七年語りPHILOSOPHER’S STONE
23 純白の愚かさ

 

 クリスマス休暇直前の週末、ダリルはクィレル教授と禁じられた森に居た。
 勿論ダリルだって人並みに「禁じられた森に入るぐらいだったら陰険スネイプとハグでもしたほうがマシ」だと思っているが、成人の魔法使いが一緒にいるし、何よりクィレルは魔法生物のスペシャリストだ。遂にスネイプの存在は禁じられた森以下となってしまった。

 実際ダリルの中でスネイプの株は暴落していく一方だった。
 呪文学や変身術と言った実技科目はマクゴナガル教授のバックアップを受けているし、魔法史や闇の魔術に対する防衛学等は筆記科目は予習復習さえ欠かさなければ平均点を下回りはしないだろう。今となっては魔法薬学がダリル最大の鬼門となっていた。
 レポートを出せば添削の文字で真っ赤になって返ってくるし、実験ではきちんと説明通りにやっているはずなのに、未だかつてきちんとした魔法薬を完成させられた試しがない。それにスネイプが文句を言わないはずもないが、この四カ月ですっかり慣れてしまった。
 パンジー達もその件でダリルを馬鹿にしたくてウズウズしているようだ。しかし今のところ害はないので気付かないふりをしている。
 尤も露骨に嫌味を言われた方が精神衛生上良いかもしれなかった。

 体面を保つためだって、そろそろ付きまとうのをやめたって良い頃だ。彼女達は段々と無視をするよりこうやって付きまとっているほうがダリルの機嫌を損ねられると気付いたらしい。最早ダリルと彼女達の関係にはパセリほどの善意もなかった。
 今日だって朝からどこに行くの、私達も一緒に行くわと騒がしいのをクィレル教授へ質問をしに行くのと言って振り切ってきたのだ。
 流石の彼女達もにんにく臭は耐えきれないようで、無理についてこようとはしなかった。
 ダリルはたかが匂いと思っているものの、思春期の少女にとって異臭は出来る限り避けたいものの一つである。異臭に関する感想は違えているものの、ダリルにもクィレル教授が生徒達――特に女学生に人気がないのはよくよく分かっていた。
 神経質だし、どもっているし、へんてこりんなターバンを巻いているわ……とどめのようににんにく臭である。ダリルだって普通に魔法が使えてさえいたなら、クィレルを避けて「へんてこりんで退屈な人」と思ったままだったろう。
 クィレルと親しくなれたことを思うと、ダリルは少しばかり己がスクイブであることも許せるような気がした。それは本当に些細な許容ではあったものの、しかしこの神経質な学者から手伝いを頼まれるほど気を許されているという事実は素直に誇らしかった。
 
「す、すべらないよう、き、気を付けて……」
「大丈夫ですわ。積ったばかりですもの」
 積ったばかりというより、今も尚雪は頭上から降り続けていた。ダリルはマフの中でかじかむ指を擦り合わせた。ユニコーンに触れるかもという時に、素手で触ってみたいと思うあまり手袋をはめてこなかったのだが、今となってはそれを後悔していた。
 ワンピースの下に二枚のペチコートを着て、フード付きの厚手のコートを羽織っている。コートの中にはグリフィンドールカラーのマフラーを巻き、フードの中にはイヤーマフを付けている。分厚いタイツを履いて、自分の持っている中で一番動きやすそうなブーツを履いてきたものの、機動性を重視した結果として耐寒性に乏しく、ブーツにまとわりつく雪が溶けて足に沁みこんでいた。
 クィレルもダリルと似たような装備でいる――勿論ワンピースもペチコートもないが――しかし十全でないのか、ブルブル震えていた。
「こ、こ、この辺りに来ればいると思ったのだが……」
 クィレルは小さな羊皮紙を覗きこんでブツブツ言っていた。
 黒い森で恐ろしい目にあったと言うのに、クィレルはまだ実地調査を諦める気になれないらしかった。

 二人が今禁じられた森にいるのはユニコーンのためだった。
 自分に用があるというのでダリルが久しぶりにクィレルの居室へ訪れてみれば、余程双子にしつこく付きまとわれているのか、椅子の背もたれにグッタリ寄りかかる彼がいた。それとも研究が上手くいかないのか――どっちもだろうとダリルは思った。
 クィレルの専門は魔法生物だからして、普段からも魔法生物に対する研究をすることが多い。実地調査は吸血鬼騒動ですっかり懲りて、これからは机上の空論だけを発展させていくようになるに違いないと思っていたダリルだが、クィレルは全く懲りてなどいなかった。
 その日ダリルを呼びだした理由は正にその実地調査のためだったのである。
 尤も遠征するには懲りたようで、今回の研究テーマとする魔法生物は近くで観察出来るものにするとダリルに言っていた。
 クィレルの今回の研究テーマがユニコーンだったのである。

 ホグワーツではユニコーンを飼っているのかと一瞬思ったダリルだったが、そんなことはない。クィレルはユニコーンをおびき寄せるためにダリルに協力要請をしてきたのである。生徒の侵入が禁止されているところへ、自分の好奇心のために生徒を連れていく教員がどこにいるだろうか。大体この人は教員に向いていないのだとか色々考えたダリルだったが頷くほかなかった。
 今までクィレルがどれだけダリルに良くしてくれただろう。それに危ないことはないと言っていたし、ユニコーンは魅力的だ。

 ユニコーン>>>>禁じられた森>>>>>スネイプ
 こんなことを考えたダリルは一度だけ「危なくないんですよね」と念を押すだけでクィレルの頼みを受けた。

 ユニコーンとは誰もが知っている通り魔法使いよりも魔女のほうを好む傾向にある。
 最初から研究対象に選ばなければ良いのにと思ったが、滅多に会える動物ではないからしてダリルはもう不満に思ってはいなかった。
 それにフレッドとジョージだって入れないような場所だ。ダリルはちょっとだけ二人に優越感を感じた。

 雪で飾られた森は恐れていたよりも美しく、寒さにさえ目を瞑ってしまえばクィレルとの散策は楽しいものだった。
 サクサクと真っ白の雪の上に足跡を付けることを楽しんでいると、隣を歩いていたクィレルが足を止めた。
「こ、この辺りだ……」
 ダリルのほうを向いた。
「ひ、一人で、少しユニコーンを探してくれるかい。そ、それで、見つかったらここへ連れてきて欲しい」
「一人で……」
 ダリルが不安そうな顔をした。理由は分かっていても、木立は空を覆い尽くすように生えている。ダリルの目にはもうホグワーツ城が見えず、自分がどこから歩いてきたのかも分からない。きょときょとと周囲を見渡すダリルにクィレルが紐を渡した。
「わ、わ、私が端を持っているから……ユニコーンが居てもいなくても戻ってくる時はこれを辿ると良い」
 クィレルの言葉にダリルはほっとした。
 迷わないで済むことにもだったが、もしもユニコーンが見つからずにクィレルを落胆させたらとも思っていたのだ。
「教授、マフを預けても構いませんか」
「あ、ああ。良いとも」
 マフを渡すとダリルは左腕に紐を結び付けて、クィレルの腕にも同様に結びつけた。
「うっかり置いて帰ったりしたら……」ダリルは誰かを叱っている時のマクゴナガル教授の真似をした。「千年恨みます」
 紐は五十センチほどの長さしかなかったが、ダリルが遠ざかれば遠ざかるほど伸びた。
「見つからないでも怒らないで下さいね!」
 にっこり笑うとダリルは一人で森の奥へと進んでいった。

 この辺りと言っていたけれど、一体ユニコーンはどこにいるのだろう。第一冬の時期に、幾ら魔法生物だからと言って冬眠しなくて良いんだろうか。この寒さにコートもなく立っていたら、ちょっとも待たずに死んでしまいそうだとダリルは思った。
 あまり森の深くへは行かないように、ダリルはぐるぐると周囲をめぐる。時折絡まった紐を解いたりしている内に、雪とはまた違う白が見えた気がした。チカっと光っている。雪に光が反射しているんだろうか……しかし禁じられた森のなかには差し込む日が少なく、一時間も歩いた今となっては薄暗いほどだった。そんな森のなか、雪はただ静ひつな白さを湛えているだけで、光はしない。
 ダリルは恐る恐るそちらのほうへ近づいていった。サクサクと、なるべく静かに、慎重に歩いていくと、開けた場所に出た。

 チカっと、また視界に光るものが入り込んでいた。

 一頭のユニコーンが木の陰からダリルの挙動を探っている。
 ダリルの胸が早鐘のように鳴り出した――なんて美しいんだろう――ダリルはユニコーンの警戒を解くのも忘れて見惚れた。美しくて、凛々しくて、山頂に降り積もった雪のように侵しがたい雰囲気を纏っている。ダリルは近づくのを躊躇った。近づいてはいけないような気すらした。見つかりはしなかったと、戻ってしまおうかとすら考えた。
 しかしダリルの動揺をよそにユニコーンは一歩一歩ダリルに近づいてきた。
「……い、良いの?」
 手を伸ばせばその真珠のように美しいたてがみに触れられそうだ。角で刺されるかもしれないと思ったダリルだが、ユニコーンはダリルの近くで歩を止めると優しげな黒の瞳を細めるだけで、露骨な敵意は感じられないように思った。
 ダリルはかじかんだ指で、そろそろとユニコーンの首を撫ぜた。ユニコーンはダリルに角が当らないよう、ゆっくりとダリルの頬に顔を擦り付けた。ダリルの頬が緩む。こんなに美しくて、悪意のない生き物が他にいるだろうか。
「貴方ほど美しい生き物を、初めて見たわ」
 そのユニコーンの美しさを称えていると、先ほどユニコーンがいた方角から数頭のユニコーンがこちらを覗いていた。ダリルが気付くと同時にユニコーンも仲間の視線に気づいたらしい。群れに戻ってしまうんだなとダリルはがっかりしたが、素晴らしいことが起こった。ダリルの傍に居るユニコーンが高くいななくと、遠くから見ているだけだったユニコーンがそろそろと近づいてきた。
 素晴らしいのはそれだけではなかった。びゅっと金の線が視界を過ぎったかと思えば、ドンと何かがダリルにぶつかった。何事かと原因を探せばそこには小さな――まだ角も短い――ユニコーンがいて、ダリルをじっと見上げていた。かと思えば思い切り顔をこすりつけてくる。先のユニコーンがしたよりもずっと無邪気な好意だった。ゆっくりゆっくり近づいてきたユニコーンの群れから、一頭のユニコーンが慌てて近寄ってくる。ダリルにじゃれついているユニコーンをかばうように、ダリルとそのユニコーンの間に割って入った。
「お母さんなのね」
 ダリルは困って眉尻を下げた。
「私は魔法使えないもの……それに何にも持っていないわ」ダリルは赤くかじかんだ手のひらを開いて見せた。
 それでユニコーンの母親は納得したらしかった。母親が身を引いた途端、またユニコーンの子供はダリルにまとわりつく。
 大人のユニコーンは挿絵の通り凛としていて、想像していたよりもずっと美しい。しかしユニコーンらしい威厳が全くないチビちゃんのほうがダリルの気に入った。それに大人のユニコーンはダリルの匂いを嗅いだりするばかりで、一緒に遊ぼうと袖を引くチビちゃんの可愛らしさとは比べるべくもない。ダリルは自分が何をしに来たかも忘れて、すっかりこの邂逅を楽しんでいた。

 それから三十分も経った頃、急にユニコーン達は元来たほうへとざあっと駆けていってしまった。その最後尾はあのチビちゃんと、その母親だった。幾度もこちらを振り向く子供を母親が急かすようにして去ると、ダリルは一人になってしまった。
 一人になってもまだダリルは自分が何をしにきたか思い出せなかった。
「に、逃げられて、しまったね」
 ダリルは背後に立つクィレルの声でやっと思い出し、そして青ざめた。頼まれたことを忘れて遊び呆けてしまった……!!
 さぞ落胆しているだろうとダリルは思ったが、振り向いた先で、クィレルはいつもどおり神経質そうな顔をしているだけだった。怒りも失望もそこにはなく、最初からこうなるだろうと予想していたようだった。
「あの……ごめんなさい」
「い、いい、んだよ」
「教授のこと、すっかり忘れてしまって――それにしても、何故ユニコーン達はあんなに急いで帰ってしまったのかしら」
「い、今はユニコーン達の繁殖期だからね……い、いつも以上に成人の魔法使いに、け、警戒しているようだ」
「そうなんですか。追いますか?」
 ダリルはユニコーン達の逃げて行った方角を指して行った。
 クィレルは頭を振った。
「い、いや……今日はもう帰ることにしよう」
 そう呟くと手に持っていた何かをポケットに仕舞った。手繰ってきた紐を仕舞ったんだろうと思ったが、伸びた分の紐はまた縮んだらしく、ダリルとクィレルの間でピンと真っ直ぐになっていた。一体何を仕舞ったのだろうと思ったが、ダリルはそれを口にしなかった。

「よ、夜になると、ト、トロールが出るだろうし……明るい内に帰らなければ」
 腕時計は夕方四時を指しており、ダリルとクィレルは駆け足でホグワーツへと戻らなければならなかった。
 

純白の愚かさ

 
 


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