七年語りLULL BEFORE THE STORM
33 期限つきの友達

 

『もう……僕は、ホグワーツを退学になったんだ』
 その言葉の真偽はともかくとして、ハリーの話は「ホグワーツに戻れない」という結論から始まった。

 文章表現技法において、結論から始まる話は“頭括型”であるとされる。取り留めもなく過程を聞かされている内に、もしくは語っているうちに核心が紛れてしまうことはよくあることだ。先に結論を持ってくる頭括型の組立は、筋道の通った話をする上で後括型より秀でているだろう。レポート課題をそう得意にしていないとはいえ、常日頃ハリーのエスプリの効いた嫌味に苦しめられているダリルは勿論のこと彼が機転の利く人間だと知っている。しかしハリーは、ついこの間十三歳になったばかりの少年だとも知っていた。
 十三歳は決して理性を兼ね揃えた大人に至る年齢ではないし、子供の細い足は背伸びするに負担がかかりすぎる。
 不自然なほどの冷静さで語られる言葉は、まだ高いハリーの声に不釣り合いだった。自分に再会するまでの彼がどんな気持ちで通りを歩いていたのか、何故伯母の家を飛び出したのか、その経緯がとても分かりやすくダリルの頭に入ってくる。

 マージ叔母さんの訪問から、こうして伯母夫婦の家を飛び出してくるまでの出来事を諳んじるハリーは怖いぐらいの無表情だった。
 どんなにハリーが落ち着き払っているように見えても、彼の平常心が全うに機能しているならダリル“なんか”に打明話をするはずがない。ハリーが自棄っぱちになっているのは明らかだったし、彼の話を聞けばそれも当然と言えた。マージ叔母さんが訪ねてきた経緯と、滞在期間の詳細。ホグズミード許可証へのサインが欲しくて、マージ叔母さんが帰るまで大人しくしていることを約束したこと……伯母夫妻の気に入る言動を気遣っていたが、最後の最後で両親を馬鹿にされたことでタガが外れてしまったこと……彼独特の他人を惹きつける鋭いユーモアが欠けているだけで、ハリーは殆ど冷静だった。己の感情を取り繕うのに長けた話しぶりが却って痛々しかった。
 自分相手に多少なり吐き出すことで楽になるのか――はたまた如何しようもない怒りを思い出して、幾度でも傷ついてしまうのか。

 ダリルには、自分がハリーの隣に座っていることの利点を見つけることが出来ない。ハーマイオニーやウィーズリーおばさんのように、親身な相槌を打つのは躊躇われた。ロンのように、ハリーの感情を汲み取って驚いたり、憤ってみせる気にもなれなかった。フレッドやジョージみたく、口笛を吹いて茶化すことも出来ない。ただ身の振り方に迷って、沈黙を重ね続けている。
 ハリーが傷ついていると知っていて彼に会いに来たわけではなかった。ハリーも、今日という日にダリルに鉢合わせるなどとは夢にも思わなかったに違いない。二人共、互いがこの場に相応しくないことを知っているのだ。それでも誰かに打ち明ける他なかったハリーの胸中を思えば、この場から逃げ出したくなる。その衝動を押し殺すことだけが、ダリルの精一杯だった。
「でも……君がマグルの町にいるんで、飛び切り驚いたよ」
 全てを話し終えたハリーは気まずさを誤魔化すようにおどけた口調を気取ったが、その空元気は儚い。二人きりの距離に静寂が浸った。

 随分長い間口を噤んで、強ばった頬を俯けていたハリーだったが、ややあってから顔を上げた。
「ごめん」
 恥じ入るような、何か苦々しく思っているような横顔が短い謝罪を口にする。「ごめん……」消え入りそうな声で、繰り返される。ダリルはこれ以上ないほど居たたまれななくなった。ダリルは大慌てで体ごとハリーに振り向いて、口を開いた。そんなことないのよ、ハリー。少しでも貴方の気持ちが軽くなったなら、それだけで十分なんだわ。そう言いたくてたまらないのに、声の出し方が分からない。
「本当にごめん。急に、こんな話……バーノン伯父さんお得意の、ドリルの話より酷いや」
 ハリーは泣きそうな顔で苦笑してみせた。ダリルの台詞など、求めていなそうに頑なな笑みだった。どんな慰めを口にしても、ダリルに対する失望を拭うことは適わないに違いなかった。ダリルも、その失望を否定するのが、ハリーの胸奥に入り込むのが恐ろしい。その失望を否定したところで、ダリルに何の得がある? ダリルはぐっと唇を噛んで、膝上で組んだ手を見つめる。

「ガッカリしただろ?」
 ハリーは落ち着き払って、極めて素っ気なく言ってのけた“つもり”らしかった。
 ダリルの耳朶に滑り込んだ声は「平気じゃあない」と言いたげに引きつっていたし、顔をあげずともハリーの表情が歪んだのが手に取るようにわかる。パンと弾む音に、ダリルは視線を滑らせた。ハリーの拳が、その痩せた膝に強く押し付けられている。
 もう一度、パンと、ハリーが自分の膝を殴った。青灰の瞳が、俯いて膝に影を作る顔を覗き込む。ダリルの視線に気づいてか、ハリーはワナワナと震える唇を無理に重ね合わせ、固い歯で下唇を縫い止めようとしていた。こうまで塞ぎ込んでいるハリーを如何扱ったものか、ダリルには分かりかねる。それでも、ハリーにこれ以上惨めな気持ちを味あわせることだけは避けたかった。
 ハリーと親しくなりたいわけじゃない。ハリーの胸に入り込んで、いつかの未来で傷つけるわけじゃない。ただ今だけ、ハリーがとても傷ついている風だから、ダリルにガッカリされたことで落ち込んでいる風だから……様々な言い訳が頭蓋の内を駆け巡る。ハリーがマグルの親族と折り合いの悪いことなど、薄々察していた。彼が想像以上に手酷い扱いを受けていようと、そんなのは大したことではない。誰だって、そう思う。ハリーだって、そのぐらい分かっている。ただ自分について喋り散らかすことに慣れていないから、動転しているだけだ。大したことじゃあない。そんなことないわ、ハリー。何故そんなことを言うの? そんな酷いマグルのところから出てこられて、とってもラッキーだったわ。ホグワーツは残念かもしれないけれど、ダンブルドア校長はきっと知恵を貸してくれるはずよ。当たり障りのない慰めを口にして、いつもどおりの二人に戻りたい。同寮生で済ますには親しすぎて、友達と言うには信頼出来ない――そんな、いつもどおり。

 夏期休暇前の距離感を保っていたいなら、そもそも会いに来るべきではなかったのだ。
 ダリルはドラコと一緒に産まれてきた。ドラコを受け入れないハリーとは密にやっていけない。ヴォルデモートに両親を殺されたハリーとはやっていけない。ヴォルデモートに受け入れられないだろうハリーとは、一緒にいられない。ハリーを傷つける。ハリーを殺すための手駒として使われる。そうと分かっていたはずなのに、いつだって目先のことしか見えずに自分の首を絞める。
 馬鹿なことをした。一人ぼっちなのは、あの男だけではないのに、途方もなく愚かな約束を交わしてしまった。

 繰り返し思い返すたび、過去にしか存在しない子供が質量を帯びた腕でダリルの愛を乞う。
 生々しい皮膚が四肢に絡みつく。怯えた声が、全てを捨てろと責め苛む。十九年分の飢餓感が、感情を喰らい尽くす。ダリルは一人しかいない。あの男を選ぶなら、どうせ最後にはドラコも、ハリーも、皆捨ててしまわなければならないのだ。
 誰かの胸奥に入り込んだところで傷つくのはダリルなのに、如何して孤独を選べないのだろう。一人ぼっちは慣れていたのに、傷つくことのほうがずっと怖いはずなのに、喪うことのほうが恐ろしいのに、如何してもハリーから失望されたくない。

「わたし、」
 ダリルはやっとのことで、一言漏らした。カサカサに乾いていた唇を舐めて湿らせる。
「あの、わたし……私」無意識に口元へ触れた指が、ダリルの言葉を曖昧にくぐもらせる。「私、ガッカリなん、て」
「そりゃ、マグルのマの字も知らない君じゃ分からないかもしれない。でも家じゃ、いつもこうだった」
 ハリーが苛立たしげにダリルの台詞を遮って、低く唸った。ちぐはぐな会話に、怪訝な顔でハリーを見つめる。尤もハリーが何を考えているか分からないのは、今に始まったことではない。それだって暫くハリーの言い分を聞いていれば、すぐに理解できる。それなのに、ダリルはハリーの台詞を待つこともなく頭を振った。痺れているように鈍い唇を歪めて「違う」と小さく口にする。
「生き残った男の子、英雄ハリー・ポッター! そんなの、君たちはそう口にするけど、僕はそんなご大層な人間じゃない」緑眼が憎々しげにダリルの瞳を射すくめる。ダリルは夜闇に薄暗い瞳が自分を映すのを眺めて、呆然とした。
「幾らクィディッチが出来たって、寮杯獲得に貢献してたって、奴らは僕がアラゴグに殺されなかったって事実しか見ないんだ!」
 荒々しく怒鳴ると、ハリーは自分がどれだけ無茶苦茶で脈絡のないことを口にしたのか自覚したようだった。我に返ったハリーが、ハッとダリルの様子を伺う。ダリルは口元を鈍く動かしたが、自分が普段どんな顔でハリーを見つめているのか思い出せなかった。
 こんな状態のハリーを前にして、傷ついた顔だけはしたくない。そう思っていたのに、きまり悪そうに顔を背けるハリーは鏡より正直だった。ダリルも、ハリーから顔を背けた。バカみたいに緩い涙腺を上に向けた。橙色の街頭で霞んで、夜空は更に遠い。
 冷たい星々が、近しいように見える彼らの果てない距離を語る老女を思い出させる。たどたどしく撫でてくる、細い指を思い出す。老女は、どんなに近しいように見えても、しょせん皆ひとりぼっちなのだと語っていた。彼女の台詞は、きっと間違っていない。一人ぼっちにならない人なんて、どこにもいない。親しい人から離れてしまえば、どんな雑踏のなかでだってあっという間に一人ぼっちになる。
 そうと聞き及んでいたのに“英雄ハリー・ポッター”などと無責任な憧れを口にした。
 ハリーにはロンとハーマイオニーがいるからと、そんな風に自分の保身ばかりに必死になって、自分の隣にいる少年が自分と同い年の子供で、孤独を抱え込んでいるのだと気づけなかった。気づこうとも思わなかった。

 ダリルはゆるゆると顎を引いて、ハリーを見やった。ハリーは、先と同じように俯いている。
 英雄ハリー・ポッター。ダリルは決して、ミーハー心からハリーに憧れたわけではない。ダリルがハリーの名前を知ったのは、組み分けの儀の時だ。彼の名前を知る前から、ハリーは“英雄”だった。それを、口にしようと思ったことはない。生々しい好意を口にしたところで、どうせ……どうせいつかは、ハリーから憎まれる種になる。些細な思慕は、口にしないでいる内、ダリルのなかでも薄れ始めた。
 それに、ハリーはダリルだけの英雄に留まる器でもなかった。ヴォルデモートを打ち砕き、ジニーを助け出した。だから十何年後のいつかで、ハリーがヴォルデモートを打倒してくれれば良いと望んだ。ダンブルドアではなく、ハリーが良かった。ハリーに助けて欲しかった。
 いつの間にか自分のなかのハリーと、生身のハリーの区別がつかなくなっていた。
 こんなにも近くに在りながら、ダリルは自分のなかのハリーにしか目をむけていなかった。今、隣で呼吸に肺を膨らませているハリーの存在を無視して、その気持ちに寄り添おうとしたことがなかった。
 ひどいことをしていると、ダリルは漠然と思った。

「……まあ、でも慣れてるんだ」
 沈黙に耐えかねてか、ハリーは肩をすくめて見せた。
 話を逸らしてなかったことにするより、誤魔化して煙に巻く流れを選んだらしい。「キチガイの馬鹿な子供、ずっと僕、そう扱われてきた」ハリーは気を取り直した風に口にした。膝に肘をついて、組んだ手に額をつける。祈っているようだと、ダリルは思った。
「物心ついた時から、ずっとそんなんだったから――僕は慣れてたんだ」
 小刻みに震える指が、ハリーに触れる直前で石垣の上に落ちる。ざらりと冷たい石を撫ぜる。ハリーは、静かだった。
 ダリルはいつかヴォルデモートの下に囲われる。ハリーを裏切る。そうと知っていて、だったら最初からハリーと親しくしなければいいのに、今すぐにでも突き放したほうが傷つかないで済むのに、事が露顕するまでは皆と一緒にいたいなんて身勝手なことを望んでいる。
 中途半端な拒絶は、ただ自分一人が傷つかないですむための固い殻だった。

「そう、慣れてなかった。そうじゃなきゃ……」
 ハリーが、言葉を詰まらせる。転がりだした石がどこに落ち着くのか、その軌道を制御出来るのか思案しているのだろう。ダリルは自分の着ているローブを、肩から落とした。冷たい風が、シャツの布目から滲みこんだ。
 酷いことをした。何が酷いのか、如何すればいいのか、何もわからない。ぼうやりとした罪悪感だけが、胸奥で温まっている。
 如何したら誰も傷つけないで済むだろう。誰もが苦しまず、幸福でいられるだろう。ダリルの幸福は、愛する人全てが傷つかないでいられるような、そんな到底実現不可能な偽善だ。自分が愛されたいから、そんな醜い偽善を望んでしまう。
 愛したひとが幸福なら、何人死のうと如何でもいい。自分が幸せになれるなら、何を踏みにじっても構わない。私はあなたたちとは違う。あなたたちと、一分一秒でも長く笑い合えるならどんな汚いことでも出来る。

 ダリルはローブを広げて、ハリーの視界を覆い隠した。
「貴方がどんな顔してるか、」ルシウスにじゃれついている時のことを思い返して、声を搾り出す。「貴方の何も……私には見えないわ」
 突然のことにハリーは身じろいだが、頭から被せられた布を取り去ろうとはしなかった。俯いていた顔が、幾重もの布ごしにダリルを見やる。ダリルも、細かな布目の奥にあるハリーの瞳を思い浮かべて、覗き込んだ。
 念を押す響きで、言葉を続ける。「覚えていてほしくないのなら、聞かなかったことにもするわ」
 今だけは、胸に刻まれた呪印を忘れよう。自分の言いたいことを口にしよう。自分が振る舞いたいように、振舞おう。自分の父親が何をしたか、自分がこれから何をしようとしているのか全て忘れよう。
「私、貴方の名前が“生き残った男の子”だと知っても驚かなかった。今も、その時と同じ。私、貴方の名前が何か知ってるわ」
 ハリーが闇のなかで何を考えているのか、如何したらハリーを傷つけないで済むのか、ダリルは考えるのを止めた。
 ダリルは聖職者ではない。子供のころから、ドラコよりずっと残酷なのは自分のほうだった。ドラコに甘やかされて、ルシウスに増長されて我侭いっぱいに育った自分が如何して他人を慮ることが出来ると思ったのか、分からない。
 如何振舞っても傷つけてしまうと言うなら、飛び切り身勝手に踏みにじってしまおう。そう思った。そう、覚悟した。

「ねえ、ハリー。そうでしょう」
 戦慄く唇を伸ばして、言葉を続ける。「ハーマイオニーが叱りつけるように呼んだり、諭すように口にする名前よ」ダリルは恐る恐る、ローブの裾から覗く腕を、そのトレーナーの袖を握った。「ロンが、飛び切り楽しそうに貴方を呼ぶわ」
 フレッドとジョージが、玩具でもみつけたみたいにハリーを呼ぶ。ウッドが、傲慢にも似た無邪気さでハリーを引きずっていく。ネビルが、憧れを含んだような声音で呆れを漏らす。シェーマスとディーンが笑いながら、ハリーの背を叩く。ジニーが恥ずかしそうに、ひっそりと啄む。マクゴナガル教授が困ったと言いたげな厳格さでハリーを呼び止める。ダンブルドア校長が、感心したようにハリーを褒める。その全てがダリルの脳裏にはっきりと焼きついていて、壊したくないと思う。この人は、どれだけ愛されているのだろうと羨望する。
「……貴方のご両親が、大切に想っている名前だわ」
 擦り切れて薄い布地に、ダリルの指がしがみついた。彼らが命を懸けて守った少年を、彼を害そうとする――彼らを殺した男と約束を交わした唇で呟く。彼を愛する誰もがこの夜に駆けつけることを望んだだろうに、自分だけが居合わせたのは何の皮肉だろうか?
 ダリルはドラコを愛しいと思うのと同様に、ハリーのことも、ヴォルデモートのことも愛している。ただ、ダリルは根っからのグリフィンドール気質ではないから打算を考えてしまう。スリザリン気質から外れた選択を好むから、その場限りの感情に突き動かされる。
 すうと深く息を吸って、瞼を下ろす。再び目を開いたダリルは、胸に迫る気持ちを舌に乗せた。
「貴方がどんな人間だったって、ガッカリしないわ。私、貴方が思ってるよりずっと物識りなのよ。こと、貴方についてはね」
 貴方が愛しい。貴方と一緒にいたい。今だけは、世界に貴方と二人だけだから自分の思うまま寄り添っていたい。そして、この夜が明ければ貴方のそばに留まっていようとは思わないだろう。貴方にはロンとハーマイオニーがいるし、私もドラコやセドリックがいる。
 袖を掴む指を滑らせて、骨ばった手の甲へ軽く触れた。

 私たちは、互いの人生で何番目の運命の人だろう。
 貴方は私の荷物を持ってくれた。私を笑わせようとしてくれた。貴方を追いかけて、グリフィンドールを選んだ。貴方の名前を知る前から、貴方は英雄だった。その思慕が貴方の重荷になると知っても、貴方が私と親しくなることを望んでいても、貴方より一人ぼっちなひとがいる。自分を“生まれ損ない”だと思っていた十一歳の私は、私のなかの貴方のように……誰か一人にとっての“英雄”になりたかった。

 ダリルは自分本位な人間だ。
 ハリーの心に、他人の人生に寄り添うことよりも、一人ぼっちだった頃の“希望”を叶えてやりたい。そのためなら、どんな残酷なことでもする。自分の胸奥で瞬く輝きが、貴方という光を失わないためなら、どんな嘘でも吐く。

 激しい葛藤に蓋をして、ダリルはまだ熱も伝わらない、柔い皮膚を撫でた。
「私、貴方に会いに来て良かったわ。だって私たち、」声が震えないように、全身に力を込める。「私たち……友達でしょう」
 顔を上げたハリーが、視界を遮るローブを払いのけた。目尻に溜まった涙も忘れて、動揺を露にダリルを凝視する。ダリルは、緑眼を見つめ返した。厚い手袋越しにハリーの手を握り締めて、深く息を吸う。頬の筋肉を歪めて、にっこり笑いかけた。
「ハリーって、私の友達の名前よ。ずっと昔に教えたつもりでいたけれど、言い忘れていたかしら?」
 呪印が蠢く前に遠ざかろうとした指が、その袖が引き止められる。ハリーの指が、ダリルの袖を掴んでいた。
「ううん――うん、」ダリルを繋いでいない手が、ハリーの口元を覆う。「そうだ、ウン」
 水気を含んだ声音が、幾度も相槌を打った。
「そうだった。君だって、僕の友達なんだ」

 ハリーはグイと目尻をこすってから、パチパチと瞬きした。
「僕、休みボケで……すっかり忘れてた。何だって夏期休暇はこんなに長いんだろうね?」
 泣きそうな顔で頷いたハリーに、ダリルも肯定の意を込めて微笑みかける。
「そりゃハリー、スネイプ教授を日干ししてやんなきゃならないもの。男の子は知らないでしょうけど、カビ取りって手間が掛かるのよ」
 ダリルの知ったかぶりを聞いて、潤んだ瞳が可笑しそうに細められた。「カビ取りみたいな汚れ仕事なら任せてよ」自虐とも自慢ともつかない台詞を自信たっぷりに口にして、ハリーはダリルの顔を覗き込んだ。真っ直ぐな緑眼が、屈託なく射抜いてくる。
「マグル式の清掃は得意なんだ。寧ろ、君こそスネイプ相手にカビ取りの練習でも積んだほうが良いんじゃない?」
 ウィットに富んだ、いやネチっこくからかってくるハリーが悪戯っぽく笑った。懇切丁寧な嫌味を清聴するダリルは、思い切り顔を顰めた。からかわれたことに対する不愉快もあるけれど、それ以上にカビ取りの練習をドタキャンしてしまったこと、きっと今頃ルシウスがダリル再教育計画を練っているだろうことを思い出してしまったからだ。ダリルは、ハーと、重々しいため息をこぼした。
 いっそ自分も何もかもを打ち捨てて、ハリーと一緒に大道芸でもして暮らそうか。
「そりゃ良い考えね、ハリー。スネイプ教授に清潔感を与えることが出来たなら、世界中の男の人が私と結婚したがるでしょうよ」
 ダリルが身を屈めて、地面に落ちたローブを拾い上げた。パンパンと音を立てて砂利を払い落としながら、気のない冗談を続ける。
「問題は私もホグワーツを退学になるかもってことだわ。ホグワーツとスネイプ教授の皮脂はワンセットだって、貴方も知ってるでしょう」
「そっか、ホグワーツを退学になるってことは、もう二度とスネイプと……退学になるかも?

 神妙な面持ちで問い詰めてくるハリーを前にして、文章表現技法を慮っていられる人間が何人いるだろうか?
 少なくとも、ダリルはしどろもどろに後括型へ甘んじる他なかった。話そうと思えば一分で終わる話がハリーの突っ込みを受けて、五分十分と長引いた。辛うじて呪印に纏わることは誤魔化しきれたが、大体のことは丸裸にされてしまった。ダリルは別にハリーに打ち明けたいことも、誰か他人に吐き出さないではいられない焦燥感もないというのに、何か解せない。

 ぶすっとしたダリルとは裏腹に、友達の話を聞くハリーは楽しそうだった。
 

期限つきの友達

 
 


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