七年語りPHILOSOPHER’S STONE
18 他人への伝言

 

 随分と裏工作が上手くなったなとダリルはクィレルの居室で考えていた。

 結局闇の魔術に対する防衛術はサボった。そうすれば誰もハーマイオニーにノートを渡したのがダリルだとは気付かないはずだ。
 幸いなことにクィレルはダリルが授業をサボったことを咎めなかったし、二度はないという言葉だけで、ダリルはもう何も気にしなくてよいとされた。それでダリルは今日の授業で板書した内容を自分の分とハーマイオニーの分と二枚書き写していたのである。

「な、何故、に、二枚も……?」
 疑問にダリルは顔をあげた。そうしてから、クィレルにとって珍しいものでなくなった笑みを浮かべる。
「その――ミス・グレンジャーもいなかったでしょう?」
 その後に誰も言わないで下さいねと続けるダリルの声音から、彼女がクィレルのことを“秘密を打ち明けるに十分親しい相手”と思っているのが悟れる。その、自分の好意が独りよがりなものだったとして、クィレルは決して邪見に思う事はないだろう。そうと思っていたのに、クィレルは困惑したような顔をして、ダリルの嫌いな――気味の悪い生き物でも見るような視線を瞳に宿していた。
 ダリルは羽根ペンを置いて、悲しそうに眉を下げた。「すみません、教授の優しさに甘えすぎましたわね」
 本来なら自分の分を写せるだけでも幸運と思わねばならないのに、人の分まで……なんて失礼だったのかしら。ダリルは他の生徒のように、クィレルを軽んじた言動を取りたくはなかった。ダリルには、それ以外に彼の気分を害した理由に見当がつかなかった。
 ダリルの謝罪を聞くや否や、クィレルはふーと安堵したような息をついた。
「き、君は折角あのような家に生まれたのだから……その、      にかまけていてはいけない」
 珍しくどもりの少ない台詞だったが、その一部は聞き取れなかった。とても大事な“何か”だけ、すっぽり抜け落ちている。
「え、ええ、はい」
 よくわからなかったが、成人の魔法使いが、しかもホグワーツの教師が何か間違ったことを言うはずがない。ダリルは素直に頷いた。

「それじゃ、わ、私はお、お、大広間に食事を取りに行くけど……」
「私はここで写していて良いですか?」
 何しろクィレルの授業用のメモは膨大で、纏めるのにも苦労するほどだった。既に羊皮紙一巻きを使っているにも関わらずまだまだ記さねばならぬことは山とある。ダリルの申し出にクィレルは頷くと部屋を出ていった。
 ハロウィンの食事であるからしてもう少し熱心に誘ってくれたって良かったのにと……ダリルは思ったが、しかし授業をサボったのは自分なので黙々と二人分のノートを取っていた。ハーマイオニーはもう泣きやんだかしらとか時々考えたり、クィレル教授は講義をするよりこの資料を配ったほうが良いわなんて失礼なことを思ったり、色々考えている内に外はすっかり真っ暗になっていた。

 トロールという単語が耳に飛び込んできたのは丁度ダリルがハーマイオニーの分のノートを取り終わった時である。
「トロールなんて一体どうやって入り込んだんだろうな?」
「クィレルがどっかの扉を閉め忘れたに決まってるさ」
「しっかしあいつもほんと根性無しだよなー」
 がやがやとクィレルの居室の前を通って移動していく生徒の話を聞き、ダリルは自分もグリフィンドール寮に避難しなくてはと思った。礼を言わぬまま去るのは非礼だが、このような非常事態で、それに用事はもう済んだ。
 自分は今一人ぼっちだ。もしも今トロールが襲ってきたらと思うとぞっとした。ダリルは荷物を全て鞄に詰め込むと急いで扉を開けようとした。――開けようとノブを捻ったのだけれど、「……回らない」ノブはセメダインで固めたようにガッチリと固まっていた。
 多分トロールが何か物をなぎ倒して、何か物理的な理由でこの扉の前が塞がれているのではないと思う。鍵穴から見た廊下はいつも通りで、何らかの問題が発生しているようには思えなかった。そしてダリルはこの扉の鍵がいつも閉まっているわけでもないと分かっている。鍵はクィレルの机の上にあり、一応持ってきて差してもみたが鍵が閉まったり開いたりする音がするだけでノブはびくともしない。
 ダリルは最後にもう一度だけ、ノブを回すための無駄な努力を繰り返した。ノブの冷たさからそっと手を離して、元いたソファへ戻る。

 鞄を下ろし、膝の上に分厚い本を置いて、更に羊皮紙を重ねた。先ほどまでの自分を再現してみせる。胸は何故かドキドキしていて、それはトロールへの恐怖からではないと理解していた。
『き、君は折角あのような家に生まれたのだから……その、      にかまけていてはいけない』
 なんて言ったのだろう。あの時クィレル教授は、私に一体なんと言ったのだろう。

 クィレルが戻ってきたのは、すっかりあたりが静まってからだった。
 ダリルがどんなに頑張っても開けることの出来なった扉を易々と開けて、クィレルは草臥れた様子でフラフラと入ってきた。
 今まさに書き終わったのだという風を装って、ダリルは羽根ペンを置いた。首だけで振り向く。「おかえりなさい」
「本当に有り難うございました。私、すっかり写し終わりました」口早にそう言うと「もうこんな時間ですし、私――私、帰ります」ダリルは席を立った。足元に散らばった文具や、本をかき集めて、鞄に仕舞う。
「き、君、――ダリル」
 ダリルの動きが止まった。ゆっくりとクィレルの顔を伺う。
 自分の椅子に深く身を埋めるクィレルは心底疲れているようで、ダリルの様子など意にも介していないようだった。
「そこ、そこの本棚に、き、君の調べ物の足しになりそうな本があるから、も、持って行くと良い」
「……有り難うございます」
 本棚にあったのは「死の呪い」という簡素なタイトルの本だった。しかしダリルはその本が閲覧禁止の棚にあったのを知っている。世間一般の大人――いや、ルシウスでさえダリルがそう言った本を読むのを快く思いはしない。
 もやもやとした気持ちは心中で燻っていたが、ダリルの友人と言える人は彼一人しかいないのだ。
 そっと戻った談話室でハリーとロンとハーマイオニーが三人で話しこんでいるのを見て、ダリルは一層強くそう思った。
 全部、全部私の気のせいだわ。クィレル教授は“先生”なのよ。それも、ホグワーツの……闇の魔術に対する防衛術を担当しているのよ。私のお喋りに付き合ってくれるわ。そりゃ、少しばかり変わったところはあるし、それで他の生徒から軽んじられもするけれど、本質は優しくて立派な人だって、私は知ってるわ。賢い人だと、尊敬もしてる。そんな人が、間違ったことをするはずがないじゃあない。
 聞こえなかった台詞は、有り触れた説教。開かない扉は、金具の故障。渡された本は、単なる善意。

 ダリルは宴たけなわの談話室を素通りして女子寮へ戻ると、ハーマイオニーの寝起きしている部屋の前に羊皮紙を置いておいた。

 親愛なるハリーへ
 返信が遅れてしまってごめんなさい。ちょっと風邪を引いて、医務室のお世話になっていたの。
 怪しい手紙が来ないんで、さぞかし安心したでしょうね? ハロウィンの御馳走も食べ損ねてしまって、随分がっかりしました。
 それでも貴方達の勇敢な行動は耳に入りました! トロールを倒したんですって? 本当に貴方って――貴方ったら、グリフィンドール寮生らしい、勇気溢れるひとなんですね。勿論貴方の友達であるロンがいなかったら、そんなことは出来なかったと貴方は言うでしょうし、私も彼の勇気を称えるのにやぶさかではありません。素晴らしいお友達を持っているんですね。
 新しいお友達も、きっと貴方の大きな支えになるでしょう。私は彼女がどれほど優秀な魔女かよく知っています。
 貴方がお友達の良いところを吸収して、どんどん良い魔法使いとして成長していくのを楽しみにしています。

 勿論クィディッチ選手としての貴方のことも応援しています。
 じきにクィディッチ・シーズンですものね。

 愛を込めて、どこかの誰かより。

「……寂しくはないわ」
 ダリルは四つあるうちの、一番奥のベッドに寝転んだ。
 夜の闇が満ちる室内でそれよりももっと密度の濃い黒を閉じ込めた鱗が近寄ってくる。赤い目がダリルの涙を見つめていた。
 誰か知られなければ拒絶されないで済む。例え見返りが殆どなかろうと、好きな人が悲しんでいるよりはマシだ。

 その夜ダリルは久しぶりに“出来そこない”達の夢を見た。
 

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