七年語りPHILOSOPHER’S STONE
22 クリスマスへ向けて

 

 すっかり季節は冬になっていたが、ダリルの三寒四温生活は変わらない。

 その日もパンジー達はダリルに付きまとっていた。既に彼女達はダリルへの敵意を隠そうとせず、それはダリルも同様だった。如何して嫌いな人と昼食を食べなければならないのとダリルは思ったが、ルシウスの機嫌を保ちたいなら彼女達を追い払うわけにはいかない。
 結局ダリルは少し冷え込む中庭で砂味のサンドウィッチとうんざりするようなおべっかを咀嚼する羽目になった。
 空いた時間で授業の復習をしようと思っていただけに苛立つ。大きな悪意を小さな善意で包み隠そうと――否最早善意は皿に添えられたパセリよりも無意味な置物と化していた――なんて陰険な人達なのかしら、ダリルは思い切り眉を顰めた。
 パンジー達は口でこそ砂糖みたいな台詞を放ち続けていたものの、誰もダリルの半径三十センチ以内に近づこうとはしなかった。
 ロケージョンが中庭ということもあり、ダリルは自分がブボチューバーにでもなった気がした。

 せめて雪でも降っていたら格好の断り文句になったのに。恨めしく空を見上げても冷気を感じるだけで、何も発展しない。
 いくら待っても雪が降ってくるはずはなく、ダリルはこの陰険な昼休みを半ば諦めかけていた。しかしダリルが「とっても楽しい食事会ね」と棒読みで言った瞬間、吹雪よりもずっと良いものが渡り廊下から吹きこんだ。ダリルはぱっと顔をあげて、己の寮監の姿を探した。
「ミス・マルフォイ、こちらに――」
 マクゴナガル教授はダリルが誰といるか理解するや、自然な調子で誤魔化しを付け加えた。
「先日受けて貰った“身体検査”について話があります」
 陰険スネイプにはこんな気遣い出来ないだろう。ダリルはにっこりさよならを告げると、ご機嫌でマクゴナガル教授に付いていった。

 昼休みは残り二十分を切っていたが、次の授業は変身術だ。遅刻を恐れる必要はなかった。
 マクゴナガル教授の居室は相変わらず人をリラックスさせるような空気で満ちていたものの、部屋の主は椅子へかけようとはしなかった。それでダリルはやや込み合った話をされるようだと理解する。二人は入り口で立ったまま向き合った。
「相変わらず発展はないようですね」
 マクゴナガル教授は、ダリルが扉を閉めるなり急かすようにそう口にした。
「色々と協力していただいているのに、申し訳ありません」
 ダリルは全く悪びれた様子もなく謝罪した。
 一人で色々と調べてみたつもりだけれど、やはりどんなに調べても自分が魔法を使えない理由は分からなかった。
「いえ、仕方のないことです」
 マクゴナガル教授は首を左右に振ると、ふうとため息をつく。

「クリスマス休暇中には私の出した課題をやってもらいます」チラとマクゴナガル教授が自身の机の上にある紙束を見やった。
 ダリルもそちらを見やる。その紙束は厚さにして三センチのものだったが、あの紙束分の疑問について答えるのに何単語必要かしらと思えば、ダリルは改めて魔法の使えないわが身を呪った。死の呪文について調べようと思っていたのに、それどころかあの紙束の半分ほどには課題を消化できるか如何か疑わしい。クリスマスプディングを食べながらレポート書くことをお母様は許してくれるかしら。
 尤も不満に思うなんて贅沢だわという気持ちもあった。あの時マダム・ポンフリーに相談していなければ勿論クリスマス休暇は課題なしで過ごせただろうが、代わりに落第するかもしれない恐怖に怯えながら日々を過ごすことになっていただろう。
 魔法が出来るようになるまで、人一倍頑張らないと、皆と同じにはなれないのだと、ダリルはそう分かっていたはずだ。

 第一変身術はダリルにとって鬼門中の鬼門だ。何しろ実技ばかりだし、マクゴナガル教授自身も理論は勿論のこと杖の振り方を体に刻みつけるのが最も重要ですと幾度も繰り返している。それを実技の全く出来ない生徒を無事に進級させるよう骨身になってくれているのだから、ダリルは改めて寮監が――陰険スネイプなんかではなく――マクゴナガル教授で良かったと強く思った。
 その感謝は手渡された紙束の厚さが三センチではなく四センチだと気付いた時にも、揺るがなかったが、ちょっとは揺らいだ。
「その……全部変身術の課題ですか」
 ひょっとしなくても教科書より分厚いのではないかと恐れおののいたダリルへマクゴナガル教授はちょっと眉尻を下げて見せる。
「――あと呪文学のものを」
 今学期中、生徒を評価する際に実技へ重きを置く教科は魔法薬学を除けば二つだけだった。
 ダリルは心からの笑みを、マクゴナガル教授の気持ちを明るく出来るように微笑んだ。
「マクゴナガル教授には本当に感謝していますわ」
 ダリルの問題を知る人はこれで三人目だ。知る人が増えれば増えるほど露見する可能性も高くなったが、マクゴナガル教授が自分の気持ちをくみ取ってくれるのが嬉しかった。本当なら魔法が使えないダリルをホグワーツから追い出すことだって出来ただろう。
 魔法が使えないのは自分が悪いのだ。例えその理由に覚えがなくとも、たかが一人の生徒のことへマクゴナガル教授がそこまで親身にならなければいけない理由はどこにもなかった。ただ一つ彼女の寮の生徒だという些細な理由の他にはどこにもない。

「わたし」
 物事は少しずつ良い方向へ向かっている。
 かつてダリルが悔いた選択が今マクゴナガル教授に結びついていた。そう思うとまだまだ頑張れると思うのだった。
「わたし、私、グリフィンドール寮に入って、本当に良かったと思っています」
 そう呟いたダリルはぎゅっと紙束を強く握っていて、笑みのない頑なな表情をしていた。それでもマクゴナガル教授にとってダリルの台詞は多くの笑みよりも素晴らしいものに思えるのだった。

 マクゴナガル教授はダリルがどんな問題を抱えているのか概ね予想がついていた。無論魔法が使えないこと以上に重たいものをだ。
 ダリルだけが他の生徒と比べて多くの問題を抱えているわけではないが、未だに友達と呼べる関係を持たぬダリルのことを気に掛けずには居られなかった。ハリーの箒捌きを見た時はこれなら上手くやれるだろうと思ったものの、ダリルはマクゴナガル教授の想像以上に頑固だったし、卑屈で、多くを恐れすぎていた。そんな彼女は恐れを知らないグリフィンドール生達に上手く溶け込めないようだった。
 そもそもマクゴナガル教授の主観で言えばダリルに向いているのはレイブンクローなのだ。スリザリンもグリフィンドールも彼女の穏やかな気性には刺激が強すぎる。あの寮でならば彼女の好奇心を共有する友人が出来ただろうし、スリザリンとグリフィンドールという対立の激しい二つの寮に挟まれて疲弊するような事態は避けられたはずだ。
 ずっと如何してダリルがグリフィンドール寮に組み分けられたのか不思議に思っていたマクゴナガル教授だが、今のダリルの台詞で全て分かったような気がした。彼女自身が望んだのだと、どんな理由があったにせよ彼女がグリフィンドールに焦がれて、帽子がそれを許した。
 ルシウスは未だに娘の組み分けの結果が気に食わないらしいが、組み分け帽子は間違わない。

 間違えるのは人だけだとマクゴナガル教授は思った。

 シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリュー、リーマス・ルーピン、それにジェームズ・ポッター。
 半世紀以上もここに勤めてきたマクゴナガル教授だが、彼らほど色濃く彼女の記憶に留まった生徒達はいなかった。
 彼らは強い好奇心があったし、勇気に満ちていて、満ちていなくても常にそうありたいと望んでいた。騒ぎを起こし、問題を起こせば起こすほど、彼らは奔放な光として周囲を惹きつけた。マクゴナガル教授もその一人だった。
 可愛い教え子達、彼らがホグワーツにいた最中誰が彼らの未来を予感していただろう。暗闇に満ちた時代だったけれど、ホグワーツにはダンブルドアを初めとする優秀な教員が数多くいて、生徒達は学生時代という煌めきを享受していた。恋も友情も勉強も、一歩学外に出れば不安が待っているからか、その怯えを誤魔化すように、昇華させるように精いっぱい日々を送っていた。
 年若い生徒達が一生懸命なのを見ると、この暗い時代も彼らが晴らしてくれると思ったものだ。
 そう思うあまり自分は生徒達に多くを託しすぎてしまったのではないか。もっと出来ることがあったのではないかと思うようになった。
 可能性と好奇心で満ちていた四人。
 皆その分だけ問題を抱えていて――その一つひとつ、きちんと気を付けていたなら今も四人の顔が見れたのだろうか。

 グリフィンドールとスリザリンの狭間で揺れ動くシリウスの気持ちをもっと理解していたら、彼はピーターを殺さなかったろう。
「ビンズ教授が貴女をほめていましたよ」
 マクゴナガル教授はそう微笑んだ。

 少しずつで良いから自分に自信を持って、親の顔色を気にせず、自分の意思を通せる女性になって欲しい。
 自分の生徒にホグワーツを去るとは言わせたくなかった。こんなにも良い学校はどこにもない。ここで大事なものを培っていって欲しい。友を、恋人を、そして知識を得て、自分の幸福を掴みとるための礎にして欲しい。
 平和を望んで死んだ者がいる。平和を望めないと諦めた者がいる。平和のために犠牲になった者がいる。
 せめてこれからの生徒には彼らの分も幸せになって欲しかった。

 ダリルはマクゴナガル教授の誉め言葉に少し面食らった。
 彼女が余程のことでもない限り生徒を誉めないのは、今まで彼女に誉められたことのある生徒がハーマイオニー一人であることから明らかだ。自分がハーマイオニーに匹敵するような、そんな優秀なところがあるとはまるで思えない。
 きょとんとするダリルにマクゴナガル教授は尚も言い募った。
「ミス・グレンジャーとミス・マルフォイ、今まで提出したレポートで最も素晴らしいものを書いていたのは貴女達二人だと言ってらっしゃいました。少し見せて貰いましたが、私もそう思います」
 ミス・グレンジャーとミス・マルフォイ、貴女達二人……ダリルは耳を疑った。“あの”ハーマイオニーの後に自分の名前が続けられているなんて!!! ダリルはぼっと頬を赤くして俯いた。否定するにはあまりに惜しい台詞だったが、受け容れるには申し訳なさすぎる。
 ハーマイオニーは自分なんか足元に及ばないほど一生懸命勉強をしている。自分と違ってきちんとした魔女の彼女が、魔法を使えない自分以上に長く勉強しているのである。今でさえ優秀なのに、一体彼女は何を目指しているのか不思議になる。
 ダリルはハーマイオニーが目指しているものが何か想像すると楽しくなってくる。しかし今はハーマイオニーへの賛辞を浮かべられる気分ではなかった。このまま死んでも良い。ダリルはそんなことをちょっと考えた。

 マクゴナガル教授とダリルの思考は若干食い違ったまま進んでいく。
 ダリルは勿論ハーマイオニーと並べて誉められたことが赤面するほど恥ずかしくもあり嬉しくもあるのだが、マクゴナガル教授はダリルが誉められただけでこんな反応を見せていると思ってしまった。
 実際ダリルが思っているほどハーマイオニーは高みにいるわけではない。将来を考えてどちらが有望かと言えばハーマイオニーなのだが、現状レポートの完成度だけを見れば両方ともどっちもどっちと言ったところだ。ハーマイオニーは好奇心が全方向へ向けられているあまりに時々話が脱線するので、好奇心が一方に集中しているダリルのほうが内容としての完成度が高い。しかしながら様々に話を広げながらも上手く纏めるハーマイオニーのほうが文章力が高い。そして知った情報を元にそこへ自分の考えを肉付けしていくハーマイオニーの書いたレポートを王道と見るなら、自分の発想を元に調べた情報で整理していくダリルの書いたレポートは奇抜そのものだった。
 兎に角両方ともマクゴナガル教授が誉めて遜色のないレポートを書いているのは確かである。
「貴女は魔法の仕組み、魔法そのものついて書くのが特に得意なようですね」
「はい」
 ダリルが頷いた。

 ダリルの書いたレポートが奇抜になる理由の一端はそこにもあった。
 魔法論という教科書を使う授業は魔法史と変身術と闇の魔法に対する防衛術、三つあり、そしてどの授業も魔法論へ重きを置くことはない。どの教科も本分は魔法のメカニズムとかけ離れたところにあるからだ。
 一応ざっと説明したり、理由を魔法論に求めたりすることもあるが、本腰入れて魔法論について教える授業はホグワーツにない。
 魔法使いにとって基礎的な情報が記してあることもあり、そんなことを知らずともやっていけるということで軽く扱われるのが普通だ。
 しかしダリルの好奇心はそこに向かっていて、時々普通の魔法使い達が当たり前と思っていることを根底からひっくり返すような疑問・仮説を立てるのだった。その発想力は彼女が魔法を使わずに暮らしてきたからだろうとマクゴナガル教授は考える。
 魔法が使えない魔法族だったからこそ培われてきた、立派な長所だ。マクゴナガル教授はなんとかそれを伸ばしてやりたかった。それというのも「その内なんとかなる」と楽観視出来るほど、ダリルが魔法を使えない理由が単純なものではないと気付き始めたからだ。
 なんとも厄介な生徒ではあるものの、そこがあの四人組を彷彿とさせて、知らず知らず親しみをもってしまうのだった。
「ホグワーツには魔法論だけについて学ぶ機会はありません。他の学校でも同じでしょう。でも、これから伸びていく分野ですよ」
「伸びて、いくんでしょうか」
 ダリルが訝しげな顔をした。魔法を当たり前に使える魔法使い達にとって、魔法論なんて重箱の隅をつつくような話だ。
 それでも世の中には呼吸の出来ない人もいる。それと同じで誰かが魔法論を必要とする時がくるのをマクゴナガル教授は知っていた。
「勿論です。文明が発展してゆけばやがて過去に戻る時がくるのですから、魔法史、それに付随する魔法論、いつか必ず需要が増える時期がきます――その時に困らないよう、貴女は自分の好奇心を押し殺してはなりませんよ」
 マクゴナガル教授がダリルに念を押した。
「有り難うございます」
 この女教師が自分にどんな過去を見て、どんな未来を望んでいるのかダリルには分からなかったが、いつの日か恩師と呼ぶ日が来る事は分かっていた。マクゴナガル教授はダリルにかけがえのないものを見つけてくれるよう望んでいたが、ダリルは既にひとつ見つけている。
 過去の生徒達もきっと同じものを見つけていただろう。
 グリフィンドール寮の寮監はそこで過ごした生徒達にとって、いつだって素晴らしい恩師だった。

「さて、そろそろ昼休みが終わります。私の授業に遅刻しないよう、そろそろ教室へ向かったほうが良いでしょう」
「そうですね。そろそろ失礼させて頂きます」
 壁時計を見て急かす台詞を口にしたマクゴナガル教授へダリルも同意する。
 手渡された紙束を鞄に押し込んだ。その時紙がたわんで中が見えたのだが、文字で真黒だった。ダリルは先刻の不安を思い出した。
「如何しました?」
「いいえ、何でもありません!」
 ダリルは扉を開けて、一歩踏み出した。「そうそう」とマクゴナガル教授の呼び声が追ってくる。振り向いた。
「クィレル教授と魔法論の話題に耽るのも構いませんが、横道に逸れ過ぎないよう」
「あ、ありがとうござい、ます」
「それと八方美人はほどほどにしておかないと痛い目を見ますよ」
 パンジー達とのことを言っているのだろうか――ダリルは思った。

「六方ですわ。一番したい方角には出来ていないし、したくない方角に優しくするほど馬鹿じゃありませんもの」
 断固とした声音でダリルが訂正すると、マクゴナガル教授が声を立てて笑っていた。穏やかな笑みを浮かべているか、凛々しく表情を引き締めているかのどっちかの表情しか見たことのないダリルは驚いた。こんな華やいだ笑みを浮かべられる女性だったのだ。
「貴女にしたくない方角があったというのは、初耳ですね」
「……私そんなに、いえ、何でもありません」
「それでは授業で会いましょう――ああ、あと、クィレル教授が貴女に用があると言っていましたよ」
 忘れるところだったと呟くとマクゴナガル教授は慌ただしく授業の支度を始めた。なので一体何の陽だろうと思ったダリルも了承の言葉と退室の言葉を口にしただけで廊下に出る他なかった。
 

クリスマスへ向けて

 
 


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