七年語りPHILOSOPHER’S STONE
16 友への手紙

 

 ダリルの朝は相変わらず紅茶と悪夢の梟便と双子との攻防で始まる。

 変わり映えのない――それも“最低”で固定されたままの暮らしだからといって、何も良いことがないではない。ダリルは父親からの膨大な封筒を手にすると、遥か遠くにいるハリーの表情を伺った。ハリーは小さな梟から受け取った封筒を見て、ニコニコと笑っている。
「でもハリー、僕はその手紙怪しいと思うんだけど」
 そう言いながらトーストを齧るロンは、鬱陶しそうな顔で、左手に持った便箋を眺めている。きっと家族からの、小言か何か厄介な手紙なのだろうとダリルは思った。事実それはモリーからのお節介が主成分だったし、ハリーは友人の忠告を八つ当たり以上のものとして受け止めなかった。ハリーは「それは、君にとっては差出人も説教も書いてない手紙は怪しいだろうね」言って悪戯っぽく笑った。
 ダリルには会話の内容は聞こえないが、それでも楽しそうにじゃれる二人の姿を見ているだけで心が弾んだ。

 今ハリーが手にしている、真っ白な封筒の送り主はダリルである。ダリルとハリーはこのひと月で何通ものやり取りをしていた。
 切っ掛けはマクゴナガル教授の居室でハリーの箒捌きを見たことで、ハリーがグリフィンドール寮のシーカーになったのを祝う手紙だった。まだ幼いからか、文面が好意的なものだったからか、それとも手紙を貰う機会が人並みにないからか……ハリーは宛名だけの怪しい手紙を捨てたりはしなかった。それどころか――正直言って読まずに捨てられるだろうと思っていたダリルは気絶してしまいそうになるのだけれど――返事まで書いて送ってくれた。ハリーのユーモアと好意が文面に惜しみもなく満ちている手紙はダリルの宝物になった。
 以来ダリルが出す度に返事をくれるようになり、二人の文通は始まった。
 勿論差出人は“不明”のままで、ダリルは名乗っていない。名乗ってみても良いのではないかとも考えたが、ハリーがドラコについての愚痴を書いてきたのを見るに一生名乗るべきではないと理解した。大事な片割れが憧れの人に悪しざまに罵られているのは、そりゃ読んでて楽しくない。それでもダリルには、自分の見知らぬ世界の出来ごとのようでハリーがドラコの話をするのを嬉しく思った。自分の名前が一度も出てこないのもダリルをホッとさせた。単なる無関心であったとしても、嫌われるよりはずっとマシだった。
 先だっての返信でハリー自ら“ミス・レター”というあだ名をつけて貰ったこともあり、ダリルは幸福だった。
 ロンが「ミス・レターが誰かを追求するべきじゃない」と提案しているのを聞く度に冷や冷やしたが、しかしハリーはミス・レターの正体よりも文通相手が出来た事実のほうが嬉しいらしく、返信に正体を問い詰める旨が書かれたことはない。

 そんなことを思い出しながら、ダリルは父からの手紙を鞄に押し込むのだった。
 大広間の扉をくぐってこちらにくる赤髪が見えたら、そこからダリルの短距離走が始まる。ハリーの無関心さと打って変わって、ウィーズリーの双子は未だダリルに“夢中”だった。朝食の終わりはいつも息が乱れる。一体、あの双子はダリルに何の恨みがあるのだろう? まあ、ルシウスの娘というだけで殺害動機にだって足るのだろうけれど――ダリルが大広間から少し離れた場所で壁に手をつきつつ、恨み言を幾つも胸中に浮かべては荒い息を整えていると、その脇をふわふわとした栗毛が流れていくのが常だった。入学してからの一月、人より早く朝食を取りにきていたハーマイオニーは、このところ寝坊が多くなっていた。クマこそないものの、目のあたりが少し腫れぼったい。
 幾度も落ち込み、家に戻りたいと願ったダリルだったが、彼女の生活はゆっくりと良い方向へ向かっていた。
 でもと、ダリルはふらふらと大広間の扉に吸いこまれていくハーマイオニーの背を見やる。
「……如何したのかしら」
 ハーマイオニーが日に日にやつれていくのがとても心配だった。



 ダリルの魔力が示されない件については、やはりマクゴナガル教授は「これ以上は私の手に負えません」と断言した。
 そうして当の本人が望んでいること、事実マクゴナガル教授も魔力測定の件で幾らか頼ったことから、ダリルはクィレルと共に自分が魔法を使えない原因を探ることになった。それと共に普段の勉強も見てもらうこととなり、ダリルは時間を持て余すことがなくなった。
 生徒に軽んじられているとはいえクィレルは成人の魔法使いであったし、双子にからかわれそうな時も彼のほうへ駆けていってしまえばそれ以上遊ばれることもない。ミス・スリザリンの修飾語に「にんにく」が増えたのも、もう気にならない。
 それに闇の魔法に対する魔術の担当講師に目を掛けてもらっていると周囲に思われるのは十分ダリルの自尊心を安心させたものだ。

 魔力が示されない理由については、相変わらず手がかりの一つさえ見つからない。
 しかしダリルがそのことを不安がったりする暇はなかった。どもりにさえ目を瞑れば、クィレルはダリルの良い話相手だった。

「私、古代の魔法にとても興味があるんです」
 いつものようにクィレルの居室にあるソファに腰掛け、彼の蔵書を抱え込んだダリルが弾んだ声を出す。
「ここ、こ、ないだも、言っていた、ね……」
「ええ。今皆が使っているような、完成された魔法ではなく、例えばホグワーツの設立者達が使っていたような魔法は何だったのかと思うとワクワクするんです」
 居室の真ん中にある机で生徒達のレポートを採点していたクィレルが面を上げた。
 元々彼の授業に出されるレポートで真面目に書かれたものなど数枚しかない。それでも殆どの生徒に及第点をあげてしまうのが生徒達に軽んじられる所以だったが、彼は今も昔も人に何かを教えるということが好きではないのだ。軽んじられたところで如何でも良かった。
 彼がホグワーツの教員で居る理由の最たるものはホグワーツに収容されている蔵書にあり、彼は学生時代からずっと図書室にとって良い客人だった。マダム・ピンズの蔵書管理を手伝う傍ら、古くなりすぎた本を幾冊か貰えることが何よりの報酬のようだった。
 そんな彼だったので、この大人びた生徒の相手をするのはそう苦ではなかった。
「き、き、君は、そ、それが妖精や屋敷僕達の使うものに近いと、言っていた、ね」
「クィレル教授の専門は、魔法生物だと聞きました。その中でも吸血鬼にかけては、魔法界で一二を争うほどの知識を有していると」
 にっこり口にするとクィレルはビクッと体を震わせ、忙しそうに唇を幾度か舐めた。
 クィレルが黒い森に行ってから人が変ってしまったというのは有名な話で、無論ダリルもそれを知っていた。本だけ読んで、知識だけ蓄えていても実世界に出れば無駄なのね。ダリルはクィレルをじっと見つめながら思う。クィレルと過ごす時間が長くなればなっただけ、ダリルは「この人は本当に学者肌なんだわ」と実感した。他人と関わるということを殆ど恐れてさえいるようで、ダリルがどんなに褒めようと感心しようと、クィレルの態度が軟化する様子はなかった。彼がダリルと積極的に関わろうとするのは――といっても、精々が書き物机に被せた体を起き上がらせ、ダリルのほうに向ける程度だった――この年若い生徒が身の丈に合った好奇心を口にした時だけだった。

 クィレルはダリルの出来ることに目を留めてくれる。
 ダリルが魔法を覚えるための方法を語った時、両親も兄もどんな顔をしただろう。気味の悪い生き物でも見るかのように強張った顔のままで、いつしかダリルは誰とも魔法に関する話をしてこなかった。ドラコが頷いてる時は頷き、批判的な目をした時は困ったように首を傾げ、「自分は普通の魔女です」という演技を繰り返してきた。そんなダリルにとって自分の話をきちんと聞いてくれるクィレルは素敵だった。
 中でもダリルが他の魔法使い達と同じように呪文を簡単に覚えることが出来ないという話には酷く興味を持ったらしかった。
 どうやって呪文を覚えるのかという疑問に始まり、ダリルの自説(マグルが魔法を使えないのは魔力がないからではない、呪文のメカニズムを脳に刻み込むことが出来ない故だという台詞で始まる演説)へ「魔法生物でもやはり純血種同士の交配だと稀に酷い欠陥をもったものが生まれる」という相槌、魔法というものがどう発生するのか、等価交換によりなりたつものか、それとも別次元からの可能性を持ってくるものなのか、どちらにせよ1がなければ発生するはずがないという考えでは互いに活き活きと――当然クィレルはどもり交じりだったが――論じ合うことが出来た。既に彼らの会話の中心は魔力そのものとなっていて、そうなればダリルの件が解決するはずもない。
 時々心配そうに「少しは何か分かりましたか」と二人に問いかけてくるマクゴナガル教授のことを思うと申し訳ない気持ちになりはした。しかし互いに尤もらしい沈痛な顔で「残念ながら」と返せば、あとで顔を合わせた時に笑みが零れた。

 ずっと年上の、しかも教師である相手にそう思うのは変かもしれないがダリルはクィレルのことを友人のように思っていた。勿論多くの尊敬を伴って、ダリルはこの優しい大人の魔法使いを快く思っている。
 確かに授業は聊か淡泊ではあるし、退屈だなとはダリルも感じている。それでも放課後のクィレルは素晴らしかった。

 ここに通うようになってひと月も経てばクィレルも自分を快く思っているらしいことがダリルにも伝わり、ダリルはとても幸福な気持ちになった。正直に言えばそれが友情か可愛い生徒を贔屓するものかは知れないが、兎に角クィレルにとってもダリルは特別だった。
 闇の魔術に対する防衛術の授業で後片付けを手伝うよう頼まれるのはダリルだけだったし、授業が終わってから消灯までの殆どを彼の居室で過ごすことを知る人こそいなかったものの、クィレルとダリルが親しいことを知らぬものは誰もいなかった。
 それと同時にスネイプとの不仲も広まっていったが、ダリルは構わないと思った。先に敵意を露出させたのは向こうだもの。そんな相手に媚びるなんて嫌だわ――良家生れらしい気位の高さでダリルはそう腹を括っていた。
 当たり前にスリザリンの女学生達からの風当たりがきつくなったものの、スネイプに対する気位の高さがダリルの美貌を引き立たせたのかスリザリン男学生はダリルを軽んじることがなくなった。尤もドラコに近しい一年生達は相変わらず彼女を無視していた。
 そしてスネイプに対する感情で仲間と認めてもらったのか、それとも慣れただけか、グリフィンドール寮生の多くも段々とダリルを意識することがなくなった。勿論双子達のミス・スリザリン呼びは続いていたし、ゆるゆるとホグワーツ内で定着している感もあったのだが、全てをひっくるめてもハロウィーンの頃には学校生活は落ち着きを見せ始めたといって相違ないものだった。

「き、き、きみは――魔法を使えない、と、恥じているみ、たいだけど」
 震え終わった(まだ小刻みに震えているが然程大仰ではない)クィレルがそこまで口にすると、ふっと遠くを見るように視線をぼんやりさせた。ぼそぼそとダリルには聞こえない独り言を繰り返す。最初こそ面食らったがダリルだって独り言は多いほうだ。クィレルは自分以上に引っ込み思案のようだし、明言するまえに思考を整理させることが必要なのだろう。ダリルはじっと彼の思考が落ち着くまで待った。
「……そ、その考え方は素晴らしい、と、わ、私は思っている、よ」
 ダリルはぱっと顔を明るくさせた。
「ありがとうございます」

 ダリルは今、現代魔法の有効範囲はどこからどこまでかということについて興味を持っている。例えば古い魔法と新しい魔法を同時に使った場合勝つのは古い魔法であることは――勿論まるで異なる効果を持つものならば同時に成立するが――明らかだ。
 全ての魔法が成立した年代を調べて年表を作りたいなとダリルは思っていた。
 そのためにダリルはまず現代魔法と古代魔法の違い、現代魔法の原点は何の呪文かということを調べている。クィレルもその調べ物を酷く誉めてくれ、是非ダリルの考えを聞きたいと言ってくれた。

「た、た、とえばポ、ポッター君はや、闇の帝王の呪文を打ち破ったわけだ」
「そうなんですか」
 きょとんと眼を丸くしてからダリルはぽっと頬を染めた。「私、彼が如何やって闇の帝王を破ったかは詳しくなくて……お父様がそういう本は読ませて下さらないの」そう言ってからダリルは一層恥入ったように黙りこんでしまった。同級生に件の人物がいて、図書室に行けば幾らでも彼に関する本が読めただろうに、言い訳している自分が恥ずかしかった。
「君の、ち、ち父親は良い教育をしていると、思うよ」念押しするように続けた。「き、君を見ていると、よく分かる」
「――ええ。お父様は、とても素敵なの」
 ホグワーツに来てから初めての台詞だった。しかしすらりとそう口に出来たのはダリルにとって喜ばしいものだった。
「私の無知で教授の話を遮ってすみません。続きを聞かせて頂けますか」
「あ、ああ。や、闇の帝王はか、彼に向けて死――死の呪文を放ったが、ハリーは死ななかった……」
 ダリルはハリーのことを思い浮かべた。そして少しだけ知っている当時の背景と、死の呪文に対する知識を思い出していた。ダリルは死の呪文がどういうスペルなのか知らない。例えば今ここでクィレルがダリルに向けて「アバダ・ケダブダ」と言ったとしても、何を言われたか理解出来ぬ内に死ぬのだろう。知らないものを恐れることは出来ない。それ故、ダリルは好奇心だけでその呪文について考えていた。
「死の呪文について調べれば分かるかもしれません」
 考えてみれば相手の死を望むということは人類の内でも原始的な欲望だ。ひょっとすればそれについて調べるのは現代魔法と古代魔法の区切りを知るのに有益かもしれない。きっとクィレル教授もそう思って自分に問いかけてくれたのに違いない。
 ダリルはクィレルと出会って初めて、己の思考を言葉にする爽快さ、耳を傾けて貰う喜び……期待を掛けられる誇らしさを知った。

「私、教授とお話するの大好きです」
 綺麗に微笑む少女の声音にクィレルはほんの少し痛むものを感じた。

 その日の逢瀬はそれで途切れた。そしてダリルは死の呪文について十二分に調べるまで彼の居室を訪れないだろう。



「駄目! 駄目よ!! ヘドウィグ、レディ、ふたりとも止めて!!」
 ダリルの寝室に彼女以外の誰かかがいないのは幸いだった。淑女たれという母の教えを忘れて叫んだとしても、誰にも知られないから。

 窓辺で繰り広げられる生存レースを大声で遮ると、レディはあたふたとダリルの腕にしがみついて、ナイトローブの袖の中に隠れてしまった。一羽残されたヘドウィグは不満そうに喉を鳴らしている。朝食代わりにするつもりだったのに違いない。
 夜空を多くの梟が森のほうへ向かうのが見える。食事をしに行くもの、手紙を届けに行くもの、主のもとへ手紙を受け取りに行くもの、星に交じって飛び交う羽音が遠く聞こえる。身寄りのないハリーの梟である彼女は、未だこの窓辺以外の“目的地”を持たない。
「ヘドウィグ、ありがとうね。でも、この子は食べちゃダメよ」
 そうしたらルシウスにどれ程叱られるかという愚痴は飲み込んだ。
 ふんと言いたげにそっぽを向く彼女は疾うにダリルの頼みを分かっているのだ。しかしそりが合わないらしく、それともヘドウィグの食欲を恐ろしくそそるのか、ハリーからの手紙を届けにきてくれる度に喧嘩を始めるのだった。レディも大きいからして捕食されるだけに留まらない。シャアッと鎌首をもたげて舌を躍らせているのを見るとダリルはぞっとする。
 ヘドウィグの羽を撫ぜながら、自分もこんな梟が欲しかったなとダリルは思った。どうしてもレディを可愛いと思えないでいた。
 尤もヘドウィグが可愛いのは、その純白の羽が美しいのもあるが、ハリーからの手紙を届けてくれることだ。ダリルは一頻りヘドウィグの口ばしを擽り、彼女を労ってから、傍らの封筒を手に取った。
「いつもありがとうね」
 ヘドウィグも自分をきちんと扱ってくれるダリルを気に入っているのか、ホーと淑女らしく澄ました返事を返してくれる。

 ミス・レターへ
 いつも手紙を有り難う。
 相変わらずロンは説教が入っていない手紙を怪しいって連呼しているけど、ロンは誰かに叱られていない自分を知らないだけなんだ。
 僕が疲れているんじゃないかって随分心配してくれたけど、クィディッチの件では僕を心配することなんてないと思うよ。誰だって好きなことをしている時は疲れないしね。まあ誰かさんの退屈な話のせいで疲れてるんだったって思い出すことはあるけど。
 それとあんまり、その……僕が飛んでるところを見た感想は入れないで欲しいな。君ったらロンかウッドかってぐらい、僕が何の練習しているか知ってるんで、二人が可愛い文字を書いてこっそり僕に送ってるところを想像してはゲーってしちゃうんだ。
 まあ二人だったら僕への手紙に説教を入れないなんて手違いは起こさないだろうけど。

 こうやって手紙で色々話すのは楽しいけど、ちょっと会って話せたら面白いだろうなあって少し思ってる。
 君もホグワーツ生なんだよね? それでヘドウィグの戻ってくるのが早いってことは、グリフィンドール寮生かな。

 また手紙待ってます。友情を込めて、ハリー。
 

友への手紙

 
 


七年語りPHILOSOPHER’S STONE