七年語り – PHILOSOPHER’S STONE
20 英雄という名の孤独
「そりゃ、僕だってもう……その、ミス・レターが怪しいとは思わないさ」
「へえ」ハリーはにやっと笑った。「つまり説教されないでいるのも“やぶさか”ではないってことなんだね?」
枕のひだがハリーのメガネを掠めていく。向かいのベッドに腰掛けているロンが、頬を髪と同じ色に染めてハリーを睨んでいた。
パーシーが悪いのか、フレッドとジョージが悪いのか、両親からの兄弟への叱責や注意の手紙は全てロンのところへ集うのだ。パーシーに送れば過剰に気にし過ぎてしまうし、その他は論外だ。送った手紙を読むかどうかで賭けが成立してしまう。
「僕が怒られてるわけじゃない――」
「そして君に送られてきたわけでもない……」
ハリーは抑揚をつけた嫌味を口にすると、ロンの枕に杖を向けた。親しくなったばかりの才媛から御享受頂いた魔法で、枕を浮かす。
「そうだけど、僕ら」ロンはそっぽを向いた「僕ら友達だ」
友達の中に誰と誰が含まれているか、ハリーは知っている。「ハーマイオニーの前でそう言ってやれよ」
ハリーが身じろぎした瞬間、二人の間で浮かんでいた枕がネビルの頭に落ちた。低く呻いて寝返りを打つネビルに、ロンは肩を竦めた。
同室の皆が寝入っているのに、二人がこんな時間までずっとペチャクチャやっているのは何も明日が休日だからというだけではない。
今二人がペチャクチャやっている理由はハーマイオニーの持っていた羊皮紙に書かれた文字が、ミス・レターの筆跡と同じだったからだ。その新発見にロンは俄然興奮したが、ハリーは「ミス・レターがハーマイオニーの同室の誰かだったら嫌だな」とちょっと思った。誰から貰ったものだとハーマイオニーを詰問するロンのほうを見れば、ハーマイオニーも浮かない顔をしていた。
結局その尋問から得た情報は何もなく、唯一の収穫はハーマイオニーとロンの喧嘩を仲裁するのが如何に大変かということだけだった。
「僕だってあんなに聞いて悪かったと思ってるさ」
ハリーの台詞に昼間の口論を思い出したらしく、ロンが殊勝にも自分の非を認めた。自分の前ではこんなにも素直な(とは言い難いが少なくとも石頭ではない)ロンが、如何してハーマイオニーとは上手くやれないんだろう。つくづく不思議になる。
「だったら明日きちんと謝りなよ」
謝りなよとは言うものの、大人なハーマイオニーのことだから、明日になれば「昨日のことは忘れたわ」って顔をしているんだろう。自分が仲裁しきれない分を耐えてくれるハーマイオニーは有難かった。全くロンとは大違いだよと、ハリーはそんなことを思いながら傍らに落ちたメガネを拾った。レンズ越しにクリアになった視界で、ロンが神妙な表情をしていた。
「パパは、脳味噌が見えないものに気を付けて損はないって言っていた」
心から二人が心配と書いてある顔だ。ハリーは「これだから憎めないんだよな」と、彼の浅慮さに目をつむる。
友達になったばかりだからか、如何しても自分のことを一番に考えるところのあるハリーやハーマイオニーと違って、ロンが人のことを案じる時は自分のことはまるっきり手つかずなのだ。それで事態を悪化させる癖がロンにはあったが、今まで誰かから強く案じられたことのないハリーはがむしゃらに自分のことを考えてくれるロンを思うと、彼が大きくした問題を片すのを、黙って手伝ってやろうと思うのだった。
多分それはハーマイオニーも同じなのだろうと思う。ハロウィーンの夜に仲良くなって以来小さな衝突は星の数ほどもあるものの、その殆どハーマイオニーのほうが我を折っていた。「如何してわからないの?」が口癖だった彼女が「どこがわからないの?」と言い直したとき、ハリーは自分は誰と仲良くなったんだろうと耳を疑ったものだ。
三人が友達と呼べる付き合いになってから約一カ月ほどが経ったが、そりゃ一瞬で十年来の親友のように振る舞えるわけがない。
何せハリーには今まで友達がいなかったし、ロンもそれは同様だったが友達のように付き合える兄弟が多くいた。ハーマイオニーに至っては友達がいたか如何かもわからないが、ハリーはこの一カ月で自分と同類だったのだろうと見当をつけている。
つまり全く友達というものを知らないで生きてきた人が二人と、それっぽいものは知っているという人が急に自然に遊べるはずがない。それでも未経験のこと、かつて自分を傷つけてきたものに挑戦している割には三人とも上手く事をやり過ごしていた。
一歩引いて物事を見るハリーは仲裁が得意だったし、気が強いけど大人びているハーマイオニーはどこで自分が折れるべきかを着々と身に着けていた。何よりもロンは二人が友達ということを爪の先ほども疑っていなかった。
今日の喧嘩も、この夜更かしも、そのロンの猪突猛進さから起きたことだが、ハリーはそれをすっかり忘れてしまう。
「マグルの世界じゃ雑誌を買って、そこに住所を載せてる全く見ず知らずの他人に手紙を送ったりすることもあるんだよ」
しかし自分の文通相手にケチをつけられているということはばっちり覚えていた。
うんざりしたように首を振るハリーへロンは膨れる。
「でもここは魔法界だ」
「魔法界に“文通するべからず”なんて法律があったとは、知らなかったよ」
「僕は本当に心配してるんだぞ!」
「残念ながら君は僕の保護者じゃあない」
そう言い捨ててハリーは布団にもぐった。もう眠気はピークだったし、ロンの言う事をまともに聞いてたら、呼吸をするにも気を付けなきゃいけないみたいだ。ハリーはうんざりした。ミス・レターは自分の文通相手であって、ロンに手紙を送ってるわけじゃあない。
それにハリーの保護者はもういない……ハリーは誰からも案じられることなく育ったが、その分自由だった。
ハーマイオニーとロンの喧嘩は我の強いもの同士のぶつかり合いで起こるものだが、然程大きな衝突にはなりえない。ハーマイオニーは友達を知らないだけで、案じられることには慣れているから、二カ月の孤独の分ロンの有難味をよく分かっている。
一方ハリーは案じられることすら知らない。彼にとって度を越した心配は自分の自由を締め付ける鎖のように思えるのだった。故にロンにとって一度衝突すれば些細なもので済まされないのは、ハリーとのものであり――
「自分が飛ばした枕ぐらい、元に戻せよ!」
ロンは負け台詞を飛ばすと、枕を取りに行くことなく布団に潜った。「いっつもこうだ」と思いながら。
自分の心配を払いのけるハリーが自暴自棄になっているようで、そんな時ロンは少し彼の生い立ちを思うのだった。
英雄ハリー・ポッター。生き残った少年。赤子の頃に“例のあの人”を破った偉大な魔法使い。
魔法界中から誉め称えられ、憧れの的となっているハリーが自分と同い年の孤独な子供だということをロンだけが知っていた。
「ぼくらともだちだ」
夢うつつのなかでロンがそうぼやいた。ハリーはとっくに眠りに落ちていたが、言われなくても十分なほど知っていた。
七年語り – PHILOSOPHER’S STONE