七年語りPHILOSOPHER’S STONE
25 凍らない水

 

 クリスマスの朝はいつも通りの朝と何ら変わりなく訪れる。わくわくもドキドキもそこにはない。
 御馳走も贈り物もダリルには然して嬉しくなかった。全く嬉しくないというわけではないが、家族仲が良いとは言えない状況で一日中家族と一緒にいるというのは、ダリルにとって酷く面倒くさかった。何よりもそんな暇があるなら課題を進めていきたい。

 クリスマス・イブの夜、ダリルはいつもと同じ時刻に起こすよう頼んでおいたので、やはり屋敷僕妖精のキンキン声で目を覚ました。いつもと違うことと言えば、身だしなみを整えず、寝巻のまま机に向かったことだろうか。
 ダリルがいつも通りでも家庭内はそうではない。広間には大きなクリスマス・ツリーが飾られているし、一応それなりに整った格好をして朝食に臨まねばならなかった。クリスマスを如何過ごすかについてはナルシッサとルシウスとで散々議論が交わされたものだが、今のところナルシッサの生家――ブラック家の流儀に従うことになっていた。つまりイエス・キリストを魔法使いと見なすことで、クリスマスという行事をマグルのものではなく元々は魔法族由来のものだと主張し、厳かに祝うのである。

 ルシウスはナルシッサと結婚するまで、クリスマスはパーティを開き、カードやプレゼントを贈り合うことで人脈を確認・誇示するための切っ掛けに過ぎないと思っていたため、未だにクリスマスとなると不満そうな顔をする。
 ダリルが五歳になるまでクリスマスの午後はイエス・キリストからブラック家に至る過程についてナルシッサが話す時間だったのだが、ダリルが六歳の時のクリスマスに「眉つばものだ」とルシウスがぼやいたことにより、夫婦は離婚するか否かまでやりあった。
 クリスマスが過ぎても来年はパーティを開くんだとか来年も家族だけで過ごすんだとか、二カ月ほど二人でやり合っていたとダリルは覚えているが、最終的に離婚はしなかったし、互いに折れた。事を終わらせたのはドラコだった。
 まだ六歳のドラコから心底軽蔑したように「だったら僕とダリルの二人だけでクリスマスするから、父上と母上は互いに好きにすればいい」と言われては、離婚だとか実家に帰るとかスパークしていた二人も冷静にならざるを得ない。
 それからもブラック家の流儀に合わせてパーティはなしとなったものの、午後は家族でお喋りするだけとなった。

 そういえばあの年のクリスマスが、二人で仲良く過ごした最後のものだわ……ダリルはマクゴナガル教授に貰った資料を捲りながら思い出す。あの頃はダリルもショートカットで、お転婆だった。クリスマス用のドレスを出してくるナルシッサに、ドラコと一緒が良いと駄々をこねたものだ。クリスマス・イブの夜はドキドキして眠れなかったし、いつも家中でダリルとドラコが一番早く目を覚ました。薄暗いなかで互いに起きているか確かめると、二人連れだって広間のクリスマス・ツリーを偵察しに行ったものだ。それでどちらのプレゼントのほうが多いか、大きいかで些細な喧嘩をしたりして、我慢出来ずにプレゼントの包装紙をちょっぴり破いてみたりする。
 クリスマスにわくわくしなくなってから幾年経つだろう。プレゼントを開く時にドキドキしなくなったのは何故だろう。
 ダリルは深いため息をつくと課題を進めるのを諦めて、もう一度――ドビー以外の――屋敷僕妖精を呼び、身支度を整えた。
 クリスマスに不仲な家族同士顔を突き合わせるのは楽しくないが、クリスマスに一人でいるほうがもっと楽しくない。
 適当にドレスを見繕うと、ダリルはそれなりに見えるよう鏡を覗き込んだ。
 髪をアップにして、前年のクリスマスにルシウスから貰った銀細工にエメラルドの薔薇がついた髪飾りをつける。屋敷僕妖精に下がるよう命じると丁度九時だった。広間へ集まる頃だ。今日の朝食は食堂でではなく、広間でクリスマス・ツリーを見ながら取ることになっている。ダリルはベッドの上にある三つの包みを持つと、慌てて――髪が乱れないよう、速足で広間へ向かった。

 そういう時に限って不幸はやってくる。

「今日はクリスマスですよ」
 階段を二段飛ばしで降りるダリルの後ろからナルシッサの声が聞こえた。
 驚きのあまり包みを落としそうになる。
「お、お母様……その、メリークリスマス」
「ダリル」
 ナルシッサはゆっくり階段を下り、娘に近づく。「貴女を嫁にやるまで、私は死んでも死にきれません……」たかが二段飛ばしで、嫁に行けないだろうとまで言われるのは心外だ。神妙な顔で反省を示しつつ、ダリルは「最低のクリスマス!」と思った。
「第一、家族への贈り物は夜の内に広間へ置いておきなさいと言ったでしょう」
 そんなことは聞いていない。
 ナルシッサの説教を受けながらノロノロと広間へ向かうダリルの脇をドラコが颯爽と駆けていく。彼もまた三つの包みを持っていた。
 ダリルがナルシッサの反応を窺うと――窺う必要はないだろうと思っていたが「貴女はいつか嫁に行かなければならないのですからね。そうしたら貴女が家のことを仕切らないといけないんです。貴女の一挙一動で嫁入り先の家の格が決まるのですよ」
 男の子と女の子だから、淑女らしい振る舞いに反するから、ダリルだけが叱られてドラコが叱られない理由の主だった根拠はその二つに起因していたが、ナルシッサは今日新しい根拠を見つけたらしい。ナルシッサの昔話にうんざりしながらダリルは広間の扉を開けた。
「さあ、お父様に挨拶してらっしゃい」
 ダリルは一番近い椅子に包みを置くと、既にソファへ腰かけているルシウスのほうへ近づいた。

 ルシウスはちょっと不機嫌そうにしていたものの、ダリルに気付くと表情を和らげた。ダリルはルシウスに抱きついた。
「お父様、メリークリスマス」
「我が家の花がどこで落ち合ったのか、連れだってやってきたな」
「階段を二段飛ばしで降りていたら、お母様に見つかってしまったの」
 肩をすくめるダリルにルシウスがにやっと笑った。
「ホグワーツで暮らしてる内に昔のお転婆が顔を出したようだな」
「私の言った通りでしょ?」ダリルもくすっと笑う。「やっぱり、日に当たらないと駄目なんだわ」
「日に当たって寝込んだ者の言うことは重みが違う……」
 したり顔で頷くルシウスにダリルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 するとナルシッサがドラコとの会話を済ませたらしく、二人の会話に割って入る。ダリルは慌ててルシウスから離れた。
「貴方達は忘れているかもしれませんけど、この人と結婚したのは私ですからね」
 ナルシッサがツンとそっぽを向いた。
「片時も忘れたことはないとも」
「如何かしら」
 巻き込まれちゃ堪らないとばかりにダリルはクリスマス・ツリーのほうへ逃げた。

 ルシウスが掛けるソファの周辺にあるテーブルにはもう紅茶やサンドウィッチ、スコーン等の軽食が用意されていたものの、ルシウスが手をつけるまで食べてはいけない。尤もダリルは朝に固形物を食べることがないので、今は気にならなかった。
 ここ数年クリスマスは退屈だったし、今日も楽しいものだとは思えなかったが、唯一クリスマス・ツリーだけは毎年見ても飽きることがない。マルフォイ家のクリスマス・ツリーは大きく、モミの木の妖精達がキラキラと光る羽根でクリスマス・ツリーの周りを飛び交っている。上からは雪が降り、クリスマス・ツリーの近くは少し肌寒い。クルミをキャラメルで固めて作った星や、砂糖で出来た花、飴細工の馬車、木を焦がさない蝋燭、葉から垂れ下がる氷柱、こんなに素晴らしいクリスマス・ツリーはどこを探してもないに違いない。
 うっとりとクリスマス・ツリーを見上げているダリルの背後からドラコが声をかけた。
「父上と母上はまたいつものアレか……」
「いいえ、クリスマス論争はしていないみたい。お父様がお母様の機嫌を取っているもの」
 実に四か月ぶりの会話だ。

 ここ数日は邸内で顔を合わせても、互いに互いではない相手としか話さなかったが、両親が二人きりで話していて、他に話す相手がいなければ話す他はないとドラコは思ったのだろう。ダリルの脳裏にホグワーツ特急でのやり取りが過ぎったが、今は忘れることにした。グリフィンドールに入ったことでナルシッサにちくちくやられているのを見て、同情してくれたのかもしれない。
「そろそろ終わるでしょうし、席につきましょう」
「そうだな。どこに行くんだ」
「包みを入り口近くの椅子に置いてきてしまったから、取りに行ってくるわ」
 ダリルは会話を切り上げると、ずんずんとドラコから遠ざかった。
 肉親であるからして、よっぽどの喧嘩をしても月日が経てば自然と会話してしまうものだが、ダリルはまだ冷却期間が必要な気がしていた。冷却期間――それとも、何か、切っ掛け。ダリルは包みを手に取ると、その場に留まり、先の緊張の理由を考えた。

 クリスマス・ツリーは綺麗だし、両親もドラコも着飾っていて、自分も家族同様いつもより美しいドレスローブを着ている。例年通りツリーの下にはプレゼントが山と積まれていて、お菓子や装飾品を貰うのが嫌なわけではない。なのにわくわくも、ドキドキもない。
 心は弾まない。早く一日が終わらないかなとどこかで思っている。それは何故なのだろう。如何して、いつから……そう、ずっと考えてきた。クリスマスになる度にダリルはどんな贈り物よりも魔力が欲しいと望んできた。普通の魔女になりたい、スクイブではないと言う証が欲しいと思っていた。そうすれば前と同じ楽しいクリスマスが過ごせるだろうと、ずっと望んできた。
 ホグワーツからの手紙が来た。マクゴナガル教授はダリルは決してスクイブなどではないと断言してくれた。なのに、変わらない。
 ホグワーツに通っても、スクイブではないと分かっても、今までと何も変わらない。望みが叶えば叶うほどまた新しい問題が発生する。何も変わらない。――将来魔法が使えるようになっても、一番使いたい魔法は使えないままなのかもしれない。

 六歳の頃に戻りたい。何でも願いを叶えてくれるというのなら、ダリルはそう口にしただろう。
 魔法も使えず、スクイブかもしれないと思われていて、なのに幸せだった頃へ戻るのに如何してホグワーツからの入学許可証が必要だと思ったのだろう。何故魔法が使えるようになれば願いは叶うのだと信じ続けてきたのだろう。
 魔法使いにだって何でも出来るわけじゃない。ダリルが願い続けてきたのは正にそういう種類のものだったのだ。
 今までで一等憂鬱なクリスマスだわ。ダリルは改めてそう思った。
 このまま部屋へ戻ってクリスマスが終わるまで眠り続けたいと思ったが、無論そういう訳には行かない。ナルシッサが自分を呼ぶ声に振り向くと、ダリルは思考を切り替え、家族が集っているほうへ向かった。

 クリスマスツリーが真正面に見える、広間の一番奥。ナルシッサとルシウスは一緒のソファに腰掛けていて、ドラコはナルシッサの近くにある一人掛けのソファに掛けている。ダリルはソファの隣にある、ルシウスに近い椅子へと掛けた。
 ダリルが席に着くと、間もなくルシウスがサンドウィッチを摘まみはじめ、朝食が始まった。
 昼にクリスマスのディナーがあるので、朝食に用意されたものはいつも以上に簡素なものだ。肉や卵と言った、腹もちの良いものはない。今朝のメインディッシュは家族間で贈り合うプレゼントと言って相違なかった。

 ダリルはティーカップを傾けているルシウスに包みを差し出した。
「お父様、早く開けてみて下さい」
 娘に急かされ、ティーカップをティーソーサーの上に戻す。ルシウスはダリルから包みを受け取ると膝の上に置いた。
 包装紙は深いグリーンで、銀のリボンで彩られている。蝶結びにしたリボンの間にある小さなベルからクリスマス・キャロルが流れていた。「お前からのクリスマス・プレゼントはいつも緑の包みに、銀のリボンだな」ルシウスが外装への感想を漏らす。
「お父様のお好きな色でしょう。スリザリンカラーだって知るよりも先に、お父様の色だって覚えましたわ」
 ルシウスが満足そうに頷いた。
「お前にもその髪飾りがよく似合う」
「お父様気付いてらしたの? お父様のことだから、てっきり私が言うまで気付かないと思っていましたのに」
「まるで気付いて欲しくなかったような言い草じゃないか」
「まさか。でもお父様、お母様が今付けてるイヤリングのことにはいつ言及しますの?」
「ダリル、私はお父様から初めて貰ったものだからつけているんじゃありませんよ」ナルシッサが不機嫌そうに呻いた。「デザインが気に入っているから付けているだけです」フンと鼻を鳴らしたのは、ダリルの勘違いのせいではないだろう。
「ああ、懐かしい。私の母親が死んだ時に譲り受けたものだ……」ルシウスが記憶を探るように、目を細める。
「前は“私の祖母が死んだ時”と言ってましたよ」
 取り付く島もないとはこのことだった。

 黙り込んでしまったルシウスにナルシッサは容赦がない。「どうせ、ホグズミードかそこらで買ったのでしょう」
「ナルシッサ、早くドラコからの包みを開いたらどうだ」
「ええ。貴方と違ってドラコは可笑しな安物を他人に贈ったりはしませんしね」
「このリボンは解きにくいな……」
 ルシウスは聞こえないふりをすることに決めたようだ。ダリルからのクリスマス・プレゼントの包装を易々と解いていきながらルシウスが唸った。ナルシッサは恨めしそうに夫を睨むと、可愛い息子のほうへ振り返った。「ルシウスの碌でなしが遺伝しなくて良かったわ」
 この夫婦は、クリスマスに何か恨みでもあるのだろうか。
 毎年毎年クリスマスになると諍いを起こす両親も自分がクリスマスを心から楽しめない理由の一端かもしれないとダリルは思った。
 まあこの二人の諍いは犬も食わない種類のものである。ナルシッサも本気で怒っているというより、単なる当てこすりをしているだけに過ぎない。ルシウスもナルシッサも娘息子相手にさえ嫉妬するのだから、いい加減年相応に落ち着いてほしいものだ。

「よく、この間話したことを覚えていたな」
 ルシウスは箱の中から黒いビロード地に華奢な銀細工で彩られている釦を一つ取りだすと、ダリルに笑ってみせた。
 先日の尋問もとい父娘のふれあいタイム中に脱線したルシウスが「折角良い生地があっても、釦が安っぽすぎて合わない」と先週買ったローブを見せてくれたのをダリルは覚えていて、アンティークショップから取り寄せたカタログからその釦を選んだのだった。同じデザインで緑や青のビロード地のものもあったのだけれど、ローブの色は黒だし、合わせて置いたほうが外れがないだろう。
 父親相手に一目で高価なものと分かる品は贈りかねるし、そういった品は他の誰かから貰うに決まっていた。
 クリスマス・プレゼントを贈るようになってからもう六年が経つし、常日頃からプレゼントを貰いなれている父親へ何を贈るかは非常に難しくて散々悩んだが、喜んでもらえたようでホッとした。
「お父様、次に魔法省へ行く時にはあのローブを着てね」
 ダリルが微笑むと、ルシウスが頭を振った。
「この釦に合わせてまた別のを仕立ててもらうとしよう」
 何か思惑に反している気がしたが、喜んでもらえたならそれでよしとしよう。ダリルはルシウスが見せてくれたローブのデザインが気に入っていただけに、父親があのローブを着ることなく捨てると思うと少し惜しい気がした。
 ダリルの頬にキスするとルシウスは箱を閉じ、纏めた包装紙と一緒に傍らへ置いた。そしてそこをごそごそやると、薄紅色の包みを取りだし、ダリルに差し出した。ルシウスの贈るプレゼントは外装が素っ気ないものが多い。この日もリボンひとつ掛かっていなかった。
「それでは私からも贈ろう。メリークリスマス」
「何かしら。お父様からのプレゼントはいつもセンスが良いから、楽しみ」
 丁寧に包み紙を剥がし、箱を開く。今年のルシウスからのクリスマス・プレゼントはネックレスだった。エメラルドのペンダントトップに銀のチェーン。ダリルからの包み紙がいつもスリザリンカラーだと揶揄するルシウスだが、自分だって毎年毎年飽きることなくスリザリンカラーの装飾品をダリルに贈るのだ。去年貰った髪飾りに比べるとこのネックレスはシンプルなデザインだったが、飾りがごちゃごちゃとついていない分、その質の良さが分かりやすい。送り主と違って、嫌味さを欠片も感じさせない上品さだ。
「素敵!」
 ダリルはルシウスに抱きついて、頬にキスをした。
 プレゼントを貰った時にどんな反応をするべきかについてはナルシッサからとことん叩きこまれている。
 毎日つけないといけないんだろうなあとか、制服に合わせられるようにシンプルなデザインなんだろうなあとか色々過るものはあったが、何はともあれ貰ったからにはその値段分ぐらいは喜んで見せる必要があった。
「制服に合うようシンプルなデザインにしたから、普段使いに良いだろう」
 案の定すぎる。
「……毎日つけますわ」
 一瞬出来てしまった間を誤魔化すように、ダリルが笑みを作った。「お父様からの贈り物ですもの、大切に致しますわ」
 大切過ぎて宝石箱から出せないとかなんとか、そういう言い訳が通じると良いなー。ダリルは皮膚の上を滑るチェーンにレディを思い浮かべながら、無邪気な愛娘の表情を崩さない。和やかな団らんが自分の本音一つで脆くも崩れ去ることを、ダリルは知っていた。
 笑みの裏でダリルは深いため息を絞り出す。今年のクリスマスも、不幸は穏やかなようで気疲れのする朝食から始まるのだった。
 

凍らない水

 
 


七年語りPHILOSOPHER’S STONE