七年語りPHILOSOPHER’S STONE
33 絶望より酷いこと

 

 周囲が期末試験の勉強で慌ただしくしている中、ダリルは然程忙しくしていなかった。

 変身術と呪文学の試験はもう終わってしまったようなものだし、今まで苦労した甲斐あってか、試験範囲はダリルが思っていたほど広くなかった。この狭さなら、お父様からどんな質問をされても答えられるわとダリルは思った。
 唯一気になる事と言えば魔法薬学の試験だったが、ちょっとぐらい平均を下回っても大丈夫だろう……と楽観視することにした。
 それでダリルは皆が図書室に籠ったり、談話室で顰めつらしている間中、クィレルの居室に入り浸ったり、そっと禁じられた森の浅いところで、またユニコーンに会えないものかと散策してみたりしていた。長い紐を持ってきて、とも考えてみたりしたが、禁じられた森のなかに住んでいるのはユニコーンだけではない。それに紐が切れてしまって、二度と戻ってこれなかったらと思えば実行には移せなかった。それでも、あの小さなユニコーンに会いたいと思っていたが、見覚えのある犬がダリルのほうへ駆けてきたのにダリルは禁じられた森の周辺をうろつくのを止めた。生徒が禁じられた森のなかへ入るのは禁止されている。
 もしも森の番人――ハグリッドに見つかったら、一体グリフィンドールから何点減点されてしまうだろう。考えるだに恐ろしかった。

 しかし翌朝大広間へ朝食をとりに行く際、ダリルはついに自分が禁じられた森のなかにいるのを見つかったのだと青ざめた。
 砂時計は前日の点数から百五十点引いた数を示していた。

 きっと皆自分を責めるわとよろよろ朝食の席についたダリルだったが、その不安はすぐに消えた。ドラコから久しぶりに手紙が届いており、手紙を読み進める内にダリルは全てを理解した――双子の兄が一万単語を費やしてハリーを罵っているのも、あんな馬鹿と付き合うなと喚いているのも、ダリルの頭には残らなかった――ダリルはハリーに対して深く同情した。
 ドラコを騙すために夜中出歩いていたのだとしても流石に一人で百五十点はないだろう。誰か……きっとハーマイオニーか、ロンか、誰かと三人で出歩いていて、フィルチか誰かに見つかったのだ。その三人が、ドラコを騙すためだけにこんなことをするだろうか?
 ダリルにはそうは思えなかった。きっと何か、理由があったに違いない。

 ダリルはそう好意的に――概ね真実と言える推測をしていたものの、他のグリフィンドール寮生達はそうではないようだった。
 どこから如何広まったのか、恐らくドラコからだろうともダリルは推測していたが、兎に角ハリーとハーマイオニーとネビルが三人で百五十点も減点されてしまったのだという噂が広がるなり、先日まであんなにハリーハリーと呼びとめ、話したがっていたのが嘘のように、グリフィンドール寮生達はハリーを無視し、ハリーの目の前で露骨な悪口を言った。
 グリフィンドール寮生どころか、ハッフルパフやレイブンクローの生徒達もハリーを悪しざまに罵った。ダリルが一番腹立たしいのはそれだった。ハリーはグリフィンドール寮の点数を減らしただけで、何もハッフルパフやレイブンクローの点を減らしたわけじゃない。
 ダリルはハッフルパフ寮生やレイブンクロー寮生がハリー達の悪口を言う度に睨みつけた。

 ドラコへ
 貴方がハリーを冷やかすのは貴方の勝手ですが、私がそれを不愉快に思うのも、それで貴方とは口を利きたくないと思うのも私の勝手です。私の不興を買いたくなければ、少なくとも私の前でハリーを馬鹿にしないほうが得策だと思いますよ。

 愛を込めて、ダリル

 ドラコと仲直りしていたのはダリルにとって幸いだった。ダリルがいない時は如何かわからないが、ダリルが傍に居るときだけはドラコはハリーをからかったり、馬鹿にしたりしなくなった。勿論ダリルも公平を期するため、無理にハリーへ付いて回ろうとはしなかった。
 ダリルに出来るのはドラコにちょっと釘を刺しておくぐらいだった。
 勿論のこと騒ぎを鎮めるだけの力はないし、ダリルが睨んだところでハッフルパフ寮生やレイブンクロー寮生はダリルのことを嫌な奴だと思うぐらいで、ハリーのことを悪く言うのを止めるわけはない。ダリルは自分の無力さが歯がゆかった。せめてもの救いはロンがハリーとハーマイオニーの傍を離れずにいてくれたことだが、二人の暗さがロンに伝染するようで、前のような笑いは三人になかった。
 ネビルは彼らほど目立たないからまだマシだったものの、それでも十分すぎるくらいにしょんぼりしていた。
 ちょっと嫌味を言われるだけのネビルでさえ、あんなに落ち込んでいるのだ。ネビル以上に皆から非難されているハリーは日に日に元気を失っていくようだった。ミス・レターへの手紙にも弱音が多く綴られるようになり、あんなに好きだったクィディッチさえ止めたいとか、ホグワーツを退学になったほうがマシだったとか、すっかり気力を失っている。ダリルは懸命に彼を励まし、気にすることはないと慰めた。

 ハリーにとってミス・レターからの手紙は何よりのものだった。
 ロンとハーマイオニーとネビル以外にも味方がいるという事実がハリーを少しどん底から救った。今やもうロンはミス・レターを怪しいとか批難しなくなったし、ハーマイオニーにもミス・レターからの手紙を見せると、少し慰められたようだった。
 送り主のダリル本人はもっと何か三人のためにしたい気持ちに駆られていたが、もうハリーは十分なだけしてもらったと思っていた。
 だから感謝の言葉と、最後のクィディッチの試合では必ず勝つという宣言をした手紙を返したのだ。
 しかしダリルはそれをハリーの空元気なのだと思い、胸を痛ませた。
 こんな――誰か分からない相手から慰められても、意味はないに違いない。ダリルはそう思って、ハリーから貰ったクリスマス・カードのほうを見た。今だったら……。ダリルはちょっと考えた。今だったら、ミス・レターが自分だと言っても、嫌がられないかもしれない。
 ダリルはそれが素晴らしい思いつきのように思えた。
 何よりも自分は彼の事を、ハーマイオニーのことを悪く思っていない、味方だということをハリーに知ってほしかった。
 封筒のなかから赤いリボンを取り出すと、それを手に握ったままダリルはハリーを探しに談話室へ下りて行った。

 ハリーは一体どこにいるだろうとダリルは思った。
 談話室にはいないだろうと思っていたが、実際にいないとなると、どこを探せばいいか分からなかった。
 一応それとなく談話室にいる生徒に探りを入れてみたが、やはり誰もハリーがどこに居るか知らないようだった。それどころか皆誰に話しかけられているかも分からないぐらい不機嫌なようで、ハリーという言葉を聞くなりムッツリと眉を顰めてしまう。
 結局ダリルは自分の足でハリーを探すことに決めた。ロンとハーマイオニーと一緒にいるだろうから、どこか、勉強の出来るところにいるだろう。そう思ってから、ダリルは足を止める。三人の前で、自分がミス・レターだと言うのは恥ずかしかった。
 でもきっと、ハリーが一人になることもあるわ。
 そう自分を励まし、ダリルは図書室のほうへ向かった。あそこなら本棚に隠れて、人目を気にしなくて良いし、試験が近いからきっとそこで勉強しようとハーマイオニーが主張しているはずだ。ハリーと仲良くなったら、ハーマイオニーとも仲良くなれるだろうか。
 ダリルはクリスマスにハリーからのカードを貰った時以上にドキドキしながら図書室の扉を潜った。

 物事は良い方向に進んでいるとダリルは思った。
 ぐるっと図書室を見渡した途端、視界の隅にハリーの姿を見つけた。――丁度よく一人で、何か本を選んでいる!
 ダリルは口から心臓が飛び出てしまいそうなぐらいドキドキした。
 期待するのと同じぐらい怖くて足が震えそうだったが、ダリルはぎゅっとリボンを握りしめるとハリーに近づいた。
 私が手紙を送っていたの。ずっと貴方に有り難うって言いたかったわ。ホグワーツ特急で私のトランクを持ってくれて有り難う。手紙に返信をくれて有り難う。クリスマスにカードと、このリボンを有り難う。素敵なあだ名を有り難う。私がミス・レターなの……!
 ハリーは難しい顔をして、本の背表紙に手を掛けたまま動かない。二メートル、一メートル、五十センチ。

「あ、」

 ダリルは掠れた声を出した。あの、と言ったつもりだったが、声が上手く紡げない。
 ハリーがダリルのほうを振り向いた。ドキンと大きく心臓が跳ねてから、やがてそれは別の意味を持つものに変わっていく――ハリーはぎょっとしたような顔をすると、すぐに顔を顰めてしまった。
 声が出ない。
「……あ、の」
 ぎゅっと握った手のひらが、その中のリボンが汗ばむのが分かった。
「その――ええと、あの、ありがとう」
 言った瞬間ダリルはかっと赤面した。ちゃんと何を如何言うか考えてきたはずなのに、訳のわからないことを言ってしまった。
 しかしハリーはそうは思っていないようで、納得が言ったというような顔をしている。
「そうだね、僕のおかげで……スリザリンは今年も寮杯をとれるみたいだ」
「え?」
「拍手ぐらいしてくれたって良いんじゃないの? 君の大事なスリザリンが寮杯を取るのに、百五十点も引いてやったんだから」
 ハリーは苦々しそうに呟いた。ダリルは体中から血の気が引く音を聞いた。そんなつもりじゃない! そんなこと思ってない! 私が大事なのはスリザリンよりも、グリフィンドールよ!! 貴方に、そんな嫌な思いをさせるつもりはなかった!!
 パクと口をあけても、声は出なかった。
「どうせ君がグリフィンドールに入ったのだって、そのためなんだろ。自分が魔法を使えないから、スリザリンに加点させらんないから、精々グリフィンドールの足を――」
 ぱっとハリーが口を押さえたが、何もかももう、遅すぎた。
 ダリルは今にも倒れそうなぐらい青ざめていた。ハリーは自分が今どれだけむごい事をダリルに浴びせかけたのか理解した。
「僕――僕、その」
 今度はハリーが黙る番だった。ハリーは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言えないまま口を閉じて、ダリルのほうを見やった。

 ダリルはもうどうしていいのか分からなかった。
 ハリーの言葉が頭の中をめぐっている。『自分が魔法を使えないから』一体いつハリーはそれを知ったのだろう。誰の口から、それとも何気ないことから気付いただけだろうか。どちらでも良いとダリルは思った。死んでしまいたかった。
 一番知られたくない相手に知られてしまって、しかもハリーは――ハリーはダリルがグリフィンドールの足を引っ張るために入ったとまで――ずっと、今までずっとそう思っていたのだろうか。ダリルの目から涙が零れた。
「わたし――」
 ダリルの頭は真っ白だった。
 言いたいことの全て頭から吹っ飛んでいて、何をどう言えばこの場の気まずい空気が消え去るのか、何も分からなかった。
「私……ホグワーツ特急で、貴方に……」

 貴方に助けてもらったわ。
 その続きは音としてハリーの耳に届かなかったが、ダリルが何を伝えようとしたのかは分かった。ハリーが赤面した。
 ダリルは真っ青な顔ではらはらと涙を零している。ワナワナと唇を震わせると、消え入るような声で「ごめんなさい」と呟いて、ハリーの目の前から走り去ってしまった。追いかけようとも思ったが、今更追いかけて、何を言えば良いのかハリーにも分からなかった。
 ただハリーは盗み聞いたことで、何の悪意もなく自分に話しかけてきた相手を傷つけてしまったのを心の底から恥じた。
 彼女自身が言ったことではないことで彼女を馬鹿にして、言いがかりをつけてしまった。
 ああも自分の言葉に傷ついたダリルを見て、ハリーの胸に強い罪悪感が残った。

『ps.貴女も僕の素晴らしい友達の一人です。』
『どうせ君がグリフィンドールに入ったのだって、そのためなんだろ。自分が魔法を使えないから、スリザリンに加点させらんないから、精々グリフィンドールの足を――』

 馬鹿なダリル。分かっていたはずだ。到底ハリーが自分に好意的な感情を持つはずがないと、分かっていたはずだ。
 ミス・レターはダリルじゃない。単なる紙だ。紙で出来た、どこにもいない誰かなのだ。決してダリルなんかではない。少なくともあの親愛の言葉達はダリルに向けられていない。なのに、如何してハリーに打ち明けようと思ってしまったのだろう。ダリルがミス・レターなのだと知っていたら、ハリーがリボンなんて贈ってくれるはずはない。友達なのだと言ってくれるはずもない。
 ハリーの友達はロンとハーマイオニーだけだ。優しくて、人情に厚くて、賢いあの人達と同じに思って貰えるなんて、如何してそう思ったのだろう。散々スリザリン生にからかわれたハリーが、入学当初からドラコにからかわれているハリーが、ダリルから声を掛けられて、それが好意的なものだと思ってくれるはずがなかったのだ。なのに如何して、にっこり笑って貰えるなんて思ったんだろう。あの二人でも励まし切れていないというのに、如何して自分が名乗り出れば慰められるなんて思ってしまったのだろう。
「う、う……、あっ――あぁ」
 涙は後から後から溢れだしていた。ダリルには悲しい時慰めてくれる人はいない。否、ドラコならダリルを慰めてくれるだろう――しかしきっとハリーを罵るに決まっていた。それは聞きたくない。ハリーの悪口は聞きたくない。

 ダリルは柱にしがみついて、声を立てて泣きだした。井戸でもあればそこへ身を投げてしまいたかった。
 大好きなハリー。大好きなグリフィンドール。なのに、ハリーはダリルがグリフィンドールを好きだなんて全く思っていないようだった。きっと他の皆も一緒だろう。ダリルがグリフィンドールのことをどんなにか好きか――この間の試合でハリーがスニッチを取って、寮杯の首位に立った時にどんなに喜ばしく、誇らしかったか……! そこまで思ってから、知るはずはないのだとも考えた。
 先に自分の殻に閉じこもったのは自分だ。
「ひっ――うっ、ふ……」
 ダリルはよろよろと柱から離れて、自分の足で立つと、クィレルの居室のほうへと歩いて行った。
 自分の部屋へ戻るまでには談話室を通らないといけないし、それにきっとクィレルは何も言わず黙って自分の泣きごとを聞いてくれるだろう。ダリルは時々しゃくりあげながら、おぼつかない足取りで廊下を進み、角を右へ曲がろうとした。
 一歩足を踏み出した途端にドンと何かにぶつかって、床へ叩きつけられる。

「ごめん。あれ、ミス・スリザリ――」フレッドが茶化そうとしたのだが、ダリルの尋常ならざる様子に気づいて、黙る。
「おい、フレッドっ!」ジョージが小声で相棒を突っついた。「どんだけ強く押したんだよ!」
「押してなんかない……」フレッドが言い訳めいた言葉を紡ぐが、そう冗長なことは言えなかった。

 ただでさえ十分すぎるぐらい不幸だと思っている時に限って、不幸はくるのだとダリルは知っている。

「えーと、その」
 ジョージがフレッドのほうをチラチラ見る。フレッドがポケットのなかからしわくちゃのハンカチを如何にかこうにか引きずり出した。べちゃっと、ハンカチと一緒にポケットに入っていたカエル卵石鹸がダリルのスカートの上に落ちる。ジョージはこれ以上ないぐらいに顔をひきつらせた。「……ごめん」自分がしたわけではないのに、額を押さえて、ジョージが謝る。フレッドがバツの悪そうな顔をした。
「顔を洗うのに便利だろ――拭くものがないけど」
 カエル卵石鹸がはしっこについてる汚いハンカチを差し出して、フレッドがダリルに肩を竦める。ジョージがフレッドの背中を叩いた。
 ダリルは俯いていて、ハンカチを取ろうとしない。痺れを切らしたフレッドがダリルの手に握らせようとした。
 自分の手を取ろうとしたフレッドの手を、ダリルがバチンと叩く。
「貴方達も――」

 肩を震わせ、瞳に涙を一杯貯めながら、ダリルが二人を睨みつけた。
「ミス・スリザリンなんて――貴方達も――あなたたちも、わたしが、グリフィンドール寮にはいったのは、足を引っ張るためだって」ハアとダリルが苦しそうに息を吸った。「わたしが、どんなに、この間、グリフィンドールが勝ったのが……嬉しかったか」

「貴方達も、ハリーも、もう、皆大嫌い。グリフィンドールに入りたいなんて、思うんじゃなかった!!」
 そう言うなりダリルはまたふらふらと立ち上がると、今にも転びそうな足取りで駆けて行った。
 フレッドとジョージはダリルが何を言ったのかよく分からなかったが――ダリルがこの間のクィディッチの試合を見に来ていたのは知っていた。遠くからなのでよく見えなかったが、真剣に双眼鏡を覗いているのは分かった。
「……お前がカエル卵石鹸をスカートの上に落とすからいけないんだぞ」
 ジョージが責めるように呻いた。
「ミス・スリザリンってあだ名思いついたって、喜んでたのジョージじゃないか」
 今のは全て白昼夢だったと思いたい二人だったが、そう思うことは無理だった。
 フレッドの足元にはカエル卵石鹸が散らばってるし、その中にダリルが落して行ったと思しき赤いリボンが漂っていた。

「もうってことは、今まではそうじゃなかったってことかな?」フレッドはジョージのほうをチラッと見た。
「さあ。まあ、どの道お前はもうすっかり嫌われてると思うけど」
「貴方“達”って言ってたのが聞こえなかったのかよ、相棒」
「年下の女の子泣かすような奴は相棒じゃないね」
 ジョージがべーっと舌を突き出した。
「僕とぶつかる前から泣いてた」
「でも、止めを刺したのはお前だ。ちったぁ前見て歩けよ」
「やめろ。僕とおんなじ顔した奴の口からパーシーみたいな台詞が飛び出るのは見たくない」
「ああそうだな。お前はずっと後ろ向いて歩いて、世界中の女の子を泣かせ続ければ良いさ……」
 赤いリボンを拾うと、ジョージはずんずんと歩きだした。フレッドも口を尖らせてジョージの後を追う。
「全くおめでたいね!」
 フレッドが不機嫌そうに声を張り上げた。
「これが僕の女泣かせ伝説の始まりってわけだ!! モテちゃって困るよ!」
 

絶望より酷いこと

 
 


七年語りPHILOSOPHER’S STONE