七年語りPHILOSOPHER’S STONE
36 もう一度はじまる

 

 ダリルはまだクィレルの死を悼んでいたが、他の生徒は皆、クィレルというどもりのある教師がいたことなど忘れ去っているようだった。

 自分と同じく寝込んでいたハリーもパーティの夜に医務室から解放され、今や医務室にいるのはダリル一人となっていた。
 右足も小指も肋骨も、目に見える怪我はもう治っていたけれど、マダム・ポンフリーはまだダリルを解放してやろうとは思わないらしい。
 別にそれで構わないとダリルは思っていた。ドラコの面会もダリルは断っていた。気分が落ち込んでいて、何もしたくなかった。クィレルに泣きごとを言っている時も、今と同じだった。しかしもうダリルの泣きごとを聞いてくれるクィレルはいない。
 あと五日で夏季休暇に入る。家に戻ればちょっとはクィレルのことを忘れられるのだろうか。
 そう思いながら膝の上の本を見つめていたダリルの前に何かが落ちてきた。固い表紙の上で赤いセロファンがカサリと音を立てる。ダリルは手の甲に当たったキャンディを摘まんで、天上から垂れる明かりに透かし見た。
「……あめ」
 目にしたままをぼんやり呟いた瞬間、ダリルの世界を区切っていたカーテンがシャーっと勢いよく開かれた。

「なんだ、今日も辛気臭い顔してるな」フレッドが呆れたような顔をしてダリルを眺めていた。
「フレッド! やあ……ダリル」ジョージはダリルのファーストネームを躊躇いがちに呼ぶと、その機嫌でも伺うようにチラと視線を寄越した。ダリルはぽかんと口を開けていたが、彼らを拒絶しようとはしなかった。というより、出来なかったと言うべきだろう。目と口が殆ど直結した日々に――自分で考えて行動することを免除されていたダリルに彼らは鮮やか過ぎた。
「ダリル、医務室で暮らすことにしたんだって? ネクタイの色を白に変えなきゃならないな……」
「白と赤だな」
 フレッドがにやっと笑った。
「僕が思うにその二つが一番医務室っぽい――マダム・ポンフリーは真っ白い服を着てるし、いつも顔を真っ赤にしてるからな」

「えーえ! それはそうでしょう……」
 背後から聞こえてきた声に、双子の肩がビクっと跳ねた。二人がおっかなびっくり振り向いた先には怒れるマダム・ポンフリーがいた。
 マダム・ポンフリーは二人の肩を掴んで、ダリルから離そうとした。
「一体いつの間に忍び込んだんだか……! 私の顔が赤いのはね、貴方達みたいに馬鹿をする生徒がいるからよ……」
「出入り口が扉だけだと思ってるのはマダム・ポンフリーだけだろうな」
 フレッドが肩を竦める。
「それにママを入れるのを忘れちゃいけない。奴さん、僕らが窓から帰ってくると一時間は離してくれないぜ」
 ジョージがフレッドに人差し指を付きつけて、注釈を入れた。
「貴方達と来たら……当然です! さあ――」
 出て行って! そう言おうとしたマダム・ポンフリーだったが、ベッドのほうから聞こえてくる音に言葉を止めた。フレッドとジョージもダリルのほうを見つめている。ダリルが声を立てて笑っていた。その頬に、ゆっくりと涙の道が引かれる。フレッドとジョージを見つめる瞳には涙の膜が掛かり、室内の明るさを写しだしていた。笑いながら、ダリルは首を横に振った。
「私が窓から帰ってきたら……きっとお母様は一年間私を離してくれないわ」
 フレッドとジョージは顔を見合わせて、それから二人同時ににやっと、いつもの悪だくみをしている時の笑みを浮かべる。
「そいつは面白いや」
「“お母様”の部屋は何階? 壁をよじ登る方法を教えてやろうか」
 涙が頬を伝って、開かれたページの上に落ちた。滴が繊維質に滲んでいくが、しかしダリルはもう俯かなかった。
「……十分だけですよ」
 マダム・ポンフリーはそう言うと、ベッドのカーテンを閉めた。

「泣くのと笑うのを一緒にするなんて、器用だな」
「そんなでもないさ。試験の結果とグリフィンドールが寮杯を取ったのが同時に知らされた時は僕も泣きながら笑ってた」
「グリフィンドールが首位に立ったの……?」
 ハッとした顔をして、ダリルが双子に――どっちがどっちか、ダリルには分からなかった――聞いた。
 ジョージがちょっと気まり悪そうな顔をした。
「ウン――まあ、そら、君の嫌いなハリーが、ちょっとね」
「ダンブルドアの眼鏡を磨いてやったんだ……ハーマイオニーは顔を洗ってやって、ロニーがレモンキャンデーを口に放り込んでやった」
「ネビルが袖を捲ってやったのも忘れるなよ。校長は御機嫌で点を追加してくれたんだ」
 ダリルが苦笑した。

「良いの。分かってるわ。ハリー達のことだもの、百五十点減点されたままで終わるとは思ってなかったわ」
 フレッドがジョージを肘で突っついた。ジョージがフレッドを睨む。
「それで、あの、あのさ……」
「僕ら、君を泣かせようと思って――ミス・スリザリンなんてからかってたつもりなかった」
「まあでも、グリフィンドールが嫌いじゃないってのはあの時が初耳だったかな」
 きょとんとしてから、ダリルの頬が真っ赤になる。ダリルはすっかり忘れていたが、ハリーとやらかした帰りに、ウィーズリーの双子に遭遇したのだった。ダリルは両手で頬を押さえると、俯いた。

「わたし、わたしも……言ってなかった」
「じゃああいこだ」
 ジョージがほっとしたように呟いた。
「その……酷い事言って、ごめんなさい」
「先にミス・スリザリンなんて酷いあだ名思いついたのはこいつさ、謝ることないよ」フレッドがジョージを指して言った。
「そんなことより、あの時ダリルにぶつかったのはお前だ。お前はもっと謝っておけよ。しかもスカートを汚したんだぞ」
 片割れへ噛みついたジョージに、ダリルの肩が震えた。弾んだ声が漏れ聞こえるのに、その表情が悟れる。フレッドとジョージはプラチナ・ブロンドのカーテンで覆われた笑みを思って、頬を緩めた。
 ダリルは濡れた頬を指で拭ってから顔を上げた。
「もう――私には、どっちがフレッドで、どっちがジョージかも分からないのよ……」
「じゃあ僕は僕がしてもないことでダリルに足を踏まれたりし続けなきゃいけないわけだ」
「相棒が碌でもないと損するよな……こっちは思いついてもないことでダリルの靴を磨き続けなくちゃいけないんだぜ」
 悲劇的だと言わんばかりに眉尻を下げ、二人がぼやいた。
「そうね」
 ダリルは顔をあげて、ツンとした顔を作った。

「私、貴方達が私のことをミス・スリザリンとかあんまり茶化すものだから……私、未だに友達の一人もいないのよ」
 ちょっと声が強張った。
 フレッドとジョージが顔を見合わせて、変な顔をしている。
「足も踏まないし、靴磨きしなくてもいいから、私の……グリフィンドールで初めての友達に、なって」段々声が小さくなっていった。
「そういえばそうだな、僕らだってカエル卵石鹸を台無しにされたり、ぶつかられたりしたんだし」
「それが妥当だ。あいこで、君も僕も損しないし、得する」
 ジョージの言葉にダリルが不思議そうな顔をした。
「得、するの? その、別に友達にならなくても、足は踏まないし、靴も磨くよう言わないわ」ダリルが慌てて付け加えた。
「誰だって魔法史のテストの点数が百二十五点の友達は欲しいだろうよ」
「これから僕らのレポート、すっかり手伝ってもらわなきゃな! さぞかしママが喜ぶだろうよ。急に魔法史の成績があがったって」
 何と言っていいか分からなかった。
 ホグワーツに来た頃は大嫌いだった二人と話していて、如何してこんなに楽しいのだろう。
 ダリルはクィレルの本を脇に下ろした。本は重くて足が痛かったし――ダリルは今やっと自分の足がしびれていることに気付いた――それに、もうちょっとフレッドとジョージの傍に寄りたかった。ダリルがもぞっと二人の近くに寄った途端、フレッドがダリルの手を掴んだ。
「僕ら友達だ。そら」
 フレッドがダリルの手を引っ張った。ジョージがにやっと笑って、もう一方の手を掴む。

「君は医務室の病人じゃなくて、僕らと同じグリフィンドール生だろう!」

 足は痺れていたけれど、久々に下りた床は平らで、ダリルの足はよろけたりしなかった。それで、二人に引っ張られながら走ると、ダリルは急に自分が退屈していたこと、おなかが減っていること、疲れていること、悲しんでいることに気付いた。
 背後からマダム・ポンフリーが追いかけてくる声がしたけれど、ダリルとフレッドとジョージは止まったりしなかった。フレッドが「撒くぞ!」と言った途端、急に速度が上がる。ぐんぐん風景が後ろに消えていく。
 ダリルはコロコロと笑った。笑いながら、また泣いていた。涙も後ろの方へ置き去りにされて、風がダリルの頬を乾かした。

 笑うこと、新しい生活を始めていくことは、人を忘れることではない。大好きだった人と笑ってた自分を忘れないために、大好きだった人と一緒に死なないために人は悲しいことがあっても笑って、次の日に彼のいない一日を始めるのだ。
 ダリルはまだ生きている。生きていて、そしてもう世界に一人ぼっちではなかった。
 

もう一度はじまる

 
 


七年語りPHILOSOPHER’S STONE