七年語りPHILOSOPHER’S STONE
34 不在の理由

 

 あれからダリルは抜け殻のような日々を過ごしていた。

 時々ハリーは何か言いたげにダリルを見ることがあったが、彼女が我に戻る時があるとすればその時をおいて他になかった。ハリーの視線に気づくなり、ダリルは今起きたとでも言いたそうにハッとして、大急ぎでクィレルの居室へ逃げて行くのだった。
 ハリーから逃げる事以外にダリルが気を使うことはなく、そういう抜け殻状態のままテスト期間は過ぎ、ダリルは自分がいつのまに答案用紙を埋めたのかも、実技試験の時にマクゴナガル教授とフリットウィック教授に何を言われたのかも全く覚えていなかった。
 兎に角ダリルは生きていて、それで痩せこけてはいたものの、きちんと一日を過ごしていた。朝起きてきて大広間に行き、ハリーの顔を見るなり逃げて、クィレルの部屋で消灯までの時間を潰す。試験が終わって以来ダリルの一日はそういうものになっていた。
 クィレルの部屋に来たからと言って何かするわけではない。いつもの定位置でぼーっとしているだけだ。時折クィレルが話しかけるとめそめそと泣いて、水分が足りないのがグッタリしていた。
「……ホグワーツから、消え去ってしまいたい」
 ダリルはいつものようにしくしく泣きながら、久しぶりに言葉を発した。
 クィレルは悲しそうにしているダリルを、痛ましげに眺めていた。――同時にそわそわともしていて、手は腰の杖に添えられていた。
「そ、そんなことを……い、言うものではないよ」
 慰めながらクィレルはダリルのほうへと歩みよった。ダリルは動かない。クィレルは一歩、二歩と距離を縮める。

「死んでしまいたい」
 そうダリルが零した瞬間目の前で眩しいものが散るのを感じた。

≪インペリオ、服従せよ≫
 それが、ダリルが最後に聞いた言葉となった。



 ハリー達がマクゴナガル教授に詰め寄っている同刻、ダンブルドアは禁じられた森の中を箒で飛び回っていた。
 森は新緑に生い茂り、枝を伸ばす木立は空からの光を遮って、禁じられた森のなかは暗い。先を照らすものが少ないなかでダンブルドアはプラチナブロンドがどこかに見えないものかと目を凝らしていた。時折チカっと光るほうへと近づけばユニコーンがおり、人影らしいものを見つけて近寄ればケンタウロスがいた。ダンブルドアをここへ呼び出した手紙の主――ダリル・マルフォイは一向に見つからない。

 ダンブルドア先生へ
 禁じられた森で待ってます。来てください。私と先生だけの秘密です。先生が来なかったら、先生に手紙を書くことが出来なくなっちゃうから、絶対に来てください。約束ですよ。ゆびきりげんまん。

 信頼を寄せて、ダリル・マルフォイ

 分厚い封筒の中には少女の物と思しき細い小指が入っていた。
 誰かを代わりに行かせるか迷ったが――賢者の石が校内にある――しかし賢者の石はマクゴナガル教授やスネイプ、クィレル等多くの教授陣が目を光らせ、ダンブルドアがいなくとも守ってくれるに違いない。ダリルが呼んでいるのはダンブルドアなのだ。
『先生に手紙を書くことが出来なくなっちゃう』
 ――ご丁寧に脅しまでつけて、ダンブルドアを呼んでいる。

 手紙を送りつけてきたのは間違いなくダリルではないだろうとダンブルドアには分かっていた。
 ホグワーツの生徒達がどういう性格をしているかダンブルドアは一人一人把握しているつもりだ。ダンブルドアの知るダリルは人を脅すような少女ではないし、何より幾ら思いつめていようとも気軽に自分の小指を切り落とすことは出来ない。魔法で一気に切り落としたなら兎も角、ダリルは魔法が使えないのだ。十一歳の少女が、刃物で自分の小指を切り落とす苦痛に耐えきれるはずがない。
 一体誰がこんな悪趣味なことをと、ダンブルドアは思った。小指は丁重に保管してある。ダリル本人さえ見つければすぐにでもマダム・ポンフリーがくっつけてくれるに違いない……ダリルの本体さえ無事なら、手紙を書けなくなることはないはずだ。
 そう思ってダンブルドアは箒の速度を上げる。

 暗くなるまでに見つけてやりたかった。それに今無事だったとしても、禁じられた森のなかにいるのではいつバラバラになっても可笑しくはない。ダンブルドアですらこの森にどれだけの種が暮らしているのかは分からなかった。



 ダリルはぼんやりと森の中を歩いていた。兎に角奥へ、奥へと頭の中で誰かが言っている。ぺたぺたと泥と裸足の足が触れ合う度に音がする。しかしそのかすかな音は遥か遠くを探しているダンブルドアには届かなかった。
 ぺたぺた。ぽとぽと。右手の小指の付け根からは血が足れていた。指がなくなってから止血はしてない。ダリルがぐらぐらしているのは意識がないからではないだろう。ぐらぐらぺたぺたぽとぽと。ダリルはぼーっと歩き続けていた。

 べしゃっ。ダリルは泥のなかに崩れ落ちた。よろよろと起き上がる。べしゃっ。また泥のなかに落ちた。足が何かに絡まっているようだ。ダリルは倒れこんだまま、前に進もうとした。蔦がダリルの足をからめ取っている。進めない。ダリルがもがけばもがくほどきつく足を締め付ける。ダリルの華奢な足に蔦が喰いこんでいた。ダリルは泣き声ひとつ立てない。
 不意に前に進めるようになった。しかしダリルは何かにぶつかって、前に進むことは出来なかった。
「おやおや」
 障害物が喋った。
「いつもお洒落な君らしくないのう」
 ブルーの瞳をきらっと輝かせて、ダンブルドアはにっこり笑いかけたが、それでダリルの眼に光が戻ったりはしなかった。

 ダンブルドアはぼーっと自分を見上げているダリルの腕を掴んで立たせる。泥だらけだった。それに顔は擦り傷だらけで、目のところには痣があった。幸いなことにダリルの残り九本の指は手にくっついていたけれど、やはり小指は欠けていた。
 ダリルが受けた仕打ちを思ってダンブルドアは眉を顰める。ともあれ無事で良かった。
「さあ、鬼ごっこは――」止めにして、戻ろう。続きは言えなかった。ダリルがダンブルドアの口に石を押し込んで、にっこり笑っていた。
 舌の上に泥が広がる。不意を突かれて、ダリルの腕を離してしまった。
「駄目」
 ダリルが笑って、二つの棒を振り回す。
「まだ帰っちゃ、駄目」
 うふふと可憐な笑みを浮かべ、ダリルはダンブルドアの箒と杖を持って駆けて行った。
 恐る恐る懐を探ると――ダンブルドアは自分が移動手段と、ダリルに掛かっている魔法を解く術とを奪われたことを理解した。
「……もっと穏便な方法で遊びに誘って欲しいものじゃ」
 ふーっとため息をつくと、箒と杖をぶんぶん振り回しているダリルを追いかけ始めた。

 ダンブルドアが知るダリルは大人しく、運動が得意という風にはあまり見えない少女だったものの、この走りっぷりを見るに結構なお転婆だったようだ。幾ら呪いに掛けられているとは言え、あんまりに早すぎる。

 自分の足で走ることなどダンブルドアには久しい。一時間ほど追いかけっこをしていたが、それでダンブルドアの体には限界が来た。木の幹に手をついてふうふう言っているダンブルドアにダリルが振り向く。悪意など一切なさそうな笑顔で、ダンブルドアから奪った箒をぶんぶん降った。「人って、崖から落ちたら如何なるのー?」ダリルが自分の背後をチラっと見やる。
 ダンブルドアは慌ててダリルのほうへ走り寄った。ダリルの脅し通り、そこには崖があった。崖というには谷と言った方が近いだろうが、何にせよ人間が落ちれば間違いなく死ぬだろう。ダンブルドアがまた自分を追い掛けだしたのに、ダリルがきゃあきゃあ言いながら、また走り出す。「箒、折れたー」ぶんぶんとダリルがからっぽの左手を振って見せた。「箒、落ちたー」
「と、年よりを弄ぶのは……いい加減にしてくれんかの」
 ぜえぜえ言いながら、ダンブルドアはもう気力だけでダリルを追っていた。杖じゃなくて箒を捨てたのは幸いだった。帰宅には時間がかかるだろうが、ダリルや杖が崖に落ちるよりかはずっと良い。
 ダリルはにこにこ笑いながらダンブルドアが自分に追いつくのを待っている。手を振った。その瞬間ダリルの体がぶれる。
「あ」
 華奢なダリルの体が飛んだ。木に叩きつけられて、地面に落ちる。

「ダリル!」
 疲れているのも忘れて、ダンブルドアはダリルへ駆け寄った。ダリルはぼーっと目を見開いて、今も尚どこかへ行こうとしている。
 ダンブルドアはダリルの手から杖をもぎとった。
「プロテゴ・ホリビリス!」
 叫ぶと同時にこん棒がダンブルドアの目の前で止まり、それを握るトロールと、トロールから発せられる異臭に気付く。ダンブルドアはずるずると動こうとするダリルを左手で掴み、杖を振る。トロールは首をかしげながら何度も何度もこん棒を振るっていた。
「ディフェンド」トロールの体に切り傷が出て、隙が生じる。「コンフリンゴ」こん棒が爆発する。「ステューピファイ」トロールはもう一度首をひねると、そのまま横にぐらっとよろめき、木々を巻き添えにしながら倒れた。

 ふーっとダンブルドアはため息をついた。ダリルのほうに向きなおる。ダリルは新たな傷を得ていた――トロールにこん棒で思い切り殴られた時に折れたのか、地面に落ちた時折れたのか、ダリルの右足はあり得ない方向に曲がっていた。
「今度こそ鬼ごっこは終わりじゃ」
 尚もじたばたしているダリルに向かって、ダンブルドアはピシャリと告げた。
「すまんが、もう逃げられると困るんでな……。ステューピファイ」
 ダリルの動きが止まった。

 逃げられると困るというのもあるが、それに呪いを解いた時我に返ったら随分と苦しむだろう。ダンブルドアは心底草臥れたと言う顔で、泥だらけのローブを摘まんで裾を持ち上げた。「鬼ごっこも、泥遊びも、半世紀……いや一世紀ぶりじゃろうて」
 感慨深げに頷いてからダンブルドアは杖を振った。
「アクシオ、箒……遠すぎるようじゃな」やれやれと首を振ってから、しっかり杖を握りしめ、ダリルに向き直る。「モビリコーパス」
 ふわふわと浮いたダリルの体を杖で舵取り、ダンブルドアは呼びよせ呪文が有効な範囲に達するまで再び歩く事となった。
 

不在の理由

 
 


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