を退学にするなんて……」と絞り出してくれれば、大分救われた気持ちになる。しかし現実は如何だ。隣に座っているダリルはハリーにわいせつ物陳列罪を背負わせかねない。
 ハリーはこの、自分の信奉者に何と説明するべきか考えあぐねて沈黙した。そうこうしているうちにダリルの頭に迷推理が閃いたらしい。ダリルは「合点がいったわ」という顔で頷いてから、上体を屈めて、ハリーの顔を覗き込んだ。
「……貴方がスリザリン寮で暮らす事になったって、ウッドは貴方の所有権を主張すると思うわ」
 ほーらね、分かってたんだ。
 まるきり子供へ言い聞かすような声で話すダリルに、ハリーは額を抑えて項垂れた。

「そういうことじゃない。ア――」もどかしげに体を揺すって、膝上で組んだ指を手慰みに動かす。「僕はその、つまり……」
 ホグワーツを退学になった。伯母さんに両親を罵られてカッとなった。ホグズミードに、ロンたちと一緒に行きたかった。自分のことなら、どんなに馬鹿にされようと我慢することが出来たのに……両親はハリーが退学になったと知ったら、やはり呆れてしまうだろうか。もう二度と会うことが出来ず、また地上のいずこにも存在していない人達のために自分は何もかもを台無しにしてしまった。
 切々と、惨めったらしい気持ちが湧いてくる。ハーマイオニーがいれば、ハリーは少し冷静になることが出来る。ロンがいれば、ハリーは大分慰められる。フレッドやジョージなら、きっとハリーの辛さを誤魔化してくれる。でもダリルは、
「もう……僕は、ホグワーツを退学になったんだ」
 ハリーは自分へ言い聞かすようにして、漫然と呟いた。
「伯母さんを膨らましちゃったんだ。次に魔法を使ったら退校処分だって言われてたにも関わらずね」
 口にしてしまえばスッとする部分もあったが、ダリルがどんな顔で自分を見つめているのかは確かめられなかった。ダリルと一緒にいると、痛覚がさえざえと鮮明になる感じがする。その瞳に、自分の傷跡が生々しく映るのではないかと、そんなことを思う。
 ダリルは「まあ」と相槌を打つでもなく、「如何いうことなの?」と問いただすでもなく、黙り込んでいる。ハリーの頬に刺さる視線だけが、彼女がこの件に無関心でないことを示していた。場を満たす沈黙が恥ずかしくて、ハリーは顔をあげることが出来なかった。

 こうこうと明るい視界が、その彩度をほんのり落としていく。また一人、部屋の電気を消した誰かがいるのだろう。世界中が眠る頃になっても、もうハリーには行く場所も帰る場所もない。そんな状況に置かれて、少しばかり自棄になってしまったって仕方がないことだ。
「僕はもうホグワーツに戻れない。魔法を使っちゃったんだよ」
 ハリーは吹っ切れたように、繰り返し口にした。
 

眠れる窓

 
 


七年語りLULL BEFORE THE STORM