七年語りPHILOSOPHER’S STONE
12 つづれび

 

 孤独ではあったが、ダリルは清々しい気持ちでいた。

 結局あの組み分けの儀式で、ダリルが誰かから歓迎の言葉を貰うことも、温かな拍手を浴びることもなかった。
 しんと静まった広間は段々と音を取り戻し、例年通りの賑わいで満たされていった。ダリルはただ石像か何かのように黙っているだけで良かった。その日も、それからも、そうしているだけでダリルは平穏な生活を送ることが出来た――表向きはと注釈はついたかもしれないが。
 ルシウスとナルシッサからは毎日のように手紙が来ているし、堂々と嘲笑されることはなかったが、スリザリンの女学生とすれ違った際にくすくす笑いが自分の背を追いかけてくるのはダリル自身自覚していた。そしてその笑みが、近くにドラコが居ればいるだけ大きくなるとも、理解していた。既にスリザリン生の内にはダリルとドラコの不仲が事実として広がっている。

 ダリルにはまだルシウスの庇護がある。正確に言えば、あるか如何かは不明だが、賢明なスリザリンの諸兄・諸姉は事の真偽が不明であっても、それをある物として考えている。ないと思って行動して、もしルシウスの庇護がまだダリルにあったとすればデメリットを負うのは自分たちだからだ。だからこそスリザリン生は表だってダリルを馬鹿にすることが出来ない。ダリルもそれを承知している。
 しかしホグワーツ内部においてはルシウスの庇護も遠く届かない。ドラコの機嫌を取るように、彼の前で自分を嘲笑ってみせるのがその証拠だ。皆はルシウスの機嫌を取るより、ドラコに気に入られたほうが自分に得があると思っているのだろう。
 今のダリルは殆ど無力だった。その現実が逆にダリルをほっとさせた。こうなることを、誰かの庇護をなくすことをダリルがどれだけ恐れただろう。何故なのか、孤独になった今になってあの恐怖が遠くなっていた。

 元々自分は持て囃されるに相応しくない人間だ。ダリルは己のことをそう思っている。
 ドラコのように人心を得ることに長けているわけではないし、パンジーのように頭が回るわけでも、ハーマイオニーのように賢いわけでもない。ただ名家に生まれたからと皆に褒められてきた。昔はドラコのように、それが己自身に相応しい賛辞と思っていたこともある。今は相応しくなくとも、いずれ相応の人物になる自信があった。次第に“それ”が重くなった。自分が期待を受けるに足る人間でないと気づいてしまった。いや気づかなければ実際そういう人間になれたのかもしれない。そう考えれば、気づいたと言うのは可笑しいだろう。シャボン玉が弾けるように、パチンと夢から醒めてしまったのだ。まだ醒める時期ではなかったものを、ぬくぬくと繭に包まれていれば蝶になれたものを、ダリルの繭が不完全だったのか、それともその繭が壊れてしまったのは不運な事故であったのか、今となっては分からない。
 ダリルに分かるのはこの孤独が自分のものなのだという、確信に近い安らぎを自分が覚えていることだけだ。
 このまま時が過ぎ、むっつりと黙っているだけで歳を重ね、老いて死んでゆけたら――とすら思う。無論それは無理な話だ。
 この平穏のなかにだってダリルを憂鬱にさせることは山とあった。

 まずは、言わずもがな両親からの手紙である。
 母親は自分を責める旨を綴った手紙を送ってくれていたが、ルシウスの手紙の内容は母親のものとはまるきり違っていた。
 自分を庇護するために、父が否定したものはなんであろう。組み分け帽子に始まり、現校長のアルバス・ダンブルドア、その“腰ぎんちゃく”であるマクゴナガル教授、ホグワーツの教育、教職員の質の低下等々実に多岐に渡っていた。ただひとつ、ダリル以外の何もかもを批難して、ダリルのことだけは一言も否定しなかった。ダリルのしでかしたことを、認めてはくれなかった。
 ルシウスはダリルがグリフィンドールに組み分けされたことを過ちだと書いていた。何かの間違いなのだと、ダリルのせいでグリフィンドールに組み分けされたわけではないと慰めてくれた。校長に直談判すると締めくくられた手紙について考えるとダリルはどこかへ消えてしまいたいと思った。否定して欲しかった。お前はダメな奴だ、ドラコと違って良い子じゃないと罵ってくれれば良いのにと強く思った。
 手紙からは、ルシウスがまだダリルを己に従順にさせることを諦めていないらしいことがありありと読み取れる。

 声なのか、もしくは選ぶ言葉、抑揚のある話しぶりに起因するのか、ルシウスは人心を掴む話術に長けている。
 ルシウスと一対一で話して罵詈雑言浴びせられるのはウィーズリー氏ぐらいのものだ。他人でさえそうなのだから、ルシウスの膝の上で育ったダリルが如何して父を拒絶出来るだろう。露骨に上から押さえつけるでもなく、そそのかすでもなく、如何にも自分を愛している風な熱っぽい声を聞かされると、ダリルは何もかもを打ち捨てて父の手を取りたくなる。単なる手紙でも、見慣れた文字の隙間からルシウスの声が聞こえてくるような感覚を覚える。もしルシウスがホグワーツに来ることがあれば、ダリルは泣いて自分の愚かを悔いただろう。
 ダリルはルシウスからの手紙を一々読むほど義理堅くないし、馬鹿でもない。ルシウスの文字を目で追っていると、色々な考えで頭が重くなる。もう良いやと、ルシウスへ謝罪の手紙を出したくなってしまう。それは媚びで、多分ダリルの本心ではない。

 お父様が私を愛していてくれるなら、お父様の望む私でいられるなら、それでお父様が幸せになれるのなら――思考から逃げることをそう言い訳して、ダリルはルシウスに従順な自分を演じてきた。スクイブの、“産まれ損ない”である自分が人並みに暮らすためには誰かの庇護を得なくてはならなかったのだ。自分を嫌うドラコと純血信仰へ従順に生きてきた母親、過程より結果に重きを置く父親。その三人のなかでルシウスが一番ダリルに優しかった。ダリルが家格を傷つけないよう、それでも美しくあつらえた箱庭のなかで飼ってくれた。つい最近まで“それ”を父の愛情と思って満足していたはずなのに、今のダリルは父の箱庭へ戻る気になれなかった。
 尤も父との件はホグワーツに居る限り気にせずに済みそうなので、今のところこの問題は然したるものではない。母の意見に父が感化されればいいと、ダリルは暫く父へのコンタクトを取るのを止めた。返信は最初の一通だけで、あとは封をしたまま暖炉で燃やしている

 スリザリン生から陰口を叩かれることも、ジョージ・ウィーズリーとフレッド・ウィーズリーがダリルのことをMs.スリザリンと呼んで遊んでいることも、大したことではない。確かにグリフィンドール生達はダリルが何をしたわけでもないのに素っ気なかったが、それは多分彼らがダリルのことをスリザリンからのスパイ呼ばわりして笑っていることとは無関係なのだ。

『あの、そのパンを取って頂けますか?』
『おっと、お前らそのパンに手を触れるなよ、中に仕込まれてる機密書がうっかり落ちちまうかもしれないからな』
『さらにうっかりコーンフレークの上で広がってしまうかもしれない』
『なんたることだ! スリザリンの化け物を目覚めさせる呪文が、ミルクの泡となって消えてしまう!!』
『Ms.スリザリンの拷問にかけられるぞ!』
 楽しげに笑っているのは彼らのみである。他の生徒達はそれをどう受け止めたものか困惑し、苦笑するのが常だった。まさか禁じられた呪文の存在を、生徒の誰も知らぬということはなかろう。しかもマルフォイ家が闇の帝王に加担していたことは公に知られている。二人のからかいに、ダリルがクルーシオと唱えるかもしれないと恐れる人は少なくなかった。
 最近のダリルは、自分に友人の一人も出来ないのは、少しは彼らのせいもあるのではないかと考えている。

 ウィーズリーの双子は寮内どころかハッフルパフやレイブンクローの生徒達の内でも人気が高いようだったが、ダリルは彼らが嫌いだった。当然だろう。顔を突き合わせる度にああもからかわれたのでは、好きになれと言うのも無理な話だ。
 当初は父親同士の仲が悪いから嫌われているのだろうかと思ったが、心から楽しげに自分をからかってくる二人を見るに、父親同士の怨恨は無関係の、単なる二人の性根の問題だと思うようになった。親のことを引きずらない姿勢は快いと思ったが、それでこうからかわれたのでは堪らない。いっそ本当にあったことを理由に嫌ってくれた方が気が楽だ。

 とはいえ堂々と嫌われるのも、それはそれで楽しいものではない。
 ウィーズリー家の末弟はすぐ上の兄達とは違って、親の怨恨を引きずる性質であるようだった――勿論実際に自分がドラコから受けた仕打ちに対するものもあるだろうが。多分、彼は情が強いのだろうとダリルは思う。その嫌悪が自分に向けられていなければ、双子の兄達よりずっと善良でまともな人間だと思えたに違いない。少なくとも人で遊ぼうとしないだけ聖人に近い。
 ロナルド・ウィーズリーはダリルを前にしても堂々とダリルやルシウス、ドラコを否定するようなことを言った。その言葉の裏にはダリルを打ちのめしてやりたいという願望が見えたが、事実を引用しての台詞を正々堂々言われるのはダリルにとってそう堪えることではない。ダリルは彼を気にしていなかった。スリザリン生の陰湿さに比べれば、可愛いものである。
 もしも彼の友人が、あのハリー・ポッターでさえなければ、ダリルは彼のことを一切気にかけなかったに違いない。

 ロナルド・ウィーズリーとハリーが自分の方を見て何事か話しているのに気付くと、胸が激しく脈打つと同時に酷く痛んだ。
 ロナルド・ウィーズリーの言う事だ、例え悪口だったとしても事実なのは疑いようもない。それでもハリーが自分を快く思っていないと思うと、気分が落ち込んだ。礼もまだ言えていない。あの時の自分がハリーにどんなふうに見えたかを思っては、話しかけるのを嫌がられそうで、怖かった。しかしこの問題も些細なことだとダリルは思っていた。何と比べたって些細に決まっている。向こうの皿が重すぎるのだ。

 ダリルを脅かす一番の問題は自身が魔法をまるで使えないことだった。

 まだ授業が始まってから一週間も経っていないためダリルがスクイブであることは明るみになっていない。しかし他人に知れるのも時間の問題のように感じた。ダリルの予想以上に、自分が今まで本を読み、十分に予習してきたと思っていたことが、まるで無意味だった。
 ダリルが今まで自習で学んできたものは理論だった。魔法を使うためのメカニズム、どのように魔力が出力し、抑え、杖という装置で制御するのか。何故魔力に個人差があるのか。呪文を使うことが出来ないダリルにとって、彼女が呪文一つ覚えるためにはそうする他なかった。
 ホグワーツは理由づけた理論を学ばせるよりも、実践に重きを置いた授業を行っていた。

 呪文とは“秘密”である。マグルが魔法を使えないのは魔力がないからではない、呪文のメカニズムを脳に刻み込むことが出来ない故に、そのメカニズムを知らぬ故に魔法が真実なのだと知ることが出来ないからマグルは魔法が使えない。つまり魔法というのは一種の信仰であり、念であり、思いであり、マグルが言うところの“思い込み”だ。その思い込みの力、魔力というのは血筋によって受け継がれるものではない。純血種に魔力の強いものが生まれる傾向があるのは、単に個が成育環境に影響されるからである。無論脳が“そういう”風に――魔法を使いやすく、思い込みが強くなりやすい体・脳の形というのもある。ホグワーツに来る生徒の大部分がそうであろうとダリルは思った。
 そういう人間はマグルに言わせれば「閉鎖病棟に行くべき人間」なのかもしれないが、ダリル達魔法族の価値観においては「優秀な魔法使い」である。魔法界きっての進学校として扱われるホグワーツに、そういった優秀な生徒が多いのは当然と言えた。

 父親の書斎机の上に置かれていた「魔力についてのささやかな思い付き」という題の論文をダリルが目にすることが出来たのは、当然のことながら、氏がこの説を支持しているからではない。「盲目的に純血種が良いものと思っている馬鹿どもへ」と〆られているものを、ルシウスが良く思うはずもない。ダリルはルシウスがこの論文を焚書するために纏めて置いたのを紙束ひとつ引き抜いて、代わりにルシウス氏の愛読書「純血種の優性魔力について」という本を突っ込んだ。ドラコの書棚に一冊、ナルシッサとルシウスの寝室に一冊、ルシウスの書斎に二冊ある詰まらぬ本を、自分が後生大事に持っている必要はないとダリルは判断した。とても有意義な使い方をしたと、思う。
 ルシウスが燃やそうとしていたその論文はダリルに呪文を教えてくれた。正確に言えば呪文を覚える術を、だ。それまでドラコが簡単に唱える文字列を一文字たりとも記憶出来なかったダリルが、呪文につまったドラコに次の一文字を教えるようになれた。

 ホグワーツに通えるような子供にとって一度聞いただけで覚えることが出来るような、そんな呪文ですらダリルは一文字一文字に籠められた意味を暗記することでしか覚えることが出来なかった。しかしそれまで呪文を覚えることが出来なかったダリルにとって、その地道な作業は苦痛ではなかった。かつて古の魔法使い達が思いを閉じ込めて一文字一文字綴ったものを紐解いていくのは幸福でさえあった。
 そんな幸福感と自信も、ホグワーツに来て吹っ飛んだ。今まで自分の周囲に三人しかいなかった優秀な魔法使いが、視界をいっぱいにするほどいる事実は当然ダリルを落ち込ませた。呪文を自分の分かりやすいよう訳していく作業は変わらず楽しかったけれど、自分の頭の中の辞書を捲りながら過去に覚えた呪文のなかから似た文字列を探す最中、遊ぶようにいとも容易に呪文を唱える少女達を振り向くたびにダリルは己の劣等を理解する。例えば水をゴクリと嚥下するように、すうと空気を吸うように、誰かにおはようと笑いかけるように、産まれてから育つまでにホグワーツに通う誰もが身につけるものがダリルには身についていない。それを劣っていると言わずに、なんと言うのか。

 ホグワーツでの生活は不愉快なものではない。干渉は最低限で、ダリルはありのままの自分でいられるような解放感に身を委ねていた。誰もダリルに何かを強いたりはしなかったが、代わりに孤独である。打ち込めるものが出来たわけでもない。
 マイナスがない代わりにプラスもなかった。ホグワーツに来なくても得られるものだったのではないかと思うほど、何も。

『それはスリザリンに入ることで得たいものではないと思うよ』
 それでは、グリフィンドールに入ることで、入ることでしか得られないものをダリルは望んだのだろうか。
 確かにあの時の少年は自分がそうだろうと思った通りグリフィンドールに入った。でも未だに言葉を交わしてはいない。ハリーも、キングズ・クロスでのことなどすっかり忘れているようだった。例え覚えていたとしても、ロナルド・ウィーズリーと親しい彼に近づく勇気はない。そう、ダリルに勇気などないのだ。一体、何故自分はグリフィンドールを選んでしまったのだろう。ルシウスへの反抗心だろうか? 些細な思い付きから、愚かな選択をしてしまった。友もいない。ホグワーツで何を学びたいという目的もない。ホグワーツにいて良いのかとも思ったし、もしもルシウスが強引に自分を連れ帰ろうとしたら素直に従ってしまうかもしれないとも思った。

 ハリーにありがとうを言いたいとはまだ思っている。
 でも、それ以上に彼に嫌われることや、自分が皆より劣っている存在なのだと彼に知られたくなかった。

 どんなに家での生活を懐かしく思おうと、自分勝手にホグワーツを去ることは出来ない。
 それに、まだ一週間も経っていないじゃないかとダリルは己を奮い立たせる。ダリルは出来る限りで一生懸命頑張った。
 授業の内でも暗記が主である魔法史や天文学、薬草学の授業は何とかなりそうだった。無論これから一層難しくなっていくだろうが、今はまだダリルが本で読んだ知識で追いつけるレベルだ。予習復習を怠らなければ平均点はとれるだろう。
 ダリルが危惧していた実技を主とする授業は妖精の魔法と変身術の二つだけだった。それも殆どの生徒がダリル同様上手く魔法を使えていない。尤も、だからといって油断は禁物だ。対象物をピクリとも動かせないことが二度三度と続けば当然皆変に思うに決まっている。
 唯一の救いと言えば、一番恐れていた「闇の魔術に対する防衛術」が実技なしの筆記・暗記授業だったことだろう。
 皆はそれについて「肩すかしだ」「頼りないわよね」などと不平不満をぶちまけていたが、ダリルにとっては何より有り難かった。四科目で満点を取れば、幾ら実技で点を取れなくても如何にか進級できるだろう――スクイブだとバレてからも、この学校に居られるなら。

 マグル出身の子らに比べて自分の方が優位なスタートを切っているはずなのに、自分が学んできた知識が役立たないことにダリルは急いた気持ちになっていた。いや丸きり無駄な知識というわけではないのだ。皆のように魔法を使うことの出来ないダリルが彼らと並ぶためには倍の勉強量が必要になる。まだ始まってから一週間も経たない学生生活の内で、ダリルにはもう自分の成績からマイナスされていくものが見えているのだ。これから出来るようになるという希望的観測など抱けるわけもない。切り捨てて、補うために、考えて……。
 寝台にも、廊下の片隅にも、大広間のテーブルにも、談話室にも、どこにもダリルの休まる場所はない。かつてはドラコの隣が、そしてスクイブと知ってからはルシウスの隣だけがダリルの安らぎだった。そのルシウスを切り捨てたのはダリルだ。

 自分で選んだのだ。自分で選べば、当然その責任もダリルの肩に縋ってくる。ダリルは何に縋ることも出来ないのに、選んでしまった。
 

つづれび

 
 


七年語りPHILOSOPHER’S STONE